推し活記録②

 みなさん、こんにちは。夏日が続くかと思いきや急に雨が降る不安定な今日この頃、いかがお過ごしでしょうか。気まぐれな天気に振り回され、体調不良を起こしやすくなる時期ですので、十分な休息をとり、のんびりまったり自分のペースで無理せず頑張りましょう。

 休息に必要なものは何か。美味しい食事、質の良い睡眠、そして何より心の栄養、「推し」!

ということで、「4月の推し活ライブレポ第2弾」です。気づいたら5月も半ばになり、1か月前の話になってしまいましたが、良い景色、良い思い出は褪せることはありません。しっかりと語っていきます!

 4月2回目となるライブは、4月29日、両国国技館で行われた「Irregular Dice」称して「いれいす」のワンマンライブ「The Glory of Dice」です!

 「いれいす」は2020年から活動を始めた6人組の「新世代歌い手グループ」です。「歌い手」は所謂ボカロ曲を中心に歌をカバーしてYouTubeなどの動画投稿サイトに投稿する人たちのことを指します。「歌ってみた」の投稿以外にも日常動画の投稿や配信、企業とのタイアップ、そしてライブ活動など活動内容はかなり幅広くなっています。

 「いれいす」を知ったのは高校3年生の冬頃。小学生だった妹におススメされたことがきっかけです。妹の付き添いでライブに行き、華麗に妹よりも「いれいす」にハマりました。因みに当時の私は「歌い手…?言葉は分かる。何者かは知らない。」というほどでした。ハマった本人もびっくりです。

 「いれいす」ライブの魅力は基本顔出しNGで活動しているメンバーと直接あえること!生歌が聞けること!などなど。しかし、今回の特別はやはり「声出しライブ」という点。2020年、新型コロナウイルスの流行の中で活動を開始した彼ら、そしてファンにとって初めての経験に胸がドキドキしっぱなしでした。

 座席は二階席、ステージの真横でメンバーの顔が肉眼で見える良席でした。6色のペンライトがキラキラ輝き、初めて呼べる推しの名前やずっとやりたかったコール&レスポンスにテンションが上がり、最初から最後まで幸せいっぱいでした。

 特に「いれいす」は自分たちの活動を真剣に精一杯に楽しんでいて、そんな彼らに元気をもらっているので、「ありがとう」と「大好き」を伝えられたことが嬉しかったです。

 ここで、「いれいす」のファンの方との交流エピソードを1つ。会場に入場した後、席に移動する前に端っこでランダムに配られる入場特典の確認をしていると、女の子に話しかけられました。話を聞くと「1人で来たが座席への行き方が分からない」とのこと。その子は中学1年生で初めてライブに、しかも1人で来たのだそうです。「いれいす」のファンは年齢層が低く、中学生や小学生の方も見かけることが多いですが、大体はお友達か親御さんといらしていて、1人でいる子は珍しいです。初めての環境で知らない人に声をかけるのはとても勇気がいることだったと思います。その子の席も2回席だったため、少しお喋りをしながら、席に送り届けました。短い間でしたが、年下のファンの方と交流して、「いれいす」の影響力の大きさを感じ、素敵な交流ができたことがライブに+した思い出になりました。

2回にわたり、私の自己満足のために4月に行ったライブのレポ(という名の推し紹介)をしてきました。楽しかったことについて書くのはとても楽しいです。折角なので、「いれいす」の自己紹介ソング最新ver.を紹介して、終わりにしようと思います。お暇なときに聞いてみて、ぜひ「推し」を見つけてくださいね。

それでは、また。

【オリジナル曲】推しが見つかる3分ちょい! 2022 ver. / いれいす【歌い手グループ】 – YouTube

人の慈愛に触れる事

人のの善意に遭遇すると、心が清らかな水で洗われるような感覚を覚えます。

満員電車で誰も降りる人がいない駅でも、きちんと電車から降りる扉付近の乗客。

混んでいる電車で妊婦さんを見つけるとすぐに席を譲る人。

乗り遅れてしまってもう出発したのに、「大丈夫ですか」と声をかけて待っていてくれるバスの運転手さん。

早朝から元気に「おはようございます!」と挨拶して接客してくれるコンビニのお兄さん。

一番最後のお兄さんに関しては善意というか快活さにほっこりしたという話なのですが、ささやかな善意に遭遇すると「ニンゲン……スキ……!」と現世に出てきたばかりの妖怪の如く毎回感動してしまいます。

特に困っている時に手を差し伸べてもらえると、相手が女神のように思えてきませんか?

