昭和100年

皆様こんにちは。本日はどのような一日をお過ごしでしょうか。
可愛いネコちゃんを見かけたり、不思議な形の雲や石ころを見かけたり、何か楽しいものが目を喜ばせる素敵さはありましたか?

私は今日、自転車のハンドルを掴んだ時、カゴの中に寝転ぶイチョウの葉を見つけました。イチョウの黄色があんまり優しく輝いているから、錆びたアルミ籠も枝のよう。
だからきっと今日の私はイチョウの木に跨ってアルバイトへ行ったのです。


そうそう、日本女子大学の前の通りも銀杏並木が見事でして。受験に来た日も、入学した後も、私は無性に嬉しい気持ちでイチョウの黄金を浴びていました。これも私の小さなお気に入りポイントかもしれません。申し遅れましたが本日の担当は近代文学とペンギンを愛するまどか🐧です。




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そうは言いましても、意図せず素敵なモノに出会ってそれを眺めて心を和ませるというのは存外むつかしい。
ですから私は「意図して」「すてきなもの」に出会う時間も作りたいなぁと思いながら日々生きています。そんな私が選んだのは【観劇】でした。

そして今年、2025年という年は私にとって実に特別な一年!
ブログのタイトルにもなっている「昭和100年」。私の敬愛する小説家・三島由紀夫はその満年齢が昭和と同じ時を刻まれたお方です。即ち今年は三島由紀夫の生誕100年記念の年だったワケでございます。2005年生まれの私にとっては己の成人の年でもあったのですが、そんなのはいい、こっちの方がよほど一大事です。
今年はもう演劇も文学館も美術館の展示もどこもかしこも三島由紀夫!!どこへ行っても彼の名を見られる幸福な一年でした。そのような一年の締めくくりに私が選んだ演劇は……「近代能楽集」。

さてさて本日のブログでは
①観劇の紹介と感想
②卒業研究のお話
この2本立ててお送りしようと思います。



舞台紹介

●タイトル:三島由紀夫生誕百周年記念二作品同時公演「わが友ヒットラー」「近代能楽集」
●原作:三島由紀夫
●演出:松森望宏
●会場:新国立劇場・小劇場(東京都渋谷区本町)
●期間:​2025年12月11日(木)~12月21日(日)
●チケット代金:全席指定9,000円 (税込) 「わが友ヒットラー」のみ18歳以下無料( 19歳以上同伴者:4,500円 )
●サイト:三島由紀夫生誕百周年記念二作品同時公演 – CEDAR

こちらの公演はなんと2作品同時公演!「わが友ヒットラー」はストレートプレイ(台詞と演技のみで表現するもの、ミュージカルとは異なる)で、「近代能楽集」は朗読劇(舞台上に座したまま台詞のみで表現する、声優さんのアフレコのように)での上演となりました。
2作品同時といっても一回の公演中にまとめて行うという訳ではなく、きちんとそれぞれが独立したチケットで別々の日取りに行われていますが……同じ公演期間に、同じ演出家さんの演出で、同じ劇場で、別作品が観られること!これは本当に面白いことなのです。全く同じはずの劇場と舞台でも、役者が動き始めた瞬間に観客の目にはもう別世界が広がっているのですから。この舞台の引力、魔力ともいうべき力を同時公演は身をもって感じることができるワケです。

私は近頃このように同時公演の別作品を全て観たり、同じ舞台に複数回通ったりすることにハマっています。同じ劇場の舞台でも役者さんや様々なスタッフさんの表現次第で如何様にでも変化する。そのような変幻自在の舞台のトリコです。ですから今回も二作品併せて観に行きましたが今回のブログでは「近代能楽集」のほうにのみ焦点を当ててご紹介します。



そもそも三島由紀夫の『近代能楽集』ってなんでしょう?能楽といえば700年近い歴史を持つ日本の伝統芸能……といった紹介で小中学生の頃に芸術鑑賞会をしたことがあるかもしれません。また三島由紀夫についてはなんだか戦争の前後に様々なメディア露出もしていた小説家といったイメージがおありでしょうか。しかしながら一体なぜそこが結びつくのか。実は小説家として知られる三島由紀夫は一方で演劇にも強い関心を示し、生涯で数多の戯曲を手掛けただけではなく演出までしていたこともあるのです!ワオ、多才!

そして実は過去にも三島由紀夫『近代能楽集』について触れたブログを書いておりましたため、その際の大雑把すぎる解説も引っ張っておきましょう。

「近代能楽集」では8曲の作品が収められているが、その中でも「葵上」や「卒塔婆小町」、「班女」などは聞いたことがある方もいるはずだ。
それではこの「近代能楽集」とは一体何なのか。簡単な理解としてはパロディといったところだが、もっともっとオタク的に分かりやすく申し上げるのならば謂わゆる「現パロ」だ。しかしながら、ただ時代設定を近代的にしたのではない。中世に比べて、様々な演出や技術の増えた「近代」の舞台で最も「劇的」に映えるように作られている。否、作り込まれている。
現在文庫化されている「近代能楽集」は戯曲本、脚本のような形で楽しめるのだが、読んでいると頭の中で「あぁこのシーンはきっと映える!」とそんな妄想が止まらなくなる。是非とも舞台で観たい作品である(https://mcm-www.jwu.ac.jp/~nichibun/blog/index.php/2024/09/25/

「満願」2024年09月24日投稿のブログ


と、いう訳で。是非とも舞台で観たいと言っていた去年の私~~!叶ったわよ~~~!!まぁ本当はストレートプレイで観たいって意味だから断片的にしか叶ってないかもしれないけど~~~~~!


なにはともあれ、伝統的な能楽が描き出す真理・形而上の問題のようなものを、より顕在化させるためにその舞台設定やキャラクター像を「近代化」し、当時の観客にとって身近な例を以て描こうとした……そのような試みの作品と言えるでしょうか。ですから、扱っているテーマは「能楽」でも自然にスッと台詞が頭に入ってきて状況も理解できる舞台となっていまして、予習ナシでも楽しめるものかもしれません。




そのような『近代能楽集』の中でも今回は「弱法師」「班女」「卒塔婆小町」の3曲が朗読劇として上演されました。
私はアフタートーク付の12月18日㈭の回を観劇したのですが、特に驚いたのは「弱法師」と「班女」です。『近代能楽集』における「弱法師」という作品は盲目の戦災孤児である青年・俊徳(としのり)を主人公に、その青年の親権を実親と育ての親が家庭裁判所で争う・・・といったお話。もう成人するくらいの年齢でありながら、光を失った世界で孤独を抱えて生き続けてきた青年の強がりと寂しさ、その陰にある幼さがチグハグとした非常に難しいキャラクターといえます。私はこの俊徳というキャラクターが儚く刺々しいガラス薔薇のようで大好きだったのですが、だからこそ、きっとどんな役者がやっても納得しないだろうという熱意と落胆がありました。

それなのに…どうしたことでしょう。

神経質そうな間の取り方。少年と青年の間を彷徨っているような中性的響き。時折わざとらしく挟み込まれる舌打ちすら生意気で可愛らしい。
いかにも言い慣れないという風体の、三島戯曲特有の絢爛な言葉の乗り回しは精一杯の虚勢のようで痛ましく、愛らしい。
ラストシーンで桜間に甘えるときの幼児帰りした声も実に見事。完全に声変わりしたワケでは無いどっちつかずな声がこうまでも魅力的にハマるとは!本当に、本当に、俊徳が本から出てきたならアレだろう。笑い方のいわけなき、カラカラとした恐ろしさと空虚さったら!!

