レ・ミゼラブル

どーも!さえこです。
無事に書連展を終えることができました。ありがとうございました!(^O^)おかげさまですばらしい展覧会になりました。60周年にふさわしい書道展でしたよ!今後は目白祭に向けて活動していきます。これはもうみんな来てくれると信じてるッ!!というか絶対来いよッ!!(笑)
さて、今回はブログメンバーえりこ氏の熱烈な要望(6月14日の題名参照)にお応えすべく、映画『レ・ミゼラブル』(新しい方の)についてざっくり書きます。ちなみに私はアンジョルラスではありません。そのところも含めて説明します。
妹の子供のためにパン一つを盗み、罪人とされたジャン・バルジャンは、人間や社会に対して憎悪の念を抱きます。しかしジャン・バルジャンは、司教の優しさに触れたことで生まれ変わるのでした。彼はファンテーヌに出会い、その娘コゼットを預かります。そしてコゼットはマリウスと恋に落ち、ジャン・バルジャンも戦火の渦へ巻き込まれていきます。自分が罪人であったことに苦悩しつつも、胸にある「愛」を忘れずに突き進むジャン・バルジャン。その姿は、まさに人間の鑑ですね。あ、私はただの罪人ですよ。スマホぶち壊し罪の。
まあ、私が一番印象に残った戦闘シーンですね。フィナーレにつながる『レ・ミゼラブル』の見所の一つです。革命を望む学生たち(を率いてる奴がアンジョルラスですね)と、それを阻止しようとする警官たちの争いが描かれます。また、ここでジャン・バルジャンはジャベールを殺すことができる、格好の機会に巡り合います。しかし、ジャン・バルジャンはジャベールを逃がしました(アンジョルラスはこのことに気づきません)。ジャン・バルジャンの変化を目の当たりにしたジャベールに、葛藤が生まれます。このシーンは私たちに、「人は変わることができる」ということを強く訴えかけています。
ジャベールがジャン・バルジャンを執拗に追い詰めるシーンは実に緊迫しています(無視されているアンジョルラスの運命やいかに)。ジャベールには警官としての誇りがあり、その職務を全うすることこそが、彼の生きがいでした。ジャン・バルジャンが罪人から聖人へと変わったとき、ジャベールの「法が全て」「罪人は死ぬまで罪人である」という信念は打ち砕かれてしまったのです。ジャベールが自死する姿を観たときには、複雑な気持ちになりました((+_+))なんだかなー
結果として、学生たち(つまりアンジョルラスを含む)はマリウス一人を残して、全員滅ぼされてしまいます。ここに「愛」と対照的な『レ・ミゼラブル』のテーマである「無情」が、色濃く現れています。しかし、マリウスはコゼットとの「愛」によって、悲しみから立ち上がることができました。総じて映画『レ・ミゼラブル』は、「愛」と「無情」とが織り成す、素晴らしい作品でした。
めでたしめでたし。
さえこでした。

百聞は(ちょっとでも)一見にしかず

こんばんは。かつーんです。
元々私は寝起きが良い方ではないのですが、最近輪をかけて酷くなってきているような気がします。
というのも、今朝母に起こして貰った時に「坊主が坊主じゃない!」と叫んだそうなのです。
何やらうにゃうにゃ返事をしたような記憶はうっすらとあったのですが、まさかそんなことを言っていたとは思わず、言った筈の本人ですら「何じゃそりゃ」といった具合でした。
昨日友人から借りて読んだ本にお坊さんが出てきたので、多分それが原因だと思うのですが、何故ぼーさんをチョイスしたのだろう……。
別の日にも寝ぼけてよく分からないことを言っていたらしく、その時の自分を問い質してみたいです。
さて、今回は介護等体験について取り上げたいと思います。
一昨日、介護等体験の特別支援学校でオリエンテーションを受けてきました。
介護等体験をする際の注意事項や心構え、学校の歴史などを教頭先生から伺いました。
話を伺った後は、校内や授業の様子を見学させて貰いました。
短い時間でしたが、話を伺ったり見学したり出来て、とても良かったと思います。
なぜなら、学校の空気に触れられただけでなく、コミュニケーションについて振り返ることも出来たからです。
コミュニケーションをとる時に何に気を付けるべきか、どうするべきなのかは、誰であっても同じで変わらないということを再確認しました。
介護等体験に関することは、当たり前と思っていることを改めて見つめ直して、考えさせてくれるような気がします。
実際に体験にいくのはまだ先なので、それまでに少しは知識や理解を深められればと思います。
体験先の学校まではバスを使って行ったのですが、バス停からは少し距離があり、行くまでに少し迷ってしまいました。[:汗:]
たまたまバス停の近くで会えた日文の子と一緒に向かったのにも関わらず、です。
お店の人や通りすがりの人に道を聞いて、事なきを得ました。
地図は不得手とは言え、方向音痴ではない筈なのですが……何故。
実体験の時は、迷わず行ってみせたいです。

