東京の春は雨がよく降る

もこ「こんなに沢山の人に読まれてるって知って、ちゃんと書かなきゃって気持ちになったよ」

あこ「そう言ってもこさん、また好き勝手書くんでしょ?」

クスッと笑うあこちゃんに、心地よさを感じる。

春風ふんわり。

研究ノートに拙稿が載った。新入生4、5人がワラワラとやってきて、「読みました!すごかったです!!」と口々に言ってくれた。

「あの…」と遠慮がちに声をかけてくれた新入生は、ブログ部の大ファンらしく、「推薦入試の時に、ブログの話をしたんです」と言っていた。

もことして生きて3年ほど。

これまでの人生、もこ、と呼ばれたことはなかった。
ブログ部のニックネームを決める際に、せっかくなら今まで呼ばれたことのない名前にしようと思って、もこにした。

(これが奇遇にも、石井先生の昔のあだ名だったらしい)(石井先生と私は、名前がよく似ている)(そしたら後輩にも、石から始まって子で終わる子が入部してきて、石子ちゃんが3人になった)

もこは、幸せだと思う。

東京に来て、良かったと思う。

健康診断が苦手だった。高校の頃、仕切りもカーテンも何もないところで、心電図検査をやった。内科検診は、おじさん先生の前で、胸を丸出しにしてやらされた。男子たちは、将来医者になって、健康診断をしたいと、話していた。

知らない間にトラウマになっていたらしく、大学に入ってからは、正規の日程で健康診断を受けることができなかった。そんな話を、4年になって初めて友達にした。するとみんな協力的で、一緒に健康診断を頑張ってくれた。

X線、2号車が女性の先生だったよ!

内科検診、服の上からだったから安心して!

安心させようと言ってくれる言葉に、ありがとう、としか言えなかったけれど、本当は涙が出るくらい嬉しかった。

どうやら健康診断は、怖いものではないらしい。

雨、ぽつり。

『破戒』の最後に、主人公はテキサスに行く。
研究者は軒並み批判的である。
なぜ差別と戦わないのか。
なぜ逃げるのか。
作品として、未熟だ、破綻だ、偽善だ。

黙れ馬鹿者。

差別される側になりたくなったわけではないのに、なぜ戦わなければならない。
差別される側として生まれてきたら、必ず差別と戦わなければならないのか?

藤村も、まさか作品の最後で後世の人からこんなに叩かれているとは思うまい。

私は、女性として生きた地元が嫌だった。

だから東京に来た。

東京でもこは、幸せに生きている。

(地元に残った女たちのことを考えたことがあるのか!)
(なぜ地元に残って差別と戦おうとしない!)
(逃げるな!)

拝啓、地元。
お元気ですか?

私は、幸せです。

日本文学科体力向上計画

もこのエネルギーの源は、自信だ。圧倒的な自己への愛と信頼だ。最近はすっかり忘れていたけれど、この間思い出した。俺は昔からできる奴だったし、これからもできる奴だし。

なんでいきなり思い出したかって、それはスキー合宿のおかげ。うちの大学には、身体運動IIcという授業がある。4日間スキーをするだけで単位がもらえる、お得な授業。それに参加してきて、めっきり自信をつけて帰ってきたって話。

まずスキー合宿の概要を書くと、秋頃に履修希望調査があり、応募した人が参加できるタイプの授業で、今回の参加者は14人くらい。3年生5人、2年生9人。文学部4人、理学部3人、家政学部3人、人間社会学部4人と、いい感じにバラけていた。場所は長野県の菅平高原にお邪魔し、仲間たちと4日間そこで過ごす。部屋は学年と学科で決められていて、一部屋2〜3人。

私は小3以来2回目のスキー。今回私がスキー合宿に参加した理由は、シュッシュっとかっこよく滑れるようになりたかったからだ。小3の頃、私がハの字でおずおず滑っている時に、大人は急な傾斜をものともせず颯爽と滑り降りていた。憧れた。あんな風に滑りたいと思った。あのシュッシュという、板をハの字ではなく平行にしてかっこよく滑る滑り方は、パラレルというらしい。絶対できるようになってやる。今回私は、パラレルをマスターする!という目標を立てて合宿に臨んだ。

先生からは、ブランクがかなりあるから最初は無理せず初心者クラスに行こう、と言われた。初日、初心者クラスで私は滑り方と止まり方を教わった……が、つまらなかった!小3以来2回目のスキーとはいえ、体は完全に滑り方を覚えていた。ええいこんなところで練習していては合宿中にパラレルをマスターするのに間に合わない!と思っていたところ、中級クラスの先生がやってきて、この中に中級クラスに行きたい人はいませんか〜と言うので、すぐについていった。そして10年以上ぶりにリフトに乗り、いきなり坂を滑り降りたのである。……親譲りではないが無鉄砲で子供の頃から意外と得をしている。

初日いきなりゲレンデを滑り降りて、私は自分の中にふつふつと自信が湧いてくるのを感じた。そういえば私、運動が得意だった。小学生の頃からダンスと体育教室に通っていて、中学ではバレー部。高校で放送をやったあと、大学で日本文学科に入ったことで、なんとなく昔から自分はスポーツから離れた人間だと思い込んでしまっていた。