驚いたのはそれだけではない。アフタートークでは板の上の姿とのギャップも凄まじかった。脚本をもらった時に漢字を読むのが難しかったというお話や、本番前のルーチンは?という質問に対して「ないですね……」の回答など全体的に朗らかで緩い。ゆ、ゆるっゆるだ……と衝撃を受けたものだ。
そんな木村来士さんは現在まさかの18歳とのことで、これは今の彼だからこその演技でもあるのかもしれない。とても良いものを観た。声質や年齢のポテンシャルはもちろんだが、それを自在に操り、板の上に俊徳を見事に描き出してくださったことに非常な感動を覚えた。ぜひ他の作品でも彼の演技が観てみたい。

また、「班女」の花子にも息を呑んだ。まだ台本を開いてもいない、ただ入場しただけ。それでも彼女の全身が醸し出す狂気でたちまち引き込まれてしまった。
暗い劇場内でただ1人純白のワンピースを纏う彼女の異物感は甚だしく、その足取りも常のものではないフラつき。焦点の合わない目に真ッ赤なティントリップから紡がれる据わった声、こわい、狂っていると一瞬でわかる素晴らしさ。猫背気味に息を過分に吐いて吐いて吐き出す!地を這うような高音が登りつめ、劇場内の雰囲気を一瞬で変えた。ラストシーンでは2人きりの花実る世界が独特の粘度を持って描き出され妖艶だった。

アフタートークによると花子を演じた小泉萌香さんは稽古も一度きりで本番も一度きり、初舞台が千秋楽という本人も戸惑うスケジュールだったらしいのです。耳を疑うような本番の迎え方ですが、、舞台上での調和を拒む存在感。その不気味な魅力はある意味で、そのようなカンパニーだからこそ生み出せたのではないかとさえ思います。初日で千秋楽だなんて中々お目にかかれない状況、味わい尽くせたかもしれません。
そして、そう。衣装も見事だったのです。俊徳の真白なシャツには鮮血のような爛々と輝くビーズ刺繡が心臓の位置にだけ施されており、彼が感情を露わにしてベストが揺らめいた時だけ、その隙間からチラリと覗く赤の美しさよ。
加えて、後場で登場した花子の纏う雪景色のようなガウンも印象的だ。迎えたクライマックス、暗転する直前、彼女の引きずるガウンが心做しかネバネバと床に絡め取られるような……そんな背中を見送った。まるで幽閉されるバッドエンディングのラプンツェルみたいだ。なんと綺麗な後ろ姿か。

総じて感じたのは、朗読劇は言葉の強さを浮き彫りするということです。
三島戯曲に忠実な今回の朗読劇では実際に耳にするとなんとも舌の上で転がしにくそうな台詞が幾度となく登場しました。普段は戯曲本として文章しか追っていない私にとっては実に新鮮な心躍る時間だっとのでございます。当初はストレートプレイへの憧憬ばかり強めておりましたが、戯曲本来の魅力を体験し、演者の肉声を以てその世界に浸るには朗読劇は大変によい相性のものなのかもしれません。私にとって今年最後を締めくくる作品が「朗読劇・近代能楽集」であったことを幸運に思います。




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以上が観劇レポートとなりますが、、あと少しだけ詳しいご紹介を。
今回の公演、なんと驚くべきはキャスト陣の層の厚さ!「わが友ヒットラー」は固定キャストであるのに対して、「朗読劇・近代能楽集」は公演ごとにキャストが異なるという実に様々な組み合わせを楽しめるスタイルでした。その中には神尾晋一郎さんや畠中祐さんを始めとする声優の方まで……!
朗読劇の形式ならではのキャスティングであり、声優ファンの方にもお楽しみいただける機会なのではないでしょうか。今回ご紹介した公演は残念ながらもう終了してしまっていますが、今後も朗読劇などの形で入り口を見出した瞬間にはぜひドアノブに手を伸ばしてみてください。知っている世界と、知らない世界がぶつかるのは、怖くてでもきっと大変に楽しいから。


そうそう、これは本当に余談なのですが演劇ジャーナリストの徳永京子さんとローソンチケットが共同で運営されている【演劇最強論-ing】という小劇場演劇に特化したサイトにて、「小劇場から選ぶ 心のベストテン第1位 2025」という投票企画が行われております。
もしこの2025年中に小劇場系の公演を観に行ったよ!という方がいらっしゃいましたらぜひ投票をしてみてください。対象となる公演は「2025年1月1日~12月31日の間に客席数386席以下の会場で上演された作品 作品の長さは問いません。短編も可とします」(以下の公式サイトより引用)とのことです。小劇場演劇のボーダーを座席数にしたのが面白いですね。

【募集】心のベストテン第1位 2025 | 演劇最強論-ing

応募期間は2025年12月24日(水)~2026年1月13日(火)まで。小劇場演劇ってサイコー!!

さて、ここまで長々とした熱弁にお付き合いくださりありがとうございました。もう薄々バレているような気もいたしますが、私の卒業研究はこの三島由紀夫『近代能楽集』というワケでございます。次章では恥ずかしながら少しばかりその卒業研究についてキッカケやゼミのことなどをご紹介する次第です。

「卒業論文って難しそうだけどどんなこと書くんだろう?」「卒業研究ゼミや論文テーマはどうやって決めたんだろう?」と気になる方のご参考になれば幸いです。え??どうでもいい?フフ……そんないけずなこと仰らないで……自宅に着払いで三島由紀夫全集を送りつけますよ。


卒業研究のお話


ここまで随分言葉を尽くしてきたけれど、畢竟私にとっての観劇はそう、寿命の屈伸運動なのだわ。
演劇という架空の誰かの命が焼き尽くされる瞬間を浴びに行くのには、浴びる側も命を削ってその炎へ近づこうとする。ギリギリまで近づいて、けれどもあと一歩敵わない。イカロスになれるのは板の上の架空の誰かだけ。

スポットライトが消えたとき、観客席には光が戻る。

そうした生還の喜びと、苦しみとを全身に抱えて劇場を後にする。
劇場のなかで限界まで寿命をすり減らした幻想に囚われ、その夢破れて、むしろ熱に当てられて・・・命がぐんと伸びる。
呆れられてしまうかしら。でも私にとって観劇は愛おしいほど重労働。とっても草臥れる。命がけで観に行っている。

今年一年は特にその傾向が強かったように思います。




昔から年に一回くらい母が連れて行ってくれた演劇、特にミュージカル。私の家族はいつ見ても、みんなお忙しそうで、クラスメイトが楽しそうに聞かせてくれるような遊園地やバーベキュー、キャンプなんて休日の景色は小説の中でしか見たことがなかったのですが……。そんな日々で、演劇だけは忙しい合間を縫って連れて行ってくれた、否、珍しいわがままを言って困らせて、連れて行かせていたのをよく覚えています。
年に一回の観劇。それはもう、本当に夢みたいな時間で。欲しいものを聞かれても何一つ思い浮かばなかった幼き日の私には、クリスマスよりも特別な日だったのかもしれません。欲しいものを聞かれても碌な回答を持たない、実に可愛げのない子供ですが。



そんな私にとって演劇は好きで当たり前のものだった。どうして好きなのか、疑問すら抱かないほどに。究明すらしないほどに。

ですが、大学へ入学して気まぐれに受講した【舞台芸術の歴史・東洋】という石井倫子先生の授業を契機に「能楽」という新しい演劇の世界を知りました。今まで触れてきたミュージカルやオペラとは異なる新しい舞台芸術の世界。その歴史を学ぶ中で、私自身が演劇の何に魅せられてきたのか。その手掛かりを掴みました。

そして同じく1年生の時分【近代自主ゼミ】にも飛び込み、右も左もわからないまま渡部麻実先生のご指導の下で、ひたすらに文学研究の基本とその先に広がる新しい解釈の可能性・面白さを目の当たりにしました。

さらに私の中を流れるオタク趣味と怖いもの知らずな衝動に突き動かされるまま、夏休みには山口俊雄先生による【太宰治ワークショップ24〈転生する太宰治・アダプトされる太宰治〉】へ。今振り返ってみてもここで受けた衝撃はやはり大きいもので、アニメや漫画といった「アダプテーション」も研究対象に成り得るのだと知ってからは随分研究への心構えが変わったように思います。



このように3年間を通して多くの素敵な先生方、素敵なご講義に触れる中でいつの間にか自分自身の原点である〈演劇への熱情〉の正体がくっきりと見えるようになってきたのです。
そして何より、私にとっての文学は生きること。衝動に正直にただ足を動かすこと。その熱源は文字であり言葉であり、劇的であるもの。人生の影法師なのでしょう、時には私の前に、時には私の後ろにある。

その劇的なる言葉たちは幾星霜を経ても輝きを失わない。何度でも蘇り、次の読者へ熱を繋ぐ。その営みの最たるものが「アダプテーション」ではないだろうか。
だから、三島由紀夫『近代能楽集』を通して数百年もの時を超えて届く熱源を探り当てたい。そしてそれらは今の演劇にどう生まれ変わっていくのだろう。

