🥵アチアチ🥵

お久しぶりです、まなみです。
横にしかなれない!縦になれなくて一生呻いてます…
んあ〜今空き教室にいるんですけど入ってきた人私見て出てったごめんね妖怪だよ〜
昨日から寝ずに妖怪ウォッチぷにぷにしてます
縦になれないけど意識はあるから万物考えてしまう!ので、妖怪ウォッチぷにぷにしてました😶‍🌫️
あ〜たのしいなあ〜何もできない怖いよ〜〜怖いよ〜〜〜
なんか成犬の白い犬を沢山使ってます🙃
ともだちが一人もいないんですけど(?)アプリ内で散々ともだちをつくろう!って言われて、そこだけはヤダなー〜

なんでこんなに何もできないんだろう!
心って何でできてるんですかね?すり減った心って何で補うの〜??????って思ってます
水とかだったらすぐに増やせる!けど減るのも早そうだ!人によって素材が違うんですかね??
私は珪藻土のケースに水の心(水の心?)なのかもしれません😪
ああ〜〜〜皆さんは元気ですか?これが五月病?毎回周回遅れで生きています
こういう時はゆっくり寝て…とか言いますけど、何も成し遂げてないのに寝ていいはずなくないか???

ねこちゃんかぬいぐるみになりたいな〜
日に日にぬいぐるみが増える部屋に住んでます
最近のお気に入りは〜寸胴なみっふぃちゃんのやつです
もちもちふわふわでいいなあ私もなりたい
犬派なんですけど犬になりたいと思ったことはあまりないかもな〜ねこちゃんになりたいな!
うちの犬が長毛(短髪)なのでふわふわ〜なイメージがないのかもしれないです
小さい頃、ホームセンターのペットショップでタッチしたねこちゃんのふわふわだけを頼りに生きてる
あそこで私のふわふわ観は作られたと思うな〜
将来の夢はねこちゃんかぬいぐるみ!

早く元気になりたあい〜😪元気になった頃には全て怖くて焦って全部の水分が汗として出ると思います😥
湯船に入らなくなったのが悪いのかも!
何も成し遂げてませんが登下校したということで今日はお湯の中に入りたいと思います🥵
それでは〜🍩

内定出たやった〜!

 いや最近笑っちゃうほど暑いですね!クーラー付け始めたんですけど、クーラーじゃちょっと涼しくなりすぎるかと言って窓開けて扇風機じゃ耐えられない状況になっていてひじょうに辛いです。夏という概念は好きなんですよ。イベント多いし、夏と聞いただけですぐワクワク感に直結する魅惑の季節ですよね。サマー。夏が題材の小説とかけっこう好きですね。はい、そんなあなたは『都会のトム&ソーヤ』実写映画を見ましょう。みんな大好きはやみねかおる大先生の作品の実写映画です。中学生が主人公なんですけど、ちゃんとキャストも中学生なんですよ。好感持てますね。今ドラマもやってるのでそれもお願いしますね。平凡サバイバル中学生と財閥御曹司が現実を巻き込んだゲームを作るお話です。わくわくしちゃうのでぜひ。そしてつい最近、『怪盗クイーンはサーカスがお好き』のOVAアニメ化が発表されましたね!いえーい!あの作品を読んだ人なら誰しも「映像で観たい!」と思ったはずですよね。たすかる〜。ありがてぇ〜。嬉しい〜。一緒に楽しみに待ってましょうね。以上宣伝でした。

滲む額上から見下ろす立葵

字余りだ…。こんにちは、とみーです。軽く思いついた俳句を打ちこんでみましたが、残念ながら字余りでしたね。高校時代は結構頑張って俳句を作っていたのですが…。

さて。皆さんは、「立葵」という花をご存じでしょうか。梅雨~夏になると、まっすぐ上に伸びた太い茎に、連なるようにして大きな花が咲く、そんな植物です。そして一番てっぺんの蕾が開花すると、梅雨が明けると言われています。
我が家はほどよい田舎にあるので、近所の畑の隅には大体この立葵が植えられています。昔から「咲くと夏になった感じがする」となんとなく眺めていましたが、数年前に梅雨明けを示すと知りました。その時、脈々と言い伝えられていたものを、誰に言われるでもなく感じ取っていたことが、嬉しかったのをよく覚えています。
立葵の生え方は力強く、花もほとんどが鮮やかで冴えた色合い(我が家の近所はビビッドなピンク)で、ヒマワリのように存在そのものが夏っぽくもあります。

