こんばんは、あこです。
ただいま22時25分。19時からブログのネタを考え続けて3時間半経ちました。
そろそろタイムリミットが近づいてきていますね……困った困った。
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先日、ファイルの整理をしていた母から、「こんなの出てきたよ」と、ルーズリーフを2枚渡されました。高校2年生の時に使っていたファイルだったので、もう3年前ですね。そのルーズリーフには、当時の私が書いた小論文がありました。
タイトルは「人の表と裏の否定」と、「他人について」。どちらも、「人間関係で何かあったの?大丈夫??」と声をかけたくなるようなタイトルですが、多感な高校生が書いたということで、お許しください。
そんなタイトルですが、内容はそこまで過激なものではありませんでした。
「人間は表と裏で分けられるほど単純ではない。」「相手よりも優位にいたい、裏切られなくない、という想いが根底にはあるのではないか。」「人の印象は変わりやすいのだから、相手の性格や人格を決めつけて吹聴してはいけない。」「相手に誤解されないためには、努力も必要である。」
どれも、わかりきったことです。加えて、「小論文」を名乗るのも恥ずかしいような文章でした。
だけれど、これを読んだ時、「残っていて良かった」「読めて良かった」と思いました。もちろん、内容が素晴らしかったわけではありません。タイトルからして恥ずかしいし、内容も構成も全然ダメ。高校生ならではの青臭さというか、自分に酔っている感じがプンプンしていて、とにかく人にお見せできるようなものではありません。
でも、確かなことは、この文章を書いたのが3年前の私で、当時の私が書きたい・考えたいと思ったのがこのテーマで、最終的に導いたのがこの結論だったということ。そして、3年前に考えたことは3年前でなければ書けなかったということです。
人は、経験を重ね、成長していくにつれて「考え方」も変化していきます。良くも悪くも、考え方の変化には逆らえません。そして同時に、人は時間が経つにつれて「忘れて」いきます。その時に悩んでいたこと、考えていたこと、導いた結論。残しておかないと、それらは無かったことになってしまうのです。
高校生の時、母に悩みを相談すると「私もそうだった。」とか、「若い時は、みんな悩むものなのよ。」と言われることがありました。また、テレビやラジオで、私と同じような悩みを持った人が番組に相談したり、タレントさんが私と同じような意見を発言したりしているのを、何度も目にしてきました。
こういった場面に遭遇した時、私は「みんなも同じことで悩んでいるんだ!」「私と同じことを考えている人がいるんだ!」という安心感や嬉しさよりも、「私の悩みは私だけの悩みではなかったのか。」「私の考えはそんなにメジャーだったのか。」という悔しさやガッカリ感を感じていたように思います。
オンリーワンでいたい。他の人には考えられないような「考え・意見」を持ちたい。
そういう思いがあったのだと思います。正直に言えば、今もそういった思いは残っています。ただ、人に自分と同じ意見を持ってもらいたくない、とは今も昔も思っていません。人と違う意見を持つことに優越感とか喜びを感じているわけでもありません。どう表せばいいのかわからないのですけれど、「自分の足で頂上まで登った人しか味わえない景色を見たい」という気持ちに似ているでしょうか。苦しんで、辛い思いをして、やっとの思いで登った山から見た景色が、自分の家から見た景色と変わらなかったらガッカリするでしょう。(もっと良い例えを示したかったのですが、これが限界のようです。どうにか伝わりますように。)
先ほどお話しした3年前の小論文で書かれている内容や結論は、あまりにありふれたものでした。だけれど、「ありふれているもの・誰でも考えつくもの=書き記す意味がない」わけでもないとも思うのです。
「人と違う考え」や「自分だけの考え」というのは、滅多に思いつくものではありません。大学に入学し、論文を読む機会が増えてからは尚更そう思うようになりました。私が軽い気持ちで「これってこうなんじゃない??」「あっこれ良いかも!」と思ったことのほとんどは、既に先行研究で私よりも丁寧に、わかりやすく、根拠を示しながら指摘されています。(そもそも「思いつく」という表現が失礼ですね。すいません。調査を重ね、検証し、その上で導き出した結論は、「思いついた」とは言いません。)私たちが普段考えつくことなんて、たかが知れているのです。
だけれど、その「ありふれた考え・誰でも思いつくもの」は、「皆が思いつくもの」「いつでも思いつくもの」ではありません。確かに、たくさんの人が悩んでいるものかもしれないし、たくさんの人が導く結論かもしれない。でも、世の中にたくさんある悩み・意見の中で、「その時」の「私」が出会い、「考え」たものは唯一無二なのではないでしょうか。
結論は同じでも、そこに至る過程は人それぞれです。同じ場所から撮った写真でも、撮影者によって全く雰囲気が変わるように、撮影者によって心惹かれる理由が違うように、「全く同じ」ということは起こり得ません。「文章を書く」ということは、オンリーワンの結論を導くことではなく、オンリーワンの過程を示すことなのではないか。だからこそ、「ありふれた考え」であっても、「その時」の過程を残すために書き記しておくことは必要なのではないか、と思っています。
今日はあんまり纏まりませんでしたね。すいません。次回はもう少し頑張ります。
それでは、また。