あけましておめでとうございます。

みなさま いかがお過ごしでしょうか。

私めは専ら家に籠っております。2024年は終始インドア派でありましたが、2025年もますますインドアを究めて参りそうな年明けでございます。

さて、宿泊を伴う旅行などに行ってきますと、帰ってきたときに感覚的には昨日家を出たような気がするのに、日付はちゃんと旅行中の3日分進んでいるというなんともチグハグな感に陥ることがあります。私めはこれを「浦島太郎現象」と勝手に呼んでいるのですが、これと同じことが最近起きたのですよ。と言っても大したことではございません。正月三が日のうちの丸2日間をカゼで寝て過ごしたというだけのこと。私めにとって布団の中で過ごした2日間はあってないようなものでございました。感覚としてはまだ昨日が元旦なのに、日付としてはもう4日?5日ですか?これぞまさしく「浦島太郎現象」です。せめて旅行で三が日を潰したかった・・・。

旅行にはみなさまよく行かれるんですか?

私めは大学に入るまで修学旅行以外に旅行というものと縁がまったくありませんでした。親の実家も隣町にあるので、帰省という概念ですらうっすらとしております。大学に入ってからやっと部活の合宿、自主ゼミの旅行なんかに参加しまして、あるいは旅行の計画を練る友人、長期休みに帰省する友人たちを拝見しまして、なるほど旅行とはこうやってするのだなあ~へえ~とようやくイメージが付くようになってきた次第です。

そこで最近一人旅に憧れるようになりました。元来インドア派の私には、休日に家を出ることがそもそもの課題なのでございますが、私めの小さな頭でぼんやりとそんなことを考えるようになりました。方向音痴予備軍であることを自覚してか否か、元町・中華街付近を一人でずんずんと歩き回っては体力とスマホの充電を消費する話は以前にもしたかと。今度はこれを日本各地で繰り広げてみたいものだなあ・・・というのが私めの小さな野望でございます。道に迷わないとよいのですが。

大学3年生ももうすぐ終わろうとしているこの時期に、なぜまたそのようなことを言いだしたのか・・・。

考えるのはタダですので。

そのうち実現できるように、なんとかしましょう。

2025年は私めにとってイベント盛りだくさん慌ただしいこと間違いなしの一年になる予定でございます。わたわたしている間におもしろいことの1つや2つ書けるように、私めも心して臨みたいと思います。

みなさまの2025年が素敵な1年になることをささやかながらお祈りしております。

真相

朗報です!私にとっての、ですが!

先月お話した趙楷の謎が解けました!(趙楷の謎とは↓こちら、11月の私の拙いブログです。)

https://mcm-www.jwu.ac.jp/~nichibun/blog/index.php/2024/11/08/

その正体は『宇治拾遺物語』の「渡天の僧、穴に入る事」というお話だったようです!私は漢文だと思っていたのですが、全然違ったのですね笑。

***

誤            正

漢文      →    和文

趙楷      →   書かれていない

木こり     →     僧

小さな洞窟   →   大きな穴

1人で見つけた → 1人と1頭で見つけた

僧は天竺で物見遊山をしているとき、牛が山に空いた穴に入っていくのを見てそれについて行った。穴を抜けると明るい場所に出て、牛の真似をしてそこに咲いている花を食べた。花は見たことのない形をしていたが、とても甘くておいしかった。しばらく食べているうちに、僧はただブクブクと太ってしまった。僧は恐ろしくなって穴から外に出ようとしたが、穴は窮屈で息苦しく感じられて、外を通る人に助けを求めても気づいてくれない。結局穴に詰まって息絶えてしまった。その後、穴から頭だけ出したような形の石になってしまったという。この話は玄奘三蔵の日記に書かれている。

***

これが真相でした。大学生活中に出会えてよかった!