この俳句は、そんな立葵がてっぺんまで咲いて梅雨も明け、炎天下、歩く私の頭を高いところから見下ろしている…そんな様子を詠んだものです。伝わってくれたらいいなあ…

いよいよこれから夏本番。皆さんも、立葵のような夏のサインを色々なところから感じ始めたのではないでしょうか。期末の課題をたくさん抱えるこの季節、バテないようにほどほどに頑張っていきましょう、お互いに!
それでは、また。

PS:パンダの赤ちゃんめちゃくちゃかわいい

道の程

中学校の頃通っていた塾では、月に1回、有名な文学作品をひとつ取り上げた、「今月の名文」というプリントが配られていた。名文は1ヶ月の間に暗記させられ、月末にテストされた。

それは島崎藤村の「初恋」を扱った次の月で、塾の先生が「先月はリンゴだったけど今月はレモンでーす」と言いながら配ったプリントから始まった。そこには高村光太郎の「レモン哀歌」が載っていた。

その詩は、中学生の私にとって、とても美しく、幻想的に感じられた。

そのプリントに書かれていた高村光太郎の略年譜を見て、ちょっとだけ彼に興味を持った。

ちょうどそのくらいの時期に、NHKの「歴史秘話ヒストリア」という番組で、高村光太郎が扱われた。愛に生きた詩人として、彼の生い立ち、智恵子との関わり、戦争、その後、全て紹介されていた。

それからしばらく彼のことは忘れていたけれど、高校生になって、電子辞書で近代文学をたくさん読むようになってから、やはり『智恵子抄』は押さえておくべきだと思って読み始めた。

でも、読むと悲しくなってしまう。その頃はもう彼についての知識がある程度あったから、光太郎と智恵子のことを考えて、胸が痛くなった。

高校の図書館で「智恵子の切り絵」という本を借りた。

晩年の智恵子の切り絵、もうほとんど会話すらできない状態だったのに、切り絵だけは上手に出来て、それを光太郎に顔を隠したり照れたりしながら恥ずかしそうな見せていた、あの切り絵が、光太郎の詩と共にまとめられた絵本で、小さな宇宙のような世界が広がる本。

巻末には高村光太郎が智恵子について語った文章が載せられていて、それを読むとまた胸が痛くなるのだけれど、二人の愛に感動する気持ちも生まれる。

その頃米津玄師さんがlemonという曲を出して、紅白で歌われるくらい人気になり、大晦日に初めて私はその歌詞を見て、かなり驚いた。これは、レモン哀歌の影響を受けている。彼は絶対智恵子抄を読んでいる。そう思った。「暗闇であなたの背をなぞった その輪郭を鮮明に覚えている」という二番の歌詞、これは、光太郎が智恵子の背中の黒子まで深く覚えていると言っていた、あの詩である。高村光太郎の詩を感じさせる歌が、街中で流れ、みんなに歌われていることを、私は嬉しく思った。

東京に来て、千駄木を散歩している時、そういえばこの辺りに高村光太郎の旧居跡があるはずだと思い、行ってみた。そこにはただ「高村光太郎旧居跡」という看板があるのみで、それ以外何も残っていなかったけれど、周りはたいそうな高級一軒家が並んでいて、なるほどな、と思ってしまった。もしここにあの黒いアトリエが残っていたら、どんなだったろうか。近くに森鴎外記念館があるのも、なるほど。

巣鴨に住む友達に会いに行く途中、早く着きすぎたので、そういえばこの辺には染井霊園、高村光太郎のお墓がある場所があるなと思い出し、自転車を走らせ向かった。雑司が谷霊園とは違って、開けた土地の小高い丘にたくさんのお墓が並んでいて、優しい風が吹いていた。高村光太郎のお墓に行くと、同じに敷地に、光雲のお墓と、智恵子のお墓があった。一緒に、静かに眠っていた。

