私の発想の源

皆さんこんにちは。みちこです。

ブログ部で記事を書き始めて以来、初めてお休みをいただきました。

GWとブログ部、2種類の意味での休み明け文章でございます。はい。

逆にここまで書かない期間が長くなると、何を書いていいのやら悩む、というのが今回の初休みに関する感想です。

ここまで来るのに何度書いては消し、書いては消し、を繰り返したことでしょう。今回はさすがの私でもお手上げです。基本こういうことで悩むのあまりないんですけどね…。

今まで内容的にはじっくり腰を据えて書くような内容の文章が多い上に、私もこれら自体に対して発信することがあまり苦ではないと思っていたのですが…もう出尽くしてしまったのか…?

いや、そんなことはありませんね。

現に、「自分を認めてあげる方法について」とか、「自分の変わった思考の話」とか、話しきれていないことはたくさんあるはずなんですが…。

おそらく、文章を書くのにある程度の時間を要するからであると思いますね。

この記事を書いていること自体に、私は「思考の整理」という意味を見出しているため、自分が納得できる文章でないと、皆さんにお披露目したくない、という思いがあってのことなのかもしれません。

なんだか、締め切り前の作家さんの心情を体験しているかのようです(笑)

というわけで、ブログを書き始めて以来初めての難産文章になることをご理解いただいた上で、次から始まる文章をお読みください。

今回のテーマは、さんざん悩みましたが、「発想の源」というテーマにすることとします。

先にも述べた通り、私は意外とアイディアがポンポン出てくるタイプの人間です。

特に、こと創作物という点においては、ふとした時に頭の中に浮かんできます。

道歩いてる時とか、とにかく一人で何かを考えてる時ですね。

その中で思考を重ねていくうちに、芋づる式に、あれよあれよと様々なアイディアができていき、結果数は多くなっている、という形になります。(アイディアの質はどうあれ、です…。)

そこで今回は、私の頭の中の整理も兼ねて、「私の発想は一体どこから来ているのか」ということについて、お話していきます。

結論から言ってしまえば、私の発想の源は、「音楽」から来ていると思います。

基本的に私は、何をするにつけても必ず何かしらの「音楽」を聴いています。

BGM系もそうですし、歌詞のある曲も当然聴きます。

課題をやる時もそうですし、創作物を作る時はもちろん、実はこのブログを書いている時も、私はずっとBGMを聴きながら書いてきました。

なんだろう…。個人の感覚なんですけど、何かしら音がないと、耳が寂しいんですよね。

その感覚があるので、作業をするたびに必ず音楽を聞いていたら、いつの間にか音楽から感じることを言葉に綴れるようになり、それを創作物の糧にしていったり、気分を整えたり、みたいな使い方をしていました。

なので、元気になりたい時は、はねるような曲調のものを聴くし、感傷的な、少し物悲しい気分になりたい時はそういう系統のBGMをわざわざ選択しています。

気持ちのチューニング、みたいなものかもしれません。

日常知らぬ間に感じているであろうストレスを、イヤホンをつけ、そこから自分のなりたい気分にあわえたBGMを聴くことで、自分の感情を無意識にコントロールしているのかもしれません。

イヤホンから流れる音楽って、閉鎖的な空間だけど、それが私にとって最も落ち着くからかも知れないですね。私は圧倒的イヤホン派で、正直ステレオ派の気持ちが理解できません。音が広がって全体を包み込むようなあの感覚は、何かに抱かれているかのようではありますが、あまりにも空間が広すぎやしませんかね…?と私は思っています。

また、私は一人の時間が絶対に必要なタイプの人間なので、ずっと人と一緒にいると疲れるタイプの人です。

なので、イヤホンから流すことで音を閉じ込めて、自分だけがいる空間を作り出します。そうすることで、音楽の世界にどっぷりつかれる上に、気持ちの整理をしたり、その過程でアイディアまで得られたり。こういった感じで、一石三鳥くらいのフェーズに入ります。