2日目、先生にひたすら指導してもらいながら滑る。こうやって滑ってみて、と言われる。できる。その時できなくても、次やる、できる。怖がらずに挑戦するから、上手くなる。1回目より2回目、2回目より3回目に、確実にいい滑りができている。私、覚えが早いな、と我ながら思った。パラレルをマスターしたい!という強い思いがあるから、先生のアドバイスを素直に聞ける。多少怖くても足を前に出せる。未知の動きに挑戦できる。これだ、これだったと思った。私は、こうだった。こうやって、なんでも吸収して、挑戦して、成長してきた。いつから人の話をちゃんと聞けなくなったんだっけ。

3日目、今日も今日とてスキー。スキー以外の話をすると、宿は快適だった。大浴場は私好みの熱めのお湯だった。ご飯の量がめちゃくちゃ多かった。全部食べた。早寝早起きで自己肯定感はマックスになっている。体の調子は小学生みたいにいい。
さてスキー。私のスキーレベルはパラレル一歩手前という感じだった。そこからは特に特別なことはせず、先生に言われた通りの動きを実践していく。練習あるのみ。滑り滑る。そして3日目終わり、ついにパラレルの動きができた。まだ不恰好だけど、板がちゃんと平行になった。ものすごい達成感だった。

4日目、最後までスキー尽くし。私のパラレルにもお墨付きをもらった。その後帰宅。私はこの合宿で、忘れていた自分自身に気づくことができた。私は大きな自信を手に入れた。授業後に提出したレポートにはこんなことを書いた。

〈昔から私は目標に向かって努力することが好きでした。しかし受験の失敗以降、全てを諦めていました。自分の将来に対して適当でした。しかし、本当の自分は、そんな人ではなかったのです。目標に向かって一心に努力する力を、それを達成する力を持っていました。これが私だったんだと、スキー合宿を通じて思い出すことができました。これこそが、今回の合宿の一番の成果です。得られた自信は、一生の財産です。この自信を胸に、私はきっと、自分のなりたい未来を掴んでいきます〉

充実のスキー合宿、完。

以下蛇足。

帰り、上田駅で合宿の責任者の先生とお話しした。身体運動の先生は、一年生の頃に全学科必修の身体運動を教えるので、全学科のカラーが見えて面白いそうな。日本文学科の印象は、真面目でいい子たち。レポートの出来が全学科で一番いいらしく、文章を書かせると敵わないと言っていただけた。しかし!とんでもないことを聞いた。

「「日本文学科の子たちは体力テストの結果が毎年全学科中最下位なんだよな〜」」

ええ……。

確かにそんな気はするが。
しかし私も心当たりはある。私は先生に、「私も運動が得意ってこと、この合宿で思い出しました〜」と言った。自分は昔からスポーツをやってきていたが、高校、大学と文学に専念したため、すっかり自分は文学少女だと思い込んで、スポーツを忘れていたと。すると先生は、「それだ!!」と言った。先生曰く、日本文学科は体力テストの結果こそ悪いものの、授業をしてみると普通にスポーツはできるので不思議だったそうな。きっと、自分は文学少女だ、と思い込んでスポーツはできないと思っているからじゃないか!と先生は妙に納得していた。

来年、日本文学科に来る諸君。
春の体力テストでも、そしてこれからの学生生活でも、思い切って自分自身を出して、損はない。

先輩、楽しみなんです

たまに、自分の中にある文学の泉みたいなものが枯れてしまうことがあります。なんて陳腐な表現!仕方ありません。今は枯れた泉の底にヘドみたいな物体がねっとりへばりついているだけ。こんなんで、なにも書けるわけがありません。

ですから、明日の話をしようと思うんです。明日からの六日間の話をいたします。明日から、この新・当世女子大生気質、新入部員の投稿が始まります。恒例の新部員投稿ウィークが始まります。なんて楽しみなんでしょう!私は皆さんの文章を読むのが楽しみです。後輩が入るたびに、自分がちょっと新鮮になった気分になるんです。「自分が」なんて、強い自意識。ブログ部に、新しい風が吹くんですよ。

私は来週、長野県でスキーをします。身体運動IIcという授業なので、四日間のスキーで単位がもらえます。楽しみにしているのですが、なんとその日に、ブログ部恒例の顔合わせ会が入ってしまったんですね。かなり残念です。私は、新入部員さんたちの顔を見ることができないのです。残念……。ここに書くくらいには、凹んでいます。

でもブログを読んでいれば、皆さんがどんな人なのか大体分かるのかなあと、思いたいのですが、そこでハッと気づいたんです。私って、ブログで自己紹介したことないなって。一番最初のブログ、何を書いたか鮮明に思い出せるのですが、よくあれで干されなかったなあと感心します。嘘です、干されています。

つまりね、自分のことを書いているようで、実は書いていなかったんじゃないかなって。私、同期のことはすぐ分かるんですよ。趣味とか知ってるの。でも私って、カラカラじゃない?ほら、文学の泉なんてね、なかったんですよ最初から。

