上手く使えばどうということはない

こんばんは。かつーんです。
今、我が家の庭には蛙が棲み着いています。
2、3ヶ月前からケロケロ鳴く声が聞こえてきたので、恐らくその頃に我が家の庭に辿り着いたのだと思います。
(厳密に言えば、ケッケッケッケッケッケッケッケッといった鳴き声です)
ただ、我が家の庭には、小さな池など水が貯まっているような所はないんですよね。
蛙は両生類なので、水がなくてもある程度は生きられると分かっていますが、それでもよく生きているなぁと思います。
だからこそ、雨が降ると非常に元気よく鳴く声が聞こえるのでしょうが。
一時鳴き声が聞こえなくなったので、流石に干からびてしまったのかと思いました。
しかし、また最近聞こえるようになったので、いつまで聞こえるかと家族と話をしながら、耳をそばだてたいと思います。
 
さて、今回は遊びの物差しについて少し思うことを書き連ねたいと思います。
突然ですが、皆様は好きなことが何か聞かれた時に何と答えるでしょうか。
私は大抵読書と答えますが、テレビを見ることやゲームをすることなども好きです。
読書(堅い本から漫画含む)やテレビ(アニメ含む)を見ることが好きと言うと、大抵は違和感がないようでそのまま話が繋がります。
しかしゲームが好きだとかゲームをすることを言うと、結構驚かれることが多いです。
驚く人の大半は、私の顔立ちや雰囲気から私を堅くて真面目な文系女子(苦笑)と判断するようで、サブカルチャーに興味があると思っていないことが多いです。
割と昔からそのように思われることが多く、慣れているもののいつも不思議に思います。
私の家族は多様な趣味を持っており、ゲームもその内の1つに挙げられます。
その為、幼い頃からゲームをする機会が多々あり、遊び道具の1つと捉えていました。
ニュースなどでは、ゲームの悪影響云々と言って悪く取り上げる風潮が強いように見受けられますが、前述の理由からそこまで悪い点ばかりかなぁと首をよく傾げています。
今回ゲームを話題に取り上げたのは、ツイッターでとある呟きを見たことがきっかけです。
知り合いがリツイート(自分が良いと思った他ユーザーのツイートを再投稿すること)した呟きに、ゲームを義務化してサッカー少年に転向したというものがありました。
2ヶ月程前の呟きなので既に様々な意見が出ており、一時は論争になっていたと聞きます。
初めてその呟きを見た時、色々思うことはありましたが、まず感じたのは寂しさでした。
私はゲームにしろサッカーにしろ何にしろ、全ては扱い方次第でどうともなると考えています。
サッカーもゲームと同じように義務化されれば、恐らく嫌気がさしてやめるでしょう。
それよりはご褒美や賞品のように位置づけて、やる気を引き出すように持っていけば、上手く扱えて良いのではないかと思います。
これは私の子供の頃の経験に基づいた考えなので、万人に通用する訳ではないでしょう。
それに、いつまでもそれを目的に勉強をしたり、家事を手伝ったりするのは、流石に宜しくないと思います。
ただ、人は何をきっかけに大きな興味を持ったり活力にしたりするのか分からないので、それを早い段階で他者に選り分けられてしまうのは、寂しくもったいないことと思うのです。
所詮程度によって見方が変わるものですが、上手い扱いをすることが最善なのだと思います。
 
ゲームと言えば、スマフォでゲームをしている人が非常に多いですよね。
電車に乗ると、乗客皆同じように下を向いて操作しているので、少しばかりびっくりします。
(ツイッターやスレッドなどを読んでいると思しき人も多いので、全員がゲームしていると思いませんが)
私はスマフォのゲームは作業に感じられるものが多くて不得手なのですが、ああいったゲームは飽きるのが早いような気がします。
子供のゲームの向き合い方をどうこう言う前に、大人のゲームの向き合い方もある程度考えた方が良いと思います。

