秋って季節、いつの間になくなったんですか?十年一昔なんて言いますがひと昔前はまだギリ秋ってあったと思うんですよ。8月末とか9月頭は夏に比べて朝晩なんか少し涼しい風が吹いて、秋を感じるなって思っていた気がするんですけれども。今年は9月に入っても基本はまだ半袖で過ごせますもんね。と思ったらやや肌寒い日もあって何着たらいいか分からない。クーラーのやめ時も分からない。風邪ひかないよう気をつけましょうね。
向ける対象はなんでもいいんですが、皆さま、「推し」っていますか。私は推しって言葉があんまりしっくりこないので普段なかなか使わないんですが、まあそんなことは置いておいて。世間的に使われる、いわゆる推しが私にもいます。その方、歌を歌われる方で。今ってインターネットの普及の影響もあり音楽へのハードルが下がってきているじゃないですか。特にインターネットを介してなら「生歌」を「リアルタイム」で聴くことがかなり容易だと私は思っています。そんな中ですが私の応援している方、16年くらい活動してきて一度もライブをしたことがなくて。インターネット発の歌い手なんですが「歌枠」みたいな形で生歌を歌うこともほとんどなくて。しかし、ここにきて彼女がライブに出演すると。なんでも彼女、こんなに長く活動しているのに顔どころか姿を見せたことすらなくて。かなり謎に包まれた方ですがここ数年Live2Dや3Dアバターを用いて少しずつ姿を見せてくれるようになり、そして今回その3Dアバターでライブに出演することになったんですね。Live2D、3Dアバターを彼女が初めて使った時も衝撃的でしたが、ライブをするなんて、と界隈が一旦ひっくり返ってました。今でこそ例えばゲームキャラクターの3Dアバターライブ、Vtuber、MMD、VRChatなんかにもだんだん見慣れてきてそういうこともあるかと思えますが、彼女の活動してきた16年間、そして私が応援してきた9年ほどを考えると技術の発展ってすごいなと思う出来事でした。良い時代になったなと。こういう技術が出始めの頃、私も「初音ミクのライブってなにするんだろう、モニター見るの?じゃあパソコンで良くない?」とか思いましたが、この辺徐々に上手くリアルとバーチャルの融合がされてきているような気もしますね。最近は生バンド生演奏で歌うライブも多くその辺りからもリアリティを感じます。尤も私がバーチャルに対して肯定的な気持ちをもっているからであり、世間的に見たらまだまだなのかもしれませんが。でも近い未来、もっと境界が曖昧になっていくんだろうなと思いますよ。こういう話をしていると私は必ずサマーウォーズを思い出します。
だいぶ話が逸れましたが、その彼女が出演したライブが14日にありました。結果から言って、本当に最高でした。あぁ、彼女は生歌も上手いし運動神経も良いんだと実感させられましたね。めちゃくちゃ良かった。余談ですがこの手のライブ、つまり3Dアバターを用いるライブは歌が別撮りだったりダンスはアクターがやってたりどちらも本人だけど全篇収録で生で行われているわけじゃなかったりなどすることもありますが、どうも本人の話を聞く限り全部生で行われたらしい。歴は長いとはいえ初めてのライブで割としっかり踊りながら全然音外さずに踊るのただただすごいなあと思いました。夢のような幻のような日でした。
好きなものの話、久しぶりにした気がします。当たり障りじゃない根っこに近い部分の好きなものを誰かに話すの私は割と避けがちなんですが、昂ってたくさん書いちゃった。これもまたある程度の匿名性がこちら側にも読み手側にもあるからなんだろうなと思います。これはたまに書いてる気がしますが、第一私は私の書いたブログに読者がいないと思って書いてますからね。読み手を意識したらなにも書けないかも。顔を突き合わせての付き合いも大事だけど、インターネット越しの付き合いも程よく楽で有難いなと思う質だからこそバーチャルを受け入れやすかったのかもしれませんね。便利な技術には正しく乗って人生を豊かにしよう。では。
月別アーカイブ: 9月 2024
最近の項目
こんにちは、ゆきほです🍵
先日バイト先の社内で行ったことがない部屋に行こうとしていたとき、道が分からず直感で「右じゃない?」とか言って適当に歩いていたら、「ダンゴムシって壁にぶつかると右に曲がる習性があるらしいですよ」と言われました。
いや誰が方向感覚ダンゴムシや、と思いつつ、でも確かに私右選びがちかも……と考えていました。右利きだから右に行きたくなるんですよ(言い訳)
「ダンゴムシ、壁にぶつかると右に曲がる説」の真偽のほども気になりますが、虫ってググると(虫嫌い的には)グロ目の画像がどっさり出てくることがあって怖いので、敢えて確かめないでおきます。もし虫に強い方がいましたら、代わりに検索して教えていただけるとありがたいです。
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今月の前半はバイトを詰めに詰めたため、ブログに書くことが何もない日々を送っていたなと思いながら、スマホのカメラロールを見てネタ探しをしていました。
私がさっき適当に数えたので正確かどうかは分かりませんが、8月に撮った写真は160枚くらいで、今月撮った写真は60枚(しかもほぼ乗換案内のスクショ)ちょいなので、多分本当に面白いことは何もしていないんだと思います。
ただ、その面白みのない日々の中で見つけてつい写真に撮った「ちょっと面白いこと」もあったので、今回はそれを寄せ集めて書いていこうかと思います。
「なんか最近いろいろなことをちょっとずつ書くタイプのブログ多くない?」
あっそれ、私も思っていました。