私は以前、本当に困っていた時に助けてもらって心から感激した出来事が一度だけありました。

2年ぐらい前でしょうか、普段はないのですが、バスの中で脳貧血を起こしてフラフラになりながら降車した事がありました。

私は脳貧血を起こしやすい体質らしく、体調不良時に電車内で長く立っていたりするとちょっとふらっとする事があるんです。吐き気と共に目の前がフラッシュしかけたらすぐしゃがむか電車を降りるようにしているので幸い電車で倒れたことはないのですが、一回大事な場面で失神してやらかした事があるので以降は対策をするようにしています。

見るからに体調が悪そうな他人に話しかけるのって結構ハードルが高い事だからでしょうか、駅でゼェハァしながらしゃがみこんでいても困惑したような目を向けられるだけで声をかけてくれる人って滅多にいないんですよね。

立っていると失神して危ないのでその日も道端でうずくまっていたのですが、なんと、「大丈夫ですか?立ちくらみですか?」とお兄さんが声をかけてくれたんです。しかも「これ、よかったら飲んでください」といって近くの自販機でお水まで買って置いて颯爽と去って行きました。

視界がフラッシュしていたので途切れ途切れにだいじょうぶです、といった記憶はあるのですが、過剰に干渉することもなくサッと気遣ってくれたお兄さんの優しさたるや。

きちんとお礼を言える元気がなかったのを悔やむばかりです。

もちろん日々周りの人の優しさに救われながら生きていますが、赤の他人にこうして手を差し伸べる事ができる優しさってなかなかないものですよね。私も困っている人がいたら声をかけられる大人でありたいと思います。

ところで私はブログ部の1読者でもあるので定期的にみなさんのブログを拝見しているのですが、前回の自分のブログを読んでいたらみなさんの二倍ぐらいの文字数があって自分で引きました。文字数食ってすみませんでした。今回もそこそこ長くなってしまいました。そこはまぁ、ご愛嬌で。では、また。

天地無用

皆さんこんにちは、ののです。

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僕は襲ってきた眠気を払うように読んでいた本から目を離し、顔を上げた。目の前には1人の女性が立っていた。大学生だろうか。茶色みを帯びたその髪の毛は耳たぶが出る程の長さに切られている。身長は高くない、むしろ低いほうだ。左手で吊り革を握り、右手にはスマートフォンが収まっている。

そこで僕はある違和感を覚えた。目の前の女性はスマートフォンの上下を逆転させて持っているのである。なんで逆さま?一体どんな操作をしているのか。まさか、スマートフォンを見ているふりをしているだけで、実際は画面など眼中にないのではないか?怪しい。この女、一体何を考えている。

すると、その女性はスマートフォンから目を離し、ふっと顔を上げた。女性と一瞬目が合ってしまう。気まずさと焦りからすぐに目線を手元の本に落とした。

その女性は次の停車駅で降りて行った。怪しい動きも、特になかった。

ミステリーの読み過ぎだな。こんなラッシュの電車内で事件なんて御免だね。我ながら何を考えていたのだろう。

僕は心の中で自嘲すると、手元の文庫本『オリエント急行の殺人』に意識を戻した。

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電車に乗り込み吊り革のある位置まで行くと、私はカバンからスマートフォンを取り出した。来週までに読まなければならない資料があるのだ。友人から送られてきたその資料は、大学の授業で扱う作品の1つである。本のページをスキャンしたものらしい。先日あらかじめスマートフォンでダウンロードしておいたため、データ量を気にせずに読める。私はフォルダを開き、スマートフォンを逆さまに持ち直した。

なぜ逆さまにするかって?それは、スキャンされたページの全てが逆さまの状態でデータ化されているからである。何かを企んでいるとか、そういうことではもちろんない。

画面を見続けて疲れた目を休めるため、少し顔を上げた。すると、前の席に座っている男の人が怪訝な面持ちでこちらを見ていた。目が合った瞬間に手元の文庫本に目を戻してしまったが、まさか、私のスマートフォンが逆さまであることに気付いてしまったのだろうか。

私は内心焦りながら、表情を動かすことなく逆さまのスマートフォンに目を戻す。

おっといけない、気付けばもう到着だ。ドア付近の人を上手くよけながら、私は電車を降りた。

後日、パソコンでフォルダを開けば資料を回転できることに気が付いた。

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なんだかおなかがすいてしまいました。今日の夕飯は油揚げのお味噌汁にしよう。

それではまたお会いしましょう。

第二次革靴ショック(2023.5~)

こんにちは!やなです🍨
暑いですね。本当に5月でしょうか?
乗り換えの駅でちょっと走っただけで暑さで軽く体調が悪くなりました。夏を前にしてすでにバテそうです。はたして私は今年の夏を無事に乗り切れるのでしょうか?