ワールドカップ

こんばんは。あやです。
ワールドカップが始まりました。
しかし地球の裏側で開催されるとなると生放送を観るのはなかなか難しいですね…。
次の試合も金曜日の朝、さらに次の試合も水曜日の早朝ということで、びっくりするほど登校時間と丸被りでした。きっと通勤・通学の多くの方々も項垂れていることと思います…私もリアルタイムで盛り上がりたい…。
スポーツ観戦が好きなのでこういった時期は何だか心が躍るのですが、ずっとお預け状態で少し辛いです。
一番最初に好きになったのはアメフトで、中学生の頃はよく深夜にNFLの試合を見ていました。(今同じことをしたら絶対授業中に寝る自信があるのでしません)
野球もずっと見ていたのですが贔屓の選手が引退したりチームを移籍したり、はたまたメジャーに転向する内に段々と疎遠になり…。
最近は一競技をまともに見られた覚えがない気がします。
でもこれは4年に一度の祭典!ワールドカップ!
日本代表戦、なんとか一試合は生放送で観て大盛り上がりしたいです!
あや

久々に病人になった話。

どうも、もえです。
もう毎日暑いですね・・・
日が暮れればある程度涼しくはなりますが、それでもまだあついぜ・・・
と思って網戸の状態で半袖半ズボン姿で寝てしまうと翌朝起きた時に体がひんやりしていたり。
母や妹はそれでも大丈夫なようですが、そこそこ寒がりなわたしにとっては体温調節が難しい時期であります。エアコンのタイマー機能みたいに、ある時間になったら勝手に閉まってくれる窓とかないのかな・・・あったらすごく欲しいのですが。でも、あったとしても高そうだから多分買わないですね 笑
そのようなことが原因なのか、つい先日謎の熱を出してしまいました。
先週の木曜日、12時頃にバイトから帰り、
「明日もそこそこ早いし、さっさと寝よ~」
と、帰って来て早々とお風呂に入ったのですが 体を洗う時に
(なんか、皮膚をこすると痛いな・・・インフルエンザに罹った時みたいだなぁ?)
と思いまして。
まあ疲れているからだろうと気にせずにいたのですが、寝る前に一応体温を測ってみたら38℃の熱が・・・!
体が痛い以外には頭痛も気持ち悪さも何もなかったので、測った自分自身がすごく驚きました 笑
普段ほとんど風邪などで熱を出すことはないですし、その上それっぽい症状もなかったのでビックリでした。
次の日も熱は引かず2年生になってから初の欠席をしました。
・・・と言っても、相変わらず頭痛などがあるわけでもなく、熱が高いのと体(特に背骨の辺り)が痛むくらいだったので精神的には割と元気だったのですが。
金曜日の授業は1週間の中でもかなり好きなものなので「ああ・・・」って感じでしたね・・・
授業後には買い物にも行こうと思っていたのに・・・
平日の授業後が丸々空いているのは金曜日くらいなので、お買い物は1週間後に先延ばしになりました。悲しい。
妹にこれを話したら
「あー、あるよね たまに。そういうよくわからない熱」
と冷めた態度で言われたのですがそういうものなんでしょうか?
なんかこう書くと妹と仲が良くないみたいに受け取られそうですが、そんなことないですからね!他に類を見ないほど(すみません盛りました)姉妹仲はいいですよ!
姉妹ネタでもそのうち記事が書けたらなぁ~と思います。
ということで、もえは久々に家で病人扱いされたわけですが、
みなさまもお体には本当に気を付けてくださいね・・・!!

