四年に一回

秋の始まりと同じぐらい過ごしやすかったはずのゴールデンウィークなのに、また今年もやたら暑かったですね。Tシャツが嫌でもヨレヨレになります。

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さて今回お話するのは5月5日に行われた、九品寺浄真寺の二十五菩薩来迎会、通称お面かぶりについて。

詳細を話す前に、どれぐらい珍しいものなのかをお話しましょう。

公式ホームページ(二十五菩薩来迎会(おめんかぶり) | 行事 | 九品仏淨眞寺 | 九品山 唯在念佛院 浄真寺)(最終閲覧2025/3/19)をみると、

これは江戸の時代より※四年ごとに奉修される「阿弥陀如来二十五菩薩来迎会」のことで、都指定 無形民俗文化財(民俗芸能)に指定されております。
※元来は三年毎でしたが、令和六年奉修後《四年毎》に変わりました※

とあります。四年に一度。今年やったら次は二〇二八年。逃したら忘れそうな感じですね。タイミングよく気づけました。

ちなみにおめんかぶりについて、当日配られたご住職による説明書きには、

当寺の開山珂碩上人(略)臨終の正念往生を勧められんが為に此の寺を開創せられ、(略)臨終の御来迎を顕章せんが為に来迎会(通称おめんかぶり)の御法要をお示しになりました。

「おめんかぶり」は浄土よりの御来迎の佛菩薩を表わすもので、一つには臨終の御来迎にあやかる為に、二つには念佛行者の信仰生活と佛の護念光照を喜ぶ為に信者の方が進んでお面をかぶり、練行列に加わる関東に於ては当山のみの独特の相続行事であります。

とあります。上記のとおり、このような練行列は関東ではもっぱら無く、関西だと大念仏寺の万部おねり、當麻寺の練供養会式が挙げられます。

大念仏寺万部おねり 万部おねりとは | 万部おねり | 融通念佛宗総本山 大念佛寺 -大阪市平野区-

當麻寺練供養 練供養会式 | 季節の行事

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さてそんな珍しい行事を現在もなお行っている浄真寺はどんなお寺さんかというと、正式には九品山 唯在念佛院 淨眞寺。九躰の阿弥陀如来坐像の安置していることから「九品」の名がついたそう。寺に置いてある『浄土宗九品山淨眞寺略縁起』曰く、先ほども引用の中で触れた珂碩上人が四代将軍徳川家綱の代に、「奥沢城跡であったこの地を賜り、浄土宗所依の経典である観無料寿経の説相によって堂宇を配置し、この寺を創建」したそうです。

境内図はこちら→境内図 | 拝観のご案内 | 九品仏淨眞寺 | 九品山 唯在念佛院 浄真寺 の通りで、入り口付近から、閻魔堂、開山堂、観音堂、龍護殿(ご本殿)、珂碩上人御廟、上品堂、中品堂、下品堂、五社殿の九つの建物があります。

ご本殿には本尊に釈迦牟尼佛像や五劫思惟像などが安置されており、先ほど話題に出した阿弥陀仏は、上品・中品・下品にそれぞれ三躰ずつ安置されており、これが九品の由来で、他に仁王門の上にもいらっしゃいます。

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さて、いざおめんかぶり。一日に二回行われるのですが、私は午前十一時の回に参列しました。境内は流石の混みようでしたが、京都三大祭りを乗り越えた私にはなんてことありません。しかし、当日は本当に暑く、もうバテて倒れる人がいることは目に見えるような気候でしたから、参列者には団扇が配られました。その団扇はおそらく二~三種類あったらしく、隣に立っていた方と柄が違うわね、などといって盛り上がりました。

おめんかぶりの行列は、本堂と上品堂の間に柱がかかっており、そこを計三回、行き来します。橋の柱には阿弥陀経に詠まれた二十五の仏様の名前が一名づつ刻まれており、今日だけの為に拵えたものかと思われます。

コーン、コーンと鐘楼の音が鳴り響きます。上品堂から、お念仏が本堂側から聞こえる中、菩薩様だけがやってこられます。阿弥陀如来さま、観世音菩薩様、勢至菩薩様、薬王菩薩、薬上、法自在王菩薩様、獅子吼菩薩様、陀羅尼菩薩様、虚空蔵菩薩様、徳蔵菩薩様、宝蔵菩薩様、金剛菩薩様、金剛蔵菩薩様、光明王菩薩様、山海慧菩薩様、華厳菩薩様、衆宝王菩薩様、月光菩薩様、日照王菩薩様、三昧菩薩様、定自在王菩薩様、大自在王菩薩様、白象王菩薩様、大威徳王菩薩様、無辺身菩薩様と、お付き添いの方々(お面は重い上に前があまり見えません)が、お渡りになります。暑いので、お付き添いの方は、如来さまたちにうちわをふっております。そして本堂におつきになると、本堂でしばらくの御法要があります。

しばらくして、鐘楼の音が鳴り響き、こんどは銭湯に開山上人御厨子及衆僧稚児が菩薩様と一緒に上品堂へ向かいます。

そしてまたしばらく待って、また鐘楼の音が鳴り響き、三回目のお渡り。お念仏が唱えられながら、まず、緑色の衣を着た道成寺の雅楽隊が先に行きます。雅楽泰の前には振り籠を持った男性。四歩進むごとにとんとん、と橋の床を叩きます。さらに続いて上人が行くと、菩薩様がやってきます。そして菩薩様に続いて浄土宗三十八のご住職様が練り歩きます。そして、散華を振りまくのです。

私は貧血になってしまい、ちょうど帰ろうと橋の下をくぐっている時に散華が上から舞い降りて来たものですから、つい嬉しくて胸元に降りて来たものを一枚お持ち帰りしました。

動画でのご様子は、公式があげてましたのでこちらをどうぞ。

https://www.youtube.com/live/2MtoncjPXs0?feature=shared

鐘楼

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ばててしまったので、自由が丘のサイゼリアで涼んで、551にそっくりだという肉まん(全然似てない、551を求めるならば新幹線代をケチらないべき)を食べて帰りましたが、本当に人の情含めて素敵なお寺だったので、涼しくなったらまたお伺いしたいです。

