現代文学(エッセー)と私

 私の家は蔵書が多い方だと思います。私も家の人も全体的に本をよく読む方、だと思います。

勿論、小説の類に全く興味が無く、本よりもゆっくり解説を見ている家人も中にはいるわけですが、そんな人でも旅行に行く時はるるぶやらことりっぷやらを複数開いて、ああだこうだやっぱりやめようなど言っています。時代はネットで、私も今このブログはパソコンで書いているわけですが、やはり手元に物としてあったほうが、私たちは安心するみたいです。

 しかし最近、買うという行為には至ることが少なくなりました。自分で言うのもなんですが、私は人と比べて文章を読むのが速く、家の人も比較的読むのが速い。そして全員、近日中に読み直すということがほとんどないということで、図書館にあるもの、特に小説やエッセーは本当に買わなくなってしまいました。

直木も芥川も、昨今の候補作は全て図書館で借りて、ギリギリになって家族内で回覧板のように高速で回して、期限日に返却なんてことがざらにあります。本を愛するものを名乗ったものなら殴られそうなことだよなと思いつつマックのポテトレベルで消費しています。

 図書館で話題の本を借りる、という人は私たち家族以外にも沢山います。特になんたら賞とか取ってしまうと大変。予約番号が二桁、三桁になり、手元にくるのが何カ月も後なんてことはざらにあります。

先日も、知らない本の受け取り順が来たというので取りに行きました。調べて見ると、一年ちょっと前予約した本でした。なんでこの本予約したんだろ、有名な作家さんだけれども賞も取ってないし…。と家族内でちょっとしたミステリーが発生。

読んでみたら面白い内容だったので、新聞のおすすめとかに出て来たのだろうという結論に落ち着きましたが、未だ疑問が湧きます。一年も経つと人間、こんなに忘れるものなのでしょうか。

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 そんな環境で日々を過ごしておりますが、それでも内容も見ずに買い集める作家さんの本というのはありまして、そのうちのエッセー部門で光り輝いているのが朝井リョウ先生と群ようこ先生です。

 個人的朝井リョウ先生の傑作は、部活を辞めるのでもチアしてるのでもなく、『時をかけるゆとり』『風と共にゆとりぬ』だと考えております。これらのエッセーを読む前に代表作は受験の関係で読んだ気がするのですが、エッセーの方が強烈で、作家本人と作品は違う次元のものなのだなと考えることが出来ます。

家族も先生のエッセーは好きでして、私の家族内での先生の呼び方は、うんこ先生、トイレ大明神、そしてその敬称が外れた単語単体等々。敬意をもって様々な形で会話に登場してきます。最近、冷房が寒くて腹が下りそうな時に訴えとして「リョウってくるわ」と言って見ましたが、見事通じました。

トイレ大明神先生のエッセーにはいろいろなことが書かれており、私たちはげらげら笑いつつ、たまに生活の参考にしております。就職活動とかは全く参考にはなりませんでしたけれども。

例えば、私の場合、先生のエッセーでとある朝食ビュッフェを知り、私もパンケーキが無限に食べたいなと憧れ、友人たちを巻き込み早朝からその件のビュッフェに行きました。

あの時のことは一生忘れられません。確かに久しぶりのビュッフェではありました。かなり気合が入っていて、ペースの早い大食いの友人を誘いましたし、私自身でも前日の夜から小食にして腹をすかせました。でもまさか、上からリョかけるとは思いもしませんでした。

あれ以来は節制しておりまして、お酒の場含めて少なくともトイレにこもることはありません。件のレストランのあるフロアのトイレは個人的な”Sites of Memory”として、近くを通るたびなんとなく首を垂れています。歴史を繰り返してはならない。

 群ようこ先生は私が生まれた時からその著作が家の本棚に大抵全てコレクションされていたので、小学校中学年のころから笑い読んでいました。先生のエッセーは振り仮名もついていますし、何よりも児童文学にはない面白さがありました。つまり、図書館で言うと、子どもコーナーと大人コーナーどちらに行けばいいのかわからない時期の私にはとっておきでした。

先生のエッセーは普段の生活が舞台ですので、世の中の生活に纏わる様々なものが登場してきます。SNSもゲームもやっていなければ、早く読み終わるからという理由で漫画が規制されていた私は先生のエッセーから(多少時代遅れ感と年上感のある情報とはいえ)様々なことを学びました。

例えば角栓取りのパック。毛穴の汚れってなあに?というピュアさを持っていたころでした。母は既にパックの恐ろしさを知っており、家に置きもしていなかったので、サン宝石のカタログで写真を見ても、鼻にスライム貼り付けて冷たくないのかなと思っていたぐらいでした。

そんなときに、『またたび回覧板』でその使い方と痛さを知ってびっくり!『十三日の金曜日』のジェイソンになったり、パックから汚れが生えているのを見るのは楽しそうだけれども、痛いって何。え、これ肌に悪くないの。

ご存知の通り、角栓取りのパックは肌に悪いどころか毛穴も更にオープンしてしまうものでした。さすがに角栓が気になる最近の私はパックではなく酵素洗顔と潤すタイプのパックを愛用しております。

薬局で洗顔コーナーの横を見ると大抵ある、角栓取りのパックを見ると、汚れが生えているのを私も見てみたいと一瞬魔が差しますが。なんとか毎回ぐっとこらえて、売り場を後にします。

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 このブログを書くにあたって、もう一度先生方の本を読みなおしてみたり、他にエッセー本はあるかなと探して読んでみたりしました。当時読んで面白かったエッセーとかもあるにはあるのですが、今読むと私の手の行く先は、口ではなく頭。好みも成長するものですね。

しかしお二人の作品は現在読んでも面白くて、何よりも文体が読みやすく、頭にすらすら入ってきます。改めて、私にとっての理想のエッセーはトイレとジェイソンなのだなと考えましたし、私もお二人のような文章が書ける人間になりたいと思いました。

内容はもう少し美しくいきたいですけれどもね。