東京には空がないと言っていたけれど、光太郎と智恵子のお墓の上には、綺麗な広い空が広がっていて、なんだか泣けてきた。よかったね、よかったねと心の中で繰り返した。ずっとここに一緒にいたんなら、さみしくないや。

岩手に行く用事ができたので、同行人に「私は花巻に行きたいです」と言い、レンタカーを借りて高速を飛ばして花巻市に向かった。宮沢賢治記念館の後に、高村光太郎記念館に行った。光太郎は東京生まれ東京育ちだけれど、晩年は花巻で過ごした。記念館は岩手県にある。智恵子が福島出身だから、東北に対してある程度の気持ちがあったのかもしれないが、史実的に彼は、戦争賛美の詩を量産してしまったことに対する懺悔の思いで都会を離れている。

彼は晩年に花巻の簡素な家で暮らしていたことは知っていたが、実際にその家を見てみるとなんかもう、ボロボロだった。簡素というのは実に美化した言い方で、正しく言うならボロ家である。実際、花巻にある光太郎の家を見にきた彼の知り合いなんかはこの家を見て、「これは……へぇ、たいそうな家で…」なんて反応をしたらしい。

この家に2人が住んだことはなく、晩年の光太郎はずっと一人暮らしなのだが、そうやって知り合いが来て、一人で寂しくないかと尋ねられると、「寂しくありません。ここには智恵子がいますから」と答えていたらしい。智恵子展望台というのがあって、山を登ると花巻の街が見下ろせる。そこで星空の下、光太郎は智恵子の名前を叫んでいたというエピソードも残っている。

中学生のころ、塾の方針で半ば無理やり暗記させられたあのレモン哀歌は、私の胸の奥でずっと鳴り響いていて、それは大人になっても忘れられず、事あるごとに私は彼を思い出し、彼のことを考え、気づけば高村光太郎にまつわる主要な名所はほぼ制覇してしまっていた。

私が本学に来たのも、彼らに呼ばれたからなのかもしれない。高村智恵子は本学出身である。青踏の表紙を智恵子が描くこともあった。成瀬記念講堂には、高村光太郎が彫った成瀬先生の胸像が飾られている。

自分がずっと好きだった詩人が少しでも関わっている大学にいることが嬉しい。中学生の頃に彼に興味を持ったおかげで、大学生の私は堂々と本学に通えている。本学にいることを誇りに思えるのは、彼のおかげだ。

僕の前に道はない、僕の後ろに道はできる。

ああ、その通りである。

ウミガメのスープ

こんにちは、みどです!
もうすぐ梅雨明けかな?この頃、天気の調子が良くなくて、外出する前に洗濯物を干した日は、「どうか帰るまで雨降らないでください…」と祈りながら外出している日々でした。梅雨明けしたら、お日さまの光で洗濯物を乾かしたい…。

最近ハマっているものがあって、「ウミガメのスープ」というものなんですけど、皆さんは知っていますか?
「ウミガメのスープ」というのは、回答者が出題者に「YES」「NO」「関係ありません」のいずれかで答えられる質問をしていくことで真相を導き出す水平思考クイズのことです。
説明を聞いても、何ぞや??となってるそこのあなた!!実際に問題を見てみましょう。

ある男が、とある海の見えるレストランで「ウミガメのスープ」を注文した。
スープを一口飲んだ男は、それが本物の「ウミガメのスープ」であることを確認し、勘定を済ませて帰宅した後、自殺した。一体、なぜ?

この、短い文章の問題から、質問をして答えを導き出すというクイズです。
ちなみに答えは、「男はかつて数人の仲間と海で遭難し、とある島に漂着した。食料はなく、仲間たちは生き延びるために力尽きて死んだ者の肉を食べ始めたが、男はかたくなに拒否していた。見かねた仲間の一人が、「これはウミガメのスープだから」と嘘をつき、男に人肉のスープを飲ませ、救助が来るまで生き延びさせた。男はレストランで飲んだ「本物のウミガメのスープ」とかつて自分が飲んだスープの味が違うことから真相を悟り、絶望のあまり自ら命を絶った。」というものなんですけど、質問でいかにここまでの答えを出せるか…難しいですよね。私も、最初にこの問題を見た時「いや無理でしょ」とか思ってたんですけど、意外に考えるのが楽しくて、ハマってしまいました。もともと「ウミガメのスープ」は彼氏から教えてもらって、二人で通話しながら「ウミガメのスープ」で遊ぶ…みたいな感じで、誰かとやるのがおススメです!
他にも、一人用の「ウミガメのスープ」を遊べるサイトがあったので、気になる方や是非遊んでみたいという方はこちらへ!
→ https://de-bono.net/