もこ。双子座。福岡出身。実家には両親と姉が一人。ポメラニアン一匹。東京には恋人一人。三学年年上。高三の頃から付き合っている。
小学生の頃は体操とダンスと合唱とピアノをやっていた。50メートル7.8秒。運動は得意だが全く泳げない。
中学の部活はバレー部。高校の部活は放送部。高校で朗読に取り組んでいるうちに、文学を好きになる。実は読書が好きではない。近代文学専攻中。
休日は家でじっとするより出掛ける方が好き。しかし遊ぶ友達がおらず、基本的に家にいる。
趣味は散歩。月一回、東京メトロの路線の上を歩く、東京メトロの会をやっている。一日で平均25kmくらい歩く。
昔からYouTuberが好き。東海オンエアなど。
バイトの影響で大相撲に詳しいが、あくまで仕事としての愛。
人が好き。あまり誘われないが、遊びも飲みもほぼ断らない。
寂しがり屋。

疲れました。
今から焼肉を食べに行って、気が向いたら続きを書きます。

帰ってきました。お肉をたくさん食べましたが、それ以上にお酒を飲み過ぎました。

つまり、これが私の、包み隠さない毎日で、日常で、普通で、飾らない姿。

こういう人間も受け止めてくれるのが、日本女子大学の、日本文学科というところで、私はなんだかんだ幸せということを、伝えたいんです。

とんでもないことでございます。

ありがとうございます。

(更新担当:もこ)

スウィートな僕は同窓会へ向かう

 
 更新担当:もこ

 女という言葉は弱い、しかし男という言葉も弱い。そういう意味で女という言葉は強いし、男は強さの陰で脆い。そんなことを考えて、同窓会はかなしい。

 悲しき医学生に多く会った。高校の近くには私立大学があって、伝統ある医学部を有している。そこに入学するには家一軒分の費用がかかって、そのために何浪もする人がいる。その私立大学自体は決して偏差値が高い訳ではない。これが、悲しみの要件のその一。プライドがあるとしたら、学部まで皆言うのである。
 私の同級生には開業医の娘息子が多く、なんとしても親の病院を継がなければならない人多し。文学が好きでも?数学が好きでも?学ぶべきは医学。難関大有名大国立大に行きたくても、これ以上「入学のための学問」を続けるリスクからか、とにかく現時点で入学できる医学部となると、家一軒分建てられそうな金額を投資。悲しそうなのである。書かずにはいられないのである。ホラ、また学歴とか、権威とか、そういうことを伝えたいのではない。私の精神病を治したのも、その大学出の先生だったが、医者になってしまえば、どうでもよくて、そんな話を、大学入学に関わる諸問題でメチャクチャになった私に、してくれて、優しくて、まあつまり、悲しいのだ。

 悲しき上京者にも会った。私がいた「地方」では、学歴が大事である。学歴をよく見てくれるということでもある。東京は見てくれない。どうやら東京は、学校というものの選択肢があまりにも多いらしい。あまりにも多い選択肢の中から、なぜその学校に進学することを選んだのか、なぜ、をよく聞かれる。どんな大学に行ったかではない、どうしてその大学に行ったのか。なぜその学部なのか。大学名なんて、どうでもいいのだ。その人がどんな人なのかに興味がある。それが東京。東京の人はよくネイルを褒めてくれる。
 地方から指定校推薦で某難関私立大に行った人がいた。それで、その人はそれで安泰と思っていた。確かに、地方なら安泰。いい大学に行ったら、それでハッピー親孝行20代までお年玉。しかし、そうではないのがTOKYO。その人は、なぜ、を聞かれて困った。なぜこの高校?(それ以外高校がないからですよ!)なぜこの大学?(有名だからですよ!)そんなもの、通用しない。やあやあ、地元に帰って、地元の巨大企業に就職しました。語弊、それを良くないと言っているのではなく、そのことに本人がやや満足していないことを言っている。本人は、全国に名を轟かす有名企業に行くつもりで、わざわざ東京まで来たのだから、そのことを考えるなら夢破れて山河もなし。だが、地元に帰ってきて良かったと、私は思っているよ。それでもきっと、悲しい。その子の双子の姉と最近会った時、妹にはもっといいところに行ってほしかったと言っていたから、やはり悲しい。

 喜びの人にも会った。権威ある地元の帝大に行って、岐阜の文房具メーカーに就職した子。受験とか、就活とか、そういう競争にぜーんぶ飽きて、自分が大好きなものを追求したら、文房具が昔から好きだった。そしたら偶々好きだった文房具メーカーと接点ができて、そのまま入社。二十何年も福岡を出たことはないのに、いきなり岐阜に飛び出す、真面目な女の子。私はその子の就職先の文房具を雑貨屋なんかで見つけたら大体買っている。昔は嫌いだった子だけど、今は好きになっちゃった。君からもらったハンカチ、実は愛用。

