考えなければならないことが山積していたが、何一つ考えられなかった。コンクリートの中からコンクリートの街を眺めていても、頭も心も硬くなるばかりだった。深夜に思い立って、明朝に東京を発った。鉄の塊に乗って、とにかく西を目指した。飛行機、地下鉄、ローカル線を乗り継いで実家の最寄駅に着くと、そこには一面、菜の花が揺れていた。
雄大な緑の波が私を包み込む。大きな青い空に、若麦の青はよく映えた。家は春の匂いで満ちていた。犬からは太陽の匂いがした。
姉とラーメン屋に行った。白濁したとんこつスープに薄いチャーシュー、細い麺。これぞ博多ラーメン。私はこの間池袋で食べたラーメンを思い出した。人気の店で、1時間待って食べたけれど、味噌味のスープも、角煮のチャーシューも、太い麺も、何もかも口に合わなかった。
自分はださい人間だ。東京で一番人気のラーメンをおいしく食べられない。納豆についてくる塩辛いタレもカラシも使わず、実家から持ってきた甘いタレをかけて食べる。学食のコシの強いうどんが食べられないからいつもそばを食べる。お寿司屋さんにある「九州さしみ醤油」ばかり使う。
将来の夢を叶えるために東京にきた。予定より2年遅れたけれど、強い信念を持ってここまできた。憧れのテレビ局でバイトを始めた。後はもう、夢を叶えるだけというところまで来て、見渡す景色に足をすくませている。
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中一の頃、理科の授業でガスバーナーを扱った。油でギトギトになったガスバーナーを見て私は「うわあ、汚い」と言った。すると同じ班の男子が「お前の顔の方が数倍汚い」と言った。その後も彼は「お前みたいなブスな顔、生まれて初めて見た」「〇〇小から来たやつってブスだよな、まあお前だけだけど」「お前ほんっとブスだよな」などとありったけの罵詈雑言を私に浴びせた。何を言われているか分からなかった。どれも生まれて初めて言われた言葉だった。友達に相談すると「〇〇君のこと好きなの?」と聞かれた。否定すると、「じゃあ気にせんでいいやん」と言われた。そういうもんか、と思った。辛かったね、〇〇くんもそんなこと言うなんて酷いね、なんて言ってくれる人は一人もいなかった。
その後、なぜ私はこんなことを言われたのか考えた。私がブスだからいけないんだと、そればかりに帰結させなかった。汚いシャーペンを使っていたこと、髪の毛がくしゃくしゃだったこと、顔以外に原因は色々あると考えた。お金がなかったから、誕生日に友達から可愛いシャーペンを買ってもらった。毎日ヘアアイロンをして学校に行くようにした。私と同じような顔をしていてもこんな悪口を言われていない子の共通点を考えた。彼女らはみな成績がよかった。だから私も必死で勉強した。中一の終わりにはかなり成績を上げた。
中二になって、「もこちゃんって友達いないくせに調子乗ってるよね」と言われた。私は「そういうこと、全教科90点以上取ってから言ってくれる?」と返した。「悪口言う暇があったら勉強しなよ」と、相手を憐れむような目でまっすぐ言った。それ以来、悪口も仲間はずれも殆どなくなった。
あの時、中一の辛い時、不登校になるとか、周りに頼るとか、いろんな選択肢があったと思う。でも私は、自分自身の強さでそれらを乗り越える選択をした。自分を変えることで環境を変えるという選択をした。それは強烈な自意識を育て上げた。
あれからずっと、誰よりも何よりも尊い自分を抱えながら生きている。
あの時誰も守ってくれなかった自分を、私だけは見放さない。
何かうまく行くことがあれば、私は必ず過去の自分に語りかける。
今は辛いかもしれないけど、自分を信じればきっと大丈夫。未来の私は、ずっとあなたの味方だと。
…
麦の波を背に、電車に乗り、空を駆け抜け、灰色の街へ戻ってくる。考えなければならないことは、考えられないまま放置されている。その間に、将来の夢が少しずつ、少しずつ遠ざかっていく。
だが、急いで出した答えに、自分が満足できるとは思えない。自分を背負いながら歩き続ける私は、その分不自由なこともあるけれど、それも含めて私なのだ。
懊悩の中、筆を置く。