これが私の卒業研究です。たしかに大学入学以前から近代文学も三島由紀夫作品も好きだったのは事実です。とはいえ卒業研究の内容までは全く決まっておりませんでした。それでも、大学の3年間を通して自分が既に持っている関心を深めることに加えて新たな興味関心に出会うことを繰り返していくうちに気が付いたらその双方を掛け合わせたテーマをもっと探ってみたいと思うようになりました。
その結果、私は日本文学科の近代文学ゼミ所属でありながら戯曲・演劇を扱い、その内容は中世も近代も兼ねていて……東洋と西洋いずれもの美学が詰め込まれたアダプテーションを追う、あまりにも自由形すぎる研究の大海原を溺れながら犬かきしているワケでございます。おぼぼぼぼ・・・。

つまりそれほどに自由!同じ近代ゼミには「文豪とアルケミスト」というゲーム作品や「ヨルシカ」さんなどの楽曲を研究テーマにしている方もいらっしゃいます。考えてみれば文学・日本語はあらゆるモノの基盤となっているのですから、この幅広さもある意味では納得ものです。

ですからきっと卒業研究のテーマ決めは、自分の元来の趣味嗜好や拘りだけでなくとも良いのです。大学で経験した多くの新たな出会いや学びを振り返って、何か一つでも足を止めたくなるものがあったのなら……それを究める道すがら自分の「自分でも知らなかった自分」に出会えるかもしれないのですから。
近年では卒業論文を課さない大学も増えてきており、そのような中でわざわざ「ある」大学を選ぶのは少し負担に感じる方もいらっしゃるかもしれません。そしてもちろん、執筆は決して楽なものではありません。けれども、研究は宿題とは違うのです。みんながみんな同じでなくて良い。ただひたすらに自分の抱いた疑問にあらゆる手を尽くす。そんな時間が人生のうちに取れるのはきっと大学4年生だけ。


せっかくなら人生のなかで1年くらいそういう特別さを作ってみませんか。
やっぱりほら「意図して」「すてきなもの」に出会う時間を作って生きていきたい生き物なのです。

たまには昔の話をしてみる

皆さんこんにちは、みちこです。

最近寒くなってきて、体調を崩される方も多いと聞きますが、いかがお過ごしでしょうか。

世間はクリスマスムードらしく、イルミネーションなどが街で華やいでおりますが、皆さま何かご予定などはあるのでしょうか。

我が家はもう子ども2人(私と弟)がそれぞれの予定で忙しいので、去年あたりからクリスマスパーティーなどはしなくなりました。父が寂しがっているらしいですが、私は自分の好きなことをさせろと思っているので、悪いけど自分の予定を優先します。

ーーーえ?恋人?そんなものはいません。普通にバイトでお金を稼ぎに行くだけです(笑)

どうせ大みそかは年越しそばを囲んで、お正月はおせちとすき焼きを囲むんですから、それで十分だろう、我が父よ…。

(執筆途中に挟む;前回予告していた、生成AIの私的使い方を書くつもりが、この話だけで一記事出来てしまいそうなので急遽路線変更します。本能のままに書くと計画性のなさが露呈する、私の文章…。)

 

ちなみに我が家は長らくクリスマスプレゼントや誕生日プレゼントなどと言ったものはなく、最後に親族からもらったプレゼントを遡ると、おそらく5、6歳の頃のことです。

「もらっていらないものをあげても意味がないだろう」という両親の意向がはたらいており、私も弟も長らく両親からはプレゼントをもらっていません。そのかわり「これでなんか自分の好きなものを買いなさい」と父から現金をもらうのが我が家の通例となっています。

ちなみに母曰く、「不定期に何かしらご褒美であげているのだから、わざわざイベントごとにあげなくてもいいだろう」というのが答えらしいですが、私自身も別にそれで納得しながら過ごしてきたので、特におかしなことだとも思っていませんでした。

 

しかしこの話を友人たちにするときまって、「いやそれはどうなんだ…」と言われることが多いです。

あな恐ろしや、これが家庭環境の違いというものでしょうか。別にこれといって愛されずに育ってきたというわけではない(むしろどちらかというと過保護寄りで育てられている)ので、まあうちの両親の感覚がひどく現実的過ぎたのでしょう。

そのせいかは分かりませんが、子どもの頃からあまり夢を見る隙を与えられなかったように思います。

よく、「サンタクロース」をめぐるよもやま話がありますが(あえてぼかして書いております)、私がそれに対して回答を返すなら、「もう記憶もない頃からプレゼントを与えられた経験がないので、分からない」ということになります。

幼稚園の頃に(着ぐるみ姿の)サンタクロースがやってきたことは覚えているので、その頃は無邪気におとぎ話のようだと思っていたのですが、小学校に上がったあたりからもう両親からプレゼントはもらえなくなっていたので、途中から「そういう世界のもの」だと思ってはいたようですが、具体的にどこからと言われると…やっぱりちょっと分かりませんね…。

ここまでの話を聞いてお気付きかと思いますが、私は時に残酷なまでに現実的なタイプの人間のようです。自分の中における精一杯の返答を返したつもりでも、「正論やめて…それは分かってるの…」とよく言われます。冗談が言えないタイプ、といえば伝わるでしょうか。中身のない世間話がとにかくできないタイプです。

そしてここまで現実派であることを書いておきながら、私自身は高校生の中盤くらいまで自分のことを、「空想の中に生きている、いわば感覚派の人間であり、論理派ではない」と思っていました。しかし友人から「あなたは結構現実的だし論理的な方だよ」と言われ、そこでやっと自分が空想に生きる、感覚側の人間ではないことを知りました…。その時、やっぱり人間って面白いなあ…と思いました。

 

ここまで書くと、「子どもの頃から大人びた子だったの?」と思われそうですが、結論から申し上げますと「半分そうだと思う」というのが答えになります。

幼稚園くらいの頃の私はどうやら相当におもしろかったようで、母から「弟の印象深い思い出はほとんど出てこないが、私のおもしろい思い出はたくさんある」と言われるくらいにはおもしろい子だったようです。どうやら普通の子がしないような変な行動をたくさんする子だったようで、相当におもしろがられていたようです。まあしかし普通に遊びもしたので、そういった意味では年相応だったでしょう。

ただ、同年代の子と一緒に遊ぶよりも、一人で遊ぶもしくは大人の輪の中にいる方が好きだったようです。そういう意味ではまあ…変わった子だろうとは思いますね…。

そんな大人に混じることが多く、価値観が少し大人びていたからかは分かりませんが、小学生の頃は周りの子と感覚が合いませんでした。それ故に「一人でいる方が楽だ」と思い、ずっと友人を作らず一人で過ごしていました。

一時友人を作っていた時期もあったのですが、自分の時間が取られるのが煩わしいと感じたのと、一見すると全く意味のないことをルール化して行動しているのがどうしても理解できなかったので、結局当時の私は、友人の輪からは外れ、一人でいることを選びました。

 

今思えば、「物事の本質をつかむ力」はここから始まっていたのだろうと思いますが、当時は未熟ゆえかそれを上手いこと行動に移せなかったところが子どもだな、と思ってしまいます。今ならもう少し違う対応をしていたことでしょう。

 

さて、思わぬところから興がのってしまい、私の幼少期の頃の話をしてみましたが、どうだったでしょうか。

ーーーまあ、興味ないですよね!他人の昔話なんて!

導入の話からよくもこんなつらつらと書いたなあ…と思いますが、まあこれが私なのだろうとも思うので、読者の皆さんも呆れておりますでしょうが、私自身ももう自分を止められないだろうと、半ば呆れております(笑)

 

次回こそは、書きたい…チャッピー君について…。

そういえば今思い出したのですが、どうやら私の今年の更新は今回で終わりのようで。

次回更新は新年になるわけですが、そこでチャッピー君の話するんですね…。まあ別にいいですが(笑)

というわけで皆さま、体調に気を付けながら、よいお年をお迎えください。

 

最後までお読みいただきありがとうございました!

カメラを購入しました!

どうもー!冬休みなにしようかな〜って考え中のいのり🧸です。

最近、 カメラを購入しました!
旅行で見た景色をキレイに納めたい〜と旅行に行くたびに思っていたのですが、この度ついにミラーレス一眼カメラをゲットしました!

