20歳と母とわたし

どうやら、生まれてから20年が経ったらしい。
私はなにか成長したのだろうか?

図体ばかりでかくなって、精神は依然として赤子のままだ。今日もぬいぐるみを抱いて眠る。

20年、色々なことがあった。
嫌なことも、悲しいことも、辛いことも、
楽しいことも、幸せなことも、嬉しいことも。
たくさん、本当に色々なことがあった。
人生のサビはもうそろそろ終わる。そんな気がする。
エピローグがはじまって、第二章がはじまるのだろう。第二章の主人公はおそらく私では無いはずだ。おそらく、きっと、上手くいけば。

誕生日、母にプレゼントを貰った。
ノートに私の幼少期の写真がたくさん貼られたアルバムだった。
母と共にわらう幼き日の私がそこにいた。
愛されていた記憶。愛されている自覚。
もう子供には戻れないことを実感するとともに、私はこれからも一生このひとの子供なのだと思った。幸せだった。今も、幸せ。
私の名前の候補に、「奏」というのがあったそうだ。由来はスキマスイッチの奏。
その話を聞いてから、奏を聞くと母に重ねるようになった。
そのアルバムにも、奏の歌詞が書いてあった。書いてあったというか、貼られていた。コピーで。ちょっと笑った。

けど、その歌詞があまりにも重く、深く、刺さってきたものだから親の前でしゃくり上げて泣いてしまった。私は子供の頃から泣き方が変わらないらしい。とても泣き虫なのに、泣くのが下手なのだ。
ページをめくる。少しずつ私が大きくなっていく。小学生の私は、今よりずいぶん幼いはずなのにとても大きく見えた。母からのメッセージにも、たくさん泣いた。
次のページも、ママからのメッセージです。
と書いてあったので、ああ、私はきっと、絶対に泣いてしまう。そう思いながらページをめくった。

SnowManの曲の歌詞が、貼ってあった。

崩れ落ちて笑った。
おい、母よ。嘘だろ?
今の母娘の共通の趣味は、SnowManである。
それも母のハマりっぷりがもうとんでもなく、元々感性が若い母だが、その中でもきっと今が一番とびきり若い。もう、それはそれは、とんでもなくハマっているのだ。
いやいやいや、それにしてもだろう、母さんや。
娘の、20歳の、誕生日の、アルバムの!最後のページである!!
SnowManて!!!しかもラブソングて……。
いい曲でしょう?と言われた。いやいい曲だけれども。しかも、特に伝えたいところだったらしいところには赤いマーカーが引いてあった。あっ、ここが伝えたかったんだ……と思い、じわじわ来てしまう。

その曲はオレンジKISSという曲で、そして私の推しのイメージカラーはオレンジである。
「ほら、康二くん(私の推し)カラーだから、オレンジKISS!♡」と母。
本当にかわいい母である。

そういえば、中学受験の時に合格はちまきに寄せ書きを書いてほしいと母に頼んだことがあった。
その時母がハマっていたハイキュー!の名言を書かれた。
確かあの時は「ママの言葉で書いて!」と怒った気がする。
私も20年変わっていないが、母もおそらく20年変わっていない。ずっとずっと、とても可愛らしくて、面白くて、天然で、そして私をなにより愛してくれている母である。

道一つ

文学ってお好きですか?




そのきっかけって何ですか?


***


随分とご無沙汰していやがると思ったら、いきなりズケズケと不躾なインタビュー。大変失礼いたしました、此奴はそんなヤツでございます。
どうもお久しぶりです、近代文学とペンギンに一生全力片想いのまどか🐧です。


さてはて、文学。藪から棒をズゴォォォォォォンッッと出しているような具合で相すみません。
私、実はこんなんでも文学部に所属しておりまして。いやまァ、「これは文学部日本文学科のブログなんだからそりゃそうだろ」と言われてしまえばそれまでですが。
今までのブログを見ても、既にしたためている数行を見ても・・・全く適当ばかり言い放つお騒がせなヤツであることはまず間違いない。そんなんだから、もう。
こんな適当そうなのが、文学をこよなく愛しております!!と宣言したところで、寧ろ文学に失礼なのではないかと全く身の縮こまる思いでございますが。



文学、愛してます!!!!!!大好きです!!!!!!!!!!!!



何でしょう。身が縮こまったくらいで私が静かになるだなんてお思いですか。残念ながら私、口から生まれた口太郎。口は禍の元なれば、私こそが禍。一生黙りません。黙れません。
好きなものを好きと言えない苦痛は知らない訳じゃァない。だが、好きなものを好きと言えず、二度と口にできなくなったことがある。その、気化する手前で一生涯ぐつぐつと煮え続ける後悔を、自身の選択への憎悪と不信頼を、抱えて歩む苦痛の方が痛い。私には痛い。
それ故に、私は口に出すことを選択する。口からも身からも出た錆を私は飴玉として舐める。



つまり?

「誰かの地雷は誰かの主食。誰の地雷にも配慮しません!ほんとすみません!」
ということです。
もちろん、公的な範囲で公開しているものですから、気を付けたくは思っております。マイナスな発言など以ての外と承知しており、実際する気も毛頭ございません。
しかしながら、今までのブログでくどくどお伝えしてきている通り、好きなものに対して愛を叫ぶ質でございます。振り返ってみなければわかりませんが、おそらく毎回何かしらに「好き!」と騒いでいるのではないでしょうか。そしてそこで非常に気がかりなのが、私の「好き」が何方かを不快にさせていないか、不用意に傷つけてはいまいかということなのです。
先程マイナスな発言は止している、と申し上げましたがそもそもマイナスな発言って何なのでしょうね。わかりやすく多くの人を不快にさせてしまう言葉というのはあれど、それらに限らず私がプラスな発言だと思っていることも何方かにとってはマイナスなものやもしれません。ではその逆もまた然り?それなら裏の裏は表?いやそもそも裏と表の違いはあるの?何が隔てているの?例外は無いの?どこに正解があるの?……あぁ終わりが、ない。