本日の読みたい本

『よくわかるお経読本』 瓜生中 角川ソフィア文庫 

お経は法典を歌詞にしたミュージックだ。謡う人や宗派によって違うし、歌詞さえ理解できればもっとお経が面白く聞こえてくるものだ。

本著はひとつづつのお経の、概要・内容解説と、ふりがなによる読み方指導を行う本だ。

元が法典ということで、仏教=墓場のイメージが強い日本人にとっては暗い印象を抱くだろうが、法典の内容は物語であったり、嘆願である。最近の曲とさして変わらず。楽しみは多い方がいいだろう。是非読んでみて、今後のお参りにお役立てください。

私の発想の源

皆さんこんにちは。みちこです。

ブログ部で記事を書き始めて以来、初めてお休みをいただきました。

GWとブログ部、2種類の意味での休み明け文章でございます。はい。

逆にここまで書かない期間が長くなると、何を書いていいのやら悩む、というのが今回の初休みに関する感想です。

ここまで来るのに何度書いては消し、書いては消し、を繰り返したことでしょう。今回はさすがの私でもお手上げです。基本こういうことで悩むのあまりないんですけどね…。

今まで内容的にはじっくり腰を据えて書くような内容の文章が多い上に、私もこれら自体に対して発信することがあまり苦ではないと思っていたのですが…もう出尽くしてしまったのか…?

いや、そんなことはありませんね。

現に、「自分を認めてあげる方法について」とか、「自分の変わった思考の話」とか、話しきれていないことはたくさんあるはずなんですが…。

おそらく、文章を書くのにある程度の時間を要するからであると思いますね。

この記事を書いていること自体に、私は「思考の整理」という意味を見出しているため、自分が納得できる文章でないと、皆さんにお披露目したくない、という思いがあってのことなのかもしれません。

なんだか、締め切り前の作家さんの心情を体験しているかのようです(笑)

というわけで、ブログを書き始めて以来初めての難産文章になることをご理解いただいた上で、次から始まる文章をお読みください。

今回のテーマは、さんざん悩みましたが、「発想の源」というテーマにすることとします。

先にも述べた通り、私は意外とアイディアがポンポン出てくるタイプの人間です。

特に、こと創作物という点においては、ふとした時に頭の中に浮かんできます。

道歩いてる時とか、とにかく一人で何かを考えてる時ですね。

その中で思考を重ねていくうちに、芋づる式に、あれよあれよと様々なアイディアができていき、結果数は多くなっている、という形になります。(アイディアの質はどうあれ、です…。)

そこで今回は、私の頭の中の整理も兼ねて、「私の発想は一体どこから来ているのか」ということについて、お話していきます。

結論から言ってしまえば、私の発想の源は、「音楽」から来ていると思います。

基本的に私は、何をするにつけても必ず何かしらの「音楽」を聴いています。

BGM系もそうですし、歌詞のある曲も当然聴きます。

課題をやる時もそうですし、創作物を作る時はもちろん、実はこのブログを書いている時も、私はずっとBGMを聴きながら書いてきました。

なんだろう…。個人の感覚なんですけど、何かしら音がないと、耳が寂しいんですよね。

その感覚があるので、作業をするたびに必ず音楽を聞いていたら、いつの間にか音楽から感じることを言葉に綴れるようになり、それを創作物の糧にしていったり、気分を整えたり、みたいな使い方をしていました。

なので、元気になりたい時は、はねるような曲調のものを聴くし、感傷的な、少し物悲しい気分になりたい時はそういう系統のBGMをわざわざ選択しています。

気持ちのチューニング、みたいなものかもしれません。

日常知らぬ間に感じているであろうストレスを、イヤホンをつけ、そこから自分のなりたい気分にあわえたBGMを聴くことで、自分の感情を無意識にコントロールしているのかもしれません。

イヤホンから流れる音楽って、閉鎖的な空間だけど、それが私にとって最も落ち着くからかも知れないですね。私は圧倒的イヤホン派で、正直ステレオ派の気持ちが理解できません。音が広がって全体を包み込むようなあの感覚は、何かに抱かれているかのようではありますが、あまりにも空間が広すぎやしませんかね…?と私は思っています。

また、私は一人の時間が絶対に必要なタイプの人間なので、ずっと人と一緒にいると疲れるタイプの人です。

なので、イヤホンから流すことで音を閉じ込めて、自分だけがいる空間を作り出します。そうすることで、音楽の世界にどっぷりつかれる上に、気持ちの整理をしたり、その過程でアイディアまで得られたり。こういった感じで、一石三鳥くらいのフェーズに入ります。

で、曲からインスピレーションを得た私は、さらに自分の中で発想を広げていきます。

ここから先の思考回路に関しては本当にもうよくわからないので説明できないのですが、唯一言えることは、「関連性のあるモノをどんどんつなげて考えていく」ということです。

