おすすめコスメ

もう梅雨に入ろうとしていますね。こんにちは、さゆりです。

 この一か月、ゴールデンウィークを過ぎてからが色々と重なりすぎて胃がきりきりしていましたが、心配事もなんとか終わり、ようやく本腰を入れて卒論に取り掛かれるぜ!という状態までやってきました。弱気になった時は推しの声を聞いて自分を奮い立たせていたので推しに感謝です。あと家族や友達も。

さて、今回はメガ割目前なので前回までのメガ割で購入したおすすめコスメをご紹介したいと思います。一応確認しましたが過去に紹介したものとはかぶっていない、はず。多分。かぶっていたらめちゃくちゃいいんだなぁと思ってください。

1,COSRX プロポリスシナジートナー

有名ですね。かなりさらっとしたテクスチャで強い匂いはなく、保湿力は控えめ。浸透力はそこそこです。

特別とがった癖はないのですが、使っていないと肌がざらついて荒れてくるので肌が揺らぎがちな方におすすめ。肌荒れが収まるスピードが速く、花粉で毎年肌が荒れるシーズンでも特に変化がなかったのはこの商品のおかげかと。3か月つかって3分の1程度余っているぐらいなのでコスパもいいです。それまでは日本のメーカーのトラネキサム酸やセラミド配合のものを使っていたのですが、エタノールが染みたりどうも浸透が遅くいつまでも肌に残る感じがあまり好きではなかったので気に入りました。

安価からプロポリス配合のスキンケアを試してみたい方にもおすすめです。

2,Flower Knowsスワンバレエシリーズリキッドアイシャドウ

パケが可愛いことで有名なフラワーノーズですが、中身も舐めてはいけません。中国コスメ特有のド派手ファビュラスな心ときめく輝きを放ってくれるグリッターです。公式ショップのセールではなんとびっくり2本で2000円弱。

私は何を使ってもよれるぐらいアイメイクが滲みやすいのですが、このグリッターは全くよれずに涙袋にステイしてくれるので安心感があります。逆に言うとつけ過ぎると取りにくいです。量の調節になれなくてつい盛りすぎてしまうのでベストなつけ方を模索しています。カラバリが5色あるので肌色に合わせやすいですよ。

3,WAKEMAKE アイシャドウパレット07 ソーダコーラルブラーリング

最近バズっているウェイクメイク。しっかり発色し粉質はふわっと粉含みがよく、ラメの密着度が高いタイプです。粉がやわらかいからなのか、割と粉飛びしやすい点、しっとり系の質感ではない点から目元のレイヤリングが多い方にはあまり向いていないかもしれません。が、そんなことはどうでもいいぐらいに可愛い。珍しくくすみが全くないクリアな配色のパレットなので清色が得意なタイプの方におすすめです。かわいい!

4,ビープレーン シカテロル カプセルバリアクリーム

アンプルと一緒に購入しました。小さな粒が入ったこってり系のクリームで、ビュリービュリ―の下地同様伸ばしていくと粒がつぶれるタイプのクリームです。

私は食生活の乱れでニキビができやすい体質なのですが、これを塗っていると治りが非常にはやいので助かっています。ちなみに使い切りました。COSRXのプロポリスクリームも購入して比較したところ、ビープレーンの方がやや伸びが悪くべたつきがある分、翌朝の洗顔で洗い流した後もしっとりと保湿されていました。表面のみの保湿というより奥までしっかり水分チャージしてくれる感じです。肌荒れしやすく肌に刺激を与えたくない方、乾燥しやすい方に。

5,Peripera オールテイクムードパレット15 チューリップオロジー

私の推し。安い!かわいい!使いやすい!のトリプルコンボでとてもお気に入りです。

アイシャドウには珍しく横に細長いパレットで、色はかなり淡めです。彩度が高いものでないと発色しないタイプの方は物足りないかもしれません。でもこれが可愛いんですほんとに。

マット、ラメ入りのマット、ゴールドラメ、ぎっしり詰まった偏光ピンクラメという最高の組み合わせで全く飽きません。質感の違うラメ入りの、特に偏光ラメがあるパレットが大好物なので使うたびうっとりしてしまいます。しかも粉質が良く全く粉飛びしない上にいくら重ねてもパサつかないので大天才です。最近クールトーンの新作も出たので是非チェックしてください。

6,ダルバ トーンアップサンクリーム

これも結構有名な日焼け止め下地ですね。ほんのりピンクでみずみずしく、保湿力が高く、肌に上品な艶と血色を与えてくれます。あとなんといっても香りがいい。柑橘系のソフトな香りで、きつさがないのがとても好きです。アロマ系の香りが好きな方であれば使うたびに癒されるはず。香りが残らないのでマスクの中にこもることもありません。

カバー力はありませんが、水分感たっぷりなのでベースに厚みを出したくない肌が薄めの方は合いやすいかと思います。どんなファンデにも合わせやすく、他に浮気しても戻ってきてしまいます。好きです。最近本気の紫外線対策のため金のアネッサを買ったので、オフの日や手抜きしたい日用にマイルドタイプを買おうと考えています。

以上、メガ割おすすめコスメでした。知らない人はいないかと思いますが超名品のロムアンドの眉マスカラも好きですし、グラスティングウォーターグロスの00番メテオトラックも好きです。よかったら公式ショップを見てみてください。

さぁ、次のメガ割は何を買おうかな!!近々また更新するのでこの辺で失礼します。ではまた!

