こんばんは、れいです。
少しずつ暖かくなる日差しに、春が来るのだという確かな実感を覚え、そして少しずつ進む新たな生活への準備の中で、楽しみと不安が入り混じる今日この頃です。
最近は挑戦の春と称し、「はじめての○○」を色々と経験しています。学ぶことも、メイクといった外見の変化でも、新しいことに飛び込んでみるのは想像以上に楽しいことだと、改めて感じました。
想像以上に慌ただしく過ぎていく春休みですが、今日は、母と一緒に大叔母の家の片付けをしてきました。
大叔母は昨年末、急死しました。
大叔母は、母方の祖父の妹で、祖父を含め4人兄弟だったのですが、私が生まれる前に大叔母以外の3人は既に亡くなっていました。そのため、祖父と、祖父の兄弟の中で唯一会ったことがあるのが大叔母でした。最近は年賀状でのやり取りが中心でしたが、少し近寄り難いような素敵なマダム…という印象で、元気な姿を想像していたので、亡くなったと電話がかかってきた時はショックでした。
大叔母は子どもがいなかったことから、今は親戚数人で家の中の整理などを進めています。今回、私も予定が合ったため、(母のいとこに久しぶりに会う、という機会も兼ねて)片付けに参加してきました。
少し汗ばむ春の陽気、大叔母の家の最寄り駅に降り立った私は、小学生の頃に遊びに行った記憶を少しずつ取り戻していました。あの時は、大叔母が駅まで迎えに来てくれて、大叔母、母と私の3人で、小学校は楽しい?などと話しながら家まで歩いた覚えがあります。
今日はその道を、母と2人で歩きました。青い空と霞がかった柔らかい陽射しに、どことなく懐かしさを感じました。
駅から10分ほど歩いたところで、大叔母の白い家が見えてきました。家に入ると、あの時と変わらず広い玄関の真ん中に美しい絵が飾られており、小学校の頃の朧気な思い出が、確かな記憶となって重なりました。
大叔母は、曾祖母の遺品だけではなく、ある方の絵画を引き継いでいたこともあり、元々持ち物の多かった大叔母自身のものだけではなく、様々なものが整理できぬまま残されていました。
(これが幸いなことか、というのは分かりませんが)生まれてから、会ったことのある親戚が亡くなるのはほとんど初めてのことで、また日常を送っていたままの家に入り整理するという経験も初めてだったので、人が生きて生活した証というものはこういうことなのかと考えました。
「生きた証」というと、何かしらの作品であったり、文章だったりを想像するかと思いますが、私が最も心に残ったのは、亡くなる数日前に買い物をしていた領収書でした。私たちは、日常を送っている時「生」を特段感じていませんが、この日々の暮らしの中に確かに生と死が存在していて、ある時にふと(本人も意識することがないまま、かもしれません)その境目を越えてしまうのかもしれないのだと思いました。亡くなった次月のカレンダーには、予定や支払いなどがメモされており、おくるはずの時が止まってしまったのだとも実感しました。
また、片付ける中で、曾祖母の和菓子屋さんの茶箱や落雁やたい焼きの型だったり、着物が出てきて、随分に亡くなった曾祖母を初めて身近に感じました。更に、遺された絵画や絵本の原画は、母や母のいとこ、私も小さい頃愛読していた絵本で親しみのある絵であったり、最近興味の持っている印象派に影響を受けたと思われる絵が多くあり、どれも本当に素敵でした。気に入ったものは親戚みんなでとりあえず引き取る予定になっており、額を変えて私の部屋にも飾ろうと思っています。そしてまた、絵に描かれていた、ある日本の地方の絵であったり、フランスの美しい風景など、大叔母も訪れていたことが写真や手紙から分かり、行ってみたいと強く感じました。
アルバムからは母の幼い頃の写真や祖父や祖母の若い頃の写真も多く出てきて、(自宅にあるものは滅多に見ないので)母たちは懐かしいねと思い出話に浸っていました。こんな形なのは本当に残念ですが、自分のルーツや血の繋がりを改めて感じたひと時でした。
大叔母は晩年一人で暮らしており、曾祖母のものや絵画などを整理するのは苦労もあったと想像します。そして、誰にも看取られることなく亡くなったことは、決して良い最期ではなく、それぞれに皆後悔はあると思います。けれども、改めて家の中を見て、大叔母が生きてきた時間をみんなで振り返ってみると、幸せだったのではないか、と感じました。私は大叔母について、ごくわずかしか知ることができませんでしたが、自由な生き方をした人生は、彼女らしかったのではないかと。
私は「家族」ということを長い間散々考えてきましたが、結局家族の形も、その中で紡がれる幸せの形も、様々なのだと思いました。血のつながったもの同士にしか知り得ない、理解できないこともあります。今まで、世間一般の形に私自身を照らし合わせ、またその形に当てはまらないことに嫌気がさすこともありましたが、自分は自分なりの幸せの形を受け取って良いのだと知りました。
窓に広がる暗闇からは、春の夜らしい、微かな暖かさと寒さの混ざった、少し物悲しい風が肌をなでていきます。
大学生の最後に、大叔母のこと、そして家族をことを改めて考えたことが、これからの新しい生活をより良い方向へと導いてくれると信じています。
そして、自分の幸せの形を描くことのできた今、心に積もるものをこのブログと心の中に、静かに留め置いておきたいと思います。