真夏のイベント記録1

こんにちは。外は暑いけれど家の中は快適ですね。

先日神戸に行ってきました。人生初兵庫県です。3泊4日してきました。

何をしに神戸に行ったのか。お盆でも帰省でもありません。親戚の多くは家から徒歩圏内にいるのです。

弓道の大会に参加するために神戸に行ってきました。8月には毎年全国の大学の弓道部が集まる大きな大会があるようです。「全日本学生弓道選手権大会」、通称インカレ大会。会場は東京・名古屋・神戸の3か所を順々に回しているらしく、今年は神戸だったということです。

突然ですが皆さん、弓道には「近的」と「遠的」の2種類あることをご存じですか?

近的は弓を引く人間と的の距離が大体28mあります。京都アニメーションの「ツルネ」で湊君たちがやっているのがこれです。一方遠的では60m先の的を狙います。近的の約2倍!!三十三間堂の通し矢などは聞いたことのある方もいるかもしれません。

多くの大会では近的で射技を競いますが、このインカレ大会では、近的とは別に遠的による大会も設置されています。4日ある大会日程のうち、私は2日目の近的の女子団体と4日目の遠的大会に出場するために練習してきました。

女子団体では、3人組で各大学から1チームずつ出場します。1人4本ずつ、合計12本の矢の的中数で競い、上位24チームが決勝トーナメントに進出できます。本学は7本的中しましたが、ボーダーの的中数8に一歩届かず予選敗退となりました。

私には後悔があります。最後の1本を外したことです。あの時ああしていれば、なんて思っても無駄なのは百も承知ですが、それでもやはり、もう1本入っていれば決勝トーナメントに進めたのかもしれないと考えてしまいます。もっと練習します!!

遠的は、球技場に特設会場を設置したということで、天候不良により中止になりました。弓具はめっぽう水に弱いのです。球技場がまっ平らで落雷の心配があったことも中止の理由の1つのようです。残念無念また来年。

静岡”再”発見の夏休み

皆さん、こんにちは!

8月も終わりに近づいてきましたね。この時期は、高校生の頃の私にとって、きっとヒイヒイ言いながら、たまりにたまった夏休みの課題を終わらせる、苦しい日々だったことでしょう(笑)。あの頃の私に教えてあげたい…、「大学生になれば、あと約1ヶ月、お休みがあるよ!」って…。しかし、お休みの期間が長かろうが、短かろうが、人が変わらなければ、習慣も変わりません。夏季課題をためて、夏休みが終わる頃に、ヒイヒイ言いながら徹夜することがないように、これまで少しずつ進めてきたレポートに本腰を入れて取り組まねばと、息巻いている今日この頃です…。

(重要なのはただ息巻いているだけということ!誰か、私のやる気スイッチ押してください~!高校生の頃と何も変わらない~!笑)

そんなこんなで、本日は、これから訪れる「食欲の秋」の足音に耳をすませ、今から待ち遠しく思いつつも、実家に帰省してから着々と増加している体重計の数字と、にらめっこする毎日のももこがお送りいたします。

皆さんは、夏季休暇どうお過ごしですか?今年はお盆に台風が直撃したり、新幹線のダイヤが大きく乱れたりと、思うように夏を満喫できなかった方が多いのではないでしょうか…。

かくゆう私も、そのひとり。もともと、私がこの夏休みに、静岡の実家に帰省するのに合わせて、家族で焼津に旅行に行く予定だったのですが、台風の影響でキャンセルになってしまったんです。とっても楽しみにしていた、この夏最大のイベントがなくなってしまい、家族全員で肩を落としていたのですが、その分、「おいしいものをたくさん食べて、楽しいところにいろいろ行って、夏を取り返してやろうっ!」ということになり、普段ならあまり訪れない、静岡のあちこちを開拓してまいりました!本日は、そんな静岡“再”発見の思い出を、ブログに残したいと思います!

(焼津旅行は冬期休暇まで、おあずけということになりました。その時はまた、ブログでお話できたらいいなぁ…)

さて、皆さんは、「静岡」と聞いて、何を思い浮かべるでしょうか?

大学に入ってからというものの、知り合った人たちに静岡県出身だと告げると、必ず聞かれるのが「炭焼きレストランさわやか」のことです(笑)。ハンバーグがとってもおいしいお店なのですが、静岡県だけでしか展開されていないんです!地元の方々に親しまれているのはもちろんのこと、県外から来られる観光客の方々からも、多くの人気を集めています。静岡にいらっしゃった際には、必ず訪れてほしいレストランの1つです。肉汁溢れる「げんこつハンバーグ」、ぜひ味わってみてくださいね!(ちなみにさわやかは、平日、夕方の早い時間帯が狙い目ですよ!笑)

このくらいで、さわやかのことは置いておいて(笑)、今回は皆さんがあまり知らないような、静岡の魅力を伝えていかなければ…!ということで、本題はこれから!!

*その1*

~雄大な富士山、新緑色の茶畑、美しい駿河湾に囲まれながらブルーベリー狩り~

「いちご狩り」「ぶどう狩り」はよく聞きますが、「ブルーベリー狩り」はなかなか耳にする機会がないと思います。私がこの夏お邪魔したのは、知り合いのご夫婦のブルーベリー農園で、ブルーベリー狩り(その場で食べられる)はもちろん、摘み取りもさせていただけます。両親はこの農園の常連らしいです(笑)。

このブルーベリー農園の魅力の1つは、見渡せる景色が本当に素晴らしいこと。北に富士山を望み、眼下には駿河湾が広がります。農園のまわりを新緑の茶畑が囲み、心地よい風が吹けば、お茶の葉の香りがほのかに漂うのです。雄大な自然に囲まれながら、丸く実った甘いブルーベリーを味わう…。こんな幸せなこと、滅多に体験できないのではないでしょうか…。

(この農園は、最近CMなどで背景として使用されている「大淵笹場」という、茶畑と富士山が綺麗に見える場所の近くなので、ブルーベリー狩りをした後に、お散歩してみても、心地良いかもしれません!)