これはもちろん枕草子の影響!……というわけではなく(ちょっと影響受けてるかもだけど)、今長めの文章(人はそれを卒論と呼びます)を書いているため、短いのをたくさん書いて気分転換を図りたいのかもしれません。
***
我が家のリクガメにこっそりプチトマトを与えた。
トマトって好き嫌いは分かれるけど、甘くてちょうどよく酸っぱくて、とっても美味しい。好きな野菜ランキング不動の第1位。
実は人間がおいしいと思う野菜は、多くの場合カメにとってもおいしい野菜だ。トマトは美味しいうえに栄養価も高いが、糖度も高いため主食ではなく嗜好品程度にあげるといいらしい。
私がお昼ご飯を食べていたら、後ろからカメの視線を感じた。ケージを覗いてみると、目ぼしいご飯は朝のうちに食べきってしまったようだ。萎びた小松菜の欠片しか残っていない。
私だけおいしい思いをしているのは何だか悪いし、ちょうどいいおやつはないかと冷蔵庫を漁っていたら残りが5個の若干萎びたプチトマトを発見。
我が家の人間は4人。5個残っているとトマトを奪い合う件かが発生してしまうかもしれないため、敢えてカメに食べてもらうことにした。
丸いからただでさえ食べにくいのに、皮が萎びているせいで全然噛めずにコロコロ転がしている姿をこっそり動画に収めた。食べにくい形で渡しちゃってごめんね、包丁は使いたくなかったの。
***
バイトに行く前に、内定先に出す証明書を発行したくて学校に向かった。
発行してそのまま投函して帰ろうと思って家からテープのりを持ってきたため、百年館のロビーですぐさま封をする。学校での滞在時間は10分足らずだった。
帰り道のポストに投函しようと思って、ついさっき鞄に入れた封筒を取り出したら。
……あれ、封筒開いてる。
テープのりの跡はあったためもう一度ギュッとしてみた。でもすぐ開いてしまう。
これは絶対におかしい、と思ってテープのりを取り出してよく見てみた。これは家を出る前に誰か教えてほしかった。
「貼ってはがせるタイプ」
***
時はちょっとだけ遡って、ここは証明書を発行しに行った日の学校。なんと学食がお休みで突如昼食難民になった。完全に学食の醤油ラーメンの口だったのに……
『私、遅くとも1時間後には電車に乗ってなきゃいけないんですが……』と思いつつ、とりあえず目白駅近くのサンマルクに駆け込む。
図らずともちょっと豪華(普段はコンビニおにぎりな当社比)な昼食となり、嬉しくて推しのアクスタと写真を撮っておいた。常にアクスタを持っているタイプのオタクでよかった。
横のおじさんが何も頼まないでソファーで寝てた。気になりすぎて終始ガン見してしまった。
***
乗換案内のアプリのウィジェットがバグって、次に最寄り駅に電車が来るのが19時間後になっていた。
まだ19時なのに……と思いながらスクショだけ撮って放置していたら、翌日は100時間以上後になってしまった。
まあしゃあないな、と引き続き放置していたことを今思い出して、久しぶりに見てみたら直っていた。何か困った時には一旦放置してみるのもオススメ。
***
ふと空を見上げたら、ちょうど晴れと曇りの境目に立っていた。私の左半身は曇りなのに、右半身は晴れていた。
帰り道の方角はちょうど晴れ。曇りが迫ってくる前に、寄り道を断念して急いで帰った。
***
人生最後の履修登録をした。
私は4年生にしては学校に行っている方だと思うが、学校に行くと約束をしなくても必ず決まった曜日の決まった時間に友達と会えるなんてお得だなと思う。
小中高では毎日同じ人たちと1日中顔を合わせるため、その分相手の嫌な面もたくさん見えてしまう。大学では、どんなに授業が被っている人でも週5回丸1日顔を合わせることはないから、高校以前よりは人付き合いに悩むことがなくなったなと思う。
とか言ってみたが、私は1人でいること”も”好きなタイプなので、友達と会っている時間”も”もちろん大好きだ。
前期は週1回1コマ「やらないといけないことを絶対にしない1時間」を友達と作って、毎週お菓子を食べながらダラダラと喋っていた。後期もできるかな。
***
私のイメージでは、いつも大相撲の9月場所が始まったときには夏服を着ていて、終わるころには秋服を着ています。
今場所も残り約1週間。来週の今頃には秋服を着ているのでしょうか。そして好きなお相撲さんたちはみんな勝ち越せたでしょうか。
今週は大相撲が終わって後期が始まる週となりそうです。
ではまた。
「理由」を大切に
皆さんこんにちは。みちこです。
今回は、「理由」をテーマに話をしたいと思います。
以前に話した、「ルーツ」とも関わりがあり、重なってしまうことも多くあると思いますが、最後まで読んで頂けたら幸いです。
(そしておそらくだいぶ複雑な話なので、分かりにくい話かもしれません…。哲学というか、なんというか…。そんな感じのお話です。)
では、始めます。
タイトルに据えた、「理由」を大切に、という言葉。これは、将来の私への願望でもあります。
私はこの度誕生日を迎え、めでたく20歳を迎えることとなりました。
これは、20になって少し浮かれている私が綴る、ちょっとした希望のような備忘録です。
皆さんは、様々なものの「理由」って意識したことありますか?
今回は、その様々な理由の中でも、いわゆる「自分の思考のクセ」のような「理由」についてお話したいと思います。
なんじゃそれ、と思うでしょう。
例えばのシチュエーションです。
皆さんには、問題集を解いていて、自分が何回も間違えてしまう問題ってありましたか?
このたとえでは想像もつかない、という人は、日常のちょっとしたクセでもいいです。
分からないけどなんかいつも間違えてしまうようなこと(例えば、冷蔵庫の飲み物の位置が覚えられないとか)とか、どうしてもできないこと、失敗し続けていることって、何かありますか?
では、何故それはどうしていつも間違えてしまうんでしょうか?