今回のこれは私の所属している中世自主ゼミでのお話です。今年度は『宇治拾遺物語』ゼミメンバーズセレクションを毎週1話ずつちまちまと読んでいます。こぶじいさんがブレイクダンスをしたり、かわいそうなキツネさんが幻の放火犯になったり、桂川で川流れ未遂をした聖にゼミメンバーで総ツッコミをかましたこともあります。おもしろいこと限りないです。これらファンキーなキャラクターたちの詳細が気になる方は月曜のお昼休みにぜひ。一緒にツッコミをかましましょう笑。

中世自主ゼミはただいま6人で活動しています。が、そのうち4人が3年生です。ちなみに3年生の中で中世ゼミに所属するのは私を含めて2人です。中世自主ゼミに参加したからといって卒論も中世で書かなければいけない!なんてことありませんので安心してご参加ください笑。本格的に所属するか迷うな~という方は、一度仮入部のような形で参加するのでも構いません。

少し圧強めの内容になってしまいましたが、少しでも興味を持っていただけたら幸いです。

2%

おはよ・・・うございま・・す。

朝、目覚ましのアラームで目が覚めスマホの画面を見ればAM.6:20。アラームを止めるボタンを探り探りしてはたと気が付く。

スマホの充電、2%しかない。

えっ。昨日の夜寝る前に充電器に差したはずなのに、なぜ・・・あら、延長コードのスイッチが入っていなかったようです。やってしまったなあ。

起きてから家を出るまでの1時間とちょっと、いけるところまでひとまず充電しておきましょう。数十パーセントもあれば1日くらい何とかなるはずですから。

そうして家を出るころには29%ほどにはなりました。今日は午前で授業も終わるし、家に帰ったらまたゆっくり充電でもしましょう。

とか思っていた午前の私はどこに。昼食を食べながら午後の予定について考えを巡らせ巡らせした結果、私は稀に見る気まぐれを発動し、何と元町・中華街に行ったではありませんか!ご存じの方もいるかもしれません『文豪ストレイドックス』の聖地でもあるのです。

地下鉄の改札を抜けて地上に出ると、手始めに中華街の門とは反対方向に歩き始めます。たどり着いたのは山下公園。目を引くのは謎の石像と噴水、氷川丸という船、謎のガールズ像、バラの庭園、赤い靴をはいていた女の子。

初めて行く場所海のある場所聖地のある場所。そうなったら地図も開くし写真も撮りたいし検索もしたい。残りの充電20%に見合わないのは分かってる、でもやりたいことがわんさか出てきます!

(こちら、かわいいすずめさん。)

見ての通り、私の旅は基本的に気まぐれでできています。行き先も立ち寄るお店も行き当たりばったり。基本的には気の向くままに歩き、直感の働きに任せてお買い物をします。ただし、何も知らない町ではさすがに、迷子になる前にマップを開きます。今回訪れた横浜は街中いたるところに観光案内が立っていたので、それを参考に歩くことができました。充電の少ないスマホを相棒としながら方向音痴の私には本当にありがたいことです。これで道に迷わないことに加えて、残り15%しかないスマホの充電もキープできます。

次にたどり着いたのは赤レンガ倉庫。クリスマスマーケットが開催されていたようで、広場はなんともにぎやかで楽し気な雰囲気です。赤レンガ倉庫の中では芸術的なお店がたくさん並んでおり、お店といいつつ美術館や個展か何かに来たような気分。天井が少し低めなのも隠れ家のようでわくわくします。倉庫の中を回り切って外に出ると目の前はイルミネーション広場になっていました。海辺の強風と充電10%のスマホにうっすら涙を浮かべながら記念に一枚パシャリ。時刻はちょうど16時。日も傾いて来ました。

次にたどり着いたのは馬車道。街灯の暖かいオレンジ色の光と緑色の葉っぱを付けた街路樹のコントラストが何となく落ち着きます。県立歴史博物館に入るには少し時間が遅いですし、そろそろ中華街の方に向かいましょうか。

