ヘルプマークをつけるようになると、案外つけている人は周りに沢山いることに気がついた。
普通に電車に乗るということがかなり困難になった夏だった。どれだけ楽しい予定でも、移動が付きまとうことで不安になりいくつも予定をあきらめ断った。カレンダーから予定を消している時、もうこの心配をしなくていいんだと心の底から安堵に包まれた。しかしそれは束の間、ひとつ無くなったところで先に続くさまざまな可能性を探し気づけば自ら不安になりにいっていた。電車に長く乗るのはいやなくせに降りたり乗れなかったりをするから、結果的に普通よりも明らかに時間をかけてしまう。がんばってもだめな日は遅刻かドタキャンになる。なんとかして帰る。身体が言うことを聞かなくなった日は、友だちとのご飯の予定で外出している相方を呼びつけた。電車に乗り、私の痙攣する手を相方が優しく握ってくれた瞬間、涙が溢れた。こんなに優しい人の楽しみを奪うことなしに帰ることが出来ない自分が哀しかった。生きることと迷惑をかけることの違いが曖昧になった。
電車をきっかけにそれは癖になり、電車に限らず異常な緊張や不安感に落ち着かない日々が続いた。本当に集中力が落ちた。考えたくないことなのに不必要に考えようとする頭が働き、会話に集中したり心から大笑いしたりできなくなった。当たり前のようにあった感情の動きは、動く余裕があったからこそなのだと知った。相方に会いたいのに外出すると異常に疲れる。外出する前から余計な緊張をし、特技とも言えるほど寝つきが良かったのに眠れなくなる。出かけたいと思えなくなった。履修登録で授業を一コマ入れるたびに電車を想像した。これが電車に乗る回数と比例すると思うととりたいという気持ちに委ねることはできなかった。
今年の夏休みは思えばそんな一面があった。でも一面だと思える今がある。それが全てではなかった。悪いことは記憶に残りやすいけれど、悪いことが目立つ分だけそのまわりには些細な幸せが溢れている証拠だと思う。
今は落ち着いてきている。天気や気分や環境に左右されるし、心配もするけれど、それでも日常の喜びをとりこぼしてしまわないように、今まで以上に自分を大切にすることにしている。
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まいです、ごきげんよう❀
暗い始まりに読んでいる方々の不安を煽ってしまっていたらすみません。このように自分のこの状態を言語化できるようになったのは、今、その状態から少し距離を取れているということの良い証拠です。自分の不安を吐露したいのではなく、そこから今ラクになれていることをお伝えし、同じような悩みを抱えている方の一助になれたらと思っています。
最近自分の中で唱える言葉は「未来の自分に任せよう」です。
不安はやはり癖になってしまうもので、不安ではない時に何故か自ら怖い可能性を考えてしまい結局それが原因となって悪いことが実現してしまうという負のサイクルに陥りがちです。
脳に関する本を読んだらしい姉から、悪いことを想像しそうになったら太ももを叩くといいらしいと聞きやってみました。確かにハッと我にかえるのに良さそうです。脳は単純なので外からの刺激が来るとそっちを優先してしまうとか。
このような物理的な刺激とは別に、「未来の自分に任せよう」と思うことにします。「この不安は、本当にそうなったときに、その時の(つまり未来の)自分が考えることなんだから今の自分が考える必要は無い!」と。人に仕事を任せるように、ある意味で無責任になることで不安という荷物をおろします。「考えちゃだめ」と思っても、そう思うほど考えてしまうし、変な話ですが「不安を考えていないと不安」という謎の沼に落ちていることも少なくないので、「考えない」ではなく「後で考える」とすることは、案外自分を落ち着かせるのに良いです。「これはあとで考えればいいや」「今の自分のやることじゃないな」と思っているうちに不安そのものがどこかへ行きます。後期が始まってひとりで大学の最寄り駅まで来られたときは涙が出るくらい嬉しくなりました。やった!やったよ!!!普通にこられたー!と。
なるべく丁寧な気持ち作りをし、疲れやすい心身を癒すために、最近は朝晩欠かさずヨガをやっています。ヨガ自体、呼吸を広げたり体をリラックスさせるのに良いし、ルーティンがあることで丁寧な生活を送れている心地になります。百均で買った小さいノートを自己流にデコレーションし持ち歩き、その日にあった些細ないいことをメモしたりもし始めました(これは以前もやっていたことがあるのですが)。メモのために自然といいことを探すようになるので、不安材料を集めてしまうより日々がずっと明るくハッピーになります。
自分の心を自分でケアする。休むことが必要ならそれでいい。休むことに必要以上に罪悪感を感じにいかない。自分をゆるし、的確な判断をできた自分を褒める。あまり深く考えない、泣きたかったら泣く。
人生短くはないから、その中で病気になったりものすごい転機が訪れたり色んな変化がある。今の私も、自分の生きてきた年数でみたら、こんな調子なのはほんのわずか、なんとも思ってこなかった平凡な幸せの方がずっと長いし、これからもそうしていける時間がある。こうなって良かったとまでは思えないし思う必要はないけれど、人の優しさを知れたし、辛い気持ちはどんどん口に出していいこと、素直に泣くと驚くほど気持ちが軽くなることなど、価値のある気づきを得られたのはとてもお手柄だと思います。人間、焦るほど視野が狭くなり孤独感に苛まれるけど、勇気をだして視野を広げてみると、優しい世界に気がついて、それだけで心が軽くなったりする。何かあってもそういう人たちが周りにいるんだから大丈夫と、無条件に安心できたりします。
色んなことがありますよね。これからも。そうすると「良かった時に戻りたい」なんて思ったりするけれど「戻る」ことが一番の幸せとは限らない。不安なことと対峙したら、それを忌避するのではなくて、それと上手く向き合いながら“新しい幸せな生き方”を見つけたらいいと思います。それを楽しめたら素敵ですよね。
大学最後の後期が始まりましたが、ちゃんと、楽しいです。行き帰りの疲労感はもちろんゼロにはなりませんが、そんなの程度が違うだけで今までだってそうだったはず。疲労の程度が変わったなら、回復の程度も変えてあげて自分を幸せにする選択肢を選ぶ。
最近は夜も眠れるし、学校も、友達と会うのも楽しみです。電車も目的地までまっすぐ行けることが増えたしそうでなかったとしても自分を責めなくなりました。楽しいことを心から楽しいと思うことも出来ます。先日姉と行った「大地に耳をすます」という美術館の企画展示もとても楽しめました。感動する余裕が心に生まれていました。
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誰よりも身近な存在である自分を、誰よりも自分が大切にしてあげようと思える今日この頃です。
これを読んでくださったあなたの今日が明日が、素敵な日になりますように。
ごきげんよう。