こう考えても、分からない、って意見がほとんどだと思います。私もそうです。
ただ、こんなものはすぐに答えが出るものでもないでしょう。
だってすぐに答えがでているものなら、私たちはすぐに対策方法を思いつくか、人に聞くなど、何かしらのアクションを取ることが出来ます。(もちろん、それらの「分からない物事」から目を背ける、放っておく、という選択肢もありますが…。)
克服できないようなこと、苦手続きなもの、自分の欠点…
そういったものには、ほとんどのものが「理由」を見つけることが難しいんです。
その「理由を見つけるのが難しい事柄」にどのように向き合っていけばよいのか、というのが今回の記事の核の部分となります。
まず、これがどういうことなのか、何故難しいのか、説明したいと思います。
おそらくですが、「そういったものの理由が分からない」ということは、それが「自分であること」の証拠であると私は考えています。
「分からない」ということは、理屈では説明できないもの、ということ。
つまり、「無意識」の状態なんです。
そしてその「無意識の状態」とはすなわち、「それが自分という存在を形作る要素の一つであるということ」という意味であると私は考えています。
そしてまた、「大切にする」といっても、ただそっとそのままにしておくのも違うと思います。
「大切な宝物のように、自分を大事にする」、そういう意味でもないと思います。
「自分を大切にする」ということの意味は、ただ自分に優しい・甘いだけではなく、経験した苦しいことも辛いことも全部ひっくるめて、いつか「いい思い出だ」と言えるような、未来の自分に胸を張れるような、そんなことだと思います。
「可愛い子には旅をさせよ」ということわざがあります。まさにああいった感じのイメージです。
経験、ひいては歩んできた自分の人生(あるいは過去)そのものが、今の自分・そして未来の自分を形作っていくような、ああいったイメージです。
そして、その「経験」や「過去」あるいは「人生」には、必ず「理由」があるんです。
例えば、親が俳優業をしている子どもがいたとしましょう。
その子どもがたとえ親のように俳優を目指しても、それにはそれ相応の理由がある。
親の姿がかっこいいとか、尊敬する、とか。そしてそれらの感情には「エピソード」という名の「理由」がある。
逆も然りです。親のようにはなりたくないと、その子供が別の道を進んだとしても、そこには、家の環境や親の影響が必ずどこかにある。そしてそれが無意識下で「自分という存在」を形作っていくんです。
ここまで、「自分の存在」は周りの環境や人(あるいは出会った人やモノ)に影響されて「無意識のうちに」出来上がっていくこと、だからこそそれらに「理由」を見つけることが難しいということを説明してきました。
大変に難しいことを説明しているので、ひとりよがりな説明になっていないかすごく心配です。
読む方も大変なカロリーを消費していることを承知のうえ、次にこういったものにどう対処していけばいいのか、現時点での私の回答を紹介しようと思います。
結論からいうと、正直私も現時点では回答が見つかっていません。こんな大口叩いておいて、え?って感じですよね…。
というのも、結局自分の性格を変えることに抵抗があるのか、そもそもこのようにできた性格を変えることが出来るのか、というところもまだ分からないんです。
欠点であるところを無理やり克服したとしても、その時の私に今と同じような長所が残っているのか、残らないのなら変える必要がないのではないか、でも欠点は直したい…。と、堂々巡りをしている状態なんです。今も結論は出てません。難しいですね、人生って。
ただ、上記のような仕組みで「思考のクセ」が出来上がっていると理解できたことはいいことなのかな、と思います。
私はある出来事があってから反面教師にしているものがあるんです。ここでは詳細は伏せますが、そこで気づいたのが「思考のクセ」の仕組みでした。
望んでいなくとも、周りの環境や人の影響を良くも悪くも受けてしまっている、と気づいた時がありました。
なので私は、まずは周りの影響を受けて自分の人格は出来上がっているものだと割り切ることにしました。自分の性格・傾向も、利点・欠点、いいも悪いも自分で変えることが難しいものだと、そう思うことにしました。
じゃあ変える必要がないのか、というとそれは違いますし、どうにかしたいんですけどね…。
まだ迷いがあるから進めていないような気がします。
ただ、これを解決するキーワードがさっき言った「理由」なのではないかとは思っています。
無意識下の自分の性格(あるいは自分という存在)を「理由」という形で「意識」している状態にすることで、自覚の材料にもなりますし、人に話すための素材としても機能します。
自覚したら、あとはもうこっちのもの。どんな感情を抱くか、どんなアクションを取るか、人それぞれです。
この「理由」が大事だと思った直近のエピソードを紹介します。
私は現在、車の免許を取るために教習所に通っているのですが、実技の教習を受けている時に、どうして今のような行動を取ったの?と聞かれる機会が多くありました。
その中で自分の中にあるきちんと理由を説明できると、じゃあ次からはこうした方がいいかもね、とアドバイスをもらえる、ということがありました。この時、「理由」を説明することで、自分の傾向と対策を同時に知ることが出来るんだ!と気付きました。
これはかなり貴重かつ大事な経験なのではないかと思い、今回こうしてとんでもなく難しいテーマで書こうと思いついてしまった次第なのです…。どうかお許しください…。
未だに自分ときちんと向き合うことは出来ていません。ただ、「自分の存在」には何かしらの「理由」があると気づいた今、この「理由」が私自身を理解するために必要なことであり、だからこそ大事にしたいのだ、という決意表明をしながら、本記事を終えたいと思います。
今回は頭の痛くなるような難しいテーマに最後まで付き合って頂き本当にありがとうございました。
少しでも何かが印象に残ってくれたのなら、もうそれで合格だと思います。私自身、現時点では何もかも分からないことだらけですから。これから様々な経験をしていく中で何かしらのカギを掴んでいけるのかな、と思います。
次回は、私からこの「理由」を引き出してくれる「言葉(あるいは言語化)」について記そうかな、と思っています。
それでは、失礼いたします。
西生田の森にて伸びるもの、生徒の背丈と文章量
今日はBSテレビ東京の『THE名門校 日本全国すごい学校名鑑』という番組で、附属中学校が紹介されておりました。内容はオープンスクール委員の子たちがオープンスクールを素晴らしいものにするという奮闘と涙のドキュメンタリーで、放送後友だちと「あのように素晴らしい出来た後輩がいて私たちは幸せものだ」と、熱く語り合いました。
