皆様こんにちは。本日はどのような一日をお過ごしでしょうか。
可愛いネコちゃんを見かけたり、不思議な形の雲や石ころを見かけたり、何か楽しいものが目を喜ばせる素敵さはありましたか?
私は今日、自転車のハンドルを掴んだ時、カゴの中に寝転ぶイチョウの葉を見つけました。イチョウの黄色があんまり優しく輝いているから、錆びたアルミ籠も枝のよう。
だからきっと今日の私はイチョウの木に跨ってアルバイトへ行ったのです。
そうそう、日本女子大学の前の通りも銀杏並木が見事でして。受験に来た日も、入学した後も、私は無性に嬉しい気持ちでイチョウの黄金を浴びていました。これも私の小さなお気に入りポイントかもしれません。申し遅れましたが本日の担当は近代文学とペンギンを愛するまどか🐧です。
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そうは言いましても、意図せず素敵なモノに出会ってそれを眺めて心を和ませるというのは存外むつかしい。
ですから私は「意図して」「すてきなもの」に出会う時間も作りたいなぁと思いながら日々生きています。そんな私が選んだのは【観劇】でした。
そして今年、2025年という年は私にとって実に特別な一年!
ブログのタイトルにもなっている「昭和100年」。私の敬愛する小説家・三島由紀夫はその満年齢が昭和と同じ時を刻まれたお方です。即ち今年は三島由紀夫の生誕100年記念の年だったワケでございます。2005年生まれの私にとっては己の成人の年でもあったのですが、そんなのはいい、こっちの方がよほど一大事です。
今年はもう演劇も文学館も美術館の展示もどこもかしこも三島由紀夫!!どこへ行っても彼の名を見られる幸福な一年でした。そのような一年の締めくくりに私が選んだ演劇は……「近代能楽集」。
さてさて本日のブログでは
①観劇の紹介と感想
②卒業研究のお話
この2本立ててお送りしようと思います。
舞台紹介
●タイトル:三島由紀夫生誕百周年記念二作品同時公演「わが友ヒットラー」「近代能楽集」
●原作:三島由紀夫
●演出:松森望宏
●会場:新国立劇場・小劇場(東京都渋谷区本町)
●期間:2025年12月11日(木)~12月21日(日)
●チケット代金:全席指定9,000円 (税込) 「わが友ヒットラー」のみ18歳以下無料( 19歳以上同伴者:4,500円 )
●サイト:三島由紀夫生誕百周年記念二作品同時公演 – CEDAR

こちらの公演はなんと2作品同時公演!「わが友ヒットラー」はストレートプレイ(台詞と演技のみで表現するもの、ミュージカルとは異なる)で、「近代能楽集」は朗読劇(舞台上に座したまま台詞のみで表現する、声優さんのアフレコのように)での上演となりました。
2作品同時といっても一回の公演中にまとめて行うという訳ではなく、きちんとそれぞれが独立したチケットで別々の日取りに行われていますが……同じ公演期間に、同じ演出家さんの演出で、同じ劇場で、別作品が観られること!これは本当に面白いことなのです。全く同じはずの劇場と舞台でも、役者が動き始めた瞬間に観客の目にはもう別世界が広がっているのですから。この舞台の引力、魔力ともいうべき力を同時公演は身をもって感じることができるワケです。
私は近頃このように同時公演の別作品を全て観たり、同じ舞台に複数回通ったりすることにハマっています。同じ劇場の舞台でも役者さんや様々なスタッフさんの表現次第で如何様にでも変化する。そのような変幻自在の舞台のトリコです。ですから今回も二作品併せて観に行きましたが今回のブログでは「近代能楽集」のほうにのみ焦点を当ててご紹介します。
そもそも三島由紀夫の『近代能楽集』ってなんでしょう?能楽といえば700年近い歴史を持つ日本の伝統芸能……といった紹介で小中学生の頃に芸術鑑賞会をしたことがあるかもしれません。また三島由紀夫についてはなんだか戦争の前後に様々なメディア露出もしていた小説家といったイメージがおありでしょうか。しかしながら一体なぜそこが結びつくのか。実は小説家として知られる三島由紀夫は一方で演劇にも強い関心を示し、生涯で数多の戯曲を手掛けただけではなく演出までしていたこともあるのです!ワオ、多才!
