言葉の‟星”が‟降りつもる”

最近私が意識していることの一つに「頑張る」と言い過ぎない、ということがあります。
私は以前、割とむやみやたらと「頑張る」と使っていました。「きちんとやります」と伝えるには、やはり「頑張ります」という言葉が最適だったためです。けれどもある時、自分の「頑張る」宣言に苦しくなっていることに気が付きました。「頑張らなきゃ」と良くない方向に追い込んでいる、と。
もちろん、今も前と同じように一つ一つ丁寧に取り組んでいますし、会話の流れや文脈、自分がここだと思った時には「頑張ります」と言っています。ただ、「頑張る」と使い過ぎないようになってから少し心が軽くなったのも事実です。また、「頑張る」に代わる言葉、例えば「取り組みます」など、いろんな言葉を模索していると、より自分の感情に近い表現ができるようになった気がします。「言う」「言わない」、「書く」「書かない」の違いで、気持ちが変わることを実感しました。

前にも書いた気がしますが「書く」「書かない」、もっと言えば「書ける」「書けない」の線引きは、このブログを書き始めた大学一年生の終わりよりもはっきり明瞭になったと思います。それは、伝えたいことーブログだけではなく、レポートなどすべての文章についてですがー、感情をより精緻に表現できるようになったからなのかな、と感じています。
実は、一年次に書いたあるレポートがずっとお気に入りで、それを超えるものを書けないと最近まで考えていました。一年生の文章なので、しばらく経った後見返したら間違っている箇所を見つけたりということはあったのですが、論の立て方や文章構成、言葉の使い方が単純に好きだったのです。三年分の学びが蓄積しているから、当然一年次の自分から成長しているのですが、けれども、最近になってやっと、越えられたなと感じられたのです(超えると越えるは区別して書いています)。今も十分に稚拙な文章だけれども、この三年間で知識も語彙もずっと増えたし、興味の幅が広がりました。実感は遅れてやってくるのかもしれないと思った経験です。

夏に、22歳になりました。私は、小さい頃から早く大人になりたいと思っていた子どもだったのですが、最近、自分の年齢や成長に、自分が追い付けていないと思う時があります。私が80年代のアイドルを好きだということは、前からこのブログを見てくださっている方ならご存じかと思いますが、段々と彼女たちが「その」歌を歌っている年齢を越すことが増えてきました。前は、強い共感を持って聞いていた歌詞に対して、今、俯瞰の目を持って、時にひどく冷静に見つめていることに悲しくなる時があります。それは変化なのでしょうが、そういう自分の真実なるものに、自分が自覚できていない、手が届いていない時があるのです。


ああ時の河を渡る船に
オールはない 流されてく
横たわった髪に胸に
降りつもるわ星の破片

薬師丸ひろ子「Woman‟Wの悲劇”より」(作詞 松本隆 作曲 呉田軽穂)より


今まで出会ってきた数多くの言葉の中で、その時その時に衝撃を受けるものがあります。その衝撃は、それを直視するのが怖いほどの眩しさと機微に触れるような繊細さを持って、私に迫ってきます。衝撃の熱さを持ったまま、言葉にするのは勇気のいることです。けれども、冷静になってからでは、私の中にあった迷いや揺れを、まるでなかったかのようにしてしまう気がして……。

今までに触れてこなかった、新しい世界や概念に触れる度、私は自分の人生に抜け落ちてしまったものを感じます。けれども、完璧なものなんてないから、人は時を経ることでいろんなものを補い、それが「降りつもって」いくのだとも思います。
私でなければ出会えなかったものを大切にしていきたいです。そして私の心の内を、「星」の数のような…数多の言葉の中から表現していきたいと思います。

好きなもののはなし

こんにちは、れいです。
ひたすら自粛生活の私ですが、先日感染対策には十分気を付けて、髪の毛をバッサリ切ってきました!
7月くらいから、切りたいな~と思いながら、コロナの感染拡大や予定等々あり先延ばしになってしまいました。
ただ、もうこれ以上我慢できない、限界!と思い、美容院へ。
中学生ぶりに短くしてきました。洗うのも乾かすのも楽で、何より心もすっきりしました♡ 嬉しいです。

今日のブログ、何を書こうか迷ったのですが、たまには好きなものについて真正面から語ってみようと思います~!
最近の私のブログは、創作や近況の間に歌詞を入れる、というスタイルだったのですが、(それが一番しっくりくるからそうしているのですが)久々に語ろうかなと!どうぞお付き合いくださいね。

先日待ちに待っていた、映画「雪の断章-情熱ー」のBlu-rayが届きました。この映画は、佐々木丸美『雪の断章』が原作で、1986年に公開されました。前年にデビューした斉藤由貴さんの初主演映画で、相米慎二が監督の作品です。
由貴さんのファンになってからずっと見てみたい映画だったのですが、DVDディスクとして発売されておらず、見る機会のないまま数年経っていました。それから、原作の佐々木丸美『雪の断章』の表現の美しさが大好きで、この小説を超えるものには絶対に出会えないだろうと思っているので、やはり映画の方も一度は見たいと考えていたのです。
そう思っていたところ、Blu-ray発売との情報が入り、今回やっと、やっと念願叶いました。