芋づる式の思考回路、と先ほども言ったように、本当に私の思考回路は「連想ゲームの連続」です。

「脳内マジカルバナナ」を永久に繰り広げていっております。

そうして出たアイディアを、思いついたままにしゃべっていく、というのが一連の流れかな、と思っています。

これに関しては、理解できない人の方が多いと思います。現に私も自分自身が理解できていません。

なので、こと自分の思考回路、ということにおいて言葉で説明するというのは至極難しい、という結論を提示し、この文章を終わりたいと思います。

次はソロ活についてでも書こうかな~。あれは案外楽しいものですよ~。

またテーマは変わるかもしれませんが、そこは悪しからず。

それでは、ここまでお付き合いいただきありがとうございました。

失礼いたします。

パソコン作業をする時、椅子は低い方が良い。

 世はゴールデンウィーク、皆さんは今年何をされましたか。私は天気のいい日も暑くて半袖を着るような日も家にこもって卒論を書いておりました。腰肩首がありえないほど凝り固まり痛みも生じ悲鳴をあげていたので、絶対今週整骨院に行きます、今週の必須タスクです。
 卒論の話を始めるときっと私はずっとずっとしてしまうので程々にしておきますが、私の卒論、なかなか面白いぞと思って書いていました。まずテクストが面白くて先行研究や集めてきた資料も面白いので、まあそりゃ面白くなるしかないだろとは思いますが、私もその面白研究たちに参入するぞ〜という気持ちで書いております。何とか自分の手で面白いものを生み出したいという気合いだけは十分。でも結局自分が面白いと思えるか、興味を継続できるかって大事だと思うのでそういう意味では私は良い卒業研究ライフを送れているのかも。対象テクストにはおととし受けた講義で出会ったので感謝ですね~。
 卒論のはなしはほどほどにと言いつつ今回の更新は卒論に関係した内容になるんですが、私の研究しているテクストが『楢山節考』という棄老説話を下敷きに書かれた小説でして。これを初めて読んだ時、思わず私は自分の祖父母のことを考えました。小学校高学年まで私は曾祖母が二人存命だったのではっきり記憶があるお葬式は彼女らのものでした。曾祖母たちとは話したことはあったけれど、二人とも私が物心つく頃には徐々に認知症を患っていたようで、どんな方だったのかは両親や祖父母、親戚から聞く程度でした。その頃曾祖母たちやかわいがってくれた親戚の方が立て続けに亡くなりお葬式に出ました。生死の概念は分かっているのだけれど、それでも彼女らと一緒に生きた時間が短すぎて死の影響みたいなものがあんまり分からなかった。まあ小学生ってそういうものなんでしょうけど。自分の中で死は遠くて、でも大人が悲しんでいるのは伝わってきて、ぼんやりと死って怖いな~とか思ったような気がします。死生観って言葉がありますね、私のそれは非常に簡潔です。私は健康に300歳くらいまで生きたい。だってやりたいことも知りたいこともきりがないから。終わりがあると思うから人生を頑張れるのも分かるんですけどね。実際私は「今苦痛でもいつかこの先の自分にとっては意味あることになるんだろうな」と思いながら嫌なこと辛いこと乗り越えるタイプですし。ただ私はできるだけ元気に生き続けたいし、なんとなくできると思っている。いや、実際に300歳まで生きられないことは分かっているんですが、でも漠然と私はずっと生き続けることができるんじゃないかと思っている。それが若さなのかもしれないですね。そして私はそれを自分だけじゃなく両親や祖父母、家族、人類皆にも漠然とそう思っている。変わらずに続くものはないんだけれども、変わりながらも日常は続いていくと思っている。いやこれも分かっているんですよ、祖父母が身体の不調で手術を受けていることも病院に通っていることも。深層にある変わることへの恐怖を、変わらないと思いこむことで表に出さないようにしているんだろうななどと自分の心理を分析してみましょうか。変化って、怖ぇ~!と思う質なのでね。結局この手の話って限りあるものを大切にしようね~という結論に至りますが、まあそれに尽きますよね。私はできた人間には到底なれないが最低限どこか一部分だけでも人に誇れる人間でありたいと思うのって、私自身が家族や今まで関わってきた人間のことを大事に思っていて、人の顔に泥を塗るような人間にはなりたくないと感じているからだろうなと最近は思います。自分を大事にすることって人を大事にすることと直結すると思っているので。なんか今回、主題の重くて暗いテクストと向き合ってると自分の頭の中も暗くなっていくっていうのが手に取るようにわかる内容ですね。私という人間、影響を受けやすすぎる。
 テクストを読み込んで研究していく時、こういう感情の面は一旦置いておいて、あくまで論理的に何が言えるか考えるのが基本です。だから実際書いている途中はこういうことは頭にありません。でもこのテクストを研究しようと思ったきっかけは初読の感想で今回のブログに書いたようなことを思ったからですし、ちょっとキリがついた今なんかはこういうことを思い出すわけです。卒論を書く上で、テクストと向き合い先行研究と向き合い自分の論理的思考の部分と向き会う必要がありますが、感情の部分とも向き合って自己の在り方を見つめてしまうようなこのテクストはやはり面白いなと思います。少なくともあと七か月は卒論のことで日々頭を悩ませる生活が続きますが、これも限りあるものとして楽しんでいきたいです。では。

わたげ

こんにちは。もうすっかり春ですね。というより、もうすでに夏のようですね。街を歩けばたんぽぽの綿毛が飛んでいます。綿毛――耳に綿毛が入って――懐かしいセリフが頭の中によみがえります。

私は幼少期にディズニーアニメーション「くまのプーさん」シリーズを見て過ごしました。同じ話を何度も繰り返し再生し、すっかりセリフまで覚えてしまうほどでした。ベッドで寝言を言うプーさんの真似をして、布団に入って目を閉じながら一人ブツブツとプーさんのセリフを声に出していたら、母が不審な顔で様子を見に来たこともあります。1つお断りしておきますが、当時の私に「寝言」という概念はなく、プーさんは意識的に独り言を述べているものと思っていました。

こういうふうに、子どもの頃は何も理解せずにプーさんのかわいさだけを見て楽しんでいたものですが、大人になって改めて見返してみると、プーさんはお話の中で結構とんでもないことをしていることに気が付きます。例えば、ピグレットが自分の体の小さいことに申し訳なさを感じて家出をしてしまう話では、プーさんを始め残された仲間たちがイーヨーを水で縮めたり、ピグレットの服を着させたりして“新しいピグレット”にしようとするとか。まあ最終的に、ピグレットは旅の途中で蟻さんと出会い、小さな生き物もありのままでいればよいということに気が付いてお家に戻るというハッピーエンドなのですが。

そう、こんな話もありました。

ちょっとばかりやんちゃが過ぎたティガーさんにラビットさんは怒り心頭。プーとピグレットを呼んで、ティガーさんをこらしめるための作戦会議を開きます。ラビットさんの計画によると、ティガーさんを連れて霧の立ち込める森の中に行き、そこにティガーさんを置いて帰るというものだそうです。そうしたらやんちゃなティガーさんも困って、少しは大人しくなるだろうとのこと(やりすぎじゃない・・・?)。ピグレットは案外真面目にラビットさんの話を聞いて質問したり納得したりしているのですが、プーさんは何だか静かです。

ピグレット:「プー、今のラビットの話聞いてた?」

補足しておきますが、このときプーさんはとても眠たそうな顔をしています。

プー:「ん?なんだっけ?」

ピグレット:「ティガーをこらしめようって話だよ」

プー:「んー、途中で耳に綿毛が入って、よく聞こえなかったんだ」

ラビット:「もう一度説明するのは構わないが、どのくらいで入った?」

プー:「耳に綿毛が入ったところからもう一度説明してくれない?」

そうです。作戦会議の途中でプーさんは睡魔に襲われてしまい、ラビットさんの話をほとんど聞いていなかったのです。自分がうとうとしていたことをプーさんは自覚していたのかどうか怪しいですが、話を聞いていなかった理由を「綿毛が耳に入ったから」というふうに弁明しているのです。ちょっと苦しい言い訳ですが、ラビットさんは信じてくれたようです。ちなみに、この後置き去り作戦は実行されるのですが、ひょんなことからラビットさん自身が森の中で迷子になってしまい、ラビットさんがティガーさんに助けられるというオチになっています。ティガーさん曰く、「ティガーさんは森の中で迷ったりしない」とのこと。