花粉症の症状はようやく落ち着きました。

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先日なんと数年ぶり(!)にパンプスを履きました。

大学の入学式のために購入したはいいものの、結局某感染症のせいで入学式は消滅。それから数年間熟成させておいたパンプスを靴箱から引っ張りだし、あれまあ革靴ってこんな感じだったっけな、と思いながら履いて家を出ること数時間。
足全体に痛みを感じてはいたものの、なんとかその日は気合いで乗り切れました。

しかし革靴はそう簡単には行かず。靴を脱いだら当然のようにかかとが靴擦れを起こしていました……。
そういえば高校に入学するときに、はじめてローファーを履いたときも、しばらく靴擦れが酷かったっけな。高校を卒業してから革靴は一切履いてこず、柔らかいスニーカーに慣れた足はすっかり革靴の感覚を忘れていました。なんてこった。

革靴、1日ならいいんです。気合いで乗り切れるので。
しかしそうは行かないのが就活。もちろん次の日も企業の面接です。

次の日の朝、靴擦れの存在をすっかり忘れてパンプスを履いた私を激痛が襲いました。そう、靴擦れは一日では治らないのです。
慌てて絆創膏を貼り、少しましになった痛みをなんとか誤魔化し、面接を終えて帰宅。靴を脱いだ私の目に衝撃のものが飛び込んできました。

なんと両足の小指の爪が血で染まっていたんです。

かかとを庇うあまりにつま先に余計な負担がかかり、今度は指まで負傷してしまいました。一瞬爪が剥がれたかと思いました。
小指の爪が薬指に刺さり、穴が開いて出血していました。高校生のころはさすがにここまで酷くはなかったので、衝撃です。パンプスを履くのって大変ですね……

社会人になったら毎日パンプスを履いて出社しなければならないと思うと今から憂鬱です。世の中の社会人ってすごいですね……!

靴を買ってしばらく年数が経っていたことが原因だと思います。買いに行けるタイミングがないので就活はこれで乗り切ろうと思います……!がんばります。

靴擦れが治るのは、いつになることやら。

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今年から新しく大学に来たキッチンカーのお店に行きました!キッシュ、さくさくで美味しかったです!
キッチンカーはまた機会があれば紹介します〜!!

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それでは今日はこの辺で!やなでした!

井の中の蛙大海を知らず、されど空の青さを知る

皆さん、こんにちは!

ちょっと久しぶりの投稿。少し緊張気味ですが、鼻息荒くパソコンの画面に向かっていますので、どうぞ最後までお付き合いください。

最近の私はと言いますと、ゴールデンウイークが終わった頃に訪れるという、5月病にかかる暇もなく、忙しい日々を送っています。というのも、書道の昇段試験の締め切りが間近に迫っているんです!締め切りまであと1週間弱。朝から晩まで時間があれば書道に向き合うここ最近。2年生になって初めての山場かもしれません。自分自身を鼓舞して、大学の課題をこなしつつ、書道に励む日々。この場でも言わせてください!「頑張れ!乗り越えろ!私!」

そんなこんなで、本日は、部屋に墨の香りが染みつき、水道のタイルは黒ずんでいる、という現状から目を背けつつも、「試験が終わったらしっかりきれいにしなければ…」と自分に言い聞かせている、ももこがお送りいたします。

さて、皆さんはゴールデンウィークはいかがお過ごしでしたか?私は実家に帰って、家族と映画を観に行ったり、祖母の家にお泊りに行ったり、とても充実した連休を過ごすことができました。中でも特に楽しかったのは、小学校の同窓会。何年も会っていなかった旧友との再会は、自分が思っていた以上に嬉しく、また、たくさんの刺激を頂ける機会でもありました。

同窓会の当日、私は夕方まで大学の授業がありました。ですから、前日までに新幹線のチケットを入手し、大学~家~東京駅まで、どのルートが1番スムーズに移動できるか、研究に研究を重ね、緻密な計画を練っていました。そのかいあってか、当日は、長い信号に止まることも、トラブルもなく、順調に東京駅まで行けましたが、駅構内はゴールデンウィークの影響で激混み!もはや戦場です!私は大きなスーツケースをコロコロしながら、1人で競歩。何とか、予定の新幹線に乗ることができました。一安心です。

しかし、新幹線が発車すると、だんだんと緊張感が高まってきました。もう逃げ場がない感じと言えばいいのでしょうか。途中で降りることはできないし、地元まで一直線。ソワソワして、何度もリップや前髪を直したり、普段はつけないような、お高めでおしゃれなマスクに変えたり…。