で、曲からインスピレーションを得た私は、さらに自分の中で発想を広げていきます。

ここから先の思考回路に関しては本当にもうよくわからないので説明できないのですが、唯一言えることは、「関連性のあるモノをどんどんつなげて考えていく」ということです。

芋づる式の思考回路、と先ほども言ったように、本当に私の思考回路は「連想ゲームの連続」です。

「脳内マジカルバナナ」を永久に繰り広げていっております。

そうして出たアイディアを、思いついたままにしゃべっていく、というのが一連の流れかな、と思っています。

これに関しては、理解できない人の方が多いと思います。現に私も自分自身が理解できていません。

なので、こと自分の思考回路、ということにおいて言葉で説明するというのは至極難しい、という結論を提示し、この文章を終わりたいと思います。

次はソロ活についてでも書こうかな~。あれは案外楽しいものですよ~。

またテーマは変わるかもしれませんが、そこは悪しからず。

それでは、ここまでお付き合いいただきありがとうございました。

失礼いたします。

私の「推し方」

皆さんこんにちは。みちこです。

今回は、私の「推し」についてお話していこうかと思います。

とはいえ今回の記事は、いわゆる「推し語り」を展開することに焦点を置いてはいません。

どちらかというと、私にとってその「推し」がどういう存在なのか、どうやって「推して」いるのか、といった形での進行となります。

いわゆる、「私なりのHow toや、ルール」と言った方が近いかも知れません。

そのようなことを、今回は綴っていきたいと思います。

では、始めます!

まず最初に、私の中での「推し」の定義についてお話します。

私の中で、「推し」とは、「自分の人生に影響を与えた人・自分の価値観を180度変えられた」人のことです。

皆さんがいう「推し」にも色々な定義があると思いますが、私の中では、世間一般でいう「推し」の定義は「自分の生活を豊かにしてくれるもの(主に精神的な面で)」という意味かな、と考えています。

その意味では確かに私も「推し」を定めてからというもの、「自分の生活が豊かになったな」と実感しています。

しかし、世間一般の「推し」の定義とはちがう、「自分だけの推しの定義」があるのではないか、と最近思うようになりました。

というのも、複数のオタク友達とお話していて、私の「推し方」は普通の推し方ではないんだな、と感じることが多かったからです。

その多くは、イベントに行ったり、グッズを買うことを「推し活」と呼んでいるのに対し、私の「推し活」はもっと「内向的」です。

オタクとして「推し活」をしたことのある人なら分かる感覚かと思いますが、いわゆる「推しにお金は貢ぐもの!」というあの感覚が、どうにも私の「推し活」には当てはまらなくて。

前者を「外交的」なオタ活と定義するのなら、私はその逆で。「自分に負荷をあまりかけずに推す」タイプの「内向的オタ活」を好む人です。

ではその「内向的オタ活者」である私はどんな推し方をしているのかというと、まず、「負荷をかけるべきものは最低限にとどめ」、「その中から得た着想や学びを創作活動や今後の自分の人生の指標にしていく」という推し方をしています。

文章で表現すると、めちゃくちゃ難しいことのように聞こえますね(笑)

例を挙げて説明していきましょう。

まず、私がどんなものにお金をかけるのか。

ここでは私の推しがどういう存在なのかを説明してからでないと分かりにくいので、先に説明します。

私の推しは、「声優さん」です。基本的に声で演技をする「役者さん」で、「裏方」のお仕事をしている方です。

なので本当は、「裏方」にスポットライトがあたることはないはずなんですが…。どういうわけか昨今の声優さんブームがすごくて、そんな「裏方」の方も「表舞台に出て」きているので、様々なメディアで色んなお話を聞くことが出来ます。

私の「推し方」は、まず、その「お話」を聞くところから始まります。

具体的に言うと、雑誌のインタビューとか、ラジオ番組でのお話とか。そのようなことが挙げられます。たいていはこの二つの方法で情報を得ております。

あとは、CDですね。これは私の中で優先度が一番高いです。私の推しは、本業である声優以外にアーティスト活動(音楽活動のこと)も行っているので、新曲がリリースされると絶対に買います。これだけは何があっても譲れないです(笑)