残念ながら、現時点では皆目見当もつかず、誰の地雷にも配慮できそうにないのです。そもそもそれが成せる方がいらっしゃるのかも存じ上げませんが。
だからといって「できない」ことに居直ることも、そんな、肝の据わったこと、とてもとても。ですから、私はこれからも「好き」という凶器を気を付けて気を付けて……ブン回させていただく所存です。

ここまで申し上げた上で、先に謝らせていただきます。本日は「文学」に対する私の偏った「愛」が書かれるせいで、文学がお好きな方にもそうでない方にも、お心にそぐわない部分がありそうです。ご気分を害されましたら申し訳ございません。謝罪ついでに弁明も加えておくと、単に素敵な企画展を紹介したいだけなのですが、どうしてもテーマが「文学」ですから、えぇ。


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はい、長い。本題に入るまでが長すぎる。もうほんと、成人も見えて良い歳なのだからいい加減にその臆病な向こう見ずを辞めなさい。なかなかどうして上手くゆかない。


と、こんな調子ではブログまで梅雨入りしてしまう。暦に置いて行かれる前に手早く本題に移りましょう。
さて本日行って参りましたのは「早稲田大学演劇博物館」。
通称「エンパク」と呼ばれておりますこの博物館は、本学からも頑張れば歩いていける距離にございます。電車で向かわれる場合も、荒川線の早稲田駅や東西線の早稲田駅などからアクセス可能となっております。もしくは高田馬場駅からバスを利用することもできるようで、それぞれの方に合ったアクセスができそうです。
早稲田大学の敷地内に位置しておりますので早稲田大学に向かうイメージで向かわれるとおそらく辿り着けます。そのような博物館となっておりまして、その設立者はなんと坪内逍遙!近代文学の道を切り開いたことで知られる彼は、演劇にも造詣が深く多大なる功績を残されました。そんな彼が設立したエンパクにはその名の通り、演劇に関わる様々な資料が幅広く展示されています。逍遙が70歳(古稀)の時に作られたこの博物館は今や創立96年を迎え、現在は新宿区有形文化財に指定されているようです。


そして今年の6月7日から8月4日まで特別展「文豪×演劇ーエンパクコレクションにみる近代文学と演劇の世界」が開催されています。中でも本日7月12日は「坪内逍遥×坪内逍遙ー『文豪とアルケミスト』から辿る文豪たちの世界」という特別イベントが開催されておりました!(「遙」の字はゲームの表記とエンパクの表記それぞれに倣った上での使い分けなんだとか)

今回私はこの特別展とトークイベントに近現代自主ゼミの友人たちと参加させていただきました。

場所は先程も申し上げましたように早稲田大学のキャンパス内に位置しており、校内案内図などを頼りに進むとアンティークな香り漂うお洒落な建物が見えてまいります。こちらはロンドンの「フォーチュン座」という劇場を模して作られたのそうで、建物内も非常に味わい深い造りになっています。


この日は生憎のお天気のために傘を持ちながらの必死の撮影でごさいまして、この素敵な雰囲気をお伝えできている自信が無いのですが…晴れている日に訪れますときっとさらに絵画のような一枚になるのではないでしょうか。

こちらの建物は3階建てで、能楽や文楽といった日本の伝統的な演劇から海外の演劇、それから現代の様々な演劇まで幅広いテーマの展示室があります。実際に舞台に用いられる道具の展示はもちろん、今回は特別展エリアにて「演劇に関わる書簡」や「書き入れのある脚本」、「舞台装置のイメージ図」などなど〈文学〉×〈演劇〉というテーマに沿った多種多様な資料を見ることができました!

特に今回はゼミの友人たちと回っていたため幾人もの作家の字を拝見しつつ、この作家の字が好きだ!とか読むのが難しい!だとか好き好きな感想を抱いておりました。ちなみに友人は森鷗外の字がお好きなようです。私は今回の展示の中では谷崎潤一郎の字が好みでしたが、それはそれとして正宗白鳥のいつ見ても特徴的な字に実家のような安心感を覚えつつ次の展示室に足を向けました。このあたりは完全に個人の好みですし、また失礼な話でもあるのですが…このような気楽な話ができるのも友人と行くことの魅力の1つなのではないでしょうか。
また、こちらの特別展には先程ご紹介した作家だけでなく多くの文豪の展示がございます。中でも私は三島由紀夫の書き入れが見られる「トスカ」というオペラの脚本や、役者さんへ渡した自筆の名刺に心を掻き乱されまくり、限界化をキメて参りました。食い入るように見つめるなんて言葉があるとすれば、もはや私のは嚥下した後です。ムシャァ……(新手の怪異)



…あ、そうそう、今回の特別展のスペシャルポイントはそれだけではないんです。
なんと人気ゲーム「文豪とアルケミスト」(通称:文アル)とのタイアップ開催なのです!
皆様は「文アル」、ご存知でしょうか。近現代自主ゼミには「文アル」がお好きな方が何人かいらっしゃいまして、展示室に飾られていたコラボ特大パネルを前に悶絶した後動けなくなっていました。私は少し前に始めたばかりなのであまり詳しくはないのですが、、草野心平がお持ちの「ぎゃわず」という蛙のパペットが可愛すぎていつも助手をお願いしています。たまに尾崎放哉にもお願いしていますね。

さて今回はエンパクとのコラボということで坪内逍遙がピックアップされ、文アルの坪内逍遥と彼に関係の深い二葉亭四迷・森鷗外の等身大パネルもございました。
お写真は逍遥先生のご尊顔フルパワーの寄りショットとなっておりますが、全体像も迫力があって素晴らしいのでぜひ皆様自身の目でご確認いただければと存じます。二葉亭四迷と森鷗外も傍にいますので要チェックです。






さらに、来場者の方は逍遥先生とのコラボしおりもゲットできちゃいます!これがもう本当に可愛い。お写真では片面しか映っていませんが、もう一面には実際の坪内逍遙バージョンのしおりが入っており、2枚セットです。なんと豪華!!
こちらのしおりは入ってすぐのミュージアムショップのようなところで配布してくださっています。そこではコラボクリアファイルなども販売されていますが、どれも数量には限りがありますのでご興味のある方はお気を付けくださいませ。