そして実は過去にも三島由紀夫『近代能楽集』について触れたブログを書いておりましたため、その際の大雑把すぎる解説も引っ張っておきましょう。
「近代能楽集」では8曲の作品が収められているが、その中でも「葵上」や「卒塔婆小町」、「班女」などは聞いたことがある方もいるはずだ。
「満願」2024年09月24日投稿のブログ
それではこの「近代能楽集」とは一体何なのか。簡単な理解としてはパロディといったところだが、もっともっとオタク的に分かりやすく申し上げるのならば謂わゆる「現パロ」だ。しかしながら、ただ時代設定を近代的にしたのではない。中世に比べて、様々な演出や技術の増えた「近代」の舞台で最も「劇的」に映えるように作られている。否、作り込まれている。
現在文庫化されている「近代能楽集」は戯曲本、脚本のような形で楽しめるのだが、読んでいると頭の中で「あぁこのシーンはきっと映える!」とそんな妄想が止まらなくなる。是非とも舞台で観たい作品である(https://mcm-www.jwu.ac.jp/~nichibun/blog/index.php/2024/09/25/)
と、いう訳で。是非とも舞台で観たいと言っていた去年の私~~!叶ったわよ~~~!!まぁ本当はストレートプレイで観たいって意味だから断片的にしか叶ってないかもしれないけど~~~~~!
なにはともあれ、伝統的な能楽が描き出す真理・形而上の問題のようなものを、より顕在化させるためにその舞台設定やキャラクター像を「近代化」し、当時の観客にとって身近な例を以て描こうとした……そのような試みの作品と言えるでしょうか。ですから、扱っているテーマは「能楽」でも自然にスッと台詞が頭に入ってきて状況も理解できる舞台となっていまして、予習ナシでも楽しめるものかもしれません。
そのような『近代能楽集』の中でも今回は「弱法師」「班女」「卒塔婆小町」の3曲が朗読劇として上演されました。
私はアフタートーク付の12月18日㈭の回を観劇したのですが、特に驚いたのは「弱法師」と「班女」です。『近代能楽集』における「弱法師」という作品は盲目の戦災孤児である青年・俊徳(としのり)を主人公に、その青年の親権を実親と育ての親が家庭裁判所で争う・・・といったお話。もう成人するくらいの年齢でありながら、光を失った世界で孤独を抱えて生き続けてきた青年の強がりと寂しさ、その陰にある幼さがチグハグとした非常に難しいキャラクターといえます。私はこの俊徳というキャラクターが儚く刺々しいガラス薔薇のようで大好きだったのですが、だからこそ、きっとどんな役者がやっても納得しないだろうという熱意と落胆がありました。
それなのに…どうしたことでしょう。
神経質そうな間の取り方。少年と青年の間を彷徨っているような中性的響き。時折わざとらしく挟み込まれる舌打ちすら生意気で可愛らしい。
いかにも言い慣れないという風体の、三島戯曲特有の絢爛な言葉の乗り回しは精一杯の虚勢のようで痛ましく、愛らしい。
ラストシーンで桜間に甘えるときの幼児帰りした声も実に見事。完全に声変わりしたワケでは無いどっちつかずな声がこうまでも魅力的にハマるとは!本当に、本当に、俊徳が本から出てきたならアレだろう。笑い方のいわけなき、カラカラとした恐ろしさと空虚さったら!!
驚いたのはそれだけではない。アフタートークでは板の上の姿とのギャップも凄まじかった。脚本をもらった時に漢字を読むのが難しかったというお話や、本番前のルーチンは?という質問に対して「ないですね……」の回答など全体的に朗らかで緩い。ゆ、ゆるっゆるだ……と衝撃を受けたものだ。
そんな木村来士さんは現在まさかの18歳とのことで、これは今の彼だからこその演技でもあるのかもしれない。とても良いものを観た。声質や年齢のポテンシャルはもちろんだが、それを自在に操り、板の上に俊徳を見事に描き出してくださったことに非常な感動を覚えた。ぜひ他の作品でも彼の演技が観てみたい。
また、「班女」の花子にも息を呑んだ。まだ台本を開いてもいない、ただ入場しただけ。それでも彼女の全身が醸し出す狂気でたちまち引き込まれてしまった。
暗い劇場内でただ1人純白のワンピースを纏う彼女の異物感は甚だしく、その足取りも常のものではないフラつき。焦点の合わない目に真ッ赤なティントリップから紡がれる据わった声、こわい、狂っていると一瞬でわかる素晴らしさ。猫背気味に息を過分に吐いて吐いて吐き出す!地を這うような高音が登りつめ、劇場内の雰囲気を一瞬で変えた。ラストシーンでは2人きりの花実る世界が独特の粘度を持って描き出され妖艶だった。