購入したのは、
OLYMPUS OM-D E-M10 Mark II」。
ダブルズームキットを買いました。(レンズ2つ付きです。)

また、私はボケた写真が撮りたかったので、追加で45mmの単焦点レンズも購入!
どちらもメルカリで購入しました。状態が良く、丁寧な人から買えて良かったです。

カメラを購入する際に、みく🔥ちゃんのブログを参考にしました↓
素人がお笑いライブ用にカメラを買ってみた(2025年10月13日)
めっっっちゃ調べること、ほんと大事です。

カメラで撮ってみました📸

質感がリアルでビックリ!

ライトの光がふわっとぼやけてくれた。やっぱカメラってすごい!

地元の小さなクリスマスマーケットにて。ピントを合わせるのがむずかしいね😢

Myカメラ📷´-

カメラストラップは、地元のクリスマスマーケットで購入しました。

3年ほど前に地元のマーケットで鍵用のストラップを購入して以来、気になってたお店。
それが最近、偶然お会いできてまして!お話上手の素敵な作家さんです。

とても可愛いストラップでカメラを首にさげれてニコニコです。

また近いうちに旅行の思い出とともに、写真をお見せしたいと思います。
では今日はこれで!

いのり🧸

🌱コトバ


Yes, life can be wonderful if you’re not afraid of it. All it needs is courage, imagination and a little dough.
 —人生に必要なのは、勇気と想像力、そして少しのお金もね

チャールズ・チャップリン監督・脚本・製作・『ライムライト』

興味が移ろいやすい私が、今ハマっているのが「チャップリン」。

推しがきっかけで、大野裕之さんが脚本・演出を手がけた舞台を観ました。考察はかどる社会派ミュージカルで、作品をもっと深く知りたい!と思うように。
大野さんはチャップリンの研究者というのを知って、作品にはチャップリンに通ずることがあるかもしれないと思い、大野さんの本を買ってみました。

チャップリンやナチス、ビジネスのお話は、私が今まで触れてこなかったジャンルなので、読むのに時間がかかっていますが、とても面白いです。

推しがきっかけで知らなかったジャンルに触れられる、新しい知識が得られる。自分の世界が広がって幸せです🎈

やっぱ、推しがいるって最高ですね!

世界を造る知識

こんにちは。

ーー知識を得るのが幼いことから好きだった僕は、水族館に行くことを好んだ。別に動物園でも植物園でも構わない。そこらには知識がたくさん住んでいるから。個体を見て、特徴をつかんで、飼育員さんが丹精込めて作った紹介文を読んで、また個体を見て。ああ、なるほど。この種の名前はそこから来ているのかと、一人満足して隣の個体を見る。その繰り返し。かわいいのもいる。寂しそうなのもいる。強そうなのもいる。眠そうなのもいる。静かに止まっている彼ら、あるいは彼女らは、見ている側からいくらつまらないと思われたって止まっている。それが彼女らの今すべきことだから。
そうして知識を得た僕は、満足して家に帰る。ああ、あれは眠そうだった、あれは暇そうだったと、今日見てきたものを振り返りながら帰る。
また、僕は本を読むことをも好んだ。カバンに収まるほどたいして大きくはないその体の中に、カバンには到底収まりきらないほどの知識を蓄えていたから。僕はフィクションでもノンフィクションでもいいから、本を使ってありとあらゆる世界を旅することにいくらでも時間を費やしたい。
僕の世界は、僕の見たもの知ったもので作られている。僕の狭い世界の外には、まだまだ僕の知らないものがたくさんある。だからそれを一つ一つ手繰り寄せるように知るのが何よりもおもしろいんだ。

ーー彼は知ることを好んだ。彼には何万、何億という知識が蓄えられている。しかし彼の知らないことだってある。自分の世界を作るのは、なにも知ることだけではないということを彼は知らない。世界は考えることでも作れるということを彼は知らない。
赤い花が人々を魅了するのはなぜか。美しさを規定するものは何か。言葉の正しい使い方とはどのようなものか。
自分の世界を作るのは他から得る知識ではない。自分が考えることによってはじめて自分の世界を作ることができるのだ。

ーー私は彼と一緒なんだ。

寒月雑話

未だ整理の追い付かない祖父の本棚から『梵雲庵雑話』を偶然引き出し、これを私の卒業論文にしようと思ったのは、墨田の桜はすでに緑、亀戸の藤も落ち着きを見せた、4月も後半に差し掛かったころでした。

初めの印象は、理想的な生き方をした人だなという印象でした。既に私の理想的人生モデルは存在していましたが、それ以上に楽しそうに生きた人だなと感じられました。元々、畿内関連の紀行文か、幕末から明治初期にかけての狭間の文芸をやりたいなと、ぼんやり考えていましたから、『百美人』がある寒月はどっちも抑えていて良いなと考えました。西鶴文学を学ぶ必要がありましたが、私は京都の大学で西鶴文学の授業を取ったり、全集を貰ったりしていたぐらい興味はありましたから、むしろ嬉しかったです。しかしそれ以上に、寒月自身に関心をもったというのが、一番の理由でございます。

『梵雲庵雑話』に収められている、主な文章の元は淡島寒月という人です。世のあれやこれを悟った上で、何でもかんでも「面白いね」と言って和かに愛し、これと思ったものは周囲に薦める、非常に無垢で良心的な好事家あるいは趣味家と呼ばれた方です。

寒月の、特に文学史上で凄いところは2つ。ひとつは、埋もれていた井原西鶴を掘り起こし、後世に引き継ぐきっかけを作ったこと。もうひとつは、幸田露伴・尾崎紅葉を代表する文学者に、井原西鶴などの近世文学を伝授したというところです。露伴紅葉どちらかの文章を読んだことがある人は、彼らの文章が西鶴の作品の影響下にあることはご存知でしょう。

簡単に言いますと、寒月がいなければ、私たちは世之介を知らないし、露伴紅葉、そこから連なる一葉鏡花漱石芥川三島、その他西鶴を慕った織田作之助や太宰治等、以降の文学は存在しなかったと言えるのです。違う形で存在していたかもしれませんが、確実に、『吾輩は猫である』の主人公は名前が違っていたでしょう。

祖父の本棚、しかも前列にあったものだし、生涯のネタにするにも相応しいものなのだろうと考え、直ぐに教授に連絡をいたしました。翌週には曳舟、神田、上野を歩きました。連休明けには、以前寒月に関する論文を出した先生が代表の、和洋女子大学硯友社文庫に乗り込みました。我ながら焦りを感じたらしいのです。当時、他にテーマを変えようと悩んでいるゼミ員もいたので、もしその子が同じことを考えていて、奪われたらたまったものではないと。今考えると笑いものですが。

ただ、おかげでまた、様々なものに出逢えました。美味い蕎麦、2枚の桜葉と薄い白い皮でつつまれた、控えめな甘さのこし餡、ことゝいと書かれ座った鳩、風情のある向島芸子の舞。以前から好きだった、浅草の和菓子屋やバーへ、ついでに通うことができたのも良かったところです。他のことを放って、こんなことばかりしていたせいで、家族に卒論一回辞めなさいと言われました。

本格的に執筆にとりかかったのは10月中旬からでした。夏は正直コンディションが調わず、10月7日に書き始めようと思ったら、インフルエンザになったので、翌週から始めたということです。10月末に最後の発表がありましたが、勿論間に合わず、当日は冷や汗をかきながら、淡々と発表した記憶がございます。

最後の発表の後、私は中学生の頃から成長しないんだと、泣く泣く打ち明けたら、他学科の友人が「私はまだ先行研究をまとめている最中だよ」というから、少し安心いたしました。しかし後から、彼女の学科の締め切りは日本文学科のものよりも1カ月ほど後だったことを知り、再び焦る羽目になった。これには流石に酷いと思いましたね。

論文執筆中は色々なことがありました。私は色々と知らないので、図書館やら国会図書館などのデジタル資料やらを沢山見て行ったわけですが、途中で、南翠や梅花の作など面白い作品をつい読み込んだり、デジタル資料越しに「こんな本 を見る奴は 馬鹿だ」「君もねっ」という落書きをみて、自分が少なくとも2人の奴らと同じく迷走していることを嗤ったりしていました。こうして寄り道をしているせいで、ぼんやりと目標として掲げていた、寒月の誕生日―11月17日でした、に第1稿を終わらせるというものは達成できなかったのです。