文章だけで説明してもなんのこっちゃさっぱりわからん!!という人のために!私のおススメの「ウミガメのスープ」を遊んでるYoutuberの方がいるので、共有しますね!

https://youtu.be/eee8MUw2ssg

この方たち、この動画以外にも「ウミガメのスープ」の動画を沢山出しているので、気になる方は是非見てください♪
お家でもできる遊びが増えるのはとても良いですね、以上みどでした!

私なりのすすめ

こんばんは。
前期もあと少しとなりましたね。
あの祭り?に怯えているあやが本日はお送りします。
そうです、2021年度前期レポート祭り!(勝手に命名)あれもこれもレポート。提出に苦しむ時期でしょう。大丈夫、夏休みはもうすぐさ🐳

かくいう私も今までに何度もレポートを書いてきていますが、未だに身構えてしまいます、、書くのが嫌というより、自分の納得できるレベルに達することができるかいつも自信をなくすのです。構想が決まり、よしいける!となっても、 途中で言いたいことが明確化できず、まったく進まないことも多々あり。
割と凝り性なので、時間がなくても何かひらめいたら妥協したくなーい、なんとか取り入れたーいという気持ちが勝り、がんばります。その結果、自分の思い描いていたレポートが完成することが多いのは確実です!ただ、寝不足と〆切ギリギリ滑り込み姿勢もおまけについてきます(笑)

このブログを見てくださっている方の中には、レポートにまだ慣れない1年生もいると思うので、何か励みになればなあと思いまして今回は偉そうに話しています。
と言っても、私は決してレポートのプロフェッショナルではない、ましてや得意分野というわけでもないので、参考にするかしないかはあなた次第です😉(なんちゅう頼りなさ😳)

完結にまとめると…
①提出期限・最低限のルールは守る!
期限は当たり前。よほど理由がない限り、遅れて提出は認められません。それまで真面目に授業を受講していても、一気に単位オワタになっちゃうかもよ。
あと、最低限のルールとは、剽窃・盗用など… 先生方は5G並の速さ(?)で剽窃・盗用を見つける達人なので、まあいけるっしょなんて思わないでください。あくまで自分の意見を書くこと✏️その補足として、人の考えや文章を正しい方法で「引用」しましょう♪

②自分がこのレポートにおいて言いたいことは何かしっかり決めておく!
当たり前のことですが、意外と見失いがちだと思います。昨年度、私もある演習発表で先行研究に振り回されすぎて、自分の意見が何であるかわからなくなってしまったことがあります。その際、先生に「あなたがこの先生の論文をバックアップする立場であるなら完璧だけど、そうじゃないでしょう? 」とご指摘をいただいたことが印象に残っています。論文に書いているから正しいという先入観は捨ててみてください。むしろ既存の論文を否定するのもアリです。その代わりに、あなたが少しでも「ん?」と感じたことを大切に✨ たとえ文章が拙くても、自分の考えをはっきりさせ、貫いているほうが断然良いです。

③成績に囚われすぎない!
これは、レポートに限らずですが…
そもそも、大学は高校までの学びとだいぶ異なります。成績が良いのはもちろんベスト。しかし、そればかりに固執しないでほしいと思います。それまで学べなかった専門的な分野を学んでいるからこそ、感じられる楽しさ、ときには苦しさを存分に味わい、学びの出会いに価値を感じるのも素敵だと思うのです。(前にも話をしたかも…)なにせ「あっ、これ面白い!」「うわ、嫌い」も学ばなければわからないことですし。

うーん、抽象的でわかりにくいですね。申し訳ない。

結論…
たとえ提出したレポートの評価がイマイチでも、それであなたの学科での立場・進む道が変わるわけではない。あっ、今回相性悪かった〜ぐらいで捉えてもそこまで問題はない。(毎度はダメよ!)
反省点を次に生かして、また学びに向き合ってほしい。

