養花天

考えなければならないことが山積していたが、何一つ考えられなかった。コンクリートの中からコンクリートの街を眺めていても、頭も心も硬くなるばかりだった。深夜に思い立って、明朝に東京を発った。鉄の塊に乗って、とにかく西を目指した。飛行機、地下鉄、ローカル線を乗り継いで実家の最寄駅に着くと、そこには一面、菜の花が揺れていた。

雄大な緑の波が私を包み込む。大きな青い空に、若麦の青はよく映えた。家は春の匂いで満ちていた。犬からは太陽の匂いがした。

姉とラーメン屋に行った。白濁したとんこつスープに薄いチャーシュー、細い麺。これぞ博多ラーメン。私はこの間池袋で食べたラーメンを思い出した。人気の店で、1時間待って食べたけれど、味噌味のスープも、角煮のチャーシューも、太い麺も、何もかも口に合わなかった。

自分はださい人間だ。東京で一番人気のラーメンをおいしく食べられない。納豆についてくる塩辛いタレもカラシも使わず、実家から持ってきた甘いタレをかけて食べる。学食のコシの強いうどんが食べられないからいつもそばを食べる。お寿司屋さんにある「九州さしみ醤油」ばかり使う。

将来の夢を叶えるために東京にきた。予定より2年遅れたけれど、強い信念を持ってここまできた。憧れのテレビ局でバイトを始めた。後はもう、夢を叶えるだけというところまで来て、見渡す景色に足をすくませている。

中一の頃、理科の授業でガスバーナーを扱った。油でギトギトになったガスバーナーを見て私は「うわあ、汚い」と言った。すると同じ班の男子が「お前の顔の方が数倍汚い」と言った。その後も彼は「お前みたいなブスな顔、生まれて初めて見た」「〇〇小から来たやつってブスだよな、まあお前だけだけど」「お前ほんっとブスだよな」などとありったけの罵詈雑言を私に浴びせた。何を言われているか分からなかった。どれも生まれて初めて言われた言葉だった。友達に相談すると「〇〇君のこと好きなの?」と聞かれた。否定すると、「じゃあ気にせんでいいやん」と言われた。そういうもんか、と思った。辛かったね、〇〇くんもそんなこと言うなんて酷いね、なんて言ってくれる人は一人もいなかった。

その後、なぜ私はこんなことを言われたのか考えた。私がブスだからいけないんだと、そればかりに帰結させなかった。汚いシャーペンを使っていたこと、髪の毛がくしゃくしゃだったこと、顔以外に原因は色々あると考えた。お金がなかったから、誕生日に友達から可愛いシャーペンを買ってもらった。毎日ヘアアイロンをして学校に行くようにした。私と同じような顔をしていてもこんな悪口を言われていない子の共通点を考えた。彼女らはみな成績がよかった。だから私も必死で勉強した。中一の終わりにはかなり成績を上げた。

中二になって、「もこちゃんって友達いないくせに調子乗ってるよね」と言われた。私は「そういうこと、全教科90点以上取ってから言ってくれる?」と返した。「悪口言う暇があったら勉強しなよ」と、相手を憐れむような目でまっすぐ言った。それ以来、悪口も仲間はずれも殆どなくなった。

あの時、中一の辛い時、不登校になるとか、周りに頼るとか、いろんな選択肢があったと思う。でも私は、自分自身の強さでそれらを乗り越える選択をした。自分を変えることで環境を変えるという選択をした。それは強烈な自意識を育て上げた。

あれからずっと、誰よりも何よりも尊い自分を抱えながら生きている。
あの時誰も守ってくれなかった自分を、私だけは見放さない。
何かうまく行くことがあれば、私は必ず過去の自分に語りかける。
今は辛いかもしれないけど、自分を信じればきっと大丈夫。未来の私は、ずっとあなたの味方だと。

麦の波を背に、電車に乗り、空を駆け抜け、灰色の街へ戻ってくる。考えなければならないことは、考えられないまま放置されている。その間に、将来の夢が少しずつ、少しずつ遠ざかっていく。
だが、急いで出した答えに、自分が満足できるとは思えない。自分を背負いながら歩き続ける私は、その分不自由なこともあるけれど、それも含めて私なのだ。