「早稲田大学演劇博物館」公式HP
enpaku 早稲田大学演劇博物館 (waseda.jp)


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加えてその他にも展示品は多岐に渡っており、もっとゆっくり拝見したかったのですが、、、その日はゼミ員皆4限の後に向かっておりましたため見るには時間が全く足りず心残りしかありません。早くもリトライの決意を固めております。

何故こんなにも急いでいたのかと申しますと、先述の通りこの日はトークイベントの開始時刻が迫っていたのです。先にもチラリとご紹介しましたが「坪内逍遥×坪内逍遙ー『文豪とアルケミスト』から辿る文豪たちの世界」と題して行われた、「文アル」のプロデューサーである谷口晃平氏をお招きしてのトークイベントを拝聴すべく先を急いでいました。


会場となったのは大隈記念講堂小講堂で、落ち着いた色合いの素敵な舞台には坪内逍遙と逍遥先生の等身大パネルが隣り合って立っていました。エンパクの方にどうして逍遙先生の等身大パネルが無いのかと思っていたら、こちらにいらっしゃったワケです。
そして、トークイベントではプロデューサーの谷口晃平氏とエンパク館長で早稲田大学の教授でもいらっしゃる児玉竜一先生、そして東北大学で教鞭を執られている赤井紀美先生のお三方によって、〈文学〉と〈演劇〉の関連性やゲーム開発のお話が色々な角度から語られました。
何となく「文学」と「演劇」と聞くと、脚本を始めとするストーリー展開的な要素に接点を求めるのかとばかり思っていたのですが、トークイベントを通して硯友社・文藝春秋などなどが稀に行っていた「文士劇」や作家たちが役者へ送ったファンレターのお話といった色々な角度から接点を知ることができました!
今回このような貴重な機会をくださった近現代自主ゼミの先生とトークイベントの先生方には本当に感謝しかございません…!



また、谷口氏からは「文アル」において原作(ゲーム)と舞台・アニメそれぞれで異なったストーリーラインを取っていることについて、そのお考えを伺うことができました。個人的にはそれらのお話を伺ったことで「文アル」という1つのゲームを通して、その枠に留まることのない様々なメディアに対するより発展的な展望を垣間見ることができたように思います。

そして何よりも、谷口氏のお話で印象的だったのが「文アル」を作ったきっかけについてです。
皆様もご存じの通り、近年は文学や出版が斜陽産業などと囁かれるようにそれらに親しむ人の数は確実に少なくなっています。そのような中で、純文学がお好きであった谷口氏の「もっと多くの人に文学への関心を持ってほしい」という願いの元に「文アル」が生まれたのだそうです。
細かい表現は正確ではないかもしれませんが、少なくともこのような想いが今や人気ジャンルとなっているものの根源にあったとはいえるはずです。


そして実際に、その願いの通りそれらをきっかけとして文学の道に足を踏み入れた方が沢山います。
今、文学部に所属している中で私の友人にも件の「文アル」や、その他の様々なアニメや漫画がきっかけで文学部を選んだ人がいます。
文学部に進む進まないに限らず、それらのメディアを通して作家や作品を知ったという方はもっと多くいるはずです。例えば太宰治の「人間失格」や室生犀星の「あにいもうと」など単に文学史で出会うという以上に、度重なる映画化などメディアを通して名前をご存じの方がいらっしゃることでしょう。
このような受容の仕方について、原作の本も読んだことがないのに全く軽々しい!とお思いになる方もいるかもしれません。ですが、まずは名前を知り興味を持つことでそこから原作を手に取ってみるだとか、作家に関心を持つだとかきっとそういう入り口もあるのです。
友人が「本が本当に好き!っていう子を見てると、アニメがきっかけで文学部来ましたとか言えない」と呟いていたことがあるのですが、とんでもない。威風堂々胸を張って言ったっていいじゃありませんか。どんなきっかけだろうと、そこに魅力を感じて熱意を持って道を選んだのならそこに軽重の差などありましょうか。
どんな入り口から入ったっていいんです。歩く人が減ってしまえば、そこに道が無くなってしまいます。


沢山の入り口から沢山の人が歩く。そうすることでしか道は維持できません。



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そこで貴方様にお伺いしているのです。




文学はお好きですか?



貴方様にとっての入り口はどこでしたか?




もしまだ入り口が見つからないのでしたら、これから一緒に探してみませんか。

小さい宇宙と大きい宇宙のはなし

みなさん、こんばんは。しおん🦜です。

今回はフラクタルについてのお話をしたいと思います。

私は史学科との共通授業である文化人類学の方法という授業を履修しているのですが、その中で岡倉天心、ヴィヴェーカーナンダ、ガンディーが影響を受けた思想としてアドヴァイタ、つまり不二一元論を学びました。不二一元論とは、先生のスライドをそのまま引用させていただきますと、「一」のもの(こと)のなかに「多」なるものを見、「多」なるもの(こと)を「一」なるものと見る。こと。また、二つかそれ以上の異なって見えるもの(こと、存在)が実は一つである(「不・二」=「一」)と見るというものです。

例をざっくり言ってしまえば、ガンディーは「禁欲に成功したから独立運動が成功し、禁欲に失敗したから独立運動が失敗した」と自身の禁欲という「一」のなかに独立運動という「多」を見て、実際に実践に移していたという訳です。

ここで皆さんここまでフラクタルという言葉が出てきていないとお思いでしょう。フラクタルとは、簡単に言ってしまえば、「一部分を取り出しても全体と似た形になる」というフランスの数学者が導入した幾何学の概念のことです。

例えて言えば、リアス式海岸は遠くから見るととてもギザギザとしていて入り組んだ形をしていますよね。しかしそのリアス式海岸をアップにしていって一部分を見た時も全体のリアス式海岸にとても良く似た形をしているというものです。

