こんにちは、あこです。
今日はバレンタインですね。
中・高・大と女子校に身を置いているあこにとって、バレンタインはたくさんのチョコを渡し、たくさんのチョコをいただきまくる”ありがたい”日。
コロナ禍を経た今となっては「古い慣習」だと思いますが、(少なくとも中学までは)手作りチョコが主流でした。だから、チョコを作らねばならぬのです。お菓子作りはおろか、料理、モノづくりすら興味のなかった当時のあこにとって、それがどれだけ辛かったか。
加えて、中学までは”お菓子NG”という規則がありました。それなのに、部活動では先輩にチョコを”献上”しなければならないらしい。
学校のルールは破りたくない、でも絶対みんなはチョコをくれてしまう。
絶対にバレたくない、でも先輩に渡さないといけない。
絶対に怒られたくない、でも”頭の固いやつ”とは思われたくない。
考えた結果、何かとチョコを混ぜたザクザクの塊を茶封筒に入れて友人・先輩たちに配ることにしました。(中1)
そしてバレンタイン当日。
今思えば、先生たちも”諦めていた”のだと思いますが、学校へ行くと、そこは普通に「バレンタイン」でした。
仲の良い友達へ、憧れの先輩へ。可愛いお菓子がビュンビュン飛び交います。
クオリティの高いお菓子が、素敵にラッピングされて、私の元にも届きます。
「ありがとう〜めっちゃ可愛いね!?」
チョコを貰ったら、チョコを返すのが人情というもの。
こう見えて、あこは義理堅い人間なのです。
茶封筒に入ったザクザクの塊チョコを、一人一人返しました。
先輩にも、渡しました。
友達にも、あげました。
「なんで茶封筒に入ってんの!?」
と驚き、笑いながらも受け取ってくれた同級生たち。
「あっありがとうね☺️」と、若干の動揺を見せながらも菩薩のような笑顔で受け取ってくれた先輩たち。
あの節は、本当にありがとうございました。
中2・中3のバレンタインはどう乗り越えたのか覚えていませんが、確か母に作ってもらったマドレーヌ(←これはちゃんと美味しい)を、母にラッピングしてもらって渡していたような気がしなくもないです。
あたかも私が作って私がラッピングしたかのような素ぶりで渡したこと、今ここに懺悔します。
高校生になってからは手作りを卒業(!)し、なけなしの財力で乗り越えました。
チョコを選ぶ楽しさを知り、バレンタイン催事にも足を運ぶようになりました。
高2の時にはついにバレンタインでチョコを渡すことを辞め、チョコをくれた人を覚えておいて「ホワイトデーに返す」というイケメンポジ(!)に勝手に就きました。
そして晴れて大学生になり、バレンタインからは完全に足を洗いました。
バレンタインを利用して感謝の品を贈ることはあっても、大量生産・大量受取の時代は、もう終わり。
ただ、美味しいチョコレートの発掘はいまだに好きなので(←チョコに限りませんが。)百貨店のバレンタイン催事はやはりワクワクします。
「この人は〇〇な感じだから、あのチョコがいいかな〜」
「このチョコにはこんなこだわりがあるんだ!」
「普段は〇〇でしか売ってないチョコが、ここで買えるのですか!?!?」
今年のバレンタインも、美味しいチョコレートに出会いました。(沖縄発のBEAN to BARチョコレートブランド・TIMELESS CHOCOLATEさんです。自家焙煎されたカカオ豆は香り高く、深いコクと甘みをもつ西表島黒糖とよく合います。皆さまもぜひお試しください!)
バレンタイン、最高です。
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バレンタインに限らず、誰かと何か(手紙,メール,プレゼントetc.)をやり取りすることは、とても嬉しくて、幸せなことです。
幼い頃は単純にモノを貰えることが嬉しかったあこですが、自分が”贈る”立場になって、”贈る”前の”選ぶ”行為、更には”選ぶ”前の、相手を”思う”気持ちがカタチになったものこそが、目の前の「モノ」なのだと気付けました。
何かを貰うということは、その人が私を「思ってくれた」ということであり、何かを贈るということは、私がその人を「思った」ということ。
友達、家族、先生、その他お世話になった方々へ。
チョコは渡してないけれど、いつも感謝しています。
10年前~4年前にかけてチョコをくれた方々へ。
今更だけど、チョコをくれてありがとう。
“カタチ”が全てではないけれど、たまには”カタチ”にするのもいいかもね。
バレンタインから(早めに)卒業した者として、思いを馳せるあこでした。
それでは、また。