「くまのプーさん」のお話については、話し始めると止まらないのでこのくらいにしておきますね。文字に起こすと物騒なことばかりしているように見えますが、アニメーションでは仲間たちみんなで頻繁にパーティーを開催したり、お互いを思いやって何かプレゼントを贈り合ったりと、もっとほんわか温かい話がたくさんありますのでご安心ください。何よりそのにっこりしたときの顔とか、柔らかいおなかとかがたまらなくかわいいので、大人になった今でも「くまのプーさん」は大好きです。

続・能楽堂への誘い

巷には黄金の休暇が訪れているようですが・・・皆様、いかがお過ごしでしょうか。本日のお相手はまどかです🐧

私ですか?えぇもう、それは存分に。ぞんっっぶんに!充実した毎日を過ごしておりますよ。バイト、バイト、演習準備、バイト、演習準備、課題…という具合。

10連休?知らない子ですね。


・・・。

どこ行っちゃったのォ~~~~~~~~~!!!?????わちきのゴールデンウィークぅぅぅ!!!
数日前、母親に「一応聞くけどGWどっか出かけるの?」と問われ、「・・・。ははッ、、(乾いた笑い)」という問答をした虚しさといったら!


はあ…。一先ず「私の黄金の休暇」の捜索願を出すとして、そろそろ本題も探しに行きましょうか。
本題の捜索願はブログを書き始める前に出しておきましたのでね、ご安心ください。そうです、ブログタイトルで全力ネタバレしております。未熟者の私めにはオシャレさも捻りも無いのでございます。

城之内さんも顔負けのネーミングです、伝わるのでしょうかこれ。


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そんな件のタイトルですが、、「続・能楽堂への誘い」ということで。まさかの、ありがたいことに続いちゃいました。

なんと前回と同じく、今回も本学の石井倫子先生を中心とした「プチ能楽鑑賞会」に参加させていただきました!前回は桃の節句の頃に国立能楽堂を訪れたのですが、プチ能楽鑑賞会への参加方法も併せてご紹介しておりますので、よろしければご覧くださいませ。
※参加方法はそちらでご紹介しております為、今回は割愛させていただきます。

https://mcm-www.jwu.ac.jp/~nichibun/blog/index.php/2024/03/05/



さて、この度観劇させていただいたのが4月27日に行われた「響の会」の第64回公演。演目は「大原御幸(おはらごこう)」・「川上」・「猩々乱(しょうじょうみだれ)」でございました。
「大原御幸」と「猩々乱」がお能で、「川上」は狂言です。


いずれも見応えのある作品ですが、中でも「大原御幸」というお能の上演時間は120分ほど!
一般的なお能の上演時間は60分~90分ほどのものが多いため、「大原御幸」はかなり長い方なのではないでしょうか。
その一方で、「猩々乱」は上演時間が45分ほど。こちらもビックリ、スタイリッシュすぎる上演時間です。

さらに、その2つを比べますと…

「大原御幸」➞かの有名な『平家物語』灌頂の巻の「先帝身投」などに取材した少々重いストーリー
「猩々乱」➞異類の存在である猩々(妖精みたいな、ともかく人外)が紆余曲折あって酔っ払いながら舞うといった明るいストーリー

このように話の長さも内容もまさに両極端なのです。


殊に、「大原御幸」は上演時間が長いことに加え、基本的には終始登場人物たちが座して対話するのみという非常にシンプルな演出となっているため、演者さんにとても技巧が求めらる作品なのだとか。
それら諸々の理由から、こちらの作品は公演の機会そのものが稀。SSR級でございます!

また、「猩々乱」は舞が「双之舞」という2人(匹…?)の猩々で舞う特別演出となっていたり、狂言の「川上」はコメディ要素の強い狂言の中でも珍しいシリアス系の作品だったりと中々お目にかかれないレアな要素が目白押しでした。
ガチャでいうところの3枚引きみたいな。



そのようなワケでして、見所紹介どころか見所しかないのです。どこを切り取ればよろしいのやら。いやはやどこも切り取りたくありませぬ、叶うなら全部ご覧いただきたい。

しかしながら、そうは問屋が卸さない。ですから、せめて、せめて私が試供品となりまして、皆様に少しでも能楽鑑賞の魅力をお伝えできればと存じます。



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先述の通り、「大原御幸」という公演機会の稀な作品を観劇できたことはもちろん、作品の舞台となる寂光院を表現するための「大藁屋」といった「作り物」(舞台装置や大道具)を実際に観ることができ、どの場面もとても印象的でした。


ミュージカルを始めとする舞台では多くの場合、舞台装置や大道具が登場しますが、能楽においては基本的に能楽師さんの演技や観客の想像力こそが舞台を支える舞台装置です。その為、今回のような中に人が複数人も入ることのできる規模の「作り物」は初めて拝見いたしました。


造形といたしましては、竹製の小屋のようなもので屋根付近には植物のツタが表現された、中に台でも置けば夏祭りの屋台にできそうな感じでございました。私の悪しき例えと想像力で途端に俗っぽくなってしまいましたが、、舞台が展開されてゆく中で、その夏祭りの屋台はいつの間にやら「侘し気な空気と趣をもつ寂光院」へと姿を変え、そこに息づく尼たちと完璧に融合していたのです。


こちらの大藁屋は流派によっても違いがあるようで、観世流と金剛流の大藁屋は3人の尼が座することの出来る、ひときわ大きなものであるようです。今回観劇したのはまさにその観世流であり、幸運に幸運が重なったというワケです!

そして、この作品はツレやワキツレが複数人いるなど登場人物が多く、壮観であることに加え、法皇や女院の高貴な身の上に対する視覚的な説得力がハンパじゃありません。何よりも、建礼門院の纏う侘し気な美しさと、拍子に寄り添うような安定した語り。そうでありながらもそこかしこに滲む複雑な情感には目を奪われました。
この作品に終始流れる、厳かでどこか寂寞とした空気感は独特としか言いようがありません。
幾重にも丹念に細工された、繊細な硝子細工のような魅力が溢れていました。

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続いてもう1つのお能作品であった「猩々乱」では、この作品専用の真っ赤で個性的な面と振り乱れる赤髪に目が釘付けでした。加えて、絢爛且つ重厚そうな装束を纏う中での見事な足さばき!