補足です。
先日他学科の人が「レポートを直前まで取り組んで焦っている人意味わかんないー、なんで早くやんないわけ?バカじゃん。」なんて言っているのが聞こえてしまい、グサグサ刺さりました。ああ。計画的行動派なんでしょうね👏🏻👏🏻 私が言うのは特大ブーメランになりますが、〆切直前気質の人もなるべく計画的に進めましょう。直前追い込み寝不足で体調崩して「できませんでした。」は元も子もないし、楽しみにしていたことがそれによって台無しになったらもったいないですよね。余裕を持った行動がなにより!!
本当に正論なんですよ。でも、1つ異論を唱えたい。もちろん要領は悪く、時間の使い方を考えるべきなのは承知なんだが、時間がかかっているのはこだわり抜いた結果でもあるんだよ😂 がんばった重みでもあるんだ。一括りにバカと決めつけないでよな、、、

長々と綴ってしまったうえに、途中情緒もおかしいかもしれません💦3年のおばさんがなんか言ってる…ぐらいに思っていてください。レポートは 重く捉えすぎないで、一緒に乗り越えていきましょ〜
それでは、また!

「衣裳」の「意匠」に魅了され…。

皆さん、こんばんは!ずきです。
毎月13日は、「一汁三菜の日」だそうです。そろそろ夏本番。バランスの良い食事を心がけて、体調管理を万全にしておきたいものです!

・・・

最近、「衣裳」の魅力に惹かれるようになりました。今回はそんなわけで、「衣裳」にまつわるお話をしようと思います。まず、私がなぜ衣裳に興味を持ったのかと言いますと、今期の授業で日本文学科の学科科目「日本風俗史」という授業を履修しているからなんです。この授業は2年次から履修可能な科目で、時代の変化とともにどのように服飾が変化していくのかを学びます。個人的に、この授業が今期の授業の中で一番好きです!

まさに、衣裳は土地の特色や時代を映す「鏡」と呼ぶに相応しい…。それにしても、「衣裳」ってどうしてあんなに奥深いものなんでしょう…。

・・・

先日、人生で初めて歌舞伎を鑑賞しました。演目は「義経千本桜 一幕 河連法眼館の場」。物語や役者の方々の演技は勿論のこと、役者の方々が身に纏う衣装に釘付けになってしまいました…。「赤姫」と呼ばれる、静御前の”赤色”の扮装に、源九郎狐の”白色”の衣裳。この二人(一人と一匹…?)の紅と白のコントラスト!さらに、義経に仕える二人の武士、冷静沈着な駿河次郎の”黒色”と血気盛んな亀井六郎の”朱色”の肩衣の対比。この二人の性格を見事に表す色の使い分け…!
舞台芸術においては、「衣裳」も欠かすことが出来ない存在なのだな…と改めて感じたのでした。

また、先週末には渋谷区立松濤美術館に行って来ました。6月末から開催中の展覧会「アイヌの装いとハレの日の着物」では、アイヌの人々が着用していた伝統的な衣服や装飾品の展示があり、展示を通して文様の意味やその文様を構成する布のバリエーションの豊かさを知ることが出来ました。かなり近くでアイヌの伝統衣装を鑑賞することが出来ます!
この展覧会は、学芸員資格関連科目として履修している、文化学科の「表象文化論」という授業を通して知りました。もし、興味のある方は是非足を運んでみてください。おすすめです!

…そういえば、国立新美術館では現在「ファッション イン ジャパン 1945-2020」という企画展が開催されているようです!戦前から現代までの「ファッション」…!こちらも行ってみたいです…!!!

・・・

そんなわけで本日は、「衣裳」というものの奥深さに嵌った、ずきがお送りしました。
それではまた!

