おばけ

こんばんは。

もう10月なんですね、全然気が付きませんでした。空模様も行き交う人々の服装も、まだまだ夏のようですね。教室はまだまだ冷房が効いていますし、銀杏の木はまだまだ青い。しかし、日だけは随分と短くなりましたね。

お店に入ればかぼちゃとさつまいもだらけ。どれもおいしそうです。ところどころ穴があいているようですが・・・おっとこれは食用ではないやつですね。ジャックオランタン。

今日はりんごと柿を買って帰りました。好みはふじりんごなのですが、今日はトキというりんごがたくさん置いてあったので、トキさんにしました。皮が黄緑色のものです。今晩のデザートはどちらにしましょうかね。

駅から家に向かって歩いて行き、エントランスの前にたどり着くと、隣のお家のお庭が何やら光り輝いています。暖かい山吹色の光が気になってしまったので近づいてみると、植木鉢に入ったそれほど大きくはないけど立派な木が電飾で彩られているのでした。クリスマスイルミネーションの先駆けかとも思いましが、よくよく見ればほんわりと照らされるカボチャやコウモリの形をしたかわいらしい飾りたち。お化け型の飾りは丸い頭とポンチョのようなひらひらとした胴体を持つ白い姿。それはまるで・・・まるでてるてる坊主のようでした。ティッシュペーパーを丸めて輪ゴムでくくり、マッキーでお顔を描いては若干にじんでじんわりとした表情をするのもご愛敬、窓辺の湿気などお構いなしのカーテンレールにぶら下げて明日の晴天を願う、あれです。運動会の前日に作る、あれです。形が本当に、てるてる坊主としか言いようがありません。とてもかわいいです。そしてこの、てるてるお化けの頭部には電球が入っているようで、輝くてるてるお化けが木の上でゆらりゆらりとしているのでした。山吹色の光はどうやらてるてるさんたちの頭から発せられていたようです。ダイソーの季節限定コーナーにあるようなリアルなゾンビのマスクもハロウィンらしくてよいですが、こういったかわいらしい電飾もまた、夜を彩るのにはうってつけですね。ご近所さんが植木にゾンビマスクを飾るようなお人でなくてよかった。光るゾンビは笑い飛ばせそうにない上に、夢の中で奇跡の再会を果たしてしまうかもしれませんからね。恐るべし。

ことば

こんにちは。

今日はまじめに履修のお話。

私は日文の授業を受けながら、教職課程を履修しています。日文の教職課程で取得できるのは中学・高校の国語の教員免許です。

教職課程は、毎年数コマずつ学校教育に関係した授業をコツコツコツコツ受けていきます。最初は講義形式の授業が多いのですが、だんだん実践的な授業も増えていきます。例えば、授業の内容や構成を考えてみたり、学習指導要領(学年ごとに学習の目標が書いてあるものです)を読んでみたりするなど。今私は3年次ですが、模擬授業をするなんていう授業もあります。

模擬授業…。私も学校の授業はまじめに受けてきたつもりですが、いざ自分が授業をする側に立つとなると、緊張します。言葉もしどろもどろだし、あらかじめ準備してきたとはいえ頭は真っ白だし。あそうだ、もし教職課程に興味のある方がいらっしゃいましたら、授業をする先生の言葉とか、活動の流れとかを観察してみるとおもしろいかもしれません。あとは、自分が学校で使っていたノートとかも少し本棚に眠らせておくと吉です。

教職課程は忙しいのでは?と気になる方もいらっしゃるかもしれませんね。私の感想としては、それは授業の組み方次第です。通年で登録する授業が50単位くらいになるところで抑えておけば、3年次までに「卒業に必要な単位数」のほとんどを履修し終えることができます。もっとも、数年ごとに履修に関する規定は改訂されるようですので、履修の際には『履修の手引き』をよく確認してくださいね。

その他には、所々で書類の提出があったり、レポートの提出があったり、ガイダンスや教育実習事前指導などもありますが、流れ星に3回お願い事を言えとかいう難しいことは言われません。あ、でも提出期限が短いものはしばしばありますね…。 最近私が食べ物以外で考えていることは、最適な怒り方とは何か、です。いえ怒り方に限る必要はないのですが、自分の気持ちや考えを相手にちゃんと伝えるにはどのような言葉を使えばよいのか、です。せっかく文学とか日本語とかの勉強をしているので、せめて「ふえぇぇぇ」以外のきれいな言葉を使っていきたいものです。