というのも、正直に言えば、同窓会にあまり乗り気ではなかったんです。というよりも、尻込みしていたと言う方が正しいかもしれません。私の地元は田舎なので、子どもの数は少なく、小学校は全学年単学級。だからこそ、とても仲が良く、学校に行くのが毎日楽しみだったことを、今でも覚えています。しかし、中学校に入学するのと同時に、みんなクラスはバラバラに…。会話することもなく、3年間が終わった人もいます。また、思春期特有の不良化と言えばいいのでしょうか、つんつんしていて、存在がこわいなと思ってしまうほど、変わってしまった人もいました。私はなぜか、それが無性に寂しかったんです。昨日まで自分の隣で一緒に歩いていた人が、どこか遠くへ行ってしまった感じ。今思えば、私は知らないうちに、小学校~中学校の同級生を避けていたんだと思います。

同窓会の会場に着いた時は、もう心臓の鼓動が自分でも聞こえるくらいドキドキ。しかし、会場に入れば同級生の温かく、優しいまなざしに迎えられ、「あれ、こんな感じだったっけ?」と、正直びっくりした自分がいました。はじめはとても緊張していましたが、思い出話に花が咲くと、だんだんと緊張は解け、昔に戻ったような気がしました。案外、こんなものなのかもしれませんね。その後は、流れのまま、たくさんの旧友と久しぶりの挨拶を交わし、懐かしい思い出に会話が弾みました。きっと、私が思っている以上に、みんな大人になった…。そういうことだと思います。

先ほども書きましたが、私の地元は田舎です。だからか、大学に進学する人は少なく、高校卒業後就職する人の方が多いです。同窓会で会った旧友の中には、消防士になっている人がいました。市民の命を守る責任ある仕事です。日々の訓練も相当厳しいとか…。また、会社の事務をして、あまり多くないお給料から、毎月実家にお金を入れているという人もいました。本当に尊敬します。たくさんの同級生のお話を聞いた時、今自分がいる環境がどれだけ恵まれているかを痛感したのと同時に、自分はまさに「井の中の蛙大海を知らず」だと思い知ったんです。確かに、私は東京の大学に通って、東京で生活しています。小学校の同級生は、私を羨ましがってくれました。しかし、私なんかより、彼らの方がよっぽど社会の厳しさを知り、一生懸命生きているように感じます。私が持っているのは、せまい見識とせまい世界なのかもしれません。

しかし、「井の中の蛙」の全てが全て悪いとは思いません。同窓会での出来事は契機、私にとっての気づきです。「井の中の蛙大海を知らず」には、言葉が続く場合があります。「井の中の蛙大海を知らず、されど空の青さを知る」です。せまい世界に閉じこもっては、見識も狭まりますが、そこから見えてくるものもあると思うんです。私は私なりに広い世界を目指す。でも、今いる場所も見つめていたい。

「井の中の蛙」上等。ただ、空の青さを知る蛙でありたい。そう強く思ったゴールデンウィークでした。

本日も長々とお付き合いいただきありがとうございました!それでは、また!

マリリン・モンロー・ノー・リターン

ご無沙汰しております、みちるです。

この世はもうじきお終いなんです。

「この世が?君が、ではなくて」

何もかも誤りだ……。

「それは誤りである」と言われるとき、私は大いに失望する。他でもない自分自身に失望する。整合性の取れた解釈や憶測を生むために充分な程度の説明を与えてこない世界のほうへ責苦を浴びせたくなるところだが、世界あるいは任意の個人などがつねに開放的でありそれ自体が露出したマニュアルであるケースのほうが稀であろうから、私は黙る。

あなたが誤るとき。素知らぬ顔をして私は見ていた。誤りだと判断して、後はそのまま。哀愁も寂寥も本質的ではなく、ただ脱ぎっぱなしにして裏返った靴下のように。あるいは――

――あるいは、二度と戻らないマリリン・モンローのように。

 

(間奏)

 

肘から手首にかけての部分を何と呼ぶべきなのか。一瞬の躊躇いがあって、「前腕」と口を吐いて出る。この話は全く本質的じゃない。
つまり私が伝えたいのはその前腕ふたつを風に晒しながら外へ出られるような季節になってきましたねということなのだが、しかし今以上のじりじりと焼かれるような暑さが襲ってきたとしても全てを吸い込んでしまう黒の上着に汗を吸わせてしかめっ面で歩くことがあり得ることを書き洩らしてはならないとも思う。

 

孤島の夜の明るさは容易に表象可能であるのに対して、都市の煌々とした街灯の表象は余りに散漫で確からしさに欠ける。
自分が知らない風土が肌に馴染んでくると、知らない視界が開けてくる気さえするのだ。氷の上に佇んで一人で白夜を生き、砂漠の荒野で月を見ながら便りの途絶えた友人と歌を詠み、人喰い部族の供儀に立ち会う中で、”これ”は非人称の視野となる。
ほら、これで表象を検証できる。検証は、一定程度固定される表象の蓋然性に寄与するのではない。肌に触れ、脳に触れ、口から侵入しては消化管に触れる、風土そのものの体感こそが検証であり、そこで表象は既存の表象に上書きされる形で形成されるかに思われて、実のところまったく新規に、その後の表象の土台としての役割を果たし得る形で成立するのである。

