京都留学のすすめ / 2023年度交換学生

わた🐓です。本年もよろしくお願いいたします。

本日(15日)から17日まで、日本女子大学と京都の同志社女子大学間で結ばれている国内交換留学制度について、3日間に渡りご紹介いたします。

2023年度留学の私、2024年度留学のまいますさん、そして2025年度留学中の学生より、その制度と学びと暮らしの魅力を語ります。15日(noteは16日)の今日は、わたが担当いたします。もう2、3年前のことなので変化はあると思いますが、記録と将来の留学生のために書き残します。また、当時の私が附属学生への紹介用に作ったパワーポイントを発掘したので、その画像も併せながらご紹介いたします。

☆制度について↓

同志社女子大学との国内留学協定について | 他大学との連携について | 日本女子大学

国内留学制度 :: 同志社女子大学

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国内留学にいきたい!

私がこのプログラムを知ったのは、日本文学を学ぶために、大学受験をするか否かを考えていた、附属中学2年の時です。パンフレットを見て、こんなのあるんだと軽い気持ちで見ていました。

本格的に行きたいと考えだしたのは、附属高校1年の時に、本学科のサマースクールに参加後、ぼんやりとこの大学に通うだろうと思ってからです。理由としては以下の3点がありました。

①京都そのものに興味があった

②日本文学・文化を学ぶならば京都に行かないといけないという心があった

③「日本女子大学」だけの世界で生きてきて、そのまま社会に出るのは不味いと考えていた

自分の中では②が最も強かったのですが、特に③は家族の同意を得るのに大変役に立ちました。私はこの大学の建学理念をはじめとする全ての基礎的な教育方針に心陶、肯定の立場を取りますが、それでもやっぱり人生でずっとここを出たことがなくてそれ以外の世界を知りません、という人に自分は絶対になりたくなかったし、親もそれを望んだのです。

それに、高校受験代も大学受験代も今までかかっていない子ども。学費をプラスで収める必要もなく、京都は東京よりも下宿代が安い。いざとなったらすぐ帰れる。何よりも祖父母の強い支持があった、ということで、大学入学前に家族には了承を得ました。

入学後は、成績で推薦を貰えなければまずいという気持ちもあり、また入学したての何も知らないフレッシュなエネルギーで、学業を修めました。学年アドバイザーの先生に相談し、そのままの勢いで話したこともなかった当時の学科長の先生にサインをもらいに行き(ダメなことです)、あらゆる学部の先生にコの字で囲まれて面接を受け、無事通過。最終的な通知は1月でしたが、11月には面接の結果が来ていました。こうして京都行のチケットを獲得したのです。

下宿探し、引っ越し、いざ滋賀へ

家探しは12月初週に行いました。一応、同志社の学生生協の下宿相談に申し込みましたが、あとは成り行きでした。その場で決めて契約するため、父親と2人で行きました。当時よく使っていた五条の安いホテルを取って行きましたが、もう少し今出川に近い安いホテルを取ればよかったと思います。

烏丸今出川沿いの下宿不動産は全て回って、高いくせに床がベコベコでありえない物件や、距離的に遠すぎる物件を含めて30近い物件を見ました。1泊2日の予定だったので、ほとんど1日で回りました。結果、1日目の最後の最後に、

一年更新

②バストイレ別

洗濯機置き場が外・玄関脇ではない

④エアコン付き

⑤3階以上

⑥女性専用

⑦7畳以上

大学から比較的近い

⑨周りが静か

という素晴らしい物件を見つけました。(そんな下宿の問題点は後述)

父がその場で契約してくれて、無事下宿探しは終了しました。

家具付きではなかったので、洗濯機や掃除機、照明、冷蔵庫と電子レンジはレンタルしました。ベッドはニトリのコイルベットが借りるよりも安かったため、購入。炊飯器やフライパン、ポット、机、コピー機は翌年の福袋や初売りで安く値切りつつ購入。テレビやトースターは、以前使っていたものや引き出物カタログで入手。結論としてあまりお金を使わずに、何故か絶対に要らないはずの木製ベンチまで下宿先に持っていくことになりました。

引っ越し業者というのは、3月末から4/2までが高くて繁忙期です。これを考慮して、オリエンテーションがある初日まではホテル住まいにしました。しかし、このように余計な費用がかかるため、時間が許す人は2月のうちに引っ越すことを推奨いたします。