 変わらない人にも会った。受験がうまくいかず、行きたかった国立大に行けなかった。浪人はせずそのまま私立大学に入って、4年間心理学を学ぶ。その後、心理学を極めに極めて、院からは、行きたかったあの国立大に行く子。秋ごろに、「(A大学)と(B大学)、どっちも受かっちゃったんだけどどっちに行けばいいかな😂」と私にメッセージをくれた、あの時の私には青汁みたいな血が流れた。飲み込んで「最終学歴的には(B大学)の方がいいしそっちに行きなよ」なんて、その子が喜ぶと思って返した。青汁。いくら不味くても健康になれるんだ。牛乳と混ぜて飲んでいた、小学生の頃。

 美人にも会った。誰か分からなくて、「お名前なんですか?」と聞いたら、旧友の名前を名乗ったので、私は驚いた。「え!めっちゃ友達やん!全然分からんかった!」と返した。どうしてその子と判別できなかったのか、目元を見てすぐ分かった。全部察して、「まあ私たちみたいな人は、変わるよね〜」と言った。これは、私も悲しい。「そうよ〜変わるよ〜」と返された。なんだか嬉しそうだった。私も、じきに変わると思う。ヤ、変われないかもしれない。まだ、子供みたいに手術が怖くてサ。

 弱いとか強いとか、あまりにも表裏一体なもので、弱いと思っていたら強くて、強いということが弱さの暗喩で、しかしとにかく私は弱いと、これだけは言える。そして最近、いやいやあんたは「甘い」のよ、と強い友達に言われた。ああ、弱い。紹介し忘れた、友達。賢すぎる大学に行って良すぎる企業に就職した悲しみも血も涙もない最強の友達。その子が、私を見て「甘い」と言い切っていて、その強さの前に、私は何をしたら良い。舐めてみる?なんて、ハハ。こう見えて、苦いカモヨ?ハハ。もう彼女とは、一年の浪人以上の経済格差が生まれてしまうでしょう。気軽に飲みに行けないね。奢るよ、なんて言われても、半分払わされても、なんか癪。

 悲しいとか、弱いとか、あなたに分かってもらいたくて書いてるんだよ。

 あなたは私を嫌いじゃないって信じてたから、こういう時、どうしたらいいかね、分からなくて、悲しんでるんだよ。言葉もなく、こんな仕打ちないでしょうって、泣いてるんだよ。気が済むまで訴え続けるよ。

 シティポップが苦手です。

 シティポップが好きな君は好きです。

 また会いましょう、もこより。

君は今日も君で私はいつももこだよ

あけましておめでとうございます。
今年も、もこをよろしくお願いします。


本当のことを言おうよ、君は、田舎が嫌いなんだよ。
いや、分かっているさ。その嫌いという気持ちは、ある対象を避けてしまうような、知らないうちに遠ざけてしまうような、そんな単純な心の動きを示しているものではないとね。だけど、敢えて嫌いという言葉を使わせてもらおう。複雑な感情は、一旦単純な感情に置き換えてしまう方が、理解しやすいんだ。どんなに複雑なものだって、分解していけばきっと単純な何かの集まりだよ。

君はさ、最近西洋占星術にハマっているようだね。そしてその星たちのお告げによれば、どうやら今年は運勢がいい。素晴らしくいい一年になりそうだと、何もかもが叶うような気がして迎えた2023年1月×日、君の身に恐ろしい出来事が降りかかった。今までの努力とか、自信とか、我慢とか、そんなものを全てハンマーで叩き割られるような出来事だった。君は粉々になった。目の前に横たわる粉々になった自分自身。君はそれを呆然と眺めていたね。ああ、滑稽!僕はそんな君を見て、高らかに笑ったんだ。君はいつだって人と逆なんだ!願えば叶わないし願わなければ叶う。やりたいことはやれないくせにやりたくないことはやらされる。ネガティブな想像をすればポジティブなことか起こるし、ポジティブなことを考えれば真反対にネガティブさ。ということは、2023年、君は最悪!運勢、大凶!はは、なんて素晴らしいんだ!そして僕はそんな君を一番近くで見続けられるんだ。なんてったって僕は、君自身だからね。

君は最近、旧友の下宿先に上がり込んで、朝4時までお酒を飲んでいたね。田舎の友達ならみんな経験しているような宅飲みも、君にとっては初めてで新鮮だったろう。だから、知らなかったんだ。居酒屋みたいに人の目がない状況で、お酒を飲んだ若い女たちがどんな話をしだすのか。そうさ、男の話さ。君は永遠に男の話を聞いていたね。友達なのか恋人なのか愛なのか欲なのか、東京の友達の口からは絶対に聞かないような話を散々聞いたんだ。なんて下品なんだと君は思っていた。でも、すごく笑顔だったよ。楽しそうだった。久しぶりに見たよ、君の愉快な笑顔をね。さあ、君は一体どっちなんだい?君は下品さにも上品さにも辟易している。最初に言っただろう、君は田舎が嫌いなんだと。僕はそれしか言っていない。東京が好きだとは言っていないよ。ほら、早く認めなよ。東京だって嫌いなんだ。思い出しなよ、君を粉々にした東京の女を。君のエクストリームな精神性は、気高い東京では受け入れられてないんだよ。ここだけじゃない。田舎から逃げても、都会から逃げても、何をどう頑張っても、君が評価される場所なんてない!