「雪の断章ー情熱ー」は評価の分かれる作品で…、それは相米慎二監督特有の長回しや現実とはかけ離れた場面表現が苦手、という人がいるみたいです。ただ、原作を愛読している身としては、あの原作の繊細な言葉遣いを映画にするのは難しすぎる…と感じていて、それを映像として体現するには相米監督の方法しかなかったのだと思います。
何よりも、主人公の伊織(原作では飛鳥)の心の屈折を表現できるのは、斉藤由貴だけだったと思います。伊織はみなし子という特殊な少女ではあるものの、高校生、大学生がこれから自分の人生を背負っていかなければならない…、自分の気持ちに責任を持つというか、覚悟を持っていく生き様というのは、私に大きく響きました。表情やしぐさの細やかな変化、少女から女性へと成長する過渡期の孤独や痛みに深く感動…。繰り返し見て自分に染み込ませていきたい作品だなと思います。

最近、谷山浩子さんの「さよならDINO」という恐竜(!)の曲を聞いているのですが、分かるような分からないような歌詞で、一体これはどういう意味なんだろう…と思っていたのですが、解説を読んでやっと理解できました。
以下のナチュラルジオグラフィックのページの中ほどに「さよならDINO」に関するインタビューが載っています。
https://natgeo.nikkeibp.co.jp/nng/article/20110906/283109/

その中に、
「私たち現代人は、生まれたときからまわりにシステムができあがってて、その中でぼうっとしてても生きていける。生きていくのが大変なこと、という実感が薄い気がして、それがある意味、不安になります。若いころから、そうでした。」
という言葉があって。私は今も十分生きていくのは大変だなぁと感じてしまうのですが、昔よりも自分の興味のあること、心地の良いことだけを見聞きして生きていくことができる時代だなとは思います。悪く言えば、自分だけ良ければ良い、自分の周りに起こっていないことはこの世の存在しない…みたいな。勿論、人が絶滅するなんて想像したくないし、絶滅しないでほしいと心から思っているけれども、例えば、生き物だけではなくて、見えないものも…失われていく、壊れていくのはある意味この世の摂理であって、それを無視して生活するのは、物事の本質とか、大切なものを見逃してしまっているような気がするんですよね。

由貴さんも著書『ネコの手も借りたい』(小学館、1989年)で
「(前略)今自分が、社会的な地位も、経済的にも、周囲の人間からの見られ方にしても、ある意味で確立されつつあるところにきていると感じています。
 むしろ、そういうところに置かされてしまっているということを感じるのです。それはすごく危険なことです。
 そのすべてを捨てる、すべてを壊す、すべてを投げうつ、すべてから飛び立って逃げることができる、というシンプルさという覚悟を持ちたいとユキは願っているのです。」(p.96)
と書いていて、浩子さんと同じだなと感じました。わざわざ自分から壊れる必要はないけれど、全てのものって壊れてまた作られて…という途方もない繰り返しの中にあって、そして何かを失っても自分でい続けたい、と思います。痛みを痛いという方が難しいし、痛いと素直に言えることは強さなんだな、と。

同じ『ネコの手も借りたい』に、フランスの画家ユトリロのことについて書かれていました。私は、ユトリロという画家を初めて知ったのですが、ネットで彼の人生を知って、絵を見た時に、その暗さに強く惹かれて…。ずっと行きたいと思っているポーラ美術館に所蔵されている絵があるようなので、いつか絶対見たい!と思っています。

またしばらく残暑が厳しいようなので、皆さんも体にはくれぐれもお気をつけください。ではでは~!

スノードーム

高原に初雪が降った。

白に染められて澄んだ景色の、完璧な美。平坦に伸びた空との境目の曲線は、太陽が当たりきらきらとまばゆい光を放つ。カプセルの中にミニチュアの雪景色を作ったような、閉じ込められた美しさ。
いち早く足跡を付けたあなたは、無邪気な目で私に手招きする。
私は一瞬の迷いの後、あなたと同じように雪面を踏みつぶした。

「共犯者」

頭の奥底から、もう一人の自分の声が冷たく響く。
それは言わないで、このひと時をもう少し、美しいままでいさせてと私は懇願する。

この高原の秘密を知ってしまったのは、数日前のことだった。
数センチの浅い初雪の下にあるのは、美しい高原の緑ではない。人間の血が固まったような、赤黒く、毒々しい土が広がっている。
精彩を放つ雪景色の、静謐な空間の内側に包まれた嘘。
純粋な「ふり」をしてきた私は、その色に悲しいほど深く共鳴した。
そして現実であってはならないと、強く願った。