もっと簡単に言えば、一つのブロッコリーを分解していくとまた小ブロッコリーができ、また、それを分解しても小ブロッコリーの小ブロッコリーができるというものです。

このことについて学んだ私は以前から考えていたことに「フラクタル」という言葉がぴったりであることに思い至りました。

このことを思いついた経緯はこんなものでした。

ある日の朝、目が覚めた時にカーテンはぴったりと閉まっていて、部屋の中は真っ暗でした。ですが、外からは車の走る音が聞こえてきます。その時私は、外はきっと明るいのだなと思いながらその音をじっと聞いていました。そのうちに車の音の先に街路樹の葉っぱのこすれる音がしてきました。その音は聞きながらその葉っぱの音を出している風が吹く音が聞こえました。その風はどこから吹いてくるのか考えると、それはきっと空の上から吹いているのだろうと思いました。空の先には何があるのか考えるときっと星があって、その星もきっと小さな音を出しているのだろうと思いました。その星の先に何があるのか考えた時、その先は真っ暗でした。考えているうちに閉じていた目をあけると、やはり部屋の中は真っ暗でした。

そうしたときに思ったのです。自身と宇宙はぐるぐると回っていて、層状になっていると。私の部屋は一層目であり、六層目であり、十一層目であり、十六層目であると。

ですが、これに明確な名前があるとは思ってもみませんでした。

先生からフラクタルについてお聞きしたとき、まさしくこれだと大興奮しました。

そして、層状の一層、六層という考えを持っていたのですが、フラクタルのどこを切ってもそのようになるというということを聞いて、私が布団の中で考えていたことよりもっと、もっと、ずっと、多く世界は細分化でき、また、もっと、もっと、ずっと、大きくとらえることもできるのだと考えなおしました。

私の部屋は、一層目であり、二層目であり、三層目であり、永遠に数えることができます。

そして、これに当てはまるのはなにも私の部屋ではなく、すべてのものに言えることで、皆さんが両手を合わせた、その隙間にも小さな小さな宇宙はあるのだと私は思います。

どうですか、一度手のひらの中に小さな宇宙を作ってみては。意外と面白いものですよ。

お付き合いいただきありがとうございました。

それでは、また。

しおん🦜

こんばんは。

森見登美彦という方をご存じですか。小説家です。『夜は短し歩けよ乙女』などで有名な方です。いくつかの作品はアニメ化もしていますね。私が今絶賛どハマりしている作家さんです。

きっかけは読書家の母。「森見さんの本って読んだことある?」という一言に始まり、私は「中学の頃に一度だけ」と答えました。母曰はく、「『夜は短し歩けよ乙女』、面白かったよ」とのこと。そんなことを言われてしまうと、決まって天邪鬼になって「いつか読む」という曖昧な返答を送りがちな私ですが、今回は珍しく、それだけの理由で読まないという選択肢を取るのも何となくもったいないような気がしたので、とりあえず『走れメロス』から読んでみることにしました。太宰治のものではありません。森見さんが大宰さんの「メロス」を基にして作った、いわゆるパロディです。

ここに登場する大学生たちが驚くほど阿呆なのです。とにかく阿呆なのです。文体は一見、真面目で難しそうな、博識でちょっと古めかしいようなそんな様子なのに、中身を吟味してみれば「なにをやっとるんだ(笑)」と、家族のいるリビングであろうと満員電車のサラリーマンの前であろうと、思わず口元が緩んでしまうことせんかたなし。これを手始めとして『夜は短し歩けよ乙女』他多数の作品を読んでは時間と場所を問わず一人ニヤニヤしている私がいます。ああ、この大学生たちは何と阿呆でかわいらしい生き物なのでしょうか。

ただ一つ気になることがあります。冒頭で述べた「中学の頃に一度だけ」読んだあの本――『夜行』というのですがーーあれはこんなに愛すべき阿呆たちのお話ではなかった気がするのです。記憶にあるのは銅版画と夜景のような美しい雰囲気。はてさて私の記憶違いでしょうか。

兎にも角にも気になって気になって、大学の図書館に足を運べば『夜行』なる本が折よく目につきましたので、紺色のその本を手に取っていま一度読み返すことにしました。ちなみに、年に百冊超えの本を読み倒す学年一の読書家、の足元にも及ばないどこにでもいそうな気まぐれ中学生の私が手に取った時には、表紙に茶色がかったセミロングヘアで白いワンピースを着ているかわいらしい女の人のイラストが描いてあったような気がします。もちろん、うろ覚えです。気まぐれ中学生の私は、この神秘的な乙女に惹かれてこの本を手に取ったのではなかったでしょうか。もちろん、うろ覚えです。大学の図書館ではカバーを剥がしてしまっているのでしょう。闇夜に浮かぶ車窓のような四角が描かれた表紙です。

改めて読んでみると『夜行』は記憶の通り、ふっと消えてしまいそうな、夜景のような儚くも美しい空気をまとったお話でした。読んでいけばいくほど何となく、悲しいような、懐かしいような気分になります。電車の中で口角が上がるのを必死で抑えるどころか、涙を抑える必要がありそうです。

最近になって、美しい音楽(私にとっての美しい音楽はディズニーアニメのBGMなのですが)を聴くと涙が出そうになるようになってしまいましたが、なんだかそれに似ています。

私はきっと、生涯闇夜に浮かぶ車窓を眺めてはこのもの悲しさを思い出すのでしょう。

誇りとヒールは高く

書かなければいけない時ほど、出てこないのはどうしてなのでしょう。ジャンルは問わずクリエイターあるあるですが、どうしても生みの苦しみってありますよね。どうでもいい時に、特に深夜にはざくざく書けるくせに書こうと思うとページが真っ白に染まるのってなんなんですか。まったくもう。

生活の中で「あ、これネタになりそう」と思うものはメモしているものの、どうにも出てこなくなってしまったのでおそらく久々に推し語りでもしようと思います。

私は推しの好みが大変わかりやすいタイプでして、そのうち一つが「美に関心がありストイックな美人」なんです。彼もコスメやファッションが好きな人で、その人を表す言葉の一つに「誇りとヒールは高く」というキーワードがあるのですが、背筋をしゃんと伸ばしてくれるような素敵な言葉だなと思います。暑くなってきてから専らTシャツに厚底のサンダルばかり合わせる手抜きスタイルなので、久々に7センチヒールで街を闊歩したいところです。ヒールが高いとどうしても姿勢が乱れて膝が伸び切らず腰に負担がかかるので筋トレ必須ですが。