四年に一回

秋の始まりと同じぐらい過ごしやすかったはずのゴールデンウィークなのに、また今年もやたら暑かったですね。Tシャツが嫌でもヨレヨレになります。

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さて今回お話するのは5月5日に行われた、九品寺浄真寺の二十五菩薩来迎会、通称お面かぶりについて。

詳細を話す前に、どれぐらい珍しいものなのかをお話しましょう。

公式ホームページ(二十五菩薩来迎会(おめんかぶり) | 行事 | 九品仏淨眞寺 | 九品山 唯在念佛院 浄真寺)(最終閲覧2025/3/19)をみると、

これは江戸の時代より※四年ごとに奉修される「阿弥陀如来二十五菩薩来迎会」のことで、都指定 無形民俗文化財(民俗芸能)に指定されております。
※元来は三年毎でしたが、令和六年奉修後《四年毎》に変わりました※

とあります。四年に一度。今年やったら次は二〇二八年。逃したら忘れそうな感じですね。タイミングよく気づけました。

ちなみにおめんかぶりについて、当日配られたご住職による説明書きには、

当寺の開山珂碩上人(略)臨終の正念往生を勧められんが為に此の寺を開創せられ、(略)臨終の御来迎を顕章せんが為に来迎会(通称おめんかぶり)の御法要をお示しになりました。

「おめんかぶり」は浄土よりの御来迎の佛菩薩を表わすもので、一つには臨終の御来迎にあやかる為に、二つには念佛行者の信仰生活と佛の護念光照を喜ぶ為に信者の方が進んでお面をかぶり、練行列に加わる関東に於ては当山のみの独特の相続行事であります。

とあります。上記のとおり、このような練行列は関東ではもっぱら無く、関西だと大念仏寺の万部おねり、當麻寺の練供養会式が挙げられます。

大念仏寺万部おねり 万部おねりとは | 万部おねり | 融通念佛宗総本山 大念佛寺 -大阪市平野区-

當麻寺練供養 練供養会式 | 季節の行事

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さてそんな珍しい行事を現在もなお行っている浄真寺はどんなお寺さんかというと、正式には九品山 唯在念佛院 淨眞寺。九躰の阿弥陀如来坐像の安置していることから「九品」の名がついたそう。寺に置いてある『浄土宗九品山淨眞寺略縁起』曰く、先ほども引用の中で触れた珂碩上人が四代将軍徳川家綱の代に、「奥沢城跡であったこの地を賜り、浄土宗所依の経典である観無料寿経の説相によって堂宇を配置し、この寺を創建」したそうです。

境内図はこちら→境内図 | 拝観のご案内 | 九品仏淨眞寺 | 九品山 唯在念佛院 浄真寺 の通りで、入り口付近から、閻魔堂、開山堂、観音堂、龍護殿(ご本殿)、珂碩上人御廟、上品堂、中品堂、下品堂、五社殿の九つの建物があります。

ご本殿には本尊に釈迦牟尼佛像や五劫思惟像などが安置されており、先ほど話題に出した阿弥陀仏は、上品・中品・下品にそれぞれ三躰ずつ安置されており、これが九品の由来で、他に仁王門の上にもいらっしゃいます。

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さて、いざおめんかぶり。一日に二回行われるのですが、私は午前十一時の回に参列しました。境内は流石の混みようでしたが、京都三大祭りを乗り越えた私にはなんてことありません。しかし、当日は本当に暑く、もうバテて倒れる人がいることは目に見えるような気候でしたから、参列者には団扇が配られました。その団扇はおそらく二~三種類あったらしく、隣に立っていた方と柄が違うわね、などといって盛り上がりました。

おめんかぶりの行列は、本堂と上品堂の間に柱がかかっており、そこを計三回、行き来します。橋の柱には阿弥陀経に詠まれた二十五の仏様の名前が一名づつ刻まれており、今日だけの為に拵えたものかと思われます。

コーン、コーンと鐘楼の音が鳴り響きます。上品堂から、お念仏が本堂側から聞こえる中、菩薩様だけがやってこられます。阿弥陀如来さま、観世音菩薩様、勢至菩薩様、薬王菩薩、薬上、法自在王菩薩様、獅子吼菩薩様、陀羅尼菩薩様、虚空蔵菩薩様、徳蔵菩薩様、宝蔵菩薩様、金剛菩薩様、金剛蔵菩薩様、光明王菩薩様、山海慧菩薩様、華厳菩薩様、衆宝王菩薩様、月光菩薩様、日照王菩薩様、三昧菩薩様、定自在王菩薩様、大自在王菩薩様、白象王菩薩様、大威徳王菩薩様、無辺身菩薩様と、お付き添いの方々(お面は重い上に前があまり見えません)が、お渡りになります。暑いので、お付き添いの方は、如来さまたちにうちわをふっております。そして本堂におつきになると、本堂でしばらくの御法要があります。

しばらくして、鐘楼の音が鳴り響き、こんどは銭湯に開山上人御厨子及衆僧稚児が菩薩様と一緒に上品堂へ向かいます。

そしてまたしばらく待って、また鐘楼の音が鳴り響き、三回目のお渡り。お念仏が唱えられながら、まず、緑色の衣を着た道成寺の雅楽隊が先に行きます。雅楽泰の前には振り籠を持った男性。四歩進むごとにとんとん、と橋の床を叩きます。さらに続いて上人が行くと、菩薩様がやってきます。そして菩薩様に続いて浄土宗三十八のご住職様が練り歩きます。そして、散華を振りまくのです。