これが私の言いたいこと。これだけではないのは当然としても、ひとつ。
そう、ひとつ、誰も聞こうとしなかったことだ。どれだけ他者を恣に選別したとしても、最終局では誰も聞かなかった!
私の恣意性、否、選別には結局、意味がなかったし、実際には選別ということを徹底してやってはこなかったのだろうと思われるから科学実験としてはナンセンスだ。無論、そのことに後悔はない。しかし寂寞たる無人の夜に迎えられて果たして私は――いまやそうした”いつもの”領野に留まり得ない存在となってしまった私は――。あらゆる風土を訪問し往来する者として生きるほかない多動の私の語りを一体誰に打ち明ければ良いのだろう。

アルバイト先でやましい出来事の生じるたびに「私のこと嫌いになった……?」と上目遣いで伺ってくる女性がいる。私は「出来る」ことにも「出来ない」ことにも、他者について好き嫌いを判断する場面では等しく意味がないと思うし、元々彼女は私の意識の舞台にせり上がってくることも殆どなかった、即ち彼女が備品を破壊しようが誰と恋をしようが嫌いになるも好きになるもない。ということを考えるときにだけ、私は彼女の姿を想像するのだ。こうした経験を重ねるたび、反対に、私が強く惹かれる他者とは、とても尋常ではない彼等は一体何なのだろうかと考える。私が同僚の彼女に語らず、ひどく認識を働かされる彼等には語るのはなぜか。

簡単なことだ、私は期待しているのだ。

期待の矛先は、私の意識の敏感な部分ではなく、私の身体が選別している。そして身体は期待が打ち砕かれた場合に帰るべき夜の荒野の座標も、きちんとわかっている。

都市の街灯は、100円のミカンジュースの表象を伴って、あるいは強風にも耐えるターボライターの表象と癒着してあらわれる。日常で”その”ジュースや”その”ライターを手に取れば、街灯に照らされ、照らされず、照らされる自分のアニメーションが見えてくる。そこから、30分あったら何が出来るかとか、そろそろ煙草の銘柄を変えてみたいとか、自分もルーブルへ行きたいとか、2014年のアニメのこととか、自分が語ろうとしない相手の抽象的な姿とか、友人がグループラインに送り付けてくる野坂昭如の物真似ボイスメッセージの稀代のくだらなさとか、「夜半の寝覚」の結末とか――そう、結末は私だけが知っているから――、歩いている自分の色々の思考が再生される。そのたびに街灯の表象は様々に上書きされていく。

私の前腕もまた、物凄いスピードで上書きされて今やタブラ・ラーサといった具合。ここにきて初めて「前腕」は本質的になる。なった。全くおかしなことだと思わないか。しかしこのおかしさゆえに、やっぱり誰かには語ろうと思い直すのだ。
全体主義者御用達のドリンク(!)を片手に、夏未満。

 

またお手紙書きますね、大好きです。    みちる

GW

だいふくです。
もう一週間も前におわってしまいましたが、ゴールデンウィークを振り返りたいと思います!!
いつもはがっつり遊ぶかバイト三昧かの二択ですが、今年は少しゆったりした連休になりました。

連休1日目は大学の大好きな友達のお家にいきました。
うれしいことに、ご家族みなさんおそろいで、あたたかく出迎えてくれました。お庭でお昼ご飯を食べて、ゆっくり話しました。友達のお母さんがつくってくれたご飯がもうおいしくっておいしくって…!!あったかいんだか暑いんだかわからないですが、よく晴れて、みんなで楽しくお話しできたのが本当にうれしかったです。お昼のあとは、お庭でシャボン玉をふくらませて、ゲームをして、お茶をして…幸せすぎる…!!大好きな友達はこの環境で育ったんだな、このあたたかい場所に連れてきてもらえたんだなと思うと、うれしくてたまりませんでした。素敵な時間をありがとう。

そして2日目…わたしは課題に追われていました…
演習授業の発表がゴールデンウィーク後にひかえていて、グループワークだったので、話合いをしなければならなかったんです。それまでに意見をまとめておかなければ…‼ と思っているうちに熱が出ました。新学期の疲れが出たのでしょうか。熱を出したのはコロナのワクチンを打ったぶりです。一晩で元気になったのでよかったです。

3日目4日目は課題をやりながらゆったり過ごして、5日目、友達の誕生日会がありました。
ゴールデンウィーク最終日に、こうしてみんなで集まってお祝いできるというのはとてもうれしいことです。料理好きの子の手料理を食べて、ケーキの食べ比べをして、みんなからのおめでとう動画を見て、なんか楽しかったです。

