七草

こんにちは、ゆきほです🍵
新年明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。

私の年末年始は、例年通り父方の祖父母のところに行って紅白を見ておせちを食べて、久しぶりにいとこと会っていとこの子どもと遊ぶ……予定ではあったのですが、なんと年末に向こうの親戚間で感染症が大流行し行けないことに。珍しく自宅で年末年始を過ごしました。

どうしよう暇になっちゃったなとは思ったものの、何だかんだいろいろした冬休みも今日でおしまい。今年の年末年始に何をしたのかちょっとだけ振り返ってみようかなと思います。

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掃除も片付けも大の苦手ですが、年末だったので渋々大掃除をしました。
手のつけようがないほど散らかった部屋でゴミ袋を片手に黙々と片付けて、本棚を整理していくところまではまあよかったんです。
『あれ?そういえばこの棚より後ろって最近全く掃除してないし見てもないな…?』
気づくことができて結果的にはラッキーだったと思いますが、掃除中の私としてはアンラッキー以外の何者でもありませんでした。
部屋の端っこにある棚をどかした先にある床と、さらにその奥にあるカーテンすら3~4年開けていなかったであろう湿度高めの場所に位置する窓(隣の家と大通りに面していて、しかも真下にベッドがあるから軽率に開けられなかったというのは言い訳です)の詳細については思い出したくないので一緒にゴミ袋に入れてしまいますね。たぶん燃えるので次のゴミの日にでも出しておきます。
(セリ:清廉で高潔)

アイドルのオーディション番組を一気見しました。他の思い出と文体を揃えるために全部見たっぽい言い方をしてしまいましたが、実はまだ中盤くらいです。夢に向かって一直線に努力している参加者達を見ていると本当にすごいなと思うし、叶うことなら全員受かってくれー!!と思いながら見ています。
対する私にはこれだけなら誰にも負けないというものもなければ、器用貧乏だと言えるほど何でもできるわけでもない。圧倒的な努力を重ねている自信もなければ、努力量を補うことができるほどの才能もない。「自分なりに頑張る」「結果は伴わなくても過程が大事」って難しい。
(ナズナ:あなたに私の全てを捧げます)

昨日シルバニアの赤ちゃんをお迎えしました。ハスキーのふたごちゃんです。
子どものときに遊んだことがあるので「シルバニアデビュー」ではありませんが、とりあえず家の各所に並べて写真を撮って遊びました。すっごくかわいいです。
私の好きな”かわいい”は、”一見するとかわいいとは対の位置にいるけど、よく見ると実はかわいい”なんだと最近気がつきました。
ピンクで、小さくて、きらきらで、ふわふわで……もちろんこういう”かわいい”も大好きだけど、「かっこいい!……けどなんか今かわいかったな」「強い!……でもなんかかわいいな」の”かわいい”にすごく惹かれてしまうんです。かっこいいけどかわいいハスキーも多分そうですね。
今年はかわいいハスキーのふたごちゃんたちとあちこちお出かけしたいです。とりあえず明日学校に行くリュックに忍ばせておきますね。みんなに見せます。
(ゴギョウ:温かい気持ち)

中学生のときから追いかけているアイドルたちを初めて見に行きました。
正直なところ一番熱量を持って彼らを追いかけていたのは中高校生の時。最推しの彼なんて、出会ったときには4個も上だったのに、気がついたら今年で私が5個も年上になってしまいます。
twitterに流れてくるストーリーの更新予告に怯え、”7”のつく日付・時間に敏感になっていた当時と比べると、ストーリーには追いつけていないし最近の曲は全く分からないし、こんな感じで行っちゃって大丈夫かな?と思っていたのが事実です。
前日にセトリを予習した段階で知っていた曲は大体半分よりちょっと少ないくらい。これは多分本当に着いていけないんじゃないか、と思いながら行ったのに。
“聞いて地球どこにいても 出逢いに行くから”
まさかの前日からセトリが大幅に変更されて、私が最大熱量で追いかけていたあのときの曲がたっぷりのライブに。絶対にやらないだろうと予習もしていかなかった曲のイントロが流れ始めたときは、一緒に行った同年代オタクの友達と目を合わせて崩れ落ちかけました。新曲も最高に好みでもう半泣きです。出逢いに来てくれてどうもありがとう。
“また新しい夢を見ようよ Step on dream 一緒に”
(ハコベラ:私と逢っていただけますか)