推しは、メイクの美しさはもちろんのこと、ネイルもキラキラで可愛くて、全身南国の鳥みたいなカラーリングに一つ一つが主役級のアクセを重ね付けしても全く負けない華やかさのある人です。おまけにパワータイプなので、あ、やっぱり筋トレするかぁ、という気持ちになります。ちなみに同じコンテンツに文武両道型の筋肉ゴリゴリな推しもいまして、彼も一緒にランニング行くか、と運動を促してくれます。運動するモチベーションを上げてくれる推しって最高ですね。

さて、今回は少し短いので、最近よく使っているお気に入りのコスメを一つご紹介します。WHOMEEの単色アイシャドウのシャルルコーラルです。ぱっと見艶のあるかわいいコーラルですが、肌の上にのせるとあらびっくり、ゴールドのラメが強めに輝く偏光ラメに変身します。店舗でも売っているので是非一度現物を肌にのせてみてください。めちゃくちゃ可愛いので。珍しい色ではありますが、シアーで上品な発色なので使いやすいですよ。では、また。

フィードバックをもらえることの嬉しさ

皆さんこんにちは。みちこです。

いつ何時も気の赴くままに、ということでこの記事を書いているのがなんと更新日当日の22時です。

一気に書き上げてしまうのが私の書き方なので、途中まで書いてる記事とかあっても結構普通に消しちゃって新しいのを書き直すなんてざらです(笑)

逆に言うとそれだけ綴りたいトピックがあるとも言えますが、それは一旦置いといて。

本日のトピックは、「フィードバックの大切さ」ですね。

年を重ねて、自分が「大人扱い」をされるようになってくるほど、「フィードバック」の大切さを身に染みる機会が増えたな、と感じました。

それを感じているのが主にアルバイトでの出来事です。

私が現在やっているのが飲食店でのアルバイトで、今年の三月から始めたので、今月で約四か月いることになりますかね。

一応その前(つまり一年次)にもアルバイトはやっておりまして、そっちは採点業務を主にしておりました。

どちらの業務でもとても大事な経験をさせて頂いたのですが、この二つに共通して言えることが、今回のテーマ「フィードバック」とつながってきます。

それは、「失敗はしてもいい。ただし、何度も同じミスをしてはいけない」ということ。

そして、「失敗を繰り返さないためにどうすればいいか」ということ。

この二つです。

アルバイトって、ただお金を稼ぐための手段の一端だけじゃないと私は思っていまして、その最たる理由がこの二つのことを学んだからですね。

これはかなり貴重な体験をさせて頂きましたね。自分の今まで持っていた価値観を180度ひっくり返されたようなものですから。

これまでの私は、「失敗はしてはいけないもの」という意識が強く、最初から失敗をしないようにあらゆるリスクを回避して生きてきました。

だから高校以前までの私は、自分が出来る範囲までのことしかしてこなかった。それ以上先に進まないのは、失敗したらどうしようという怖さがあったからです。

でもそんな怖さすら乗り越えたいほどやりたいことを全部やって卒業しようと思った大学入学前。

大学入学後、想定よりも早い時期から採点業務のアルバイトを始めました。

当たり前といえばそうですが、最初は慣れないことばかりで失敗ばかり。

注意はさんざん受けて、バイト先からの帰り道では常に自分反省会を繰り広げていました。

このバイトを始めたのは選択ミスだったか、とか、なんでこんなこともできないのか、と自分を責める行為ばかりしていました。

今なら分かりますが、これは何も「反省」ではないですね。

「反省」って、自分を責める行為とは全くの別物です。だって、そこには何も生まれないですから。

負の感情だけが蓄積していき、前に向けていない。

このブログで前に書いたことがあるような気がしますが、私が普通の人より割と前向きでいられる理由は、母に言われた言葉がきっかけです。

模試か何かで自分なりに対策をしたのにあまり良い点数がとれなくて泣いていたんだったかな…?そんな気がしますが、その時に母に言われた「泣いていても何も変わるわけじゃない。次どうするかを考えないと、成績は伸びていかないよ。」という言葉があります。

この言葉だけを悲しみのうちに聞いていた私は、私の気持ちなんぞ何も分からずに!と突っぱねてしまいましたが、改めて考えてみると本当にその通りだと思います。

この話をもっとさらにさかのぼると、中学受験で塾の先生に言われたこともあります。

過去問を解いてノートに直しをして、それを提出するという宿題があったのですが、そこに必ず「なぜ間違えたのか」と「対策(具体的な方法)」を書かせる先生がいまして。

最初のうちこそ全くかけず、先生に「これは具体的な対策じゃないから。次はきちんと考えて書いてきてね」と何度もダメだしをくらっていましたが、返されていくうちになんとか方法が分かってきた、という経験があります。

それらの項目を中学に進学してからも定期テストの直しノートに書いていたら、いつだったか良いノートの例として紹介されたことがあったような気が…したような?しなかったような?