当時はすでに五条のホテルもインバウンド需要から非常に高く、滋賀県南草津のホテルに泊まることにしました。なぜ南草津かというと、特急が止まるからです。(京都→山科→大津→南草津)

なので、引っ越しの搬送は家族にやってもらって、下宿先で私と母が受け取る形になりました。ベッドや机椅子、本棚、あとベンチは下宿先に届けてもらうように指定したため、段ボールは10個ぐらいだったと思います。他の人の話を聴くと、宅配で送ってもらったり、車で運んだりしているそうなので、10個はかなり多い方なのだと思います。その点、服とかそういったものは滞在中買わずに済みました。

オリエンテーション

着いた翌日、オリエンテーションがありました。

7時にセットした、大音量目覚まし時計を止めて、槙野を片目にパンを食い髪をセット、どんな格好で行けばいいのかわからなかったのでリクルートスーツ。適当に荷物をつめて、ホテルを出ました。

私が何よりも驚いたのは、人の歩くスピードでした。JR湖西線のホームから地下鉄に向かう必要があるのですが、正直な感想、この人達、歩くスピードが遅すぎる。本当にゆっくりで、前の人の靴を踏みそうで、新宿だと人にひき殺されているぞというイライラ半分、スーツで急いでいる私は相当浮いているのだろうという焦り半分。

そうこうしているうちに、同志社女子大学に着きます。守衛さんに「国内留学生で〜」と言うと、場所の案内をしてくださいました。

集合場所に着くと、私以外は普段着でした。普段着でよかったらしいです。23年度は日本女子大学から私含め3人、他大学から3人の交流学生がいました。当時は未だコロナというのもあったのか、ひとつ上の学年が比率的に多く、日本女子大学から来た私以外の学生は当時3年生でした。皆さん非常に優しく面白く、同じ授業を取ったり、休みの日に遊びに行ったり文化祭に行ったり。現在でも連絡を取り合う、大切な同志です。

オリエンテーションでは構内案内を含めた諸説明が行われます。新入生のオリエンテーションと同じです。説明が終わった後は、留学生担当の教授と時間割の相談が開かれます。ここで相談して、決めた時間割(紙に記入式)を学修支援課に提出します。つまり、オリエンテーションの時点で春秋両学期の時間割を決めておいた方が良いです。

私は当初、単位互換を優先させるようにとのことだったので、互換できる科目を聞いてから、時間割を決めようと思っていました。しかし結論としては、単位互換が出来るか否かはその単位を修得してから決まるとのことでした。だから、留学生担当の先生も日本女子大にいる学年アドバイザーの先生も中央研究室の先生も、誰も何を単位互換できるか知りません。

時間割の提出期限も近く、特に同志社大学や京都大学コンソーシアム加盟校との交流科目は期限がその日だか次の日だかで、非常に期限が短かったです。

何も決めていなかった私はその場で急ぎで時間割を作成、秋学期分は夏に修正することとして、留学生担当の先生に見せました。演習系の授業は、その場でその先生が演習担当の先生に許可を貰ってくださいました。

そして南草津に戻り、特に期限が迫っていた、同志社大学との交流科目を大急ぎで選択。同志社大学との交流科目については、選択できる科目の表がオリエンテーションの日に配布されたはずなので、取りたい人は同志社大学のシラバスで予め目星をつけておいてください。結論として、夜を徹する作業となりました。

時間割

こうしていろいろ考えた末に、こうなりました。正式名称が長い故に、名前を勝手に変えた授業もありますが、参考程度にどうぞ。当時の私が紹介用に作ったスライドから画像引用しているので、見づらさと一部背景の色が違う点はお見逃しください。

時間割のうち、「自然人類学」「日本文学講読広域A」「日本文学講読近世D」「装こう文化論」「講読中世B」「京都の伝統産業」「京都文化学概論」「漢方学」計8つが同志社女子大学以外の大学で受けた授業です。