私は貧血になってしまい、ちょうど帰ろうと橋の下をくぐっている時に散華が上から舞い降りて来たものですから、つい嬉しくて胸元に降りて来たものを一枚お持ち帰りしました。

動画でのご様子は、公式があげてましたのでこちらをどうぞ。

https://www.youtube.com/live/2MtoncjPXs0?feature=shared

鐘楼

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ばててしまったので、自由が丘のサイゼリアで涼んで、551にそっくりだという肉まん(全然似てない、551を求めるならば新幹線代をケチらないべき)を食べて帰りましたが、本当に人の情含めて素敵なお寺だったので、涼しくなったらまたお伺いしたいです。

本日の読みたい本

『よくわかるお経読本』 瓜生中 角川ソフィア文庫 

お経は法典を歌詞にしたミュージックだ。謡う人や宗派によって違うし、歌詞さえ理解できればもっとお経が面白く聞こえてくるものだ。

本著はひとつづつのお経の、概要・内容解説と、ふりがなによる読み方指導を行う本だ。

元が法典ということで、仏教=墓場のイメージが強い日本人にとっては暗い印象を抱くだろうが、法典の内容は物語であったり、嘆願である。最近の曲とさして変わらず。楽しみは多い方がいいだろう。是非読んでみて、今後のお参りにお役立てください。

私の発想の源

皆さんこんにちは。みちこです。

ブログ部で記事を書き始めて以来、初めてお休みをいただきました。

GWとブログ部、2種類の意味での休み明け文章でございます。はい。

逆にここまで書かない期間が長くなると、何を書いていいのやら悩む、というのが今回の初休みに関する感想です。

ここまで来るのに何度書いては消し、書いては消し、を繰り返したことでしょう。今回はさすがの私でもお手上げです。基本こういうことで悩むのあまりないんですけどね…。

今まで内容的にはじっくり腰を据えて書くような内容の文章が多い上に、私もこれら自体に対して発信することがあまり苦ではないと思っていたのですが…もう出尽くしてしまったのか…?

いや、そんなことはありませんね。

現に、「自分を認めてあげる方法について」とか、「自分の変わった思考の話」とか、話しきれていないことはたくさんあるはずなんですが…。

おそらく、文章を書くのにある程度の時間を要するからであると思いますね。

この記事を書いていること自体に、私は「思考の整理」という意味を見出しているため、自分が納得できる文章でないと、皆さんにお披露目したくない、という思いがあってのことなのかもしれません。

なんだか、締め切り前の作家さんの心情を体験しているかのようです(笑)

というわけで、ブログを書き始めて以来初めての難産文章になることをご理解いただいた上で、次から始まる文章をお読みください。

今回のテーマは、さんざん悩みましたが、「発想の源」というテーマにすることとします。

先にも述べた通り、私は意外とアイディアがポンポン出てくるタイプの人間です。

特に、こと創作物という点においては、ふとした時に頭の中に浮かんできます。

道歩いてる時とか、とにかく一人で何かを考えてる時ですね。

その中で思考を重ねていくうちに、芋づる式に、あれよあれよと様々なアイディアができていき、結果数は多くなっている、という形になります。(アイディアの質はどうあれ、です…。)

そこで今回は、私の頭の中の整理も兼ねて、「私の発想は一体どこから来ているのか」ということについて、お話していきます。

結論から言ってしまえば、私の発想の源は、「音楽」から来ていると思います。

基本的に私は、何をするにつけても必ず何かしらの「音楽」を聴いています。

BGM系もそうですし、歌詞のある曲も当然聴きます。

課題をやる時もそうですし、創作物を作る時はもちろん、実はこのブログを書いている時も、私はずっとBGMを聴きながら書いてきました。

なんだろう…。個人の感覚なんですけど、何かしら音がないと、耳が寂しいんですよね。

その感覚があるので、作業をするたびに必ず音楽を聞いていたら、いつの間にか音楽から感じることを言葉に綴れるようになり、それを創作物の糧にしていったり、気分を整えたり、みたいな使い方をしていました。

なので、元気になりたい時は、はねるような曲調のものを聴くし、感傷的な、少し物悲しい気分になりたい時はそういう系統のBGMをわざわざ選択しています。

気持ちのチューニング、みたいなものかもしれません。

日常知らぬ間に感じているであろうストレスを、イヤホンをつけ、そこから自分のなりたい気分にあわえたBGMを聴くことで、自分の感情を無意識にコントロールしているのかもしれません。

イヤホンから流れる音楽って、閉鎖的な空間だけど、それが私にとって最も落ち着くからかも知れないですね。私は圧倒的イヤホン派で、正直ステレオ派の気持ちが理解できません。音が広がって全体を包み込むようなあの感覚は、何かに抱かれているかのようではありますが、あまりにも空間が広すぎやしませんかね…?と私は思っています。

また、私は一人の時間が絶対に必要なタイプの人間なので、ずっと人と一緒にいると疲れるタイプの人です。

なので、イヤホンから流すことで音を閉じ込めて、自分だけがいる空間を作り出します。そうすることで、音楽の世界にどっぷりつかれる上に、気持ちの整理をしたり、その過程でアイディアまで得られたり。こういった感じで、一石三鳥くらいのフェーズに入ります。