懊悩の中、筆を置く。

上58

こんにちは。もこです。春気分で書いたのですが、今日は寒すぎますね。

都営バス上58。早稲田と上野を繋ぐ路線バス。ふわりとバスに乗り、ゆうらりとバスに揺られながら、流れる景色を見る。春の風は、いろんな記憶を運んでくる。

次は、護国寺正門前、護国寺正門前です。

上京してすぐ寮に入ったが、だだっ広い田舎で育った私に、都会の寮は窮屈だった。するりと寮を抜け出して、ふわりとバスに乗る。寮のご飯を食べずに、恋人の家で食べる牛丼が好きだった。

次は、大塚三丁目、大塚三丁目です。

この近くに、私が落ちた大学がある。ずっと行きたいと思っていた大学だった。センターもニ次試験も頑張ったけれど、不合格。成績開示をしたら、たった1点足りずに落ちていた。

次は、千石三丁目、千石三丁目です。

受験なんてもう昔の話である。あれからもう3年も経っている。でも、落ちた時のことを思い出すと、今でも、涙が出てくる。もし二次試験の日に、総武線と中央線がトラブルで停止しなかったら。私が使う丸の内線に人が溢れかえらなかったら。初めての東京、乗車率120%の電車、体を触る変な男、それら全てなかったら、1点くらい、取れたのではないか。
考えても仕方のない話を、3年間、考え続けている。

次は、千石二丁目、千石二丁目です。

18歳で上京する予定だった。けど私が東京に来れたのは、20歳の時だった。あの時1点足りていて、高校を卒業してすぐ上京していたら、私は地元嫌いになっていただろうな。親とも仲が悪いままだったろう。

次は、千石一丁目、千石一丁目です。

大学1年生の一年間を地元で過ごして、本当に良かったと思う。高校の頃は母親と喧嘩してばかりだったけど、あの一年間たくさん話したおかげで、今はマブダチみたいになった。

次は、文京グリーンコート前…

親がゆるくていいね〜なんて言われることがあるが、そんなことはない。鬼のように厳しい親だ。今は、なんでも話せる関係値になっているということ。話せば分かるから、行動に理解が得られているということ。
でも、親も歳を取って、かなり丸くなった。

次は、上富士前、上富士前です。

最近、大きな地震があった。地元にいた頃は、東北が震源地の緊急地震速報を見ても、何とも思わなかった。でも今はそれを見て、大きな地震が来るかもしれないと怯える。

次は、本駒込五丁目、本駒込五丁目です。

寮を出てこの家に住むことになった時、関東の友達が「九州の感覚で上の方に物を置くなよ」と忠告してくれた。だから私は、高いところに何も置いていなかった。その友達は、大きな地震があると毎回私に心配の連絡をしてくれる。今まで出会ったどんな男性よりイケメンな、本学のお友達。

次は、本駒込四丁目、本駒込四丁目です。

熊本地震は怖かった。私はあの時、塾の帰りで、電車に乗っていた。電車がぐわらんぐわらんと揺れた。揺れがおさまったら、声が大きい男子高校生が「熊本震度7げな!」と叫ぶ声が聞こえた。

次は、動坂下、動坂下です。

東京は坂が多い。平野生まれの私は、道の途中に階段があるとワクワクした。でも今は、少し怖いと感じる。坂は、あの世とこの世が交差する場所らしい。黄泉比良坂、とか。上代文学を専攻している人がいたら、少し聞いてみたい。

次は、道灌山下、道灌山下です。

最近恋人と京都に行ったのだが、それ以来どうも恋人の様子がおかしい。貴船神社の奥宮まで行って、嫌な何かをもらってきたのかもしれない。そう思った私は、貴船神社で買った厄除けのお守りを、寝ている恋人の近くに置いておいた。すると恋人はううんううんとうなりはじめた。それから一晩中うめいていた。しかし次の日の朝、すっきりした顔をして起きてきた。憑き物が落ちた様子とはまさにこれ。奇妙だが、本当の話。

次は、千駄木三丁目、千駄木三丁目です。

……なんだか眠くなってきた。

次は、団子坂下、団子坂下です。

かの有名な、D坂。乱歩の小説は、あまり読んでいないが…。

次は、千駄木二丁目、千駄木二丁目です。

次は、根津神社入口、根津神社入口です。

ピンポーン

バスを降りて、バスを見送る。
今日の旅はここまで。

夢八夜

こんにちは、もこです。でも今日は、ともです。

私にはもう祖父母が誰一人としていない。
みんないなくなってしまった。

私が3歳の時には既に、母方の祖父以外は全員他界していた。
それからずっと、母方の祖父は、私のたった1人のおじいちゃんとして、私を可愛がってくれていた。

そんな祖父も、私が中学一年生の頃に亡くなってしまった。
それからずっと、祖父母がいない生活を送っている。

大学生になっても、まだ祖父母が生きている人は多い。ブログでも、おじいちゃんおばあちゃんのほっこりする話を見かけるし、さらにはひいおばあちゃんの話まで出てきて、驚くことがある。