馬車道から中華街に向かって歩く道中にも西洋風のレトロな街並みが続きます。赤茶色のレンガのような色をした建物たちと、黄色になり始めた銀杏の木がかわいらしく並んでいます。こんな町なら毎日でも散歩したい。

中華街にたどり着いた頃にはさすがに少し歩き疲れてしまいました。飲食店が多いようですし、ここは今度誰かと一緒に散策することにしましょう・・・。

元町・中華街駅に向かって歩きます。――そういえば『文豪ストレイドックス』で度々登場するアーチはこの近くではなかったっけ・・・?むむむ、最後にそれだけ見てから帰ろう。

元町のショッピング街の入り口に差し掛かって、目的の物を見つけることができました。日も落ちて暗くなってきていたからか、アーチはライトアップされ、てっぺんの鳥さんがイメージよりも神々しく不死鳥のようでカッコいいです。(若干ピントがずれていますね・・・。)

おっと、もはやスマホの充電も残り5%。カメラも起動せず、私ももうそろそろ眠たくなってきましたので、今度こそここらで退散しましょう。

家に着くころ、スマホの充電は残り4%になっていました。2%だったらこのブログも締まりがよかったかもしれないのですが、まあ仕方ありますまい。

今度はスマホの状態も万全にしてもう一回行きたい・・・!

彼女

やあこんにちは。今日は彼女の話をしよう。彼女の大学生活はうかつなミスの連続だ。近くで見ていても時々吹き出してしまうようなくだらないミスばかり。私はこの笑うべきミスたちを、彼女のペナペナした人柄を表すのに重要な出来事であるとも捉えているが、やはりどうにか直せないものかとも思っている。

私たちが2年生のときに受けた日本文学史の試験での出来事だ。その試験では授業内容を自筆でまとめたノートのみ持ち込みが許可されていた。彼女は普段から紙のノートに授業内容を書き込むのが習慣だった。当然試験日の朝、彼女は得意満面で通学カバンに授業ノートを詰め込んだはずだった。しかし、試験が始まる前、カバンを漁った彼女の手に収められていたのは中国文学史のノートただ一冊だけだった。
そのときの試験は散々な結果だったらしい。

彼女は私とともに教職課程を履修しているため、3年生の後期には模擬授業を行う授業が週に2回ある。これはそのうちの1回の話。彼女は自分の担当回で、日付を書く際に月の異名を紹介しようと計画していたそうだ。彼女の担当回は10月だったから「神無月」と書くべきところ、何を勘違いしたのか「水無月」と黒板に書いたではないか。ヒヤヒヤする私、隣の席から聞こえてくる「神無月」と囁く声。きっとこの声が彼女の耳にも届いたのだろう。慌てて書き直し、振り向いて話を始めた彼女の顔は真っ赤だった。

同じく3年後期。これは先述した2つある模擬授業のうちもう1つの話。彼女は授業の計画案をA4のノートにまとめている。古典なら現代語訳、現代文なら段落分け、作者の情報、授業の流れに関するアイデア等々。彼女は授業内で解説をするのに必要な内容を全てそのノートに書き込んでいた。ここ2週間くらいは暇さえあればそのノートを取り出し、授業計画を練っていた様子である。しかし、模擬授業を始めた彼女の手元にそのノートは見当たらなかった。ああ、忘れたんだなと私は察した。
授業を終えて彼女に聞いてみたところ、家のプリンターに挟んだまま置いてけぼりにしたらしい。気づいたときにはすでに大学にいて、印刷したページだけは持っていたから何とかなったと言っていた。

そう、挙げてゆけばきりがないのだ。中国語の小テストでシャーペンを忘れて、唯一持っていた黒ボールペンで回答の一発書きに挑戦したという話も聞いたことがあるし、PDFファイルの回転機能を知らずにスマホを回転させて文書を読んでいたということもあるらしい。

