努力が手に入れられるものは?

皆さんこんにちは。みちこです。

週のはじめからインフルエンザにかかってしまい、これを書いている現在も自宅待機期間という状態から本ブログをスタートしようと思います。

いやあ…しんどい…。

熱は中々下がらないし、喉は痛いし、声なんてまったくでないし、鼻も詰まるし咳も出るし…。

我が家では父が先に倒れ、その次に母、最後に私というまったく綺麗なドミノ倒しでインフルにかかっておりました。(父は根っからの病院嫌いなので検査などはしていないのですが、母と私は近所の病院で検査をしてインフルエンザであることが発覚したので、父もおそらくそうであろうと踏んでいます。)

ちなみに我が弟は家にいる時間をなるべく少なくし、現在までどうにかかからないようにして生きているようです。(なんでもどうしても部活の試合に出たいそうなので…。)

こういう「最後の砦」的な役割を担うのは我が家では父か私であることが多いので、今回はかなり珍しいパターンだったといえるでしょう。

何を隠そう、インフルエンザであると判定された私はこの1週間1回も授業に出られていないことが確定してしまい、その事実が悲しかったです。しかしそんなことを言っていられる暇もなく体が言うことを聞いてくれなかったので、大人しく休みました。

さて。こんなつまらない近況トークは3~4行で済ませる気だったのですが…。どうしてこうなった…。

今回は、「努力が手に入れられるもの」というテーマで書こうと思います。

最初に申し上げておきますが、これは永遠の課題であり、誰もが納得できる正解を導き出すことは出来ません。逆に言えば、今からここに書くことは私だけの答えでしかありません。そしてこの記事を書こうと思ったのは、今必死になって勉強を頑張っている受験生の皆さんがいるからです。

今どこかの目標に向けて頑張っている皆さんへ、ほんの少しだけ年を食っただけの先輩の私から、励ましでも何でもないかもしれないが、しかし大事なことを語ってみようと思います。

努力で手に入れられるもの、皆さんは何だと思いますか?

望む結果が手に入れば幸せものでしょう。しかし、誰もがそうではないことを10代後半の皆さんなら、薄々感じてきているのではないでしょうか。

そうです。努力で手に入れられるものは、必ずしも「望む結果」ではありません。

では、「望む結果」が手に入らなかった人はそのまま腐るしかないのか?

そうではありません。てか、そうであってはいけないのです。

見方を変えるんです。「望む結果」というのは、あくまでも物事の一側面でしかない、ということに。

 

ここまで言ってきて、努力で手に入れられるものは、「結果」であると、もうわかったことでしょう。

しかし、ただの「結果」ではありません。

その「結果」は、皆さんの見方次第で、希望にも絶望にもあらゆる姿を見せてくれます。

ーーー楽な言い方をしてしまえば、「結果」なんてあくまで「事実」でしかないんですよ。

その「事実」は、時に優しく包み込み、そして時に残酷に、私たちを襲ってきます。

それだけの話なんです。本当に。発想・見方を変えるだけなんですよ…。

でも苦しいことに、それをすることが、容易ではないんですよね…。

例えば、「お笑い芸人になる」という夢を持っていた人がいたとしましょう。

お笑い芸人になるために、養成所に通ったり、自分でネタを考えたりなど様々な練習をしても、有名になれるのはほんの一握りの人たちだけです。

情熱、そしてそれに見合った努力だけでは、どうにもならないんです。どんなに才能がある人だってそうです。

これが、世界の現実なんです。

残酷ですよね、この世界は。私もこれに気づいたときは、本当に残酷だと思いました。

ーーーでも、よく考えてみて下さい。

本当に、この人たちの努力は無駄だったでしょうか?

この人たちの情熱は、報われなかったものでしょうか?

私は、この人たちの努力も情熱も無駄にならないと思います。

ただし、その人自身が舵を切れるか

これ次第で、無駄になるか否かが決まります。

「舵をきる」とはどういうことか。これが、さっき私の言った見方を変えるということです。

例えば、さっきのお笑い芸人を目指していた人たちは、どんな能力があると考えられるでしょうか?