長時間本かパソコンかを見続けているため、眉間のあたりが常に重く、自動車学校の視力検査では追試を喰らいました。活字は辛うじて読めましたが、崩し字が読めなくなり、近世文学ゼミとしては焦りました。

目薬もアイマスクも効かなくて。目は脳に繋がっているため、そちらの方の疲労も中々。授業に出ることで気分転換を図っておりましたが、気絶するように長時間寝るような日々が続いたのもありまして、これはまずいと、休日は展覧会やゴルフに行ったりして画面から離れました。展覧会などのことは前回のブログで書きました。あれら以外にも色々とやりましたが、寒月は趣味の幅が広いし、きっとあれもこれも面白いから良いよと言ってくれるんじゃないかなと思ったりはしておりました。

寒月の事は春から今まで、ずっと好きだから、幸いでした。もし違ったら、ハロウィン以降は街中で見かける白いひげに敏感だったことでしょう。身内にいたら本当に困るが、昔の血のつながっていない人なので、こうして端から見る分には本当に面白い人でした。

紅葉露伴もそうですが、あの時代の作品や人物に関しては先行研究が少なくて、年表や家系図の整理から始めました。寒月による自作年表があるにはあるのですが、非常に簡潔なものですし、かつ寒月も言うことが時々によって違うことがありますから、信用なるかと言うと、そうとは言い切れません。

私は日本文学科に入って以来の願いとして、作品論をやりたかったので、そこに時間をさきました。寒月というのは、趣味の傍ら、愛鶴軒という、西鶴を意識した雅号で、いくつか小説や俳句を作ったことでも知られます。

初期の作品、『百美人』『けふあす』や、『浅草市の女不思議』あたりは近代の西鶴そのもので、文壇的役割もそこにあったものと考えられます。

そもそも、西鶴が求められたのは、その文体が非常に簡潔な写実手法をもっていたからです。時は言文一致運動の時代。どういった文体で表現していこうかという模索の頃に、西鶴文学に希望を見出した露伴紅葉を代表格とする文人たち。しかし、西鶴の『好色一代男』が生まれてから、明治15年時点でちょうど200年前。かの文豪たちも現在の私たちと一緒で、手にして、すんなりと直ぐに読めるものではなかったのです。特に風俗の違いは大きな壁となりました。文体を学びたいのに内容がわからないから先に進めないとなった時、求められるのは「現代の西鶴」です。寒月は綿密な西鶴研究のもと、そのニーズを見事満たすことに成功したのです。

尤も、寒月は処女作『百美人』を書いた時点では、専ら自身の旅の記録と、西鶴研究の成果として書いてみようとしただけで、悩める文人たちの助けになればなどといったことは無かったのだろうと考えられます。しかし、結果的に、これらが紅葉によって硯友社の『文庫』に「愛鶴軒」という雅号をつけて載せられる運びになったのも、同人の文学活動に役立つテキストとして重視されたからなのでしょう。

『江戸むらさき』第一号で行われた、投票に拠る当時の文壇で重要視すべき人物をランク付けしようという企画、「當世文壇十傑」では香雪(下田歌子)、得知(幸堂得知)、思案(石橋思案)と同票の10票を獲得しております。勿論、上には美妙露伴紅葉、南翠篁村、逍遥、あとは寒月と似たような分類だと宮崎三昧や依田学海が30票を獲得しているのですけれども、このランキングの注目すべきは「寒月」ではなく「愛鶴軒」でランクインしているところでしょう。つまるところ、寒月の作品に対する需要は硯友社に留まることなく、かなりの注目を受けていたと考えられます。

寒月作品を研究するに於いて、寒月が最後に書いた小説、『馬加物語』は特段重視すべき作品です。あれは『百美人』などを沢山書いた明治22年から10年後の明治32年に発表されたものです。西鶴をそのまま受け入れるのではなく、そこからキリスト教であったり、奈良朝趣味であったり、露伴ら友人達の文学作品であったり、アームストロング牧師との交流経験を併せながら、更に咀嚼して、寒月の内から出た作品だと考えます。

寒月は数え年68歳の大正15年2月23日に亡くなったのでありますが、来年はついにそれから100年ということになります。辞世の句は「我れと生き我れと死すも我がことよ その我がまゝの六十八年」「針の山の景しきも見たし極楽の 蓮のうへにも乗りたくもあり」というのでありました。

定職に就かず、ぶらぶらと世俗から離れ、自分の好きなことをして人生を楽しむ人のことを「遊民」といいまして、生前交流があった石川淳が寒月のことを所謂これだと言っている、丸山才一との対談がございます。遊民というのは江戸時代から存在していたものでして、戯作者などはこれに分類されました。しかし、明治時代からそういった者は減って行きました。国家の方向性が遊民が遊民として在るのを難しくさせたのです。寒月はこれに反抗するように、世俗から離れ向島に住んでいたわけですけれども、向島というのは関東大震災で酷い被害を受けたところであります。寒月の住んでいた梵雲庵も全焼、大事なコレクションを全て失ってしまい、恨心終に止まず、2年の内に自身も雪氷と共に溶け消えてまったようです。

ここからは未来を生きる私の予想ですが、淡島寒月翁という人は、安政6年から大正の終わりという期間だからこそ成立し得たのだろうと思います。大正が終わって昭和に入って暫くしないうちに、日本は国家総動員戦に移ります。この段階で遊民という存在は完全に無くなります。更に、趣味もままならなければ、寒月達が愛した芸術の域が戦争に利用されるわけです。それに、その戦争の相手というのが、寒月が若いころ移住したいと思っていたアメリカや、友人の故郷であるイギリスなどですから、もし生きていたら相当苦しんだのだろうと思います。逆に、安政より前に生まれると、裕福な商家の息子とはいえ外国趣味にこんなにも入り浸れたかは不明なところですし、やはり明治の人というところでしょう。

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出来上がった文章を見ると、卒業させてくれるかはともかく、私の色々と遊び暮らした大学生活をよく表していると思います。所々に4年間で学んだことを散らすことができました。これで卒業認定していただければ、私の大学生活は確固たるものとして保証されましょう。まだ提出できてないのですが。

色々と寄り道しがちな私が、コロナ禍を経た2022年、世界に出る前に日本を知りたいのだと、志望書に書いて合格した日本文学科で、同じく世界に出たら「日本のことを皆から聞かれるだろう」と考え、研究を始めた人のことを研究出来たことは、偶然にしては嬉しいことです。

私は決して真面目な人間ではないので、志望理由も、これ以外にも色々あったのですが、当時は確かに西洋趣味で、なんだか一番説明が楽な気がしてこれを選びました。入学してからも、気の赴くままに、面白そうなことは全てやっていこうという気概で、大学生生活を送っておりました。文学に囚われず、社会学、東洋医学、史学、地学、民俗学、心理学、生物学、工学、法学、数学、京都では神社仏閣と教会を往復して。4年になって、Nor ekarri du ardo hau?と遠い国の小さな自治州の言語を呟きながら、日本文学科の学科で取るべき単位が未だ数単位足りないことに気づいた時には、流石に私は何をしているのかと悩んだこともありました。

しかし結局これが本筋で、地図は祖父、道標が教授たちで、その先にいたのが寒月で西鶴といったところなのでしょう。信念徹底、自発創生成り得たということで、本日はこのぐらいにしておきたいと思います。

みなさま21日の予定はいかが??空けてる???空けてるよね

こんにちは!みくですどうも🔥

さあ、毎回懲りずにM-1の話ばかりしていますが、いかがでしょうか、このブログを日々読んでくださっている方だけでも、当日12月21日(日)に、18時30分からの決勝戦からではなく15時からの敗者復活戦から見てほしいのですが。ご予定はいかがでしょうか。とはいえ、受験生の方のもちろんいらっしゃるでしょうから、1日M-1なんか見れるわけないでしょ、という方ももちろん。まあ、録画して後から見るのもまた、楽しみが増えていいですね。
今年の決勝戦進出者も先日発表され、いよいよ来週に迫って参りました。
敗者復活戦の会場チケットに落選した悔しさの中、私はお友達とビジネスホテルに昼からチェックインして夜まで大騒ぎするべく、楽天トラベルのクーポンをフル活用することに全力を尽くしています。