今日も彼女は平和な大学生活を送っているようだ。

探し物

***

ある男がいた。ここでは仮に趙楷としよう。趙楷は木こりであった。山に入り木を切っては町で売ることで生計を立てていた。細々とした生活は決して余裕のあるものではなく、食に困ることもしばしばあった。秋も深まり、冷たい風が身に染みるこの日もまた、趙楷は薪用の木材を求めて山に入ったところであった。

常日頃から山に入っているため道に迷うことはめったになくなった。聞こえるのは風に囁く木の葉ばかりで、人の声一つ、動物の声一つしない。趙楷はこの一人静かな時間が嫌いではなかった。幾度となく似たような景色を通り過ぎ、そろそろ山の中腹かと思われるころ、趙楷は谷川の近くにそびえ立つ一本の柳に目を引かれた。どこにでも生えているような柳の木である。ただし、その柳は風が吹くたびに倒れるのではないかと思うほど木全体が大きく揺れているのである。暫しその柳を眺めていると、趙楷はその柳の枝がかすかに光っていることに気が付いた。不審に思って近づいてみると、柳の木の裏に男一人がなんとか入り込めるだけの小さな洞窟がぽっかりと口を開けおり、その中から暖かい光がこぼれているのであった。趙楷はさらにいぶかしんだ。冬の到来をすら感じさせるようなこの肌寒い日に、暖かい空気が、光が洞窟の中からこぼれているのである。趙楷は意を決し、小さな入り口から這うようにして洞窟の中に入り込んだ。

中に入ると、そこは春の陽気に満ちた花園であった。見渡す限り一面に緋、紫、橙、黄、色とりどりの小さな花が咲いていた。しかし、どれもこれもまるで見たことのない形をしている。緋の花を1つ摘み取り顔に近づけてよく見てみるが、やはり趙楷には見覚えがない。紫も橙も黄も同じで、趙楷は首をかしげるばかりである。さらに特筆すべきは、その花々から甘い蜜の香りがするのである。

暖かい空気に包まれたこともあるだろう、趙楷は空腹を感じ始めた。満足に腹の膨れるような食事はもう何年もできていない。ましてや甘味など生まれてこの方、口にしたのはほんのわずかしかない。趙楷は鮮やかな花々が発する甘い蜜の香りの誘惑に勝てず、とうとうそのうちの一つを口に入れた。

その花は甘く、趙楷がそれまでに食べたどんなものよりも美味であった。趙楷はまた次の花に手を伸ばし、口に入れた。甘い蜜の味が口の中に広がる。趙楷は我を忘れ、次々とその小さな花に手を伸ばし、摘み取っては口に運んだ。その花々が長年にわたる趙楷の空腹を癒すのには相当の時間を要した。

しばらくして、我に返った趙楷は仕事に戻ろうと名残惜しいながらも出口へ向かった。来た時と同じように穴に手をかけ、這うようにして外に出ようとする。ところが、腹のあたりが岩に引っかかってしまい、上手く外に出ることができない。趙楷は一度体勢を元に戻し、穴を眺める。入って来るときには通れたのだ。自分に通れないはずがない。趙楷は再び穴から這い出ようとする。しかしどうしても腹のあたりが岩に引っかかる。どうにか外へ出られないものかともがくうちに、とうとう前にも後ろにも動けなくなってしまった。

それからしばらく後のことである。麓の村では一つの噂がまことしやかに囁かれていた。

ある男が洞窟を見つけた。洞窟の中には色鮮やかな花が咲いており、蜜の香りに誘われるまま男はその花をたらふく食べた。花を食べた男は己が肥え太ったことに気付かず、出口の穴に詰まり、そのまま石になってしまった。その男の石は今でも洞窟を塞ぐようにして山の中腹辺りにあるのだという。