けれども、その景色も今は見えない。
あなたは、土の上の儚い雪を、知らないままに安々と踏む。
私も、あなたの後に続いて笑顔で足跡を付ける。いっぱい、いっぱいに…

心が痛む。熱のあった血潮も、今はもう乾いて、冷たく塗り固められた土になった。
本当の心が、躊躇なく踏みつけられて、強い憤りを感じる。

痛い、痛い、痛い…

声にならない声で叫ぶ。
もう、あなたに言ってしまいたいのに、喉元まで湧き上がる声が出ない。
愛が私の前に立ちはだかって、苦しくなる、息苦しくなる。
秘密を言葉にしたら、高原の隔絶された神秘は途切れてしまうの…。

靴の裏の模様がはっきりと残る足跡の、その沈みこんだところから、本当の地面の気配がかすかに見える。
「分かってる」
私はもう一人の私に言い聞かせる。綺麗に覆いかぶされて純潔に見せかけていることを、頭では分かっている。でも、心ではまだ理解できない。
もう破綻していることを知りながら、守りたい嘘がある。

「ごめんなさい」

風の吹かない、沈んだ雪の高原を一人後にする。
これが今の私の誠心誠意の真心だから、このカプセルは壊せない。

だから、せめても愛情という名で繋いだ手を放そう。


わたしは、勉強机に飾ってあるスノードームに手を伸ばす。
「まるで一回閉じ込められたら出てこれないカプセルのようね…」
スノードームをひっくり返して、初雪を降らせる。
初雪は何度も、何度も繰り返される。このカプセルの中では時は前に進まない。

そうひとしきり思案した後、わたしは、パソコンを開きブログにログインする。

私もあなたも、スノードームの中に閉じ込められたまま…


挨拶が遅れました、れいです。
日本各地で大雨が続いていますね。どうか皆様お気を付けください。
ここ数日、ペルセウス座流星群がきれいに見えるはずでしたが、雨のため家からは全く見ることができず…、
と思ったら、ハワイの国立天文台すばる望遠鏡からのYouTubeライブがありました!
ハワイは晴天で、満天の星空と大きな流れ星が見えました☆彡

数年前、長野の阿智村で見た星空が忘れられません。早く旅行できる時が来るといいな。

ちなみに今、私の机には、スノードームはありませんので、悪しからず…。

東京の夏は暑すぎる

こんばんは、れいです。
今日はこの暗い気持ちを晴らすために書くので、今心がしんどい!という方はそっと飛ばしてくださいね。

まずなにより最近暑すぎて何もかもが無理です。用事があるために少し出かけただけで1日終わったくらいの疲労感、、、本当に夏の東京は暑すぎるし、電車は寒すぎると思います。できるならば夏休みは丸々避暑地で過ごしたい~。
体冷やすのは良くないので、温かい飲み物飲んだりカイロを駆使したり、湯舟に浸かったり気を付けているのですが、お風呂入ったら次は貧血でふらふらになってもう八方塞がりじゃん(怒)ってなってます。
今年は梅雨が早くあけて夏になってしまったために、予想以上に早めに体重が軽くなって(夏は痩せてしまうタイプなのです)不安になり始めて…。食欲がないわけではなくむしろありすぎるくらいなのですが、体に力が出なくてどうしようって感じです。


こんな調子なので文の切れ味がめちゃめちゃ悪い。感染者も増えて不安が募るばかりです。
どうしても諸々外に出なければならない用事ってあるので、この間外出したのですが、予想以上に人が多くてコロナ怖い…って一人戦慄しました。私の場合気になりだしたらずっとそのことばかり考えてしまうので、とりあえず帰って手洗いうがいを入念にして、シャワーを浴びて何とか気を静めました。
外に出た方が気分はすっきりするのかもですが、こんなに感染者増えている中で用事ないのに外出してもし罹ったらどうしよう…って一人思い悩んじゃうし、いろんなこと想像し始めるとキリなくなっちゃって厳しい…。昔から内省的になりすぎる時があるので気を付けたい、、、
ちょっと前に気を揉むことがあって、その疲れとかストレスも来てるのかもしれません。でももうすぐ卒論ゼミの中間発表もあるし、う~ん身も心も回復してくれ~!って気分です。

書くことでなんとか気分を晴らそうとしています…!
早く秋になってほしいな~という気分ですがなんとかこの夏を乗り切りたいです(涙)

アイス食べるとお腹痛くなるのでちょっと制限しているのですが、ピノのピスタチオ味はすっごく美味しかったです~!
ピスタチオ好きな人はぜひ。

私の日常短編集


こんばんは、れいです!
今日は久しぶりに晴れて暑かったですね…!久々に太陽を見て気分が明るくなりました。
先日の火曜日にあった、卒論ゼミの発表で気力を使い果たしたのか、最近はとにかく眠いです…。寝られないより100倍良いのですが、歩いていても眠たくなります(笑)