小田急線の読売ランド前駅なんて、卒業すれば本当に行かないもので、我々は駅前の歩道橋を見るだけで涙をこぼすのですが、今日はそんな母校の過剰摂取を朝から行い、スマホの通知は中学が中学がとうるさいわけです。かくいう私も、ここに書いてしまうぐらいには興奮しています。
番組に出てきた人生何周目かと思うほど出来た中学生もいれば、大学生になってはじめてオープンキャンパス委員となり、はしゃぎすぎて足を攣るような卒業生もいますので、ピンキリということだけはお伝えします。しかし、あの番組に出ていた生徒と同じぐらい、人格的にも学業的にも既に大成している生徒が例年ゴロゴロいるのも附属中学校です。すごいでしょ。自慢の母校と自慢の同窓生です。
***
番組でもサラッと紹介されていましたが、附属中学校は国語教育に現代では異質なほど力を入れています。
1番その成果が出ているのが、生徒及び卒業生の書く文章量。自分で言うのも何ですが、本当に長いです。まず、国語の授業を担当する先生が1年間に2人から3人いて、全員違う授業を1年間通して進めていきます。内容は近現代文多めの古典・近現代ごっちゃ混ぜです。ただテストや課題の形式は似ていて、テストは枠で囲ったスペースがあって、その中にみっちりと作品論などを書くスタイル。課題もB5くらいの紙に自分で枠取りして、スペースの許す限りみっちりと書くスタイル。出来上がった物は皆で共有して、互いに刺激し合います。
深夜特急、高瀬舟、陰翳礼讃、藤など教材のインパクトも強いものがありましたが、何よりもテストや課題の方針が我々生徒の発想力・創造力・構成力・表現力等々を育て、その結果が卒業生の華々しい活躍であり、スクロールしなければ全体が見えないLINEなのかなと思っています。
そう、我々生徒が注意しなければいけないところは、長く書くことを目的としてしまい、文章は人に読ませる物だという意識が抜け落ちてしまうことです。正直、文章の長さで附属中学生か否かは9割見抜けるほど、ダラダラと長い文章を私たちは書いています。相手が読みやすいか?ということが感覚から抜け落ちていて、私はつい最近までそれに気づけなかったので、今更色んなことや人に後悔と懺悔をしております。
***
文章量といい、さまざまな力を身につけることができた附属中学校時代。在学時は劣等も良いところでしたが、これから先「お前が卒業生で誇らしいよ」と言ってもらえるよう、精進してまいります。
本日読みたい本
『銀河鉄道の夜』 宮沢賢治 新潮文庫
附属中学校ではこれが一番最初に扱った近代文学だった。私のこの本には、あの頃の付箋やラインが残っているし、度々本棚から出して読んでいるから、比較的ボロボロだ。
もう、何度も読んでいる。
けれども、私にとっての「ほんとうのさいわい」とは何だろう。あの頃もわからなかったし、今もわかっていない。でも、この数年間をこの学校法人で過ごして、少しは答えに近づいた気はする。
生菓子の魅力
まいますです!💟
ここ最近の私は、生菓子にハマっています。
というのも、以前ブログにも少し書いた、
「京の料理と菓子」という授業で和菓子に触れたことがきっかけでして、
授業で初めて生菓子をいただいてからというものの、近所の和菓子屋さんに通っては季節の生菓子をいただく日々です。
本日は、京都でいただくことのできる素敵な生菓子を紹介したいと思います。
こちらは銀閣寺の近くにある
AG COFFEE.
というカフェでいただける生菓子です。

ここを訪れた前日が五山送り火の日で、お店ではそれにちなんだ生菓子をいただくことができました。
他にも可愛らしいデザインのものが多く、あと一度は訪れたいと思っています。
お次は、同志社大学近く、
堀川今出川に位置する
鶴屋吉信 本店
でいただける和菓子です。
ここでは、半月ごとにいただける生菓子がかわります。
こちらは「着せ綿」という生菓子です。

鶴屋吉伸【公式】Xより、
古来中国で「陽(縁起が良い)」とされた奇数。本日は最大の奇数「9」が2つ重なる、一年で最も縁起が良い日とされました。#菊の節句 とも。
#菊 の花を用いた宮中の厄除け行事にちなむ生菓子です。
このように、季節や行事ごとに因んだ生菓子が多く、
そのときごとに合わせて何度も楽しむことができるのが、生菓子の魅力のひとつだと思っています。
夏に受講していた集中講義では和菓子のことを学ばさせていただき、より生菓子が好きになりました!
小さな生菓子ひとつとっても、モチーフとなるものをどう表現しているのか。なんという菓銘なのか。
目で見て、話を聞いて、味わって楽しむ
これが生菓子の大きな魅力だと考えています!
4月になったら関東の和菓子屋さんを開拓して、東京でも生菓子ライフを楽しみたいと思います😊
では!💟
全てはシャンパンの
若さは財産だ とか 若いうちにできることを とか
直接でなくとも、間接的に目にするとかでそういうお言葉を頂戴した経験ってあると思うんです。
でも、正直なところ。目が悪くなるまで健康な視力の価値なんか分からなかったし、課題が増えるまで自由な放課後の価値なんて意識したこともなかったし……。それが無くなるまで、実際のことは分からないし気が付けない。想像力は、素晴らしいものだけれど現実はもっと素晴らしく素晴らしくないものだから、私なんぞの貧弱な想像力じゃァ敵わない。稀に現実の方が素晴らしい時もあるしね。
それでも。明確に若さが財産だと気付ける部分がある。
とてもとても現金なお話で、お上品ではない感性なのだけれど。。。
今更品性だなんだの探す当てすらありもしないのが私めでございます故、現実的に、現在進行形で、感じることの出来る【若さ】の価値、これ即ち【学割】なのです。
世の中にはありとあらゆる【学割】が存在しますが、【大学生】をその中に含んで下さるものって存外少ないのです。高校生までのものが多い。
ですが、大学生どころかアンダー25として25歳以下まで含んでくださる超太っ腹ジャンルが存在します。それは【舞台芸術】という分野。私が何度かブログにも書いている能や狂言なんかもそうで、舞台によっては学割枠や特定の年齢以下の人が対象のチケットがございます。もちろん全ての舞台がそうというワケではありませんが、本学の学生支援課横の掲示エリアなどには学生向けのそういったお知らせがびっしりと貼られている光景が見られたり、ネットで適当に検索しただけでも沢山ヒットしたりとかなりその機会に恵まれていることが分かります。
数多の舞台芸術でそのようなムーブメントがある中、私が最もオススメしたいのが・・・
【 オペラ 】です!!!