そうなんです、「猩々」さんたちのコーディネート。私たちが想像するような一般的な着物ではなく、時代劇で将軍サマとかがお召しになっていそうな、めちゃくちゃ分厚くて重そうな袴を!お召しなのです!


私なら一歩目どころか、着る段階で転びますね。大袈裟だとお思い?なら文明の利器でググってみてくださいまし。……私の運動神経がアレなことは認めますが。
兎も角、そのような扮装での優雅な舞にただただ感服するばかりでした。波を思わせるしなやかな動きと、煌びやかな青海波模様の大口袴の組み合わせがとても素敵で、不思議と舞台が波打っているようにも見えてまいります。


さらには、「双之舞」ということで橋懸りの方でも舞ってくださる猩々さんがいまして、、脇正面から見ると大変な迫力でした。

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見所満載、もはや見所100%ではございますが、中でも個人的に印象深かったシーンは以上のものになります。
ところで、私の前回の鑑賞会についてのブログをご覧いただいた方はご存知かもしれませんが。。。
私、野村万作師が大ッ好きでございます。

そして今回の狂言はな、なんと・・・野村万作師と萬斎師の親子共演!!
はわ…むり尊い。

元々頼りない語彙力が全て溶けだす勢いです。日本文学科の矜持とは。
えぇ。これではいけません。日本文学科の矜持云々は私めには荷が重すぎますが、このような醜態では素晴らしい舞台に失礼です。


先程もちらとお話いたしましたように、喜劇色の強い狂言の中でも「川上」という作品は思わず考えさせられるような部分のある、ただ笑ってお終いにはできないような作品です。

簡単に申し上げますと、

【結婚以来、目の病によって盲目となってしまった夫がある日霊験あらたかなお地蔵様のところへ参詣する。眉唾かと思いきや意外とガチだったお地蔵様によってなんと目が見えるように!!…ん??でもなんか、不穏なこと言ってる?「今の奥さんとは悪縁だから別れないとまた目が見えなくなる」だって!??え、別れるしかないじゃん。】



※粗すぎるあらすじです、気になる方はきちんとお調べいただくことを推奨します



修羅場の香りしかしませんね。ですが、この作品の考えさせられる部分はそこではありません!!
「見えるようになった目」と「長年連れ添ってきた奥さんとの離縁」、そこで揺れる夫と妻の間で交わされる会話とそのラストシーンに垣間見える「情」と「価値観」は決して舞台上の他人事では済ませられないようなものがありました。それらの詳細はぜひとも皆様の目でお確かめください。



ちなみに、私たちが観劇させていただいた際のキャスティングは万作師が盲目の夫役、萬斎師が妻役でございました。
万作師演じる盲目の老人が用いていた「盲目杖」の杖遣いは、「釣狐」などの時よりも柔らかく、盲目の夫の弱弱しさが杖1つにも表現されているように感じました。

今回は、特に登場人物の多い能の後の公演だったため、途端に舞台の上がぽっかりと伽藍堂になったように感じたのですが、、その舞台上に生まれた余白的空間と盲目故のパントマイム的な動きが相まって、観劇している人の想像力をより一層掻き立てていたのです。詞章と呼ばれる脚本のようなものを事前に読んでいたのですが、その限りでは先程紹介させていただいたように些かシリアスな雰囲気の作品だと思っていました。


しかしながら、そのような作品の中でもコミカルな動きを駆使して笑いを引き出されていたのは万作師と萬斎師の技量そのものであり、観劇者たちの想像力そのものでもあるのでしょう。それと同時に、作品本来のしみじみと考えさせられるような重みも存在していたのですから、凄まじいバランス感覚です。


また、万作師らしい優しい高音と萬斎師のハリのあるお声が、夫婦のパワーバランスをよく表していて「まさに」という感想しか出てこないような演技でした。手を引かれて歩き出すラストシーンには、演者のお二人が実の親子であることからも感じ入るものが多く、本当にこれ以上ないほどのキャスティングでした。



つまり、分かりやすく言うと、「解釈一致!!!!!!!!!!!!!!!」ってことです。烏滸がましいですね。


本当に、こんなふざけたヤツが参加してて大丈夫だったのか…?と首をお捻りのアナタ!
私もそう思います!!!!

とはいえ・・・ね。あれです、他の参加者である先輩方が素晴らしい方ばかりでしたので、若干1名アカンのが混じってても、、だめですか、だめですね。すみませんでした。
そんな当日の様子はこのような感じでございます。






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さてはて、色々と申し上げてまいりましたが。ほんの少しでも貴方様のご興味に触れるものはございましたでしょうか。

まだ能楽堂に足を運ぶのも2度目という、素人も素人な拙い感想ではございましたが。。。

逆に考えてみてください、2回目のこのような小娘がここまで楽しんでいるのです。

芝居やら美術やら、芸術の理解には齢の助けが必要不可欠、というより齢が芸術の味わいを深めるのでしょう。経験や知識がさらなる感興を惹く。その広がりは、若人にはまだ遠く及ばぬほど大きく広い。
そのような気がいたします。

ですから、貴方様なら私などよりももっともっと楽しめるのかもしれません。
もちろん齢などただの一例です。そういった考えもできる、というだけで、そもそも芸術の楽しみ方は千差万別。


どうかこのブログをご覧になって、ほんの一匙、どれだけ僅かほどでも、心が揺れた瞬間があったのなら。能楽堂へ足を延ばしてみてほしい。
たったその揺らぎだけで、きっと舞台に向かう理由には十分なのです。

まとめ書きDiary

こんにちは、ゆきほです🍵

『あれ?なんかこの人先週も書いてなかったっけ……?』って思った方、超鋭いですね。今月は中旬が忙しくなりそうなので、敢えて一発目で書かせていただいております。

今年度ブログ部の部長を務めているため半月に1回このブログの更新シフトを組んでいますが、更新の頻度が極端に短く(1週間後に即次の更新日が来ちゃうとか)ならないように調整しているので、5日で次の更新が回ってくるなんてめちゃくちゃレアケースです。こんなシフトの入れ方、普段はしません。

今回はそんな珍しい存在になった私の前回の更新日の翌日から今日までの5日間を綴ってみようかと思います。先に書きますが、大したことはしていません。

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4月27日(土)