平和な雰囲気でブルーベリー狩りが終わったように見えましたが、その後、事件は起きました。父が、たくさん摘んできたブルーベリーを、全て冷凍してしまったんです!というのも、ブルーベリーは1度冷凍してしまうと、解凍しても、もとの食感には戻らず、ぷよぷよしてしまうので、冷“凍”庫ではなく、冷“蔵”庫に入れるように念を押しておいたんです。なのに、全部凍らせてしまうなんて…。母はショックで、開いた口が塞がらず…。その日から、我が家は冷戦状態に入りました。両親の気まずい雰囲気に耐えられず、姉と私はしどろもどろ…。しかし、2日後には、知らぬ間に、普通にしゃべっているのですから、夫婦って不思議だなぁと思いました(笑)。この夏1番の、我が家の一波乱でした!皆さんも、ブルーベリーの冷凍にはお気を付けくださいね…(笑)。

*その2*

~1度食べると他のツナ缶が食べられなくなる…?!静岡の絶品のツナ缶~

あまり知られていないかもしれませんが、静岡のツナ缶は絶品です!今回、私は母に連れられ、ツナ缶が直接売られている缶詰所に行ってまいりました。缶詰所自体は、本当に小さな工場なのですが、地元の方々に愛されるツナ缶を、昔から製造しているそうです。

私はよく、このツナ缶を実家から送ってもらうのですが、どんな料理にも使えて、なおかつおいしいので、とっても重宝します!料理が不得手な私ですが、このツナ缶があれば無敵です(笑)!

缶詰所のある由比は、江戸時代、宿場町として栄え、歌川広重の「東海道五十三次」でもその賑わいが描かれています。現在でも、街並みには宿場町の面影が残っており、昔ながらの美しい風情を感じることができます。

昔ながらの美しい街並みをドライブしながら、最高においしいツナ缶を買いに行くなんて、どうでしょうか…。

*その3*

~言わずと知れた静岡の特産物…、桜エビ!!~

桜エビは、静岡県の特産品です。駿河湾でしか獲れず、大井川漁港と由比漁港でしか水揚げできません!この夏休み、私は由比の方へ行ってきました。というのも、由比に桜エビのかき揚げの、おいしいお店があるからと、母に誘ってもらったんです。

桜エビのかき揚げは、もしかしたら、なじみのない方が多いかもしれません…。その名の通り、ピンク色の桜エビがそのまま、かき揚げになっているんです!かき揚げにすることで、桜エビのサクサクした食感と、甘さが際立ち、生で食べるのとはまた違ったおいしさが、口の中に広がります。静岡県では、学校の給食で、桜エビのかき揚げが出ますので、県民の方々にとっては、なじみの深い味だと思います。

私が今回訪れたお店は、富士山と駿河湾を望む高台に位置しており、絶好の眺望で食事をすることができました。お目当ての桜エビのかき揚げはもちろんのこと、お刺身などの新鮮な海の幸も絶品でして、それはもう驚くばかりでした。20年近く静岡で生活していたのに、こんなにおいしい桜エビのお店を知らなかったなんて…(笑)!これからも、静岡のまだ見ぬ魅力は尽きそうにありません!

と、ここまで書いてきて、初めから読み直してみますと、食べ物の紹介しかしていなくてお恥ずかしい…(笑)。でも、なんだかそれが私らしい気がします。

この夏の静岡“再”発見の思い出は、たくさんのおいしい食べ物に彩られた、素晴らしいものになりました!遠出ができなくても、何か面白いもの、おいしいもの、美しいものを感じられる心があれば、人間はどこでだって楽しむことができるんだと、実感することができました。

そして何より、そんな素敵な思い出を、一緒に形作ってくれた家族に、感謝の気持ちでいっぱいです!ありがとう!

皆さんも、ぜひ、お住いの街の”再”発見の旅をしてみてください!

本日も長々とお付き合いいただき、ありがとうございました!それでは、また!

あっそこ、右です

こんにちは、ゆきほです🍵

広告でよく出てくる、試験管の中の色水の色を揃えるゲームを何となく入れたところ、思いのほか楽しくてちょっとハマっています。

このゲーム自体にもすごい量の広告が出てきますが、機内モードにしたままプレイすれば広告が出ないので(ずるい)、最近私のスマホは機内モードになっていることが多いです。

連絡がつきにくくてごめんなさいとは思いつつ、日夜色水の仕分けに勤しむ今日この頃です。

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私、ずっと自分は方向感覚がいいものだと思って生きてきたんです。

地図もちゃんと読める側の人間だと思っていたので、中学校での遠足では立候補して地図係(文字通り地図を頼りに班員を目的地に導く係)を務めたりもしました。

そう、過去形からお察しいただけた方もいるかもしれませんが実は今年気づいたんです。自分がけっこうな方向音痴なんだって。

今年に入ってから友人に突然言われたんです。

「ゆきほちゃんって方向音痴だよね」「地図見ないよね」「でも謎の決断力はあるよね」

寝耳に水でしたよね。だって今まで言われたことなかったし、自覚もしていなかったし。初めての土地でも感覚で歩いていたら最終的に目的地にたどり着けますし。

しかしそう言われて思い返してみると、たしかに思い当たる節はたくさんあります。

母とディズニーシーに行ったとき、どこに何があるか分からないのにガンガン進んでいく私に「なんで地図見ないの?」と真顔で尋ねられた。

友人と出かけたときに前を歩く友人に「そこ左だよ」と言ったら右だった。

大きい駅である路線の改札がどこにあるのか尋ねられた時に、念のために案内表示をしっかりと確認した上で「そこを右です!」と自信満々に答えたところ、正解は直進だった(本当にごめんなさい)

徒歩7分で着く出身中学校への行き方を、小6時点でよく分かっていなかった。

池袋で友人と待ち合わせたら、私も友人も5分前には決めた路線の改札にいたはずなのに、なにかがズレていてお互いを探して30分間出会えなかった。

地元の大型商業施設に行った際、行きたいお店がどうしても見つからなくてGoogleマップに道案内をお願いした(館内の地図を見てもたどり着けなかった)

ここに書いてもまあギリ恥ずかしくないものから、さすがに全世界に公開するのは憚られるものまでいろいろとありますが、でも私はまだ認めたくありませんでした。地図は読めないんじゃなくて読まないだけ、方向音痴じゃないんだって。

友人に方向音痴を指摘された日、帰宅してすぐ母に「私って方向音痴なの?」と聞きました。もちろん「そんなことないんじゃない?」って返ってくると信じて。

「えっ?方向音痴でしょ?」

このあたりから無自覚な方向音痴より、自覚のある方向音痴の方がいいんじゃないかなと思い始めてきて今に至ります。私は方向音痴です。ネットで見た方向音痴あるあるが、今までの私の人生を見てきたのかというくらい本当に合っていてびっくりしました。

方向音痴を自覚した今、皆さんに1つ伝えたいことがあります。

知らない土地に行ったときは私の道案内を信じないでください。地図を見ているように見えても、看板を見ているように見えても、方角から間違っていることが多々あります。

ではまた!