さて、私には姉がいて、私があまりにもお笑いに熱いので興味を持ってくれ、今では姉も推しを作って一人で劇場にいくほどなのですが、その姉に、友達におすすめのネタを紹介したいから選んでくれと頼まれました。
自分でやれよ、と一瞬思いましたが、去年も同じように頼まれて紹介していたのを思い出しました。去年は、決勝ネタを全部見てくれたその子に、誰が好みだったかを聞き、その好みに合うように敗者復活戦のネタを選んだのでした。その選出がどうやらばっちり合っていたようで、好評だったので今回は準々決勝の段階から、YouTubeでネタを見てくれるそうです。
これは嬉しいことです。やりがいが溢れてしまう。

ちなみに、去年送ったDMはこちら。

勢いがありますね〜いいですね、しかし今見ても、このネタを挙げたのは納得です。今年決勝戦に進出したドンデコルテが入っていますし。

挙げたネタは全て見てくれたらしく、私も推しが多くの人に見られて嬉しいです。というわけで、今年の準々決勝を惜しくも落選してしまったネタが期間限定でYouTubeに載っていますから、こちらをぜひ見てください、と送った文章をそのままブログにも持ってきちゃいました!万人受けするのでは?というネタを厳選しました。挙げた順番には何も意図はないので、コンビ名に惹かれた、とか説明文が気になった、とか、何かしらの引っ掛かりがあれば、息抜きにでもしてください。

↓↓↓

YouTube準々決勝
コンビ名(ネタ:私のメモ用なので気にせず)をクリックするとその動画のリンクになっているはず、です。うまくできていれば!!リンク間違えてたらどうしようと思って全部確認してまた全員のネタを見てしまったので、多分合っていると思います。

今年のワイルドカード(準決勝で落ちてしまったコンビの中での視聴者投票)を勝ち抜いたネタですので、まずこちら♩さすけさん(画面左)の口から出てくる聞き馴染みのない単語を、ファンは「ベイビーワード」と呼んでいますよ♩

今年のベストアマチュア賞。ワハハ、じゃなくてグヘヘヘって笑うと思う。下ネタなんか言ってないのに、なんかイケない気持ちになります。アマチュアの社会人一年目コンビなのもこわいです。準々決勝がもし好みだったら、1回戦のナイスアマチュア賞を獲った動画もYouTubeにあるのでぜひ。

必須!絶対絶対見るべき!茶屋さん(画面左)の声ってクセになります。はい、せっかくリンクを持ってきたのだから、見てくださるべきです。

言葉遊び系だけど頭は使わないで見られるネタで、絶対みんなわかるし面白い!ネタとは関係ないけど、大学のお笑いサークルの先輩西野さん(男性)と後輩よしおかさん(女性)の関係性は普通にオタクみんな好きだと思います。敬語コンビ。

私は計算が一切できないので終始ネタの思惑通りに振り回されて楽しかったですが、生まれ変わって理系になって暗算が得意な状態でこのネタが見られたら、また違った面白さがあるのかな、なんて思いました。

今年、陰謀論系のネタ多いな〜という印象でしたが、私はこれが1番がっつりしていて好きでした!トリオって絶対コンビじゃできないことしてくれて楽しい!

ガチ兄弟コンビです。画面左が兄・体制さん、画面右が弟・紅葉さん。私は兄弟のネタの、日常のひっかかりを地球規模に大きくしていくような展開が大好きです。

木佐さんと一緒にちろるちゃんのお家を想像しよう!キモ系のネタです。

地球が”球”だと気が付く過程。私はこのとき劇場にいたのですが、ただでさえ重い準々決勝1日目のAブロックを一気に暖めたワクワク系のネタです。

鱈にあたった話をずっとしていますね。

加えて、個人的にめちゃくちゃ好きだったネタです!万人受けじゃないかもだけど私の好みのネタを挙げました!余裕があれば、こんな感じのが好きなんだ〜と思ってください。

私はワイルドカードをマードックで投票しましたよ。全部のネタを見て、決めきれなかったので劇場で見て衝撃を受けたネタに決めました。私はカラタチも好きですし、とにかくオタクがデュフデュフしてるのが好きなのかもしれません。マジで面白いです。来年も楽しみです。

なんと、3:21で、文字数制限が外れます。めっちゃ嬉しいです。

これを見ないと寝られない夜がありました。「70枚」が口癖になりました。

今度からカロリーの高いご飯を食べに行くことを「豚しに行く」と言います。

私は狛犬のこのシステムがめちゃくちゃ好きなので、はやく準決勝に行って欲しい。よく聞くとほんとにありえないことばっかり言っててえぐい。

↑↑↑
以上です!これが、落選してしまったネタなの怖くないですか。こんなに選んでこの面白さ。この人たちより面白いと評価されたコンビが決勝戦、敗者復活戦に出場します。楽しみになってきていれば、幸いです。次回の更新はおそらく決勝戦の後だと思います。誰が優勝するのか、私の応援しているコンビはどうなってしまうのか、ドキドキします。

ではまた、決勝や敗者復活のおすすめネタもきっと載せますね。

自分史B

ごきげんよう、あやめでございます。

前回はゼミ選択について語ったので、今回はもっとさかのぼって高校時代について書こうかと思います。またもとてつもなく長くなる予感がします。じめじめした内容です。そしていつもの。この作品は事実に基づいたフィクションです。

◆◆◆

忘れもしない出来事というものは、他の誰にも覚えられていないような何の変哲もない一日に起こるものだと思える。ワクワクして一か月前から楽しみにしてカウントダウンした遠足のある10月8日も、隣に住んでいる大学生のお兄ちゃんには全く関係ないことだし、過去最低点を観測した中間考査の社会のテストがあった5月20日も、散歩をしているおばあちゃんには関係がない。私にとって最高の日も、お母さんにとっては最悪の日で、その晩はお母さんの愚痴大会が開催される。私にとって最悪の日も、5歳年下の妹にとっては最高の、縄跳び大会の日で、妹はそこで1位を取って賞状を貰って帰って来た。私にとって最悪の、あの、古典の授業を早退した、それを皮切りに高校に向かう足の重さをこれ以上なく認知した日は、忘れもしない、4月22日の午後であった。微熱が出て、珍しく春にインフルエンザが流行った年だったから、大事を取って早退したはいいものの、怠い体を引きずって帰るには30分に1本しか来ない電車も、花曇りの冷たい空気も、2時間越えの長すぎる通学路も、あまりにもストレスフルな環境だった。そこで私はおぼろげに、あそこに行きたくないと感じてしまったらしいのである。

中学時代の私は、有名な優等生をやっていた。人数が少なく、保護者同士の距離も近い密度の高い地域に住んでいて、そこで優等生をやるというのは、役職総なめをするということに等しい。様々な肩書を背負い、先生方の期待どころか地域丸ごとの期待を背負って、若さのエネルギーを成長一本につぎ込んで、タケノコよろしく、破竹の勢いで成長していた。周囲の成長を押さえつけてでも這い上がるような勢い。勉強も部活も行事も委員会もこなす勢い。友達には何度も羨ましいと言われ、その言葉に彼岸と此岸を隔絶するような重たい杭を感じても、私には「そのほか」の時間がないからゲームばっかりやっているらしいあなたと違って然るべきねとその境界線すらはねのけ、そこのけそこのけ私が通る、と突っ走っていた。この間、純粋でまじりっけのない童話の世界観で生きていた小学生時代のキラキラおめめを棄て、斜に構えて誰にも頼れないという事実に基づかない信念を片手に、この世のすべてを疑ってただ己の力のみを頼りに生きてやろうと思っていたあの頃。テストでどれだけ…たとえ5教科合計で490点台をたたき出していても…100点満点じゃなければ意味がないとして追い込めるだけ自分を追い込んで、まだ足りないまだ駄目だと、追い込むほどに点数が低くなるのにも構わず追い込み、行き先の知れない〈怒り〉みたいな感情を爆発させる毎日であった。あまり自分本体に興味もなく、思い通りに「結果の出せない」「使えない」脳みそを恨んだりした。あのころ欲しかったのは「1」という順位か「100」という点数で得られる数字で、サンタさんにお願いしたのは時間だった。進学する高校すらどこでだってよかった。勉強さえできるならなんだってよかった。強いて選ぶならば一番勉強が出来そうで、愉快で知的なお友達が得られそうな、そして将来の選択肢を広くとれそうな地域で「一番の」進学校に行きたい(行くべき)と思った。最期の模試の結果的に偏差値はぎりぎりだったけれど、通知書の数字がほとんど完璧(体育だけどうしても5を取れなかった)だったおかげで、なんとか目標だったあの地域一の進学校に合格した。