黙ってくれないか、君。どうして君は、東京とか、田舎とか、そういう目でしか物事を見ない?女が、男が言っているけれど、それはただ単にそういう人であるだけで、そこに東京とか、田舎とか、関係あるのか。私は一つ君に言っておきたい。私は確かに、自分が生まれ育った街と、現在過ごしている街、この二つにかなりのギャップを考えている。右だったものが左で、上だったものが下になる世界で、苦労して、努力して、我慢して、大学3年間を過ごしてきた。その頑張りは、時に実を結び、時に認められない。まあ、認められないことの方が多いかな。でも、仕方がないよ。私は努力の他の努力をしていない。自分が求める姿にはなっていても、他人が求める姿にはなっていない。いつも他人を置いてけぼりで、自分を優先している。知っているんだ、そんな自分を。それを、馬鹿にしたければしてもらって構わない。どうせ君も私なんだから、馬鹿にしたところでさ、私も君もきっと変わらないよ。だからさ、何が言いたいのか自分でも分からないけれど、私はこうやって生きていければ、それでいい気がしてるんだ。君が言いたかったことの半分以上は理解できていない気がするし、私が言いたいことの半分以上言えていない気がするけど、君が私をこき下ろしてくれて、少し安心したよ。なぜなのかは、分からないけどね。

じゃあ、さようなら。

ブログを振り返る 2

こんにちは、もこです。
珍しく中身が出てきました。

毎年年末にはブログを振り返っています。
毎年と言っても昨年と今年でまだ2回ですが。

奇遇。ブログを振り返るためにブログを振り返っていたら、なんと昨年も12月18日に「ブログを振り返る」というブログを更新していました。わあ。

今年も元気よく振り返っていきたいと思います。

なんと今年は今まで一回も中身が出てきませんでした。全部である調できちんと書きました。投げやりに書いたブログがあまりないんですね。そう思って確認してみたら酷い出来のブログが目に入って鬱!

元気よく振り返りましょう!!

いちばん反響があったのは「確か君の苗字は珍しかった」です。
地元から東京までは800km以上離れていますから、”東京”という土地で高校の友達の気配を感じるとすごく懐かしくて嬉しくなるんですよね。向こうはどうか知りませんが。

同期のやなちゃんに好きと言われたのは「出腹レモン水」でした。それを言われた時、えぇ!?こんな性格悪いブログでいいのか!?と思ったのですが、いいらしいです。嬉しいですね。

小学校の頃って学校にジュースとかお菓子とか持ってくるとありえないくらい怒られると思うんですけど、私はやっちゃいけないことをやるのが大好きだったので、友達と立ち入り禁止の屋上階段の上でお菓子を食べたり、校庭の高い木に登って木の上でお菓子を食べたり、そしたら学校の横で工事をしていたおじさんたちに見つかって、おてんばさんだねえと言われたりしていました。先生にはどちゃくそ怒られていました。なのに成人式で会った時、すごい喜ばれました。

「上58」は昔から書きたいと思っていたネタだったので、のんびりした春の日に書けてよかったです。
都バスに乗る時はだいたい右側の一人席の窓側に座って流れる景色を見ています。上58いつか乗ってみてくださいね。

今思い出したんですが、今年の春から恋人と恋人の友達と4人で東京メトロを歩く会を結成し、メトロの上をひたすら歩いてます。だから都営バスよりはメトロに詳しいです。最近行ったレア駅は丸の内線方南町駅です。これ四ツ谷から歩いて行ったんですよ。

話を戻してもう少しブログを振り返ろうかと思いましたが、どうも性格の悪い内容が多い気がして、断念しました。3年生になって、ちょっとブラックな内容が多くなってしまいました。「出腹レモン水」は褒められたからいいものの、それ以外は読んで誰も楽しくなれないようなブログを書いてしまい申し訳ないです。

でも書いちゃうんですよ〜😅創作技法論でもなんだかこうヘンテコな物語を書いてしまいましたし、文章を書くとそのままが出てきてしまってなんとも…。

そろそろ自分の中身が嫌いになってきたのでこの辺で終わりにします。昨年の年末にブログを振り返ってから今日までどうして中身を封印し続けてきたのか、やっと思い出しました。

さて、2022年も、もこのブログをご愛読くださり本当にありがとうございました。
みなさんが、たまに感想を言ってくださったり、Twitterの告知をいいねしてくださったりするのが、励みになっています。本当です。

読んでくださる皆さんがいる限り、私はブログを更新し続けます。私は毎月2回も自分の文章を投稿し読んでもらえる機会を頂けている幸せ者ですから、その幸せをたっぷり味わって、これからも楽しんで書いていきますね。

2022年も大変お世話になりました。
来年もどうぞよろしくお願いいたします!

