都会人に地方を馬鹿にされた。カンカンである。
その都会人には、地方出身者を馬鹿にしたという気は、サラサラないであろう。だが、あれはれっきとした侮辱である。私は怒っている。怒っていることも知らないだろう都会人に、ますます怒る。スン、とした態度が、気に食わない。
それは、ある授業の後だった。同学年の履修者同士で集まって、談笑していた。ふと、一人暮らしの話になった。私は、住んでいるところの話をした。有楽町線の話をした。そしたら、そこにいた東京人は、有楽町線の話をされても、分からなかったようだ。それが、気に障ったのかもしれない。その人は、私に向かって、私より東京に詳しくなっちゃって〜、と言った。む、と思った。足掛け2年住んでるんだから、詳しくもなるだろう。地方出身で、メトロに詳しくて、東京出身で、路線に詳しくないことだって、あろう。私は少し、む、としたが、それは飲み込んだ。
問題は、その後である。今度は違う人が、私に、就職はどっちでするの?と聞いてきた。地元か、東京か、ということである。そりゃ、東京しかないので、東京、と答えると、その人はこんなことを言ったのだ。
「地方の人の方が、東京に残りたがるよね」
この言葉に、私は激昂した。明らかな、侮辱。その人の顔面を、ぶん殴りたい気持ちになった。何が、何が地方の人は東京に残りたがる、だ。馬鹿にするな、馬鹿にするな。事情を知らないにも程がある。喋るな。しかし、その人は、私の気持ちなんか知りもせず、続けて、無遠慮に、自分の地元、埼玉の自慢までし始めた。埼玉は、東京に近いし、でも東京ほど人も多くないし、快適。埼玉を、出ようと思わない、東京に、住もうと思わない、なんて言うのである。よく、そんなことが言えたものだ。のうのうと、暮らしているから、言えるのだ。腹立たしい。腹が立つ!お前に、何が分かる。
だいたい、就職はどちらでするのか、というのがまず愚問。言いたくはないが、この大学を出て、地方に帰っても、就職先などない。就職活動のために、地元に帰るくらいなら、初めから地元の大学に行っている。地元は、学歴社会。都会人が思っているような学歴ではなく、もっと歪んだ、ひどい序列。この世の中で一番いい大学は、Q大で、その次は、K大。国立大であることが、全て。県名が頭につく大学こそ、素晴らしい。私立は、ダメ。親不孝。しかし、私立でも、S大とか、F大とかなら、まあいいだろう。こんな具合なのである。私が、自分の大学を名乗ったところで、誰も分かりやしない。私は、それを承知で、ここに来た。つまり、地元を捨てて、来たのである。それを、どっちで就職するの?なんて、無知。恥。
まあ、知らないのは、いいだろう。知らないのは、仕方ない。しかしその後が、まずかった。地方の人こそ、東京に残りたがる、この言葉、あまりに私を、馬鹿にしている。それは、お前が、関東出身だから、言えるのだ。東京も近いし、便利だし、そりゃ、東京に出て来なくても、いいだろう。埼玉が好きなら、どうぞ、残りなさい。埼玉の良さなんて、いついくら言っても、一向に構わないが、あたかも私を、東京に魅入られている人のように扱い、私を馬鹿にした上で、自慢げに語るのは、それは、それはあまりに失礼だ。
ああ、なぜ都内人は、こんなに無遠慮なのか。何となしに、私を馬鹿にできるのか。それでいて、私のことを、地方へのコンプレックスを持った人間などと、評するのだろうか。
太宰治の文学について、都会の学者が、太宰の根底にある、地方出身者であることのコンプレックスが、とかなんとか書いているものを見ると、辟易する。何も、分かっていない。太宰を読む資格が、全くない。文章を読んで、分からないか。彼の、地元への、愛が。青森出身であることを恥じたことなんて、一度もないに、決まっている。地方出身者が言う、地方はだめだとか、都会はいいよとか、そういうものは、全部、照れ隠し。本当は、誰だって、自分の地元が一番だと、思っている。地方において、身内を下げて悪く言うことが、最大の賛辞であると、知らないのだろう。
もし、コンプレックスというものがあるとするなら、それは、東京へ出てきたことへの、コンプレックスだ。
一昨日、地元からはるばる姉が遊びに来て、二人で、東京をまわって、東京のど真ん中で、二人だけ、筑後弁を喋って、ちょっと、浮いていて、その切なさと、楽しさたるや。姉が帰り、寂しさに堪えかねて、一人でバスに飛び乗り、向かったお台場で見た、レインボーブリッジの輝き。Instagramに投稿したら、同じく、地元から東京に来た子がくれた、いいねのハートの、あたたかさ。
私と、地元の、複雑な距離感を、解さぬ都会人に、送る文章である。