和菓子と本と水曜日の話。

こんにちは、あこです。

先週、ある本を取り寄せました。それは、中山圭子さんの『事典 和菓子の世界(増補改訂版)』です。

度々ブログにも書いているのですが、今年度に入ってから学校帰りにデパ地下で和菓子を買うのが習慣になっています。まだ3ヶ月目なのでそんなに数は食べていませんが、色々な和菓子を見たり食べたりするうちに、和菓子について知りたいと思うようになりました。

webサイトで検索したりインスタで写真を見たりするのも良いのですけれど、それだと名前を知っている和菓子しか知ることができなくて。調べ方の問題もありますが、やっぱり本や図鑑の方が知らない情報に出会いやすいような気がします。

ということで、何かいい本ないかな〜と調べ始めました。

だけれど、理想の本に出会うのって難しいですよね。私が欲しいのは、幅広い種類の和菓子が掲載されていて、カラーの絵や図があって、解説や説明も充実していて、かつ分かりやすい本です。「和菓子 本」で検索すると、和菓子のレシピ本や歴史に特化した本、特定の和菓子を深堀りした本が多くて、なかなか理想の本に出会うことができませんでした。

んーやっぱりそんな都合のいい本はないよなぁ…

と諦めかけていたその時!!

某ECサイトの「この商品をチェックした人はこんな商品もチェックしています」欄に『事典 和菓子の世界』が現れました!

※ちなみに、「この商品」とは虎屋文庫の『和菓子を愛した人たち』です。「和菓子→虎屋→虎屋文庫」の流れで辿り着きました。この『和菓子を愛した人たち』もまた魅力的な本で、虎屋文庫HPでは「モースと文字焼」「森鷗外と饅頭茶漬け」の章を内容見本として読むことができます。実はこれも欲しかった…!!(今回は諦めたけどいつか絶対買う!!と心に決めております。)

作者の中山圭子さんについて調べ、岩波書店のHPで本の試し読みを済ませたら準備OK。百貨店・地元の本屋さん共に在庫がないとのことだったので、取り寄せをお願いしました。そして先日、本が届いたとの連絡が。明後日の水曜日に受け取りに行く予定です。

まだ読んでなかったんかい!そしてすぐ取りに行かないんかい!

というツッコミが聞こえてきそうですが、ええ、まだ読んでいません。最近暑かったり雨が降ったり雷が鳴ったりして、家から出るのが億劫なんです。あと、本を買ったら読みたくなっちゃうので。時間割に余裕がある水曜日に受け取りに行こうと思っています。

ということで、まだ読んでいない本を紹介したあこでした。

早く水曜日にならないかな。

それでは、また。

C10H14N2と姫君

ご無沙汰しております、みちるです。

風も布団も日射も人も、暑いんです。

「暑いと言うなら離れてくれないか」

君があっちへ行きなさいよ。
こんな夜に限って我が家にはアイスクリームのひとつもありませんから、気狂いじみた強さの冷房が提供する寒冷に身を任せ、こうして手紙をしたためるほかないのであります。

先日とある教職科目にて15分間の模擬授業グループ演習を無事に終えました。発表時、プロジェクターに自班のスライドを表示すべく自分のmanaba(※授業情報や課題提出ができるシステム)にアクセスしたところ[未提出の課題一覧]がスクリーンを通して全受講生(と教職のE本先生)のまなざしに晒されました。正直ビビったね。

―このくらい書けば以降の文章はTwitterの宣伝画像に載らないだろうか。策略策略。
一つあなたに謝らねばならないことがあります。というのもここからはあなたへ宛てたいつもの手紙でなく、ただ私の愛する誰かのことを綴る積もりだからです。数日前からそうと決めていたのです。
身勝手でごめんなさい、でもあなたがお読みになって下さるというのならそれはそれで喜ばしいこと。ここはそういうところですから。

(間奏)

「おれのこの顔が良いんでしょう、それだけなんでしょう」

少し前、眉を顰め躰を震わせながら君が言った。この人類は何にも分かっちゃいないなと思ったけれど、盲目は間違いなく私のほうだ。私の想いも、君の変わらないもの―君が「変わらない」と言うものではなく―についての直観も、火のように移るには尚早だった。
私は君を愛していることを声高に叫ぶだけじゃなく君の何をどうして愛しているのか、唇同士が触れ合うんじゃないかというほど近い距離で、出来る限り新鮮な私による言葉で伝えなければならなかったし、今は君が許す限りそうしたいと思うんだ。

過去も未来もありはしない。
ここに、私に与えられているのはつねに過去と未来の拡がりのうちにあられる「今」だけです。
しかし私はどうにも視野が狭くて、「今」をまるで或る一点のようにしか見ることができない生きものであった。今再び目が覚めなくても構わないと思いながら眠る夜を繰り返した。
あなたのことも人類のことも皆愛していたけれど、それでも”人類と共に生きる幸せな未来”に私がいるところは今よりもずっと想像し難かった。