同志社女子大学の思い出

狂言師の先生に狂言を習う授業は、留学前から絶対に取ろうと決意していた授業になります。狂言の歴史について学んだり、狂言をほんとうの目の前で観たり、能楽堂に行って舞台に立ったり幕を上げたり、そして実際に狂言と謡のお稽古がある。最終回は受講者による狂言「痺」と謡「土車」の披露。受講者は5人と少なく、電車が止まった時には私と先生一対一という授業もありましたが、優しくて面白い先生と他の受講者と狂言に向き合う時間は非常に楽しく、多少ホームシックに悩まされていた私の心を晴れやかにするものでした。

同志社女子大学ではこの狂言の先生の他に、能楽師や御所人形師の先生など、外部の「文化の担い手」を通年か半期の講師として、例年呼んでいることが非常に印象的であり、強みであると思います。

近現代文学史は、京都生活をしている中で非常に文学的影響を受けた授業といえます。目的は単位互換で、前期だけ取るつもりでしたが、1年を通して最前列で受講しました。この先生こそ、私が京都生活中にお世話になった存在です。外部の大学から来ていた先生ですが、ご飯やお茶に連れ出してくれたり、その大学のゼミ飲みに謎に参加させてくれたりしました。そこで院生の方々とお話しして、自分や文学の将来を考えました。その中でも、特に日本女子大学文学部日本文学科の卒業生と出会ったりしたのは、今思い返しても面白い偶然です。

百人一首といえばのY先生による授業が受けられたのは非常に喜ばしいことでした。23年度末に退任で、ギリギリ受けることが出来ました。古典文学及びそれを使った遊びが更に好きになった時間でした。また、先生は「女子大学の行く末」についてよく語ってくれたところがあり、これもまた毎週考えさせられました。

あとは、まさかの小学校の同級生がいて笑ったり、相国寺の承天閣美術館に行ったり、三条大橋から御所まで歩きながら歴史を感じたり、全国のお雑煮について学んだりしました。立地ならではというと、『源氏物語』の授業中に、御霊神社の牛車が学校の前を通って、みんなで上から観て、あれが牛車、御息所と葵上の、といって関心したりしました。話はそれますけれども、牛車ってありえないぐらいうるさいですよね。

大学コンソーシアムの思い出

日本女子大学にもf-campusという、近隣の大学との単位互換プログラムがありますが、京都にはそれよりも大きな枠組みがあります。同志社女子大学を含めた40以上の大学が単位互換を行える、京都大学コンソーシアム京都

留学生の私も使えて、どうせ単位互換されるかわからないなら好きなの取ってやるとたくさん取りました。日本女子大学だけなら取れなかった授業や、会えなかっただろう他大学の生徒・先生との交流が大変魅力的でした。

☆京都大学コンソーシアム京都のHP↓

公益財団法人 大学コンソーシアム京都

☆単位互換制度について↓

単位互換制度 – 大学コンソーシアム京都 | 公益財団法人 大学コンソーシアム京都の単位互換制度の特設サイト

前期は他大学はあまり行きませんでした。というのも、希望締め切りが確か4月5日と、2日に存在を知ってから短かったためです。

唯一行ったのは京都大学。ここは行っておきたい学校でしたので、進んで取りました。京都大学といえば、私は文学とサル学と地震学のイメージが強かったため、そのうちの1つを受講できて幸いでした。

自然人類学という授業は大変刺激的なものでした。まず、1回の授業の内容がかなり盛りだくさんでした。私は全ての授業を同じノートで受けるのですが、この授業はそのノートの1/3を占めました。

そして、受講生のタイプが違いました。日本文学科の学生として、まず驚いたのは1回生向けの授業に関わらず、普通に英語の論文を読まされる。翻訳機を使って、時間をたくさんかけてようやく読み切ったのは良い思い出です。これを当たり前に読む他の受講生は流石だと思いました。そして、すぐ指摘ができる。後々考えれば初歩的でしたが、エコロジーとかデモクラシーとか、最後にyがつく言語だと記憶しております。それを先生が話の折に触れて、「どこの言語由来だっけ」と言って、すぐに「ギリシャ語です」と後ろの方の席から返答が返ってくる。これが初回の授業!