私の「微妙」、誰かの「微妙」

こんばんは。かつーんです。
前回の記事で翻刻や写本について取り上げましたが、少し前にくずし字をテキストデータにできるOCR(光学文字認識)技術がニュースで扱われていましたね。
それを見た家族や日文の友人が、荒ぶったりしみじみしたり色々な反応を示していました。
現時点で精度が80%ほどだそうなので、これが普及したら大変便利になりそうですね。
ただ、完璧に読めるような段階になるには、まだしばらく時間がかかるような気がします。
なぜなら、字には癖があるからです。
「そ(曾)」や「に(耳)」など、崩した形が癖に関係なく紛らわしい字も多くありますが、癖によって紛らわしく見える字が結構あります。
(だからこそ校訂作業が重要なのですが……)
OCR技術に詳しくないので、もしかすると筆の入り方や払い方、筆圧などで、人が肉眼で判断するよりも正確に読めるのかもしれません。
何はともあれ、早く普及できると良いですよね。
 
さて、今回は言葉の意味について少し取り上げたいと思います。
皆様は言葉の意味を調べた時に、その意味がどのような順番で並べられているのか気になったことはないでしょうか。
大抵の辞書は、新しく示すようになった意味を後ろに付け足していきます。
例えば「微妙」という言葉の場合、日本国語大辞典とデジタル大辞泉では次のように載っています。
(凡例は省略しました)
(日本国語大辞典)
び‐みょう【微妙】
①美しさや味わいが趣き深くすぐれていること。また、そのさま。みみょう。玄妙。
②物事の状態や関係などが、言い表せないほど細かく複雑なこと。また、そのさま。

(デジタル大辞泉)
び‐みょう【微妙】
1 趣深く、何ともいえない美しさや味わいがあること。また、そのさま。みみょう。
2 一言では言い表せないほど細かく、複雑なさま。また、きわどくてどちらとも言い切れないさま。
3 《「微妙に」の形で》少々。やや。
4 《「ビミョー」と書くこともある》俗に、否定的な気分を婉曲にあらわす語。明言したくないときなどにも使う。

現在は大体の方がデジタル大辞泉の4の意味、つまりマイナスのニュアンスで用いていると思います。
しかし、日本国語大辞典の①及びデジタル大辞泉の1の意味が古くからあったものですから、元々はプラスのニュアンスで使われていたという訳です。
漢和辞典を引いていませんが、もしかしたら更に前の時代では、また別のニュアンスで用いられていたかもしれません。
「貴様」などもそうですが、意味の移り変わりを追いかけると、時折思いがけない意味に出会えるので、なかなか面白いですよね。
言葉は生き物ですから、使い方や意味が移り変わることは多くあります。
今は誤用だ何だと騒いでいる言葉の意味も、いずれはちゃんとしたものとして辞書に載るのやもしれません。
ただ、辞書の意味はあくまで基本的なものであって、最終的には個人の言語感覚に左右されるのだろうと思います。
例えば「心配」と「不安」は類義語ではありますが、僅かなニュアンスの違いから、細かく使い分けている方がいらっしゃるでしょう。
その一方で、どちらも「気がかりで落ち着かない」(by日本国語大辞典)というニュアンスで、同じように使う方もいらっしゃるでしょう。
すると、結局辞書などで調べてみても、使っている人次第でニュアンスが変わってきます。
辞書の意味も時代の最先端の意味も大切ではありますが、使っている人の意味が重要なのだろうと思います。
 
私は「他人」という言葉を、自分以外の人という意味で使うことが多いです。
一方私の家族は、親族ではない人という意味でよく使うようです。
以前どこまでが「他人」なのか話をした時、そのような感覚の違いがあることに気付き、「寂しくないか」と言われてしまいました。
同じ家族でこれだけの言語感覚の違いがあるわけですから、万人が納得する辞書を作るのは、本当に難しいのでしょうね。