このCDに関しては、私が単に、大好きな推しの声を聞ける、という意味でももちろんそうですが、後述する「創作活動」の糧にもなってくれています。なのでこのCDは、ほぼ必須の買い物になっています。

そして次に、これらのコンテンツを「消化」していきます。こちらの「消化作業」、まあ感情がジェットコースター状態ですね。いい意味で浮き沈みが激しいです(笑) なお、その感情の変化を感じ取っている時が一番楽しいです。そしてその中で、何か私の心に引っかかるものがあれば、それをすくいあげていきます。

あいにくと、このようにブログを書かせて頂いているということもあり、昔から形のない思いを言語化する能力が多少なりともあったので、それらをまとめていったり、美術部に入っていて絵が描けることもあったので、イラストにまとめてみたり、と自分で感じたままにその思いを「昇華」していきました。

ここで、私の「昇華」方法は2つに分かれます。1つは、推しの言動から私が感じたことを日々の生活で取りいれていったり、意識してみたりといったいわば「理想像に近づくための材料集め」をすること。2つ目は、先ほど少し触れた「創作活動」です。

私の現在の推し(二人おり、一人は中学生から、もう一人は高校生から推し始めました)には、お二人とも本当に色々な影響を受けました。

中学生から推した方の推しには、「何事にも真摯に取り組む姿勢」と、「人を・コネクションを大事にすること」の二つを。高校生から推した方には、「違った価値観を認めること」そして、「視野を広く持つこと」の二つを主に学んだような気がします。

今思えば、どちらも、今の私を作り上げる上で必要不可欠なことでした。推す時期が違っても、例えば逆だったとしても、今の私は作り上げられなかったと思います。

そして、創作活動もまた、私の「推し活」の中では非常に重要な一端を担ってくれています。

今思い返してみて一番すごかった創作活動だと思うのは、「一曲ずつ、その曲をモチーフとしたテーマ小説を書き、さらにそれを連作にして、すべての小説に時系列的・世界観的な繋がりを持たせた」ことですね。

そのアルバムは、推し(高校生から推した方の推しです。ちなみに私の推しは二人とも声優兼アーティスト活動もしてる声優さんです)がアーティストデビューします!というタイミングで作られた「デビューミニアルバム」だったがゆえに、私もリリースされるまで様々な予想をしました。曲名のみが発表されたときには、その曲名からどのような感じの曲かを想像して一人で楽しんでました(笑)

そしていざリリースされたときには喜び勇んでその答え合わせをしましたが…。

まあ、簡単に当たるようなもんじゃあ、ないですね(笑)

でもこれだけ楽しませてくれたこのアルバムに何か恩返ししよう!と軽い気持ちで、アルバムのある一曲をテーマに小説を書きました。

そしたら聞いていくうちに、次から次へと好きな曲が現れていくので、「もうこれは連作小説を作ればよいのでは!?」と思い、小説を書きあげていきました。こうして書き上げた小説たちはきちんと世界観と時間軸が結びついているものになりました。

あの時の時間は本当に楽しかったです。

以上が私の「推しの定義」であり、「推し活」です。

少し分かりにくい文章や構成になってしまっていたかと思いますが、いかがでしたでしょうか。

私にとって「推し」とは、「人生の指標」であり、「私の理想像」であり、「癒しを提供してくれる存在」でもあれば、「新たなアイディアをくれる存在」でもある…。

そんなことだけ分かって頂ければ、この文章の大半の意味は理解して頂けています。大丈夫です。

さて。次のブログは、「私の変化」をもう少し掘り下げる記事にしようかな、と考えています。具体的にどんなことについて話すかはまだ未定ですが、とりあえずそんな大まかなテーマで何かしら執筆しようかと考えています。