後期は反転、よく外の大学に行きました。計5つの大学に行きましたが、今回は文学以外に絞って思い出話をします。

京都芸術大学では装こうについて学びました。まず、美術大学という環境に通うことが出来たのが楽しかったです。学内に展示された創作物や、学生間交流を経て、芸術文化に関するアイデンティティが微小ながら自分の中では大幅に変化。

装こうについては、帰ってからも他の授業で少し触れられることはあれども、やり方と素材と歴史と後継とと、全体的に学べたのはこの授業だけでした。特に、素材についてや、今文化を引き継ぐ者からの視点を深く学べたのは芸術大学ならではなのかなと思います。授業後は同じ受講者とラーメン屋に寄って、腹を満たしてからまた違う大学へ向かったのも良い思い出です。

平安女子大学では今根付いている京都の文化について広く学びました。先生は関東出身の人で、それも私と近いところだったため、なかなか意見が合いました。おすすめの美味しい和菓子屋や豆腐屋について教えてくださったのも有益でした。

この授業では、同期の交換留学生を含めた6人のコンソーシアム生がいました。席が近くに配置されたため、すぐに仲良くなり、課題も一緒にやったし、休日や放課後に遊びに行ったりしました。

京都薬科大学はコンソーシアムの施設内で受講したのですが、これまた大変刺激的な授業でした。漢方医学について学ぶものでして、私は医学などこれしきりですが、実際の原料などをきちんと学べたため、非常に楽しく理解できる授業でした。

以前から興味はあったとはいえ、この授業以来、私は漢方を完全に頼るようになりました。初めて服用してみた桔梗湯が意外と美味かったのもあるかもしれません。大黄は私も苦いと思います。帰郷後色々とあるたびに様々な漢方を処方され服用していますが、副作用が出ていないのはここでの知識が活きているのかなと思います。

単位互換結果

以上のように1年間楽しんで学び、私の場合結果は以下のようになりました。日本文学科は卒業単位として演習授業が12単位以上取らないといけないため、ここで4単位稼げたのは非常にありがたいことでした。

・単位互換成立…学科科目12単位(文学史4単位・演習4単位)、自由選択科目14単位、合計26単位

同志社女子大学の「京都」とついていない授業

・単位互換不成立 (自由選択科目に「学科科目・他学科(区分)」として単位数のみ加算)…16単位

科目名に「京都」とある授業

コンソーシアム、同志社大学の授業

日々の暮らし

毎日必ず外に出て、大学かどこかに行くかの生活をしていました。理由はふたつあり、ひとつは単純に観光に使える時間を1秒たりとも無駄にしたくなかったから。もうひとつは下宿先の電波状況が異常に悪かったから。故に、下宿に帰るのはほとんど寝るのと夕飯・朝食を食べるだけ。基本的に春秋冬は夜だけ帰り、夏は暑いので朝10時から15時あたりまでの間、帰ることもありました。例外もかなりたくさんありました。

下宿先は先程述べた通り、大学から徒歩圏内。静かで、寺の鐘も聞こえて、朝は子どもがたくさんいて、近所の人も本当に優しくてあたたかくて、デカいスーパーがすぐ近くにない。

スギ薬局が出来たのは留学生活も終わりの方で、結果私はほとんどの買い物を、バスで5分ぐらいのライフか、鴨川沿いのライフか、鞍馬口のハウディか、北大路のイオンか、出かけた先のスーパーで済ませていました。なかむらは堀川通りの反対側だったので、あまり使いませんでした。フレスコは朝に弁当を買っていて、現在は恐らくないですが、小さなおにぎり5個とコロッケとハンバーグとポテトサラダなどが入った500円ぐらいの弁当を毎回購入していました。量が多くて大好きでした。

出先のスーパーというのはなかなか面白く、尼ヶ辻のいそかわ、三室戸のハッピー六原はかなり好きでした。山城青谷の山田屋では大きな聖護院カブを抱えて帰りました。肉も安めで大きくて良かったです。あとは朝市などで済ませたりしていました。

夏に帰省して料理の美味さと有り難さに気づくまでは、そもそも不摂生だったため、晩御飯は和菓子という生活を何日も続けたりしていました。痩せもしないし髪と肌は傷むし、やめた方がいいです。