オペラはそのほとんどがドイツ語やイタリア語等々の異国語公演であることや、3時間近い公演時間、Switchが1台買えちゃうくらいのチケット代ということから中々近づく機会のない芸術ジャンルです。
しかしながら、近年では日本語版の上演もかなり増え、そうでない場合でもシアター内に大きな字幕表示があるなど親しみやすくなっています。上演時間の長さが気になる方もいらっしゃるかもしれませんが、実際のところオペラというものは途中休憩がかなりしっかりしており、その時間にシアターによっては併設のバーでワイン片手に歓談するマダムの姿を見かけることもあるくらいの優雅さです。未成年の私は軽食としてホットドッグを買い求めることもしばしばです(笑)
休憩時間はしっかりしていますし、上演時間の長いオペラには見せ場の数もそれだけ多いですから、観たいところだけ観るという贅沢も悪くはないでしょう。実際、上演中に素晴らしい音色と美声に酔いしれてそのままうつらうつらと船をこぎ出す観客もちらほらいますので、それはそれでアリな気もします。
そして何よりもハードルの高いお値段! ここが若さの価値なのです。
諭吉さん(最近は栄一さん)が数人ほど出払ってしまうのが通常価格なのですが、学割などによってその負担が一気に樋口さんや野口さんくらいまで抑えられます。このあたりのお値段は劇場や劇団によりけりであるため、お札の皆様方で抽象的に表現させていただきましたが、、、本当に桁が一桁異なってくるようなところもあります!
そしてこの【学割文化】の何よりも重大な恩恵は芸術の乱読ができることではないでしょうか。
別にその作品について何も知らなくても、ちょっと気になったから行ってみる。そうして行った一舞台が人生を変えるかもしれない。その気軽さを許してくれるのがこの文化なのです。
人生をすぐさま一変させずとも、色々な作品や舞台音楽、延いてはそこに映し出された数多の人情に「見覚えがある」だけでも、それがじんわりと人生を左右するかもしれません。「教養」と言うと、少し大袈裟ですが…日々を、人付き合いの行く先を、思わぬ方向に滑らせてくれる。例えば今日のこのブログのタイトル「全てはシャンパンの」を見て、この台詞を知っているお方はこれを上の句のようにして下の句をサッと答えてくださる。そうして私と貴方様はふふっと笑う。そんな面白味をもしかしたら、誰かは「教養」と呼ぶのかも。
ですから是非、ちょっと調べてみてほしいのです。近所の劇場でも、行ってみたいファッション街の近くにちょうどある劇場でも、偶然暇な日にやっている公演でも。そして、学割があったら有難く乗っかってみてください。その価値に気づくのはずっと先でもいい。今はただ勢いだけでも。
+++
きっと本来ならば若いうちのその感性や時間でしかできないことに価値を見出せと言うことなのでしょうが、、それに対して【学割】というお金の話を持ち出すと「なんて生々しく、貧乏くさい話か」と思われてしまいそうですけれど。。薄給の私めのような学生には本ッ当~~~~~~~に有難いのです。
稼ぎがマトモになるまで待てばいいじゃないか?
違うんです。その時にはもう、舞台に立っている人が違うかもしれない。やっている演目も違うかもしれない。舞台の上ほど、あらゆる流行り廃り、成長と老いが凝縮されている場所はない。あっという間に次へと移り変わってしまう。「その」舞台を逃したくないのです。
ですから、私は有難くそのお恵みを全力で享受し、甘えさせていただき、いずれマトモに立てるようになった暁にはその分まで全力で返す所存です。学生でいるこの数年よりも、ずっとずっと長く、一生涯【舞台】に還元するだろうと思います。実際そういうヤツもちゃんといると思うので、今後ともこのようなきっかけとなる文化が続いて下さったらなと思います。
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さて、漠然と学割をオススメしまくってまいりましたが…。ここで少し具体的にオススメな作品でも。
まず【オペラ】を推したいのは単純に単価が高いからです。お席にも寄りますが、一流の歌手に一流のオーケストラ、それらを支える一流のスタッフ陣とホール。他の舞台芸術よりも遥かに様々な人員が必要で、そして当然ながらチケット代としてそれが表れます。さらに上演時間も長いものだと4時間を超える作品があるなど、時間的にも金銭的にもかなりのボリュームです。
社会人になってから行こうとしても、気軽に行くことはかなり難しいでしょう。ですが、内容もしっかりとしたボリューム感で、舞台の余韻と満足感は他の舞台芸術とは一線を画すものです。なにせ、演劇と歌唱と演奏とが全てフルコースで味わえるようなものですから。これはもう、「舞台芸術の全部どり」です。※個人の意見
有名なクラシック音楽にもオペラ作品のものが数多く存在します。そのような聞き馴染みとお話の親しみやすさとして一番オススメしたいのが【オペレッタ】です。オペラとオペレッタは混同されることも多いようで、その差別化に躍起になる人もいたりいなかったりですが・・・簡単に言うとオペラは悲劇、オペレッタは喜劇といった感じです。悲劇且つ歴史的、神話的な要素を含むオペラは基本的に知識層の貴族階級向けのものであり、当時から市民階級には理解の難しいものでした。そこで、台詞を増やし上演時間を縮め親しみやすいストーリーの小規模オペラとして誕生したのがオペレッタです。
上演時間の長さやストーリーの傾向といったオペラ対オペレッタの特徴はまるで能と狂言のようにも見えます。狂言のようにオペレッタも喜劇がメインで最後は笑って赦し合うようなものが多く、それでいて風刺的です。
よく運動会で耳にする「天国と地獄」なんかも実はオペレッタの曲です。喜劇であるためか印象的で耳に残るフレーズが多いようで「えっこれもオペレッタだったの!?」という曲が沢山あります。
そして数ある作品の中でも私の最推しは『こうもり』というウィンナオペレッタ。
その序曲がもう大ッッ好きなのですが、実はこの曲との出会いが「トムとジェリー」です。トムジェリの作品の中に「星空の音楽会」という回があり、そこでトムが指揮を務めていたのが「こうもり」序曲なのです。ただアニメを見ていただけの幼き日の私は、テレビから流れる最初の数音で完全に虜になってしまいました。子気味良い弾けるような音は聞いているだけで自然と足が動き出してしまいそうです。
後に、この曲が「こうもり」序曲であると知り、オペレッタ「こうもり」のストーリーにもずぶずぶとハマってしまうのですが・・・先日ついに劇場で観ることができました!