そつろん

街はワールドカップの青一色、本棚のonちゃん(北海道テレビのキャラクター)卓上カレンダーをめくるとonちゃんまでもサッカー仕様でした。ももなです。試合の興奮冷めやらぬ若者で溢れた渋谷のスクランブル交差点では痴漢が大量発生したとネット記事で読みました。けしからん!日本代表の試合の興奮に乗じてそんなことをする輩がいるとは大変恥ずかしきことです。おおお自分がやられたわけでもないのに沸々と怒りが…全く何を考えているのでしょう!(若しくは何も考えていないのか)
えー、気を取り直して、去る今月13日に私の所属する近代日本文学ゼミに於いて(毎週のことなのですが)演習(授業)がありました。この日は約1年ぶり(3年生の後期以来)の自分の卒論に向けた発表でした。私が取り扱っているのは福永武彦『草の花』という1954年に新潮社より出版された作品です。(新潮社…就活……うっ頭が)
先行研究に於いてはこの作品はホモ(同性愛)だホモ(同性愛)じゃないだと言われているのですが、つまるところ私はホモ(同性愛)だと思い考察を進めようと考えています。というか、「日本近代文学」を紹介する本やら雑誌やら、若しくはホモ本/臭い本(まんまBLではなくとも腐った人間が読むとそうだと思うような作品)を紹介する本やら雑誌やらには大体ホモ(同性愛)だと書いてあるのですよ。例えば『ダ・ヴィンチ』(KADOKAWA)2009年2月特集「世界はBLで満ちている!」で見かけました。し、『新装版 昭和美少年手帖』(河出書房新社)を立ち読みした際にも書かれていました。そうはいっても、何を以てどうしてホモ(同性愛)だと捉え考えるのかも根拠を基に論じていかねばならない大事な点のひとつなのですが。。
『草の花』梗概は以下の通りです。
東京郊外K村にあるサナトリウム(結核療養所)に入所する「私」は、ここで二度冬を越した。「汐見茂思―この人を語るために原稿を起こした」とあるように、汐見を中心に見た、サナトリウム(病室)での様子が中心に描かれる。他の病人は、神経質なまでに自分の状態を案ずるなど、「死」を恐れているが、ただ一人汐見は、身体に響く煙草を吸うなど、周りからは「豪傑」とも取れる態度でいた。しかし、彼は無謀とも思われた手術を自ら懇願し、手術前に「私」に、病床で描き込んだ二冊のノート(手帳)を託し、術中死する。「第一の手帳」に書かれていたのは、汐見が高校弓術部に所属していた頃に経験した、藤木忍という少年に向けた愛と、その愛の拒否である。その後、藤木は敗血症で死んでしまう。また、「第二の手帳」には藤木の妹である藤木千枝子との愛が描かれる。千枝子は汐見を愛したが、結局千枝子は神への愛を選び、汐見も孤独(「英雄の孤独」こそが自分を支えるとしていると述べている)を選び、またも愛の結実は果たされなかった。手帳の最後は「藤木、君は僕を愛してはくれなかった。そして君の妹は、僕を愛してはくれなかった。僕は一人きりで死ぬだろう…」と締められる。最終章に於いて、春、「私」によって別の人物と結婚していた千枝子に、手帳の受け渡しが図られるが千枝子は手紙で手帳は受け取らない旨を示す。
以上私の拙いレジュメより引用。。。
要は、同じ部活(弓術部)の後輩・藤木忍きゅんに愛を抱いてしまった汐見茂思くん。しかしその愛は叶わず。忍きゅんが病死してしまった後、彼の妹であった藤木千枝子ちゃんに愛を抱くも叶わず。戦中肺結核となり入所したサナトリウムで同室になった「私」に二つの愛について書いたノートを託し術中死してしまうということですね。
ここまで読んでくださった方はお分かりかと思いますが、大変俗的且つお叱りを恐れず言ってしまえばホモ+ロリコンということになりましょうか。少なくとも初めて読んだ直後、私の脳内でこの構図が出来上がってしまい日本文学の無限の可能性を感じました・・・
表面的ざっくりで言うとこんなこととなってしまっておりますが、実際に細かく丁寧に読み進めていくと宗教(主にキリスト教)や哲学(西洋哲学)などまで素材は広がっていて、日本文学だから日本のことだけ、ともならずこれまた日本文学の無限の可能性を感じている所です。たまに「日本文学学んで何になるの?」とも思われることもあるかと思いますが(人間が生きるために必要な建築や栄養学に比べればそう思うのも致し方ないかもしれないとは思いつつ)、日本文学から広がって様々な領域について好奇心と知識を得られること、また限られたテクストから背景や考えを読み取る・考える・纏める思考などが身に付くのです。私が身に着けられているかはさておき。
12月の提出まで藤木きゅんや汐見くんと付き合っていくこととなるわけですが、どうか根をあげずに、担当してくださっている先生にも御納得(満足?)頂けるようなものにしたいと思います。。。頑張らねば・・・。