自炊下手くそ界隈の方々におすすめしたいのは、永谷園とかが出している、材料を切って袋に入れて揉んで、レンジに入れれば完成するシリーズです。

☆一例↓

【味の素KK】「Steam Me スチーミー®」|お肉を入れてレンジでチンッ! 新しい形の調味料

レンジ調理商品|商品情報|味ひとすじ 永谷園

ナスの肉味噌については、毎回作ったら袋からナスと周りについた肉だけ出して、残りのタレを使ってまた翌日、ナスを切って同じように調理していました。3回ぐらいできます。当時はまだ白米が安かったので、ナスと白米と納豆で何日もまわしていました。

☆なすの肉みそ↓

本日の逸品 なすの肉みそ|商品情報|味ひとすじ 永谷園

また、京都に行く前に福袋で買った、成城石井のカレー100食分は非常に役立ちました。特に銀座ろくさん亭のまかないカレーは美味しくて、少し高かったけれども買いに行ったりしていました。

あとは、下宿先の水道管が原因ですが、どうしても水道水が不味く、水を菅原院天満宮まで汲みに行っていました。1回6〜8リットルぐらい汲んで、冷凍保存して3日間で飲んでいました。地下水は本当に美味いです。

食品以外の生活用品は北大路のイオンで済ませていました。電気屋や服屋、ニトリ、靴のお直しなど生活で必要な店は揃っていました。本は大垣書店があって、行ったら必ず寄っていました。京都観光本が豊富だったのと、かなり早い段階から店内でBAKUNEのような商品を売っていたことが印象的です。

京都ならでは日常生活

この交換留学の何よりもの醍醐味はすぐに京都や関西の名所や祭に行けること。私も「京都手帳」と「京都観光Navi」、そして何より祖父と同期留学生の史学科の先輩、地元の人に聞いて毎日色々な所に行きました。1日中下宿先に居たのは、熱を出した1日だけでした。

☆京都手帳

京都手帖

☆京都観光Navi

【京都市公式】京都観光Navi

毎日計画的に複数の場所に行って、とにかくいろいろなものを観ました。例として、2月3日の午後の行動を動画でまとめたものがあったので、公開します。この日の私は、前日に吉田神社から酔っ払いながら帰ってきたらスマホが起動しなくなっていたので、朝イチでAppleに行き、午後から蘆山寺→藤森神社→吉田神社の順で廻りました。

京都の三大祭、賀茂祭(葵祭)・祇園祭・時代祭もすべて行くことが出来ました。祇園祭については、有名な巡行以外の祭事、特に神幸祭と神輿洗式、鱧道中を観せていただけたのは良い思い出です。

送り火に関しては、前日に台風が来て新幹線が静岡あたりで止まったのもあり、地元の人ばかりでした。道がすいていたので、出雲路橋から美薗橋まで歩いて北上しながら、鳥居を除いて、西に向かって順番に点いていくのを見ることが出来ました。静かに私の関西の先祖を何十年かぶりに京都で迎え、送り出すことが出来た、一族的にも嬉しい思い出です。

祭以外だと、能狂言や歌舞伎、宝塚、OSKなど観劇によく行きました。授業を抜け出し、能を観に行ったときもありました。先述の狂言の先生が出演する狂言会はほとんど毎回足を運んでいました。歌舞伎やOSKなど、南座で行われる時は帰りに必ずみよしやのみたらし団子を買って帰っていました。

芸舞妓さんの舞台を観に行けたのもいい思い出です。多少高いので、私が行けたのは鴨川をどりだけでしたが、その美しさ、面白さに今でも魅了されています。茶席付きのチケットで行ったのですが、茶席でいただいたお皿は、毎日食卓で使うたびその時の思い出が浮かび上がり、笑顔になります。芸子さんに投げてもらったサイン入りの手拭いも宝物です。

文学部らしく、文学の「聖地巡礼」にも暇を見つけては行っていました。

また、京都は植物が非常に美しい。また23年当時は二十四節気にきちんとあった形でその時その時の花が美しく咲き誇っていたのが印象的です。関東生まれ関東育ちの私は京都で初めて二十四節気を意識しました。北区の植物園にもよく通い、特に薔薇の季節は一見の価値があります。

紅葉の時期は、近所の人や先生から毎日のように言われていましたが、異常に混んでいました。下宿の在る場所も、紅葉の季節だけはバスも乗れないぐらい混んでいて、本当に毎日モヤモヤしていたものです。特に、土曜日の授業はバスで通学していたため、いつもは余裕で座れるバスを1台逃さないといけないくらい乗れなかったのは辛かったです。