羨ましいと思っている。

両方の祖母を幼い頃に亡くした私には、おばあちゃんという存在が、どういうものなのか、よく分からない。
自分の父や母に、さらに母親がいるというのが、ちょっと信じられない。
優しくしてくれる存在なのか、可愛がってくれるのか。昔の話など、聞かせてもらえるのか。

でも、おばあちゃんがという存在がよく分からなくても、おじいちゃんがどんな存在なのか、私はよく知っている。
祖父は2日おきくらいに私の家に来ては、いつも私を車でいろんな場所に連れて行ってくれた。
本当によく可愛がってもらった。
 

祖父の夢を見た。
亡くなってからもう何年も経っているというのに。

夢の中で私は、祖父の家にいた。お正月のような雰囲気だった。祖父は食器棚の前で、伯父と談笑していた。私が来ると、ここの食器はともんために残しとる、と祖父が言った。もう捨ててもよかばってん、ともが使えるごつ、残しとる。
祖父はいつものように笑っていた。

すっと場面が変わって、私は自分の家にいた。
私は、最近じーじがうちに来ていないね、と言う。
母は、そうやね、と言う。
祖父は私たちの家に頻繁に来ていた。3日来ないことがあれば、電話することになっていた。もう、1週間くらい来ていない気がしていた。なんで、最近来ないんだろうと思っていたら、目が覚めた。

目が覚めて、思い出した。
もうこの世に祖父はいないのである。
だから、来ないのである。

亡くなってからもう8年も経つのに、気づかなかった。

食器を残してある、と祖父は言っていた。
祖父は知らないのかもしれない。
祖父の家は、もう無いということを。

祖父の死後、親族間のあれやこれやで、祖父の家は取り壊されてしまった。簡単に言うと、名義が祖父のものではなかった。

私は中学校の頃、駅から自転車で学校まで通っていた。祖父の家は駅と学校の間にあった。いつも通る道ではなかったが、行こうと思えばいつでも行ける所にあった。学校帰りに遊びに行くこともあった。

祖父の家がむざむざと破壊されるのを、私は毎日見ながら帰った。見に行っても、祖父はそこにいないし、家が戻るわけでもないのに、毎日毎日見に行った。

毎年お正月に親戚が集まった部屋も、かくれんぼをした押し入れも、毎年クリスマスツリーを飾ったあの部屋も!祖父がいつもいたリビングも!家に乗り込んだ重機は無慈悲に全てを破壊した。
むき出しになった柱。破壊された柱と柱の間から見える、壁紙の模様。何度見に行っても、戻ることはない。だけど私は、毎日毎日、見に行った。

祖父は夢で、私のために食器を残してあると言った。でも、食器はおろか、家さえ無くなっているのである。夢に出てきたあの場所も、もうないのである。私がこれからあの場所に行くことも、祖父に会うこともない。夢の中でだけ、祖父がいないということも忘れて、あるはずのない家で、笑えるのだ。

祖父は大晦日に倒れた。そのまま、8年前の明日、亡くなった。
膵臓がんだった。
膵臓がんの5年後生存率は、8パーセント未満。
助からないがんである。

祖父が元気な時、たくさん遊んだし、入院してからも毎日自転車で病院に通った。亡くなってから、もっとこうしておけばよかったという後悔はなかったし、死もすっかり受け止めていると思っていた。でも、まだ、祖父を思い出しては、悲しくて泣けるのだ。

そういえば祖父は、タイミングよく夢に出てくる。ポメラニアンの子犬を飼った時も、夢に出てきて、家に来たばっかりの犬を眺めていた。あはは、新しい犬を見にきたんだねと、母と笑い合ったのを覚えている。
今回も、私が家で茶碗を割ったから(なのに新しいのを買わずに味噌汁椀でご飯を食べていたから)、しびれを切らして出てきたのだろう。ちゃんと、見られている。