部屋が暑くて、休日にしてはちょっと早く目が覚めた。

土曜日はピアノの日なので先生の家に向かう。父がリビングで暇そうにしていたから車で送迎してもらった。

小中学生の時は某音楽教室に歩いて通っていたが、先生がそこを辞めてしまったため、高校生になってからは同じ先生が自宅で教えている教室に電車で通っている。(もちろん好きではあるけど)音楽が好きで続けているというよりは、先生が好きだから続いているという感じだ。続けている年数の割にはそこまで上手でもない。

いつも通りインターホンを押して勝手に入ると、先生が好きなピアニストのコンサートのチケットを取れたと喜んでいた。1時間サイトと格闘していたそう。ちなみにそのピアニストのどこが好きなのかというと”顔”らしい。演奏とかちゃうんかい。

帰宅して午後はアニメを一気見した。歩いている時にふと中学生の時に好きだったアニメのことを思い出して見始めたが、びっくりしちゃうくらいおもしろくて気がついたら夕方になっていた。

夜は小説を一気読みしてから寝た。児童書で文字が大きかったから、もっとゆっくり読めば良かったという後悔はなく寝れた。

4月28日(日)

この前のブログで「週末衣替えをする」とか書いちゃったから、仕方なく衣替えをする。別に書いたからと言ってやらなきゃいけないわけではないけど、ブログでやるって書いたことは実はその後ちゃんとやっていたりする。
私の辞書には「寒の戻り」なんて言葉はないので、春服は残らず全て片付けてしまった。今後は寒くても7分袖で耐えるしかない。

勢いに任せてついでに部屋の片付けまでしてしまった。ものを捨てられないし、出したものは元に戻さないダメな人間なので片付けても一瞬で散らかる。そろそろ大規模な断捨離を敢行したいが、今ここでやるって言ったら次回の更新までにやらないといけなくなるから書かないでおく。

夜ご飯を家で食べるのが私だけだったため、ナポリタンを作って食べた。帰ってきた母に「冷蔵庫に入っていたウィンナー、賞味期限すごい切れてるけど」と言われて怯えていたが、今元気だから多分大丈夫だろう。

4月29日(月)

祝日だけど授業はある。2限がお休みだったから4限しかなかったが、学校でお昼を食べようと思い12時着くらいになるよう登校した。

さすがにまだ誰もいないよなと思いつつ、4限を一緒に受けている友達2人に「何時着くらいで学校来る?」と連絡したところ、「もういるよ!」「半には着く!」と返事がそれぞれ即来る。みんな来るの早すぎるって。

祝日故に心做しかいつもより空いている学食でみんなとお昼を食べ、そのまましばらく喋り、お菓子を買って4限の教室に移動してまた喋っていたら15時になっていた。家でゴロゴロする3時間と学校でダラダラする3時間は、同じような”特に何もしていない”3時間ではあるが、後者の方がなぜか圧倒的に「なんか活動的に過ごせたな感」が出る。
今日も学校にいた時間の3分の2は食べて喋っていただけだが、「1日頑張ったな~」と思いながら家に帰ってチョコを食べた。

帰宅してからブログのシフトを組み始める。自分を1日担当に入れたため、昨日と一昨日の分の”これ”を思い出しながら書いた。『そうだ!今回は日記を書こう!』とか思いついて書き始めたが、まとめて書いている時点でもはや日記ではない。

4月30日(火)

2限が休講だったため、1限だけ授業を受けて友達と遊びに出かけた。お昼ご飯で回転寿司に行ったが、私には回転寿司との切っても切れない深い因縁がある。

高校生になる直前の春休みに「5皿食べるとガチャガチャが回せる」あの回転寿司が好きなアニメとコラボしたため、推しを引くべく家族と行ったが、「あと1皿食べればあと1回回せる」を繰り返して限界を超え、逆流性食道炎になった。高校の入学式の日もものすごく体調が悪かったが、今日行かないと絶対友達ができないと思い気合いで参加し、半日必死で吐き気と格闘した。のんきに友達をつくってLINEを交換しているような体調ではなかったため、ホームルーム終了後即帰宅した。

あの逆流性食道炎がトラウマになり、私は回転寿司に行くと毎回「自分が今腹何分目まで食べたか分からない問題」に直面している。今日も分からなくなったが、逆流性食道炎にはなっていないと信じている。

5月1日(火)

雨が降っていて寒いが、春服は一昨日全て片付けたため7分袖で震えながら学校に来た。家を出ようとしたら母に「なんか寒々しい」と言われた。

お昼調達のため2限の前に生協に行くと、抹茶メロンパンが今日で終売という信じられないニュースが入り込んできて、ショックを受けながら買った。2限の間にリュックに入れておいたせいで、昼休みに食べようとしたらすっごく潰れていた。潰れていてもおいしいものはおいしいから問題ない。抹茶メロンパンは明日にでも復活してほしい。

そして現在。空きコマ真っ最中なので、図書館の地下で課題を出すなどしてのんびり過ごしている。そろそろ図書館を出ておきたいところだし、家帰ったら絶対に忘れるから、ここら辺で締めて更新しちゃいますね。

ではまた。

ほっかむり帰省

皆さん、こんにちは!

姿なき大恩人に、感謝してもしきれないももこです。

事の発端は金曜日にさかのぼります。5限の教室に移動してから、それまで持っていた日傘がなくなっていることに気がつきました。「あれ?ない…、ない…」と焦っているうちに授業が始まり、日傘を探しに行けたのは18時50分過ぎ…。その日授業を受けた教室やお昼ご飯を食べた場所、トイレまでくまなく探しましたが、日傘は見つかりませんでした(泣)。遺失物を保管している学生支援課を訪ねようにも、時間的にもう閉室してしまっている…。その日は肩を落としながら、とぼとぼと家に帰りました。

白いすずらんの花の刺繡があしらわれたその日傘は、母と東京散策した時に買った思い入れのあるもの。休日は何をするにしても頭の片隅に日傘のことがあって、なかなかつらかったです。何気なく自分が使っているものでも、急になくなってしまうと大きな喪失感に襲われることを身をもって体験しました。“失ってはじめて気づく”ってやつですね…。

そんなこんなで、本日、気を取り直して学生支援課に日傘の落し物がないか聞きに行ったところ、なんと…、ありました!もう一気に緊張の糸が切れて、喜びの舞を踊りたくなってしまうほどでした(笑)。本当によかった…!