***

「なんだこの話は。おもしろい。おもしろすぎる。」

確か私が高校3年のとき、模試か練習問題か何かの漢文の問に上のようなお話があったような気が。男が洞窟の中で花を食べ過ぎて、肥って出られなくなったなんて、なんておかしな話。くまのプーさん?(くまのプーさん、彼はお友達のラビットさんの家でたらふく好物のはちみつを食べた後に、おなかが膨れて玄関に詰まってしまったことがあるのです。「くまのプーさん 詰まる」で検索すると穴から頭だけのぞかせたかわいらしいその様が見られます。)

あの男のお話の典拠が一体何だったのか、大学生活の折り返しをとっくに過ぎた今でも分からないのです。あまりにも印象的だったストーリーの輪郭は覚えているものの、作者も作品名も分からず、ネット検索にも上手く引っかからず、もはや打つ手なし。ちなみに「趙楷」というのは私が勝手に付けて呼んでる名前ですので、主人公の名前はおろか、職業さえ怪しいところ。元は漢文ですので、もっとあっさりストーリー展開しているはずですし、正直なところ、「男が洞窟の中で花を食べて肥って詰まって石になる」ということ以外は何も確証がありません。もしかしたらこの時点でもうすでに何か違うのかもしれませんし。

どなたか、このお話を知っている方はいらっしゃいませんか。

麦茶

こんにちは。

私にはありがたいことに自分の部屋というものがあります。そこまで大きい部屋ではないのですが、ベッド、机と椅子、カバン掛け、それと本棚が2つあります。全体的に白で統一されていて、その中で椅子とカーテンだけは落ち着いた赤色やピンク色をしています。

ベッドはロフトベッドで梯子を登らないと眠りにたどり着けない構造になっています。ベッド下の空間にはキャリーケースやら冬場の電気ストーブやらが押し込められています。最近急に肌寒くなってきたので、そろそろ電気ストーブさんを起こす必要がありそうですね。

机は折り畳み式で、天板はノートパソコンを中心に置くと左側に辞書を置け、右側でマウスの操作をゆったりすることができるくらいの広さです。時折、私の立った反動で天板が斜めに傾くことにさえ注意を払っていれば便利の一言に尽きません。

カバン掛けは高さ170cmくらいの柱からニョキニョキと枝が生えているような形をしていて、掛けられるだけのカバンや手提げバッグなどが掛けられています。デザインはとてもスマートなのですが、大量のカバンたちのおかげで若干幅を取る代物です。

本棚は大きなものと小さなものがあります。大きなものは背が180cm以上ありそうですし、横幅も1m近くあるのでめったに動かしません。もし移動させるとなったら、中身を全部出した上で運搬要員が2人以上必要です。一方小さなものは私の腰くらいの高さしかなく、今はベッドの下にちんまりと収まっています。幅も奥行きもそこまで大きくはないので、中身がそれほど重くなければ1人で十分に動かすことができます。

ベッドを新調してからとりあえずの家具の配置で過ごしていたものの、何となく動線が不便だったので模様替えをすることにしました。ベッドと大きな本棚はほぼ動かすことができないので、今回私の部屋の使い勝手を左右するのは机、椅子、カバン掛けの配置です。この3つをひとまず動かしてみることにしました。机の上にはパソコンやらティッシュ箱やら麦茶の入ったコップやら。お察しください、私の机の上は大抵とっ散らかっているのです。少々強引に物が載ったままの状態で机を動かすことにするとしても、麦茶の入ったコップだけはどこか安全な場所に退散させた方がよいでしょう。大きな本棚の辞書の上ならよい具合に平らかです。そこにしばし置いておきましょう。