このような経験があるため、私は人一倍「自責」が無意味であり、「対策を考える」ことの方がよっぽど大事であることを知っていたはずなのですが…。

どうもそれを「机に向かってする勉強」のみに通用することで、「自身が経験して得る学び」には活かされないことだと思っていたようです。

なので始めた当初はバイト先に向かうのが億劫で仕方なかったです。

その後バイトを始めて数か月、大体3~4か月経った頃くらいに、私はバイト先の先輩からあることを教えてもらいました。

一般的に仕事にも慣れ、ある程度業務がこなせるようになって来ないとおかしい時期に、私が中々そうなっていなかったということもあるのでしょうか。

会話の経緯はよく覚えていないのですが、その先輩さんは私に「間違えたところはメモしておいて、移動中とかに見るといいよ」と教えてくれました。

それを聞いた時に、私は「あ、これ…今まで私が勉強でやってきたことじゃん…。」と思いました。

そこでようやく私は「自責」をやめ、本来の「反省・対策」へと思考の路線変更をしていくこととなります。

なので、職を変えた今のバイト先でも私はそれを意識するようにしています。

間違えたところはすぐにメモして、分からないところは人に聞いて。

そしてこれがかなり変わったところなのですが、「何もない時にも思いだす」ということを始めるようになりました。

前のバイト先で働いていた時まではあまりできていなかったのですが、一夜漬けのテストのように、その場しのぎで直前とかにミスを反芻していました。

しかし今のバイト先に変えてからは、意識的になんでもない時でもメニューの作り方や業務方法などを思い出していくようになりました。

思い出す能力ってかなり大事で。それをしないと身に染みていかないんですよね。

自分が忙しい関係で中々シフトに入れていないという引け目がおそらくそうさせたのでしょうが、「シフトに入れない分せめて裏できちんと努力して、一度教えてもらったことは必ずできるようにしておくくらいでいないと。」と思うようになりました。

長々と綴りましたが、これらの経験をしたからこそ、私は「ミスをしても二度と同じことをしないように対策することの方が大事」というかなり大切なことを学びました。

さて、今回のテーマ「フィードバックの大切さ」は実はここからが本題です。

え。これ本題じゃないの?と思われたでしょう。すみません。ここからが本題です。

実は私の勤務先の店長が異動するとのことで、「今までありがとうございました。」という旨の連絡を入れたんですよ。

本当は対面で伝えたかったところなのですが、シフトの都合上それが叶わないので連絡を入れまして。そしたらこれを書き始めたくらいの頃(つまり本日22時頃)に返事が来まして。

そこには、私がこの4か月で頼もしくなってきたことと(おそらくお世辞でしょうが)最後のアドバイスと称して私が接客の時にやってしまっているクセのようなものが綴られていました。

そのクセは、自分では全く気付いていなかったことなので、他人からみるとこう見えているんだと思いました。

こういうことを教えてもらえることって、本当にありがたいことですよね。

おそらく、これから年を重ねるほどそんなことはなくなってくるのでしょう。

年を重ねれば重ねるほど、年齢や立場の壁など様々な要素がジャマをして、このようなアドバイスはもらえなくなってくるのかな、と思うと少し悲しくなってしまいました。

でもだからこそ、今のような経験や人脈を大切にして、吸収できることはすべて吸収しておこうとも思います。

だから大人は言うんですね、「若いうちに失敗をしておけ」と。

前述の通り、私は失敗が未だに怖いと思っている節がまだあるので、失敗をしない(あるいは失敗を経験でカバーできる)年を重ねた大人が羨ましいと感じています。

なので、若いことがいいことだと思わなかったんですよ。昔から、早く大人になりたい、とそればかりを願っている不思議な子どもでした。

ですが、今このような経験をして、若いことがいいこと、というのは「教え導いてくれる『先輩』がいるからいい」のだと思えるようになりました。

さて。今回もだいぶ長いこと自身の体験を綴ってしまいましたね。

自分が知らない人の経験談を聞かされる身にもなれ、と自分への戒めを綴ったところでお開きとさせて頂きます。

次回は特に何書くか決めてませんが、まあどうせこんなことを書くんでしょう。

ここまで自分の考えを自身の経験と結びつけて書いてネタがつきない人も珍しいかもしれませんね。

それでは、失礼します。

Writing

 人生には「うお~~~何もやりたくね~~~~~」のタイミングってあるじゃないですか。最近暴力的と言っていいほどの暑さが続きうんざりしております。外出するのにかなり気合が必要なんですよね。真っ昼間に外歩くのとかってもはや誇張ではなく決死の覚悟だなと思っています。人類、水を持ち歩こう。なんなら塩飴とか塩分タブレットとかも持ち歩こう。日傘も持ち歩こう。頑張って夏を乗り切りましょうね。

 正直暑いを言い訳にしたら世の中の暑さに負けず生きている方々に顔向けできないレベルなんですが、本当に何をするにもやる気がでなくて。今人生でかなり「寝る」をやる時間が長い怠惰な生活を送っています。で、そんなことをしているためブログに書けるようなこともなくない?となるわけなんですね。まあこの私、書くことないなをネタに書くこともしゅっちゅうなので非常に慣れております。書くことないネタに走ることに躊躇がない。迷いなく舵を切れます。ただ、書くことないをネタにし続けてきた結果そんなにパターンもなく、そろそろジリ貧感は否めない。手札がだいぶ薄ーくなって、札というかもう厚さはティッシュくらいかもしれない。かき集めかき集め行数を稼いでいきます。小学生の頃の夏休みの日記みたいなね、しかも毎日ちゃんと書いてなくて後でまとめて書く時の。あの頑張って思い出しながら記憶の欠片を伸ばし伸ばし文字数をかさましする、それでもって小学生ならではのたどたどしくて同じ内容を何回もぐるぐる書いちゃうみたいな。今日の更新はそんな感じなので、まあ正味言ってしまえば内容なんてあるかないかくらいの雰囲気ですがこれを読む人間がいらっしゃるなら語感を楽しんでください。ほら、近代の作家とかも書くことがないことをネタに随筆のような文章書いたりするじゃないですか、それが許されるなら私も許されたい。
 私の感覚ではあるんですが、書くことがないよ~で本当に何も書けない人って日本文学科には少ないような気がしていて。当たり前と言えば当たり前ですが「日本文学科」で勉強したいと思う人間ってある程度日本語だとか文章だとかに強くて、「書くこと」をどうしようもなく苦手としている人はそもそもこの分野を選ばないのかなと思います。私は逆に数字とか英語とか運動とかには弱い。で、書くことを不得意としていない人間は書くことがないのになにかを書かなければいけない時、なんとなくなんとかするんですよ。でも私が数字や英語や運動を不得手としているように書くことを不得手としている人間もいて。私先日、反省文の書き方を教えたんですよ。色々ふわっと濁しますが、中学生に「反省文を書かなきゃいけないけど書くことがもうないからどうすればいいか」と聞かれて。まあこの場合は得意/不得意以前に書き方が分からないというところもあったんでしょうけれども、大学入ってからは書ける人間が多かったので「書けない」に久しぶりに遭遇したような気がします。言葉や内容を引き出しつつ書き方の枠の部分だけを教え、私の言ったことをそのまま書かないように、押し付けないように注意を払うのはなかなか難しかったです。文章としては正しくはないが、本人から出た言葉や文章はそのまま尊重して残すべきかなあ、みたいな塩梅って、難しすぎる。しかも高校の時の同級生の文章添削してた頃とはまた勝手が違いますからね。書けるようにサポートするのってこんなに難しかったっけと思いながら見守っていました。感覚でなんとなくできることがあなたの得意なことだよと教えてもらったことがあり、私は割とそれが文章にあたるんですが人によってそれぞれ異なるなあ、面白いなあと思います。その中学生が得意な運動は私はてんでダメですし。世の中色んな人間がいますね。

