桜は儚い。
満開のときはあっという間に過ぎて、息つく間もなくはらはらと散ってしまう。
ずっと、そう思ってきました。しかし、それは迷信でした。
桜はたくましい。
咲くと決めたら、嵐にも負けない。
先日の真夜中のこと。眠れずにベッドの中にいると気持ちばかりが焦り、却って感覚が研ぎ澄まされてくることがありますが、ちょうどそんな夜に、窓の外から大きな音が響いてきました。耳をすませると、風の音がうねるように聞こえてきます。そして、続けて激しい雨の音。
今年の桜はこれでおしまい。
そんなことをぼんやりと考えながら、何度も何度も寝返りを打ち、どうにか眠りについた翌朝。何気なく外に出てみると、満開の桜が春の町に彩を添えていました。昨夜のことなどすっかり忘れてしまって、当たり前のように桜を横目に帰ってきて。気が付いたのはその日も夜になってから。桜はあの嵐のような雨風にも耐えて、そして、そのことさえすっかり忘れさせてしまうほどに堂々と咲いている。何とも力強く生命力に溢れた樹でした。
桜の季節には沢山の新しい何かが私たちを待ち受けていますね。新たな出会い、新たな挑戦、新たな発見。新しいことは興味深いことかもしれません。しかし、それは楽しいことではないかもしれません。けれど、苦しいことであるとも限りません。嬉しいことかもしれません。新しいことである以上、その時、そのものに触れて何を感じるかは未来の自分にしかわかりません。そういう意味では、華やかな町の景色とは裏腹に何とも怖い季節の訪れを感じます。新しいことに挑戦することが怖いのではなく、それに挑戦して自分が何を感じるのかが怖い。新しい一歩を踏み出すこと自体は、大学生にもなると今までに幾度か経験しているので、気持ちの整え方はわかります。しかし、その結果として何を感じるかは、必ずしも想定通りにいくものではないと思うのです。
しかし、そんな時に一つだけ確かに信じられるものがあることを、この4年間で学びました。それは、真剣に向き合った結果の感情には自分自身が必ず納得できるということ。それが自分にとって「このようでありたい」「このように感じたい」と願うものでなかったとしても、納得して受け入れられるということです。自分の気持ちに素直になるというのは、素直な気持ちを認められるだけの努力を前提として初めて可能になることであると考えます。だからこそ、その努力を怠ってはならないですし、その努力さえ怠らなければ、必ず自らにふさわしい道が見えてくると信じます。4月から新しい生活が始まりますが、やることは変わりません。目の前のことに全力で向き合うこと。だから、怖いけれど怖くない。
今年の桜には、何だか意志があるようですね。去年は全然見てもらえなかったんだから、今年こそはたっぷり見てもらいたい。そんな思いを抱いているようです。満足するまで咲いたら、やがて葉桜となって、今度は青々とした緑を湛える。そして、また来るべき春を待つ。桜は自らの正しいと思う咲き方を貫いているように見えます。だから、たくましくて美しい。何度だって花を咲かせる桜を見ていると、自然と勇気をもらうものです。桜の季節に多くの人が新しい一歩を踏み出すのは、日本らしいすてきな風習であると感じます。
ブログ読者の皆さま、お世話になったアドバイザーの石井先生、ブログ部員の皆さま。最後になりましたが、本当にありがとうございました。自らの気持ちを言葉として紡ぎ出すことの大切さ、その喜びを実感した3年間でした。しかし、それは時としてとても難しいことでもありました。書いていると、本当の気持ちから離れてしまったり、読者の方が知りたいのは個人の感情ではなく、何かもっと日文生らしい日常なのではないかと思ったり。試行錯誤した3年間でしたが、ブログを通して自分自身を見つめ直す機会も増え、充実した大学生活を送ることができました。読者の方々にとって私のブログはいかがだったでしょうか。少々カメ達が登場しすぎたでしょうか。少しでも読んでいて楽しい、面白いと思っていただけたなら幸いです。また、最後の1年間はTwitterでも大変お世話になりました。沢山の質問を送っていただくことが私自身にとっても励みになりました。今後は一読者として、カメ達と共に毎日の投稿を楽しみにしたいと思います。
それでは、皆さまお元気でお過ごしください。ありがとうございました。