私の通っていた高校は卒業式が他よりも遅かった。
毎日、去年の今頃と同じようにXのタイムラインを無心で遡る。
「◯◯高校を卒業しました!」
「◯◯高校が僕を排出しました(笑)」
みたいな感じで、卒業式の看板の隣で誇らしげに笑い、写真を撮る高校生の写真たちが流れていく。
そんなに色々ネットに出しちゃって大丈夫なのかしら、とぼんやり思いながら去年の今頃に思いを馳せる。
春は出会いの別れと季節、らしい。
でもその別れを象徴するイベントがあるのは三月の頭。
春と呼ぶにはあまりにも寒すぎる時期だ。
卒業式と桜はなかなかセットにならないらしい。
去年の今頃、卒業ディズニーを謳歌していた。
もう着る機会もないから、と制服のスカートを三回折ってみた。
いつも膝にかかるくらいの長さのスカート丈がうんと短くなって、
短い、寒い、恥ずかしい!とひゃあひゃあはしゃいだのを覚えている。
校則が厳しくて、いつもこっそり一回だけ折っていたスカート。
それならあまりばれないし、見た目もちゃんと真面目に見える。
クラスの派手な子達はいつも二回、三回と折っていた。
先生に毎回注意されても、いつも強気に笑っていた彼女ら。
JKって最強なんだなァと、彼女たちを見ながら実感していた、そんなJK時代だった。
1回折るだけなら本当に普通だったのだ。
膝にかかるくらいの長さが、かかるかかからないか位の長さになる程度。
でもさらに一回、もう一回、と折るだけで見た目はがらりと変わる。
羨ましいと思ったことはない。
先生に注意されたくはなかったし、短いと下着が見えないかヒヤヒヤしてしまうし。
でも、ディズニーって夢の国だから。最後だから、写真に可愛く写りたいから。ね、と示し合わせた。
学校でない場所で着る制服がこんなにもカワイイなんて!
私の高校の制服はかわいい。
正直、本当に、どこにも負けないくらいに。
誇らしかった。高校生であることが。最強のJKであることが。
つい最近、卒業ディズニーに行った友達とディズニーに行った。
制服ディズニー、またしちゃう?(笑)みたいな話になって、することになった。
女子大生コスプレ制服ディズニー。とんだ笑い話だ。
制服のブレザーを探していたら、母に見つかってしまった。
制服ディズニーをするんだ、と母に言ったら「いつまで縋りついてんの」と返された。
鋭すぎる。いくらなんでも。正論である。
縋りつき大学生ギリギリ合法コスプレ制服ディズニー、は楽しかった。
確かに楽しかった。
だが高校時代の無敵感ときらめきは感じられない。
でも、制服のかわいさと、三折りスカートの短さだけは去年から変わっていなかった。
今回一緒にディズニーに行った友達以外にも、中高を共にした友人たちとは継続的に会って遊んでいる。
中高一貫の女子校だったので、ちょっとやそっとの環境の変化じゃ変わらない関係性があるのだ。
会えない友人でもインスタの投稿はお互いに見ていいねを押し合っているし、たまにDMのやり取りだってする。
でも、たまに思い出す。
受験期ぎりぎりになっても騒がしかった十分休憩の喧騒を。
わざわざ隣のクラスまで足を運んで話をしに行って、
意味もなく一緒にトイレに行って、
大きな鏡の前で意味もなく前髪を直して。
ハンカチを持っていなくて「女子力無さすぎ」なんて自虐を飛ばしたりなんてしていた。
今考えると青春、なんていうのはイベントや大会や部活なんかじゃなくて、そういう日常の一端なのかもしれない。
顔を合わせて話さなくたって、必ず毎日同級生が同じ空間にいた。
当たり前に毎日会っていたのを思い出すと、どうしたって寂しくなる。
決して過去に囚われているわけではないけれど、囚われたくなるくらいに楽しい六年間だった。
嫌なこともあったし、学校に行きたくなくて泣いた日もあった。
けど、終わってから振り返るとそれらですら懐かしく、愛おしく思う。
卒業式の日、担任は顔をぐしゃぐしゃにして泣いていた。
本当に、笑っちゃうくらいにグッシャグシャにして泣いていて。
退場する時、もう少しで泣きそうなところだったのに先生の顔を見て吹き出してしまった。
帰り道、母親に「大学では教員免許を取りたい」と話した。きっかけはその先生の泣き顔だった。
先生の泣き顔を見て、なんだか、先生っていいなあと思ってしまったのだ。
家に着いた後は、今度は私が泣いた。顔をぐしゃぐしゃにして。
後期の成績を見て、教員免許を取るのに必要な単位をまた数え直す。
うん、順調。
教師になりたいのかと聞かれると答えに困る。
中高生の人生の一部に携わって、人生を左右さえしてしまう職業は生半可な覚悟でなれるものではないし、
生半可な覚悟でなってはいけないと思う。
それでも私が教員免許を取ろうとしているのは、未来の私が後悔しないように、
教師になりたいと思った時に後悔しないように、である。
たまに、高校時代の先生と話す機会がある。
六年間、思春期にずっと面倒を見てくれた先生たち。私の話を、優しく聞いてくれた。
いろいろ話を聞いてくれた中で、強く印象に残っている話がある。
「先生になれば、ずーっとこの高校生を見ていられるのよ」
その話をしたのは職員室の近く。ちょうど合唱祭の時期だった。
私の一番好きな行事。昔歌った曲を、顔も知らない後輩たちが歌っている。
六年間しか許されない、閃光のような時間。
ずっと近くで見ているには、眩しすぎるような気すらする。
単位を数えて、来年とる単位を確認して、なんとなくSNSを開く。
卒業したばかりの高校生たちの写真。
あまりに眩しくて、羨ましい。