栄光の味
それはどんな味だろう
紅茶
それは永遠だろうか
罪は
罰によって
贖われ得るか
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三島由紀夫 『午後の曳航』
舞台は横浜港。日夜数え切れないほどの船が、汽笛を轟かせては現れ、水平線に溶けてゆく。
主人公の「登」(のぼる)は13歳の少年で、8歳の時に父を亡くしてからは母の「房子」(ふさこ)と2人暮らし。
メイドもいるような豪邸で、出稼ぎに行く母に残された「登」は退屈に染まっている。
ある日、船好きの「登」たっての願いで、母「房子」と「登」は船を見学していた。
案内役を買って出たのは二等航海士の「竜二」(りゅうじ)である。そんな彼の逞しい身体つきと、華々しい冒険譚。
船に乗り、未開の地へ旅立つ航海士は、退屈に染まる少年にとってまさに
【英雄】
であった。
否、「登」にとってだけではない。
同じく退屈に染まり、年に似合わぬ高い知能を持て余した少年たち。「首領」と呼ばれる少年を中心とした、6人組の中学生たちにとっても【英雄】とは甘美な響きであっただろう。
しかし、「登」にとって【英雄】との出会いであったこの日は
「房子」にとって新たな【旦那】との出会いであったのだ。
あぁ、そうだ。ここで皆様と、「登」の持つ「秘密」を共有しておかなくては。
彼の部屋には趣味のいいタンスがあるのだが、その引き出しを引くと、そこは時空のゆがみが広がっていて、中から青いネコ型ロボットが・・・なんてことはなく。
そう、引き出しを全て引き抜くとそこには小さな【穴】が開いているのだ。
誰が、いつ、何故、開けたのかなど見当もつかない。だが、少年にとってそんなことはどうでもいい。
今重要なのは、思春期真っ盛りの少年の部屋に、隣室を、つまり母の部屋の「ベッド」を覗き見ることの出来る【穴】が開いていることだけなのだから。
そこで少年は目にしてしまう。
【英雄】が、母という「女」によって、最も忌むべき【父親】へと変貌してゆく様を。
あぁ、あぁ・・・。【英雄】が、限りの無い大海原へと溶けるはずの、孤高の【英雄】が
今まさに、シーツの海へと蠱惑の女へと溺れてゆく。
「竜二」は、船を降り、あろうことか「登」の【父親】になるのだと言う。
あぁ!これは【裏切り】だ。そうだろう。少年たちよ。【英雄】に湧き、【親】という枷を厭う、自由なる少年たちよ。
「首領」たち6人組の少年は裁かなくてはならない。堕ちた【英雄】。この裏切り者を。
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さァ、少年たちの審判の行く末は、「竜二」の罪はどこへ着港するのやら。
三島由紀夫、『午後の曳航』。
ざっとあらすじをご紹介いたしました。舞台は先述の通り、横浜港でございます。
私めは事あるごとに「近代文学」が好きだ!!と叫びのたうち回り、近現代自主ゼミにも所属しているのですが…。その中でも、特に三島由紀夫さまの「文学」を愛しております。
そして、以前ブログでも書かせていただいたのですが昨年度の自主ゼミ旅行の行き先は「横浜」!
皆まで言わせるな…の構えです。そりゃあもう行くでしょ、聖地・・・!
主人公である「登」の母「房子」さんが切り盛りしていたのが、紳士もののスーツなど舶来の品々を扱う大変トレンディな【レックス】というお店です。
こちらの元ネタとなったのが【THE POPPY】という横浜中華街にある高級洋品店。
エメラルドグリーンの屋根と洋風な造形がとても美しいお店です。
もちろん行って参りまして、その時のお写真がこちらです。

も、猛烈に閉まってるゥ~~~~~~~~~~~ッッ!!!!!!!!!!
「ポピー~~~~~~~~~ッ!!」
今日のポピー:アイスランドポピー
花言葉:慰め
って感じですよもう。太子も顔負けの特大ポピー案件でしたとも、えぇ。
元ネタが気になる方は「聖徳太子 ポピー」で検索してみてください。
ちなみに、同日に向かった「大佛次郎記念館」も閉館してました。
もしかして:私、ツイてない。
本当にもうお涙ちょちょぎれ通り越してブチ切れですが、私めは理性ある淑女でございます故、いずれリトライすることにいたします。
もし、もしもですよ??横浜近辺にお住いの日本女子大生さんがいらっしゃって、お写真を撮ってくださってもいいという神様がいらしたら…私めに恵んでいただいても…あの…(諦めが悪い)
あ!あとですね、「ライチ☆光クラブ」という演劇が原作の漫画作品があるのですが…ご存知の方はいらっしゃいますでしょうか。もしお好きでしたらきっと『午後の曳航』もお楽しみいただけるのではないかと思います。なにせ、作中に登場する「首領」と呼ばれる少年を中心とした6人組の男子学生たちは、どことなくライチの彼らと近い雰囲気や香りを漂わせていますから。
そのようなワケで、もしライチがお好きでしたら是非とも三島由紀夫作品を一度お手に取ってみていただきたい。
ちなみに私の推しはタミヤとデンタクです。
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そんなこんなで、聖地巡りは何とも言い難い形で幕を下ろしましたが、、、
何とも言い難い形で幕を下ろすのは作品も同じ。
ネタバレになってしまうかもしれませんので、未読の方はここまでの方が具合がよろしいかと存じます。
(重大なネタバレはしていないので、未読の方はただただ意味が分からないだけやもしれません)
そう、エンディングなのですが、ある種芥川龍之介の『羅生門』を彷彿とさせるような。。。
自主ゼミの先生とこの作品についてお話していたところ
「あなたはこの作品のエンディングを最後まできちんと書いてほしかったと思いますか?」
と聞かれたのです。
この質問についての返答、かなりの悩みどころでございまして・・・。
もしも読んだことのある方がいらっしゃいましたら、、、貴方様でしたらどのようにお答えになりますか?
実のところ私めは「書いてほしかった」といった返答をいたしました。
「蛇足」なんていう言葉もありますが…
もちろん、書いてしまった事により、それが既に完成された世界観を壊してしまうリスクは重々承知しております。
また、何より読みの解釈の幅を限定してしまうことに他ならないでしょう。
例えるならこの美しい作品はカップの縁、ギリギリまで溜められた紅茶。
表面張力によって保たれている、張り詰めた美しき世界。
そこにたった一滴。ヒタリ。それから、パチン___.
その一滴が決定打となって決壊してしまう。
それらは全く否定のできない可能性です。それに、私は実際、そのはち切れそうな紅茶の膜を愛しているのです。
ではなぜ、その美しき、己の愛する物を壊そうとするのか。
単純なことです。読みたいのです。
三島さまの文章を文字を1文字でも多く、読みたいのです。
ただただ供給に飢えるだけのオタク心なのです。
本当にこのオタク心は、低俗で安直でヤッカイ。
※ここでのオタク心は私個人のものを指し、それ以上の意味は持たない。またこのブログの意味はおそらく作品をお読みにならなければ支離滅裂。ぜひご一読ください。
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ねぇ、栄光の味はどうでしたの?
あの感想は語り手がお喋りになっているだけですもの、私は【英雄】さんにお聞きしているの。
口をつけただけで、あれはまだアナタのお腹には届いてもいませんわ。
なら、あの瞬間、あのお紅茶は永遠になったのね。
お紅茶は永遠なのかしら、罪は罰によって贖われるのかしら、
あの少年たちは裁きを下さんとした、ではその少年たちは
ねぇ、あの時の猫さんはどうお思いになるかしら!