古典の新たな視点

皆さんこんにちは。みちこです。

更新日を1日遅れてしまっているのですが、書いていた記事を次回の更新に回そうと新たなページを開いております。

今回は古典文学について語るのですが、少し趣向を変えて、実際私が取っている授業の紹介から古典の新たな視点に触れてみようという、そういった試みとなっております。

今回は、

①『竹取物語』や『源氏物語』の英訳に触れる!?「古典文学を英訳する」とはどういうことなのか

②「文学」じゃなくて「本」を研究するって何?「古典文学の本」を研究する学問

この二つについて扱ってみようと思います。

授業紹介ということで、受験生の皆さまには少し難易度が高くなっているかもしれませんが、入学後にどのような授業を受けたいかな…と想像しながら読んでみてください。

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①古典文学を英訳すること

突然ですが皆さんは、『源氏物語』に英訳書が複数あることをご存知でしょうか。

『源氏物語』の英訳書がある、ということはご存知だったとしても、意外と「複数ある」ということは知らなかったりするのではないでしょうか。

かく言う私も、その一人でした。

 

そもそも、「古典文学を英訳する」ことにはどんな意味があるのでしょうか。

1つには、海外の人に『源氏物語』ひいては日本の古典文学を知ってもらう機会が増えるということです。最初は英訳から入って読んでもらい、面白いと感じてもらえたなら原典にあたってもらえばいいのですから。

そして2つ目。これはなかなか想像がしにくいと思いますが、「日本語と英語とでどのようなニュアンスの違いが生じるのか」を日本人の視点から確認することで、改めて日本の古典文学がどのような意味を持つものなのかを考える、ということです。

 

最初に英語の授業を受けた時のことを思い出してみてください。

ーーー日本語と英語って、全然違う!と思いませんでしたか?

実はその通りで、英語と日本語は言葉の並び方が全く違うものです。

 例えば、「私は本を読む」という文章があったとして、これを英訳すると、「I read a book」となりますよね?

言葉の並び方としては、

日本語→主語/修飾語/述語  となりますが、英語では

英語→主語/述語/修飾語   となりますよね。

 実はこの言葉の並び方の違いも、各国の文化の違いを体現しているものと言っても過言ではありません。

古典って、すごく一文が長いことを皆さんはご存知だと思います。これって、日本語の文構造をしていないと、おそらく成立しにくいものだと思います。

だって英語で説明してしまったら、「誰が何をしたか」が文の構造上、すぐ分かってしまうので。

 

ここで説明したことはほんの一例かつ現代語で起きる現象ではありますが、古典だとしても起きる現象は同じです。いや、むしろ現代語以上にあると言っても良いと思います。

授業内では「出家して山に籠る」ことを英語で何と訳せばよいのか、など古典を英語に翻訳する上で問題になることが実際の事例とともに紹介されていきます。

他の文化や言葉と比較することで初めて日本の文化の特徴などが分かる、と言いますが、この授業はそういったことの実例検証に踏み込んでいると言えると思います。

 

今まで古典文学の勉強というと、「本文を読んだ後にそれにどういう解釈ができるか」ということに焦点が置かれがちなので、この授業はあえて異文化のものを交えることで見える日本文化の特異性という観点から見ると、かなり面白い授業であるのかな、と思っております。

 

古典って、こういう視点からも見れるんですよ!

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②「本」を研究するとは?

意外と忘れがちなこちらの視点。

皆さん、文学はどこに書かれているものでしょうか?

出版社が発行している新書?それとも教科書?

ーーーいいえ、答えはそれらも全てひっくるめた「本」です。

皆さんは、博物館やTVなどで古文書の類は見たことがあるでしょうか。あのような古めかしくて文化財にもなるような「本」が実は研究の出発点なのです。

実はどんな物語や日記、小説や和歌でもほとんどは「複数のバージョンの本」が残っているのです。

今はデジタル時代ですから、書いたり消したり、復元したりといった作業はかなりスムーズにできますよね?しかし当時はそうではなかった。江戸時代に印刷技術が発達する前までの本は、すべて手書きなのです!

手書きで別の紙に写すということをしていると、大抵はどこか写し間違えてしまったり、別の作品の言葉などが混じってしまったり、本来の原型とは少し違う形になって成立する本が多いのです。

そのようなものがいくつもあるのですが、これらも全て「本」なのです。

 

「書誌学」というのは、このような「本」を扱う学問のことで、この本は大元の本に近いだとか、逆に新しい系統の本を探し当ててしまったりなど、普段活字(かつデジタル上の文字)を読んでいるような私たちはあまり意識しないような視点からのアプローチをしている授業であると思います。

 

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以上、古典文学って実は「作品自体を読むだけではなく、新たな視点があるんですよ~」ということを出来るだけ分かりやすくお伝えしてきたつもりです。(伝わりづらかったらすみません…)

 

英訳の問題にしても、本の問題にしても、日本文学って全然古臭い学問じゃないじゃん!というイメージを持ってもらえたら私としては嬉しいです。

 

それでは、今回はここまでとしたいと思います。

次回は卒業論文について、「なぜ私が今の分野(中世)を選んだのか」ということについて語ることができたら良いなと思っております。

目下2年生がゼミを選ぶ時期だということで、後輩たちの決断の一助になってくれればと思い、書くことにいたしましたので、お楽しみに!(ダイレクトにヒットする層が狭すぎるトピックではあるのですが…そこはご容赦ください…)

 

今回も、最後までお読みいただきありがとうございました!