ともだち100人

最近バイトを減らしたおかげで金銭的な余裕は全く無いものの時間にゆとりができて毎日ハッピーなまなみです。
今まで私はあいている時間はすべてバイトに費やすくらいバイト充でした。一時期はかけもちしていたくらい。。。
しかし、大学生という貴重な時間をお金を出して買っているわけだから、その時間でちまちまと小銭稼ぎしていたら本末転倒だろうと最近になって気づきました。
このままレジ打ちマシーンとして大学生活を終わらせていいのか?いいわけないだろ!ということで、打ち込みました。サークル活動に。
私が所属している書道研究会(さえこさんの記事によく出てきます、詳しくはそちら!)は、東京学生書道連盟に加盟しておりまして、年に一回、9大学合同で書連展という展覧会を開催しております。
私はその書連展の委員を務めました。こんな大きな連盟の展覧会、しかも今年は60周年ということで例年より大規模にやるとのことで、私なんかに務まるのかとプルプル震えておりました。それが去年の10月のことです。しかし、毎週行われる会議に参加し、おなじ書連展委員の人達とかかわっていくうちに、だんだんとやる気がでてきまして、大変なこともたくさんありましたが、すべては展覧会を完璧に完成させるため!と思って頑張ることができました。会期は6月6日から8日だったのですが、準備日など含め5日間、川口のリリアに通い詰めました。
いろんな大学の人と同じ目標を持って作業したことで、沢山の人と知り合い仲良くなれました。私は友達が少ない(いや、無理に友達を作らないだけなんだプルプル)のですが、これを機に社交界に足を踏み入れようと思いました。大学生活って長いようで短いですね。あっという間に二年の夏です。悔いの残らぬよういろんなことに挑戦してみたいです。

バリケード作らなきゃとかそれレミゼじゃないですか。さえこさんアンジョルラスなの?アンジョルラスなの?イケメン!!

