先輩たちは、ずっと舞台の上の人達だった。
私は他大学のお笑いサークルに所属していて、学生芸人の端くれとして細々と活動をしている。
そして、先週いっぱいをもって、サークルの4年生たちが卒業した。一年間大学お笑い界隈を牽引してきた先輩たちだ。
本当にかっこいい先輩たちだった。
今回は、そんな先輩たちのことについて書かせて欲しい。
学生にも関わらずプロの舞台でも活躍していて、関西の大会で決勝に進んだ先輩のことは同期みんなで集まって食い入るようにテレビを見た。
力いっぱい手を伸ばしても、かすりもしないような位置に先輩達はいた。
先輩たちは、舞台の上でいっとう輝く人たちだった。
私が初めて大学お笑いの世界に触れたのは2021年のアメトーークだった。
学生芸人出身の芸人が大学お笑いについて話す企画で、初めて「大学お笑いサークル」の世界に触れた。
去年M-1で優勝した令和ロマンや真空ジェシカ、ラランドなども学生お笑いの出身だ。
そこから大学に進学したらお笑いサークルに入ってみたいなぁ、と漠然と考えていた。私が今入っているサークルに初めてコンタクトをとったのも、ちょうど去年の今頃だったと思う。
初めて見に行った大学お笑いのライブは、4月の新歓ライブだった。
そこで見た先輩たちのネタは本当に衝撃だった。
正直「大学生のネタか、どんなもんなんだろう」という感じで見に行った。言葉を選ばずに言うとクソ生意気な1年生である。
結果、めちゃくちゃ笑った。本当に笑った。
こんな最高のライブを無料で見ていいのか?
私はこの人たちの後輩になれるのか?
心が踊った。ちなみに、その時に私が一目惚れしたコンビが今回の卒業生たちである。
雷にうたれたような衝撃を受けるほど面白かったのに、そのコンビは本コンビではなくサブコンビだったらしい。
プロと違って、たくさんのユニットを掛け持ちできるのも大学お笑いの楽しいところ。
サークルにはスタッフとして入会したが、一ヶ月経ったときに演者(芸人側)に転向した。
舞台の光が眩しくて、どうにも憧れてしまったのだ。
オードリー若林のエッセイで、こんなエピソードがある。
芸人を辞めて、社会人になったとしてもまたお笑い芸人に戻ってくる人がいるらしい。
その理由は、笑いを一身に浴びる感覚が忘れられないから。
その感覚を私も味わってみたいと、そう思ってしまったのだ。
スタッフとして入会したので組んでくれるような相方も見つからず、しばらくはピンでやっていた。
初めて立つ舞台。小さな劇場。
自分の書いたネタがウケる喜び、快感、手の震え。
大学お笑いの世界に入らなければ、実感できなかったものだ。
私はプロになりたい訳では無い。
プロと同じ舞台で戦う先輩は、憧れでしかない。
だからこそ、とにかく背中を追いかけ続けた。同期がどれだけ面白いネタを出しても、先輩たちには勝てなかった。
大きな背中を、走り、追いかけ続ける。
なのに先輩はどんどん先に行ってしまう。
ただでさえ面白いのに、もっともっと面白くなり続けていく。
今月、大学お笑いの大会があった。小さなライブはあれど、大学お笑いの大会としては先輩たちはそこで引退だ。
漫才、ピン、コントでチームを組み、戦う団体戦。
決勝戦は6組が優勝を争う。
私のサークルからは3組が決勝に駒を進めた。
全組面白かった。面白すぎた。圧倒された。
ただひたすらに面白くて、殴りつけてくるような笑いの波に溺れそうだった。
最後、大トリ。6組目は4年の先輩たち。
漫才、ピン、コント。三角形が完璧だった。
会場の誰もが、先輩たちの優勝を確信していたのではないかとさえ思う。
笑いながら、少しだけ涙が出た。
大きな会場で拍手笑いをかっさらう先輩たちがかっこよかった。
優勝の瞬間は思わず体が震えた。
先輩たちの4年間が報われた、そのうちの3年間は知らないし、この1年間もそばで観てきた訳では無い。
だが、この1年間、ずっと憧れていた。
ずっと背中を見てきたのだ。
ずっと舞台上で輝く先輩たちを見てきたのだ。
プロに行く先輩もいる。
社会人になる先輩もいる。
でも、皆一様にこのサークルから去ってしまう。
本当に逃げ足が早い先輩たちでした。
あとひと月もすれば、私にも後輩ができる。
後輩にも、でかい背中を見せてやりたい。