椅子は部屋の隅にどかしておいて、机を動かし、カバン掛けを動かしてひと段落。椅子の位置を戻して休憩しているときにふと思いついたので、ベッドの下に配置されていた小さな本棚を大きな本棚の隣に置くことにしました。そのついでに本棚の中身の入れ替えを少し。大きな本棚にある辞書たちを小さな本棚に移動させよう。そう思って辞書を引き出したとたん、何やら冷たいしぶきが顔中にかかって、私の頭の中には大きな「?」が浮かびます。3秒ほど経ってやっと状況を理解しました。何という失態。10分前の私は辞書の上に麦茶の入ったコップを置いたのでした。その存在を忘れて辞書を引き出してしまった私は季節外れの水浴びを楽しむ羽目になってしまったのです。しかも絶好のタイミングで妹が部屋に乱入し、なぜか私のベッドに上がり込んでノリノリで「おもかげ」を熱唱しています。今日からVaundyにハマったそうです。あまりにもタイミングの悪すぎる妹をさっさと追い出して、こぼれた麦茶の後始末をします。幸いにして、被害に遭った書物・機器の類はなさそうです。

今後絶対にヘンなところに麦茶の入ったコップは置きません。

おばけ

こんばんは。

もう10月なんですね、全然気が付きませんでした。空模様も行き交う人々の服装も、まだまだ夏のようですね。教室はまだまだ冷房が効いていますし、銀杏の木はまだまだ青い。しかし、日だけは随分と短くなりましたね。

お店に入ればかぼちゃとさつまいもだらけ。どれもおいしそうです。ところどころ穴があいているようですが・・・おっとこれは食用ではないやつですね。ジャックオランタン。

今日はりんごと柿を買って帰りました。好みはふじりんごなのですが、今日はトキというりんごがたくさん置いてあったので、トキさんにしました。皮が黄緑色のものです。今晩のデザートはどちらにしましょうかね。

駅から家に向かって歩いて行き、エントランスの前にたどり着くと、隣のお家のお庭が何やら光り輝いています。暖かい山吹色の光が気になってしまったので近づいてみると、植木鉢に入ったそれほど大きくはないけど立派な木が電飾で彩られているのでした。クリスマスイルミネーションの先駆けかとも思いましが、よくよく見ればほんわりと照らされるカボチャやコウモリの形をしたかわいらしい飾りたち。お化け型の飾りは丸い頭とポンチョのようなひらひらとした胴体を持つ白い姿。それはまるで・・・まるでてるてる坊主のようでした。ティッシュペーパーを丸めて輪ゴムでくくり、マッキーでお顔を描いては若干にじんでじんわりとした表情をするのもご愛敬、窓辺の湿気などお構いなしのカーテンレールにぶら下げて明日の晴天を願う、あれです。運動会の前日に作る、あれです。形が本当に、てるてる坊主としか言いようがありません。とてもかわいいです。そしてこの、てるてるお化けの頭部には電球が入っているようで、輝くてるてるお化けが木の上でゆらりゆらりとしているのでした。山吹色の光はどうやらてるてるさんたちの頭から発せられていたようです。ダイソーの季節限定コーナーにあるようなリアルなゾンビのマスクもハロウィンらしくてよいですが、こういったかわいらしい電飾もまた、夜を彩るのにはうってつけですね。ご近所さんが植木にゾンビマスクを飾るようなお人でなくてよかった。光るゾンビは笑い飛ばせそうにない上に、夢の中で奇跡の再会を果たしてしまうかもしれませんからね。恐るべし。

ことば

こんにちは。

今日はまじめに履修のお話。

私は日文の授業を受けながら、教職課程を履修しています。日文の教職課程で取得できるのは中学・高校の国語の教員免許です。

教職課程は、毎年数コマずつ学校教育に関係した授業をコツコツコツコツ受けていきます。最初は講義形式の授業が多いのですが、だんだん実践的な授業も増えていきます。例えば、授業の内容や構成を考えてみたり、学習指導要領(学年ごとに学習の目標が書いてあるものです)を読んでみたりするなど。今私は3年次ですが、模擬授業をするなんていう授業もあります。