ミミズを読む

こんばんは。かつーんです。
本日我が家に伝西行筆の『一条摂政集』の複製が届きました。
『一条摂政集』もとい『一条摂政御集』は、私が卒論にて扱っている私家集です。
三蹟の一人である藤原行成の祖父・藤原伊尹(諡は謙徳公)の私家集とされ、写本は益田家旧蔵本のみが残っています。つまり孤本ということです。
校訂を含め、翻刻から始めて歌を見なければならないと考えて影印本を探していましたが、閲覧可能な図書館や博物館が限られ、なかなか見られそうにありませんでした。
先日、知り合いの方に名古筆の本にてフルカラーで載っていることを教えて頂き、まずはそれで確認しようと取り寄せた次第です。
早速目を通してみましたが、写真の綺麗さに驚き、そのお蔭でとても見やすいことに感激しました。
欲を言えば思いの外写真が小さかったので、もう少し大きければ尚良かったです。
とは言え、元は枡形の小本ですから、致し方ないようにも思われます。
バリバリ翻刻していきたいところですが、演習授業の準備もしなければならないので、並行して少しずつ見ていこうと思います。
 
さて、今回は写本や翻刻について少し取り上げたいと思います。
日本文学科の学生は、1年生の時に変体仮名について学び、翻刻をします。
故に1年生の時は滑らかに読めたのが、2~4年生になると変体仮名に触れる機会が減って「1年生の時の方が読めた」となる方が結構いらっしゃるように見受けられます。
ただ、先生によっては演習授業で作品を翻刻から始めて本文校訂をし、語釈や考察をするので、長く付き合う方もいらっしゃるでしょう。
私は翻刻をする授業をとっているので、他の人よりは少し長く付き合っている方なのではないかと思います。
変体仮名と翻刻について基礎を学んだのは1年生の時ですが、その意義を理解し始めたのは2年生になってからでした。
それまではただ平仮名に起こすだけの作業にすぎず、言語遊戯に近いものと見ていたように思います。
しかし演習授業を通して、ただ平仮名に起こすにしても最初に行った翻刻を信じて良いのか、癖が強すぎて読み間違えていないのか、また実は写した人が間違えたり書き換えたりしていたのではないのかなど、考えたり想定したりしなければならないことが多くあることを知りました。
3年生でとった演習授業では、それに加えて様々な系統の写本と比較する必要があることを痛感しました。
翻刻についてまだまだ知ることや勉強することが沢山ありますが、最近は写本の表記は全く信用してはならないと思うことが多いです。
4年生になって院の授業に何回か参加したのですが、そこで詞書すら胡散臭いことをひどく感じ、「信じられるものが何もない」と言い切りたくなる境地に達した為です。
皆様も少し覗いてみて、「定家筆というのは嘘っぱち」だとか「何某筆はあてにならない云々」などと話を聞けば、同じ境地に至ってくれるのではないかと思います。
とは言え、諸注釈書の校訂本文から作品を見るのではなく、翻刻から作品を見ることは大変ではあるものの必要かつ重要なことだと思います。
校訂された時点で、翻刻した人の解釈が入ってしまうからです。
諸注釈書を比較していた際、校訂本文が違う為に解釈が大きく異なっていたことが何度かありました。
作品をまとめ上げた作り手の意図になるべく沿って読もうとすると、翻刻から始めることが一番だと考えます。
 
ただ、こういったことを理解して貰えるのは、同じ日文生のような勉強をした人ぐらいしかいないように思われます。
例えば、灰原薬氏の『応天の門』にて、菅原道真が貴重な巻物の原本を閲覧出来る機会に恵まれて興奮するシーンがあります。
その価値を理解していない女房に、道真が「写本と違っているかもしれないでしょう(意訳)」と言うのですが、先日えりこさんと一緒に見て「それな」と納得しました。
しかし写本や翻刻について詳しくない人が見れば、「そんなもんか?」と理解し難く思うかもしれません。
今まで書き連ねたことと少しずれた例ですが、要は「何でも原典に当たるべきではないか」と言いたかっただけです。
作業も考えることも増えるので大変ですが、作品の元になるべく近い形で向き合おうとする姿勢を大事にし続けたいと思います。