誰かは存じませんが、私の日傘を学生支援課に届けてくださった方、この場を借りて感謝申し上げます。誠にありがとうございました!姿なき恩人に大きな幸せが訪れますように…。

さて、私の落し物のお話はこのあたりにしておきましょう。今日は昭和の日で、世間は祝日ムード全開ですが、本学は普通に授業がある日ですね。他の人々がお休みしている今も、一生懸命授業を受ける私たち、授業する先生方、職員の方、きっとこの後何かいいことがあるはずです(笑)。

ゴールデンウィークも中頃まできましたが、皆さんはどんなご予定を立てているでしょうか?

私は、水曜日の5限の授業が終わったらそのまま新幹線に飛び乗り実家に帰る予定です。授業の関係で月曜日には東京に戻らなければならないので、束の間の弾丸帰省ですが、映画を観に行ったり、ご飯を食べに行ったりと、楽しい予定で日程がぱんぱん(笑)!

また、今回の帰省では、私が履修している教職課程において、来年実施される教育実習の内諾書を母校に届けなければならないので、少し緊張しています。

実際に実習校へ赴く際は、身だしなみに気を付けるのは当たり前のことですから、明るめだった髪の毛を暗い色に染め直してきました。「ハリーポッター」のロンみたいな赤毛になりたいという願望から、これまでオレンジ味の強いブラウンのカラーをしてきた私。美容師さんによると、明るい色は何度もカラーすればするほど色が入りやすくなるとのことで、私もここ最近になってようやく色がきれいに映えているなぁと感じていたのでした。ですから、教職をとる者としての自覚と責任を持ちつつも、ちょっとだけ(ほんとにちょっとだけ)もったいないなぁなんて思ってしまったのも事実です(笑)。

でも、私が髪を暗めの色にしたくない理由は他にもあります…。

忘れもしない、春休みに帰省していた実家から東京に戻ってくる日の朝。メイクをし終えて台所で水を飲んでいたところ、急に父に「髪の毛赤くない?」と言われたのです。私は内心、「おっ、お父さん分かってるじゃん…」とほくそ笑んだのですが、次に父の口から出てきたのは衝撃の言葉…!

「人って第一印象が大事だから…。似合う似合わないもあるし…。落ち着いた感じの方がいいと思うよ…、愛子様みたいに…」

そう言われた瞬間、開いた口が塞がらず、それまで口に含んでいた水がダバーっと顎の方まで流れてしまいそうでした。お父さん、プリンセスと一般庶民を比べないでください。「もしかしたら愛子様だって、明るい色の髪にしたいのかもしれないよ」と下らない反論が喉まで出かかりましたが、ニコッと笑ってその場を後にしました(偉いぞ、自分!)。

その後、新幹線の中できーっと言いながらハンカチを噛んでいたのはここだけの話です(笑)。お父さんの分からずや!

ちょっと長くなってしまいましたが、このように私と父の間に髪色に関する小さな攻防がありましたので、父が言っていたように、暗い落ち着いた感じの髪の毛で帰省するのがとってもモヤモヤするんです。「ほれみたことか」と思われても癪なので、ほっかむりをして帰ろうかしら(笑)。

大学生の娘さん、年頃の娘さんを持つ世のお父様方、むやみに娘さんの髪色やメイクに口を出してはいけません。遅めの反抗期がくる可能性が大きいです(笑)。ご注意を…。

本日もお付き合いいただきありがとうございました!それでは、また!

シュレディンガーの猫とおにぎりのはなし

皆様こんばんは。しおん🦜です。

本日はシュレディンガーの猫の実験とおにぎりが似ているのではないかというお話しです。

先日、妹と母が作ってくれたお弁当のおにぎりを持って少し遠くの公園まで散歩に行った時のことです。かわいい猫様がいらっしゃったので写真を撮っていた時に、ふと思ったのです。シュレディンガーの猫とおにぎりは似ているんじゃないかと。

皆様はシュレディンガーの猫という実験をご存じでしょうか。不快に思う方がいらっしゃるかもしれませんが、実験の内容を説明させていただきます。

もし、無理だなと思われましたら、気分が悪くなってしまう前に読むのをお止め下さい。

まず、猫を外から様子を見られない箱の中に入れます。そうしたら、いつ自然崩壊するかわからず、自然崩壊を起こした場合必ず猫が死に至る放射性原子を同じ箱内に入れます。箱の蓋を閉じ、しばらく待った時、箱を開けるまでは、猫が生きているか死んでいるかわからず、その状態の時には、猫が生きている世界と猫が死んでいる世界がある。というものです。

この実験では、猫が生きているか生きていないかということに焦点が当てられますが、ここでは、確実性と不確実性について着目させていただきます。

まず、前提として実験が成り立たなくなってしまうため、箱の中に必ず猫は入れるものとします。

まとめますと、

・放射性原子の自然崩壊が起こるかどうか   →不確実

・放射性原子の自然崩壊が起こるタイミング  →不確実

・放射性原子の自然崩壊が起こった時の猫の死 →確実

ということになります。

では、おにぎりではどうでしょう。

後で少し使う私の情報としまして、たらこおにぎりが好きだと少しだけ覚えておいていただきたいです。

猫の時と同じように、おにぎりがなければこれは成り立たないので、おにぎりはここにあるものとします。

一般的なおにぎりを考えた時、のりが巻いてあるかどうかは置いておいて、外から眺めるだけでは具が入っているかどうかわかりません。また、具として何の具が入ってるのかもわかりません。そして前に書いた通り、具としてたらこが入っていた時に私は喜びます。

こちらもまとめますと、

・おにぎりの具が入っているかどうか →不確実

・なんの具が入っているか      →不確実

・たらこが入っていた時に喜ぶ    →確実

ということになります。

シュレディンガーの猫と、おにぎりを比べた時、どちらも不確実と不確実によって確実が支えられているということが見て取れます。

こんな理由から、私はシュレディンガーの猫はおにぎりに似ているという結論に辿り着いたのです。

皆様、「感情なのだから、確実ではないだろう」や「ステップが一つ足りないんじゃないか」などなどのツッコミがあるかと思います。ですが、あくまで、似てるな程度の若者の変な思い付きだと、甘い目で見て頂けますと幸いです。

それでは、また。                         

                                 しおん🦜

新生活すたーと

しばらくお休みをいただいておりました。

春休みはサークルや地元のお祭りに参加するなど、バタバタしつつも充実した生活を送っていました。大学が始まってからのほうが落ち着いて時間をとれるという不思議な状況になりましたが、今回からブログ部としての活動を再開します。ご迷惑をおかけしたブログ部のみなさん、読者の皆さま改めてよろしくお願いいたします。