模擬授業…。私も学校の授業はまじめに受けてきたつもりですが、いざ自分が授業をする側に立つとなると、緊張します。言葉もしどろもどろだし、あらかじめ準備してきたとはいえ頭は真っ白だし。あそうだ、もし教職課程に興味のある方がいらっしゃいましたら、授業をする先生の言葉とか、活動の流れとかを観察してみるとおもしろいかもしれません。あとは、自分が学校で使っていたノートとかも少し本棚に眠らせておくと吉です。

教職課程は忙しいのでは?と気になる方もいらっしゃるかもしれませんね。私の感想としては、それは授業の組み方次第です。通年で登録する授業が50単位くらいになるところで抑えておけば、3年次までに「卒業に必要な単位数」のほとんどを履修し終えることができます。もっとも、数年ごとに履修に関する規定は改訂されるようですので、履修の際には『履修の手引き』をよく確認してくださいね。

その他には、所々で書類の提出があったり、レポートの提出があったり、ガイダンスや教育実習事前指導などもありますが、流れ星に3回お願い事を言えとかいう難しいことは言われません。あ、でも提出期限が短いものはしばしばありますね…。 最近私が食べ物以外で考えていることは、最適な怒り方とは何か、です。いえ怒り方に限る必要はないのですが、自分の気持ちや考えを相手にちゃんと伝えるにはどのような言葉を使えばよいのか、です。せっかく文学とか日本語とかの勉強をしているので、せめて「ふえぇぇぇ」以外のきれいな言葉を使っていきたいものです。

拝啓

 残暑の厳しい季節となりました。君はもうとっくに夏休みを終えた頃だろうね。ふふーん、大学生の夏休みは長いのだよ。私はまだ夏休み中だ。

 どうせまた学校じゃあ気を張って頑張っているのだろう?そうだろうね。君は入学当初から「真面目キャラ」で通っていたものね。しかも自分ではそうしているつもりが全くないのに、だろう?その仮面を中々崩せないしんどさは私にも想像ができるよ。僅かだけどね。たまには疲れ切らないように、リラックスしてみるのもいいんじゃないかな?まあ、君のその悩みにも直に攻略法が見つかるさ。

 吹奏楽部に入ったんだって?それはとてもよい選択をしたなあ。君の音痴を治すのには吹奏楽がうってつけだ。腹筋もつくし、音楽鑑賞も楽しくなること間違いなし。まあ、これらは全部私がそうだったからっていう話なのだけどね。せいぜい腹式呼吸を身に付けることだね。それと酸欠にはならないように。

 2学期というと合唱祭か。練習はもう始まっているのかな?何、君も指揮者になったのか。奇遇だね、私もやったことがあるのだよ。しかし、今思えばどうして指揮者をやろうと思ったのか自分でもちょっと謎なんだよ。まあ、自分のクラス皆の美声を聴ける特等席なのだけどね。あの最後のハモリは忘れられないよ。ちなみに君はどうして指揮者に立候補したんだい?今度聞かせておくれよ。

 そういえば、君はハリーポッターシリーズを全部読み終えたのかな?ひいおじいさんにもらったあの分厚い本たちさ。本当に素敵な作品だよなあ。私は最近やっと映画版を見始めたのだが、小学生の頃にドハマりしたのを思い出したよ。私にもホグワーツから入学許可証が来ないか待ちわびたものだ。今でも時々魔法に憧れるくらいだ。ガラス製品を割ってしまったときとか、うっかり寝坊してしまったときとか。ふいっと一振りで直せたらどんなにいいことか。

 そうだ、君に頼みがあるんだ。学校の授業でノートを取っているだろう。それを捨てないで取っておいて欲しい。中学のノートなんて高校ではどうせ使わないとか今後思うこともあるかもしれないけれども、どうか頼むよ。国語だけでもいいからさ。それらはきっと君の役に立つ。私はそれがなくて結構苦労しているのだよ。

 末筆ながら、君の健康と身長が伸びることをお祈りします。どんな言い訳を並べても寝不足はよくない。日中眠くなるだけならいいけど、何より身長が伸びなくなる。それと、スマホには気を付けるんだ。あれはおもしろい代わりに君の視力をちょっとばかりと言って低下させるための代物だ。くれぐれも気を付けるように。それでは、またいつか。