魔性のオアシス。

こんにちは、あこです。

随分ご無沙汰してしまいました。

みなさん、お元気ですか?

先日、岡山に住んでいる親戚のお家へ行きました。

元々は7日間の滞在予定だったのですが、行きは台風6号、帰りは台風7号の影響を受けたため、最終的には10日もお世話になることに。

4年ぶりの岡山帰省(←私の祖父の実家なので、正確には”帰省”とは言いませんが…)ということもあり、倉敷の街を散策したり、四国へ渡って北川村の「モネの庭」や牧野富太郎の植物園(牧野植物園)へ行ったり、みんなでトランプや花火をしたりと、盛りだくさんな”帰省”となりました。

次は冬に行く予定なので、今からとても楽しみです!

*****

今日、バイトを辞めることを生徒たち(←小学生)に伝えてきました。

実は5月頃から辞めることを考えていたのですが、

「途中で辞めるなんて無責任だよね・・・」

「でも、学生生活もあと1年ないし・・・」

「いやでも、受験まで見届けたい気持ちもあるんだよなぁ・・・」

「今は自分のやりたいことを優先してもいい時じゃないかな・・・」

「辞めるんじゃなくて、週1とかにするべきかな・・・」

と、クヨクヨクヨクヨ悩んだ結果、

「中途半端なのが一番良くない!辞めるか、続けるかの二択だ!」

「よし、8月いっぱいで辞めよう!」

という決断に至りました。

自分の話をスパッと切り出すのが苦手な人間なので「あぁ、どのタイミングでどう言おうか…」と悩んでいたところ、今日に限って生徒が

「先生!9月の先生の授業ってどうなってる???」

と聞いてきたので、

「実はさ…..」

と伝えることができました。

正直、「先生辞めちゃうの〜」というしみじみ展開を予測していたのですが、

「え、そうなの!まぁでも先生4年生だもんね」

「次の先生どんな人だった???」

「先生、ちゃんと〇〇先生(←教室長)に辞めるって言った?」

「先生、僕のお母さんにはいつ電話する予定?」

「引き継ぎとかも必要なんでしょ?」

と、最終的には私がきちんと”辞められるか”まで心配されました(笑)

今日が最後の授業だった子には

「まっ先生も頑張れ!」

「じゃあね、せんせ!元気でね!」

と、超明るくサヨナラされ、なんだか最後まで”らしい”なぁと思いました。

ーーーーー

「おかあさんに怒られたぁぁ〜」と言って塾に来るなり大泣きしたり、「先生こっち向いて!こっち向かないとペンで書いちゃうから!」と言って私の仕事着(白衣)に落書きしたり、大雪の日に雪山へダイブして全身ビッショビショの状態で塾に来たり(←塾にあるタオルを総動員して私が必死で拭いた)、「先生、歩道橋から落ちた時に宿題プリント飛んでった」と漫画みたいなことを言ったり(←後に本当のことだと判明)、かと思えば、「先生、もう大学3年生だけど、良い人いないの?」「先生、30歳に見える〜」と急に大人びたことを言って私の心をえぐったり、色々と”しでかして”くれた愛すべき生徒たち。

もちろん授業や進路フォローなどはきちんとしていましたし、大変なこと・悩んだこともありましたが、思い出すのは、しょうもなくて、おかしくて、おもろかったことばかり。

それに、最初は「勉強なんて嫌いだ」「塾になんて来たくない」と言って宿題に一切手をつけず、私を含めた塾の先生たちの話を完全無視していたちびっ子たちが次第に心を開いて、「今日は宿題やった」「ちょっとだったら難しいのやってあげても良いよ」と言うようになり、遂には毎回の宿題提出はもちろん、自分から挨拶してくれるようになったことを思うと、言葉にならない喜びで胸がいっぱいになります。

みんな、大きくなったね。

2年間、ありがとう。

*****

塾を、そして勉強を、嫌いにならないでほしい。

塾や勉強を、辛くて苦しいだけの場所/ものに、しないでほしい。

学校だけが居場所じゃないことを、忘れないでほしい。

2年間、その想いを胸に、生徒たちと向き合ってきました。

それは、私自身が塾に”救われた”経験があったからです。

小学生の時、学年が上がるにつれて人間関係が拗れてきました。

学校から帰ると泣いて、怒って、笑ったかと思えばまた泣いて、怒って、というような”やばい”状態だったそうです。

というのも、私には当時のそういう記憶がほとんどなく、母に「こうだったでしょ」と言われて「あぁ、そうだったかも」と思えるくらいしか覚えていません。楽しかったことは思い出せるのに、そういう辛くて悲しかったはずの出来事は、ほとんど思い出せないのです。

そんな私にとって、塾は唯一のオアシスでした。

優しい受付のお姉さんと、面白くて楽しい先生たち。

明るくて個性豊かなクラスメートと、いつの間にか知り合っていた中学生のお兄さん・お姉さんたち。

授業がない日もみんなで塾へ行って、問題集や過去問を解きました。

ケアレスミスをして先生に怒られたり、偏差値が伸びなくて焦ったりしたことはもちろんあったけれど、それ以上に、「学校以外の居場所がある」「学校の先生・クラスメート以外にも、私を受け入れてくれる人がいる」「楽しい時間を過ごせる場所がある」ということが、自分にとって大きな支えになっていたと思います。

大袈裟に言えば、当時の私にとって塾は「自分のままでいられる場所」でした。

もちろん、塾の全てがそうではないでしょうし、”あの時の・あの塾だったから”、”あの時の先生・あの時のクラスメートだったから”、私はのびのびと過ごせたのでしょう。

(因みに私の場合はたまたま塾でしたが、”のびのび過ごせる場所”が塾である必要性は、全くありません。)