最近は日差しが強いですね。私は絶対に日焼けしたくないので、SPF50+PA++++の日焼け止めは欠かせないのですが、いつも使っていた日焼け止めがなくなりそうだったので、ネットを見てよさそうなものをドラッグストアで購入。試しに腕に塗ったら…ダメでした(涙)全く痛くなかったのですが、なぜか皮が剥けてしまって、1回で使用中止に、、、試供品をもらえるようなデパートコスメの日焼け止めにすることにしました。
ちょっとお値段が張ってしまうのは辛いけど、自分の肌の健康を保つためには仕方がない!そしてやっぱり好きなブランドのものだとテンションも上がりますよね、自分のお財布と相談しながら心の治安を守っていきたいです。

心の治安といえば、私はお出かけするのが心の治安を保つための一つなのですが、中々遠出出来ない今。
そのような中でいつもワクワクしながら行くのが、近場の本屋さんです。たくさん冊数を読むわけではないのですが、本屋に行くこと、本を読むことは確実に私の心の治安になっています。本屋さんに行くと、大体入り口には新刊や受賞作品であったり、話題になっている本が置いてあるので、最近はこんな本が出たんだなぁと流行を知ることができます。雑誌コーナーで表紙を見るのも好きです。本って中身だけではなく、表紙も大切ですよね。この本を買う!って決めてなくても、面白そうと思って手に取る本って大体表紙に惹かれたものが多いんですよね。そして本が天井の方まで並んでいる様子を見ると、こんなに人間は知を積み重ねていきたのか、と感動します。本屋さん大好きです。気持ちが休めない!と思う時は、本屋さんに行くようにしています。

私、もともと休むのがが下手なんですよね。演習発表の時も、いつも2週間前くらいからは、だ~~~っと(?)自分を追い込んで、終わったら3日間くらい休む生活をしています。毎日適度に進めて、3日くらい前には最終確認OK!みたいな生活を目指しているんですが、無理だし、自分には向いていない。
4年生になってようやく諦めがつきました。どんな時も全力でぶつかっていくしかないんですね。

卒論のために机に座って、さあ頑張るぞとパソコンを立ち上げた時、ロック画面を見るのがひそかな楽しみです。私はWindowsのパソコンなのですが、ロック画面とデスクトップ画面をスライドショーにすることができるんですね、私はWindowsに搭載されている自然の風景(?)をそのまま設定しているのですが、画質が綺麗でおススメです。そしてこの間、南極のきれいな景色にペンギンさんのいる画像が映りまして。わーかわいい!と思わずパソコンの画面を写真に撮りました(笑)癒されました!

谷山浩子さんの曲に「NANUK」という曲があります。ナショナルジオグラフィックのホッキョクグマの映像を見て作った曲だということなのですが、初めて聞いた時、自然の厳しさと美しさと、その中で動物たちが真っ直ぐ生きている様子が伝わってきて感動しました。人間の発達した知能や感情を否定するつもりは全くないのですが、食物連鎖の中で静かに生き続けている動物たちのシンプルな生き方に強く惹かれる時があります。どうしても人は、こう言うと勘違いされちゃうかな、こちらの方が有利に進むな、とか、損得を考えたり忖度してしまいます。そして、人に否定されるのが怖くて、自分の感情を出せなくなる時があります。実際にこのブログでも、ここまで書いて良いかな、ここまではやめておこうと自分で線を引いています。公開されるものだから当たり前なのですが、しまってしまう感情の膨大さに打ちひしがれます。ありのままの私でいるのが難しくて、感情ががんじがらめになって、生きることが複雑に感じた時、その瞬間にも野生の動物たちは、植物たちは、そして遠くの星たちは自分の命を真っ直ぐに見つめていると思うと、私もそう生きていきたいと強く思います。


白くきらめく 氷の世界
歌とことばも きみは知らない
きびしい冬と めぐみの春と
数えきれぬ毎日を ひとりみつめている

わけは知らない ここで生まれた
わけは知らない ここで生きてる
わけは知らない 何があっても
強く強く 生きていく
前へ 歩いていく

谷山浩子「NANUK」(作詞・作曲 谷山浩子)より


夏の東京に雪が降った。私は、あなたの面影を夢の中で見た。
儚い眠りから覚めたら、開け放した窓から雪が舞い込んできた。
細かい雪の粒が、私の黒いTシャツについて、雪の結晶がかすかに見えた。
それは、あまりにも透き通って整った形をしていた。
季節が反対になってしまっても、雪は白いままに、静かに自然は息づいている。
「綺麗ね」私はつぶやいた。

