今年もインフルエンザに罹り、高熱、熱痙攣と関節痛、おそらく軽い意識障害。寝かせていただいていた町医者から救急車を勧められるも(大事になるから避けたいという一心、そして何よりも薬のおかげで)無事回復し、潜伏期間を自宅で過ごす日々。
食欲は未だ無く、のどが痛くて喋れもしないため、来るメッセージ毎に「そうそう、あなたはワクチンを打ってください」と敬具のように付けて返し、「またか!」「お大事に」「免疫をあげたい」という返事に心を温める。正直なところ、今回は辛い方だったから、こういうメッセージをわざわざ引き出そうとしてしまうのも無理はないでしょ、と言い訳をしたい。(尤も、辛かったのは、熱が出始めた時に「インフルだとは思いたくない」という謎の頑固さを発揮してロキソニンを四回ほど飲んだからだと考えられる。)
五年前、罹った時に、課題を終わらせてやろうと机に向かったら、倒れたことを教訓に、今回もおとなしく起きている時間は文章を目で追う活動に勤しんだ。人の話を聴くのも好きだが、体力的にはこちらの方が勝るのだ。幸いにも、私にはスマートフォンの中にSNSはあるし、好きなWebサイトもアプリも複数ある。それに積んでいる本があった。腕と上半身だけは疲れるが、それもしばらくすれば慣れるものである。
未だふらつくところがある体をベッドから起こし、「自分が思うより水分を取りなさい」という昔の小児科医の言葉を思い出しつつ、贅沢に二リットルの生茶を自分専用のコップに注いで、三杯ほど飲んで、机に放置していた本を一冊取り出して、ベッドに戻る。
『ゲーテはすべてを言った』というぬるい赤ワインのような本は、(個人的に)こういった時に読めて幸いだったと思う。普段の引用がどうの…などは考えず、文章を胃にそのまま流し込むように読んだ。一文が気になって調べ始めると、更に読むのが遅くなってしまう。私は、調べるという行為を強制的に規制されさえすれば、早く読み終えることが出来る。別にそれもまた良いだろうと考えるタイプの消費者だから、良いのだ。
文章のなかの「あ」という一単語に関して、どうしてこの単語が出て来たのだろうかとウンウン悩むのも読書、この使い方良いなと将来に活かそうと頭の中に取り入れて置くのも読書、別に気を止めることなく風景の一部として捉えるのもこれまた読書といえよう。
それから、こうして読んでいると、時々信じられない箇所で心に訴えかけられることがあるから、これもまた楽しい。今回は「ゼミの研究経過発表の時点で既に英文にして五万語に達する勢い」という文章に震え上がった。夏休み中に八割方は終わらせようと思っていた自分の卒業論文は、色々と寄り道をした結果、少しだけ中心部分を遷した為にまた目次からとなっている。
卒業論文で調べるにあたって言葉を引き出し、そこから芋づる式にモリモリ出てきた面白い本を読んでいたら、こんな時期になってしまった。恥ずかしいというか、自分の性格上、こうなる運命だったか、とも考えるし、終わった時に振り返ってみて、どの工程が一番楽しかったですか、と聞かれたら「寄り道をしているところ」と答えるのだとも思う。
(それはそれとして、この文章は楽しすぎませんか、ということで紹介。またいつか話に出て来るかもしれないから、本当に一文だけに留めて置く。
日本銀行の地下を穿ち堅牢なる金匣を溶解して斬く二十九万五千圓の大金を奪い去りたる近来稀有の大賊
須藤南翠『おぼろ月夜』
南翠の作品は「確かに人気だったのだろうな」というものばかり。)
そんな性格だからこそ、とある一文章が引っかかって、どこ出典だったっけと探す過程を描いたこの本は単純に面白い。繰り返しにはなるが、登場人物に卒業論文執筆中の人間が出てくるのは現実を突きつけてこられるようで困るには困るが、病人というパスを掲げて他人事として考えれば、これ以上面白い物はない。
私にとって本は飲み物である。水、茶、紅茶、コーヒー、ジュース、そしてワインやビール、ウオッカ等の酒類などと同じように、多種多様なものをその時その時、己のほしいがままに味わう。単純に日常の娯楽として楽しみたいために、喉に詰まったものを胃に流したいために、何となく出来てしまった時間のために、その作品が背負っている世界を味わいたいために、教養として知っておきたいために、友人と共有して共に語る時間を楽しむために。
本物の水分と違って、人体の構造的に必要不可欠なものではないが、己の生命維持としては、ないと困るものだと確信している。つくづく、本が手軽に読めるところに生まれてきて良かったと思う。
ただでさえ忙しい四年の秋。右手に悪夢、左手に悪夢という状況。慣れない人はとりあえず正面から挑もうとするが、結局体力が普段通りでないから、敗北する。一度目の前に本を開けば、良い気分転換になる。楽しんでいるうちに気持ちが落ち着き、いつの間にか片方の悪夢は消え、安心して再び目を閉じることが出来る。そうして眠り、コンディションを整えることでもう片方の悪夢も楽観視出来るようになる。効率的とはこういうことをいうのだと、これが長年菌とバトルしてきた者が得た知識だと、少し自慢したくなる。
次にこの隔離部屋を出た時、全ては好転していく。そう信じながら、本を閉じて机に置き、家族に「文字もデカいし、一時間もあれば読めるよ」と連絡し、心地よさそうな秋晴れを横目にまた眠りについた。
夢に行きそうだというタイミングで、「次出る時ってトイレじゃね?」と気づいてしまったのはいつもの詰めの甘さである。