幸せな気持ちでゴールデンウィークがおわって月曜日…
ああ、休みがおわってしまった!!演習の発表まで時間がない!!話合いzoom…
いや、楽しいな‼ 一つの作品に対して4時間くらい夜中に話し合って、勉強するのって、人と考えを話し合うのってこんなに楽しいんだ!と本気で思った1日でした。
先日無事に発表がおわりまして、それに対する意見をまたまとめているところです。解放されるのにもう少し時間がかかりますが、楽しく授業で学んでいます。

3年生になって、なぜか今までで一番いそがしく、かなり疲れていますが、なんとか楽しくやっていきたいです。がんばろっと。

京都での学び

緑もすっかり深いものとなり、早々にカキツバタは見頃を迎え、立夏という「夏」の一文字が入った節気を迎えて早速やる気になっているのか汗ばむことの多い日々、かと思えば激しい雨の日もあり、忌々しき梅雨前線の気配も薄々感じつつありますが、皆さまいかがお過ごしでしょうか。

GWというエクセレントな連休も終了し次は夏休みまで大きい休みはないのかよというボヤきも聞こえる、どこか連休前より疲れ果てた教室内。今は土曜日なのに来週の月曜日を迎えるのが今から気が重い。いかに夏休みまでモチベーションを上げ続けるか、それをさらにどれだけ上げるかが勝負どころだと思っております。学生同志よ、互いに頑張りましょう。

月曜日といいますと、来週の月曜日は四年ぶりの賀茂祭(葵祭)でして、私も先輩と「葵祭楽しみだねー」と実に一ヶ月前から言いあい、正直この賀茂祭こそ一年の中でメインイベントの一つと考えているほど楽しみにしております。青空の元無事開催されることを祈っております。雨予報だけど。

賀茂祭といいますと、ご存じの通り古典文学…主に平安文学では定番中の定番行事。私もそれこそ初めて存在を知ったのが『源氏物語』の車争いでして、御息所が可哀想なので最悪な初対面ではあったのですが、その後読んだ枕草子で清少納言の賀茂祭への熱意、それは素晴らしく。祭(=賀茂祭)のことが書かれている章、数多く。「他もいいけどとりあえずこれを見ろ」と耳元で言われているようで、そんなに推されると絶対に見なくてはという気になってしまい、以来賀茂祭をみることを人生でやりたいことの一つに挙げておりました。二十歳を前に叶えられそうで何よりです。

今年は上皇上皇后両陛下もいらっしゃるそうで、本当に晴れていただきたい。ちなみに御禊の儀は晴天のもと、ちょっとだけ混雑しておりました。寝坊して正面から見れなかったのが少し悔しかったです。

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さて、今回は同志社大学宮廷文化センターさん主催の『薫物「盧橘」作りワークショップ』に参加させていただいた件についてお話ししたいなと思います。

すっかり書くのを忘れていたのですが、今私は国内留学中で、東京を離れ上洛し、同志社女子大学さんに交流学生として身を置いています。このことについてはおいおい書いていくので今はそんな制度あったんだへーぐらいに思っておいていただけたら嬉しいです。ただ、今このお話をする為に知っておいてほしいなあというのは、とてもありがたいことに交流学生でも正規の学生さんとほとんど同じ待遇をしていただける、ということで、博物館や美術館の学割もあれば、学内イベントも参加できるのです。今回の『薫物「盧橘」作りワークショップ』も「同志社大学・同志社女子大学の学部生および大学院生」が対象でして、もちろん交流学生も可!

ということで行ってまいりました。行く以外の選択肢が日本文学科の人間としてはありませんでしたね。

実はこのワークショップが楽しみで楽しみで、このことを書きたくて書きたくて、ずきさんに「十三日か十四日の担当にさせてください…。」と図々しく頼み込みまして、十三日担当にさせていただいたという裏話もあったりします。ずきさん、ありがとうございました。

さて、この『薫物「盧橘」作りワークショップ』。今出川家の当主が自筆で書き写した可能性があると言われる『薫物秘蔵抄』一巻に記載されているレシピを参考に、練香をみんなで作りましょうという内容でした。

まずはじめに使う香原料を嗅がせていただくところからスタート。その後古事記に出てくる多遅摩毛理(田道間守)と非時香菓について、日本に古来から存在する柑橘類についてご解説いただき、非時香菓とは何を指すかを考えながら、橘は場所の違うものを三種、他に近畿大学のコウジやダイダイ、キシュウミカンにユズの花々の香りを堪能させていただきました。これらがすごく良い香り!お持ち帰りしても良いですよ、とのことだったので特に気に入った橋本神社のタチバナ、近畿大学のコウジ、ダイダイ、ユズをお持ち帰りさせていただいたのですが、入れて帰った鞄が数時間経ってもなお柑橘の匂いを発しています。