高校時代の私は、中学時代に切望した「時間」を、不登校になるという方法で手に入れた。代わりに、中学時代にその時間を使ってやりたかった数々の「タスク」が、ことごとくできないコンディションになった。読書がしたかった。勉強がしたかった。いろんなことを知って吸収してそれをつかって積み木遊びがしたかった。かんたんなパズルを解くような気持ちで、学校のワークを解きたかった。もっと知りたいことがあった。ボールが真っ直ぐ飛ぶことを、数式で表せるってどんな気持ちだろう。大好きな合唱が数字で見られたらどれだけ面白いだろう。世界中の事柄を知れるようになったら読むべき文字数が何文字増えるだろう。あの山にかかる雲の正体を知れたら「くもをつかんだ」気持ちになれないだろうか。このあふれ出る気持ちを誰か他の人に伝える手段として漢詩を詠めるようになったら、どんなにか!しかしこれらの情熱の火は、あの日古典の授業を早退したあの日にフッと消えてしまった。

不登校時代はまったく苦しい日々だった、と今になってようやく認めることができている。当時は「苦しい」ということを自覚することすらままならなかった。誰かに何か危害を与えられたわけでもないのに、大した理由もなく、くるしいふりをして、ずる休みをする、卑怯なやつだと、自分を認識していた。毎日仮病を使って、そのうちなんだか本当に苦しいような気がしてきて、目の前が真っ暗になって、おっとやりすぎたかな、と思ってしゃがんでみたら、駅に居た善良なおばさまに駅員さんを呼ばれたこともあった。出席日数を稼ぐために、「文化祭だけ出席するヤツ」になって、そこでよせばいいのに所属していた部活動の発表を一生懸命やって、ようやく発表が終わったから控室になっていた暗くて誰も来ないパソコン室の床にしゃがみこんでいるうちに、手足はおろか顔面とお腹がしびれてきて、誰も来ないだろうと思ってそのまま横になってみたら、ひんやりして喧騒がすごく遠くなった気がして、なんだかすごく心地よくて、このまま誰にも気づかれないまま寝てしまいたい気になって、ぼんやりしていたことがあった。無論あっけなく友達にみつかって、あれよあれよといううちに大事になって、保健室の先生に「またお前か」という嫌な顔をされているのに気づかないふりをしつつ、ここまで来てもまだ立ち上がる気力がわいてこず、後は野となれ山となれと思ったこともあった。その日は救急車で搬送された。大したことない仮病で搬送されて、恥ずかしくて嫌になったけれど、搬送されてもなお、起き上がる気もまた起きなかった。次の日はまた休んだ。

この調子で満足に通学することもなく、欠席か遅刻か早退を繰り返して、毎朝母に「行くの?行かないの?」と問われるたびに「朝」を強烈に感じては、コピペしたみたいに進展のない毎日を嘆いていた。読書も勉強も、そもそも文字が読めなくなってできなくなった。判読する前に脳みそが限界を迎えて、集中力が極限まで削れていた。これでもまだ仮病だと思っていた(今だってただの思い込みだったような気がしてやまない)私は、毎晩じぶんを呪って、その呪いの効果は抜群で、次の朝も最悪の日のスタート地点に立っていることになった。

たまに行く高校で楽しみな授業は、数学と地学だった。ただし数学は基礎の授業を欠席して、応用の授業だけ出席したりしていたから、まるきりなにを言われているか分からない日もあった。それでも楽しみだった。他の授業もさすが進学校、大体が予習と復習が必須の内容だったから、一人だけまったく置いて行かれた人として存在してゐた。隣の人やらグループで取り組む課題はことごとくご迷惑をおかけしたし、私が所属するグループは必ず一人少ない状態で進行していた。かわいそうで申し訳ないことだった。情けなくてひとでなしだと思った。そして、中学時代に夢想したような「愉快で知的なお友達」は、どこにもいなかった。私はわたしが外れ値であることを自覚した。

開けない夜はない。止まない雨はない。四季は巡る。やがて春が訪れる。これらはあの頃極端に嫌った言葉群である。このつまらなくて苦しいふりをした面白みのない私の青春は、青くなる前に枯れ果てて、春なんて幻想なんだと思うことで自分を守っていた。止まらない脳みその回転に身体が負けて、自己否定が溺れかけの私の一把の藁であった。ぬくぬくのお布団の中に居ながら、自分が何者でもないと想像して泣いて、夕飯の時間になって呼ばれて、夕飯を美味しく食べて、布団に戻って来て、家族に属しておいて、何者でもないとはなんだと思い返しては想像力のなさを嘆いて泣いて、泣いている時間と労力が無駄だと泣いて、この間2時間半、通学できちゃったな、と冷静な視点を持ちながら、面白くなってきて泣きながら笑って、脱水症状になって気絶するように眠った。

どうしても成績がよかった理科を手放したくなくて、周囲の大反対をつっぱねて国公立志望を出した。担任の先生に何度も呼び出されて、出席数が足りなくなってきたら自分だけじゃなくて母親も呼び出されて、劣等生を通り越して問題児になっているのに、国公立。とりあえず数学と理科の勉強をして、授業が演習になった高3の2学期からは遅刻しながらも欠席を減らして通学して、のらりくらり、共通テスト本番は模試で軒並み高得点だった国語と伸びてきた数学がここにきて大コケしつつ、他は過去最高点を取ったため、進学は叶った。

大学進学してからは、どうしても「あの頃」に戻りたくない、という一心で例えば体力づくりとか、気持ちの整理とか、自分の取扱説明書をつくってみるとか、そんなことをしていた。多分、こういうことはもっと若いうちに終わらせておくべきだったんだろうなと、湧いて出てくる邪念をほうきで掃きだしながら。幸い、文字が読めるようになったから、それをつかってあの頃何が起きていたのかを、大好きな「学習」を使って認識したり振り返ってみたりした。誰にも明かしてはならない、こんな発想バレてはいけないと信じていたこれら不登校時代の記憶を、こんな不特定多数のみなさまの前で打ち明けれらるようになったのも、大学四年間の集大成としては上々の結果なのかもしれない。

ご存知でしょうか、これまでの人生において、一番年を取っているのは今この瞬間なのです。しかしながら、これからの人生において、一番年若いのはまた今この瞬間なのです。何を想像しても明日は来るし、であれば踊らにゃ損、という算段が成り立ちそうです。例えばお先真っ暗であることを嘆いて、自分のかわいそうなさまを強調して、あったかくておおきい存在、誰であってもいいからかわいそうだったねと言ってくれる存在を探り当てて、抱きしめてもらえるように訴えかけることはもちろん可能です。そう言う存在が実在するかどうかは別として。例えば私の物語の主人公は私であるのだから、他でもない私が悲劇のヒロインであることは自明で、これによってあなたに私が悲劇のヒロインですよと自己紹介することも可能です。「あなた」がどう思うかは別として。だけれど、このへんちくりんなおばけの私は、かようにして「おばけ」を自称するに至りましたし、おばけとして浮遊すれば(私の物語の主人公であることすら「抜け出せれば」)楽しく存在できることを知りました。分相応かは別として。

結局、中学時代の私がサンタさんにお願いしたかったのは、本が読めるという事だったようです。おばけになってから、ずっと前にサンタさんはプレゼントを届けてくださっていたことに気が付きました。どうしてこれまで気がつかなかったのか。それは、私が、クリスマスプレゼントは枕もとの靴下の中のお届けだと思い込んでいたからです。そうではなく、玄関前の置き配でした。灯台下暗し。我思う∴我有り。以上大長編でお送りいたしました。私の半生物語を、日本史Bの教科書をもじって「自分史B」とか生意気な名前をつけてお届けしました。お付き合いいただきありがとうございました。また次回。

学食は助かる

卒論を提出し終わりました。

うちのゼミ(中世ゼミ)の締め切りは12月10日だったのですが、8日くらいには出した気がするのでわりと余裕を持った方ではないでしょうか。まぁ卒論を出してから達成感で他のことがやりたくなってしまい、要旨を出したのは次の日だったのでギリギリと言えばギリギリだったかも。

そんな卒論の執筆中、私は基本大学図書館にいました。朝の開館時間から夜は18時くらいまで図書館でひたすらパソコンや資料に向き合う一週間でした。たまにジムがあって朝から大学に行けなかった日にそのまま大学に行かずに家でやると全く進まなかったので、後半はジムの日も終わったら大学に行っていました。

卒論執筆中、いちばんありがたみを実感したのは大学の学食でした。

実は私、在学中に学食にほとんど行ったことが無かったんです。入学したての時は学食ってだいたい混んでますし、お弁当をいつも持ってきていたので必要なかったのです。学年が上がるとそもそも昼を跨いで大学にいることも少なくなり、そのまま学食に足を運ぶことはほとんどなく……。

そんな私がなぜ学食を体験できたかというと、ジムのおかげです。

ジムに通っているとトレーナーさんに一日の食事報告をするのですが、さすがに毎日お昼がコンビニご飯は報告しずらいな、と思い学食でいいメニューがあればそっちにしようとふらっと立ち寄ってみるとあまりのバランスの良さに感動しました。

魚があるし、野菜やたんぱく質が取れる小鉢もある!

