日文生と読書

皆さんこんにちは。みちこです。

なんとあまり遅刻をしない私が、ブログの更新を遅らせてしまっている、というところから話を始めようかと思います。

というのも、授業で発表するための資料作成、サークル活動のお仕事、自主ゼミのお仕事などあまりにも立て込んでしまっていたからです。(にしてもこんなに更新を滞らせたのも初めてで…ご迷惑おかけして申し訳ございません…。)

そして免許取得のため、「試験場」というところに「学科試験」を受けに行っていたこともあり(「学科試験」に受かって始めて免許が取得できるんです…)それの勉強をする時間も確保しなければならず…という訳で、中々大変な時間を過ごしておりました。

と、言い訳はここまでとしまして。

本日のお話は、この頃少し思っていることを書き残しておこうかな、と思います。

最近私、何が一番楽しいかと言いますと、「大学の授業」なんです!

夏休み終わる頃なんて大学の授業が楽しみすぎて、後期早く来ないかな~授業楽しみだなあ~なんて思いながら日々を過ごしていました。

夏休みに教習所に通っていた、という話をしたと思いますが、教官に「大学で何が一番楽しい?」と聞かれた時に、「授業」と答えて案の定びっくりされたくらいには授業が好きなんです。

というのも、まあ古典文学を学ぶのが楽しいからなんですよね…

今まで知らなかったこと、イメージしていたものと違ったことを、授業受けていくたびに感じられるこの感覚が楽しくて…

そこで今回は、私が今現在思っている古典文学に対する思いや考えを、「読書」という切り口からお話しようと思います。

そしてこのブログ、本当に様々な方に見られているらしいので、本学の先生方に見られているのかと思うと大変恐縮なのですが、一学生がこんなことを思っているんだな、と思ってくれれば幸いです…。

このブログでは少しお話しているのですが、私は2年生に上がったくらいの頃から中古文学に興味を持ち始めました。

その理由は中古文学関連の授業を1年生の時に取っていた、ということと、大河ドラマ「光る君へ」が今年の年始に始まったことの2つです。

昔高校の授業で聴いていてなんとなく好きだった『更級日記』に興味を持って取った授業でしたが、ありがたいことにそこに、2024年1月から始まった「光る君へ」への放送も絡まり、さらに興味を持った、というのがその理由です。

そこから2年生始めに「中古自主ゼミ」に入ろうと思って所属し、さらに興味関心を深めていくべく、私は2年生から大学の図書館で定期的に本を借りて読む、ということを習慣にしています。

理由としては、卒論を書くにあたって知っておいたほうが良い情報や知識を早くから知っておきたかったからという理由ですね。

ーーー3年生では就活も始まりますし、こういうことは興味関心の赴くままにやったほうが鮮度が高いといいますか…。吸収力が高いといいますか…。

と思ったので、2年生の始めの方から借りることが習慣になりました。

そうして読んでいくうちに、新たな価値観・知識などをたくさん知ることとなります。(これは毎授業ごと授業を受けていてもそう感じます。何かしら新たな知識や価値観の収穫があるんです。)

本を借り続けて読んでいくうちに、これが読書本来の楽しみ方か、とだんだん思うようになりました。

勉強する、という行為にもこれと似たような楽しみ方があると思いますが、読書にも同じような効果があることを初めて実感しました。

そしてそんなことを続けていたら、いつしか私は普通の小説を読むことに抵抗を覚えてしまうくらい学術書を読むのが好きになりました!

自分でもびっくりするほど、新たな知識を手に入れられることの快感にとらわれているのです…。

この段階まできて、ふと思ったことがあります。

昔から、「読書は人を豊かにする」とか「読書は考える力を育てる」などいわれて本を読むことが推奨されてきましたが、私はその意味がずっと分かりませんでした。

「小説のような娯楽的な要素を含む書物を読んでも、本当に心を豊かにすることができるのか」、「心を豊かにするとはどういうことなのか」と考えていたからです。

改めて考えると、「心を豊かにする」とはどういうことなのでしょうね。

「想像力を膨らませられる」という意味での「心の豊かさ」なら確かに小説でも満たせると思います。

しかし私は、世間一般にいう「心の豊かさ」とはそうではないような気がずっとしていたのです。

それはどちらかというと、「知的好奇心をくすぐる」類のもの。それすなわち、「書物を読むことで知識を手に入れる」という意味での「心の豊かさ」です。

知識を手に入れるということは、物事のあらゆる事象を深く考えることのできる情報・概念などを手に入れることのできる、ということ。

つまり、この場合の「心の豊かさ」とは、「思考力の深さ」を意味していることになるかと思います。

大人はよく、子どもに「本を読みなさい」と言いますが、(そしてある一定の割合の日文の人間は、どのようなジャンルであれ「本を読むこと」を結果として積み重ねてきたから、今こうして日本文学科に在籍しているわけですが)あれはいったいどのような意味で言っているのでしょうね。

私にはこの二種類の意味があるような気がしてなりません。

そして、後者の方がより本の面白さの神髄に気づいた人向けの、読書の「真の目的」であるような気がしています。

つまり、最初の入り口は小説でもいいんです。まずは「本を読む」ということに慣れないと、「本を読めない」んですから。

私の母がそうなのですが、母曰く「文字が連綿と続いていると読めない」というタイプの人です。

つまり、「本を読む」ことには、それなりの気力と体力が必要なんです。

それを、内容はなんでもいいからとにかく「本を読み終わる」という練習をする、という意味での「本を読む」なのだと思います。

そして「本を読む」ことに慣れてきて、苦手意識のなくなってきた人がさらにハードルの高い読書をしようと考えた場合。これが先ほど言った「知的好奇心を満たす」という意味での「本を読む」です。

この学科に入学した時、とある先生が仰っていたことがあります。「日本文学科に入学するということは、『本物の書物を読む力が身につく』」のだ、と。

だいぶかなり私の意訳ではありますが、このようなことを仰っていたと記憶しています。

ここでいう「本物の書物」とは、もしかしたら、今私が密かに感じている思いが出発点だったりするのかな、などと勝手ながら考えています。

で、私が新たな楽しみを見出した「読書」なのですが…。

「読む時間がない!!!!!」

本当に読む時間がなくなってきました。

というのも、昔このブログでも紹介したように、様々なことに挑戦した結果、忙しくも充実した毎日を送ることとなってしまい…。

読む時間がなくなってきてしまっています…。

長期休みを利用して読むしかなくなって来ているというなんとも悲しい事態が起きているのですが…。

致し方ないということですね…。はい…。

ちなみに本筋とは関係ないのですが、古典文学が好きになりすぎて、最近書く文章が古典文学の現代語訳みたいになってきました(笑)

簡潔な文章を書けなくなってきていると感じる今日このごろ、というお話をしながら、今回は終わりたいと思います。

最後に、更新滞らせてしまい本当にすみませんでした!!!

次回はちゃんと遅れないように投稿します!!!

で、そんな次回は、少し趣向を変えて、本当の日記のようなことを書こうかな、と思います。

ーーーえ?本当の日記って何かって?

それは次回のお楽しみ、ということで。

あえて普通の記事を書いてみようと思います。まあ、私が普通の記事を書いたことなどほとんどありませんので、お察しください(笑)

というわけで、今回はこれで失礼します。

最後まで読んでいただきありがとうございました!