こんにちは、とみーです。みなさま、お盆はいかがお過ごしでしたか? 私は家でレポートと向き合っているうちに終わってしまいました。
例年ですと、母方の実家へ行き、迎え火係をとして任務を遂行するのですが…感染症を危惧しやめました。
今年は、私の代わりに祖母が迎え火係となったようです。墓~家が車移動のため、ロウソクをやめてLED提灯にしたと聞きました。車内で火の灯った提灯を持ち「安全運転よろしくね!」と言う、我が家の恒例行事もなくなったようで、少し寂しいです。まあ、自家用車で火を運ぶのも考え物ですしね。LEDについてくる先祖の霊……現代的!
実は、昨年度「お盆・迎え火」をテーマにレポートを書く機会があり、地元のお盆についてそこそこ詳しくなりました。それまで、私にとっての「迎え火」は、10年以上続けていた恒例行事で、特に風習意識もない作業でした。やって当然のもの、墓から家へ霊を導いて「おかえりなさい」と迎える。それだけです。
けれど、レポート執筆にあたり、祖母・母・私と三世代の迎え火にまつわるアレコレの変遷を調査する中で、その簡略化と衰退を直視することになりました。そして、自分がやってきた迎え火に対する思い入れやら、感慨深さやらが沸き上がったのです。
私がやる迎え火は、こうです。まず、墓参りを行い、”こんばん提灯”に火を灯し、その火を絶やさないように、家へ帰る。そして、仏壇のロウソクへとその火を受け渡す。仏壇には、有名な”キュウリの馬”と”ナスの牛”を飾る。以上です。
一方、祖母が子供の頃はもっと色々な過程がありました。昭和30年頃、核家族化しておらず、本家の意識があった頃です。朝から親戚が本家に集い、女はぼたもちや精霊棚を作る。夕方頃に墓訪問。本家の墓ですので、ガチの先祖代々の墓です(土葬時代のとかも混ざってる)。ごく近所にあったので、キュウリの馬も持っていき、墓参り後に”こんばん提灯”へ火を灯すと、馬と共に持って帰ったのだそうです。その後、故人が好きだったごちそうなどを食べながら親戚一同で宴会。
私はこの祖母の話を聞いて、「サマーウォーズ」的な風景を思い浮かべました。多分そんな感じだと思います。
宴会は全然やりたくないですが、精霊棚ってなんぞ? とか色々気になる点はありました。調べれば出てくるのですが、精霊棚は先祖をお迎えする祭壇のことで、茣蓙やら植物やら紐やらを使って作るものです。畑や川に生えている決まった植物の採集から、女子供で協力して行ったそう。スーパーで「お供え物&精霊馬セット」とかを見ているので、驚きですね…。
私が小学生になって初めて迎え火を任されたとき、物凄く気負っていましたが、祖母の話を聞くと、子供時代に迎え火を楽しんでいたことが伝わってきました。曰く、お祭り気分だったとか。娯楽が少ない頃なので、子供用の提灯を買い与えられ、友達とその辺を歩くのが楽しかったと。
「スイカの中身をくり抜いて火を立てた飾りを作った」というエピソードには、思わずハロウィンか? とつっこみを入れてしまいました。日本のお盆は、大雑把にいえば西洋のハロウィンみたいなものだし、なかなか面白い共通点かもしれませんね。
私の知らない「迎え火のアレコレ」を、今もやっている場所はあると思います。けれど、分家から核家族となった多くの家は、特に何も知らないのではないでしょうか。墓も”先祖”でひとくくりというよりも、一世代の夫婦の規模・遠方の霊園というのが多いと思います。
「この風習を受け継がねば」なんて重い意識はありませんが、祖母がやりたがるうちは、一緒にやっていきたいものです。お盆になって、祖父の仏壇に鬼灯提灯を飾る祖母を見ていると、この行事が故人よりも、故人を思う生者のためにあるのだと感じます。
「今年も帰ってきたね」と家へ迎える。迎え火がいつか失われる風習でも、そんな心持だけは一生持っていたい。
手始めに来年こそは、安心して祖母と一緒に祖父を迎えに行きたい。LED提灯でもね! そう思う2021年の8月でした。
それでは、また。