それでも、私はそうだったからこそ、生徒たちにとっても、少なくとも「嫌な」場所ではあってほしくない。

できるだけのびのびと、できるだけ楽しく塾で過ごしてほしい。

塾講師として正しい想いだったのか、適性があったのか、今もわかりません。

自己満足だと言われても仕方がないと思います。

それでも、この想いを胸に、生徒たちと向き合い、過ごしてきた日々に後悔はありません。

塾講師としての2年間が私にとって必要な経験だったことは、間違いないでしょう。

私は塾が、好きでした。

*****

塾講師として働くうち、自分が生徒だった頃には見えなかったことが見えてきました。

家族とは、親とは、そして、”教育”とは何か。

塾はオアシスではなかったけれど、それでもやっぱり惹かれてしまう。

塾は、魔性。

それでは、また。

足跡

まだまだ全然暑さは続きますが、わずかに秋の気配を感じるようになりました。

 みなさん夏休みはいかがお過ごしでしょうか。私は秋服は何を着ようかとわくわくしつつ、就活に翻弄されつつ、相変わらず日々を必死に生きています。

 それから、休みを生かして親知らずを抜きました。2本。しかも下の歯を。1週間開けての抜歯でしたが、まあ痛いですよね。しばらく血が止まらなくて口からだらだら血が出るし、歯茎は熱を持っていたいですし。今日また抜きまして、また近々最後の親知らずを抜く予定です。

 私の場合は本当にまっすぐに生えていたらしく、麻酔に数分かかった程度で歯は30秒もかからずすぽっと抜けました。疲れていると毎回歯茎がはれてじくじく痛むし、かなりよかった歯並びはがたつくしでストレスの要因でしたから、ようやくおさらばできてすっきりさよならです。

 あとは、神保町に行きました。勢いでいったので事前準備もなく、パーフェクトに満喫できなかった気はしますが、いやー、楽しかったですね。本や文学が好きな人にはパラダイスなのでは。お店によってはまるで一見さんお断りと言われているような、入るのすらはばかられるほどの雰囲気のお店もありますからやっぱりちょっと緊張しながらですけれど、あっちにもこっちにも本がたくさんあって宝箱のようでした。中には数十万の初版本とか、作家の直筆本を扱うお店もあり、日本文学科の学生にはおなじみの新全集(正しくは新編日本古典文学全集、といいます。これから入学する方はいずれ相棒になるでしょう)がまとめて売られていたりとみているだけで本当に楽しく。まばたきを忘れていたのかコンタクトががびがびに乾燥してしまって大変でした。

 特に楽しかったのは内山書店と東方書店、それから古典専門のお店でしょうか。内山書店は中国文学関係で仲良くなった中国人のお友達におすすめされていましたし、授業でも紹介されたのでいつか絶対に行こうと決めていました。結構散財してしまいましたが、普段スペースが狭まりがちな中国文学の本が店内の端から端までおいてあるのが嬉しすぎて大興奮しました。

 古典専門のお店の方は、店内に独特の雰囲気があって興味深かったです。これは私の偏見ですが、日本文学も時代によって物がまとう雰囲気や気配が異なる気がします。イメージでしょうか。特に古書は何か独特なものがあるからか、フロアによって全く雰囲気が異なっていて異世界に足を踏み入れたようでした。何より視界を埋め尽くすのが古典文学の本というのがいいですよね。店内が静かなのもありひよって購入まで至れませんでしたが、久しぶりにテンションが上がりました。

 古書って人の手によって大事に保管されて、お手入れされて、修繕されないと今の時代まで繋げないものですから、なんだか浪漫がある気がしませんか?以前日本文学科の近世の授業で実際に和本を修復したことがありますが、こうやって何度も大切に手入れをされて今の時代まで残っているのだなと思うと、手元にある本がとてもあたたかく優しいものに感じられます。中古あたりになるともう直筆は難しいですが、近代だと作家直筆の品がそのまま残っていますよね。魯迅などは本人の手紙がそのまま残っていますが、直筆のものを見ると急に生きていた人間としての輪郭がはっきりと見えたような気がするんです。残っていたら残っていたで難しさがあるのかもしれませんが、近代文学好きの方は作者の痕跡をそのままたどれていいなあ、なんてすこし羨ましく思いました。

 みなさんも休みのうちに、是非神保町を訪れてはいかがでしょうか。一つ一つ見て回っていると時間が一瞬で溶けるので、早い時間に行った方が満喫できると思います。本を入れるために大きめのバッグも忘れないでくださいね。

素敵な夏休みになりますように。では、また。

私の高校時代

こんにちは。暑すぎて、セミが鳴かない日があります。弟が熱中症になりました。青が目に染みてショボショボするあやめです。まだまだ暑いですね。

今回はタイトル通り、高校時代の話をします。

私は高校三年間を投げて捨てました。不登校、五月雨登校と言った方が近いのですが、そうやってのらりくらり、家に閉じこもって過ごしました。

捉えようによっては今回の話は、不幸自慢やかわいそうな私を発表する会のように感じると思います。(もし私が高校生で、この投稿を見ていたら絶対にそう思っていました。)ですから今までは「こういう話」はしない、と決めていました。まあしかし夏なので、高校時代の私の「生霊」を供養しようと思ってお話しします。こういう話が苦手な、あるいは不快に思われる方はご遠慮ください。ごめんなさい。結構ハードめに書くつもりです。私はただでさえジメジメなのに、今回は特に重たくて苦しいので、嫌だな、と思われるかも。ちなみに先に申し上げると、今回はあの宇宙人は出てきません。彼はあの投稿を見た本国の監察官にしこたま怒られたこと以外特に変化ありませんので。