あなたが「本当」の私を見なくなったのも、こんな雪の降る日だった。
それから、地球は少しずつ焦点がずれていくように、おかしくなっていった。
秋に桜が咲くようになり、紅葉は一年中色づいた。猛暑の日の夜に雪が降るようになった。
何もかもが狂っている。身近にある自然を不思議に見つめる横で、あなたはその異常さに全く気付かなかった。
あなただけではない、世の中の人全てが、目の前の変わりゆく景色を見つめることはなかった。

私は、壊れていく地球の片隅であなたの姿を見る。
変わり果てた現実よりもずっと、過去の面影を強く、深く感じながら。

孤独と生きる


先日、久しぶりにコンサートに行って来ました。
コロナ禍での開催、私自身もタイミングを見て、事前にきちんと感染対策がされているかしっかり確認して申し込みました。前日にはアーティストの方から、検温の協力やマスク着用のお願いもあり、当日も換気がされていたので安心して参加することができました…!
昨年終わりくらいから、少しずつ対面(?)のコンサートが再開されていますが、生の音楽を聞く感動って何にも代えられないものですね。
今回は小さな会場だったのですが、コンクリート打ちっぱなし、教会のように天井が高くて音が綺麗に響く素敵なホールでした。コロナ流行以前は、ライブ・コンサートにたくさん行っていた私。会場の大きさも形も様々でしたが、今回のホールはベスト3に入ると思います。素敵だった…。
このコンサートを目標に色々頑張ってきたので、会場の席に座っただけで大感激。そして音楽を聞いて大号泣。
とにかく目の回る忙しい日々で、直前には私行っていいのかな…という気持ちになっていましたが、やっぱり行って良かったです。生きるために必要なんです、音楽。

そんなコンサート、アンコール前の最後の曲を聞きながら、とてつもなくしみじみと「孤独」を感じてしまいました。私、怖いほど美しいもの、透き通ってきれいなものを見たり聞いたりすると、人間って孤独なんだなぁって思うんですよね。上手く言葉で表せないのですが、どんな人間にも「孤高」な側面があって、その淋しさというものは美しさに繋がるところがあると思うんです。ごめんなさい、分かりにくくて。
前、電車に乗っていて、夕暮れ時だったのですが、透き通った空の青と消えかける橙色が綺麗に川に写っているのが見えて。で、水面に写るその青の部分は黒に近く見えるんですが、黒ではない吸い込まれそうな深い青色をしていて。橙は、空よりも柔らかな色をしていたのですが、その深い青色から柔らかな橙のコントラストに、他を寄せ付けない美しさと暗い孤独を感じました。


冷たい水の中をきみと歩いていく
なんて青くあどけない 夏の一日
グラスの底を
誰かの読んでいる 小説の挿絵の
湖の中に ぼくは今沈んでいる
誰も見えない


谷山浩子「冷たい水の中をきみと歩いていく」(作詞・作曲 谷山浩子)より


昔、私は、人間は一人で生まれ、一人で死ななければならないのだから、生きている間はせめて互いを認め合って、手を取り合って生きていきたいと思っていました。だけど、それは想像以上に難しい。隣りにいるからこそ、強く感じる孤独もあるんですよね。

嘘と裏切りと無視。
大切なもう一人との、関係も壊れた。
私はあまりにも色々なものを失いすぎてしまった。

私は、思い出すことを辞めました。でも、どうしても思い出さなければならない時は来るんです。
それが、今、まさにこの時であって。
強い衝動、孤独を再び感じた時、
生きること、そして書くこと、表現することが昇華に繋がり、
そして、ずぶずぶと沈み溺れかける私を救うのは、また私であることを知りました。

強く、しなやかに生きていきたいです。

今、ファンタジー作品を読む授業を履修しているのですが、授業を通して、私の大好きな女優さんやアーティストさんが、それらの作品に影響を受けていることが分かりました。私の好きなものの根源の一部を知ることができた気がして、それぞれの世界がまた繋がり、広がってゆく感触がします…!

そして何より卒論。頑張ります。

研究ノート

お久しぶりです、れいです!
最近の私は、忙しくも充実した時間を過ごしておりました。色々な経験を通して、自分の将来像、目指す方向がはっきりと見えてきました。本当に一瞬一瞬、濃密な時間でしたし、卒業までのこれからの時間も大切にしていきたいと思っています。

そして、今日は国語国文学会の春季大会に参加してきました!
なんと「日本女子大学日本文学科賞奨励賞」という賞をいただき、表彰していただいたのです…!
本当に嬉しかったです。嬉しかったので「一言お願いします」と言われ、想像以上に緊張してしまいました。
今回、4年次の国語国文学会委員のメンバーみんなで受賞をしました。昨年度、コロナで全く変わってしまった学生生活の中で、どのように国文学会の活動を進めていくか、模索し続けた1年間がこういう形で報われると思ってもいなくて…、感無量の気持ちでした。