ブログ部に新しく部員が増え、大学にも1年生が入学して新生活をいたるところで感じる今日この頃です。と同時に自分が3年生になったという事実を受け入れられずにいます。未だ高校卒業直後のきゃぴきゃぴした気持ちを忘れまいと思っていますが、やはり”本物“を見ると自分の成長を感じますね…

大学に入ってからの充実度で、私のアイデンティティの一つでもある、ヲタク趣味にも色々と変化が起こっています。推しが増える、新たな界隈に手を出すなど広がりが生まれる中で、追いつけなくなるコンテンツもあるわけでして。推しを推す気持ちもコンテンツが大好きな気持ちも変わりないのですが、日々更新される情報を処理できずに浦島太郎状態になっているものの代表例が「あんさんぶるスターズ」です。ブログでも何度か愛を綴ってきたのですが、最近の生活の充実度に比例してストーリーに追いつけていないのです。

そんな「あんスタ」ですが、この度おめでたいことに9周年を迎えるということに気づきました…!9年、義務教育が終わるような長い期間継続しているコンテンツに改めて尊敬の念を覚えます。しばらく離れているうちに、いくつかの大規模なイベントを越え、新曲も沢山リリースされ、新たな企画、なにより新キャラクターが発表され、久しぶりに開いたアプリから情報にぶん殴られる快感を思い出しました。

お祝い事、お祭り騒ぎといった感じで、懐古するしかできなくなっていたヲタクもそろそろ新しいストーリーに踏み出そうかと重い腰を上げるつもりです。私の最上級な推し、斎宮宗様の動向も把握できていないので、まずはそこからストーリーを読み始めようと思います。

自分の生活にあわせたペースで推し活できるメンタルを保つこと出来ているのは、なかなかありがたい環境だと感じさせられています。新入生の皆さん、新しい生活と今までの生活の違いに悩みを持ち出すころかもしれませんが、何事も自分のキャパシティーを見極めて楽しめる範囲で推し活することをおすすめします。新生活楽しんでくださいね。

久しぶりの更新で、なんだかとりとめのない文章になってしまいましたが、お読みいただきありがとうございました。これからも気を引き締めて精進してまいります。

改めて、あんさんぶるスターズ9周年おめでとうございます。

これからのアイドルたちの輝きに期待しながら見守ります。

そろそろ替えどき

こんにちは、ゆきほです🍵

暑さに弱いので、今年のGWは暑いらしいという話を聞いて怯えています。

ついこの前春服を出したばっかでまだ半袖出してないんですけど、これ多分そろそろ出さなきゃいけないやつですよね。明日にでも出したいです。

お昼ご飯を食べ、さてブログ書くか~~と思ってホットコーヒーを入れたところ、どうやらそういう気温ではなかったようで全く飲む気が起こりません。これを書き終わる頃には冷めているかと思うので、一旦この先も書いちゃいますね。しばらくお付き合いください。

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私がずっと使っていた枕は、小学校低学年の時に母のお下がりで譲り受けて、母が使っていた期間も含めると恐らく15〜6年間毎晩酷使されてきた年代物です。
もちろん大のお気に入りで、外のカバーを数回取り替えて大切に使ってきましたが、さすがに経年劣化が激しくて。そろそろ買い替えたいな〜とここ数年ずっと思っていました。

そんな時に近所に家具屋さんがオープンし、母と見に行ったらいい感じの枕とかわいい枕カバーを発見。これは遂に”買い替え時”が来たのでは……!?と感じて衝動買いしてしまいました。

夜寝る前、古い枕は一旦勉強机の椅子に移動させて新しい枕をベッドに置いてみます。まだ部屋の風景に馴染んでいないような気もしますが、1週間も経てば慣れるでしょう。
ちょっとだけ寝っ転がってみます。今まで使ってた枕は固めなものでしたが、新しい枕はふわふわなものを選びました。

……うん。まあ、そりゃもちろんいつもとは違うけど、これはこれでふわふわで心地いいです。よく眠れるような気がしてきました。

メガネを外してお布団をかけて、本格的に寝る体勢になります。明日は授業が2限からなので、いつも通りの時間に寝ていつも通りの時間に起きるだけですね。なんの心配もありません。

それでは、おやすみなさい。

***

ダメだ!!全っっ然寝られない!!!

ベッドに入ってから1時間半。眠いような気はするのに一睡もできません。早起きはしなくてもいいとは言ってもそろそろ寝たいところです。
目を開けて右側に寝返りを打つと、勉強机の椅子と古い枕がぼやけている視界に入りました。ふと考え込んでしまいます。

いつもはすぐここにある枕が、今日はあんなに遠くにある。
この枕、ずっと椅子の上に置いておくわけにもいかないけどどうしよう。私は使わないけど、誰か使……使わないよな。えっどうしよう、捨てるの?……まあでも捨てるしかないか……いつ捨てよう、明日?明後日?

………いや無理!ぜっっったい捨てられない!!

椅子に手を伸ばし、いつもの枕をベッドに戻しました。新しい枕を右に、いつもの枕は左において左に寝転がります。いつもは壁よりの右端で寝ていますが、今日は壁がない左側です。友人たちと旅行に行った際、「夜中に起きたらゆきほちゃんが斜めになっていた」と言われたレベルでは寝相が悪いらしいので、落ちないことを祈ります。

わあ、やっぱりこれだ。
横になって一息ついたらようやく“普通に寝られそうな”眠気がやってきました。この枕とお別れなんて無理だ、捨てようとか考えちゃってごめんね。今度こそおやすみなさい。

***

そして今。私のベッドはこうなっています。

(この辺にたくさんのぬいぐるみ)
【新しい枕】【いつもの枕】(横に抱き枕)

狭い、狭すぎる!!枕2個だけじゃなくてぬいぐるみと抱き枕までいたのか!!と思いましたよね。現状これで熟睡できています。家族には「悪夢見そう」と言われますが大丈夫です、悪夢見ません。
寝るときはいつもの枕のところにいるはずなのに、朝起きたら新しい枕の方にいるのはなんでなんでしょうね。ぬいぐるみと抱き枕はちょくちょく落ちていますが、私自身はまだ落ちていないので大丈夫です。

全然違う枕が2個置いてあるベッドが部屋に馴染む日って来るのかな?とちょっと思いつつ、今日はこのあたりで締めようかと思います。

ではまた。コーヒーも飲み終わりました。