長々と失礼しました。おそらく、私史上一番長い記事のような気がします。

お付き合いくださった読者の皆さま、本当にお疲れ様でした。ありがとうございます。

それでは、失礼いたします。

My Hobbies ーギター編ー

皆さんこんにちは。みちこです。

今回は、前回の続きで、私の新たな趣味であるギターについてお話しようと思います。

続きとはいえ、物語のように連続性のあるものではありませんが、読んで頂くと、趣味に対して私がどのように考えているかが分かりやすいと思われますので、一応紹介しておきます。

前回の記事は、以下のリンクから読むことが出来ます。

https://mcm-www.jwu.ac.jp/~nichibun/blog/index.php/author/namekata/

お手数ですが、こちらから「My Hobbies ーイラスト編ー」というタイトルのブログ記事をご覧下さい!

それでは、ギター編、始めていきます。

私がギターを始めようと思ったのは、至って短絡的なものです。それは、

「小説を書くことも絵を描くことも趣味の私が、音楽も趣味になって作曲が出来るようになったら、マルチクリエイターになれるのでは!?」

という、ただそれだけのものでした。どれも、ただ自分の頭の中に浮かんだ言葉やイラスト、旋律を表現したいというだけのものではありますが(笑)

本格的にプロになって、みたいなことは考えていませんでした。これに関しては、今も考えは変わりません。

とはいえ、理由はそれだけではなく。

私の仲が良い友人たちがこぞって楽器を始めたからです。

中学3年生の頃、私は当時仲の良かった4人と、バンド組めたらいいね~なんて本気なのか冗談なのか分からない夢を語っていました。というのも、私たちは当時共通のコンテンツにハマっており、それが「女子高生たちがバンドをする」ことが主軸となっているスマホゲームだったからです。

(ちなみにそのタイトルは「バンドリ ガールズバンドパーティー」というものです。よければ検索してみてください。最近バンドの数が増えてさらに大きくなってきたコンテンツなので…!)

そのコンテンツの影響を受けてなのか、夢を実現させたかったからなのかは分かりませんが、私の周りの友人たちは一斉に楽器を始めました。

これが私がギターを始めるきっかけとなった直接的なエピソードです。

ではなぜその波に乗らず、大学生から始めることとなったのか。

それは、私が楽器未経験者であったということと、高校生になり大学受験を控える身でそのようなことをしても良いのか悩んでいたこと、そして何より、楽器を買うのが高かったというのが主です。

中学時代に楽器を始めていた友達は軒並みピアノをやっていたり、何かしらの楽器経験があったので、未経験の私が飛び込めるものではないと判断してしまいまして。

それにまあ、学生のうちって意外と忙しいものですからね。中々新しいことに手を出している余裕はなかったです。

そんなこんなで、せめて色んな意味で自由になる大学生になってから楽器は始めようと思いました。

そしてその決断を、大学生になった昨年の春に、実際に行動に移した、という次第です。

次に、私がこの趣味を一年続けてきてよかったと思うことを書きたいと思います。

前回の記事にも書いたことではありますが、それは、「世界の見え方が変わる」ということです。

例えば何気なく曲を聴いている時。ギターを弾いていなかった頃には意識していなかった、ベースの音やドラムのリズムの一節が際立って聞こえたり。私が好きな奏法がアルペジオという奏法だということも。

ゲームで何気なく流れているBGMにも、好きな旋律があったり、それを具体的に説明できるようになったりすることは、間違いなく私がこの一年間、ギターと少しでも向き合ってきた結果だと思います。

とはいえ、聞き分けることはできても、実際に弾けるか否かは別のお話であるということも、この一年で痛感しました。

初心者向け!簡単!と動画などで紹介されている曲でも、実際に弾いてみると楽器未経験者の身にはめちゃくちゃ難しいことが分かりました。

未だに完璧に弾けるようになった曲は一曲もありませんから(笑)

