「勉強する」って楽しいんですよ!

皆さんこんにちは。みちこです。

今回は、最近思い始めてきた、「勉強って本来楽しくあるべきでは?」というテーマについてお話していこうと思います。

私は今本学の日本文学科で、主に日本文学について学んでいるわけなんですが、今とても楽しんですよね。

自分の好きなことを学ぶことが出来ているということももちろんあると思いますが、私はそれだけではないような気がしてきました。

なので今回は自分の疑問に自分で答えを出していこうといういわば禅問答のようなブログとなっております。

てか、今まで私が書いてきたブログの中に、禅問答じゃないブログがあったでしょうか。

その答えは皆さまの中にしまっておくこととしましょう。

さて。では、はじめて参りましょう。

勉強って、本来楽しいものであるべきでは?という疑問に私はイエスと自信をもって答えたいです。

いつぞやかに話したかも知れませんが、小さい頃のことを思い出してみてください。

小さい頃、色んな遊びをしませんでしたか?

かくれんぼ、鬼ごっこ、砂遊び、サッカー…

外遊びだけじゃありません。おままごとや人形あそび、絵を描いたりなど…

その中で皆さん独自の遊び方を編み出して遊んだりしていませんでしたか?

こういう、独自の遊び方を編み出す行為って、既存のものに手を加えることでさらに面白く楽しく遊びたい!って思いから生まれたものだと思うんですよね。

こういうことを「勉強」と言ってしまうと少し堅苦しいかも知れませんので、「学習」と言いましょうか。

実は、「勉強」ってこれ(「学習」)と同じようなことを、対象を変えてやっているだけなんですよね。本来なら。

何かしらの方法で新しい知識を知ること、そしてそれを自分がより楽しいと思えるように創意工夫して、自分の中で楽しむ。

だから勉強って、本来もっと単純で、純粋な思いの下に生まれている行為なはずなんです。

私は小さい頃から受験、受験と言われ続けて生きてきてしまったため、この当たり前だけど大事な感情を忘れてしまっていたんですよね…。

ただただ問題を与えられて、それを解いていくだけの苦しい時間…。

勉強なんて問題を解けなかったら苦行に早変わりです。

中学・高校に至るまで、私はずっと「勉強は苦行だ…」と思って生きてきました。

しかし大学に入ってから、私のその概念は早くも覆されることとなりました。

ーーー大学の課題やら何やらが「楽しくて」仕方がないんです。

こないだもレポート課題がなどと言ってひーふー言っており、結局5週間ずっと何かしらの課題に追われて最終的に課題だけで合計で約2万文字程度書いております。

そんな生活を続けている中にも、楽しみなレポート課題・力を入れようと思った課題・書くことがすらすらを浮かんできてしまう課題などは書いていて本当に楽しかったです。

一種の息抜きみたいになっていましたね。

課題すら息抜きと私の口からそんな言葉が出てくる人生が来るとは思いませんでしたけども、これが現実です。

こんなつらい思いをしてまでもなお、「楽しい」と思えるようになったんですよね。

では高校以前の私と今の私とでは何が違うのか。

一番大きいのは、授業内で「新たな視点」を得るということだと思います。

高校以前の授業に、あまり「新たな視点を得る」授業ってないと思うんですけど、大学ではそんなものばかりです。

今まで信じ込んでいた常識から一歩先をいったような新たな視点・新たな理解・新たな解釈が生まれていくんです。そのおかげで今私は当初興味なんてほとんどなかった平安文学への興味の扉を開けることと相なるわけですが、その話は置いておいて。

その「新たな視点」というものを得ると、勉強って限りなく楽しいものになるんですよね。まるで自分の世界が広くなったような、そんな錯覚さえ覚えるようになります。

で、大事なのはここからです。

「新たな視点」ってどのようなところから生まれるんだと思いますか?

ーーー答えは、「自分が主体となって学ぶ事」。これに尽きます。

大学の授業に出ていても、ただそこに座って教授の話をふ~んと聞いているだけじゃ意味がないんです。

そこにちゃんと自分がいるかいないか、というのは本当に大事なことなんです。

だってそうしないと、自分の今まで持っている知識と今聞いている話をどうやって結び付けられるでしょう。

このようなことに気づいてから、私は勉強というものが途端に楽しく思えるようになりました。

私は現在、車の免許を取得するために教習所に通っているのですが、そこで道路標識や道路表示などという存在を学びました。

それを学んでから、街の至る所にある標識や表示を意識して見るようになったんです。

これって、この知識を自分で主体的に学んでいなければ気づきもしないことだし、一生注意の向かないところだったと思うんですよね…。

こう考えると、「学ぶ」というのはただ単に「知識を得る」だけじゃなくて、「自分の世界や視野を広げる、新たな視点を獲得する」ということにつながってくるのではないかと思いました。

そしてね、勉強って実は椅子に座って知識を覚えることだけが勉強じゃないんですよね。

それをバイトから学んだよ~という話は既にしているので、まだ読んでないよ~という方は、よろしければ以下のリンクから読んでみてください。

https://mcm-www.jwu.ac.jp/~nichibun/blog/index.php/author/namekata/

ここの7/7の投稿がそれに該当します。

なのでね、勉強する能力って、全然学生までで完結することじゃないんですよね。

大人になっても学習する能力って使いますし、むしろ大人になってからの方が使う場面が多くなるかもしれません(笑)

でもそんなこと言ったって目の前の勉強は辛い~という高校生以下の学生さんもいらっしゃるかもしれません。

そうですよね、辛いですよね。お気持ち、お察しします。

できないものを延々とやり続けるのって、すごくストレスのかかることですよね…。

でも、そういう時は少し視点を変えてみてください。

例えば基本事項。

英語なら文法。数学なら公式など、各科目に「常識みたいにされてるけどよく意味も分からず覚えてること」ってありませんか?

そういうのって、なんでそんなことになってるんでしょうね。

こういう「なぜ?」を勉強に取り入れていくと、少し違った景色が見えてくるかも知れませんね。

ちなみにこの方法を取り入れたことで、苦手だった英語の文法が少し楽しいものになった、という経験を私は持っています。

さて、ここいらにしておきましょう。

勉強とは、知識を得て、それを活用することで新たな視点を得て、それで世界の見え方が変わるから面白いんだ、そしてそれは普段常識であると思うことこそ改めて問うてみると何かまた面白いものが見えるかも知れませんね、という話をしてきました。

相変わらず見切り発車で書いているこのブログは、なんと50分程度で書き上げたものになります。

ヤバいですね、私。自己主張強すぎて死にたくなる時は間々あります。

というわけで、今回はこれまで。

次回は…いよいよ19歳ラストの更新となるので、少し早いですが、19年の人生の振り返りと、20年目に向けた抱負を綴るなどしましょうかね…。

どうせまた見切り発車(以下略)

それでは、失礼いたします。