春の空を見る私


むかいあい立つ二人 水平に平行に
けれどはっきり あいだ 隔てる透明な壁

夜より深く青い空
日差しをかえす海に
そびえたつ 透明な壁
冷たく 果てしない

斉藤由貴「morn~透明な壁~」(作詞 斉藤由貴 作曲 武部聡志)より

最近、自然の色が好きです。
春の空は、空の吸い込まれそうな青さと春の暖かさが混ざった色をしています。
コンタクトを変えたら、青空の深さと星のきらめきがはっきりと見えるようになりました。
午後5時の東の空。澄んだ昼と夜の暗闇との中間色。怖いくらい冷たく、他のものを寄せ付けない孤高な色。
午後10時の南の空。遥か遠く過去から来た星の色。ガラス細工が光に照らされた時のような天然な色。
暖かさや明るさの中の、冷たさや暗さ。その境目も分からないほど、かすかな変化で成り立っている。どこまでも柔らかく滑るように。


一か月ほどお休みをもらいました。
前回のブログタイトルが「ヘトヘトです」。お休みをいただいて本当に良かったと思っています。
お休みの間に、『研究ノート』が無事完成しました。国文学会の研究ノート係として、ひたすら走った1年間。途中は何度も諦めそうになったけれど、冊子の形を見た時、形になるって素敵なことだなとしみじみしました。人並な感想ですが、それに尽きます。

部屋の片づけもして、やっとすべてが落ち着いてきました。
先日、ゼミやブログ部で自己紹介をする機会があり、自分ってどんなことに興味があって、どんな人間なんだろうと改めて考えました。基本的に自分自身のことをよく振り返っているので、比較的自分のことを分かっている(と思っている)のですが、最近私って自分が考えているよりもっとマイペースなのかもなぁと感じるようになりました。自己満足と自己肯定の世界に片足つっこんでいます。世の中みんなそうだと思っていたら、どうも違うと最近気が付きました。何にしても、私は自由にしか生きられないので、これからもそう生きていきたいなと思いました。
先日、バイト先の神社の職員さんがご病気から無事復帰されて、約半年ぶりにお会いすることができました。まだお若いのですが、脳出血で、もう少し場所が悪かったら後遺症が残っていた、とお医者さまに言われたそうです。とにかくまたお話できたことが嬉しく、涙がぽろぽろこぼれてきました。直接会うことができるって本当に幸せなことだな、と思って、その帰り道中島みゆきを聞きながら、また涙ぐんでしまいました。嬉しかったお話です。

最近、同じブログ部のはるかさんと詩とか散文を作って送り合っています(これ言ったら怒られちゃうかな)。
やっぱり私は書くことが好きです。そして、素敵な詩や歌詞に出会うことが心の支えです。ゼミの友人と「推し」について語っていた時、私にとって「推し」は尊い、というより隣りにいてくれる、みたいな存在なんだなと気が付きました。私は、やたらと明るい曲はなんか白々しい、と思ってしまうひねくれ者です。悲しみにとことん付き合ってくれる方が幸せ、少し冷たい方が本当の人間の姿を表しているように思います。中島みゆきさんが好きなことはこのブログを読んでいる方はご存じかとは思いますが、最近同じ時期にデビューした谷山浩子さんや尾崎亜美さん、森田童子さんの曲に興味があります。そして、その方々の書いた詞や曲を歌っている80年代アイドルの存在。詞から色々な物の見方を知ると、世界が広がっていく静かな実感があります。

いつまでもその気持ちを大切にしたい、
そう思う春のうららかな一日が過ぎてゆきます。

いよいよ4年生。不安もあるけれど、楽しみの方が大きいです。



残像に香水を

ご無沙汰しております、みちるです。

目薬をさすとき、目と口が一緒に開いちゃうんです。

「一段と間抜けな顔ですね」

いいじゃないか。目薬と私、とあなたしか居ないんだから。
少しだけ休ませてくれ。
・・・

「運命」

少し、昔の話を致しましょう。
冒頭からなんとユーモアのないクリシェ。恥ずかしいよ。
昔といってもそれほど古い話ではない。高校時代、一昨年の春のことです。

見上げる先の唇に突然「運命ですね」と言われた。
思い返せばそれまで誰にも吐かれたことがない台詞だったこともあり、吃驚と動揺と感嘆と、とにかく押し寄せる諸感情の波に私は完全に隷属しました。

突如として「運命」を語られたら、あなたは何と答えますか。
(あなたでなくとも人類であれば誰だって、当時の私よりは上手い返しをなさるでしょう。)
―その時分、私はどうしてしまったのか「ああ、はい」と、へらつきながら返答したのだ!