警告しましたよ。威嚇のポーズ。

さて、なぜ不登校をやっていたかというと、私の場合、成長過程に必要だったから、としか言いようがないものでした。結果的に自分の中身を観察するとても良い機会になりましたし、自分の理解も進みました。大きな痛みを伴ったものの、今では、私の人生に遅かれ早かれ必要な時期であるものが、たまたま高校時代にやってきた、と考えています。成長痛みたいなものです。ですから、周りになにか嫌なことをされた、とかは一切ありませんでした(むしろ皆さんに助けられて卒業出来ました。クラスメイトも先生も、私がなにもできないのに、たくさんよくしていただきました)。当時は、自分の状況は大したことではなく、ただ私の甘えで休んでいる、と考えていました。今思い返せば、相当心を病んでいたのですが、その自覚はほとんどありませんでした。むしろ「病んでいる」事実を受け止め、冷静に判断できていると思っていました。テンプレートにアイデンティティが拡散している、モデルケース青年期真っただ中な自分を冷笑し、「病んでいる」立場を利用することで、不都合から逃げる免罪符を手に入れられた、ラッキー!とか思っていました。そのくせそのことを憎み、嘆き、恥じていました。すべては自分のわがまま、第一志望の公立高校に受かったくせに、苦労をしらないから堪え性がないんだ、甘えやがって、と自分を責めていました。(そうでもなかった、のか、も?と思えたのはつい最近のことです。)

それまで私は、幸せなことに、そこまで苦労をせずに生きてきました。二週に一回風邪をひくとか、クラスでちょっと嫌われてちょっとハブられるとか、そういうありふれた「苦労」(これを類稀な大苦労と思っていた時期もありましたよ)ならありましたが、うまいことスイスイ難なく生きてこられました。ですから、学校に行けなくなった初めの頃、高1の五月は、自分の「失態」を信じられませんでした。毎日やり場のない言語化できない重たい気持ちを抱え、泣こうにも泣けず、情けなく、恥ずかしく、全てのやる気もそがれました。勉強することが好きだった私が、それ以外になにもない私が、勉強をそがれたら何が残る?と、誰にも顔向けできず、申し訳なく、ただなにもできずどうしようもなく、部屋から出るのも怖かったです。期待してくれた、見返したい父にも、一番近くで気にかけてくれている母にも、何が起きているのか理解できていないであろう弟、妹にも、誰でも、申し訳なくて頼れないと思っていました。特に母には、恥ずかしく申し訳なく、自分の気持ちも話せないまま、でも励ましてもらったり、勇気づけてもらったり、叱られたり、結局欠席連絡をほぼ毎日させてしまいました。一番そばにいるから、一番本音を言えませんでした。大好きな読書も、文字を見て、意味を理解し、ストーリーを追いかける、という行為全てができませんでした。文字は霞み、意味を思い出すのに時間がかかり、そこまで集中力を保つこともできませんでした。開いても、なにも読み取れず虚しく閉じるだけ。本の中にある世界は明るい世界。私のようなはみ出し者は行ってはいけない所、手に取るのも憚られるとすら考えていました。今思えばバカバカしいし、なにが冷静だ、と思うのですが、当時の私は大まじめです。

楽しみはなくなり、どんどん殻にこもり、家族とも話さず(話せず)、自分の考えがどこに向かっているのかもよくわからず、ただ生きていました。いろんな人をうらやみ、恨みました。(いよいよ病んでいるのですが、当時はそうは思わなかったんですよ。びっくり。)誰にも「本当の自分」を言わないせいでついに自分もそれを見失い、それを人のせいにしていました。体力は落ち、体育の授業が苦痛になり、長時間の登校時間が苦痛になり、「大丈夫?」と声をかけてくれる何も知らない級友の眼差しが苦痛になり、自分がなんの生産性もないのに生存しているのが苦痛になりました。最後は生きる行為も投げ出そうとしました(勇気がなかったので自死、などはとうていできなかったのですが)。このようにして私は三年をかけて人間の底のほうに堕ちていったのです……コポコポコポ……

この間、いろんな人が私を救おうとしてくださいました(本当に感謝しています)が、非常にナーバスでナイーブになっていた私は、あろうことかそれら全てを突き放したと記憶しています。学校に行きたくない気持ちが高じてついに駅のホームで倒れた時も、体力がゼロに近いのに出席数を稼ぐために出た文化祭で迷惑にも倒れて救急搬送される羽目になった時も、手負いの猫さながら、警戒心マックスで敵意むき出し(の気持ち)でしたね。滑稽滑稽。笑う所ですよ。

今でも、あの頃の私が全く消えてなくなったわけではありません。大事な三年を無駄にした、と思ってしまいますし、残念ながらまだ不安定にゆらゆらしておりますし、そうやってあの頃の私の生霊のような気持ちは成仏できていないと思います。高校生を題材にした作品はあまり見たくないですし、高校生とすれ違うと言い得ない気持ちになります(そうは言っても弟は今高校生真っ最中なのですが)。それでも、一年半程度かかってようやく、このように「外」に出すことができるようになりました。

私にとって大問題で大事件なこの経験について、おそらくこの手の話は、今の社会に飽和するほど転がっていると思います(この「あるある」感も嫌で話さないようにしていました。またはカミングアウトした時に単純に気まずくもなりますしね)。しかし、誰か、同じような気持ちを抱えている人、もしくは抱えていた人が、(私にとって)幸運にも、この文章を読んで、「なんかこんなタイプの奴もいるんだな」、と思っていただけるのなら、書いてみよう、と思い、えいや、と勢いで書きました。

「本当に苦しんでいる人は、自分が苦しんでいることに気が付かない」、という風に考えているので、ストレートに、苦しんでいる人にこの文章が、気持ちが届く、とは思いませんが、まだ見ぬほかでもないあなたの、なにかの役に立つのなら、幸いです。画面の中から、心を込めて。

今回はハードでダークな私の高校時代のお話をさせて頂きました。お付き合いいただきありがとうございました。はたしてどれだけの方にお付き合いいただけたのか。私の文章の美味さ不味さにかかっています。町中華くらいになれてたらいいな。高望みか。

見て育つ

母は私が物心ついた時からは働かない父のために朝から晩まで働いていて、保護者が必要なイベントも全て仕事仕事仕事で欠席だった。

秋に小学校でバザーがある頃、必ず午前中は親子制作の時間が取られ、母と子、または父と子で一緒に図工の授業を受け、作品を作らなければならなかった。親が来ていないのなんて私一人で、担任の先生が張り付けたような笑顔で「もこちゃんとは僕が一緒に制作します!」なんて言って、ずっと横にいて作品を作ってくれた。でも担任の先生なんてみんなのものだから誰かに呼ばれればすぐどこかに行くし、第一に私は一人で寂しいとか親がいなくて悲しいとかそんな感情が一切なかったから、黙々と素晴らしい作品を作り上げて、結局はクラスの誰よりも目立って輝くのだ。