前回お話しした「戦国無双」、年末年始もちまちまプレイしていました。画面酔いしてしまうので一気に何時間もはできませんが、現在豊臣秀吉が天下を統一したところです。
どうしても誰かに感想を話したくなって、中学生の時に戦国無双を貸してくれた友人に、友人の推しの伊達政宗が登場した辺りで久しぶりに連絡を取りました。
「マジで!?!?」「初見の人間の新鮮な感想を摂取すると命が助かるから実況してくれ」
本当に遠慮無く感想を投げさせてもらっております。明智光秀のかっこよさに気づいた直後に本能寺の変を戦わなくてはいけなくなったときはとても辛かったです。
どうやらここから先は自分が東軍につくか西軍につくか選んでプレイできるみたい。私は江戸時代も徳川家の15代将軍も好きなので、一旦東軍につこうかなと思います。でも三成とか秀吉も戦うのが忍びないほど魅力的なんだよね。どうしよう。
(ホトケノザ:仲間と一緒に)

久しぶりに夢中になって小説を読みました。藤崎翔さんの『逆転美人』という本です。
元々ミステリーは大好きですが、ものすごく察しが悪いので何を読んでも作者が意図したようにしっかりと騙されてしまい、読み終わったときにはいつも「うわぁ!!!すっっごい!!!」と感動しています。
『逆転美人』も帯に「ミステリー史上初の伝説級トリックを見破れますか?」と書いてあったので、『これは今まさに私騙されているな?』と思いながらページをめくり、最後には例のごとく「うわぁ!!!すっっごい!!!」と大感動。夢中になって読むあまり、バイト先に向かう電車では1駅乗り過ごし、1本見送って快速で帰ろうと思っていた帰りの電車では間違えて各駅停車に乗り込みました。
各駅で所要時間が15分延びたおかげで読み終わった『逆転美人』は現在2周目に入っています。2周目に入りたくなっちゃう気持ちを誰かと共有したいので、ぜひどなたか読んでいただけると助かります。絶対に紙で購入して読んでください。
(スズナ:晴れ晴れと)

初詣でおみくじを引きました。
「今はまだ、その努力が報いられることなく過ぎている。しかし、それにめげずに歩み続けなさい」
年が明けたらやろうと思っていた諸々を明日から頑張ります。
(スズシロ:適応力)

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七草粥のおいしさが分かるようになった今年、ちょっと大人になったなとつくづく感じました。ではまた。

参考http://chills-lab.com/lofday/7-plant/

上京3年目

福岡という東京から1100キロも離れた土地からはるばる上京してくると、当然、文化の違いに戸惑うことがある。文化の違いというと、例えばエスカレーターに乗る時に東京は左側に寄るけれど大阪は右側に寄るといった、分かりやすいエピソードを人々は求めたがる。しかし、実際に私が体感してきた文化の違いというのは、実に地味なものである。ものすごく地味であるが故に、逆に苦労するのだ。今日はそんな文化の違い話を聞いて欲しい。ちなみに福岡は東京と同じでエスカレーターは左側に寄るので苦労はしていない。

私が東京に来て一番苦労したのは、「からい」という言葉だ。私は、関東の人が「しょっぱい」という言葉を使う場面で常に「からい」という言葉を使う。塩味が濃いものは全て「からい」になる。なんなら塩そのものも「からい」になる。学食などを食べて、少しでも塩味が濃いと「からい」と言う。例えばそばを食べて辛いとか、チキンカツの味が辛いとか言う。関東の人にとって、辛いという言葉を使わないであろう料理の感想でしょっちゅう辛いと言うから、大学の友達によく「辛い?」と聞き返されていた。こっちは聞き返される理由がよく分からないので、「うん辛い」と返していたが、東京で1年くらい過ごしてやっと気づいた。塩味のことを関東の人は辛いと言わないのだ!関東の人も、まさか文化の違いで「からい」という表現を使っているなんて思いもしないから、私は辛味を感じやすい奴ということになっていた。