明日は祖父の命日である。

次はいつ会えるだろうか。

レザー・ミニ・リボン・スカート

あけましておめでとうございます。もこもこです。

ダブルミーニングです。

私は1月前半のブログ更新をすっぽかしました。
更新しようしようと思ったまま1ヶ月過ぎました。ごめんなさい。
たまたま1月後半の更新はお休みだったので、このサイトに顔を出すのは2022年になって初めてです。
あけましておめでとうございます皆様。今年ももこをよろしくね。

もう一つ、春節です。
私には中国出身の友達が沢山います。
彼らがみんなして2月1日にあけましておめでとうと言ってくるので、お正月が2回来た気分になりました。
1月31日に友人の一人に中国語の質問をしたら、「今日は大晦日だから餃子を作っている、忙しい。」と餃子の写真付きで返されました。中国文化を凝縮したような返信。
新年快乐、万事如意。

少し前にヒールの話をした。
あの時買ったブーツは最近雑司が谷駅で転んだ時に底が曲がって壊れてしまった。なんて短い寿命。でも君が持つその数センチの厚みが私にくれた勇気は一生忘れない。

しかしまだ履けないことはないので底が不安定なブーツを履き続けている。可愛いから捨てたくない。冬といえばブーツ。そして、ミニスカート。

冬にミニスカートを履く人を馬鹿にして生きてきた。寒いのにわざわざ足を出すなんてと思っていた。
でも実際に履いてみると、上をもこもこに着込んでおけば案外寒くない。室内では汗をかくこともある。悪くないかもと思って、最近はもっぱらミニスカートを履いている。

といっても私が履くミニスカートなんて、膝より少し短いくらいだから、ひざ丈スカートと言ったほうがいいかもしれない。せっかく履くならやっぱり、太ももが見えるくらいのがいい。

そう思って、ギャル向けの服が売ってある店に行ってみた。そしてギャルのお姉さんがギャル語でおすすめしてくれたミニスカートを買った。本当にミニ丈。さらにスリットが入っている。しかもレザー。なんて攻めたスカートなんだ。でも超可愛い。リボンも付いている。可愛い。

新しい自分、といった感じ。
今まで保守的〜な服しか着てこなかったけれど、ギャルっぽい服も案外似合うじゃん。楽しくなってきたので爪を全部金色に塗った。

ミニスカートも地雷系のフリフリの服もチェーンがついたストリート系の服も、可愛いな、とは思っていたけれど、自分が着る服ではないな、と同時に思っていた。

でもそんなこと、誰が決めた?

私は今まで自分が好きな服を着ていた。だが、そもそも「自分が好きな服」の範囲を自分で勝手に決めてしまっていた。

本当に、どんな洋服を着てもいいのだ。
好きな服を着る、新しい自分に出会う、気分が上がる。とても楽しい。

今年はいろんな服をたくさん着よう。

2022年、自由な年に。

入試シーズンですね。
受験生の皆さんは、それぞれいろんな思いを胸に、受験当日を迎えているものと思います。

試験はリラックスして、自分の力を発揮できればいいのですが、なかなかそう上手くはいきません。
緊張して上手くできないことだってあるでしょう。
私は現役生の頃、試験終了後泣きながら某大学を後にしたことを覚えています。

でも、どんな結果になっても、今を楽しむことが一番大事だと私は思っています。
上手くできてもできなくても、自分の人生を決めるのは自分自身です。人生に成功も失敗もありません。

受験当日、試験に集中すること、それはもちろん大事ですが、その後、上手く行ってもそこで終わりにせず、上手くいかなくても自分を責め続けることのないように、してくださいね。

皆さんのご健闘をお祈りしております。もこより。

ブログを振り返る

こんにちは、もこです。
今年最後の更新になりました。

ブログを書き始めてからしばらく経ちました。
上手くかけた日もあれば、ひどい出来の時もあり
みんなに見て欲しい投稿もあれば、
誰にも見て欲しくない投稿もあります。

私の友人は、意外と私のブログを読んでいるようで、
こんなに読まれているんだったら、もっと慎重に書かないといけないなと思うことかあります。

しかし書いているとなんだか心の奥底からどんどん言葉が湧き上がってきて、
こうなると恥も外聞もかなぐり捨てて
思ったことをそのまま書いてしまいます。

書いていると自分も知らないような自分の言葉が出てきます。

それらの言葉は私の心の中と、ブログにしか現れないもので、
普段ぺちゃくちゃ喋っている、もこの外側の人の口からは絶対出てきません。

だからブログを読まれると、心の中を読まれたような気分になります。

ここ一年で一番上手く書けたのは、2021年7月4日の投稿、「川祭り」です。
このブログはお二人の先生に読んでもらったのですが、どちらの先生もたくさん褒めてくださいました。
一人はブログ内に登場してくださってます。あの時の会話を、上手く昇華してくれてありがとう、というメッセージが届きました。嬉しかったです。
お二方とも本学の先生ではないのがとても残念ですが、自分の人生の中で、少しでも関わることができてよかったと思っています。