拝啓

 残暑の厳しい季節となりました。君はもうとっくに夏休みを終えた頃だろうね。ふふーん、大学生の夏休みは長いのだよ。私はまだ夏休み中だ。

 どうせまた学校じゃあ気を張って頑張っているのだろう?そうだろうね。君は入学当初から「真面目キャラ」で通っていたものね。しかも自分ではそうしているつもりが全くないのに、だろう?その仮面を中々崩せないしんどさは私にも想像ができるよ。僅かだけどね。たまには疲れ切らないように、リラックスしてみるのもいいんじゃないかな?まあ、君のその悩みにも直に攻略法が見つかるさ。

 吹奏楽部に入ったんだって?それはとてもよい選択をしたなあ。君の音痴を治すのには吹奏楽がうってつけだ。腹筋もつくし、音楽鑑賞も楽しくなること間違いなし。まあ、これらは全部私がそうだったからっていう話なのだけどね。せいぜい腹式呼吸を身に付けることだね。それと酸欠にはならないように。

 2学期というと合唱祭か。練習はもう始まっているのかな?何、君も指揮者になったのか。奇遇だね、私もやったことがあるのだよ。しかし、今思えばどうして指揮者をやろうと思ったのか自分でもちょっと謎なんだよ。まあ、自分のクラス皆の美声を聴ける特等席なのだけどね。あの最後のハモリは忘れられないよ。ちなみに君はどうして指揮者に立候補したんだい?今度聞かせておくれよ。

 そういえば、君はハリーポッターシリーズを全部読み終えたのかな?ひいおじいさんにもらったあの分厚い本たちさ。本当に素敵な作品だよなあ。私は最近やっと映画版を見始めたのだが、小学生の頃にドハマりしたのを思い出したよ。私にもホグワーツから入学許可証が来ないか待ちわびたものだ。今でも時々魔法に憧れるくらいだ。ガラス製品を割ってしまったときとか、うっかり寝坊してしまったときとか。ふいっと一振りで直せたらどんなにいいことか。

 そうだ、君に頼みがあるんだ。学校の授業でノートを取っているだろう。それを捨てないで取っておいて欲しい。中学のノートなんて高校ではどうせ使わないとか今後思うこともあるかもしれないけれども、どうか頼むよ。国語だけでもいいからさ。それらはきっと君の役に立つ。私はそれがなくて結構苦労しているのだよ。

 末筆ながら、君の健康と身長が伸びることをお祈りします。どんな言い訳を並べても寝不足はよくない。日中眠くなるだけならいいけど、何より身長が伸びなくなる。それと、スマホには気を付けるんだ。あれはおもしろい代わりに君の視力をちょっとばかりと言って低下させるための代物だ。くれぐれも気を付けるように。それでは、またいつか。

敬具

  令和6年9月6日

21歳の私より

13歳の君へ

エス

やあ。

今日はみんなに、言わなければならないことがある。そう、僕は、スズメバチが大の苦手だ!正直、お化けよりも都市伝説よりも理科室の骨格標本よりもこわい。

まずはあの体。遠くから見てもスズメバチと分かる体の大きさと形、そして黄色と黒色の体色がいかにも「危険!」な感じがする。そして顔。大きな目、大きな顎。そんな大きな瞳で見つめられても、僕は惑わされないからな。というか、僕の事だけは認識しないでくれたまえ、頼む。

噂によると魔法界では「名前を呼んではいけないあの人」が有名になっているらしいが、そんなことを言っている場合ではない。スズメバチ卿こそ「名前を呼んではいけないあのムシ」として認知され警戒されるべきだ。なんだって?そんな抽象的な呼称ではゴ〇〇〇と区別がつかないって?まあ、確かにそうかもしれないな。しかし、僕に言わせればゴ〇〇〇にGなんてコードネームを付けるくらいなら、スズメバチについてもSとかいうコードネームを付けてやるのがよい!そのくらいの価値はある。

ご本虫は優雅な飛行を楽しんでいるだけなのかもしれないが、僕からすると「生ける毒針」が飛びまわっている以外の何ものでもない。そのご尊顔を一目拝んだだけで僕は背筋の凍る思いがする。