 そんなこんなで今回もまた感覚で書いてきましたが、そろそろもうネタ切れになってきているのでちゃんとネタを仕入れられるような生活を送らなければ……と反省しております。真面目な話私はもう少し人間生活を頑張った方が良い。ちゃんと生きます。次回への決意が出たところでだいぶ苦しいので終わらせていただきますね。では。

六無斎

なかなかネタが溜まらないでいるあやめでございます。前回まずい思いを大いにしたのにもかかわらず、授業の発表の準備エトセトラによって全然ネタが集まりません。マルチタスクが全くできない私。やることに忙殺されついに目玉が飛び出ました。飛び出ません。軽率にうそをつくのは止します。ごめんなさい。ネタが無いの。

さて、こんな調子でありますから、お目汚しをかます前に、今回は短く、私なりのさわやかさでお送りしたいです。さて、どこまで「それっぽく」できるでしょうか。この梅雨真っ最中の、実際に湿度高めな自室から、湿度を下げたわたくしがお送りいたしましょう、さアあやめの文章湿度は果たしてさがるのか。

青色のビーズと青色のビー玉と水道水を瓶詰めにして、コルクでしめて、かざっています。たぶん、前にもガラスやら瓶やらが好きだと言っていますが、その趣味が高じて、瓶をそのまま飾っています。青の瓶詰めです。あおが好きなのでしょう。

赤色のリボンを赤色の封筒にかけて、赤いインクで書いた手紙を貰いました。これではいささか血液を彷彿とさせるような言い方になってしまった気がいたしますが、そうではありません。どぎつい赤、ギラギラ力が湧いてくる、そういう赤ではなく、ただ、ピンクではなく、甘い赤色。赤いわりに力がないように見えて、やさしくて好きだな、とおもっています。差出人は不明でした。アラ不穏。

緑色の木が緑のカーテンをした窓いっぱいに広がっている、新緑が気持ちいいことも以前書きましたが、常緑樹のふかい緑は、見慣れるとそれなしではやっていけない安心があります。そこに霧がかかって、水墨画の世界観を現実に目の当たりにできます。緑と墨は似ているのでしょうか。

紫色の気配がする、と友人にいわれた、紫色のわたしであります。ほんとうは原色になりたかった。でもやっぱりプライドをぶらさげていきてしまう、ちなみに「アヤメ」の花ことばは一説によると「希望」や「信じる者は救われる」だそうです。なんと、あなた、信じてくれますか?こんなに疑わしいのにね!

やっぱりどうしても湿度が上がった、本日のあやめは雨にせいで頭痛がしている中お送りいたしました。ご機嫌麗しゅう。

何年も前、振り返ります

皆さま、こんにちは。

ようやく暦の上でも夏を感じる月に突入しました。体感ではとっくの昔に夏真っ盛りですが、最近は雨が降ったり、曇りだったりと梅雨みたいな時期もありましたね。あれ、梅雨ってなんだっけ。ムシムシと快適とは言えない暑さに苛まれつつ、これから来る本格的な夏に向かって泣き叫びたい気持ちになります。

さて、学生の私たちにとっては1年で1番待ち侘びる【夏休み】が迫ってきています。講義も残り片手で数えられるほど。期末レポートの存在は一旦置いておきます。楽しみですね。

しかしながら、私にはあと1つ発表が残っています。涙。学籍番号順なので誰に文句を言うわけではないですが、卒論ゼミでの発表なので頑張りたいところです。

ここまで書いて思い出しましたが、3年次から中国思想文学ゼミに所属になりました。

恐らく初出し情報です。

ゼミ決定後両親や友達に「中国文学やるんだ〜」と報告するとみな一様に「日本文学科だよね?」と不思議そうな顔をします。

…そうですが何か?

中国文学といっても紀元前から現代までその幅は広く、何をやればいいのやら。

先輩方の発表も多岐に渡り非常に参考になるとともにどれも魅力的で悩ましいのですが、

私は中国近代文学の父、魯迅の作品もしくは近現代文学についての研究をしたいと考えています。

理由は様々ですが、発端は中学生の頃。 

私の在住する市は、毎年交流の一環で姉妹都市の中学校に派遣団として行く中学生を募集しています。

好奇心旺盛だった私は派遣団に応募して、魯迅の故郷、紹興市に行くことになりました。

初海外でドキドキしていたのを今でもよく覚えています。

派遣の主な目的は現地の中学生との交流!ということで、紹興市の中学校にお邪魔し、音楽と美術の授業を受けたり、一緒にお昼ご飯を食べたりと楽しい思い出を重ねていきました。

日本との違いは何だったのだろうと思い起こすと、やはり人の多さでしょうか。敷地内を見るとどこを見ても人、人、人。全体(だったのか定かではありませんが)の運動の時間を見学したときには人の多さにもはや笑うしかありませんでした。あとは音楽の時間に踊って身体を動かしたり、給食を食べるための場所があったりと一般的な公立中学校で過ごしてきた私には驚きの連続な中学校生活でした。