ここ最近で一番反響が大きかったのは、2021年10月7日「金曜日」です。
冒頭で持って行かれた、気づいたら全部読んでいた、純粋にすごいと思った、などなど、内容に衝撃を受けたという旨の感想が届きました。
これは昔からずっとあっためていたブログで、いつか公開したいと思っていましたが、内容が内容なので渋っていたものです。思い切って投稿してよかったと思う反面、ちょっとギリギリを攻めたかもしれないな、と思っています。

自分が一番気に入っているのは、先ほどの投稿の一つ前、2021年9月5日の「S先輩リスペクト」です。
S先輩の名前を出さずに亀の話をするのが申し訳なくて、タイトルに無理やり書きました。
うちの犬は不思議なものを見ると、それを前足でべしべし叩く癖があり、あの時も亀を叩いていました。そしたら叩かれた亀が怒って犬に威嚇し、犬はびびって後退りし、ものすごくおかしかったです。

後はもこのブログといえば文学シリーズだと勝手に思っています。しっかり書いたのは志賀直哉、高村光太郎、小林多喜二、若干触れたのは永井荷風、石川啄木、青鞜参加者の短歌少し。二番目に好き、くらいの近代文豪の話をたくさん書きました。つまり今までのブログ以上の熱量を持って語れる文豪がまだ2、3人控えているということです。愛が強いと書くのも大変なので、四年生までに語れるかどうか。
ちなみに私と旅行に行くと相手が誰であろうが文学館に連れて行くのであまりおすすめしませんが、それでもいい人は一緒に行きましょう。

なんとなく一年の終わりにふさわしく、振り返りができたかなと思います。

これからもどうぞ、もこのブログをご愛顧のほど。

皆さん良いお年を👋

蜘蛛の意図

こんにちは、もこもこです。
寒いのでもこもこになりました。

家の中でクモを飼っています。2匹。

全身が茶色いのが茶吉、
黒くて背中に白い模様があるのがサンダーです。

2匹とも私の部屋の中で放し飼いしているので、
勝手に小さな虫を食べてすくすく育っています。

家の中に出るクモで有害なクモはほぼいません。
クモはゴキブリを食べてくれます。

私の実家は毎夏ゴキブリに悩まされていましたが、家の中のクモを殺さないようにしてから1年に1回も出なくなりました。

クモもいろんなところを動き回っているので、その手足が不衛生だと言う意見もあります。

しかし私は家に出たクモは殺さないようにしています。家の中の害虫駆除をしてもらうためです。私の部屋にはクモはいますがコバエはいません。

さて私の家にいるクモの話をしましょう。今回の主人公は茶吉です。
茶吉はいつからか私の部屋に住み着いていた全身茶色の小さいクモで、よく枕元に出現します。
茶吉を観察していると、たまに手をスリスリして何かを食べているので、きっと私の部屋の汚い何かを綺麗にしてくれているんだろうなと思っています。

その茶吉ですが、最近失踪していました。

事件は私がコロッケを作った日にありました。

じゃがいもを丸めて衣をつけている時、茶吉はいつも通り壁をうろうろしていました。私は気にせずコロッケを作り、揚げ始めました。事件が起こったのはコロッケを食べ終わった後です。私の部屋はワンルームなので揚げ物をすると油のにおいで充満してしまいます。とてもくさいので私はリセッシュを振りまきました。抗菌!ウイルス除去!そう書かれたリセッシュをシュッ、シュッ…。

だいぶにおいが取れたかなと思った時、ふと上を見上げると、天井にへばりつく茶吉の姿を見つけました。私は、しまった!と思いました。茶吉にとってこの抗菌リセッシュは殺虫剤のようなものです。床にいたら死んでしまうかもしれないので、茶吉は天井に避難していたのです。茶吉!ごめんよ!と思いましたが、茶吉はトボトボと玄関の方へ行ってしまいました。