私は委員の中で研究ノート係を務めていました。「研究ノート」は『国文目白』とは別に、主に学部生の研究の成果を発表する場として設けられたものです。自主ゼミの活動報告や、個人レポートなど、自分たちのやってみたい、研究してみたいという探究心が形になったものです。自主ゼミもですが、「学んでみたい」と思ったら、自分から学ぶことのできる、そしてそれを共有する縦、横のつながりがあるというのは、とても素敵なことです。
また、冒頭の特集記事では、毎年、専任の先生方へのインタビューや国文学会主催の企画の記録、秋季大会の講演録を掲載しています。インタビューでは、先生方の意外な一面が見えたり、講演録では直接お聞きした最新の研究がまとめられ、貴重な記録となっています。
私は、高校生の時に初めて研究ノートを読み、学生がこんなにも主体的なのだと驚いた覚えがあります。そんな研究ノートに携われたこと、発行までには辛いこともたくさんありましたが、私の誇りです。

研究ノート1号を創刊されたのは、2019年度に退任された高野晴代先生とその同期の方々です。そして今年度50号を迎えます。春季大会でもお話させていただいたのですが、これからも研究ノートが引き継がれることを切に願っています。

そして今回の春季大会では、後輩が運営を頑張っている姿も見て、頼もしいなと感じました。
Zoom、特にウェビナーでの開催には、色々な苦労があったかと思います。まずは本当にお疲れ様でした…!

一つ終わってひと段落…と思うと新しい課題が舞い込んできて中々休めない日々なのですが、、、今週末は二つも楽しみなことがあるので、週も後半頑張りたいと思います!

歪曲してても「愛」


どれも言えない! 噴水の虹を見てるふりで
「きれいね」とつぶやくだけ きっと
内気だと思ってるね…
だけど言えない! あなたが魔法をかけた
こんな秘密の庭の中では どんな
言葉もみんなウソなの

斉藤由貴「MAY」(作詞 谷山浩子 作曲 MAYUMI)より


私の愛は純潔で あなたの愛は不浄で
ただ、そこにはどれだけの違いがあったのでしょう
言葉が組み合わさっただけの「ウソ」を重ねたら
言葉だけの真実の世界が生まれてしまったように
清らかさも穢れも 光速で近づいて 捻じれる
二つの愛の交錯のために
今まで積み上げてきた時間を手放そうとした私
そんな自分に恐怖を覚えるのは
時間が「時間」の通りに流れ出した証拠なの


先週、4年生になって初めて卒論ゼミの発表がありました!
初回は、作品orテーマ紹介、3年次の発表のまとめ、進捗状況…といったいわば自己紹介的なスタンスの発表なのですが、私の場合は、3年生の時に発表した内容について、自分で自分に不服?不満?を感じていたので、その積み残しと春休みに進んだことの触りを紹介する形にまとめました。

結論、発表時間30分って短すぎる。
レジュメ(発表資料)の内容を少し割愛して、先生からのご指摘をいただく時間、ゼミのみんなからの質疑応答の時間も作ったつもりだったのですが、前に立つと色々話したくなってしまう癖が出てしまいました、
時間配分も技量の一つなので頑張りたいと思います。切実…。
更に、研究の進め方について先生にご指摘をいただいて「なるほどこういう風に研究すれば良いのか!」と感動するとともに、自分の足りなさに家に帰ってからも呆然としてしまいました。私の考えはまだまだ浅い、なんなら深さを測れるに至っていないレベルだと実感したので、これからに生かしていかなければと思います。

そんな発表だったのですが、準備する時に心掛けたことがあって。
それは、潔癖な自分に従うということ、です。
先ほど、3年生の時の発表が不服で不満だったと話しましたが、なぜそう思ったのか。
それは目の前のレジュメ提出に追われて、少しいい加減に進めてしまったからです。扱うテーマについて、私は、基礎的な項目を自分できちんとまとめる必要があると考えているのですが、その進め方が雑だったのです。誰からも指摘をいただくことはなかったのですが、発表した自分自身が、その納得いかなさに後悔していました。
小さい頃、とにかく潔癖症でダメなことが多く、こだわりが強かった私。紆余曲折を経ながらも、年齢を重ねるごとに次第に緩和していき、徐々にその時の自分を否定するようになっていました。けれども、最近、本当に大切なものは潔癖で構わないのではないか、と感じる瞬間がありました。
斉藤由貴さんがゲストのラジオに、作家の柳美里さんがサプライズで登場した時の一節です。
(以下のリンク「読むらじる」で、ラジオの内容が見られます
https://www.nhk.or.jp/radio/magazine/article/radiru-lab/eoDvjD3uPd.html
柳美里さんが斉藤由貴さんに対して、
「そのトゲを抜かないで痛みを大事にしている部分というのがある人なのかなと思っているので、そのヒリヒリズキズキの部分は通じるところがあるのかなって思っています。」
と。