お笑い芸人には相方が必須。つまり、人と連携して笑いを生み出す、そういう生き方をする人たちです。

馬が合う合わないは別として、こういう「人と連携して何かをする」という能力には秀でていると考えることは不可能ではないでしょう。

それに、「目標に向かって何かをする」という力も当然持ち合わせています。

それは、芸人になる!という夢があった故かも知れません。

しかし、芸人を目指すということは、芸能界が決して綺麗事だけの世界ではないことも受け入れている人たちだと思います。(ここを受け入れられない人は、おそらく養成所の段階とかで早々にリタイアしていると思います。)

そのうえで目指していたのなら、それ相応の覚悟がその人には存在していることになります。

つまり、その「覚悟を持って目標に向き合い、達成に向けて努力する力」をその人は持っていることになります。

この力は、どこで何をしていくにしても必要になる能力です。

ーーーそんな能力を見に付けているなんて、本当にすごいことですよ。

 このように見方を変えれば、この人はたとえお笑い芸人になれない人生だったとしても、どこででも通用する能力を持っている人と捉えることはできます。

しかし、ここからが大事です。

それは、こうやって舵を切れるか否かはその人がいかに早くこれに気付けるか次第であるということです。

つまり、当然気持ちの問題(情熱をどうしても断ち切れないなど)で踏ん切りがつかない人もいる、ということです。

私のようにすぐに割り切れて方向転換ができる人もいれば、中々そうではない人もいると思います。

このような人の違い、なんだと思いますか?

ーーー私はひとえに、「情熱の差」だと思います。

実は私、生まれてこの方、情熱を持ち続けて何かを成そうとしたことはありません。

否、それを制限された環境下で生きてきた故に、そうせざるを得なかった、という方が正しいかも知れませんが。

何故なら、どこかで上記のように「方向転換」ができてしまうからです。

それを器用だ、生きやすい、というのならそれまででしょう。確かに生きやすいとは思います。

でも時折、もし自分が人生を揺るがすほどの情熱をかけて行動できるものがあったとしたら、すべてを捨てられたり、すべてのリスクを背負ってまでもやりたいことができたらな、と思うことはあります。

そういう、何がなんでもこの目標を達成したい、という情熱を持っている人が羨ましいです。

そういう人は余裕はないかも知れないけれど、常に全力で人生を謳歌している。

それはそれで、素晴らしい生き方だと思います。

 さて。そろそろ収拾がつかなくなってきたので、まとめに入りましょうか。

努力が手に入れられるもの。それは、「結果」です。

しかしその「結果」は、必ずしも望むものばかりではない。

否、むしろそうではない場合の方が多いと思います。

そういう時に、その「結果」を自分の中でどう解釈するかで、その後の行動も生き方も変えられるんだよ、という話をしてきました。

しかし、そう単純に割り切れない人がいることも事実。そういう人はもしかしたら、「目標に対する情熱」をめちゃくちゃ深く持っている人だったのかも知れない。だから、割り切れないからといって無理に割り切ろうとしなくて良いんだよ、むしろそれはそれで1つの生き方なんだよ、こんな話をしてきました。

 

これからどんな「結果」が待ち受けるかもわからない受験生にする話ではなかったかも知れません。

人によっては、これを読んで落ち込んでしまうこともあるかも知れない。

ただしかし、「こういう考え方もある」と心の片隅においておきながら、今自分のなかに掲げている「目標」に向かって邁進してほしいと思います。

大丈夫!後悔さえしなければそれでいいんです。てか、後悔したっていい。

時間は二度と戻らないのだから、今皆さんができる最善を尽くしてほしいな、と思います。

「最善」は必ずしも、苦しい努力である必要もないと思います。

たまには息抜きしたっていい!大丈夫です!

私なんて受験生でも普通にゲームしてましたし!やばい!(笑)

とにかく、自分に付随している時間を、他でもない大切な自分にかけられるようにしてほしいな、と思います。

長くなってしまいそうなので、今回はここで終わりにしようと思います!

次回は、年の瀬ということもあるため、ここらで少し振り返りをしてみようと思います。

もうすぐブログ部で記事を書いて1年になりますし!

最後まで読んでくださり、本当にありがとうございました!