それ以来、めっきり茶吉は姿を表さなくなったのです。

もう私は悲しくて悲しくて、仕方ありませんでした。どんな時も一緒にいてくれた茶吉。一人さみしくこの部屋で暮らしている時、部屋をウロウロしている茶吉の姿を見て何度癒されたことか。私が無神経にリセッシュを振ってしまったが故に、彼はいなくなってしまった。私のせいです。本当に悲しくて涙が出ました。

茶吉がいなくなって2週間ほど経ったある日。課題を終わらせた私は布団に横になろうとしました。そしてふと壁を見ると、なんと!茶吉がいるではありませんか!

おかえりー!!

ちょっと旅に出ていただけだったのか、茶吉はちゃんと私の部屋に戻ってきてくれました。
嬉しくてたくさん話しかけました。茶吉はいそいそと押し入れの中にいきました。

本当によかった。もしかしたら死んでしまっているかもしれないと思っていた茶吉が元気に帰ってきてくれて、私は感無量でした。
もうリセッシュは振らないと決めました。

これからも私は茶吉と仲良く過ごしていきたいと思います。

ヒールで広がる私の世界

こんにちは、もこです。

ヒールのある靴は避けていた。恋人の身長が163㎝だったので、私がヒールを履くことで彼の身長を超えてしまわないようにしていたのだ。

でも、最近お店で一目惚れして、5cmのヒールがあるブーツを買った。

そのブーツはとてもかわいくてどんな服にもよく合ったから、私は毎日のようにそのブールを履くようになった。

バイト先にもそのブーツを履いていった。

そこで私は、その5cmのヒールが私に大きな自信を与えてくれることに気付いたのである。

その日は初対面の同世代の男性と仕事をしなければならなかった。しかし私はその人に対して不必要に怯えたり、見栄を張ったりすることがなかった。友達と話すときのように、自然体で彼と話ができた。ヒールのおかげで、目線が同じだったからである。いつもみたいに、男性に見下されているように感じることもなかった。また、女性と話すときも、ヒールを履いていればだいたいの女性と同じ身長、もしくはそれ以上なので、背の高い女性に対して持っている恐怖も全く感じなかった。

たった5㎝でここまで変わるものかと正直驚いた。でもこの5㎝が私にとってはとても大きかった。自分が知らず知らずのうちに、背の高い人の前でこわばってしまっていたことを知ったし、それはヒールを履けば解決するものであることも知った。

5㎝でこれなら、と思って私はすぐに9㎝ヒールのパンプスを注文した。すっきりしたシルエットのおしゃれな靴だった。

さっそくこのパンプスを履いてお出かけしてみた。

サンシャインシティで3時間くらい買い物をし、サンシャイン水族館に2時間ほどいて、ご飯を食べる時間や行きかえりも合わせると7時間くらい高いヒールの靴で歩きっぱなしだったのだが、あまり疲れなかった。むしろ自分が普通の女の子よりちょっと高い目線を手に入れたことで、普段よりストレスがなかった。私は人混みも、ショップの店員さんに話しかけられるのも苦手だったけど、ヒールを履いていればどれも気にならなかった。

背がちょっと高いだけで、こんなに生きやすいのか、と漠然と思った。背の高い男性も、人混みも、一生苦手なままだと思っていたけれど、ひょんなところに解決策はあるものだなあ。これからも初対面の人と関わる機会が多い時は、ヒールのある靴を履こう。

次あなたが見かけるもこは、いつもより背伸びしているかもしれません。

丘に立つ

今日は旧中野刑務所正門に行ってきた。

昨日の夜、この場所を5日と6日の2日間だけ一般公開するというニュースを見た。

すぐに、行こうと決心した。

この刑務所は昭和前期、小林多喜二も収容されていた場所だ。

先日、小樽に行った。

昔は商業で栄えていたらしい小樽も、今は綺麗な観光街になっている。小樽運河を挟むたくさんの倉庫は、かつての商業都市としての賑わいを今に伝えていた。

小樽といえば多喜二、多喜二といえば小樽。

同行人は文学に疎い人だったけれど、私が私立小樽文学館に行くことを快く了承してくれた。

小樽文学館には、本学の先輩がいると、某先生に伺っていた。
受付でその人について聞いてみると、たまたま今日はお休みです、と伝えられた。
ちょっと、残念。

小樽と言えばもう1人、伊藤整。

今年の夏、「若い詩人の肖像」を少し読んだ。

伊藤と小林は同じ学校である。伊藤の目から見た若い小林の描写が好きだった。

小樽文学館には、伊藤整の仕事場が展示してあった。

これが、ものすごくいい。
私はこの展示だけで10分ほど費やした。
伊藤整の仕事場がそのまま再現してあり、当時の新聞、原稿なんかもそのまま触れるところに置いてある。本棚には青踏もあった。文学好きにはたまらない。