人の振り、過去の振り見て

こんばんは。かつーんです。
5月の最終週から先週まで、母校の日本女子大学附属中学校に教育実習に行ってきました。
そして今日、実習日誌を提出してきて、無事教育実習を終えることができました。
色々と感じたことや学んだことがありましたが、感想を一言でまとめると「とにかく密度が濃い、充実した3週間だった」というのが一番的確でしょうか。
授業の展開具合や生徒との触れ合いなど、ブログにて取り上げたい話題はいくつかありますが、今回は授業を「見る」ということについて、考えたことや感じたことを少し書き連ねたいと思います。
 
教育実習では授業を受け持って行う他、先生方の授業を拝見したり、部活動の様子を見学したり、行事の係のお手伝いをしたりしました。
学校運営の仕事だけでなく、学校経営の仕事をも垣間見られたのは、とても有り難いことでした。
その一方で、それと同じくらいに有り難いと思ったのは、先生方の授業を拝見出来たことです。
「授業はナマモノ」な上、積み重ねた経験や得意とする方法が全く異なるので、先生方の手法がそっくりそのまま自分に置き換えて使える訳ではありません。
しかし、たった1回授業を拝見するだけでも、質問の仕方や意見の拾い方、コメントの付け方など勉強になることが多く、時間に余裕があればちょくちょく見に行っていました。
教師として授業を行うことになれば、生徒指導など様々な仕事があるので、他の先生方の授業を気軽に見ることが難しくなると思います。
今回、教育実習で先生方の授業をじっくり拝見出来たのは本当に有り難く、またなかなか出来ない貴重なことなのだと思いました。
国語科の授業は勿論ですが、英語科や社会科の授業なども拝見してきました。
他教科はその教科の方針があるので、国語科として気になる点が、その教科においてはそこまで気を配るほどのものではないことは何度かありました。
一方で、声の掛け方や生徒の注意を引きつけるタイミングなど、どの教科にも共通する手法や重要な点の勉強になりました。
様々な授業を拝見出来て、良かったと思うことが2つあります。
1つが、前述したように沢山勉強することが出来たことです。
もう1つは、今まで自分が勉強してきたことが、どう未来に繋がっていくのかを見られたことです。
中学生や高校生の頃は、やっている勉強が何の役に立つのか分からず、もやもやとした思いを抱えて取り組み難く感じることが何度かありました。
少し成長してから振り返ってみて、「あの時の勉強は今のこれに繋がっているのかな」と思ったこともありました。
しかし、かつての自分が受けた授業を改めて見聞きすることで、その授業の意義をしっかり実感出来たように思います。
振り返るということは、かなり大切にしたいことなのだと考えました。
 
つらつらとまとまりなく書き連ねましたが、やっと一区切りついたので、今は干からびた風船の如く気が抜けています。
この後もまだまだやることは沢山あるので、もう少ししたらまた気合いを入れて、色々なことに励もうと思います。

詳細見たくばパンフレット>ガイド

こんばんは。かつーんです。
突然ですが、皆様は2015年後期の朝ドラをご存じですか?
幕末から大正にかけて様々な事業に取り組んだ女性の白岡あさを主人公とする『あさが来た』です。
原案は古川智映子『小説 土佐堀川』で、白岡あさは大阪の事業家である広岡浅子がモデルだそうです。
その広岡浅子は、成瀬仁蔵先生の訪問を受け、日本女子大学の設立に尽力しています。
つまり、朝ドラに成瀬先生が出るということなんです!!
先月末に出演者が発表されましたが、まだ誰が成瀬先生を演じるのかは発表されていません……。
10年以上成瀬先生について勉強してきた身としては、誰が演じるにしても何かしらの文句を言ってしまいそうですが、発表を楽しみに待ちたいと思います。
 