[大喝采] [喜劇] [閉幕]

なんたる愚劣!IQ8にも満たないレスポンスであります。大変お疲れさまでした。

ここでちょっとした背景情報を付け加えておく。場面は高校棟三階廊下、時刻はおよそ午後4時。校舎の表皮めいたリノリウム、のみならず二足歩行の有機体にまで遍くオレンジ・フィルターが適用される頃合です。
私とその人類(仮称・S)は一地点で出会い、会釈をして二方向へ進みだした。そして一分も経たないうちに再び邂逅したのだった。

「頓智ですか?」

なに、簡単なことです。私とSは長方形の辺めいた廊下の或る一角で別れ、異なる辺を通過して斜向かいの点で合流したというわけ。
そう、これだけのこと。取るに足らない日常の「偶然」(とあなたたちが呼ぶ事象)。

それをSは「運命」と称したのです。
素敵だった。
音楽と哲学を愛し、遊びの余暇に労働し、はっはっはと低い声で笑うナイスミドルのS。交流は決して深くなかったものの、私は博識な彼をまさしく「理想の大人」と称するに相応しい人類だと感じていました。

そんなSから「運命」という”何となく情緒的な語”が飛び出したもんで、完全に信じ込まされてしまったわけだ。そうか、これも運命なんだと。(弁解を加えるならば、高校生の私は運命論に暗く「決定」と「運命」を感覚的にイコールで結びつける独断、薄学っぷりであった。)

・・・因みに「運命」および「決定」の語義等々については木島泰三氏が目的論の観点から上手く整理していたので、以下その著。

自由意志の向こう側 決定論をめぐる哲学史 (講談社選書メチエ) | 木島 泰三 |本 | 通販 | Amazon
※木島泰三『自由意志の向こう側 決定論をめぐる哲学史』(講談社、2020年11月)


この一冊を読んでいくうち私は「運命」という語に刺激され、Sの発言を想起した、のでしょう。これはイマの話。

加えてとにかく諸々の(形而上の)都合で、わたくしみちるは「運命」信仰を降りた身なのであります。これもイマの話。

「運命」は幻想である。
斯様に思考するとき、Sの言葉はたんなる欺瞞と解されるだろうか。
いいやまさか。むしろその反対のことが今、起きている。

「運命」が幻であるのなら、私は好んで奇術師になろう。
私は「運命」を花飾りのように表象する。命もなく、香りもない。ただそこに情緒的な美だけが保存されるのなら、生花でなくとも、紫の煙であっても愛したいのです。
どうしようもない言葉遊びだとお笑いになりますか?
しかしこればかりは、私のSに対する一方的な約束であり、敬愛であり、ある種の郷愁である、ということで一つご容赦頂きたく思います。

夜の帳がオレンジ・フィルターを閉じ込めても、言葉遊びは続いていく。
それは私の香水の、金木犀の香りがそうさせるから―などと恥ずかしい言い訳をひとつ。

真面目な皆さん、ごめんなさい。

最後は矢張り、ここまで手紙を読んで下さったあなたにこう書き残すべきでしょう。私たちの出会いも
「運命ですね」
と。ふふ、こうでなくっちゃ、終われないでしょう。

またお手紙書きますね。大好きです。          みちる

いざ、未知の世界へ。

皆さん、こんにちは!ずきです。

前回の更新は14日でしたが、少し早めに出番をいただきました。どうぞよろしくお願い致します!
3月18日。1965年の今日は、人類が初めて宇宙遊泳を実現させた日なのだそうです。「宇宙」というと、人類にとってはまだまだ謎の多い、未知の世界……。
3月も残り13日です。あと2週間ほどで新年度が始まりますね。この時期になると、お引越しをされる方が多くいらっしゃるかと思います。実は、私もそのうちの一人です。昨年は全ての授業がオンラインでの実施だったため、実家暮らしのまま1年を過ごしました。この春からは、対面授業も始まるということで、漸く上京することが決まりました。地方から上京してくる私にとって、東京はまだまだ知らないことだらけ。様々なモノやコトへの発見と感動があると思うと、今後の生活がとても楽しみです!