生の「こうもり」はまさに想像以上。華やかな舞踏会と会場を跳ねまわる音の数々に終始目が釘付けでした。「こうもり」という作品は
【 昔のことにまだ恨みを持つ親友の復讐劇や、舞踏会に行ってみたいメイドのミッションインポッシブルすぎる姿、既婚者である主人公が美人を口説いていたら実はそれが妻本人という愛憎劇に、警官のくせして自分も遊び回っちゃうお茶目警官、しかも局長じゃん君……。 】
などなど、どう考えてもカオス。それら全てが詰め込まれた笑いのプレミアムパック、もしくはごった煮となっております。何一つ収集がつきそうもないこの状況。それがどうにかなっちゃうのがオペレッタの世界です。
ドタバタ喜劇の大いなる赦し(ガバ判定)をぜひ味わってみてくださいね。
旅の趣旨はなんだったのか
こんにちは、さくらです。
いやぁ、もう9月なんですね。8月は怒涛の勢いでインターン、バイト、その他諸々。あっという間の1ヶ月でした。
私は1週間に最低でも1日は「完全に何も予定の無い日」を作りたい派閥の人間なのですが、逆に予定の無い日がない!
私のスケジュール帳ってこんなに埋まることあるんだ……という感動すらありました。
まぁ9月に入ってやっとこさ予定の無い日が増えてきたので友人と夏休み初の旅行に行きました。
行先は宮城県。
人生で47都道府県を制覇したいと思っているのですが、東北は秋田に続いてまだ2県目です。なんで宮城県になったのかは覚えてないのですが、名古屋はバスケのシーズンが始まってから行きたいし、広島は私が去年行ったからもう少し間隔を空けたい、福岡は冬の方が楽しそう……。そんな会話をしたような気がします。
台風が接近していたことや8月は私も友人もバタバタしていたこともあり、9月3日からの旅行の予定なのに1日になってからホテルや新幹線を取り始めるという事態。
家族にも「明日から仙台行ってくるね〜」と、さも近所に行くような感覚で報告したら驚かれました。
さてさて、今回の旅のメインは「縁結び」と「サップ」です。
「縁結び」と言いますと恋愛だけのような印象を与えてしまうかもしれませんが、人の縁もあれば進路の縁も土地の縁もあります。様々な縁があってこその私たちの生活ですので、それぞれで素敵な縁があれば嬉しいなという思いです。
まぁ、ダラダラと書きましたが一番の目的は恋愛ですけど。
日本三景のひとつでもある松島では公式の観光ホームページで「良縁を結ぶ縁結びコース」というページが存在します。今回はこちらに倣って回りました。
もし行かれる方がいらっしゃいましたら、是非参考にしてみてください。
https://www.matsushima-kanko.com/miru/detail.php?id=305
まず最初は渡月橋。
こちらは悪縁を切る橋のようです。
松島は観光地がぎゅっと纏まっているので、見て回りやすいのですが、この橋は少しだけ観光地から離れたところにあります。
なので人が少なめ。
友人が「こんなに人が少なくて松島って大丈夫なのかな」と謎の心配をしていました。
何やら松尾芭蕉に関係があるらしく、知ってる?と日本文学科の知識を期待されたのですが、なにぶん私は近世の授業を全く取らずに3年生になったもので。期待されるようなことを答えられず、ヘラヘラしていました。
続いては福浦橋に向かいます。
コースの順番と同じように回っていたのですが、渡月橋から福浦橋に行こうとすると途中で透かし橋の方が先に出逢えるんですよ。しかしコースの順番に従うことできっと良縁に繋がるのだろう、と思いそのまま一度透かし橋を無視します。
福浦橋は先程の渡月橋よりも一度スルーした透かし橋よりもずっと長い橋でひとり200円の通行料がかかります。
さて、200円を払い橋の目の前に来たわけですが、ここで大きな疑問にぶち当たります。
この橋、ただ渡るだけでいいのか?
何かお願いごとをしながら渡った方がいいのかもしれない。しかし周りにはそんなふうに渡っている人はいない。どうしたものかと思いましたが、多少の恥よりも良縁。手を胸の前で握り締めながら、頭に願いごとを唱えながら渡りました。
途中、BeReal.の通知が来たことにより近くの女性から写真を撮って欲しいと頼まれてしまいましたが、それ以外のハプニングは無く渡り切りました。
橋の先の福浦島は先程と打って変わって人がたくさん。加えて島の面積も広く、休憩所などもありました。松島の海には数多くの島があるのですが、それぞれの島の解説を読みながら外周をぐるっと回って戻りました。
もちろん、帰りの橋もお願いごとはしっかりとして。
先程スルーした透かし橋に戻り、3つの橋を全て制覇します。透かし橋は名前の通り橋の間が透けており、下が見えるようになっています。それほど高い場所にある訳では無いので、高所恐怖症の方でも大丈夫だとは思うのですが、落ちそうだなぁという不安はあります。
3つの橋をクリアした先に待っているのは最後の目的地、円通院です。おそらく、このお寺が縁結びのメインだと思います。
松島ではこけしも有名らしく、こけしに願いごとを書く場所もありました。院の中にはバラ園などもあり、生憎バラのシーズンではありませんでしたが、落ち着いた雰囲気の中ゆったりとした時間を過ごすことが出来ます。
まぁまぁまぁ、ここまではほんの前座です。
縁結びのメインと言えばやはりおみくじ。
おみくじ自体は入口付近にあったのですが、お祈りをしてから引いた方がいいだろうという気合いの入れよう。本殿だけでなく、院全体を見て回ってから挑みました。
結果は【末吉】
あまりにも微妙すぎる。
理想の人物像なども書いてあったのですが、
血液型:A型がよい
年齢差:男性が5歳以上上の方が上手くいく
干支:最も相性がいいのは巴(へび)歳
星座:天秤座、射手座いずれも良いが、牡牛座は避けた方が無難
いやおらんて、こんな人。
そもそも私は歳が4つ以上離れている人はちょっとな、という感じなのですが、5歳以上上で尚且つ干支が巴歳となるとほとんど一回り離れていることになります。
(このパート、推敲してて気付いたんですがXとかだと炎上しそう。まぁあくまでも個人の好みということで)
とりあえず都合のいいところだけ信じようと思い、最近は巴歳の2歳上の人を探しています。
友人も引いたおみくじには納得いかなかったらしく、2人で文句を垂れつつ笑いながらホテルに帰りました。
こんな感じで縁結びパートは終了です。
今後縁結びに何かしらの成果がありましたら、またブログにてご報告したいですね。
あれば、ですけど。
続きましてサップです!