アフタートークによると花子を演じた小泉萌香さんは稽古も一度きりで本番も一度きり、初舞台が千秋楽という本人も戸惑うスケジュールだったらしいのです。耳を疑うような本番の迎え方ですが、、舞台上での調和を拒む存在感。その不気味な魅力はある意味で、そのようなカンパニーだからこそ生み出せたのではないかとさえ思います。初日で千秋楽だなんて中々お目にかかれない状況、味わい尽くせたかもしれません。
そして、そう。衣装も見事だったのです。俊徳の真白なシャツには鮮血のような爛々と輝くビーズ刺繡が心臓の位置にだけ施されており、彼が感情を露わにしてベストが揺らめいた時だけ、その隙間からチラリと覗く赤の美しさよ。
加えて、後場で登場した花子の纏う雪景色のようなガウンも印象的だ。迎えたクライマックス、暗転する直前、彼女の引きずるガウンが心做しかネバネバと床に絡め取られるような……そんな背中を見送った。まるで幽閉されるバッドエンディングのラプンツェルみたいだ。なんと綺麗な後ろ姿か。
総じて感じたのは、朗読劇は言葉の強さを浮き彫りするということです。
三島戯曲に忠実な今回の朗読劇では実際に耳にするとなんとも舌の上で転がしにくそうな台詞が幾度となく登場しました。普段は戯曲本として文章しか追っていない私にとっては実に新鮮な心躍る時間だっとのでございます。当初はストレートプレイへの憧憬ばかり強めておりましたが、戯曲本来の魅力を体験し、演者の肉声を以てその世界に浸るには朗読劇は大変によい相性のものなのかもしれません。私にとって今年最後を締めくくる作品が「朗読劇・近代能楽集」であったことを幸運に思います。
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以上が観劇レポートとなりますが、、あと少しだけ詳しいご紹介を。
今回の公演、なんと驚くべきはキャスト陣の層の厚さ!「わが友ヒットラー」は固定キャストであるのに対して、「朗読劇・近代能楽集」は公演ごとにキャストが異なるという実に様々な組み合わせを楽しめるスタイルでした。その中には神尾晋一郎さんや畠中祐さんを始めとする声優の方まで……!
朗読劇の形式ならではのキャスティングであり、声優ファンの方にもお楽しみいただける機会なのではないでしょうか。今回ご紹介した公演は残念ながらもう終了してしまっていますが、今後も朗読劇などの形で入り口を見出した瞬間にはぜひドアノブに手を伸ばしてみてください。知っている世界と、知らない世界がぶつかるのは、怖くてでもきっと大変に楽しいから。
そうそう、これは本当に余談なのですが演劇ジャーナリストの徳永京子さんとローソンチケットが共同で運営されている【演劇最強論-ing】という小劇場演劇に特化したサイトにて、「小劇場から選ぶ 心のベストテン第1位 2025」という投票企画が行われております。
もしこの2025年中に小劇場系の公演を観に行ったよ!という方がいらっしゃいましたらぜひ投票をしてみてください。対象となる公演は「2025年1月1日~12月31日の間に客席数386席以下の会場で上演された作品 作品の長さは問いません。短編も可とします」(以下の公式サイトより引用)とのことです。小劇場演劇のボーダーを座席数にしたのが面白いですね。
【募集】心のベストテン第1位 2025 | 演劇最強論-ing
応募期間は2025年12月24日(水)~2026年1月13日(火)まで。小劇場演劇ってサイコー!!
さて、ここまで長々とした熱弁にお付き合いくださりありがとうございました。もう薄々バレているような気もいたしますが、私の卒業研究はこの三島由紀夫『近代能楽集』というワケでございます。次章では恥ずかしながら少しばかりその卒業研究についてキッカケやゼミのことなどをご紹介する次第です。
「卒業論文って難しそうだけどどんなこと書くんだろう?」「卒業研究ゼミや論文テーマはどうやって決めたんだろう?」と気になる方のご参考になれば幸いです。え??どうでもいい?フフ……そんないけずなこと仰らないで……自宅に着払いで三島由紀夫全集を送りつけますよ。
卒業研究のお話
ここまで随分言葉を尽くしてきたけれど、畢竟私にとっての観劇はそう、寿命の屈伸運動なのだわ。
演劇という架空の誰かの命が焼き尽くされる瞬間を浴びに行くのには、浴びる側も命を削ってその炎へ近づこうとする。ギリギリまで近づいて、けれどもあと一歩敵わない。イカロスになれるのは板の上の架空の誰かだけ。
スポットライトが消えたとき、観客席には光が戻る。
そうした生還の喜びと、苦しみとを全身に抱えて劇場を後にする。
劇場のなかで限界まで寿命をすり減らした幻想に囚われ、その夢破れて、むしろ熱に当てられて・・・命がぐんと伸びる。
呆れられてしまうかしら。でも私にとって観劇は愛おしいほど重労働。とっても草臥れる。命がけで観に行っている。