そういえば、これまで私は何回くらい東京に足を運んだことがあるのだろうか…。

***
「地下鉄にて。」
土の中…?ここは土の中なの?!それじゃあ、お外が見えないよ?……ずっとトンネル?電車って、お外を見られるものだと思っていたのに。そうじゃない電車もあるんだ。すごいね。…私が住んでいるところは、『畑にモグラさんが来ないように』って、風車がぐるぐる回っているよ。「とうきょう」の人たちは、モグラさんが大好きなのかな。おもしろいね。
***
「高い建造物、その展望台にて。」
わあ!!!東京タワーの展望台ってやっぱり見晴らし良いなぁ!東京の街を見下ろすことが出来るし、富士山があんなに小さく見える!良い景色!でもさぁ…せっかくなら、出来たばかりのスカイツリー行きたかったんだけどなぁ…。しょうがないよ…すごく人気で、予約が取れなかったんだってさぁ…。でも、先生から聞いちゃったんだけど、来年の修学旅行生は行けるらしいよ!うらやましい~!!!そういえば…スカイツリーの展望台って、東京タワーの333mよりも高いところにあるんだって!すごいと思わない?…あ!でも富士山のてっぺんの方が高いか…!!!
***
「電車内にて。」 
 夥しい数の広告、出入り口のモニター画面、録音の車内アナウンス…。日本語は勿論、英語でも流れる…!特急だけでなく、各駅停車の列車でも録音のアナウンスが聞けるなんて……。ドアも自動で開く。駅によってはドアに加えて駅のホームにも扉のようなガードも。都会はやっぱり違うなぁ!地元だとボタンを押さないと開かないから、自動で開いてくれるのはありがたい。おっと、いけない。そんなことより、今は試験勉強に集中しないと…。まずは、英単語の確認から…。

「次は、目白。目白。お出口は右側です。」”Next station is Mejiro. The doors on the right side will open.”



東京への引っ越しまで約一週間。持っていくものの準備、それと合わせて、心の準備も。

ということで、今回はこの辺で。次回以降のブログは「新しい土地」からお送り致します!それでは、また。

天秤

こんにちは、めいです。

3月も下旬に入り、着々と新学期が近づいてきましたね。これは定期的に言っていることですが、時の流れが早すぎる。この一ヶ月、体感一週間です。(大事件)
お家でだらだらしたり、友達とお散歩したりSwitchで遊んだりと、存分にのんびり過ごしたはずなのに…
今は、ついこの間期末課題を終えたような気分です。あれれぇ~、おかしいなァ??春休みたっぷりあったはずなんだけどなァ??と、私の中のコナンくんが小首を傾げています。

しかしこんなふざけたことを言っていても今日が3月17日であることは変わらず、考えなければならないのは新年度の履修登録について。履修を組むのって本当に悩みますよね…。先ほどまで、先行公開された演習科目のシラバスと、参考として昨年度の履修の手引きを読んでいました。演習科目は上代から近代、中国文学に至るまで分野が幅広く、同じ分野でも科目によって内容は様々で。その他にも教養科目をはじめ多種多様な授業がたくさん。全てに目を通すだけでもかなり時間がかかりました。
自分のためには何を取るべきなのかと、自分は何を取りたいのか。自分が興味を持っていることと、あまり苦労せずに進めそうなこと。履修の話に限らず、いくつもある選択肢の中から何かを選び取らなければいけない時って大抵、その選択肢は自分にとって都合の良いようになんてできていなくて。私はいつも、選択を迷ってしまいます。そして正直に言ってしまうと、迷った結果少しでも楽な道へ進もうとするきらいがあります。
この一、二年ほどでそんなところを直さねばと思うようになって、以前同じような岐路に立った時に、悩みに悩んだ末「進んだら大変なことは確実だけど本当は進みたい道」へ進んでみました。案の定大変だったし、途中でやっぱりあっちにしておけば…とも思いました。ですが歩き終えた今では、その道を選択して正解だった、選択して良かったと思えています。
ある曲の中に、