親の仕事は清掃用具の訪問販売で、有名な企業を二つ想像してもらえればそのどちらかである。お世話になったことがある人もいると思う。月に一回家に来て、掃除道具を交換して帰ってくれる、あのおばちゃん、あれこそが母の仕事。その仕事の合間に近所の化粧品会社の事務をしていた。一つでも大変な仕事なのに、二つもよくやるよな、と今になって思う。

仕事柄、家の固定電話にはよく母のお客様から電話がかかってきた。母は家にいないことも多く、そういう時は私が電話に出ていた。まだ小学生でも、いつも母が出ているように電話に出れば、なんとかなる。

「はい、もしもし」と言って電話に出る。声が大人びていて母に似ていたのか、母の声が若いのか、電話の相手が高齢だからか、小学生なのによく母と間違われた。だから最初に、「娘です」と言う。そしたら電話の相手は「あー!娘さんね!これを伝えてくれる?」と要件を分かりやすく言ってくれる。それをメモしておく。けど、電話口の相手は苗字しか言ってくれないから、どの団地の、誰なのか、しっかり聞いておく。地元なんて同じ苗字の人が沢山いるから。「〇〇団地の、〇〇様ですね。母に、伝えておきます」こう言って電話を切る。すると決まって仕事終わりの母から「さっき電話に出てくれた〇〇さんの家に行ってきたんだけど、褒められたよ。『しっかりした娘さんですね』って」と言われる。嬉しい気持ちになる。

なぜ小学生ながら「母のお客様のことは〇〇”様”と呼ぶ」とか、「苗字だけでなく住んでいる団地も聞く」とか、「要件を最後に復唱する」とか、そういう電話のスキルがあったのか。

それは、母を見て育ったからだ。家で色々なお客様と電話をする母を見て育った。たまに私の習い事の帰りにお客様の家に寄って、モップを回収する母の、インターホン越しの声を聞いた。子供は親をよく見ている。よく見て、よく聞いているから、自分もできる。

小学校の親子制作なんて私には不要なのだ。親が仕事ばかりしているからどうとか、そんなものはない。家にずっといてしっかり育てたければそれでいいし、それが叶わないならそれでもいいのだ。

私は昔から裕福な人が嫌いだった。こんなことは初めて言った。表に出すような感情じゃないと思っていたし、嫌いだと言ったところでお金に勝るものはないと分かっていたから。でも最近読んだ物語の主人公の友達が、私はお金持ちが嫌いです、とハッキリ言っていて、なーんだ、言ってもいいのか、と思った。

聞いてよ、マックのジュースを飲み終わってもね、その容器に水道水を入れたら、氷に味がついてるから、もう一杯ジュースを飲めたような気分になれるんだよ。嬉々として恋人に言ったら、なんてさもしいんだと笑われた。さもしいのか、と思って面白くなった。
お腹が空いてもおにぎりが一個しかない時は、すごく少ないひと口を30回くらい噛んで食べると、お腹いっぱいになるんだよ、と言って驚かせたこともあったな。クリスマスケーキのカタログをコンビニやスーパーに行くたびに貰ってきて、暇な時はずっと眺めていた。眺めるだけでケーキを全部食べた気分になれるから、楽しかった。大学生になって初めてカタログの中のケーキが目の前に現れて、想像していたよりもずっと陳腐な味で、やっぱり眺めるだけでよかったんだなと思った。

今年は大学が賞をくれたおかげで学費を払わなくていい。さらにその賞の権威を利用して外部の奨学金も貰えたから、大学最後の生活、少し楽ができそうだ。奨学金をくれる団体の役員のおじさんに、海外に行ってみなよ、と言われた。おじさんがもっとお金をくれたら行けるかもしれないよ、と思って、いや、お金は自由に使ってくれ、という意味かも、と思い直して安心した。

来年私は就職しているらしい。大企業の正社員枠で入るんだから、生まれも育ちもいいと思われるんだろうな。加えて地方から東京の私立大学に通っているんだし、尚更。まさか四年間学費はいろいろ工面して自分で払い通しましたなんて、信じてもらえないかな。今も信じてもらえないし。でもどうせ自分は言いたくなっちゃうから、言ってしまうんだろうな。

見て育つ、話からは随分逸れてしまった。中学生の頃、石川啄木の詩を覚えてきて「はたらけど はたらけど 猶わが生活楽にならざり ぢっと手を見る」と家で暗誦していたら、「私んごたる(私のようだ)」と母に言われた。私にとって、働くことは貧しいことだった。だって、お母さんはずっと家にいる、と言っていた子はピカピカの筆箱を持っていて、親が滅多に学校に来ない私は、小一の頃に買った筆箱を小四まで使っていた。だから働く母を思い出すと、働く母の暮らしを思い出す。

大人になって、私は恵まれていたと知った。絶対私よりいい暮らしをしてきたであろう人たちが、親とうまく行ってなくて、私は実家が大好き。明るくて平和な家庭だった。誰よりも心が裕福な家庭だったんだろう。今もそうだ。お金に勝るものはないけれど、心に勝るものもない。見て育つ。母は強い。

虹の向こうへ

みなさま、こんにちは。夏休み真っ只中。

暑い日が続いていますが、いかがお過ごしでしょうか。私はというと元気にバイトとサークルの往復、たまに遊びといった日々を過ごしています。

 8月に入って、小学校からの友人と地元の花火大会に行ってきました。地元といっても県内のという意味合いなので初めていく場所でした。冷やしパインを片手に花火を見ていると「夏だなぁ」という実感が湧いてきます。家でメイクをしたり、ヘアセットをしたり、浴衣を着付けたりしている時からワクワクしていて、その季節らしいことを満喫するのは生活を豊かにすると思えた1日でした。

 花火大会といったイベントはありましたが、基本はサークルとバイトがお友達の日々なので本日のブログのネタどうしよう…と思いながら、日課のごとくTwitter改めXを周回していたところ衝撃の事実が発覚しました。

 本日、8月20日は私の推しゲーム『アイドリッシュセブン』の8周年記念日でした…!