で、曲からインスピレーションを得た私は、さらに自分の中で発想を広げていきます。

ここから先の思考回路に関しては本当にもうよくわからないので説明できないのですが、唯一言えることは、「関連性のあるモノをどんどんつなげて考えていく」ということです。

芋づる式の思考回路、と先ほども言ったように、本当に私の思考回路は「連想ゲームの連続」です。

「脳内マジカルバナナ」を永久に繰り広げていっております。

そうして出たアイディアを、思いついたままにしゃべっていく、というのが一連の流れかな、と思っています。

これに関しては、理解できない人の方が多いと思います。現に私も自分自身が理解できていません。

なので、こと自分の思考回路、ということにおいて言葉で説明するというのは至極難しい、という結論を提示し、この文章を終わりたいと思います。

次はソロ活についてでも書こうかな~。あれは案外楽しいものですよ~。

またテーマは変わるかもしれませんが、そこは悪しからず。

それでは、ここまでお付き合いいただきありがとうございました。

失礼いたします。

パソコン作業をする時、椅子は低い方が良い。

 世はゴールデンウィーク、皆さんは今年何をされましたか。私は天気のいい日も暑くて半袖を着るような日も家にこもって卒論を書いておりました。腰肩首がありえないほど凝り固まり痛みも生じ悲鳴をあげていたので、絶対今週整骨院に行きます、今週の必須タスクです。
 卒論の話を始めるときっと私はずっとずっとしてしまうので程々にしておきますが、私の卒論、なかなか面白いぞと思って書いていました。まずテクストが面白くて先行研究や集めてきた資料も面白いので、まあそりゃ面白くなるしかないだろとは思いますが、私もその面白研究たちに参入するぞ〜という気持ちで書いております。何とか自分の手で面白いものを生み出したいという気合いだけは十分。でも結局自分が面白いと思えるか、興味を継続できるかって大事だと思うのでそういう意味では私は良い卒業研究ライフを送れているのかも。対象テクストにはおととし受けた講義で出会ったので感謝ですね~。
 卒論のはなしはほどほどにと言いつつ今回の更新は卒論に関係した内容になるんですが、私の研究しているテクストが『楢山節考』という棄老説話を下敷きに書かれた小説でして。これを初めて読んだ時、思わず私は自分の祖父母のことを考えました。小学校高学年まで私は曾祖母が二人存命だったのではっきり記憶があるお葬式は彼女らのものでした。曾祖母たちとは話したことはあったけれど、二人とも私が物心つく頃には徐々に認知症を患っていたようで、どんな方だったのかは両親や祖父母、親戚から聞く程度でした。その頃曾祖母たちやかわいがってくれた親戚の方が立て続けに亡くなりお葬式に出ました。生死の概念は分かっているのだけれど、それでも彼女らと一緒に生きた時間が短すぎて死の影響みたいなものがあんまり分からなかった。まあ小学生ってそういうものなんでしょうけど。自分の中で死は遠くて、でも大人が悲しんでいるのは伝わってきて、ぼんやりと死って怖いな~とか思ったような気がします。死生観って言葉がありますね、私のそれは非常に簡潔です。私は健康に300歳くらいまで生きたい。だってやりたいことも知りたいこともきりがないから。終わりがあると思うから人生を頑張れるのも分かるんですけどね。実際私は「今苦痛でもいつかこの先の自分にとっては意味あることになるんだろうな」と思いながら嫌なこと辛いこと乗り越えるタイプですし。ただ私はできるだけ元気に生き続けたいし、なんとなくできると思っている。いや、実際に300歳まで生きられないことは分かっているんですが、でも漠然と私はずっと生き続けることができるんじゃないかと思っている。それが若さなのかもしれないですね。そして私はそれを自分だけじゃなく両親や祖父母、家族、人類皆にも漠然とそう思っている。変わらずに続くものはないんだけれども、変わりながらも日常は続いていくと思っている。いやこれも分かっているんですよ、祖父母が身体の不調で手術を受けていることも病院に通っていることも。深層にある変わることへの恐怖を、変わらないと思いこむことで表に出さないようにしているんだろうななどと自分の心理を分析してみましょうか。変化って、怖ぇ~!と思う質なのでね。結局この手の話って限りあるものを大切にしようね~という結論に至りますが、まあそれに尽きますよね。私はできた人間には到底なれないが最低限どこか一部分だけでも人に誇れる人間でありたいと思うのって、私自身が家族や今まで関わってきた人間のことを大事に思っていて、人の顔に泥を塗るような人間にはなりたくないと感じているからだろうなと最近は思います。自分を大事にすることって人を大事にすることと直結すると思っているので。なんか今回、主題の重くて暗いテクストと向き合ってると自分の頭の中も暗くなっていくっていうのが手に取るようにわかる内容ですね。私という人間、影響を受けやすすぎる。
 テクストを読み込んで研究していく時、こういう感情の面は一旦置いておいて、あくまで論理的に何が言えるか考えるのが基本です。だから実際書いている途中はこういうことは頭にありません。でもこのテクストを研究しようと思ったきっかけは初読の感想で今回のブログに書いたようなことを思ったからですし、ちょっとキリがついた今なんかはこういうことを思い出すわけです。卒論を書く上で、テクストと向き合い先行研究と向き合い自分の論理的思考の部分と向き会う必要がありますが、感情の部分とも向き合って自己の在り方を見つめてしまうようなこのテクストはやはり面白いなと思います。少なくともあと七か月は卒論のことで日々頭を悩ませる生活が続きますが、これも限りあるものとして楽しんでいきたいです。では。