さて、今回は日本女子大学のガイド及びパンフレットについて少し取り上げたいと思います。
昨日、母がPTA総会に出席し、今年度の日本女子大学のガイドを貰ってきました。
写真を始めに、ちょっとした所も自分達が貰った頃と少し変わっているので、新鮮な気分を味わうとともに、間違い探しをしている気分になります。
在校生からのメッセージの欄に知り合いが何人か載っていたり、知り合いの院生の方のものと思わしき卒業論文のテーマを見つけられたりして、例年以上に楽しく見ることが出来ました。
日本文学科のパンフレットは、今年から準備したそうです。
ガイドの日本文学科のページの内容より具体的になり、卒業生のメッセージや卒業後の就職先例も多く載っていて、情報量がかなり増えています。
特に卒業後の就職先例は分野ごとにまとめられているので、日本文学科を卒業してからの進路が明確にイメージしやすくなると思います。
それとは別に、話に聞いていた卒業生の考えや、以前自主ゼミでお世話になった方の近況を知ることが出来て嬉しかったです。
日本文学科は、幅広い職業に就くことが出来る一方で、勉強したことがどう仕事に生かせるのか不明瞭だと言われやすい学科だと思います。
日本文学科への進学を検討している受験生の方にこそ、ガイドやパンフレットをご覧になってほしいと思います。
その一方で、進路に迷っている在学生も、それを決める端緒として目を通すと良いのかもしれません。
 
ところで、ガイドとパンフレットで使っている写真がいくつか異なっていました。
その中に、私や私の友人と思しき人も写っていました……。
顔がはっきりと分かるような写真ではなかったので多分大丈夫でしょうが、もし私だと気付いてしまった方は、どうぞそっとしておいて下さい……。

教育計画、瀕死の計画

こんばんは。かつーんです。
昨日、祖父母のお墓参りに行ってきました。
祖父母のお墓は家の結構近くにあり、休暇を利用して年に2・3回掃除も兼ねてお参りに行きます。
その際の役割は大体決まっていて、私は専らお供え用のお団子の購入係を務めています。
(今回は今日がこどもの日であることを踏まえて柏餅にしましたが)
久しぶりに訪れた公園墓地は、以前訪れた時よりも舗装がより進んでいて、車での進入が大分しやすそうになっていました。
たまに訪れると少し様子が変わっているので、見知っている筈なのにどこか違うような不思議な気分になります。
皆様もたまの休みにはご家族に挨拶に行かれては如何でしょうか。
 
さて、今回は教育実習前の準備について少し取り上げたいと思います。
今月の最終週から教育自習が始まるのですが、その打ち合わせが今週末にあります。
ただ、それに先立って先週授業見学と軽い打ち合わせをしてきました。
そこで実習の教案を、今週末の打ち合わせまでに作ってくることが決まりました。
ということで、ゴールデンウィークでもゆっくりすることは出来ず、教案作りに勤しんでいます。
(明後日には卒論のゼミで発表があるので、元からゆっくりは出来なかったのですが)
私が扱う教材は米倉斉加年『大人になれなかった弟たちに……』で、3回の授業の中で読解から作品を通して考えたことのまとめまで行います。
2・3年生の時に国語科教育法などの授業で教案を作りましたが、ここ半年近くはそのような機会がなかったこともあり、慌てて過去のものを引っ張り出してきて作っています。
教案を作る為に作品を何回も読んだり、便覧を開いたり、作者について調べたりと色々やっていますが、やはり教える為の計画を立てることは大変だと思います。
情けない話ですが、私は実行することも含めて綿密に計画を立てることが得意ではありません。
その上何を教えなければならないのか、何に気付かせなければならないのかなど授業に盛り込む要素の判別をする必要があり、これがとても難しいです。
今回は戦争を扱った作品なので、時代背景をある程度押さえる必要があります。
他にも「戦争はいけない」という感想で完結しないような着地点を決めなければなりません。
指導の先生から、どのようにすれば良いのか少しアドバイスを貰えましたが、迷うことや考えることは多くあります。
国語の授業は数学のように答えが1つでない為、かなり自由に考え、膨らませることが出来ます。
しかし、その分だけあちこちに話が飛んでいって着地点を見失う恐れがあります。
(あちこちに話が飛ぶこと自体は、視野が広がるので良いと思います)
したがって作品を通して何を知り、何について考えてほしいのかを常に頭に置きつつ、落としてはならない読解や説明の量を時間配分とともに決めなければなりません。
教師の仕事だから仕方ないと言われればそうなのでしょうが、思想にも関わることなので、本当に責任重大で大変だと思います。
 