さて、伊藤整の展示のすぐ後に、多喜二についての展示がある。
わずか29年の生涯だったが、その内容は濃い。
文学館に書簡や原稿が展示されているのは一般的だが、それに加え小樽文学館には多喜二のデスマスクが展示されていた。

デスマスクなんて、初めて見た。
左目には、しっかりと切り傷が入っている。
多喜二の遺体を囲む同志たちの有名な写真、多喜二の遺体の左目部分は大きく腫れ上がっている。
ちょうどその部分の傷が、デスマスクに残っていた。

旧中野刑務所正門は有名な建築家、後藤慶二の代表作である。2日限定公開ということで多くの人が訪れていた。

多喜二がここに収容されていたのはわずか5ヶ月のことらしいが、多喜二の無二の友、中野重治が多喜二の死を知ったのはこの獄中である。

今はもう正門しか残されていないが、今日ここにきていた年配の方が、昔はずらーっとレンガがあそこまで伸びていた、なんて話していたのが印象的だった。

研究者のような風貌をした人たちが、熱心に写真を撮ったり、記録したりしている姿も見られた。

来訪者にはアンケートが依頼された。
その中に、いずれこの正門は曳家し一般公開するが何かアイデアはあるか、という項目があった。

建築がフォーカスされがちなこの正門だが、収容された活動家、文学者たちの紹介もして欲しい、と書いた。

貴重な資料には、様々な人が様々な視点を持ってやってくるものだ。

小林多喜二の母、セキは小学校も出ておらず、読み書きを習い始めたのは多喜二が獄中にいる時だった。字が書けないために、獄中にいる息子に手紙さえ出せないことを悲しんでいたという。

そんなセキが、息子の死を悼んで残した詩がある。これはセキの没後、遺品整理をしていた親族が見つけたもので、展示されていた紙切れには文字がひとつひとつ丁寧に書かれていた。

あーまた二月の月がきた
ほんとうにこの二月とゆ月がいやな月

必死に読み書きを覚えた母が息子を思って綴った詩。

当時、読み書きのできない女性がたくさんいたこと。
活動家は拷問死したこと。
文化財として展示される刑務所。

文学には何ができる?

金曜日

 こんにちは、もこです。

 小学生の頃に詐欺に遭ったことがある。小学校から帰ってきて、一人で留守番をしている時だった。家に一本の電話がかかってきて、「〇〇の母です、もこちゃん、こんにちは!」と言われた。私は、ああ、〇〇くんのお母さんから電話か、と思った。何も疑わなかった。
 …その後はちょっと話せない。話すようなことでもない。親からは、大人が子供を騙すのは簡単なのだと教えられた。

 それ以来詐欺らしい詐欺には遭っていないが、昔よりもかなり気を張っておかないといつ騙されるか分からない世の中になったと感じる。早いうちに詐欺の恐ろしさを教えてくれた、あの時私を騙した女には感謝している。優しい声をした、いい女だった。

 大人になって、お金のためなら人はなんでもできるのだと実感した。始めは不安だらけだったコンビニでのバイトも、お金を貰えるのだと思えばどんなことだってできた。吐瀉物の掃除も飛び散らかされた糞尿の掃除もした。それでも自分の口座に振り込まれた数万円は何よりもいいモチベーションになったし、月々増えていく私の貯金額は何よりも私を強くした。

 その貯金は春と秋にごっそり大学が奪っていく。学びはタダではない。学校に行くということは、お金がいるということ。お金がいるということは、働く必要があるということ。働く必要があるということは、その分の時間は学びに割けないということ。
 いつだって、お金がない方が、生きづらい。

 大学に入学したての頃、奨学金の面接を受けていた時、事務の大人は言った。「バイトをしながら学校の勉強も頑張るのはかなり難しいことです、それがあなたにできますか?」
 それに対して私は「はい、頑張ります」とは言ったが、なぜそんなことを言われたのか分からなかった。できるか、できないかではなく、やるか、退学か、である。