星の見えない東京の夜

12月はうれしい。12月の街を歩く人々の足には小さな羽がついていて、いつもよりふわり、ふわりと歩けるようになっている。街はあかるい。木々は光の花を咲かせている。

「あっ、イルミネーション!」
私が目を輝かせながらきらめく木々に駆け寄ると、横にいた恋人は、
「男性の目には、イルミネーションがうまく見えないんだよね」
と言った。
「なんで?」
「目の構造の違いらしいよ。女性はイルミネーションを見て、『わぁ〜!綺麗〜!』と感じるらしいけど、男性には、ただ木に取り付けられた小さい電球が光っているようにしか見えない」
「確かに、イルミネーションのこと、『ただの電球やん』って言ってる男子いたなぁ」
「でしょう?」

12月はうれしい、は訂正。男の人の目には、街のキラキラは見えない。

「思い出した話があるや。いま、授業で建礼門院右京大夫集を読んでるって言ったでしょ。右京大夫って、初めて星の歌を詠んだ歌人だって言われてるんだよ」
「へえ〜、そうなんだ」
「そう。こんな歌。《月こそをながめなれしか星の夜の深きあはれをこよひ知りぬる》」
「なんだか普通の歌に感じるけど」
「でもこれが星を詠んだ初めての歌って言われてる。当時はこれが新鮮だったんだよ」
「へぇー」
「それでさ、鎌倉時代に右京大夫が詠むまで星の歌が詠まれなかったのって、たぶん、今まで男性が詠んだ歌が多く世に出ていたからじゃないかな」
「というと?」
「研究者の間では、これまで星の歌が詠まれなかった理由は、『星は人の魂が天に昇ったものだと考えられていて、美的なものではなかったから』って言われてる。でも、別にイルミネーションだって、それ自体は木に縛り付けられた電球で美的なものじゃないけど、美しくみえるじゃん」
「そうだね」
「だから、昔の人たちは星を見て、あれは人の魂だから美しくないんだ、と感じていたというよりは、そもそも歌を詠むような男性歌人たちにとって、星は美しく見えなかったんだよ」
「なるほどね。それもあるかもしれない」
「でしょう?」

話が終わって、空を見上げる。星は見えない。前を向けば、ネオンに、イルミネーションに、たくさんの光が目に入ってくるけれど、都会の空は、その光を全て吸収したかのような漆黒。

「現代短歌も、星の歌が少ないかもしれないね」
彼が言う。
「たしかに、満天の星空を見たという経験自体、現代においては非日常だもんね」
「そう、田舎でもあんまり見えない」
こんな時、都会でしか見えない星の歌を詠んだら、人気のない山の頂上で見た星空の歌を詠んだら、新鮮なのかもしれない。

「じゃあ、せっかくだからいま、星の歌を詠もう。星そのものの美しさじゃなくて、星が題ならなんでもいいよ」
「分かった。何分くれる?」
「1時間」

2人、無言で短歌を考えながら家まで帰る。

こうしてできた、星の歌。

私《ここそこに光はあるのに星だけは見えない東京 うれしくない街》

彼《口述をやめるな星よまたたいて消えゆく朝は炭の火に散る》

#小諸藤村ツアー

旅行に行った後にその旅行の詳細を文章にするのはナンセンスだと思っている。しかしまあ、今回くらいは書いてもいい気がしている。

長野県小諸市というところに行ってきた。ここは島崎藤村ゆかりの地である。藤村の生まれは馬籠というところであり、小諸ではない。小諸は藤村が小諸義塾の教師として5年間生活した町である。

この小諸市で、観光局が島崎藤村ゆかりの場所を巡るウォーキングツアーをやるというので、それに参加してきた。それだけに参加する予定であったが、運良く全国旅行支援が始まったため、せっかくならと温泉旅行を兼ねて小諸に一泊することにした。これが旅のきっかけである。

東京から小諸へは高速バスで行くのが安い。3時間、眠っていればすぐに到着する。小諸高原という、本当に何もないただの田舎道に降り立った私はまず、松井農園へ向かった。ここは小諸で一番大きい農園で、りんご狩り発祥の地ともされている。りんごの樹と樹の間に、島崎藤村「初恋」の詩碑がある。

これだけでもう、来てよかったと感じる。私と藤村との出会いは、中学の頃に習ったこの「初恋」の詩である。恋という言葉が持つ桃色のイメージが、りんごの赤い色と響き合って、詩全体が薄紅に見える。この薄紅が、心に残り続けている。高校になって、あまりにも暇な化学の授業中にこっそり電子辞書で「破戒」を読んで、読破した時の感動。その後に「新生」を読んでちょっと気分が悪くなったのも、思い出……。

松井農園ではりんごをたくさん食べた。持ち帰り用のりんごを、小諸郵便局に持って行ってすぐに実家に送った。小諸駅まで歩き、そこからバスで菱野温泉・常磐館という旅館に向かった。この旅館も有名で、芸能人や政治家などがよく泊まっているようだ。旅館から登山列車に乗って向かう露天風呂が有名で、これがものすごく気持ちいい。

山というのは静かだ。都会にいると何かしらの騒音をずっと聞いているが、山にはそれがない。全くの無音の中、冷たい風を浴びながら、ぬるい温泉に浸かる。非常に気持ちがよい。朝6:00に起きて、朝風呂に向かったのだが、これもよかった。朝の澄んだ空気に、もうもうと湯気が漂う中、素っ裸で小諸城下を見る。霧がかかっていてうまく見えないのもまたよい。