わたげ

こんにちは。もうすっかり春ですね。というより、もうすでに夏のようですね。街を歩けばたんぽぽの綿毛が飛んでいます。綿毛――耳に綿毛が入って――懐かしいセリフが頭の中によみがえります。

私は幼少期にディズニーアニメーション「くまのプーさん」シリーズを見て過ごしました。同じ話を何度も繰り返し再生し、すっかりセリフまで覚えてしまうほどでした。ベッドで寝言を言うプーさんの真似をして、布団に入って目を閉じながら一人ブツブツとプーさんのセリフを声に出していたら、母が不審な顔で様子を見に来たこともあります。1つお断りしておきますが、当時の私に「寝言」という概念はなく、プーさんは意識的に独り言を述べているものと思っていました。

こういうふうに、子どもの頃は何も理解せずにプーさんのかわいさだけを見て楽しんでいたものですが、大人になって改めて見返してみると、プーさんはお話の中で結構とんでもないことをしていることに気が付きます。例えば、ピグレットが自分の体の小さいことに申し訳なさを感じて家出をしてしまう話では、プーさんを始め残された仲間たちがイーヨーを水で縮めたり、ピグレットの服を着させたりして“新しいピグレット”にしようとするとか。まあ最終的に、ピグレットは旅の途中で蟻さんと出会い、小さな生き物もありのままでいればよいということに気が付いてお家に戻るというハッピーエンドなのですが。

そう、こんな話もありました。

ちょっとばかりやんちゃが過ぎたティガーさんにラビットさんは怒り心頭。プーとピグレットを呼んで、ティガーさんをこらしめるための作戦会議を開きます。ラビットさんの計画によると、ティガーさんを連れて霧の立ち込める森の中に行き、そこにティガーさんを置いて帰るというものだそうです。そうしたらやんちゃなティガーさんも困って、少しは大人しくなるだろうとのこと(やりすぎじゃない・・・?)。ピグレットは案外真面目にラビットさんの話を聞いて質問したり納得したりしているのですが、プーさんは何だか静かです。

ピグレット:「プー、今のラビットの話聞いてた?」

補足しておきますが、このときプーさんはとても眠たそうな顔をしています。

プー:「ん?なんだっけ?」

ピグレット:「ティガーをこらしめようって話だよ」

プー:「んー、途中で耳に綿毛が入って、よく聞こえなかったんだ」

ラビット:「もう一度説明するのは構わないが、どのくらいで入った?」

プー:「耳に綿毛が入ったところからもう一度説明してくれない?」

そうです。作戦会議の途中でプーさんは睡魔に襲われてしまい、ラビットさんの話をほとんど聞いていなかったのです。自分がうとうとしていたことをプーさんは自覚していたのかどうか怪しいですが、話を聞いていなかった理由を「綿毛が耳に入ったから」というふうに弁明しているのです。ちょっと苦しい言い訳ですが、ラビットさんは信じてくれたようです。ちなみに、この後置き去り作戦は実行されるのですが、ひょんなことからラビットさん自身が森の中で迷子になってしまい、ラビットさんがティガーさんに助けられるというオチになっています。ティガーさん曰く、「ティガーさんは森の中で迷ったりしない」とのこと。

「くまのプーさん」のお話については、話し始めると止まらないのでこのくらいにしておきますね。文字に起こすと物騒なことばかりしているように見えますが、アニメーションでは仲間たちみんなで頻繁にパーティーを開催したり、お互いを思いやって何かプレゼントを贈り合ったりと、もっとほんわか温かい話がたくさんありますのでご安心ください。何よりそのにっこりしたときの顔とか、柔らかいおなかとかがたまらなくかわいいので、大人になった今でも「くまのプーさん」は大好きです。

続・能楽堂への誘い

巷には黄金の休暇が訪れているようですが・・・皆様、いかがお過ごしでしょうか。本日のお相手はまどかです🐧

私ですか?えぇもう、それは存分に。ぞんっっぶんに!充実した毎日を過ごしておりますよ。バイト、バイト、演習準備、バイト、演習準備、課題…という具合。

10連休?知らない子ですね。


・・・。

どこ行っちゃったのォ~~~~~~~~~!!!?????わちきのゴールデンウィークぅぅぅ!!!
数日前、母親に「一応聞くけどGWどっか出かけるの?」と問われ、「・・・。ははッ、、(乾いた笑い)」という問答をした虚しさといったら!