ログインのたびにカウントダウンボーナスを受け取っていたにも関わらず、忙しさにかまけて何も考えず過ごしていたため、気づくのに遅れてしまいました。アイナナヲタクとして何たる不覚…!このままでは私のアイナナ愛が疑われてしまう!ということで今回はアイドリッシュセブンに焦点を当てて改めてご紹介します。

『アイドリッシュセブン』はマネージャーとして16人の男性アイドルを見守る、アイドル育成ゲームです。それぞれの事務所ごとに「IDOLISH7」、「TRIGGER」、「Re:vale」「ŹOOĻ」の特色ある4グループが互いに認め合い、高め合いながら成長していく…

ことに加えて、芸能界を舞台にした人間関係や、世間の移り変わり、一個の人間としてのキャラクターの心情の変化・成長などをリアルに描くからこそ、プレイヤーのメンタルを急上昇・急降下・急加速させるストーリーが人気を呼んでいます。キャラクタービジュアルや楽曲からは想像できないストーリーの進展から、ファンの間では「メンタル育成ゲーム」と名高い作品です🌟

 『アイドリッシュン』の魅力は沢山ありますが、今回8周年の節目にYouTubeで公開されたメモリアルムービーに関連したものを1つご紹介します。

 メモリアルムービーというのは、今までのアイドリッシュセブンの歴史の中で16人のアイドルが演じてきたドラマ・舞台を1つにまとめ、音楽と共にアニメーション化したものとなっていました。実は「アイドリッシュセブン」のアイドルたちの裏側を描くメインストーリー以外にも期間限定のイベントなどを通して、アイドルが演じるドラマを作品としてストーリー公開される場合があります。いわゆる劇中劇です。

この劇中劇が単なる期間限定イベントを越えたクオリティで、個人的には毎年1回あるかないかのイベントを待ち望んでいたりもします。普段敬語のキャラクターが砕けた言葉遣いをしていたり、落ち着いたキャラクターが荒ぶったり、狂気じみた演技をみせたり、大好きなアイドルの違った一面をみることができるので、ヲタク側からすると大変ありがたい供給です。また、グループの垣根を大きく超えて物語が進展することが多く、これも私の中の関係性オタク歓喜の舞を踊ってしまいます。

世界観も作りこまれていて引き込まれるので、劇中劇だけで映像化して欲しいという長年の願いもあります。ちなみに、私のイチオシ作品は「星巡りの観測者」です。特色の異なる6つの星と〈星玉〉を巡り巻き起こされる絆を描いた作品で、それぞれの星や作品そのものの世界観が素晴らしく、大好きな物語です…!12人しか出演していませんが、ゲームをインストールなどしなくてもPVは誰でもご覧になれるので、ぜひ検索してみてください。

今回は「アイドリッシュセブン」の魅力を劇中劇に焦点を当ててご紹介しましたが、楽曲、ライブ、キャラクター個人、イラスト、アニメなど様々なタイプのオタクに向けた魅力がたくさん詰まっています。一度ハマれば抜け出せない…沼へ皆さまも足だけと言わず全身入り込んでくださいませ。

今回話題に挙げたメモリアルムービーは↓こちらになります。

気になる方は是非、ご覧ください!!

【8周年】アイドリッシュセブン8周年メモリアルムービー – YouTube

改めて、『アイドリッシュセブン』8周年おめでとうございます。

虹の向こう側の景色、一緒に見届けられますように。

宿る

神様がいるから祀るんじゃない。

祀る人がいるから神が宿るのだ。

千葉県のある地域での祭礼が私にそれを教えてくれました。

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まいです、ごきげんよう❀

今年の夏の一つの大きなイベントは、相方が心から愛してやまないお祭りに同行したことでした。

そこは相方の祖母が住む田舎町で、眩しい緑をした山々のほかには、青い空しかないような自然豊かな場所です。

ここでは各地域がそれぞれの神輿を出して町中を回るという伝統的な祭礼が行われていて、そこでの音花火、神輿、お囃子、匂い、空気……全てを、私の相方はこよなく愛しています。

過疎化、高齢化の進む地方でのお祭りをどうにかして繋げたいと、相方は祭礼のメンバーに加入していました。

コロナ明け4年ぶりの祭礼は、直前までの台風予報も打って変わり晴天のもとで行うことができました。

前夜祭。

神輿の進路を決める軸を操作する人、支える人、交通整備をする人……。

まるで戦隊モノのように、それぞれの神社のばってんを身に付けた男性女性が自分のポジションを全力でつとめます。

大きな掛け声と鮮烈な横笛の音色が2種の太鼓の太い音に煽られると、屋台蔵から大きな神輿が姿を現します。

高い陽に目を細めながら、溢れ出る汗を額のねじり鉢巻に染み込ませながら、人々はよく焼けた肌で太陽の光を照り返し、町を回る神輿を仰ぎ見ていました。

その目の先で陽光を吸収してより輝いてゆく神輿の威厳に、思わず息を呑みました。 

そうか。

信じ、祀り、伝う……。これが神を生んでいるのか。

動ける人が少なくなり、惜しくも町を回ることのなくなった屋台蔵に眠る神輿は、こんなにも生き生きとした神の叫びを宿してはいないだろう。

尊いもの。町の民がいくつになっても守り抜こうとしてきたものの尊さを、私は教わりました。

当日。

朝早くに町中に響き渡る音花火に目を覚まし、クーラーでひんやりとした畳に沁み込んでゆく蝉の声に耳を澄ましていました。

ところで私は相方の祖母の家に泊めてもらっていました。相方の祖母、家族、叔父、従妹とともに過ごす二泊三日は、とても新鮮で、そして充実していました。

みなさんは、映画『サマーウォーズ』を観たことがあるでしょうか。はい、という方には伝わると思いますが、もちろん私は「小磯健二」ポジションです。

畳に座り豪華なお昼ご飯をみんなで囲んで食べ、前夜祭のように神輿を引き、日が暮れて、浴衣に着替えると、またあの神輿のもとへまいります。

私の相方はと言えば、足袋を履いてばってんを締め、ばちを握って大太鼓をたたいています。自らお囃子の一部となり、豆のできる手のひらに、震動の響く二の腕に、筋の張る足に、大好きな”祭り”を共鳴させ、まったくいい眼をして太鼓をたたくのです。