そして練香作りがスタート。参加学生、総力戦です。香具の分量が重いものから順に乳鉢に入れて、混ぜ、均等に混じったものに水分の少ない蜜を投入、粘り気が出るまで乳棒で混ぜ続け、少量を手に取り、手のひらでコロコロしながら小さな丸を作っていきます。表面にテカリがあると良いらしく、例えが例えですが泥団子の小さいバージョンを作る感じ。丸くするのには手汗が少なく体温が高い人ほど向いているらしく、とても綺麗に作る人もいれば、諦めた人もいました。私もテカリは諦めてました。丸まったらもう出来上がり。簡単に聞こえて、意外と混ぜるのも大変、さらにはなかなか綺麗に丸まらないので時間がかかります。プロの方は一度に七つ、同時に丸くするらしいです。すごすぎる。

途中、四国の方からお越しになった先生がレモンの皮が原料の香具と、それに実の要素も加わった香具の二つを私たちに分けてくださり、それらを練香に混ぜて新しい香りをつくる、というこれまた貴重な体験もさせていただきました。実も入った方は今日一甘くて良い香り。すると、新しい薫物だから名前をつけようということになりまして、各々が手のひらでコロコロ転がしながら雅な単語を思い浮かべ悩む中、「江戸時代からは浄瑠璃などから名前を取った例もあるのですよ」と言われ、上がったのは「じゃあ曽根崎とか?」「曽我兄弟…」。二つとも血の匂いがしそう、と盛り上がりました。今回のワークショップ、学生もとてもフレンドリーで面白い方が多く、マスク下では始終口角が上がりっぱなしでした。

出来上がった練香は古典らしく貝の中に入れて、お持ち帰り。とても楽しく、あっという間に時間が過ぎてしまいました。

盧橘とタチバナ、コウジ

写真左上の方にあります貝に入っている黒い二つの丸が、今回作った練香状の盧橘。写真手前のお花が先程触れたお花の一部で、左から橋本神社のタチバナ、近畿大学のコウジです。お馬鹿なので蜜を入れる前の状態のものを袋に詰めたのに持って帰り忘れましたが、昨年度のワークショップで作ったという、小野通女ゆかりの「匂油」同志社大学の紅梅製をいただきました。毛先バサバサ民なので発表など、人前に出る時につけたいと思います。

練香、見たことない方は「え!これが!?」と思うことでしょうけれど、これが練香です。私もびっくりしました。香炉にセットせずとも、鼻を近づけるとしっかり良い香りがします。二百度くらいで熱すると良いですよ、とのことで、炭は少し怖いため先ずは電気の香炉を手に入れて楽しもうと思います。

水が合わなかったり料理しようと台所に立てば最高に不味いスープを製造してしまったり、ニュース645の時間がほっと関西、おはよう日本が途中で変わる、テレ東が映らないなどホームシックが常な日々ですが、このように「東京では出来ない、伝統的で自分の趣味にばっちりあう、心から面白いと思う」イベントやワークショップが京都には沢山あり、これが最近の生きる糧となっています。これからも沢山参加していきたいです。夏休みに帰省した際には「これ私たちが作ったんだぞ」「これが元カレだぞ」と自慢し嗅がせにまわりたいと思います。それから冬まで残るくらい沢山いただいてしまったので、着物に…というわけにはいけないでしょうけれど、なんらかの形で成人式にも持っていきたいものです。

この度は貴重な経験を与えてくださり、本当にありがとうございました。

***

大学生になって一年と一ヶ月半、結構経ってしまいましたが、大学では授業以外にも沢山学びの機会があるなあと感嘆する毎日です。生涯学習センター、図書館のオンラインデータベース、ラーニングコモンズのイベントなどなど。博物館美術館は無料になったり割引がきいたりしますし、年齢的に国立国会図書館にも行けますし、シンポジウムは参加しやすくなるし、留学も。情報アンテナを常に張り、日程を一時間単位で整理し、選びに選び抜いて、それでも「あれ参加したかったー」と床をバコバコ叩く日も少なくはありません。超贅沢な悩みだなぁとは思いますが、この一ヶ月だけでも何度、どこでもドアか分身の術が使えれば良いと思ったことか。今ある本音としては今やってる対面の生涯学習センターの講座と七月十七日に鎌倉芸術館で開かれる講座にも参加したかった…。このように全部参加することは到底無理でしょうが、出来るだけ多くの企画におじゃまして、それらを通して沢山のことを学生時代のうちに学んでいきたいものです。

新時代。

こんにちは、あこです。

あっという間に5月も中旬。

先日のブログで「元気になった」と言ったあこですが、GW後半から体調を崩し、その後は母もダウン。

やっとちゃんと(?)元気になりました。

そういえば、三ヶ日に引いたおみくじでも、血液型×星座占いでも、誕生日占いでも、今年は「健康運が悪い」と出ていたな〜とか思ったり。(運のせいではない)

健康3原則【食事・運動・睡眠】を意識して、健やかな生活を送ろうと思います…!!