じゃあ一年間私は一体何をしてきたんだ、って話になりますが。

確かに、ギター奏者としての私はほとんど成長をしていないことになります。

しかし、「音楽を聞く」ことにおいて、気付きが増えたというだけでもギターをやって良かった、と思っています。

以上、二回にわたって、私が趣味に対してどのような考えを持っているのか、お話をしてきました。

私にとって趣味とは、「自分の世界を広げてくれた・自分の世界を豊かにしてくれた」ものです。

イラスト然り、ギター然り。小説然り。

でも私は単に、「知的好奇心」が旺盛なだけかも知れないです。

このブログ記事を書いていて、そう気づきました。

趣味を通して何かを知っていくことで、それに関連するものや日常生活が少し変わったものに見えてくる。

全く関係なさそうなのに、実は関連性があって、それに気づけたときのあの達成感。

「あっ、これってそういうことなんだ!」

ーーーこんな体験、皆さんもどこかでしたことがあると思います。

特に、自分が小さくて、何も知らなかった頃のことを思い返してみて下さい。そんな体験が、きっとどこかにあったはずです。

私はそれを味わいたくて、これらの趣味を楽しんでいるのかも知れないな、と今回新たに気付きを得ました。

趣味って、単にその人の心を救うだけじゃない。

何か学びを得て、気づき、その欲求を満たしたいからこそ、私は趣味を楽しんでいる。

おそらく、趣味についてこんなに深く考えている人は少数派でしょう。

ですが、こんな考えを持つ人もいるんだな、と心に留めてくださるだけでもうれしいです。

次回は…そうだな…私の「推し」について話そうかな、と思います。

単に「推し語り」や「布教」をするわけではなく、「私にとって推しはどのような存在なのか」。

そんなことを綴っていこうかと思います。

長くなってしまい、大変失礼いたしました。

それではこの辺で、失礼します。

My Hobbies ーイラスト編ー

皆さんこんにちは。みちこです。

早くも二回目の更新となりました。

今回は、学校生活のこととは少し離れたことを話そうと思います。

ずばり、「趣味」についてです。

私の趣味はそれなりにたくさんありますが、その趣味を総合すると、「創作活動」が最も適した言葉になるかと思います。

例えば趣味の一つに、「アニメ鑑賞」がありますが、そこで何かしらの感情を掻き立てられ、「創作意欲」が湧いた際には、「小説を書い」たり、「イラストを描い」たりします。

このように、多くある私の趣味を総括していくと、「創作活動」という括りに集約されるのではないかと思っています。

今回は、そんな数ある自分の趣味の中でも、「絵を描く」ということについて、私の思いを綴っていこうと思います。

絵描きの趣味は、私が中学生の頃、「絵が描けたらいいな」という思いで入部した美術部の時代から今に至る6年間、ずっと続けてきたことです。

そして、人生の中でそれなりに長い時間、私がイラストを描く中で私が感じたことはただ一つ。

「モノの見方を通して、世界の見方が変わった」

ということです。

 何を大げさな言っているんだろうと思われたかも知れませんが、言葉通りの意味です。

 

 絵を描いていく中で私自身が気づいたことですし、実際に美術部の顧問にも言われたことですが、絵を描くということは皆さんが思っている以上に「対象物を見る」ことが重要です。

皆さんの中には、「絵心がない」と悩む方もいるかも知れません。

しかし、それは「描く力がない」のではなく、実際には「見る」力がないだけなのです。

もちろん、「描く」ためのテクニックも大事ではありますが、それ以上にこの「見る」力というものは絵の出来に関して、影響力が大きいものです。

ここで、少し実験してみましょう。

まず、コップを用意します。グラスであろうとマグカップであろうと、紙コップであろうと、なんでも構いません。

次に、そのコップをじっくりと観察してみてください。時間制限は特に設けません。好きなだけ、自分が満足するだけ見てください。

その次に、紙と鉛筆・消しゴムを用意します。そして、今自分が目で見たコップを「見ないで」紙に描いてみてください。(つまり、写生や模写ではなく、出来るだけ頭の中でそのものの姿かたちをイメージしながら紙に書いてみる、ということです。)

