Special day

皆さん、こんにちは!

先日、無事にまた、1つ年を重ねることができました、ももこです。

家族からは誕生日になってすぐおめでとうラインが…。友人たちからはお祝いの言葉と共にプレゼントまで頂き…。本当にありがたい限りです。

ある友人に「名前からてっきり春生まれだと思ってたよ~」と言われました。…た、確かに!恥ずかしながら、20年近く生きてきて、自分の名前を季節から連想したことがなかったんです。というのも、ずっと前に母から、私の名前は中国の「桃」に託された意味に由来すると聞かされていまして…。中国では「桃」は不老や長寿のシンボルとされる縁起物なのだそうです。今年履修している中国文学の授業でも、「桃は古代から今日に至るまで縁起物として人々に親しまれているんですよ」と紹介されまして、聞いた瞬間は恥ずかしかったりもしたけど、何だか誇らしかったりして…。この文章を書いている今も、「何か名前負けしてるよなぁ~」なんて思いつつ、誰かが自分のために一生懸命考えてくれた名前って、それだけで価値のあるものなんだって感じています。

私はしばしば、自分が生まれた日がどんな日なのか、同じ日に生まれた人にどんな人物がいるのか、無性に調べたくなってしまう時があります。

(ちなみに…、私と同じ誕生日の有名人・偉人には、初代内閣総理大臣である伊藤博文、『ドリアン・グレイの肖像』で知られるイギリスの作家オスカー・ワイルドなどがいます!あと、これは最近知ったのですが、藤原道長がかの有名な歌「この世をば我が世とぞ思ふ望月のかけたることもなしと思へば」を読んだ日が、私が生まれた日と同じだったんです!ここに並んだ名前を見ると、何だか恐れ多くなっちゃいます…)

こういう行動をしてしまうのは、自分が生まれた日に何らかの意味を持たせたい…という生への執着だと思うんです。不安になった時、自信が無くなってしまった時、あんなことやそんなことを成し遂げた偉人や有名人が自分と同じ日に生まれ、歴史上の分岐点となることや重要なことが自分の誕生日に起こっていたとしたら…、少しだけ前を向ける気がするんですよね。自分がこれまで生きてきた人生とは関係ないところで、私は生まれた時から特別な存在なんだって認識したいんだと思います。

でも、自分がそうやって執着する誕生日は、意外にも普段の日常と変わらず、ゆっくりと穏やかに過ぎていくんです。一人暮らしをしていて改めて思うのですが、家族といた頃はそれこそパーティーなんかをしてもらうわけですけど、一人でいると、これがまあ、本当に普通の日と何も変わらない時間を過ごします。

総理大臣になる人物が生まれた日だって、数々の名作を遺す文豪が産声を上げた日だって、きっと穏やかな日であったに違いありません。誕生日には、ただ、あなたが生まれた日を祝い、その存在を特別に思う人たちが何人かいて、あなた自身もその喜びを噛みしめて感謝する…。それだけで十分なんじゃないかなと思います。

思えば、私にとって何気ない今日が、誰かにとっては特別な日かもしれない。そう考えると、世界は穏やかに見えて、毎日が特別な日なんですよね…。

人間は生まれた瞬間に、いつかはこの世界に別れを告げることが決定されます。だからこそ、生に執着して、それが一番簡単に感じられる誕生日にすがるんだと思います。でも、特別なのは生まれた日じゃない。特別なのは今日を一生懸命生きるあなたであって、私たちは過去に生きているわけではありません。

誕生日とは、「本当に特別なものは何か?」ということを私たちに考えさせてくれる点において、特別な日なんだと思います…。

本日もお付き合いいただきありがとうございました!それでは、また!