そんな合間にもちろん観光も沢山し、紹興市の目玉と言えば「魯迅」が生まれ育った生家なのでした。現在は観光スポットとして、資料館的な役割を持ち、魯迅に関する様々な悦明が書かれていました。私が当時の感想としては、歴史的な建造物や装飾が異文化を味わえる素敵な場所だなと魯迅については特に思うところはなかったのですが、今となっては昔の自分凄いところ行ったな!と感動ものです。

 紹興市は水の都とも呼ばれ、近代化した都市のなかにも歴史的な街並みのなかにも水との関わりが見える素敵な場所でした。もう一度行きたいというのが、中学生のころからの願いです。次回は紹興酒も味わえますね!新型コロナウイルスの影響で海外旅行が若干億劫になってしまいましたが、そろそろ本格的に動きだしてもいいかもしれません。

 振り返ると6年近く前の思い出が今、こうして私の興味関心に繋がっていることが不思議で、それ以上にストンと納得いくもののように思います。何かを知りたいと思うとき、人は大体過去の経験に引っ張られるということを現在進行形で実感中です。なんてことないと感じることも未来の自分に役立つかもと思うとほんの少しだけ頑張れそうです。

夏本番、時間はたっぷりある中で何をするかゆっくり考えたいですね。

今回もお付き合いいただきありがとうございました!夏休みまでお互い乗り切りましょう!!

「無意味なことはないですよ!どんなことにも因果があって、すべては必然です!」(『あんさんぶるスターズ!』、春川宙)

朗報

 偶然流れてきた一本の動画。タイトルを見ると、あるアニメの名前がありました。

『魔法騎士レイアース』

その動画は、レイアース再アニメ化のPVでした。

 こんにちは、あかりです。ただいま大急ぎでブログを書いています。まさか、私がこよなく愛するアニメがリメイクされるとは!これはもう布教するしかない。今から布教しまくって友達全員沼に沈めてやる!というわけで、今日は私が激推しするアニメ『魔法騎士レイアース』(以下レイアース)についてお話いたします。

 社会科見学で東京タワーにやってきた獅堂光、龍咲海、鳳凰寺風。それぞれ違う学校の生徒で、たまたまその場に居合わせた三人ですが、エメロード姫により異世界セフィーロへ召喚されます。セフィーロはエメロード姫によって支えられる、思いが力になる世界。その姫が囚われの身となったことで、セフィーロは存亡の危機に瀕していました。光、海、風の三人は伝説の「魔法騎士」となって異世界を救う旅に出ます。原作は「なかよし」で連載された漫画でしたが、30年前にアニメ化。後にレイアースが放送された時間に『名探偵コナン』が入ります。

 「なかよし」で連載されていたということもあり、ビジュアルは少女漫画よりで主人公が変身して剣や魔法を駆使して戦う少女、というあたり「なかよし」の読者層を意識した要素盛りだくさんですが、巨大ロボに搭乗したりなど、普通の少女漫画とは一線を画すのがレイアースの魅力です。それもそのはず、レイアースを世に出したのは『コードギアス』のキャラクターデザインを担当し、『カードキャプターさくら』を生み出したCLAMP。少女漫画の要素はありながらもロボットでの戦闘シーンはこれ本当に少女向けですか?と疑いたくなるレベル。ロボットのデザインも気合が入ってて(特に顔)、2期は普通にロボットアニメとしても楽しめます。魔法を放つときの技バンクもかっこよくてかつシンプルな呪文なので小さい女の子が観てもわかりやすく、視聴者層への配慮が窺えます。何よりストーリーが良い。レイアースは登場人物が多いにも関わらず、主人公周りは勿論、一人一人の心理描写が敵も含めて丁寧で、それぞれのキャラクターが抱えているものが見えてとにかく内容が深いんです。

 そしてレイアースといえば主題歌。主題歌が本当に名曲揃いで、1期のオープニング「ゆずれない願い」はレイアースという作品を象徴する曲といっても過言ではありません。闘志湧き上がる歌でありながら「出し切れない実力は誰のせい」というオープニングにおける光ちゃんのカットと相まって葛藤を感じさせる歌詞。でも、「ゆずれない願いを抱きしめて」という言葉は異世界セフィーロで旅をする主人公たちそのものであり、レイアースという作品をそのまま歌にしたような曲です。さらに歌詞の中には「海の色が紅く染まっていく」「このまま風にさらわれたい」「色褪せない心の地図光にかざそう」と、魔法騎士の3人の名前が入っているんです。気づいたときは「神か?」という感想しか出てきませんでした。アニメの主題歌は、プリキュアシリーズのように歌詞の中でタイトルが出てくることはあっても、主人公の名前が入っていることってあまりないですよね。少なくとも、私が今まで観てきた作品の中にはありませんでした。でもレイアースはタイトルではなく「光」「海」「風」の名前は歌詞に入っているんです。発想が天才。センスが光り輝いています。「光」「海」「風」は2期のオープニング「キライになれない」でも「くじけそうになったら涙を風が連れ去ってくれるよ」「宇宙の瞳からあふれだす光が包んでくれるよ」「未来へ広がる海きっと輝くよ」と出てきて、こちらは主人公3人が伝説の魔法騎士である前に普通の女の子であることを思い出させてくれるような曲になっています。

 と、ここまでレイアースについて語ってきましたが、結局語彙力に乏しい私が布教したところで作品の魅力はせいぜい1割程度(下手したらそれ以下)しか伝わりません。なので観てください。どのアニメでもそうですが観ないとレイアースをわかったとは言えません。ユーチューブで1期の1~3話まで公開されているのでとりあえずそっち観てください。それで沼に片足を突っ込んだらそのまま溺れてください。名作なのに知名度が低くて、周囲の人間で知っている人が殆どいなくて悲しいんです。リンク貼っておくので観てください。お願いします。それではまた次回。ありがとうございました。

【1~3話パック】魔法騎士レイアース「伝説のマジックナイト始動」「沈黙の森の創師プレセア」「謎の美少年剣士フェリオ」(1994) (youtube.com)https://www.youtube.com/watch?v=bZ5APwDTEvY