最後に、自分が紙に描いたコップと、実物のコップとをよく見比べてみてください。

どうでしょうか。どれだけ目の前のコップを、紙に表すことが出来ましたか?上手くなくて構いませんし、立体感を出すためには~など、テクニカルなことを考えなくても全く問題ありません。

強いて言うなら、この実験、紙に描く必要すらないかも知れません。

大事なのは、「どれだけ目の前のコップの特徴を把握できたか」ということです。

小さな傷があったり、コップに手がついていたり、絵柄はどうかなどといったことです。

例えばネズミの絵柄が入っていたとしたら、表情はあったか?耳は?しっぽの長さは?しっぽには線が何本入ってた?目の形は?など、掘り下げていけばどこまででも掘り下げることが出来ます。

おまけとして、そのコップを実際に「見ながら」描いてみると、また違った結果が出てきて面白いかも知れません。

この実験は、「絵を描く」ことが、実際には「見る」ことにかなり関係している、ということを少しでも知ってもらいたかったために、私が考えたものです。

実際に体験して頂けば分かって頂けるかと思いますが、「モノを見る」って、思ったより難しいんですよ。

6年間絵を趣味程度に描き続けてきた私でさえ、未だにそれを完璧にできた!と言えるほどの出来ではありません。

でも、「見る」ことが大事であると気づいた時から、モノをよく見るようになりました。

「モノをよく見て描く練習を続けることで、絵は上手くなる。」

美術部の顧問こと私の恩師は、そう教えてくれました。

それを教えてくれた当初は、まだ絵描きを始めて間もない頃でしたから、この言葉の意味が分かりませんでした。

しかし、高校生になる頃には、明らかに前の自分より成長している!という実感を持つことが出来ていたので、その言葉の意味をきちんと理解することが出来ました。本当にその通りだと思います。

(余談ですが、私は中高一貫校の出で、中1から高2までの5年間美術部に在籍し、高2では部長を務めていました。)

「モノをよく見る」ことが大事だと気づき、「見る」ようになってから、世界の見え方が変わった瞬間。それについて、今でもはっきりと覚えていることがあります。

中学二年生のある夏の日。その日はよく晴れた日でした。

学校に行く途中の電車の車内で、ふと見た景色。

河川敷の景色でした。

入道雲がもくもくと立っていながらも、吹き抜けるように真っ青な空。

サンサンと輝く太陽に照らされ流れる川の水。水面はとてもキラキラとしていました。

そして、風に揺れている綺麗な緑色の草。

この景色を見た瞬間、私は、「夏って、こんなに素敵な季節だったっけ…」と思いました。

というのも、私は大の暑がり。おまけに毎年暑さにやられ、夏バテで体調を崩しがちなので、本当に夏が嫌いだったんです。

そんな私が、夏を素敵だ、と思えただけでも、かなり大きなことでした。

今まで嫌いだったものすら、見方によっては好きになれるのか、と気づいた瞬間でした。

それ以来、この感覚を味わいたくて、絵を描くという趣味にのめり込んでいきました。

その結果、今まで注目していなかったところにまで注意を向けるようになり、私の見る世界は、絵を描くことをしなかった当初よりかなり変わった、と感じるようになりました。

長くなってしまうのでこの辺でやめておきますが、私にとって絵を描くという行為は、「趣味」としてただ楽しむだけの行為ではありません。

正直こんなに長くなると思っていなかったくらい、「私の世界の見方を変える」ものでした。

最後に、こんな素敵な、趣味に出会わせ、それを私の中の「一生モノの趣味」にまで昇格させてくれた母校の恩師に、この場を借りてお礼を申し上げたいと思います。

本当にお世話になりました。ありがとうございました。

次回は、私の、「趣味が自分の見方を変えた」シリーズの第二弾として、楽器(ギター)を弾くことについて語ろうかな、と思っています。

始めた時期が大学生になってからなので、この投稿のような長さにはならないと思われますが、楽しみにしていただけたらと思います。

長いっ…!!本当に長い!!

それではこの辺で失礼いたします。

お付き合いいただき(本当に本当に)ありがとうございました!!