はあ…。一先ず「私の黄金の休暇」の捜索願を出すとして、そろそろ本題も探しに行きましょうか。
本題の捜索願はブログを書き始める前に出しておきましたのでね、ご安心ください。そうです、ブログタイトルで全力ネタバレしております。未熟者の私めにはオシャレさも捻りも無いのでございます。

城之内さんも顔負けのネーミングです、伝わるのでしょうかこれ。


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そんな件のタイトルですが、、「続・能楽堂への誘い」ということで。まさかの、ありがたいことに続いちゃいました。

なんと前回と同じく、今回も本学の石井倫子先生を中心とした「プチ能楽鑑賞会」に参加させていただきました!前回は桃の節句の頃に国立能楽堂を訪れたのですが、プチ能楽鑑賞会への参加方法も併せてご紹介しておりますので、よろしければご覧くださいませ。
※参加方法はそちらでご紹介しております為、今回は割愛させていただきます。

https://mcm-www.jwu.ac.jp/~nichibun/blog/index.php/2024/03/05/



さて、この度観劇させていただいたのが4月27日に行われた「響の会」の第64回公演。演目は「大原御幸(おはらごこう)」・「川上」・「猩々乱(しょうじょうみだれ)」でございました。
「大原御幸」と「猩々乱」がお能で、「川上」は狂言です。


いずれも見応えのある作品ですが、中でも「大原御幸」というお能の上演時間は120分ほど!
一般的なお能の上演時間は60分~90分ほどのものが多いため、「大原御幸」はかなり長い方なのではないでしょうか。
その一方で、「猩々乱」は上演時間が45分ほど。こちらもビックリ、スタイリッシュすぎる上演時間です。

さらに、その2つを比べますと…

「大原御幸」➞かの有名な『平家物語』灌頂の巻の「先帝身投」などに取材した少々重いストーリー
「猩々乱」➞異類の存在である猩々(妖精みたいな、ともかく人外)が紆余曲折あって酔っ払いながら舞うといった明るいストーリー

このように話の長さも内容もまさに両極端なのです。


殊に、「大原御幸」は上演時間が長いことに加え、基本的には終始登場人物たちが座して対話するのみという非常にシンプルな演出となっているため、演者さんにとても技巧が求めらる作品なのだとか。
それら諸々の理由から、こちらの作品は公演の機会そのものが稀。SSR級でございます!

また、「猩々乱」は舞が「双之舞」という2人(匹…?)の猩々で舞う特別演出となっていたり、狂言の「川上」はコメディ要素の強い狂言の中でも珍しいシリアス系の作品だったりと中々お目にかかれないレアな要素が目白押しでした。
ガチャでいうところの3枚引きみたいな。



そのようなワケでして、見所紹介どころか見所しかないのです。どこを切り取ればよろしいのやら。いやはやどこも切り取りたくありませぬ、叶うなら全部ご覧いただきたい。

しかしながら、そうは問屋が卸さない。ですから、せめて、せめて私が試供品となりまして、皆様に少しでも能楽鑑賞の魅力をお伝えできればと存じます。



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先述の通り、「大原御幸」という公演機会の稀な作品を観劇できたことはもちろん、作品の舞台となる寂光院を表現するための「大藁屋」といった「作り物」(舞台装置や大道具)を実際に観ることができ、どの場面もとても印象的でした。


ミュージカルを始めとする舞台では多くの場合、舞台装置や大道具が登場しますが、能楽においては基本的に能楽師さんの演技や観客の想像力こそが舞台を支える舞台装置です。その為、今回のような中に人が複数人も入ることのできる規模の「作り物」は初めて拝見いたしました。


造形といたしましては、竹製の小屋のようなもので屋根付近には植物のツタが表現された、中に台でも置けば夏祭りの屋台にできそうな感じでございました。私の悪しき例えと想像力で途端に俗っぽくなってしまいましたが、、舞台が展開されてゆく中で、その夏祭りの屋台はいつの間にやら「侘し気な空気と趣をもつ寂光院」へと姿を変え、そこに息づく尼たちと完璧に融合していたのです。


こちらの大藁屋は流派によっても違いがあるようで、観世流と金剛流の大藁屋は3人の尼が座することの出来る、ひときわ大きなものであるようです。今回観劇したのはまさにその観世流であり、幸運に幸運が重なったというワケです!

そして、この作品はツレやワキツレが複数人いるなど登場人物が多く、壮観であることに加え、法皇や女院の高貴な身の上に対する視覚的な説得力がハンパじゃありません。何よりも、建礼門院の纏う侘し気な美しさと、拍子に寄り添うような安定した語り。そうでありながらもそこかしこに滲む複雑な情感には目を奪われました。
この作品に終始流れる、厳かでどこか寂寞とした空気感は独特としか言いようがありません。
幾重にも丹念に細工された、繊細な硝子細工のような魅力が溢れていました。

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続いてもう1つのお能作品であった「猩々乱」では、この作品専用の真っ赤で個性的な面と振り乱れる赤髪に目が釘付けでした。加えて、絢爛且つ重厚そうな装束を纏う中での見事な足さばき!


そうなんです、「猩々」さんたちのコーディネート。私たちが想像するような一般的な着物ではなく、時代劇で将軍サマとかがお召しになっていそうな、めちゃくちゃ分厚くて重そうな袴を!お召しなのです!