「痛み」を乗り越えてゆくのが人間だ、思っていた私は「痛みを大事にしている」という言葉に打ちのめされてしまって。人って、思いが強ければ強いほど、それが歪曲してしまって、「痛み」になる瞬間があるんですよね。その「愛」は真っ直ぐで清浄なはずなのに…。この世の中は混沌と疑問だらけで、答えの出ないことが多いけれど、時が経てば次第に整理されてくることもあるのだと思います。だから、正しい方向に向けない時があっても、自分を愛すること、大切なものを慈しむことはやめられないし、やめてはいけないのです。

色々脱線してしまいました!が!、発表の時間は本当に楽しかったです。周りから見ても、楽しそうに話していたように見えたと思います。
「愛」ですね。自分の好きなものを語れるって幸せな時間です。好きなことでも時に辛くなることはあるのですが、この気持ちを忘れないでいたいと思います。(何度も言うけれど楽しかったです!)

みなさんはおうち時間、何をして過ごしていますか?
私は最近忙しくてなかなかのんびりできないのですが、今日の昼、母と庭先でお手軽バーベキューをしました(笑)
ホットプレートというだけなのに、いつものお肉がとても美味しくなりました!同じくホットプレートの上で温めたアヒージョも絶品で、パンに付けたらより美味しくて感動。
元々お出かけしなきゃ気持ち無理!!ってタイプだったのですが、最近家での楽しみ方を知り始めました~!
この自粛期間があけても、おそと時間(って言い方合っている?)とおうち時間の両方を楽しめたら良いですね。


GW最終日。みなさんも良い休みをお過ごしください☺️

これからも彼女の歌とともに


御機嫌如何ですか
私は あいかわらずです
御機嫌如何ですか
私を 覚えていますか
氷の女発の 手紙をしたためます
涙で濡らした切手を最後に貼ります

中島みゆき「御機嫌如何」(作詞・作曲 中島みゆき)より

時間は不可逆的なものです。否定したい、記憶から消し去りたい自分がいても。
私がその場で立ち尽くしている間に、時の風に乗って軽やかに進む人々。
私が私と戦っている間に、自分の居場所を見つけて行く人々。
一歩遅れた先に見える、「不確か」なのにどこか「普通」じみた未来。
私は、このまま何も成さずに「日常」に追われて、いつか時間は取り戻せないものだとはっと気が付くのだろうか。
取り返しのつかない悲しみがあったのなら、せめてもささやかな幸せを超えて、自分が固有の存在として生きているという証をください。
この時間が無駄にならないと、自分の言葉で表現できる日はそう遠くないと信じて。



今日、私はとても疲れています。というのも、明け方まで書道の課題をやっていたためです。
徐々に空が瑠璃色に変わってゆく様子を見て、寝なくてはいけないという焦りと美しいものを見たという恍惚な思いが入り交りながら、音楽を聞いて眠りにつきました。
眠る数分前に聞く音楽って特別です。何者にも邪魔されない自分だけの世界に浸れる時間。
今日の明け方は、なぜだかみゆきさんの「御機嫌如何」が聞きたくなり、シングル版、アルバム「中島みゆき」版、2007年のコンサートツアー「歌旅」版とそれぞれ聞き比べました。シングルとアルバムは、ミックスが違うだけなのですが、それでも少し印象が違って。椎名和夫さんの編曲は、シンプルというより(素人目でも)かなり豪華だと思うのですが、「御機嫌如何」の、涙ながらに前を向こうとする女性の複雑な心情と上手く重なっているように感じて、それも好きなのです。この後、音楽プロデューサーの瀬尾一三さんと出会ってからのみゆきさんも好きなのですが、この1980年代の刹那的な良さもすごくすごく好きで。この時代の彼女の歌に、私は助けられています。

みゆきさんの描く女性はいつも、苦しみや悲しみと向き合いながら強く生きようとしています。着飾ったものではなく、「心が裸」みたいな状況なのですが、簡単に自分という虚像を作れる時代において、そのまっすぐさというものに、私は強く惹かれるのです。
今、SNSで発信している人は、芸能人にとどまらず数多くいます。その方々のSNSを覗くと、私たちとあまり変わらない生活であるにも関わらず、私たちにはない洗練されたおしゃれな生き方があって、洋服やコスメ、休日の過ごし方などが紹介されています。私もそれを見て、こんな余裕のある暮らしは私には到底無理だと思いつつ、素敵だなぁと思います。そして、いつもヘトヘトになりながら、毎日をギリギリで生きている自分…これで良いのだろうか、と感じてしまうのです。
私は自分の世界に浸りがちではあるのですが、時に不安になります。SNSだけではなくて、既に多分野で活躍している幼馴染や自分のライフプランをしっかり見据えている友人を見ていると、猛烈な不安が襲ってくるのです。
私、こんな生き方じゃ実はダメなんじゃないか。そして、このまま時の流れに身を任せて、なんとなく時が過ぎてゆくのではないかって。
でも、そんなことはないよ、と教えてくれるのが、みゆきさんの曲なのです。