大学生になって変わったこと

皆さん、はじめまして。みちこと申します。

この度より、ブログ部の一員として活動することになりました。

私の書くブログでは、主に「私が大学生活を通じて感じたことや考えたこと」をテーマに執筆をする予定です。

大学内での活動はもちろんのこと、大学外で個人的にやっている活動(主にオタク活動)に関する記事なども書こうかと思っております。

拙い文章かとは思いますが、今後ともお付き合いしていただければ嬉しいです。

 今回は、「大学生になって変わったこと」というテーマでお話しようと思います。

この時期になると、新しい環境へ身を投じることが決まった、という人が多くなる頃かと思います。

私自身もこの一年、本学の学生として過ごしてきて以前とはかなり生活が変わったな、と思いました。

そこで今回は、高校生から大学生になって、変わったな、と思う点をご紹介したいと思います。

そこからの掘り下げが少し長くなりますが、何卒お付き合いくださいませ…。

 大学生になって以前と変わったこと。それは、とにかく自由度が高い!ということです。

授業の履修も、必修科目を取ればあとは何をどのような組み合わせでとっても構わないし、授業以外の空いた時間をどう過ごすも自由、と。

どのサークルに入っても構わないし、どんなバイトを始めたっていいし、大学外で何か新しいことに挑戦するでもいい。

挙げたらきりがありませんが、とにかく大学という場所は、それまでの学生生活とは一変して、かなり自由な場所です。

しかし、こうも言います。「自由には責任が伴う」とも。

その言葉通り、大学生とは行動の自由度が一気に高まる反面、その責任も必ず自分自身で背負わなければならないな、と強く感じました。

そして、責任をとる、とはどういうことなのか、少しだけその言葉の意味を理解できるようにもなりました。

当たり前ですが、責任とは自分の何らかの行動がなければ成立し得ないものです。

高校生までの私は、責任をとる、という言葉の意味をいまいち理解できていませんでした。

それもそのはず。なぜなら、責任が生じる以前に必要になる「自分の行動」というものをしていなかったからです。

自分で何かを決め、それに沿って行動する。

そのような経験を私はこれまでの人生であまりしてきませんでした。

何かを始めたい!と思っても、時間がない、とか今やるべきこととの両立ができるか、とか様々なことを考えてしまい、結局新しいことに挑戦することをしてきませんでした。

ずっと何かしらのことを諦めて生きてきたな、という自負があったのです。

なので、高校卒業時に、そんな自分とはお別れしたい、大学に入ってからはある程度は自由になるのだから、自分のやりたいことをすべてやってみたい、という決意をしました。もう、何かをやらずに後悔する、という経験を増やしたくなかったからです。

そして、その決意通りに行動することもまた、自分に約束しました。

そして、本学の学生となった今、私はその言葉通り色んなことに挑戦しました。

サークルに入って新しいことを始めてみたり、バイトに応募してみたり、(バイトに応募した時は本当に緊張しました…。今思い出すだけでも緊張します…。)ボランティアをしてみたり、と、今思うと本当にはじけたな、と思います。極度の慎重派で、どんな些細なことでも必ず情報収集をし、メリット・デメリットなどを考えすぎてしまうという自覚がある私に、こんなに色んなことを始める力があったのだな、と驚いています。

この一年を振り返ると、「初めてのこと」をたくさん経験してきたな、と思います。

これだけ色んなことを始めてみて思ったことは、「やってみなければ分からないこともある」という、当たり前ですがとても大事なことでした。

「始める」というハードルを越えた先に待っているのは、「続けるかどうか」という選択だと思います。

「自身の目指す先」も踏まえて、「今やっていることは本当に自分にとって続ける価値があるのか否か」を見極めること。

それが私が次にやるべきことなのかな、と今は考えています。

初回から長々と失礼しました。私の投稿は毎回このような感じでいこうかな、と思っております。

それではこの辺で失礼いたします。

他の皆さまの投稿も、ぜひ楽しんで下さい!