私なら一歩目どころか、着る段階で転びますね。大袈裟だとお思い?なら文明の利器でググってみてくださいまし。……私の運動神経がアレなことは認めますが。
兎も角、そのような扮装での優雅な舞にただただ感服するばかりでした。波を思わせるしなやかな動きと、煌びやかな青海波模様の大口袴の組み合わせがとても素敵で、不思議と舞台が波打っているようにも見えてまいります。


さらには、「双之舞」ということで橋懸りの方でも舞ってくださる猩々さんがいまして、、脇正面から見ると大変な迫力でした。

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見所満載、もはや見所100%ではございますが、中でも個人的に印象深かったシーンは以上のものになります。
ところで、私の前回の鑑賞会についてのブログをご覧いただいた方はご存知かもしれませんが。。。
私、野村万作師が大ッ好きでございます。

そして今回の狂言はな、なんと・・・野村万作師と萬斎師の親子共演!!
はわ…むり尊い。

元々頼りない語彙力が全て溶けだす勢いです。日本文学科の矜持とは。
えぇ。これではいけません。日本文学科の矜持云々は私めには荷が重すぎますが、このような醜態では素晴らしい舞台に失礼です。


先程もちらとお話いたしましたように、喜劇色の強い狂言の中でも「川上」という作品は思わず考えさせられるような部分のある、ただ笑ってお終いにはできないような作品です。

簡単に申し上げますと、

【結婚以来、目の病によって盲目となってしまった夫がある日霊験あらたかなお地蔵様のところへ参詣する。眉唾かと思いきや意外とガチだったお地蔵様によってなんと目が見えるように!!…ん??でもなんか、不穏なこと言ってる?「今の奥さんとは悪縁だから別れないとまた目が見えなくなる」だって!??え、別れるしかないじゃん。】



※粗すぎるあらすじです、気になる方はきちんとお調べいただくことを推奨します



修羅場の香りしかしませんね。ですが、この作品の考えさせられる部分はそこではありません!!
「見えるようになった目」と「長年連れ添ってきた奥さんとの離縁」、そこで揺れる夫と妻の間で交わされる会話とそのラストシーンに垣間見える「情」と「価値観」は決して舞台上の他人事では済ませられないようなものがありました。それらの詳細はぜひとも皆様の目でお確かめください。



ちなみに、私たちが観劇させていただいた際のキャスティングは万作師が盲目の夫役、萬斎師が妻役でございました。
万作師演じる盲目の老人が用いていた「盲目杖」の杖遣いは、「釣狐」などの時よりも柔らかく、盲目の夫の弱弱しさが杖1つにも表現されているように感じました。

今回は、特に登場人物の多い能の後の公演だったため、途端に舞台の上がぽっかりと伽藍堂になったように感じたのですが、、その舞台上に生まれた余白的空間と盲目故のパントマイム的な動きが相まって、観劇している人の想像力をより一層掻き立てていたのです。詞章と呼ばれる脚本のようなものを事前に読んでいたのですが、その限りでは先程紹介させていただいたように些かシリアスな雰囲気の作品だと思っていました。


しかしながら、そのような作品の中でもコミカルな動きを駆使して笑いを引き出されていたのは万作師と萬斎師の技量そのものであり、観劇者たちの想像力そのものでもあるのでしょう。それと同時に、作品本来のしみじみと考えさせられるような重みも存在していたのですから、凄まじいバランス感覚です。


また、万作師らしい優しい高音と萬斎師のハリのあるお声が、夫婦のパワーバランスをよく表していて「まさに」という感想しか出てこないような演技でした。手を引かれて歩き出すラストシーンには、演者のお二人が実の親子であることからも感じ入るものが多く、本当にこれ以上ないほどのキャスティングでした。



つまり、分かりやすく言うと、「解釈一致!!!!!!!!!!!!!!!」ってことです。烏滸がましいですね。


本当に、こんなふざけたヤツが参加してて大丈夫だったのか…?と首をお捻りのアナタ!
私もそう思います!!!!

とはいえ・・・ね。あれです、他の参加者である先輩方が素晴らしい方ばかりでしたので、若干1名アカンのが混じってても、、だめですか、だめですね。すみませんでした。
そんな当日の様子はこのような感じでございます。






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さてはて、色々と申し上げてまいりましたが。ほんの少しでも貴方様のご興味に触れるものはございましたでしょうか。

まだ能楽堂に足を運ぶのも2度目という、素人も素人な拙い感想ではございましたが。。。

逆に考えてみてください、2回目のこのような小娘がここまで楽しんでいるのです。

芝居やら美術やら、芸術の理解には齢の助けが必要不可欠、というより齢が芸術の味わいを深めるのでしょう。経験や知識がさらなる感興を惹く。その広がりは、若人にはまだ遠く及ばぬほど大きく広い。
そのような気がいたします。

ですから、貴方様なら私などよりももっともっと楽しめるのかもしれません。
もちろん齢などただの一例です。そういった考えもできる、というだけで、そもそも芸術の楽しみ方は千差万別。


どうかこのブログをご覧になって、ほんの一匙、どれだけ僅かほどでも、心が揺れた瞬間があったのなら。能楽堂へ足を延ばしてみてほしい。
たったその揺らぎだけで、きっと舞台に向かう理由には十分なのです。

まとめ書きDiary

こんにちは、ゆきほです🍵

『あれ?なんかこの人先週も書いてなかったっけ……?』って思った方、超鋭いですね。今月は中旬が忙しくなりそうなので、敢えて一発目で書かせていただいております。

今年度ブログ部の部長を務めているため半月に1回このブログの更新シフトを組んでいますが、更新の頻度が極端に短く(1週間後に即次の更新日が来ちゃうとか)ならないように調整しているので、5日で次の更新が回ってくるなんてめちゃくちゃレアケースです。こんなシフトの入れ方、普段はしません。