みゆきさんは、私が私として生きる、存在証明の一部のような存在です。彼女の曲があるから、私は、今までの自分と、これからの自分の両方を肯定できるのだと思います。
そして最近、改めて、本をよく読むようになりました。小説だけではなく、世界の美しい景色と合わせて見ることのできるデザイン集だったり、美容雑誌だったり、手に取る範囲は多岐にわたるのですが、やはり紙に文字や情報が載っているという重みがあるのです。インターネットの良さもありますが、本は、すぐに発信できない世界だからこそ、読んだ私にとっても確かな自分の一ピースになるのだと思っています。

不安を抱えつつも、最近は色々な重荷から解き放たれてとても幸せな毎日です。
同じ曲を聞いていても、時によって感じ方が変わることを、最近強く実感するようになりました。前はいまいちしっくりこなかった歌詞が、今になって納得できるということが多くあります。

時間は不可逆的なもの。
けれども、時が癒してくれることの大きさに感動することがあるのです。みゆきさんの歌を通して、私はいつも自分を見つめています。

これからも、彼女の歌とともに生きていく。そう感じた新年度です。

ある街の、風の響きと香りと


山手のドルフィンは 静かなレストラン
晴れた午後には 遠く 三浦岬も見える
ソーダ水の中を 貨物船がとおる
小さなアワも恋のように消えていった

松任谷由実「海を見ていた午後」(作詞・作曲 荒井由実)より

みなさんは、好きな街はありますか?
私は、ずっと住んでいるこの街が一番ですが、今まで訪れた中で気に入った街がいくつもありました。
その一つが、横浜です。
「異国情緒」と言ってしまえばそれまでだけど、爽やかな風と海の香り、舶来品を模して作られたお土産、美味しい中華。都会的なのに、どこかあたたかさがある街。
「山手のドルフィン」は、横浜に実在するお店なんですって。
斜めに入る日の光に照らされる、ソーダ水の儚い泡。
あまりにもキラキラした景色に余計に悲しくなってしまって…。


夜、赤レンガ倉庫にあるお店で飲んだシャンパン。窓から見える客船のぼうっとした光。
12月、クリスマスマーケットに並ぶかわいいオーナメント。
ビルや遊園地の光の隣に広がる、海の神秘的な暗さ。
幸せを味わうには美しすぎて、切ない街。


先日、予定があり六本木に行きました。ずっと東京に住んでいる私ですが、今まであまり六本木という街にご縁がなく、ほとんど行ったことがありませんでした。
帰り、少し時間があったので、東京ミッドタウンに寄ってお買い物をして、ささやかながら友人の誕生日プレゼントを購入。久しぶりに知らない街に行き、同じお店でもいつもともは少し違って特別に見えました。
ミッドタウンには1階から3階まで、吹き抜けになっていて大きな窓があるんです。解放感があって、時間がゆっくりと流れる気がしました。
東京には、同じ「都会」と呼ばれる街が多くありますが、その街ごとに吹く風の響きと香りが少しずつ違っていて、いろいろな街に行く度、とても感動してしまうことがあるんです。去年、家の机の前に座り続けていた時、ふと外に出たら、こんなにも人々は動いて、社会はこうして回っているんだ、と切ない気持ちになった時があって。
自粛している時、家が全ての世界になりかけていた私にとって、新鮮に映った景色でした。

いよいよ4年生。今までの3年間、思えば全力投球の学生生活を送ってきたと思います。
先日のブログで、「私は自己肯定に片足突っ込んでいる」みたいな表現をしたのですが、良い意味で自己肯定感とか、自分に対しての満足感が高まって、安定してきたのは最近のことです。私は、小さいころから強迫観念が強かったので、「こうしなければならない」となってしまうことが多く、だからこそ出来たこともたくさんあったのですが、いつも自分が苦しくなってしまっていました。
大学生になり、今までよりずっと自由になり、自分の取りたい授業を取り、一人でいられる時間が増えて、
バイトもして、自分の好きなものにお金と時間をさけるようになって、
本当に自分のことを自然に認められて、自分を誇りに思える時が増えました。そして、自分を表現することがとても好きになりました。今でも、なんで私はこうなんだろう…と考えてしまう時も多いし、コロナウイルスが流行した去年1年間はいろんな意味で大変でしたが、大学生になって本当に生きやすくなりました。
大学に入学した皆さんにも、色々な不安があると思います。その中には、自分一人で抱えているものもあるはずです。けれども、大学は思っている以上に自由な場所です。ですから、あまり人と比べすぎることなく、やりたいことや興味のあることにチャレンジできると思います。

素敵な4年間にしてくださいね!

私も今年は忙しい一年になりそうですが、まずは心の安定を大切に、頑張ろうと思います。