この間だってそうだ。いくら弓道場が開けっ広げだからといって、スズメバチ、もといSがブンブンと豪快な羽音を立てながら悠々と入室してくるものだから、室内にいた人間ども(特に僕)は恐れおののいた。ある者は静止画のように動かなくなり、ある者は驚きのまま開いた口が閉じない。僕はというと、「ふえぇぇぇ」という情けない声を上げた挙句、体育座りに顔を埋めて、もはや何を見ることもできずにブルブルと震えながら、「タスケテクレェ、タスケテクレエ」とつぶやいていた。なんと情けないことか。せめて「自由の女神像」くらい凛々しい面立ちで静止していればよかったと後悔している。

この日のSとの出会いがあまりにも衝撃的だったからだろうか、数日後の夢にSが出てきた。先に言っておくが、断じて僕がSのことを好いている訳ではない。

舞台は夕暮れの草原。多分、山奥。ドッグランのような謎の柵に囲われた草原で、10~20人ほどの人間がいた。走る者、テントを張る者、料理をする者など多岐に渡ったが、僕の知る人はほとんどいなかったように思う。僕がその草原で何をするともせずに佇んでいると、数m先を飛行するSに気づいた。しかもだんだん僕に近づいてくる。Sに気づいた途端、僕はその場にしゃがみ込み、ブルブル震えながらSが去るのを待った。しばらくして、Sは去ったと安心したのもつかの間、Sは再び飛来する。僕はまたその場にしゃがみ込んで、着ている白いパーカーのフードをかぶり、ブルブル震えながらSが去るのを待つ。飛来してはブルブル震え、去っては飛来しブルブル震える。これがひたすら繰り返される悪夢であった。しかし、夢の中でさえブルブル震えていることしかできないなんて、僕はなんて情けないのだ。夢の中でくらいクラーク博士のようになれないものか。その手先にSでも乗せて仲良くなってしまえばいい。否、それは夢でもご勘弁。

ちなみに、Sを見かけても走って逃げたり叩いたりしてはいけないのだそう。万が一服に止まってしまった場合に最も安全な対処法は、Sが飛び去るのを待つこと、らしい。

為す術もなくブルブル震えるだけの僕の行動はあながち間違いでなかったことに安堵しつつ、いつ刺されるかも分からないままじっとしているなんて、何の拷問だよ、という嘆きが心の中でこだまする。

ちょっと

こんにちは。

最近ちょっと元気の出ない日が続いておりましたの。

朝起きても、というよりベッドから這い出るまでが勝負なのです。ベッドから出るのが億劫で仕方がないのですのよ。

やっと起きたとしても、なんだか眠とうございます。眠たい頭でぼんやりしておりますと、気が付いたときには30分くらい経っておりますので、我ながら呆れてしまいますわ。

さらには、おなかがすいたとか、何か食べたいとかもあまり感じませんの。

・・・あら?これは噂に聞く夏バテというものですの?

いいえ、暑さのせいにするのはあまり好きではございませんので、ここは1つ、ラムネの飲みすぎということにいたしましょう。うん、それがいいわ。

しかし困りましたわねえ。どうしたものでしょうか。

これではトントゥさんのお世話も、ワライカメレオンさんの餌やりもできそうにありませんわ。今日は諦めてメイに代わってもらうしかありませんわね。メイ、どこなの?あら、もう餌やりはとっくのとうに済んでしまったの?そう。さすがはメイだわ。

もうお昼時だというのに、私のお頭はまだ靄がかかったみたいにぼんやーりしておりますのよ。今日の覚醒はちょっと諦めたほうがよさそうね。その代わりと言ってはなんですけれども、コリーのお部屋にお邪魔することにしましょう。コリーならきっと、あのクテンとした手でよしよししてくれることでしょう。ええ、きっとそうよ。

コリーのお部屋におりましたら、あっという間に日が暮れてしまいましたの。私はどうやら何をするともなく、座り心地のよいソファの上で、ただただぼんやーりしていただけのようですの。まあ、こんな日もありますわよね。仕方がないわ。それに、こんなにのんびりした1日を過ごしたのは久しぶりですわ。これもまた、素敵な1日ね。