今年一年は特にその傾向が強かったように思います。
昔から年に一回くらい母が連れて行ってくれた演劇、特にミュージカル。私の家族はいつ見ても、みんなお忙しそうで、クラスメイトが楽しそうに聞かせてくれるような遊園地やバーベキュー、キャンプなんて休日の景色は小説の中でしか見たことがなかったのですが……。そんな日々で、演劇だけは忙しい合間を縫って連れて行ってくれた、否、珍しいわがままを言って困らせて、連れて行かせていたのをよく覚えています。
年に一回の観劇。それはもう、本当に夢みたいな時間で。欲しいものを聞かれても何一つ思い浮かばなかった幼き日の私には、クリスマスよりも特別な日だったのかもしれません。欲しいものを聞かれても碌な回答を持たない、実に可愛げのない子供ですが。
そんな私にとって演劇は好きで当たり前のものだった。どうして好きなのか、疑問すら抱かないほどに。究明すらしないほどに。
ですが、大学へ入学して気まぐれに受講した【舞台芸術の歴史・東洋】という石井倫子先生の授業を契機に「能楽」という新しい演劇の世界を知りました。今まで触れてきたミュージカルやオペラとは異なる新しい舞台芸術の世界。その歴史を学ぶ中で、私自身が演劇の何に魅せられてきたのか。その手掛かりを掴みました。
そして同じく1年生の時分【近代自主ゼミ】にも飛び込み、右も左もわからないまま渡部麻実先生のご指導の下で、ひたすらに文学研究の基本とその先に広がる新しい解釈の可能性・面白さを目の当たりにしました。
さらに私の中を流れるオタク趣味と怖いもの知らずな衝動に突き動かされるまま、夏休みには山口俊雄先生による【太宰治ワークショップ24〈転生する太宰治・アダプトされる太宰治〉】へ。今振り返ってみてもここで受けた衝撃はやはり大きいもので、アニメや漫画といった「アダプテーション」も研究対象に成り得るのだと知ってからは随分研究への心構えが変わったように思います。
このように3年間を通して多くの素敵な先生方、素敵なご講義に触れる中でいつの間にか自分自身の原点である〈演劇への熱情〉の正体がくっきりと見えるようになってきたのです。
そして何より、私にとっての文学は生きること。衝動に正直にただ足を動かすこと。その熱源は文字であり言葉であり、劇的であるもの。人生の影法師なのでしょう、時には私の前に、時には私の後ろにある。
その劇的なる言葉たちは幾星霜を経ても輝きを失わない。何度でも蘇り、次の読者へ熱を繋ぐ。その営みの最たるものが「アダプテーション」ではないだろうか。
だから、三島由紀夫『近代能楽集』を通して数百年もの時を超えて届く熱源を探り当てたい。そしてそれらは今の演劇にどう生まれ変わっていくのだろう。
これが私の卒業研究です。たしかに大学入学以前から近代文学も三島由紀夫作品も好きだったのは事実です。とはいえ卒業研究の内容までは全く決まっておりませんでした。それでも、大学の3年間を通して自分が既に持っている関心を深めることに加えて新たな興味関心に出会うことを繰り返していくうちに気が付いたらその双方を掛け合わせたテーマをもっと探ってみたいと思うようになりました。
その結果、私は日本文学科の近代文学ゼミ所属でありながら戯曲・演劇を扱い、その内容は中世も近代も兼ねていて……東洋と西洋いずれもの美学が詰め込まれたアダプテーションを追う、あまりにも自由形すぎる研究の大海原を溺れながら犬かきしているワケでございます。おぼぼぼぼ・・・。
つまりそれほどに自由!同じ近代ゼミには「文豪とアルケミスト」というゲーム作品や「ヨルシカ」さんなどの楽曲を研究テーマにしている方もいらっしゃいます。考えてみれば文学・日本語はあらゆるモノの基盤となっているのですから、この幅広さもある意味では納得ものです。
ですからきっと卒業研究のテーマ決めは、自分の元来の趣味嗜好や拘りだけでなくとも良いのです。大学で経験した多くの新たな出会いや学びを振り返って、何か一つでも足を止めたくなるものがあったのなら……それを究める道すがら自分の「自分でも知らなかった自分」に出会えるかもしれないのですから。
近年では卒業論文を課さない大学も増えてきており、そのような中でわざわざ「ある」大学を選ぶのは少し負担に感じる方もいらっしゃるかもしれません。そしてもちろん、執筆は決して楽なものではありません。けれども、研究は宿題とは違うのです。みんながみんな同じでなくて良い。ただひたすらに自分の抱いた疑問にあらゆる手を尽くす。そんな時間が人生のうちに取れるのはきっと大学4年生だけ。
せっかくなら人生のなかで1年くらいそういう特別さを作ってみませんか。
やっぱりほら「意図して」「すてきなもの」に出会う時間を作って生きていきたい生き物なのです。