だけど今、君が生きていることが嬉しくて仕方ない。
君の大人びているようで幼いところ、貴重な笑顔や口癖、感情の発露が私は嬉しい。自転車を引く猫背も、部屋の模様替えにしっかり失敗するところも、君が自分の話をしてくれるのも、いつか私が買ってきた白い薔薇の亡骸をどうするか迷って中々捨てられずにいるところも―これは涙滲むほど眩しい36度の光の現前にほかならない。
私の内的な部分が君の生に頷いて、よく反応している。どう転んでも私は君のことが好きなんだろうと思う。

人類史の上ではつい最近案出されたあの素朴で貧乏性な「幸福」とやらに私は共鳴できない。それが「まだ」なのか「ずっと」なのかは知らないけれど、それでもこうして君のこと(と私のこと)を書いている。幸福や快楽の原理に依存するのではなく、きわめて必然的な愛の原理によって。

私は君の持続を望む。
一瞬先も変わらず君に生きていて欲しい。君のドジや選択、気の抜けた返事やギャグへの採点、悲しみや願わくば喜びもが更新されてくれと願ってやまないのです。
そうして君の持続を望むとき、私は私の持続を望んでいる。暗闇で何も見えなくとも、私は拡がりの中にあるのだとわかる。
未来のない私が明日再び目覚めることを信じ願うのは「君」がいるからだ。「君」が他でもない君でなければならないのは、私が君を愛しているからだ。

まじめになったら君をまた遠くに感じてしまうかもしれない。けれどそのたび、重力に嫌われる私ごときが君を引き寄せよう。
―流れる雲を追い抜いて君の家へ向かうとき、指をもつれさせながら連絡を返すとき、そのように決めているのよ。

文章を拵えているうちに夜になってしまいました。
夜。夜の表象。
手を引かれて赤信号の小路を渡る。君の少し頼りない背中を見つめると、次の瞬間にはさっきの自動車が君を轢いて帰ってしまうんじゃないかと不安で内臓がきゅっと持ち上がる。鮮血と白肌のコントラストを抱きかかえて「誰か、誰か」と叫んでも、この私の声に誰が振り向き立ち止まるでしょうか。

来たる夏の夜。無力な私の斯くもかなしい表象は、金魚が腹を天に向けるほどの痛ましい暴力である。これじゃあだめだ。

「笑えなきゃダメだ」

これは君の暴力だけど、好い暴力だ。さっきの金魚も半回転して再び泳ぎ出すほど素敵な力。

憂鬱な梅雨の夜。君にも宛てる生への祝福と暴力の本文は屹度、君とあなた、そして私の笑いのために。
愛しています、人類。

またお手紙書きますね、大好きです。    みちる

私の日常短編集


こんばんは、れいです!
今日は久しぶりに晴れて暑かったですね…!久々に太陽を見て気分が明るくなりました。
先日の火曜日にあった、卒論ゼミの発表で気力を使い果たしたのか、最近はとにかく眠いです…。寝られないより100倍良いのですが、歩いていても眠たくなります(笑)

最近は日差しが強いですね。私は絶対に日焼けしたくないので、SPF50+PA++++の日焼け止めは欠かせないのですが、いつも使っていた日焼け止めがなくなりそうだったので、ネットを見てよさそうなものをドラッグストアで購入。試しに腕に塗ったら…ダメでした(涙)全く痛くなかったのですが、なぜか皮が剥けてしまって、1回で使用中止に、、、試供品をもらえるようなデパートコスメの日焼け止めにすることにしました。
ちょっとお値段が張ってしまうのは辛いけど、自分の肌の健康を保つためには仕方がない!そしてやっぱり好きなブランドのものだとテンションも上がりますよね、自分のお財布と相談しながら心の治安を守っていきたいです。