今回はそんな珍しい存在になった私の前回の更新日の翌日から今日までの5日間を綴ってみようかと思います。先に書きますが、大したことはしていません。

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4月27日(土)

部屋が暑くて、休日にしてはちょっと早く目が覚めた。

土曜日はピアノの日なので先生の家に向かう。父がリビングで暇そうにしていたから車で送迎してもらった。

小中学生の時は某音楽教室に歩いて通っていたが、先生がそこを辞めてしまったため、高校生になってからは同じ先生が自宅で教えている教室に電車で通っている。(もちろん好きではあるけど)音楽が好きで続けているというよりは、先生が好きだから続いているという感じだ。続けている年数の割にはそこまで上手でもない。

いつも通りインターホンを押して勝手に入ると、先生が好きなピアニストのコンサートのチケットを取れたと喜んでいた。1時間サイトと格闘していたそう。ちなみにそのピアニストのどこが好きなのかというと”顔”らしい。演奏とかちゃうんかい。

帰宅して午後はアニメを一気見した。歩いている時にふと中学生の時に好きだったアニメのことを思い出して見始めたが、びっくりしちゃうくらいおもしろくて気がついたら夕方になっていた。

夜は小説を一気読みしてから寝た。児童書で文字が大きかったから、もっとゆっくり読めば良かったという後悔はなく寝れた。

4月28日(日)

この前のブログで「週末衣替えをする」とか書いちゃったから、仕方なく衣替えをする。別に書いたからと言ってやらなきゃいけないわけではないけど、ブログでやるって書いたことは実はその後ちゃんとやっていたりする。
私の辞書には「寒の戻り」なんて言葉はないので、春服は残らず全て片付けてしまった。今後は寒くても7分袖で耐えるしかない。

勢いに任せてついでに部屋の片付けまでしてしまった。ものを捨てられないし、出したものは元に戻さないダメな人間なので片付けても一瞬で散らかる。そろそろ大規模な断捨離を敢行したいが、今ここでやるって言ったら次回の更新までにやらないといけなくなるから書かないでおく。

夜ご飯を家で食べるのが私だけだったため、ナポリタンを作って食べた。帰ってきた母に「冷蔵庫に入っていたウィンナー、賞味期限すごい切れてるけど」と言われて怯えていたが、今元気だから多分大丈夫だろう。

4月29日(月)

祝日だけど授業はある。2限がお休みだったから4限しかなかったが、学校でお昼を食べようと思い12時着くらいになるよう登校した。

さすがにまだ誰もいないよなと思いつつ、4限を一緒に受けている友達2人に「何時着くらいで学校来る?」と連絡したところ、「もういるよ!」「半には着く!」と返事がそれぞれ即来る。みんな来るの早すぎるって。

祝日故に心做しかいつもより空いている学食でみんなとお昼を食べ、そのまましばらく喋り、お菓子を買って4限の教室に移動してまた喋っていたら15時になっていた。家でゴロゴロする3時間と学校でダラダラする3時間は、同じような”特に何もしていない”3時間ではあるが、後者の方がなぜか圧倒的に「なんか活動的に過ごせたな感」が出る。
今日も学校にいた時間の3分の2は食べて喋っていただけだが、「1日頑張ったな~」と思いながら家に帰ってチョコを食べた。

帰宅してからブログのシフトを組み始める。自分を1日担当に入れたため、昨日と一昨日の分の”これ”を思い出しながら書いた。『そうだ!今回は日記を書こう!』とか思いついて書き始めたが、まとめて書いている時点でもはや日記ではない。

4月30日(火)

2限が休講だったため、1限だけ授業を受けて友達と遊びに出かけた。お昼ご飯で回転寿司に行ったが、私には回転寿司との切っても切れない深い因縁がある。

高校生になる直前の春休みに「5皿食べるとガチャガチャが回せる」あの回転寿司が好きなアニメとコラボしたため、推しを引くべく家族と行ったが、「あと1皿食べればあと1回回せる」を繰り返して限界を超え、逆流性食道炎になった。高校の入学式の日もものすごく体調が悪かったが、今日行かないと絶対友達ができないと思い気合いで参加し、半日必死で吐き気と格闘した。のんきに友達をつくってLINEを交換しているような体調ではなかったため、ホームルーム終了後即帰宅した。

あの逆流性食道炎がトラウマになり、私は回転寿司に行くと毎回「自分が今腹何分目まで食べたか分からない問題」に直面している。今日も分からなくなったが、逆流性食道炎にはなっていないと信じている。

5月1日(火)

雨が降っていて寒いが、春服は一昨日全て片付けたため7分袖で震えながら学校に来た。家を出ようとしたら母に「なんか寒々しい」と言われた。

お昼調達のため2限の前に生協に行くと、抹茶メロンパンが今日で終売という信じられないニュースが入り込んできて、ショックを受けながら買った。2限の間にリュックに入れておいたせいで、昼休みに食べようとしたらすっごく潰れていた。潰れていてもおいしいものはおいしいから問題ない。抹茶メロンパンは明日にでも復活してほしい。

そして現在。空きコマ真っ最中なので、図書館の地下で課題を出すなどしてのんびり過ごしている。そろそろ図書館を出ておきたいところだし、家帰ったら絶対に忘れるから、ここら辺で締めて更新しちゃいますね。

ではまた。