常磐館を後にして、2日目は観光局主催のツアーに参加した。小諸駅から、藤村の旧居、懐古園、中棚荘を巡る。とにかく小諸には藤村関連のものが多い。街を歩けば何度も「藤村」の文字を目にする。代表的なお土産でさえ「藤村もなか」。どれだけ小諸の人々に藤村は愛されているのか。

ツアー客は中棚荘に向かった。中棚荘というのは藤村ゆかりの旅館だ。そこに到着するとなぜか小諸市長がいらっしゃった。観光局主催のこのツアーを見学しに来られたようだ。突然の市長の登場に、ツアー参加者一同歓喜。ツアー参加者は文豪とアルケミストというゲームの影響で、若い女性が殆どだった。そのことを、市長は喜んでいた。

私は文豪ゆかりの地として、北原白秋の柳川、高村光太郎、宮沢賢治の花巻、小林多喜二の小樽に行ったことがあるが、それらの都市では文豪はあくまで観光資源の一つであった。しかし小諸は違う。藤村がとにかく小諸の中心。島崎藤村あっての小諸なのだ。島崎藤村が好きな人で、小諸に行って満足しない人はいないだろう。その文都としての魅力は、小諸にしかない。藤村の聖地として、これからも観光が盛り上がっていくといいなと感じた。

しかし藤村好きでなくても、充分楽しめるのが小諸である。美しい懐古園の紅葉を紹介しておこう。

珍しく旅の詳細を書こうと思って書き始めた文章だったが、いつの間にか叙事が叙情になり、終盤を迎えている。

小諸はいいところだった、と一言だけでも伝わるような、そんな旅行だった。旅行支援や小諸市が企画するキャンペーンと重なり、無料でもらえたお土産が数多くあった。たくさん貰ったりんごはお世話になった先生にお渡ししたが、それでもまだ沢山ある。毎日食べている。美味しい。

小諸はいいところである。りんごが好きな人は是非行ってみてほしい。長野県小諸市である。

続、確か君の苗字は珍しかった

7月の終わり頃に、「確か君の苗字は珍しかった」というタイトルのブログを書いた。
内容は、故郷を離れ東京で暮らしている高校時代の友人と思いがけず話す機会があり、良い時間を過ごした、というようなもの。

その友人と、最近会ってきた。
最初に話した日から4ヶ月も経っている今どうして会うのか、と思うかもしれないが、彼を誘うか誘わないか自分の虚弱な神経と戦っているうちに4ヶ月経ってしまっていたのだ!
どうにか会う約束を取り付けて、薄暮期、私は港区へ向かった。

久しぶりに会った彼は髪の毛が茶色くなっていた。マッシュ・センターパート・パーマヘアのどれかで私の目の前にやってきたらその時点で帰ろうと思っていたが、そのどれでもなかったので安心した。

「東京で、高校の人と会うの変な感じ」
そうかな
「だって、ここ、”東京”だよ」
そうかも

久しぶりに会う友達同士の、微妙な距離感。
16歳の私たちは22歳になった。
垢まみれの制服は垢抜けた私服になり、
ニキビだらけの肌は滑らかになっていた。

いくら大人になったって、高校の友達と会えば、高校の話をするものだ。そして高校の話をすれば大体、誰かの悪口になる。この悪口というのが、私は非常に心地よい。大学に入って、誰も悪口を言わないもんだから、びっくりした覚えがある。しかし地元の成人式に参加してみれば、悪口悪口、悪口大会で、これまた驚く。

東京には、いい子が多いんよね、と彼が言った。
分かるよ、と返す。
真面目で、いい子だけだったら、いじめられる。真面目だけじゃない、いい子だけじゃない、変わった人間じゃないといけない。毒を持った姿を見せて、上手く関わっていく。そうやって生きてきたのに、東京にくれば、純粋に真面目でいい子たちしかいない。東京にいれば、生きるために獲得した毒だけが、悪目立ちする。

幸せなんだよ、その方が。知らなくていい世界なんよ、あんなの。

…そうかもしれない。

時々、自分はギリギリ男になったような気がするんよね、と彼が言う。彼曰く、自分の手の指を見つめた時、薬指より人差し指の方が長かったので、少し落ち込んだのだと言う。薬指より人差し指が長い人は、女性ホルモンが多いとかなんとか。そんな迷信。

ああ、その話、と言って私は自分の手を見つめる。人差し指より圧倒的に長い薬指が目に入る。私もね、自分はギリギリ女になったんじゃないかと思うよ。

なんとなく、私と彼が仲良くできる理由が、分かった気がした。典型的な男性らしさ、典型的な女性らしさが求められる、私たちの故郷で、男性性の強い輪の中で、女性性の強い輪の中で、それぞれ抱えてきた生きづらさを、故郷を出て、東京に身を置くことで、解決しようとしていたのかもしれない。

私たちはお互い高校の文化を憎んで、地元の権威ある大学に行かないことを選択し、浪人し、同じ予備校に通い(しかもそれは同じ高校の人があまり行かない予備校である)、そして同じように全く興味がない東京の大学に転がり込んできた。