♪迷子の迷子のあるぱかちゃん あなたの飼い主だれですか
 何日待っても飼い主来ない 「迷子です」って言っても飼い主来ない
ここまで替え歌を考えて、アルパカの鳴き声が分からなかったので調べたところ、アルパカは「フェー」と鳴くそうです。何それかわいい。いっそ「ふええ(´;ω;`)」って鳴けばいいわよあるぱかちゃん。
というわけで、学生課の前で健気に飼い主さんを待ち続けているあるぱかちゃんが不憫でならないえりこですこんばんは。
6月8日(日)に実践女子大学で開催された「宮廷の華 源氏物語」展に行ってまいりました(※会期は既に終了)。百年館8階の日文図書館前にてチラシを発見し、テンションが上がりすぎて久しぶりに一人で弾丸ツアーでしたよイエイ!!
この日は『王朝の薫と装束』という題で、御家流香道師範・小畑洋子氏より「組香 源氏香」と、衣紋堂高倉流本部教授・永井とも子氏より平安時代の装束について講演がありました。
まず組香の「源氏香」ですが、そもそも組香とは江戸時代に生まれたゲームのようなもので、数種類のお香を焚いて順番に香りを聞き(香道では香りを「嗅ぐ」とは言わず「聞く」というそうです)、同じ香りの香木を聞きわけるというもの。「源氏香」の場合は、五本の香木を25の包みに分けて、その中から5の包みをランダムに選んでひとつずつ香りを聞いていき、最後に紙に答え(何番目と何番目のお香が同じ香りか)を書く、という組香です。「源氏香」はこの答えの書き方が特徴的で、5本の縦線をお香に見立て、同じ香りのお香を横線で結ぶ、という形式を取ります(画像参照)。また、この組み合わせが全部で52通りあることから、『源氏物語』五四帖のうち「桐壺」巻と「夢浮橋」巻を除いた五二帖に名前を当てはめたので、「源氏香」と名付けられたそうです。
(Wikipediaより)
講演中に実践女子大学香道研究会の皆様による「源氏香」の実演があり、香水とは違う仄かで甘い香りが会場内に漂っていました。『源氏物語』が書かれた平安時代には「組香」ではなく「薫物合」という遊びが行われていたそうなのですが、王朝時代の人々はこんな優雅な香りを身にまとって生活していたんだなぁと想像できる貴重な時間でした。
続いて「王朝の装束 ―古と今―」という題で、十二単と束帯の今と昔の姿が披露されました。まず十二単のお服上げ(着付けのこと)から始まったのですが、その手際の良いこと良いこと。普通の着物の着付けでは何本も紐を使って襦袢から小袖まで全て留めていきますが、十二単の場合は紐を二本しか使用せず、しかも最終的には裳についている「小紐」という紐一本で五衣・打衣・表着の前を留めているのですから驚きです。ちなみにお服上げにかかった時間は大体40分ほど。その間誰も一言も発さず、衣擦れの音だけが響くなか、食い入るようにお服上げの様子を見守っていました。
お服上げが終わったあとは、現代版十二単と平安版十二単を着たお方(十二単を着る人)が並び、その違いを比較したのですが、平安時代の十二単は、言ってしまえば宮中や貴族に仕える女房たちの日常着だったわけで、割と適当にざっくり着ている印象でした。反対に現代の十二単は、皇族の方々が儀式の際に着用されるものなので、襲色目が美しく見えるように綺麗にそろえ、きちんとした着装にしているのだそうです。
さて、全ての説明が終わったころ、講師の永井先生が、一言こうおっしゃいました。
「皆様、“空蝉”見たいですか?」
空蝉!!!!(゜Д゜)
『源氏物語』「空蝉」巻の!源氏から逃げるために空蝉が小袿を脱ぎ捨てるあの!誰もが知ってるあのシーンを!再現して下さると!やったー!!
「ぜひ!」と言わんばかりにお客さん全員が拍手。私も全力で拍手。それでは、とお方様がステージ中央に膝をついてスタンバイ。女房役の着付け師の方がその後ろに回り、前を留めている小紐を解くとアラ不思議!袖から腕を抜くだけで全部脱げる!会場が「おおーっ!」とどよめく中、白小袖と濃色の長袴姿になったお方様、静かに退場。私大喜び。
講演後は美しい蝉の抜け殻の撮影許可が下りたので、もちろん撮ってきましたよ!そんなわけで皆さん!これが「空蝉」です!
前!

後ろ!

いやぁすごい物が見れました……幸せ(*´▽`*)
ちなみにタイトルはブログの内容と全く関係ありません☆えりこでした!