翌朝、目が覚めてもまだ私のお頭はぼんやーりしておりましたのよ。でもね、また1日家に籠っているというのもなんだかつまらないような気がしてきましたの。要するに、飽きてしまいましたの。ですから、今日は都に行くことにしましたわ。好きなものを食べて、好きなお店に入って、好きなものを買って、そうやって歩き回っているうちに、ちょっとばかり気分が晴れたようですわ。たまにはこういうのもいいものね。

にっき

こんばんは。

最近ひょんなことから日記というものを始めました。いえね、これまでも気の向くままに書きすさぶ日記の真似事をしていた時期はあるのですが、いつからかぱったりと書かなくなりまして、確認しましたところ今年の7月2日が最後となっていました。ちなみに7月2日の前は5月5日でした。

なぜここまで書かなくなったのかを考えましたところ、原因は使用媒体にあるということに行きつきました。私はこれまでPCを使ってWordファイルに書き込んでいたのですが、3年生になってから?あるいはその前から?PCを立ち上げる頻度がめっきり減っていたのですね。PCをそこまで頻繁に使わなくなってからは、わざわざ日記といえるかいえないかの文章を書くためにPCの前に座るということもなく、気が付けば何も書かなくなっていたのですね。

ではなぜ私が再び日記というものに手を出したのか。それは偏に家族との間で日記の話題が出たからです。家族曰く、「ののちゃんは日記とかコツコツ書いてそう」とのこと。

はて。

そもそも私という者は、毎日コツコツと何かを継続することが致命的に苦手です。特にプライベートな内容であればあるほど長続きしません。すぐに飽きます。すぐに諦めます。まあ、やりたくてやっていて、気が付いたらルーティーンになっていた、ということもあるにはあるのですが、「あ、最近毎日これできてる!」と自覚した途端に途切れてしまいます。日記だってほら、先ほど述べた通りです。

とはいえ、家族には私がそのように見えているということなのか。それはそれでまた新しい発見です。これをきっかけに日記というものもつけてみようか。三日坊主になろうがどうなろうが、ものは試しだ。ということで、今回はスマホに日記アプリを入れて、日記キャンペーン開催です。

なんと今日で6日目ですが、ちゃんと続けられています。三日坊主になる自信がたっぷりであっただけに、自分でも驚いています。やはりスマホという毎日触る媒体を使っているのがいいのでしょうか。ふとしたときにパパパッと入力できますし。書く内容も特に決めず、文字数も決めず、思いついたことを多かれ少なかれ書いています。誰かに見られることもありませんから、思いついた渾身のおやじギャグを書くもよし、映画のネタバレ付き感想を書くもよし。何でもありです。箇条書きも論文調も小説風も何でもありです。

私の場合は、数日後あるいは数か月後に読み返したらプッと笑える内容を目標にしています。目指せ令和の清少納言です。そのほうが書いているときも1mmくらいは元気になれますからね。もちろん無理は禁物ですが(実際、度々悪魔の雄叫びも漏れています。天使になるのは難しいので、せめて人間でいたいものです)。

さて、今日の出来事も書き終えたところで、寝るとしましょう。おやすみなさい。

こんばんは。

森見登美彦という方をご存じですか。小説家です。『夜は短し歩けよ乙女』などで有名な方です。いくつかの作品はアニメ化もしていますね。私が今絶賛どハマりしている作家さんです。

きっかけは読書家の母。「森見さんの本って読んだことある?」という一言に始まり、私は「中学の頃に一度だけ」と答えました。母曰はく、「『夜は短し歩けよ乙女』、面白かったよ」とのこと。そんなことを言われてしまうと、決まって天邪鬼になって「いつか読む」という曖昧な返答を送りがちな私ですが、今回は珍しく、それだけの理由で読まないという選択肢を取るのも何となくもったいないような気がしたので、とりあえず『走れメロス』から読んでみることにしました。太宰治のものではありません。森見さんが大宰さんの「メロス」を基にして作った、いわゆるパロディです。

ここに登場する大学生たちが驚くほど阿呆なのです。とにかく阿呆なのです。文体は一見、真面目で難しそうな、博識でちょっと古めかしいようなそんな様子なのに、中身を吟味してみれば「なにをやっとるんだ(笑)」と、家族のいるリビングであろうと満員電車のサラリーマンの前であろうと、思わず口元が緩んでしまうことせんかたなし。これを手始めとして『夜は短し歩けよ乙女』他多数の作品を読んでは時間と場所を問わず一人ニヤニヤしている私がいます。ああ、この大学生たちは何と阿呆でかわいらしい生き物なのでしょうか。