作品の理解を深めようと色々調べていた際に『大人になれなかった弟たちに……』の絵本の存在を知りました。
挿絵とあとがきが気になって、是非とも目を通したいなと思った所、大学と実習先の図書館にありませんでした。
地元の図書館は運が悪いことにゴールデンウィークの休みに加えて機器の入れ替えで来週まで使用出来ず、近所の本屋を何軒かはしごしても見つからないという有り様です。
……若干手も足も出ない状況に王手がかかっている気がしないでもないですが、指導の先生に相談してみてまた考えたいと思います。

文字ツールは便利で怖い

こんばんは。かつーんです。
昨日から気温が高い数値を叩き出すようになってきましたね。
数週間前には雪が降っていたというのに、この落差とは一体……と惚けたくなります。
4月前半の天候不順から、なかなか衣替えが進まなかったのですが、漸くしっかり出来そうです。
とは言え、我が家では衣替えを母が中心になって行っているので、私はそれを少しばかり手伝うことしかしていませんが……。
皆様も衣替え、頑張って下さい。
 
さて、今回はメールについて少し取り上げたいと思います。
今年度の前期に、私は文章表現法ⅠBという授業を履修しています。
この授業ではメールや手紙、レポートなどの実用的な文章の書き方を取り扱っています。
その為、1~3年生の間に履修する人が多く、4年生で履修している人はそう多くいません。
私は教育実習を控えていることもあり、教職を志すにあたって様々な文書の書き方を再度勉強しようと考え、履修しました。
先週はメールを取り上げました。
自主ゼミや卒論などで先生方とメールのやり取りをすることがある為、基本的なことは押さえているつもりでしたが、改めて勉強すると抜けている点が幾つかありました。
メールの書式は手紙と比べてすぐに変わりやすいので、根底にある敬意や礼儀は何か、それを考えながら書式を学ぶことを教わりました。
メールは非常に便利な半面、とても怖いツールだと私は思います。
人と対面して意思疎通を図っても、半分以上伝わらないことは多いです。
故に文字で意思疎通を図る時には、相手の気持ちを慮りつつ自分の考えがしっかり伝わるよう、対面した時以上に言葉選びに細心の注意を払う必要があります。
しかしメールは簡単に連絡が出来る為、その気軽さに甘んじて、言葉に対する配慮が欠けやすいように思います。
先生方を始めとする様々な人とメールのやり取りをする際には、たとえ友人のような気安い関係の人が相手であっても、相手の気持ちや立場を慮ることを決して忘れてはいけないと考えます。
 
ところで、文章表現法ⅠBでは個人的なメールアドレスを使わず、JASMINEメールを活用しています。
「なるべく個人のアドレスは使わない、教えない」という先生のご意向からなのですが、JASMINEメールを使うのが久しぶりすぎて、最初まともにログイン出来ませんでした。
普段はスマフォのアドレスとYahoo!のフリーのメールアドレスを用いているので、今回のように授業で指定されない限りJASMINEメールを使うことがありませんでした。
(大学から連絡があった時はJASMINEメールで来るのですが、スマフォに転送されるよう設定していたので、余計使う機会がありませんでした)
ツールとしては便利なメールですが、沢山持っているとそれはそれで管理が面倒臭いので、上手く活用していきたいですね。