鯛焼き…あんみつ…

こんにちは!あかねです。
6月に入り、雨が止んだと思ったらまたすぐに降るようなお天気で、若干気持ちも鬱々としております…。
雨がないと困りますが、雨の日が続くとやはりどうしても晴れが恋しくなってきてしまうこの頃です。
私は茶道部に所属しているのですが、この時期には大きなお茶会があります。
学校近くの護国寺というお寺のお茶室を一日お借りして、学外からのお客様をお招きするお茶会です。
年に二度ある大きなお茶会のうちの一つで、部員一同一生懸命この日に向けて稽古に励んでいます。
私は四年生なので、部員として参加するのはこれが最後となります。しっかりと自分の仕事をやり遂げたいです。
お茶会といえば、茶道の楽しみの一つにお菓子があるのではないかと思います。
私は茶道を始めるまで餡子があまり好きではなかったはずなのですが、一度食べ始めてみるとおいしくておいしくて…。
修学旅行や合宿で京都に行ったときは、行く先々でおいしそうな和菓子を見つけて楽しかったことを思い出します。
東京にもおいしい和菓子屋さんがたくさんあると思うのですが、実のところ、三年以上住んでいながら、どんなお店があるのかよくわかっていません……。
卒業まであと半年ほど、せっかく東京にいるのでもっと色々楽しみたいと思っているのですが、実行に移せるかどうか自分でもわかりません。
和菓子じゃなくてもいろいろおいしい食べ物やきれいな景色を楽しめる場所をたくさん巡れたらいいなと思います。
+あかね+

口癖と合同展

こんにちは。もえです。
この頃授業の関係で夏目漱石ばかり読んでいるのですが、作品に登場する書生さんは「〜ですな」という語尾をよく使うな…むしろ使いすぎだろ…と思っていたら、いつの間にか移っていました。
バイトなどで若干ゆるめに敬語を使おうとすると
「そうですな!」とか
「それは大変ですな〜」
という言葉が出てきます。完全に無意識…
とても東京の女子大生が使う言葉だとは思えん…(使う方がいたらすみません)
ただでさえそ〜んなに高くない女子力が格段に下がった感じがしますね!!涙目!!
移るのなら いっそ「〜ですわ」とかが良かったですね。女子力…というかお嬢様力がすごくアップしそう。
…というのはまぁどうでもよくてですね、
わたしの所属している美術サークルでは先日、原宿のデザインフェスタギャラリーという場所で他校との合同展がありました。
わたしも当日行ってきたのですが、今まで展示会などの経験がなかったので なんだか新鮮…というか不思議な感じがしました。
普段一緒に活動している同級生の絵も複数枚あったのですが、展示用に並べてあるとなんかいつもと違う雰囲気…!!
自分自身こういうものの参加は初めてでしたし、他校の方の作品も見れていい経験になりました。
あと いろいろな作品が並べてあると「自分の絵、もっと〜したらよかったな…」
という反省?もあがってきましたね。
割りと薄くて暗い色で描いていたので(描いている時は自覚がなかったですが)もっとハッキリした絵でいいんだなって思いました
また夏にも合同展があるようなので、その時はもっと納得のいける絵が描けたらな〜と思ったわけですな!

クノ●ルカップスープは「3分でできあがり★」とかいうけど、ここはあえて倍以上、そうだな、10分くらい放置するほうが猫舌だしいいんじゃない?って私のゴーストが囁くからそうしてるんだけど、そういえばこのネタ分かる人少ない気がする。

・・・皆さああああああああああああん・・・
・・・今日はー…ターザンロオオオオオオプからのー・・・
・・・ご挨拶うううういいいやっふううううううううい・・・・

\ドカーンバキバキ…/

……(シーン&けむりもくもく)
ううすみません…
ちょっと…
ワタクシ思いついたらやってみたくなるのが性でして…
いかにも今日の担当は単細胞さとよです、10度目まして。
―2Dの世界に3Dの感動を。
登場のインパクトをひたすら求めてみたらこうなりました。
視覚から体感覚への想像を訴えるような!そう!この活字体の羅列でも!フォントの大きさなど工夫すれば
躍動感溢れる動画的なものにならないかと思いまして、ええ!実験してみた次第です!
…なんということでしょう…!
こう!私がターザンロープで左から右へ…!!
…とは見えませんね分かります。
結果、人類には早すぎる試みだということが分かりましたので、怒られる前に撤収します。
さてさて遡りますは数日前、とある授業におきまして、友人らとこんな会話を交わしました。
タイトルをつけるなら
「ぜんぶ海神のターン―THE WADATSUMI―」
でしょうかね。
もうそれはそれはいろんな意味で恐ろしい展開に・・・
いやもういろいろ刺激が強いので(笑)、ご覧になりたい方のみ続きへどうぞ(笑)
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