ただ一つ気になることがあります。冒頭で述べた「中学の頃に一度だけ」読んだあの本――『夜行』というのですがーーあれはこんなに愛すべき阿呆たちのお話ではなかった気がするのです。記憶にあるのは銅版画と夜景のような美しい雰囲気。はてさて私の記憶違いでしょうか。

兎にも角にも気になって気になって、大学の図書館に足を運べば『夜行』なる本が折よく目につきましたので、紺色のその本を手に取っていま一度読み返すことにしました。ちなみに、年に百冊超えの本を読み倒す学年一の読書家、の足元にも及ばないどこにでもいそうな気まぐれ中学生の私が手に取った時には、表紙に茶色がかったセミロングヘアで白いワンピースを着ているかわいらしい女の人のイラストが描いてあったような気がします。もちろん、うろ覚えです。気まぐれ中学生の私は、この神秘的な乙女に惹かれてこの本を手に取ったのではなかったでしょうか。もちろん、うろ覚えです。大学の図書館ではカバーを剥がしてしまっているのでしょう。闇夜に浮かぶ車窓のような四角が描かれた表紙です。

改めて読んでみると『夜行』は記憶の通り、ふっと消えてしまいそうな、夜景のような儚くも美しい空気をまとったお話でした。読んでいけばいくほど何となく、悲しいような、懐かしいような気分になります。電車の中で口角が上がるのを必死で抑えるどころか、涙を抑える必要がありそうです。

最近になって、美しい音楽(私にとっての美しい音楽はディズニーアニメのBGMなのですが)を聴くと涙が出そうになるようになってしまいましたが、なんだかそれに似ています。

私はきっと、生涯闇夜に浮かぶ車窓を眺めてはこのもの悲しさを思い出すのでしょう。

食わず嫌い

こんにちは。

日文必修科目「日本文学の基礎」を受けてからというもの、近現代文学とちょっとばかり距離を置いていました、ののです。

この「日本文学の基礎」という授業は、上代・中古・中世・近世・近代とある各時代の代表的な作品をいくつか先生が講義形式で解説してくださる、言うなれば日本文学イイトコドリの授業です。日文の多くの学生はこの授業を1年次で履修しますので、この授業を通して時代ごとの作品の特徴を学びつつ、自分と波長の合う時代合わない時代を感覚的に見つけます。私の場合、この授業の近代の部分で何となく挫折を感じてしまいましたという話です。詳しく言うなら

  彼の目からしずくが落ちた

という文章を見て、「彼は泣いてる」ではなく「彼は目薬をさした」と解釈してしまう自分がいることに気づいたのです。さらには現代語に近い文章の解釈を現代語で的確に表現するだけの語彙とセンスがないのではないかトホホと感じてしまったのです。

そういって2年生のときは古典分野の授業ばかり履修していたのですが、しかしいつまでも苦手なものから逃げてはいられない。というよりは、逃げるということがつまらないものに思えてきたので、3年になった今期は近現代の文学史と講義を履修することにしました(褒めてください!)。あいかわらず自分の解釈を説明するのには苦労していますが、近代の時代背景や当時の文筆家の情熱のようなものの話はとても興味深いです。

食わず嫌い。とは言っても多少かじってはいるわけですのよ。

記憶にも残らないほど幼かったとき、私はとまとが大嫌いだったそうなのですが、それも1度口に入れて噛まずに口から出すという奇行をしていたとか。今は大好きですけれども、とまと。

豆乳もそうです。家には牛乳しか常備されていないので、飲んだことのない豆乳は私にとっては得体のしれない白い液体だったわけで、保育園の給食で豆乳が出て来たときに私はイヤイヤ飲みたくないと言って、イヤイヤ言っていたらコップに1口分だけ注がれて「飲んでみなさい」との事で。結局嫌々飲みましたけれども、豆乳独特の風味は幼少期の私のお口には合わなかったご様子で。それ以来豆乳を豆乳のまま口にすることはありませんでした。