ギリギリか、大幅な超過か

こんばんは。かつーんです。
4月頭に風邪をひき、オリエンテーション期間に少々張り切ったところ、声が出なくなりました。
先週2回耳鼻科に行って薬をもらい、今日また診てもらったのですが、全然良くなっていないとの結果が出ました。なんてこった。(´・ω・`)
飛び飛びのガラガラ声とは言え、先週よりは声が出るようになったので「少しは治ってきているのかなぁ」と思ったのは、錯覚だったということですかそうですか。
なるべく喋らないように言われ、実践するよう努力はしているものの、やはり喋らないで意思疎通を図るのは難しいですね。
元々喋ることは好きな上に、「書くより話した方が早いじゃん」と考える質なので、話せないのは酷く苦痛です。
以前、喉を痛めて声が出なくなった友人が
声が出なくて辛いのは、痛みではなく、思っていることはいつもと変わらないのに、声を使って自分の言葉で伝えられないことだ(要約)」
と呟いていましたが、正にそれだと思います。
話せる有り難みを痛感出来たのと、不調なのが教育実習中ではなく前だったのは良かったのでしょう。
ただ、もう少し早く回復しないかなぁと思うのは、贅沢なことなんでしょうかねぇ……。(^_^;)
風邪をひかないことが最善ですが、特に喉の風邪には注意をして、皆様もお過ごし下さいませ。
 
さて、今回は卒業する為に履修すべき授業科目および単位数について少し取り上げたいと思います。
履修登録する際には、上限単位や卒業単位に留意する必要があります。
日本文学科の場合、大学1年生は必修科目が多いこともあり、上限単位には気を配っても、卒業単位にそこまで気を遣うことはないように思います。
2年生になると自由選択科目の幅が広がるので、卒業単位を意識し始める方が増えるのではないでしょうか。
3年生で卒業論文の単位数を考慮しつつ好きな科目を履修し、4年生で不足していればその分だけ履修して終わる……というのが大体の方の取り方のように思います。
(※捉え方には個人差があります)
資格の取得に挑戦している方の中には、2・3年生の時に必修の科目が多くあるので、体力やバランスを考慮して、4年生でもそれなりに履修している方もいらっしゃるかもしれません。
兎にも角にも私は4年生なので、卒業単位に充分気を付けて履修登録に臨まなければなりません。
私は教職課程に挑戦していることもあり、卒業する為に必要な単位に含まれない授業科目を多く取らなければならない時期に、選択科目をあまり登録しませんでした。
それも相まって、卒業論文以外にもいくつか科目を履修しなければ、卒業単位に満たない状況下にあります。
登録する科目の目処は立っているので、余程のことが起きるか、余程のことをしでかさなければ、取り敢えず卒業単位は超えるでしょう。
ただ、同じ教職課程に挑戦している友人の中には、卒業単位を大幅に超えてまだ履修している人もいます。
その差異に自由な履修の醍醐味を感じるとともに、色々取り組んでいて凄いと感嘆します。
沢山履修することが決して良いとは限りませんが、多くのことに挑戦しようとする姿勢は見習いたいと思います。
 
卒業単位を大幅に超えて履修している友人に、日本文学史をあと1つで全て履修し終える人がいます。
日本文学史は5つの中から2つ(教職志望の場合は3つ)履修しなければならないことを踏まえると、全部履修することは大変なことです。
(その子は「そんなに大変じゃないよー」と笑っていましたが)
ただ、文学史は概観をさらうのにとても良いと思います。
私は文学史を全て履修してはいないので、私が言うのも場違い甚だしいのですが、強く取りたいと思うような科目がなければ、文学史を取っては如何でしょうか。
余分に取った科目は自由選択に数えられるので、結局はお得ですよ!