文化の違いが地味というのはこういうことを言っている。あまりにも地味なので、ある個人が変な奴だった、と判断されて終わってしまうのだ。

似たようなことは蕎麦でも起こった。福岡の蕎麦、うどんの出汁の色は黄色い。緑茶のような色を想像してほしい。東京の出汁は麦茶のような色をしているし、醤油味が濃いから、それとは全然違うことが分かる。福岡の出汁は薄いから、麺と一緒に出汁を飲むのは普通だ。出汁も一緒に味わうのだ。うどんをズルズル食べて、汁を飲みほす、なんて普通である。飲んで美味しいのが出汁だからだ。ところが東京はどうか。麺の汁を飲む、という文化が一切ないのではないか?たまにつけ麺に出汁割りなんてものがあるが、基本汁は飲まず、飲むとしたら薄めて飲む、という文化のような気がする。福岡出身の私が東京で麺類を食べたらどうなるか、ここまで説明したら分かりそうなものである。学食で蕎麦を食べて、出汁を飲んだ。横の友人に「え、汁飲むの?」と若干引かれた。私「え、飲まない?」友人「飲まない」。沈黙。飲んだ後の私「辛い!」。こういうことが平気で起こる。関東の人間には私はこう映る。

『蕎麦の汁を飲んで辛いと言う変な奴!』

誰がこんなことを文化の違いと思うだろうか。誰も私が生きてきた福岡では普通だったからそのような行動に出たんだな、などとは思わない。ある個人の狂気で終わるのだ。この地味な文化の違いに苦労する人間は多いだろうし、変な奴とは関東の人もあまり関わりたくないだろうから、全く東京に馴染めずに福岡に帰ってくる人が一定数いるのにも頷ける。

ちなみに蕎麦うどん関連にはもう一つ話があって、東京のうどんはかたすぎる。最初食べて、茹でてないのかと思った。本当に。福岡のうどんはコシがないふにゃふにゃだから、うどんはそういうものだと思っていて、東京でうどんを食べて、歯で噛まないといけないことに驚いた。うどんは噛むものじゃないと思っていた。あれ以来東京ではうどんを食べていない。蕎麦ばかり食べている。うどんを食べたい気分の時は蕎麦を食べている。うどんだけは東京で食べられない。味も食感も見た目も違うので変な気分になるのだ。蕎麦は福岡では全く馴染みがないので東京でも食べられる。あと福岡にはつけ麺もない。福岡の人はつけ麺を、つけて食べる麺の上位概念だと思っている。ざるそばとかそうめんのように、麺を汁につけて食べる麺の総称と思っているので、つけ麺という料理があると思っていない。だから私は福岡から東京に来た友達にはつけ麺をオススメしている。みんなこんな食べ物があったんだ!と感心しながら食べてくれるので嬉しい。

お正月、餅には何をかける?もちろん、砂糖醤油。砂糖に醤油をかけたあの味がたまらなく美味しい。(え、醤油に砂糖……?)と怪訝な顔をするでない。砂糖と醤油は、おいしい。

コンビニで肉まんを買っても酢醤油が付かないので驚いた。

かしわめし、が通じない。

ごぼ天、ない。

住み慣れた街を飛び出すというのは大変なことである。自分にとっての普通が普通でなくなる感覚は、体験したことのある人じゃないと分からないだろう。東京の言葉を「標準語」と呼ぶからか、どうも東京の文化こそが標準で、それ以外は異質だと思っている人が多くてやりづらい。私にとっての標準は福岡で、それは変わらない。しかし、それを標準だと言って周りに押し付けることはしない。東京のことも知って、学んで、馴染んでいくのだ。上京3年目、離郷3年目。