しかし幼少期に顔をしかめた豆乳の味などとっくに忘れてしまった大学3年の私は、はてさて豆乳とはどのような味なのかしらと興味を持ちます。インターネットで紹介されている豆乳プリンは何やらおいしそうに見えますし、入手することだって簡単ではありませんか。機会があるなら試してみよう、お昼のお供に飲んでみよう。しかし飲んでみると、真顔で飲めることには飲めるけど、やはり豆乳独特の風味があります。慣れれば何てことないのでしょうけれども、繰り返し飲まないことには慣れない。慣れないことには繰り返し飲めない、否飲まない。そういってまたしばらく豆乳さんとはおさらばの生活。それから1か月ほど経ちましたか、豆乳の味を再び忘れた今日この頃。学食の期間限定メニューに「冷やし豆乳明太うどん」の文字。あらあら豆乳だって、さぞかしまろやかなお味がするのでしょう、とまたもや興味津々。しかし食べてみればもちろん豆乳の風味。そうだそうだ忘れていました。豆乳とはこんな味でした。真顔で食べられるようにはなったけれども、やはり慣れないものだなあ。

幼少期は食わず嫌いでしたが、今は専ら食ったけど嫌いがほとんどです。パクチーとグリーンカレーのココナッツがその代表格です。

1口食べたので許してください。きっと忘れた頃にもう1度食べるので。

ランチタイム

こんにちは。

私が誰か友人と顔を合わせたときに言う言葉、第一位が「ねむい。」、第二位が「おなかすいた」です。一日の間で寝る時間と食べる時間が至福の極みだと私は感じています。特に食事は温かい料理を食べられたときはもうにっこにこ。さらにその料理が自分を含め誰かの手作りであったとき、それは幸せ以外の何物でもありません。手作り料理を毎日用意し続けるのは心に余裕がないとできませんから、なかなか難しいのですけれどもね。自分に念力で料理を作る才能があったらいいのになあ。

そうそう。授業のある日のお昼ご飯も小さな悩みのタネですね。毎日料理なんてできない甘ったれの私がお弁当を用意できるはずもなく、言い訳程度に混ぜご飯用のわかめとか鮭をご飯にまぜまぜして、ちょっと大きめに作って来たおにぎりをおもむろにカバンから取り出し、ちまちまかじる私に後輩からの一言。

「先輩のおにぎり薄っぺらいですね(笑)。」

そんな後輩が手にする手作り弁当やらコンビニファームの焼き立てパンやらがおいしそうで、結局私もおにぎり1個では何となく物足りなくて、どうしたものかと考える日々。

そしてとうとう言い訳おにぎりを作ることに飽きてしまった私は、背に腹は替えられぬなどと格好のよい諺を頭に思い浮かべる暇もなく、食べ物を求めて構内をうろうろするのです。

今期の私の時間割は毎日3限が空きコマなので、最近はお昼休みの後半13時頃から3限の時間にかけてお昼ご飯を食べることが多いです。そのくらいの時間になると、人気のパンやおかずは品薄になっている代わりに、コンビニファームも学食もレジを待つ学生の行列が短くなっていることが多いので、待ち時間をとことん削減したい私にとってはよい時間です。1食の予算は500円。気分と体調と品物次第ではちょっとばかりオーバーしますけど、この破格の値段で昼食を済ませられるのは大学のすごいところ、ありがたいところです。最近は学食でお昼ご飯を食べるのがマイブームです。

学食に行くとき私は大抵、

野菜系の小鉢1品+肉・魚系のおかず1品+ライス(中)+お味噌汁

という感じのメニューにします。こうすれば大体500円くらいで収まるからと言うのもありますが、私にとって最も重要なことは白米とお味噌汁を食すということです。私は生粋の味噌汁好きなのです。そして学食のお味噌汁は温かくておいしいのです。一杯の量は決して多くはないのですが、それでいて必ず満足できるのがうれしくも不思議なところ。いつも学食のスタッフさんに

「ライスの中とお味噌汁ください!」

と言ってお椀によそってもらいます。先日も同じように学食のスタッフさんにライス(中)とお味噌汁を頼もうとしたのですが、その日は何がどうなったのか、私の口から発せられた言葉は次の通り。