「やりたいこともやれない日々に自分を合わせて ”これでいい” と言い聞かせた
 本当は自分で選ぶすべてに心躍らせて ”これがいい” と言えるように生きていたい」

という歌詞があって。初めて聴いた時、いつも ”これでいい” ばかりだった自分にすごく刺さりました。現実はやっぱりそう簡単なことではないし、なかなか上手くいかないかもしれない、すぐに変わることはできないかもしれないけれど。少しずつでも、自分自身が納得する選択をできるようになっていけたらいいなと思います。
と、なんだかよく分からない自己啓発おセンチブログになってしまったので最後に推しの好きなところを一つ挙げて終わります。ご飯を食べるときにお口がドナルドダックみたいになっちゃうところです。かわいいッ!!!!終わり!!!!



p.s. 新1,2年生で、”興味があるけれど履修しようか迷っている授業” がある方へ。
面白そう、学んでみたい、と感じて時間割の都合もつくなら、ためらわずに履修することをおすすめします。授業は年度によって時間割が変更になることもあるため、次に履修しようと思った時に、必修その他の外せない授業と被らないとは言い切れません。また、同じ先生、同じ科目名でも、年度によって取り扱う内容が異なることもあります。「今はまだいいか」と思っても、来年度以降にその授業を受けられるとは限りません。シラバスを見て興味を持った授業は、無理のない範囲で(ここ大事!)、思い切って履修してみると良いと思います。コロナ禍での入学や進級、不安も大きいと思いますが、ぜひ色々な授業、色々な世界に触れてみてください。そして一日文生のこんな呟きも、何かの拍子にふと思い返してもらえたら嬉しいです。ということで、今度こそ終わります…!ではまた。

タイミングのはなし

こんばんは、まなです。みなさまいかがお過ごしでしょうか。花粉症の症状がかなりひどくなってきておりまして、薬が手放せない今日この頃です。過ごしやすくなるので、暖かくなる分には構わないんですけど、花粉だけはどうにかして欲しいですね。
さて、「物事には何事もタイミングが重要である」という、実感を伴った持論があります。これを強く感じた出来事がありました。
あるお気に入りのスニーカーがすっかり汚れてしまったので、自分で洗って綺麗にしようと思い立ったある日、天気予報は連日の雨、雨、雨。数日お預けを食らいつつ、ようやく晴れに恵まれ、嬉々として洗剤で洗っていたところ、母からの「スニーカーって下手に洗うと染みができるらしい」とまたもやタイミングの悪い忠告に対し、「それ早く言って!!」と嘆くしかありませんでした。結局丁寧に洗ったところ、一部に謎の染みが出来る始末。どうしたものかと途方に暮れていたところ、母がクリーニング代が半額になるクーポンをそっと私の手に握らせてくれました。そのクーポンの期限は翌日までであり、かえってタイミングが良すぎるのでは?と怖くなりました。これを最初から使っていれば良かったなあと思いつつも、何とか愛しのスニーカーは綺麗になりました。クリーニング屋さんの技術に感謝を。
タイミングが良かったのか悪かったのかよくわからない顛末でしたが、スニーカーは以前から汚れていたのに、さっさとクリーニングに出さなかった自分が悪いということで一つ…。思い立ったが吉日、鉄は熱いうちに打て、そして餅は餅屋。胸に刻みます。
それでは、また。