もうこれがめちゃくちゃ楽しかった!!
まずサップとは何やら、皆さんご存知ですか?
サーフボードの上に乗ってボードを漕ぎ、ヨガや潮風を楽しむマリンアクティビティです。
これは8月半ばに私が「マリンアクティビティをしたい!」と騒いでいたのを友人が覚えており、出来るらしいよ、と提案してくれました。
私たちは松島から少し下がり馬の背辺りで行いましたが、松島でもやっている人を見かけたので、割と宮城の海沿いならどこでも出来るのかもしれません。
私たち2人の他には2人組と3人組の女性。それからスタッフの方2名の計9人で行いました。
ひとり1本ずつオールを貰い、初めはサーフボードの上に座って漕ぎ始めます。
もうこの時点でだいぶ楽しい。海で泳ぐのはあまり好きではないのですが、マリンアクティビティはめちゃくちゃ好きなんです。わりとアウトドアも好きなタイプの人間なので、身体を動かしてる間隔が楽しくてぐんぐん漕ぎ進めます。
慣れてきたら立っていいですよ~と言われ真っ先に立ち上がりどんどこ漕ぎます。友人はどちらかと言うとのんびり安全に楽しみたい派の人間なので終始座って漕いでいたので、楽しみ方は人それぞれです。
2人でひとつのボードに乗っても良いとのことだったので私は2人で立って写真を撮りたかったのですが、友人は断固拒否。何とか立たせたくて
「彼氏が一緒にサップやって立ってくれなかったら蛙化するでしょ!!」と言えば
「それはそうだけど、私はお前の彼氏では無い!立つと(海に)落ちる!」
とキッパリ断られてしまいました。
なので写真フォルダには立っている私と座り続ける友人の写真が溢れています。
私たちはヨガはやらなかったのですが、スタッフのお兄さんがボードの上から宙返りを決めて海へ飛び込む、と言ったアクロバットも見せてくださり、他の組の方はボードの上で前転をして見せるなどまさに三者三様の楽しみ方でした。
あまりにも楽しくて終わったその場で関東でもサップが出来る場所を調べていました。
サップ、趣味にしたい。
以前ダイビングをした時も同じことを言ってたような気がしますが。
帰りは仲良くなったお姉さん方が車で駅まで送ってくださり、宮城県の人の優しさに触れました。
スタッフの方も優しくてあまりにも楽しかったので、勝手に宣伝しておきます。
https://www.jalan.net/kankou/spt_guide000000216885/activity/l00004A09F/
今年の夏の初旅行でしたが、適当に場所を決めたわりに大満足の旅でした。
今回は伊達政宗のゆかりの地など全く回らなかったので、今度はそちらの方も行ってみたいです。
劇団四季
こんにちは、あかりです。先日、初めて劇団四季を観に行ってきました。作品のタイトルは『ゴーストアンドレディ』。新しい劇団四季のミュージカルで、浜松町にある四季劇場秋で今年の11月までの公演になります。今回はその感想について書こうと思うのですが、ネタバレには極力配慮しますが途中がっつりミュージカルの内容が入るので、これから観に行く方や四季に興味がある方は気を付けてください。できれば読まないことが一番だと思いますが、ネタバレが怖くない方はどうぞ。
それと劇団四季観に行きたい方は、もし観に行くなら遅くても2か月前くらいからチケットの予約をしておくことをお勧めします。良い席を狙いたいならさらにそれよりも前から買っておかないと自由に選べなくなります。かくいう私も平日の昼間を狙ったにも関わらず、危うく狙った日に行けなくなるところだったのでチケットを買うのは早ければ早いほど良いです。あと、公演終了後の売店は文字通り黒山の人だかりなので、できれば公演前に買っておくことをお勧めします。
『ゴーストアンドレディ』の舞台は19世紀のイギリス。主人公フローレンス・ナイチンゲール(以下フロー)は幽霊が見える特異体質のお嬢様。看護婦として人々の役に立ちたいと思っていましたが、家族から猛反対で死にたいと思うレベルで落ち込んでいました。フローは劇場に住みつく幽霊のグレイに殺してほしいと頼みに行きますがグレイはこれを拒否。しかし紆余曲折の末グレイは「絶望したら殺してやる」とフローに約束をします。
フローは従軍看護婦としてクリミアの野戦病院に旅立ち、フローに憑りついているグレイもこれについていくことに。しかし、病院の衛生環境は最悪で食事も栄養が足りていない状況でした。フローをはじめとする看護婦は掃除、洗濯、食事の用意をして病院の環境を改善していき、その結果死者の数はぐっと減少しました。本国の新聞でもフローの働きぶりが取り上げられるようになり、「クリミアの天使」と呼ばれるようになります。ところがこれでハッピーエンドというわけにはいかず。フローが世間から評価される一方で、何もしなかった野戦病院の責任者ジョン・ホールはバッシングを食らい、自業自得なことを棚に上げてフローを憎むようになります。そこにつけこんだのが、幽霊のデオン・ド・ボーモン。ジョン・ホールに憑りついてフローを殺そうとしますが、それを知ったグレイが(死んでいますが)命を懸けてフローを守ろうとします。
とまあこんな感じの内容なのですが、めちゃくちゃ面白かったです。戦争が舞台で割とシリアスな設定なのに所々コミカルなシーンがあって笑いが起きることもありましたが、真剣なシーンは舞台の緊張がこちらまで伝わってきて、空気のメリハリがすごかったです。
あと、これは完全に私の趣味なのですが、(特大のネタバレが投下されます。ご注意ください)是非語らせてほしいのが敵サイドのデオンが男装の麗人だったんですよ!しかも生前は美しい騎士って設定のお強いお姉様な訳で。「何それ最高」以外の感想があるでしょうか?いや、ない。完全に私の「好き」の欲張りセット。この時点で推し確定ですが、舞台で剣を操る女優さんもお美しくて凛々しくて、それでいて敵陣営の悪そうな雰囲気がにじみ出ていてもう大好き。衣装も含めて最高で、女性っぽさも男性っぽさもあるデザインが良すぎて無理、好き。グレイとの殺陣のシーンも気合が入っててあまりのイケメンさに呼吸が止まりかけました。これが一目ぼれというやつでしょうか。けれども本人は女性扱いされることが地雷で、その設定も好き!ちょっとイラっと来てる言葉のトーンすらかっこいい。そもそも男性に口調を寄せているのがかっこいい!ビジュアルも設定も言葉遣いも圧倒的優勝。「好き」以外の単語が出てこなかったです。カーテンコールで手を振ってくれた時は心臓止まるかと思いました。カーテンコールのときのにっこにこの笑顔可愛すぎて心臓が破裂しなかったのが不思議なくらいです。勿論フローやグレイなど主人公周りの話の作りこみも丁寧で、演出も何もかもが最高でしたが、それはそれとしてデオン様がぶっ刺さり申し上げてやばかったです。ちょっと言語に影響が出始めるレベルで刺さりました。説得力ゼロなのを承知で言いますと、断じてデオン様以外眼中に無かったわけではありません。ちゃんと純粋にミュージカルを楽しんだ上でこの反応です。ただあんまりここで書くとネタバレになるので避けているだけです。デオン様だけは堪えきれず感情のままに書きましたが、これでも抑えた方なので許してください。
さて、劇団四季の感想と言うよりはほぼ推しの感想のみとなってしまいましたが、今回はこの辺で。それではまた。
安全運転を目指して
自動車学校に、入学した。
正直、本当に運転したくない!なぜなら、絶対に、絶対に人を轢くからである!!