「ライスの中とオムライスください!」

いやいや、オムライスもおいしくて好きですけど、今じゃないでしょう。慌てて言い直しましたが、その恥ずかしさたるや赤面する程にはあらず。ちょっとやっちまったなあと照れ隠しの笑いが出るくらい。スタッフさんもあまり気にせずにササッとお味噌汁を用意してくださりました。しかし、今こうして書き起こそうとすると吹き出してしまいそうです。

幸せな食事は腹が膨れるとともに終わりを告げます。ああ、もう食べ終わってしまった。次の食事では何を食べようか。明日のお昼は何を用意しようか。私の小さな悩みのタネはつきません。いいえ、それこそ生きている証、生きている幸せとでも言いましょうか。

わたげ

こんにちは。もうすっかり春ですね。というより、もうすでに夏のようですね。街を歩けばたんぽぽの綿毛が飛んでいます。綿毛――耳に綿毛が入って――懐かしいセリフが頭の中によみがえります。

私は幼少期にディズニーアニメーション「くまのプーさん」シリーズを見て過ごしました。同じ話を何度も繰り返し再生し、すっかりセリフまで覚えてしまうほどでした。ベッドで寝言を言うプーさんの真似をして、布団に入って目を閉じながら一人ブツブツとプーさんのセリフを声に出していたら、母が不審な顔で様子を見に来たこともあります。1つお断りしておきますが、当時の私に「寝言」という概念はなく、プーさんは意識的に独り言を述べているものと思っていました。

こういうふうに、子どもの頃は何も理解せずにプーさんのかわいさだけを見て楽しんでいたものですが、大人になって改めて見返してみると、プーさんはお話の中で結構とんでもないことをしていることに気が付きます。例えば、ピグレットが自分の体の小さいことに申し訳なさを感じて家出をしてしまう話では、プーさんを始め残された仲間たちがイーヨーを水で縮めたり、ピグレットの服を着させたりして“新しいピグレット”にしようとするとか。まあ最終的に、ピグレットは旅の途中で蟻さんと出会い、小さな生き物もありのままでいればよいということに気が付いてお家に戻るというハッピーエンドなのですが。

そう、こんな話もありました。

ちょっとばかりやんちゃが過ぎたティガーさんにラビットさんは怒り心頭。プーとピグレットを呼んで、ティガーさんをこらしめるための作戦会議を開きます。ラビットさんの計画によると、ティガーさんを連れて霧の立ち込める森の中に行き、そこにティガーさんを置いて帰るというものだそうです。そうしたらやんちゃなティガーさんも困って、少しは大人しくなるだろうとのこと(やりすぎじゃない・・・?)。ピグレットは案外真面目にラビットさんの話を聞いて質問したり納得したりしているのですが、プーさんは何だか静かです。

ピグレット:「プー、今のラビットの話聞いてた?」

補足しておきますが、このときプーさんはとても眠たそうな顔をしています。

プー:「ん?なんだっけ?」

ピグレット:「ティガーをこらしめようって話だよ」

プー:「んー、途中で耳に綿毛が入って、よく聞こえなかったんだ」

ラビット:「もう一度説明するのは構わないが、どのくらいで入った?」

プー:「耳に綿毛が入ったところからもう一度説明してくれない?」

そうです。作戦会議の途中でプーさんは睡魔に襲われてしまい、ラビットさんの話をほとんど聞いていなかったのです。自分がうとうとしていたことをプーさんは自覚していたのかどうか怪しいですが、話を聞いていなかった理由を「綿毛が耳に入ったから」というふうに弁明しているのです。ちょっと苦しい言い訳ですが、ラビットさんは信じてくれたようです。ちなみに、この後置き去り作戦は実行されるのですが、ひょんなことからラビットさん自身が森の中で迷子になってしまい、ラビットさんがティガーさんに助けられるというオチになっています。ティガーさん曰く、「ティガーさんは森の中で迷ったりしない」とのこと。

「くまのプーさん」のお話については、話し始めると止まらないのでこのくらいにしておきますね。文字に起こすと物騒なことばかりしているように見えますが、アニメーションでは仲間たちみんなで頻繁にパーティーを開催したり、お互いを思いやって何かプレゼントを贈り合ったりと、もっとほんわか温かい話がたくさんありますのでご安心ください。何よりそのにっこりしたときの顔とか、柔らかいおなかとかがたまらなくかわいいので、大人になった今でも「くまのプーさん」は大好きです。