正しく歌える? から、知っている? のご時世

こんばんは。かつーんです。
早いもので、東日本大震災からもう4年が経ってしまいました。
ニュースや特番でも多く取り上げられていましたね。
あれから少しばかり復旧したそうですが、仮設住宅に住んでいる方はまだまだ多く、復興は程遠いようです。
たった4年でも被災地への関心は薄れてしまいやすいので、知ろうとする意識だけでもなるべく保ちたいなぁと思います。
一日も早く復興することを心より願います。
 
さて、今回は歌について少し取り上げたいと思います。
先日、某クイズ番組を観ている時に、童歌や文部省唱歌の穴埋めの問題が出ました。
以下の問題は出たものの一部です。
問、○の中に正しい歌詞を入れよ。
1.どんぐりころころ ○○○○○
2.かごめかごめ かごのなかのとりは いついつ○○○

皆様、正解はすぐに分かりましたか?
続きを読む

内部生ほど恐らく大笑いすると思われる

こんばんは。かつーんです。
プリントやレジュメの整理を始めとする部屋の片付けや卒論の展開など、やらなければならないことは何だかんだ言って多いものの、すっかり気が抜け切ってしまい、のんびり過ごしている今日この頃です。
2月も下旬に差し掛かり、いつまでも腑抜けていられないのは重々承知なので、そろそろしっかりエンジンを掛けようと思うのですが、どれから手を付け始めたものか……。
部屋の片付けなんかは今だと優先順位の上位に食い込みますが、いざ取り掛かろうとすると、大量のプリントの山にやる気がガリゴリと削がれます。
テスト期間になると駆られる部屋の掃除衝動が、今湧き上がってくれないでせうか……。
 
さて、今回はTwitterについて少し取り上げたいと思います。
皆様は日本女子大学を始め、附属幼稚園、小学校、中学校、高等学校、大学生協に関するネタを呟いているponjyo_botというものをご存じでしょうか。
なお、botとは
Twitter の機能を使って作られた、機械による自動発言システム。
語源はロボットから来ている。
特定の時間に自動ツイートする bot、ユーザーの bot 宛の発言にリプライする bot、特定のキーワードに反応する bot 等、様々な bot が存在する

ツイナビツイッター用語集より引用)
というものです。
大学生協に関するネタを中心に、友人が何回かリツイート(他の人の呟きを再投稿すること)していたのを見たことがあり、先日改めて過去の呟きを遡ってみました。
何に関するネタなのかは【  】で括られて最初に表示されているので、すぐに判別することが出来ます。
(例えば大学に関するネタの場合は 【大学】 という表記があります)
自動発言システムなので何度か同じ呟きにぶつかることがありましたが、「あるある」と納得するネタから「へー成程」と驚くネタまで結構様々なネタを見ることが出来、非常に大笑いしました。
ネタの中には写真が添付されているものもあります。
写真は大学生協に関するものが多いのですが、それ以外では附属中学校及び高等学校を含む日本女子大学の生田の敷地の衛星写真(Googleで検索したと思われます)がよく見られます。
生田の敷地は緑にあふれていることを主張する呟きに添付されている写真なので、最初はその緑の多さに母と感嘆しました。
しかし、途中で道も記載されていることに気が付き、普段通っているだろう道はこれじゃないかと真剣に確認してしまいました。
 
ponjyo_botを遡って気になったのは、ネタの片寄り具合でした。
写真の影響もあってか、大学や大学生協のネタが多いように見受けられ、中学校や高等学校などのネタはそう多くないように感じました。
情報提供を目的としている訳ではないので、仕様がないと言えばそうなのでしょう。
しかし、近年はあちこちでSNSやウェブサービスを活発に利用しているので、何か上手い使い方をすれば更に便利になるのではないかと思ったのです。具体的な手段は挙げられませんが。
ネットとの付き合い方を考えると同時に、利用の仕方も考えるのがこれから先重要なのだろうとぼんやり考えました。