心の治安といえば、私はお出かけするのが心の治安を保つための一つなのですが、中々遠出出来ない今。
そのような中でいつもワクワクしながら行くのが、近場の本屋さんです。たくさん冊数を読むわけではないのですが、本屋に行くこと、本を読むことは確実に私の心の治安になっています。本屋さんに行くと、大体入り口には新刊や受賞作品であったり、話題になっている本が置いてあるので、最近はこんな本が出たんだなぁと流行を知ることができます。雑誌コーナーで表紙を見るのも好きです。本って中身だけではなく、表紙も大切ですよね。この本を買う!って決めてなくても、面白そうと思って手に取る本って大体表紙に惹かれたものが多いんですよね。そして本が天井の方まで並んでいる様子を見ると、こんなに人間は知を積み重ねていきたのか、と感動します。本屋さん大好きです。気持ちが休めない!と思う時は、本屋さんに行くようにしています。

私、もともと休むのがが下手なんですよね。演習発表の時も、いつも2週間前くらいからは、だ~~~っと(?)自分を追い込んで、終わったら3日間くらい休む生活をしています。毎日適度に進めて、3日くらい前には最終確認OK!みたいな生活を目指しているんですが、無理だし、自分には向いていない。
4年生になってようやく諦めがつきました。どんな時も全力でぶつかっていくしかないんですね。

卒論のために机に座って、さあ頑張るぞとパソコンを立ち上げた時、ロック画面を見るのがひそかな楽しみです。私はWindowsのパソコンなのですが、ロック画面とデスクトップ画面をスライドショーにすることができるんですね、私はWindowsに搭載されている自然の風景(?)をそのまま設定しているのですが、画質が綺麗でおススメです。そしてこの間、南極のきれいな景色にペンギンさんのいる画像が映りまして。わーかわいい!と思わずパソコンの画面を写真に撮りました(笑)癒されました!

谷山浩子さんの曲に「NANUK」という曲があります。ナショナルジオグラフィックのホッキョクグマの映像を見て作った曲だということなのですが、初めて聞いた時、自然の厳しさと美しさと、その中で動物たちが真っ直ぐ生きている様子が伝わってきて感動しました。人間の発達した知能や感情を否定するつもりは全くないのですが、食物連鎖の中で静かに生き続けている動物たちのシンプルな生き方に強く惹かれる時があります。どうしても人は、こう言うと勘違いされちゃうかな、こちらの方が有利に進むな、とか、損得を考えたり忖度してしまいます。そして、人に否定されるのが怖くて、自分の感情を出せなくなる時があります。実際にこのブログでも、ここまで書いて良いかな、ここまではやめておこうと自分で線を引いています。公開されるものだから当たり前なのですが、しまってしまう感情の膨大さに打ちひしがれます。ありのままの私でいるのが難しくて、感情ががんじがらめになって、生きることが複雑に感じた時、その瞬間にも野生の動物たちは、植物たちは、そして遠くの星たちは自分の命を真っ直ぐに見つめていると思うと、私もそう生きていきたいと強く思います。


白くきらめく 氷の世界
歌とことばも きみは知らない
きびしい冬と めぐみの春と
数えきれぬ毎日を ひとりみつめている

わけは知らない ここで生まれた
わけは知らない ここで生きてる
わけは知らない 何があっても
強く強く 生きていく
前へ 歩いていく

谷山浩子「NANUK」(作詞・作曲 谷山浩子)より


夏の東京に雪が降った。私は、あなたの面影を夢の中で見た。
儚い眠りから覚めたら、開け放した窓から雪が舞い込んできた。
細かい雪の粒が、私の黒いTシャツについて、雪の結晶がかすかに見えた。
それは、あまりにも透き通って整った形をしていた。
季節が反対になってしまっても、雪は白いままに、静かに自然は息づいている。
「綺麗ね」私はつぶやいた。

あなたが「本当」の私を見なくなったのも、こんな雪の降る日だった。
それから、地球は少しずつ焦点がずれていくように、おかしくなっていった。
秋に桜が咲くようになり、紅葉は一年中色づいた。猛暑の日の夜に雪が降るようになった。
何もかもが狂っている。身近にある自然を不思議に見つめる横で、あなたはその異常さに全く気付かなかった。
あなただけではない、世の中の人全てが、目の前の変わりゆく景色を見つめることはなかった。

私は、壊れていく地球の片隅であなたの姿を見る。
変わり果てた現実よりもずっと、過去の面影を強く、深く感じながら。