人間の状態で角を曲がる時でさえ角にぶつかるのに、車に乗ってぶつからないわけがない。
「最初は怖いかもだけど慣れるよ〜〜☺️」なんて言われるが、
20年経っても人体の操作に慣れていないのだからよくわからないバカデカ機械を操作できるわけがないのである。
私にとって、車なんてものはガンダムでありエヴァである。
碇ゲンドウが「シンジ、エヴァに乗れ」というように、うちの母が「しらちゃん、車に乗りなさい」というのだから、居もしないミサトさんに泣きつきながら、存在しない綾波レイを心に宿して自動車学校を契約したのである。エヴァンゲリオン、見たことないけど。こんなアニメだっけ?
この前初めて車の操作を教わるための模型のような機械に乗った。
変なレバー操作、ハンドル操作、ペダル操作…………。
多い多い多い多い多い多い多い!!!!!!!!!
やることが!!!多い!!!!!
発進するまでにやること、そんなにあるの?
アクセル踏むだけじゃないの?
なんならアクセルとブレーキも踏み間違えそうなくらいだ。
もう免許を返納したい気持ちである。まだ免許を持っていないのに。
今日くらいは「車の運転ができない!」って話をさせてもらえませんか? | オモコロ
高校生の時、この記事を見て深く共感した。そのレベルである。
この記事は本当にいい。今の私の気持ちを代弁している。
運転したくない。人を殺めたくないという感情はそんなに間違ったものだろうか?
運転したくない!!!
でも、もう30万親に払わせてしまったからには、親の期待を背負って私は乗り込むしかないのだ。
エヴァンゲリオンに。
秋来ぬと
ついこの前まで熱い眼差しを見せていた太陽ですが、気がつけば首をかしげてどこか物憂げな表情をするようになりました。橙が灯るカフェで頬ずえをついている誰かの横顔みたい。
そんな寂しくも焦がれる秋の予感は夕暮れ時にふと姿をあらわします。
たとえば小さな枯葉が道路に脈を引っかけるおと。
たとえばコオロギが羽を擦り合わせるおと。
たとえば空に薄く伸ばされた雲のいろ。
こう思うと秋は“擦れる”季節です。枯葉やコオロギや雲が、うっすらと自分を引きずって擦れ、黄色や藍や白のかすれた跡を残していく。
それは夏への憧憬か。それとも手放す勇気を持てず握られている小さな思いか。
枯葉や私のどこか後ろ髪引かれる思いが、淡い輪郭のまま、秋の帰り道に長い長い影を伸ばしている。
私の引きずるものは何色をしているんだろう。
*****
まいです、ごきげんよう❀
「普段どんなことを考えているの?」「大学の友だちや相方とはどんな話をするの?」
そんな質問をされるといつも返答に困ります。先日コーチングの得意なある方とお茶をした時もこの手の質問を受けました。
ええっと、地球を出て火星に行く話、あの人はこういうシチュエーションになったら何をしてそうとか、、友人同士で互いの人生のやたら具体的な設定を考えたりとか!あとは…
あれ、もしかすると私(たち)って普段現実的な話をしていないのではとそこで気が付きました。世の女子大生はどんな会話をするんだろうねという疑問はこれまでの友人たちとの会話で幾度と出たものの解決された試しはなく、私たちはおしゃれなカフェとかじゃなくてドリンクバーで楽しく一生を終えるとか、腰が痛いだの足が冷えるだので盛り上がれるとか、お茶で酔えるとかすぐさまそういう話題(?)に移ってどのコミュニティよりも騒いでいました。そんな環境にいたので自分が「普通」な会話をしていないことをさほど気に留めていませんでしたが、先日ようやく、冒頭のような質問をされた時の答え方がわかりました。
「いつも空想上の話をしています。」
自分はめっちゃその会話入りたいけど傍から見たらさぞかしきもいんだろうね、と質問相手は笑い、続けてこう言いました。
「あなたは現実の世界に居すぎると悲しみに溺れてしまうから、空想の世界に行くんだね」
あぁそうか。確かにそうかもしれない。
想像あるいは空想の世界には無制限の自由と幸福があるような気もする。
「翼になりたい」という定番の合唱曲の歌詞に歌っていた当時も激しく共感していたけど今の方がずっと奥深くに染みてくる気がします。
近頃の自分はなんだかつまらない。そう思っていたのですが、そういえばそのような想像の世界で生きる時間が短くなっていたように思います。
この大空に翼を広げて飛んでいきたいよ 悲しみのない自由な空へ翼はためかせゆきたい