そこで、私は翌日の図書館ではなく端末を取った

『ゴヤのファースト・ネームは』、という詩があります。

飯島耕一氏による名詩だそうで、御存知の方が多いのではないでしょうか。

二年前、同志社女子大学の『ご自由にどうぞ』コーナーから引っこ抜いてきた、荒川洋治氏による『文学のことば』(岩波書店、二〇一三年七月)。私はこれを読んで、この詩に辿り着きました。

なんでも超大作のようで、全部は引用されておりませんでしたが、冒頭の、

何にもつよい興味をもたないことは

不幸なことだ

ただ自らの内部を

眼を閉じて のぞきこんでいる。

何にも興味をもたなかったきみが

ある日

ゴヤのファースト・ネームが知りたくて

隣の部屋まで駆けていた。

と、最後にあるという

生きるとは

ゴヤのファースト・ネームを

知りたいと思うことだ。

が引用されておりました。いずれも詩集『ゴヤのファースト・ネームは』(青土社、一九七四年初出)からのもののようです。

荒川氏はこの詩に関して、「何かに興味をもち、何かを知りたいと思う。それはたいせつなことであり、人の基本なのだと思う。」と述べています。

私はこれを読んで、この詩と荒川氏の述べる「人が生きることとは何か」という答えに共感すると同時に、この詩が持つ「間」の美しさに感銘を受けました。

またそれと並行して、今私たちが生きている時代は何故か必要以上に時間に追われていて、ゴヤのファースト・ネームを知るために隣の部屋まで駆ける時間も、ファースト「・」ネームと一度区切る時間も、こうして詩を編む時間も、惜しまれるんだろうなと考えるなどいたしました。

***

少し前に、「(本に携わるとしたら)エデュターになりたいのか、ライターになりたいのか」という問いかけがありました。周りの子が答える中で、私は最後の回答者になることを進んで享受し、結局私の前で時間が来たので、発言を避けることができました。

今はこのブログ部の「ライター」ですし、書く事が好きでした。しかし今振り返ると、その「好き」は一方的なもので、あまり「人に伝えること」を主軸には置いていませんでした。

四年生、就職活動。通らないエントリーシート。何枚出せども何枚出せども、祈られるばかりで、自棄になり始めた時、とある方から「今じゃchatGPTを使うのは当たり前だよ?」と言われました。

信じていただけないと思いますが、私は今年の春まで生成AIに、一度も自ら触れてこなかった人間でした。疲れ果て、魔が差し、とある企業のエントリーシートの文章を、chatGPTにつくらせ、少し自分で操作した物を提出いたしました。

結果は通過。初めての通過でした。

実力の至らなさと今までの傲慢、そして何よりAIに頼ったという自分が、非常に恥ずかしく、たまらないほど悔しくて、怒りに怒って、そして私は、文章と距離を置きました。

出来る限り、文章を打たない・書かない日が続きました。レポートや友人や先生、企業へのメッセ―ジ等でキーボードを叩くことはありましたが、その度に両手の操作が一切効かなくなる時間が一定時間発生するようになりました。

この文章を書いても伝わらないだろう、改行はどの程度したらいいのだろう、もっと良い表現があるのではないか、敬語は、挨拶はこれであっているのだろうか。今まで授業等で習ってきたことを含めて全て、文章作成における全てが疑心暗鬼となりました。

しかし、レポートも返信も、期限や人間関係、建前などというものがあり、出来るだけ早く返すべきもの、という認識が私には存在します。

その時頼ったのが、これまた生成AIでした。私はある程度文章を打ち、毎回chatGPTとCopilotに添削していただく日々がしばらく続きました。今見ると、本当に温かみがなく、堅苦しい文章だらけですが、当時はそうしないと安心して送信ボタンが押せませんでした。

その影響が普段の会話文まで浸透しかけた時に、聞かれたのが先程の、「エデュターかライターか」という問いでした。

過去現在未来、全てのエデュターとエデュター志望の方に謝罪を申し上げます。

もし、自分の番が回ってきたら、「私は自分で文章が書けないのでどちらかといえばエデュターですかね」と言おうとしていました。

しかしすぐに、エデュターこそ、最も文章の「伝わりやすさ」や「間」を追求する職業です。故に、ライター同等、それ以上の文章に対する知見が無くては務まらない職業だと考えなおしました。

そして今の私にとっては、対極にいる存在だとも。

***

私はその問いかけを頂いた日、少し渋谷をうろついて、家に帰って、久しぶりに長風呂をいたしました。スマホやパソコン、テレビにラジオから離れ、湯気や蛇口の雫にも興味を持たず、ただぼうっとしてみました。

その翌日と翌々日は休暇だったので、一日目は久しぶりにスマホに頼らず勘で料理を作り、出汁と炭薫る卵焼きを食べました。二日目は、京都では毎日のように行っていた古い洋館を巡りに行って、ずっと読みたかった『ギャグマンガ日和』を読んで寝ました。

そんな二日間を経て、だいぶ満たされた私は、ちょうどブログの更新日が今日であることに気づき、では、洋館のマントルピースが美しかったことを書こうと、パソコンを立ち上げました。

そして、いやちょっとまてと、文章を久しぶりに書くのだから、その前に本らしい本でも読んでおこうと、『ヂョンソン』『ノイマン』などの字が並ぶ「積読の棚」から『文学のことば』を取り出し、そして冒頭に戻るわけです。

私はこの詩を全部読みたいと思いました。書かれているというスペイン紀行についても、私はスペインやバスクが好きなので気になりましたし、何よりもゴヤのファースト・ネームを私も一緒に知りたかったのです。

早速、スマホで『ゴヤのファースト・ネームは』と調べました。調べてしまいました。

検索バーの下に出てくる青い線が、九割のところまで来た時、「ああ、やってしまった」と思いました。

そこに出て来たのはいったい何だったと思いますか。