しかも外で定食を食べるより全然安い!

大学生も終わりかけですが、学食の良さを知れてよかったです。まだあまり行ったことないな、という方もぜひ一度足を運んでみてください。美味しいです。

満腹で満喫

お久しぶりです!ゆずなです🪼

今回は、

①クリスマスマーケット

②人生初福岡

の2点を綴りたいと思います。

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🪼①クリスマスマーケット

友人と横浜赤レンガ倉庫のクリスマスマーケットに初めて行ってきました🎄以前からクリスマスマーケットの楽しさは兄弟や友人から聞いていたので、念願叶って行くことができ、とても嬉しかったです🫶🏻

会場に足を踏み入れた瞬間、そこはクリスマスのヨーロッパにタイムスリップしたようでした!
赤、ゴールド、緑、クリスマスカラーに装飾された小さな可愛いお店がお出迎え。中央にはライトアップされた巨大なクリスマスツリーがあり、見ているだけで心がウキウキ🎅🏻

パンの中心をくり抜いたところに入った熱々シチューや、ぐるぐるとした形の大きなソーセージといったクリスマスマーケットならではの食べ物から、メリーホワイトミルクティーという上にトナカイや雪の結晶のチョコレートが乗っている可愛い飲み物までたくさん味わってきました!
友人と長い時間お喋りすることもでき、ステキなひと時を過ごすことができました💞

クリスマスマーケットに行かれる皆さん、赤レンガは海に近く、想像以上に冷えるので防寒対策は十分にして行ってあったかい時間と食べ物を楽しんでくださいね……!


🪼②人生初福岡

一泊二日で福岡に行ってきました🧳推しのライブに行ってきたのですが、演者やファンの熱量をほんとーーに久しぶりに実際に感じることができてとても楽しかったです🔥 
DVDや配信で見る推しにも活力を貰えますが、現場に行く楽しさを再確認することができました。

太宰府天満宮には、ずっと憧れにも似た気持ちを抱いていたので、ライブの翌日に参拝しました⛩️
太宰府駅から太宰府天満宮に向かうまでの道は厳かな趣があり、紅葉真っ盛りの太宰府天満宮もいとうつくしゅうございました✨境内は整然とした中に華やかさがあり、人々に愛され尊ばれていることが伝わって来ました。


参拝後は、参道であまおういちご飴、梅ヶ枝餅、太宰府スカッシュなど、たらふくいただきました。こちらも推し活を楽しみました。

私のお勧めは、梅ヶ枝餅という和菓子です。こちらは、平安時代、無実の罪で太宰府に左遷された菅原道真公が、食事にも困るほど困窮していたところ、近くに住む老婆(浄妙尼)が梅の枝に餅を刺して差し上げたのが始まりとされます。
素朴で純粋な味で美味しく、お土産用を即購入してしまうほどでした🤤


太宰府天満宮のお参り後にはラーメンを食べる予定だったのですが、参道でありがたく食べ過ぎたお陰でお腹がいっぱいになってしまったため断念しました…。

私は梅ヶ枝餅を「かさの家」というお店で買ったのですが、他にも多くのお店で販売していたので次に太宰府天満宮に参拝する機会があれば、他のお店の梅ヶ枝餅もいただきたいです。もちろん、お腹と相談して断念した博多ラーメンも🍜



博多、ばり好きっちゃん!

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本日も私のブログを最後まで読んでいただき、ありがとうございました。



今日もあなたにとって、笑顔になれる日になりますように♡

充実してて逆に怖い日々

 こんにちは、こんばんは。
やりたいことをたくさんこなせていて、ご満悦なりさ🎧です。


 本題に入る前に最近あった教職の授業のことでも書こうかしら。
先日教職の模擬ミニ授業がありまして、それは11月の時点で方向性を決めていたのもあり発表前日に時間がなくて焦るようなことはなく無事終えることができました。
今回行った授業は道徳で、取り扱ったテーマは「礼儀」について。日本人は特に礼儀を重んじますが、それはなんのために誰にするのか、なぜ必要なのかを相手が中学生だと仮定して行いました。(日本女子大学で教職を取る場合には中高の教員免許状の取得が基本です!道徳は小中にしか設置されていない科目なので、ここでは中学生へ向けた授業の練習を行います。)
他の聴講生はパワーポイントやワークシートを用いていましたが、板書でやる難しさを経験しておきたい、と思い私は板書で授業しました。
 実際にやってみて、「板書している“間”をどのようにデザインするか」が自分の中で議題に上がりました。無音の時間は空間がピリつくような感覚がします。
かといってパワーポイントでは想定する答えが出てこない限り質問を繰り返すことになりますし、ワークシートだけでは全体の共有が難しい…
実際の現場ではICT機器を用いてリアルタイムで意見を共有できるようにしているのでしょうか。
今度母校に行く機会があるので聞いてみようと思います。


 さて、本題に入りましてやりたいことができている「今」をざっと紹介していきたいと思います。いつまで遡りましょうか。
 11/29かな。この日は神宮外苑の銀杏並木を見て、その後国立新美術館で「ブルガリ カレイドス 色彩・文化・技巧」展(以下ブルガリ展)を見にいきました。
銀杏並木はやっぱり旬なのもあって人がたくさんでした。ふと足元を見てみたら銀杏の落ち葉でハートが形作られていたり、ブーケを作っている方がいらっしゃったりと器用な方が多く眩しかったです。
ブルガリ展は言葉が出てこなくなるほどのジュエリーによる美の暴力に圧倒されました。
行った後に気づいたのですが、この展示は日本女子大学が入会している「キャンパスメンバーズ」の割引対象展示だったようです。ちょっとお安くブルガリの作品を見れるのもあと1週間(12/15までの開催)ですので、気になった方はお早めに!

 お次は12/4。この日は1限に出席してから友達と待ち合わせて新宿の方へ。
そこでは昼食をとるのと私が欲しかったお洋服・文房具を買いました。大事な時間を私の買い物に充ててくれた友達に感謝です!
その後はお目当ての六本木のイルミネーションへ。
六本木ヒルズのイルミネーションは先に見える東京タワーも相まってとても綺麗でした。ただ、その感動をスマホで撮ろうとしてもなかなか難しかったです。きっといろいろな設定をした後に撮るのでしょうね。いつか行く時のために勉強しておこうと思います。
東京ミッドタウンのイルミネーションではシャボン玉の演出があり、六本木ヒルズとはまた違ったそれに感動しました。
(余談ですが、この日の1限は「f-Campus 5大学単位互換制度」を用いて他大学で受講しています。日本女子大学とはまた違った雰囲気で、学食も週替わりでとても楽しいです!)

 最後に12/6。この日は教習所で学科を受けてからユニクロへ。お目当てはマフラーに刺繍を入れること!
インスタで投稿を見て、商品だけ決めて行ったのですがなんとその日はお安くマフラーが買える日だったようで、2,990円のところ1,990円で買うことができました。刺繍は+1,000円なので、マフラーの定価で刺繍も入れれるというお得な日…!!
受け取りに2日ほどかかったものの、一目惚れした商品に刺繍ができるという大満足のサービスを受けることができホクホクな気持ちです。
気になった方はユニクロのインスタ、もしくはホームページをチェックです!


 本日は道徳の模擬ミニ授業と充実している日々についてお送りいたしました!
またお会いしましょうー!!