永観堂や東福寺といった有名な場所は敷地に入れないほど混んでいて、結局今まで行ったことがないのですが、金戒光明寺周辺や植物園、泉涌寺などで紅葉を静かに楽しみました。早朝に散歩がてら見に行って、授業を受けて、夜間拝観に行くという日もありました。

花や紅葉については、京都Naviで状況をチェックできます。

花だより|【京都市公式】京都観光Navi

紅葉だより|【京都市公式】京都観光Navi

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あとは、先ほどさらっと書きましたが、京都は和菓子屋さんが多いので、よく買って楽しんでいました。二十四節気ごとにこれも変わるので、毎日のようにチェックをしては、和菓子屋に足を運んでいました。

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お気に入りの和菓子

奈良、滋賀での思い出

京都は湖西線か東西線で滋賀に、京阪線か阪急線かJRで大坂・兵庫に、そして地下鉄兼近鉄線かJR奈良線で奈良にと、直ぐに移動できる環境があります。私の場合、あまり大坂は行きませんでしたが、代わりに奈良と滋賀にはよく行きました。

滋賀は、同志社女子大学の学生に滋賀県民が多いこともあり、「なんとなく毎日頭に思い浮かべる場所」でした。10月の大津祭には宵宮と本祭、2日連続で行きました。囃子が非常に好みで面白く、今でも動画をよく見返します。

あとは坂本城の石垣が出て来たというニュースを聴いた次の日に行って見たり、安土駅から安土城まで歩いて非常に疲れたり、三井寺の鐘の音を目をつむって楽しんだりしていました。後悔があるとすれば、『翔んで埼玉2~琵琶湖より愛をこめて~』を授業の関係で大津の映画館ではなく、新京極の映画館で観てしまったことです。

奈良には本当によく行きました。特に、関東に帰る前の2、3月は毎日のように奈良にいました。奈良には地下鉄でそのまま帰って来られるので、夜中に行事がある場合でも、気にせず行くことが出来ました。行事ではなくても、例えば竜田川の紅葉など、和歌に詠まれたり、物語に出てきたりした場所に、その時期・季節に行けたことはとても貴重で嬉しかったです。

特に行けてよかったと思っているのは、2月14日の長谷寺の「だだおし」と、3月12日から13日にかけての二月堂のお松明、お水取り、修二会です。お松明は12日以前にも3回、行きました。お水取りがあった13日は最終電車に乗って二月堂へ行きました。ご香水を汲んで堂内に入っていく一行を見届け、西の局に入ってその日の法要を観てから、丸1日奈良市観光をして、お松明を観てから帰宅しました。この2つは京都に行く前から、絶対に行って見たい・観てみたいという気持ちがあったので、念願叶ってよかったです。未だに忘れられない光景です。

下の画像は、左から大津祭宵宮の源氏山、だだおしのお松明、そして一番右の上がお水取りの一行が堂内に入った後の二月堂、下が彦根城での写真です。

まとめ

以上が私の1年間のハイライトです。長くなるので、ここでは省きますが、他にも色々と学校行事や文化人の集まりみたいなところにも行かせていただいて、非常にいい経験が出来ました。色々失敗もしましたが、本当に楽しかったし、貴重で、自分が今後どう生きて行けばいいのか、何が好きで何を求めて進めばいいのかを導き出せた1年でした。ここで行かなければ、今の私はいないし、そして就職先も違ったどころか、本来は厭な方向に進んでいたかもしれないと思っています。

日本文学科は単位互換もしやすく、かつ扱っている分野が分野であることから、一度は選択肢として誰もが悩むべきだと個人的に考えております。ただ、現状としてあまりにも存在が知られていませんので、今日から3日間のブログで、少しでもこの制度の存在を知ってくれている今と未来の学生、保護者の方々が増えますことを願っております。

また、「行きたい!」と思った学生の京都生活に入る助けになれればとも願っております。ただ、かなり古い記録なので、最新の情報を常に集めて、XやInstagram等の情報も取捨選択しながら取り入れていってください。外食系はXで飯ばかり発信しているわけではない、住人による投稿が一番信じられます。

明日は24年度に留学したまいますさんによるブログです。お楽しみに!

わた