敬具

  令和6年9月6日

21歳の私より

13歳の君へ

エス

やあ。

今日はみんなに、言わなければならないことがある。そう、僕は、スズメバチが大の苦手だ!正直、お化けよりも都市伝説よりも理科室の骨格標本よりもこわい。

まずはあの体。遠くから見てもスズメバチと分かる体の大きさと形、そして黄色と黒色の体色がいかにも「危険!」な感じがする。そして顔。大きな目、大きな顎。そんな大きな瞳で見つめられても、僕は惑わされないからな。というか、僕の事だけは認識しないでくれたまえ、頼む。

噂によると魔法界では「名前を呼んではいけないあの人」が有名になっているらしいが、そんなことを言っている場合ではない。スズメバチ卿こそ「名前を呼んではいけないあのムシ」として認知され警戒されるべきだ。なんだって?そんな抽象的な呼称ではゴ〇〇〇と区別がつかないって?まあ、確かにそうかもしれないな。しかし、僕に言わせればゴ〇〇〇にGなんてコードネームを付けるくらいなら、スズメバチについてもSとかいうコードネームを付けてやるのがよい!そのくらいの価値はある。

ご本虫は優雅な飛行を楽しんでいるだけなのかもしれないが、僕からすると「生ける毒針」が飛びまわっている以外の何ものでもない。そのご尊顔を一目拝んだだけで僕は背筋の凍る思いがする。

この間だってそうだ。いくら弓道場が開けっ広げだからといって、スズメバチ、もといSがブンブンと豪快な羽音を立てながら悠々と入室してくるものだから、室内にいた人間ども(特に僕)は恐れおののいた。ある者は静止画のように動かなくなり、ある者は驚きのまま開いた口が閉じない。僕はというと、「ふえぇぇぇ」という情けない声を上げた挙句、体育座りに顔を埋めて、もはや何を見ることもできずにブルブルと震えながら、「タスケテクレェ、タスケテクレエ」とつぶやいていた。なんと情けないことか。せめて「自由の女神像」くらい凛々しい面立ちで静止していればよかったと後悔している。

この日のSとの出会いがあまりにも衝撃的だったからだろうか、数日後の夢にSが出てきた。先に言っておくが、断じて僕がSのことを好いている訳ではない。

舞台は夕暮れの草原。多分、山奥。ドッグランのような謎の柵に囲われた草原で、10~20人ほどの人間がいた。走る者、テントを張る者、料理をする者など多岐に渡ったが、僕の知る人はほとんどいなかったように思う。僕がその草原で何をするともせずに佇んでいると、数m先を飛行するSに気づいた。しかもだんだん僕に近づいてくる。Sに気づいた途端、僕はその場にしゃがみ込み、ブルブル震えながらSが去るのを待った。しばらくして、Sは去ったと安心したのもつかの間、Sは再び飛来する。僕はまたその場にしゃがみ込んで、着ている白いパーカーのフードをかぶり、ブルブル震えながらSが去るのを待つ。飛来してはブルブル震え、去っては飛来しブルブル震える。これがひたすら繰り返される悪夢であった。しかし、夢の中でさえブルブル震えていることしかできないなんて、僕はなんて情けないのだ。夢の中でくらいクラーク博士のようになれないものか。その手先にSでも乗せて仲良くなってしまえばいい。否、それは夢でもご勘弁。

ちなみに、Sを見かけても走って逃げたり叩いたりしてはいけないのだそう。万が一服に止まってしまった場合に最も安全な対処法は、Sが飛び去るのを待つこと、らしい。

為す術もなくブルブル震えるだけの僕の行動はあながち間違いでなかったことに安堵しつつ、いつ刺されるかも分からないままじっとしているなんて、何の拷問だよ、という嘆きが心の中でこだまする。