気づけばこんな詩を書いていた。
「卵」
卵を食べたいとき
人は殻を割り
そのなかの「何か」は
それ以上になれずしんでゆく
世のなかには
心の殻を割りたいという人がいる
彼らは気づいていない
割れば中身はしぬと言うことを
あなたが割るのはあなたが食べたいからだということを
殻が自ら割れたとき 生まれ
割られたとき 死ぬ「何か」がそこにある
「何か」が生まれることを望むなら
できることは温めること
それだけ
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まいです、ごきげんよう❀
良いことだと信じているからこそ、視野が狭くなり気づけばエゴになってしまう…。
そんなことは日常によくある話ですね。
言葉は伝えるものではなく伝わるもの。
どう伝えようとしてたとしても、伝わった意味でしか言葉は存在することができない。
言葉は難しい。だからこそ面白い。
でもやっぱり、言葉は常に苦しいのです。
考える癖がデフォルトにあると、少しでも楽になることを求めて感情や言動を単純化させて思考よりも先に動くというおかしな、でも生きるために不可欠な癖がつきます。
幸せなことやうきうきしたとき、それが表出するまでのわずかな時間に思考してしまったら最後、簡単にもどってくることはできないので、いつでもアンテナをぴぴんと立てて、「ハッピーセンサー」が反応すれば即座にそれを表出させます。
そうするとささいな楽しいことをきちんと心に積み重ねていくことができるんです。
今年の夏に私の姉妹が結婚をするのですが、最近はその日のためのドレス選びに心をはずませています。
砂糖菓子みたいな白銀の粒が光る、薄水色のドレス。
光沢のあるかばんをもってボレロを羽織れば、気分はプリンセスです。
幼い頃、ディズニープリンセスの映画をよく観ていたのですが、観るたびに私は「いつになったら舞踏会の招待状が来るんだろう」と思っていました。どうやら今の自分よりもう少し大人になると来るっぽいな、と思っていたのですがさて。いざ「もう少し大人」になってみると、「舞踏会」がやってこないことに気が付きました。あれはおとぎの国のお話なのか……。
しかし考えてみれば、洋風の結婚式はドレスで行くし招待状も来る!!舞踏会(は、やらない気がするけど)ここで来たか~!!と楽しみで仕方ありません。
自分が結婚式を挙げるときはお城で舞踏会を開きたいなとうきうきしながら、姉妹の挙式の日を待ちわびています。
やっぱり心ときめくものって大事ですよね。
小さい頃に心躍らせたものは、大人になってもやっぱりきゅんと来るものです。
心躍らせる夏が、いよいよやってくる。
私はビタミンを沢山たくわえたフレッシュな体で、今年、この夏と踊りたい。