 労働に、少し見合わないくらいのお金を貰えるのが一番幸せだ。そんなお金を大事に大事に使いたい。大学は私のお金を容赦なくもぎ取っていくけれど、手元に残す分で、お菓子を買ったり、スカートを買ったり、ヘアオイルを買ったり、そういうのが楽しい。

 お金持ちになったらやりたいことリストというのを作った。今のところ、ウォーターサーバーを置く、空気清浄機を置く、ダスキンをとる、などがある。でも、お金持ちになっても私は、穴が空いた靴下を縫って使うだろうし、バーゲンの日に流行遅れの洋服を買うだろうし、エアコンはあまりつけないと思う。自分の生き方を超えない範囲の、ちょっといい暮らしがしたい。

 東京に来てから始めたバイト先に連絡したいことがあり、私から電話をかけた。電話先の相手は「あ、もこさんですね、こちらからかけ直しますね。あなたはお金をとっても気にされる方ですから」と言って、かけ直してくれた。全く、失礼な話だ。私が電話代を気にする性格だと知っているなら、無言でかけ直してくれ。その二言三言に使う電話代がもったいない。
 嫌味を言われても、私はこのケチケチした性格を変えない。変えられないのだ。
 いつか変えられるように、ああ、お金が欲しい。

 私を騙したあの女も、お金をもらったからと言って、小学生を騙すのはどんな気分だっただろうか。たぶん、バイト中の私が無心であったように、あの女も私を騙した時に感情などなかっただろう。ただ、お金が欲しかった、それだけなのだと思う。

 お金は怖いもんである。小学生の私も、大学生の私も、結局はお金に支配されているのである。

S先輩リスペクト

こんにちは、もこです。

昨日、家に亀が遊びに来た。
私が自室でゴロゴロしている時、突然親から「おーい、亀見にこんか~!」と呼ばれた。
は?亀?と思って庭に行くと、庭の横の溝に大きな亀がいた。
この辺で亀がいる場所と言えば、近くの神社の池なので、大方先の大雨の影響でここまで逃げてきたんだろう。立派な亀だ。

亀はのそのそと溝の中を歩いていた。しかしこの溝は短いので、先に行っても行き止まりだ。しばらく観察していると、亀は行き止まりまで進んだ。そしてのそっと方向を変えて、また同じ場所まで戻ってきた。うーん、どうするか。

自分の意志で逃げ出してきたとしたら放っておくのがいいが、この溝にいても長生きはしないだろう。私たちはこの亀がどこから来たか知っているし、元の場所に帰してあげることにした。

亀を捕獲して、井戸水で洗った。溝はとても汚いから、このまま帰すのはよくない。

せっかくなので庭で亀と遊ぶ。そういえば小学生の頃もこんな感じの大きな亀が家付近に逃げ出してきて、しばらく飼っていたんだ。ガラスの水槽を割られてしまったので池に帰したが。亀は力が強い。

犬が亀にちょっかいを出したので、亀に怒られていた。犬はまだ2歳、この亀はもう何年生きているか。

しばらく遊んだので、父親と一緒に亀を神社に持っていくことにした。さっきも言った通り亀はものすごく力が強いので、抱えて持っていくのはよくない。自転車のカゴに入れて運ぶ。

行く途中に撮った写真。昔は道路もなかったから、神社までは綺麗な一本道だった。今残っている田んぼも全部埋め立てるらしい。私は都民だから、関わらないが。

神社の近くにくると、カゴの亀がもそもそ動き出した。近くに来たのが分かったのだろう。神社につくと私は池に降りれる場所まで駆けていった。昔よく遊んだように、柵をひょいと超えて下に降りる。しかしそこは背の高い草がたくさん生えていて、ここ数年子供がここで遊んでいないことを物語っていた。子供が減ったのか、もう神社で遊ぶ子供なんていないのか、知らないが。

亀を石の上にそっと置いた。写真でも撮ろうかと思っていたら、亀はすぐに池の中に飛び込んだ。ドボン、高い水しぶき。すると大きな鯉たちがどんどんやってきた。他の亀もこちらに顔を出した。仲間を帰してくれてありがとうと言っているようだった。

昨日は父親の誕生日だった。誕生日に亀が来るなんて縁起がいいねと、家族で笑い合った。