もちろん私はこれを見に来たようなものなので(笑)、このシャッターチャンスを逃すわけにはいかないのですが、思いのほか格好の付いた姿にまじまじと撮影することの気恥ずかしさを感じ、周囲の景色なども映したりなんだかやたら動く動画を撮ってしまったことに少々反省しています。

お囃子を奏で終え、打ち上げ花火を眺め、もう一度響いた3発の音花火……。

その時間があっという間に、眩しい記憶となっていました。

さて、4年ぶりのお祭りに極度の緊張で連日食欲をなくしていた相方は、翌朝満足した様子でごはんを頬張っていました。寝言では相変わらず「みこし…みこし…」と言っていたけどね。

明るい家庭と親戚や地域の方の温もりを感じる田舎の空気は美味しくて、体に心に優しく沁みわたりました。

ごちそうさまでした。おかわり、させてください。

常にあるべき静かなお盆

京都の夏の風物詩といえば祇園祭と十六日の送り火ですが。前日に台風が来たりしましたが、今年も無事に送り火が行われました!そして台風で国内外の旅行客は来れない・無駄なのに新幹線の席を取りに京都駅に集結していたので、地元住民しかおらず、お盆休みの京都にはあるまじき空きようでした。

私は北大路橋でまず大文字をみて、御薗橋まで賀茂川沿いをダッシュで北上して妙の一部、舟形、左大文字をみるという行動をしたのですが、見えなかった法の字と鳥居も含めどの字も綺麗に見えたということで、ご精霊さんも大満足でお帰りなさったのではないでしょうか。爺さん、私もしっかりこちらのご先祖さん送り出しましたよ!

大文字

送り火自体の感想もお話ししたいところですが、今回お話しするのは翌日の大文字山の消し炭拾いについて。大文字の消し炭は無病息災のお守りになるのだそうで、私もつい最近まで知らなかったのですが、そういうのがあるよ、あなたも行けばと教えていただきまして、十七日午前三時台、バスも電車も自転車もないために暗い夜の今出川通を歩いて銀閣寺まで向かいました。まあ、消し炭拾いと聞いて後片付けのお手伝いなのではないかと考える人もいるかと思いますが、物は考えようです。

真夜中の今出川通は人通りも車通りも灯りも少なく、雨雲が桂の方にいたため、雷鳴も聞こえておりました。流石にちょっと怖いなと思いつつ、フードにマスクという不審者のような格好をして夜道を急ぎます。京都大学前の薬局と警備員さんのところ以外、ほとんど真っ暗。途中のエニタイムが逆に怖かったです。

銀閣寺の脇道まで来ると、二人三人と人影が見えるようになり、ようやく安心。今出川通の地味な坂道により既に汗だくですが本番はここから。前を行く人の影を見失わないよう、しかし途中途中で水分補給をしながら山道を進みます。日が登っていようが無かろうが、標高が低くなろうが高くなろうが、暑いことに変わりはないのです。低く、簡単な山ですが、それでも懐中電灯無しだと真っ暗で、さらには前日・前々日の雨によって道が少しぬかるんだままの山道はなかなかスリルがあります。ちなみにiPhoneのライトだと威力が足りなくて少し怖かったです。また、最近は熊が出たというニュースもあったので別の意味で大変恐ろしい。熊よけの鈴をつけて登る方もいました。綺麗に整備された長い階段を駆けあがると、開けたところに出ます。そこが火床です。

左が火床

午前五時、一つ一つ火床を見て回っても、既に大きなものはなく、中ぐらいのものが運良ければ見つかるぐらいでした。他所者ですし、小さいものをいくつか拾わせていただいて、あとはずっと風景を楽しみつつ、体を休めていました。虹が東山区から右京区まで跨ぐようにかかった京都のまちを、あそこが御所か、となると横の煉瓦色は同志社さんで、Y字の森を挟んだところにあるのは京都大学さんで、さらに手前に見える敷地面積の広いお寺さんは金戒光明寺さんか、などとMAPアプリ片手に確認していきます。この五ヶ月でだいたいここから見える場所は歩いておりますので、とても楽しいです。改めて距離を視覚的に感じることによって、やっぱり同志社さんから京都駅は遠いのだなとも思いましたし、これから暑い日は電車・バス代をケチらずに、遠い場所は諦めて公共交通機関を使うことにしようと決めました。

火床から

山であれ電車であれ、行きに比べて帰りの道中は楽で早く終わってしまう気がするものです。すれ違う人すれ違う人に「おはようございます!」と笑顔を振りまきながら山道を下っていきます。その爽快感といったら。ハマる気持ちもわかります。しかし楽しい気分も諸行無常、もう少しでゴールといったところで、突然強い雨が降ったことにより、近くの人とやばいやばいと慌てて手を貸し合いながら滑り落ちるように残り少ない山道を降り、橋を渡って、舗装された道にまで出て、終了。電車やバスに乗り込むのが申し訳ないほどずぶ濡れになり、帰りも結局歩いて帰りました。正直この山から下宿までの帰り道こそがこの数時間で一番疲れました。あの後、日がさしてこなければ、私は今頃風邪をひいていたでしょう。やっとの思いで帰り、シャワーを浴びてソファーに転がった途端気を失いましたが、目が覚めてもまだ、百貨店が開く前の時間でした。朝が早いとこんなにも一日が長い。ご飯を食べて街へ出かけることも出来、有意義で楽しい一日となりました。

銀閣寺道

小さな消し炭は懐紙に包んで玄関に飾ると良いそうなので、とりあえずビニール袋に入れたままスーツケースの中に入れて帰省し、ノーマルの白懐紙と愛用の可愛らしい柄付き懐紙に包んで、形の良い大きなものは祖父母に、あとは実家と親戚、友人宅へ持っていこうかなと思っております。京都に来て色々と無病息災を願いまくっているような気がいたしますが、どうかこの一年だけに限らず、何年先も家族と共に健康で楽しく長生きしたいものです。