つまりさ、魂の友達って感じがしてるの

まあ分かる

(別に分かってるよ、何も解決しないって。東京に来ようと、地元に残ろうと、今日話そうと、話さなくとも、男でも、女でも、いい子でも、自殺でも。)

(でも、)話してくれたこと、会ってくれたことに、とにかく感謝してる。ありがとう。

また会ってね、と声をかけて、別れる。

わが友の、
笑って隠す淋しさに、
われも笑って隠す淋しさ。

出腹レモン水

 レモン水を飲むと思い出す記憶がある。
 小学校四年生の頃の話である。私は学校にレモン水を持って行っていた。これは、化粧品会社で事務をしていた母親が持たせてくれたものであった。いつもの麦茶ではなく、健康的なレモン水。小学生の私にはおいしい味ではなかったが、母が持たせてくれたから、私は休み時間の度に飲んでいた。
 しかし、それを許さないやつがいた。担任の教師である。ある休み時間、私は廊下に出て、棚からレモン水をとり、ごくごくと飲んでいた。すると教師がやってきて、
「おい、何を飲んでいる」
と声をかけてきた。私はペットボトルケースから、レモン水を取り出した。鮮やかな水色に、みずみずしいレモンが描かれたパッケージのペットボトルがあらわれた。さながら、ジュースのように見えたたろう。そのペットボトルを見た教師は目を吊り上げて、
「それは、水じゃないだろ!」
と怒鳴った。
「なぜ、水以外のものを学校に持ってきている」
「それは…母が…持って行っていいよと行ったからです」
私は教師の勢いに圧倒されて答えたが、別に自分が悪いことをしているという気持ちもなかった。
「それは本当にお母さんが言ったんか!」
教師はまた怒鳴った。
「はい」
「よし、それなら今から先生は君のお家に電話してきます。お母さんが本当にそのジュースを持ってきていいって言ったんだね!嘘ついとったらお前、また呼び出すぞ」
そう言って、教師は職員室へ去った。私は唖然とした。廊下から聞こえる怒鳴り声に、一部の生徒も集まってきていた。私は堂々とレモン水を飲み、教室へ戻った。
 ここまで読んだ人は、なんという教師だと思ったかもしれないが、私は小学生の頃、この教師を尊敬していたのである。学校の中では気楽な雰囲気の教師で、怖い教師ではなかったのだ。今になって思う、この教師は気楽でもなんでもなく、ただ他の教師と怒りの焦点がずれていただけなのだと。
 さて、教師が去った後の昼休み、私には少し不幸な結果が待ち受けていた。どうやら、私の親がこの教師からの電話に出なかったようなのだ。母親は職場におり、父親は……何をしていたのか知らないが、当時は無職だったのに、たまたま家にいなかったらしい。教師は、私の家に電話をし、誰も電話に出なかったことで、より一層腹を立てた。私が、教師が電話する時間帯に親が電話に出ないことを知って、啖呵を切ったと思ったからである。だから昼休み、私は少し不機嫌な教師とケイドロをすることになってしまった。ケイドロは楽しかった。
 しかし、さらに不幸だったのはその帰りである。全ての授業が終わった帰りの会で、その教師は、今日は残念なことがありました、と言い出したのだ!
「今日は学校に水以外のものを持ってきた人がいたので、厳しく注意しました。みなさんルールはきちんと守りましょう。決まりは大事です。」
教師が話している間、廊下での大声を聞いていたクラスメイトは一斉に私の方を見た。小学生にありがちな、この一斉に誰かを見るという動き。みんなの視線が私に注がれた。私は両手を広げ、肩をすくめ、変顔をした。私はこういう生徒なのである。教師はまだ目を吊り上げていた。
 レモン水を飲むと、この記憶が、鮮やかに蘇る。何年も前の話だが、嫌な記憶というのは喉に刺さった小骨のように、取れた後も喉にあるような感覚がずっと残っているように、腹の中に嫌な気持ちとして残り続ける。
 一ヶ月ほど前の話である。久々に山手線に乗った際、座っている私の前に、小太りの男性と痩せ細った女性が連れ添ってやってきた時、私はその男性にあの時の教師の影を見た。小学校があるのは福岡で、ここは東京だから、目の前の男性があの時の教師である確率は低いだろうが、この男性が本当に教師であるか否かはどうでもよかった。その男性のたるんだ出腹と、東京に似合わないダサい服装と、妻らしき女性の傷んだ髪の毛と赤縁の眼鏡、そんなものが、私が想像する十年経った後の教師の姿と一致していた。彼らは新宿につくと、慌ただしく降りて行った。全てが情けなかった。十年前、決まりだ決まりだと言っていた男の、出腹。都会のフリをした県の、栄えたフリをした町で、俺はC高校出身だと威張りながら、小学生相手に正義を振りかざす出腹を想像した。滑稽。
 しょうもない記憶なのだから、もう忘れてもいいのである。だが、忘れられなくなってしまっている。
 レモン水を飲む度に思い出す。私はレモン水が嫌いである。