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先月から、教習所へ通っています。

「今は電車もバスも整ってるから運転免許取らなくていいのでは???」と思っていましたが、色々あって方向転換。

まずは仮免取得を目標に、学科教習と技能教習を頑張っています。

コロナ禍を経て学科教習がオンラインになり、「常時AIによって画面を見ているかチェックされる」とか、「自動的に受講者の写真が撮影され、翌日の教官チェックを経て受講済みとなる」とか、色々驚くことはありましたが、学科教習はまあいいでしょう。

問題は、技能教習。

全くもって、運転の感覚が掴めないんです。

かつ、飲み込みが遅すぎる。

元々「感覚で動く」「感覚を掴む」「感覚で覚える」系のことが超苦手なあこ。(しかもその鈍い”感覚”をカバーできるほどの”頭”もないときた。)

運転、難しすぎませんか?

目で進行方向を見て(広い視野で全体を見る)、一定のスピードでハンドルを回し(回すタイミング・加減も調整)、一定のスピードでハンドルを戻し(直線になった時にハンドルは元の位置)、右足だけでアクセルとブレーキを切り替え(左足は常に足置き場)、かつ踏み加減の調整も超大事。

私的には、Adoの”新時代”を歌いながら手で三拍子、足で四拍子のリズムをとっている、みたいな、超複雑な操作です。

もはや、人間のやることとは思えない。(失礼)

「あこさんは前を”点”で見ています。”面”で捉えてください」

「注意力散漫です。鳩は見ない!!!」

「考える前にハンドル回す!!!」

教官曰く「自転車より遅いスピード」で走っている私の車が、公道に出られる日は来るのでしょうか。

本当に心配です。

いつか、「感覚掴めたらヨユー!」「運転、思ったより楽しー!」と思える日が来ると信じて。

完全自動運転の時代が待ち遠しいです。

それでは、また。

本は

本は静かに、慰めてくれる。

話を聞いてくれるわけじゃない。むしろ話したかった何かをそっと忘れさせてくれる。

白いページを一枚めくるごとにそれまであった何かが拭われていく。

そして「わたし」は私から離脱しその空席に本の声が居座る。

本は静かに、慰めてくれる。ただ静かに、そこにいるだけ。

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まいです、ごきげんよう❀

言葉は形のないものですが不思議と質量がありまして、心の中で生まれ発せられることのなかった言葉たちが胸から喉のほうまでぎゅっと詰まると——本当に喉が痛むんです。

言いたいこと、言いたいのかわからないけど浮かんだ言葉、そうしたものを発さなかったとき、本当に喉を傷めます。そのまま風邪になることもしばしば。

まだ発せられていない、だから「ない」はずの言葉は、たしかに私の中で生きている。うごめいて私の隙をついて飛び出そうとしたり、どんなに息を吐いても上がらず奥でふさぎこんだり。やっぱり彼らは生きている。

そんなとき、「対処する」ということは私にはあまり合いません。たとえそれが解放というプラスにつながるものだとしても、対処しようとする時点でそこに膝までどっぷり浸からないといけない。それはやっぱり息苦しい。

そこでいいのが「忘れる」ということです。

そんな簡単に忘れられるなら悩んでないわ!というつっこみがあるかもしれませんが、いやいやあるんですよ。本という手段が。

あえて小難しい本や頭を使う本でなくっていいんです。スカッとするアクションものだってよし、キュンキュンする恋愛ものだってよし、ミステリーだってなんだって、とにかく今の自分とは違う境遇に置かれた主人公で、いい意味で深く考えず読み易ければそれでよし。

私は最近、有川浩さんの『図書館戦争』を読みハマり、「自分を忘れる」という時間の心地よさを知りました。嬉しいところで単純に笑い、怒り湧き起こる場面で眉間にしわを寄せ、ドキドキするシーンで純粋に胸を高鳴らせ……そうしているとそうか、心って案外単純でそして綺麗なんだということを思い出します。こまめに拭き取ってやらないと、感情ひとつひとつがどこか濁ったものになってしまう。

本のページをめくることは、心の余計なフィルターを一枚一枚はがしていくようなものなのです。

次巻を読んだらすぐ友人に報告し、あのシーンがいいだのあのセリフは最高だのと盛り上がる。そのときには、私が誰で、何をしていて、普段なにを思っているかなんて必要ない。

その本を読んでいる時、正確には「わたし」は不在になのだから。 本を読む楽しみ、本を語る楽しみ、本は私を静かに励ましてくれる。