歳を重ねて。

こんにちは、あこです。
昨日14日はホワイトデー。バレンタインデーにチョコレートをもらった男性がお返しをする日として知られていますが、皆さんはホワイトデーの発祥が日本だということをご存知ですか?
というのも、昭和50年代では女性が男性にチョコレートを渡す「バレンタインデー」は定着していたのに対し、「男性がお返しをする日」は特に決まっていませんでした。そこに、「贈り物にはお返しを」という日本人の文化・習慣に目をつけた全国のお菓子メーカーがマシュマロやクッキーをお返しするというキャンペーンを行い、その流れに着目した「全国飴菓子工業協同組合」が1978年に「ホワイトデー」を生み出したそうです。(参考:大丸松坂屋百貨店HP)
ホワイトデーが、「贈り物にはお返しをする」「もらったままにしない」「気持ちに応える」という日本人の心が基になって生まれたイベントだったなんて、なんだか嬉しいですね。そしてそんな日本で生まれたホワイトデーは少しずつ形を変えながら中国や韓国、台湾などの東アジア諸国へ広がっているそうです。ホワイトデーにそんな背景があろうとは…!驚きです。
思いのほか前置きが長くなってしまいました。そろそろ本題に入ります!
今回私がお話ししたいのは、「歳を重ねる」ことについて。個人的な話ですが、私の誕生日は4月中旬です。つまり、あと1ヶ月で20歳になります。只今19歳11ヶ月。この前生まれたばかりの(ように感じる)再従姉妹も6歳になります。彼女が生まれた時、「私が20歳の時、○○ちゃんはまだ6歳なんだって!怖いねー!」という会話を親戚とした覚えがあるのですが、ついにその年がやってきました。自分の歳を言われるより、自分より年下の、それも生まれた時を知っている親戚の年齢を言われた方が時の流れを実感するものですね。
あぁ、また話が脱線しそうです。反省。「20歳」を迎えることに対する気持ちはまたの機会にお話しするとして、今回話したいのは「歳をとる」より「歳を重ね」たい!ということです。
この世に生まれてから約20年。0歳から20歳へという20年間は、「コドモ」から「オトナ」へと、目に見えて変化する期間です。布団の上でコロコロしてギャーギャー泣くことしかできなかった赤ん坊が、立って歩くことができるようになり、ひらがなや漢字を書けるようになり、義務教育を受け、高校へ進学し、大学生になりました。とても大きな変化です。ですが、この大きな変化は、自分の意識や努力に関係なく生まれたものであるような気がします。
もちろん、20歳を迎えられるということは「当たり前」ではありません。生まれることができたこと、歳をとるにつれて身体も脳も成長することができたこと、言葉を話せること、歩くことができること、目が見えること、耳が聞こえること、文字を書くことができること、高校へ進学することができたこと、大学で好きなことを学べていること……そして、20歳になることができること。どれをとっても当たり前のことではありません。奇跡のような話です。
だけれど、大多数の人々は「成長をして大人になる」ことができます。「大多数の人ができる/叶う=当然」という公式は成り立たないし絶対に成立させてはいけないけれど、ここでは話をわかりやすくするために、「成長して大人になることは当たり前である」という前提で話を進めます。不愉快な思いをした人がいたら本当にごめんなさい。
私が何を言いたいかというと、「0歳から20歳」の20年間というのは成長が目にみえて分かり、その「成長」を自他ともに実感しやすい期間だということです。赤ん坊がハイハイできるようになれば周囲の人々は「ハイハイできるようになった!」と思うし、立って歩いたら「歩くことができた!」と思うし、身体測定をすれば「身長が伸びた!」と思うでしょう。さらには「幼稚園生」「小学生」「中学生」「高校生」「大学生」「20歳(=成人/大人)」というように、肩書きが目まぐるしく変わります。
つまり、私たちが意図しなくても、(冷たい言い方をすると)大した努力をしなくても、周囲は「成長した」と思ってくれるのです。だって私たちは生きているだけで背が伸びるし、義務教育制度があるおかげで一定の年月が経てば「小学生」や「中学生」という肩書きを得ることができるのだから。
極端な話かもしれません。だけど、20歳までの20年間は、「自分が変わろう」「変わりたい」という確固たる信念や思いを持っていなくても「成長した」という評価を手に入れることができたというのも事実ではないでしょうか。
だけれど、20歳を超えたら、大人になったら、「成長」や「変化」は自分の意志・信念を持って動かないと手に入れられません。背が伸びるわけでも、肩書きが勝手に与えられるわけでもない。20歳を超えたら成長するかしないか、成長したと思われるか否かは完全に自分次第です。確実なのは、1年ごとに自分の年齢が更新されていくということだけ。
正直、怖いです。だけれど、1年ごとに年齢が更新されるのは世界共通です。年齢を更新しない人なんていません。だったら、長く生きた分、たくさんのことを学んで、経験して、成長していきたいと思います。
「歳をとる」のは当たり前で、何もしなくても、放っておいても、誰でもできます。だけれども、その間に何かに挑戦したり、経験したり、考えたり、築き上げたりしたら、それは「歳をとった」のではなくて「歳を重ねた」と言うべきではないでしょうか。そして私は「20歳」という、自動的に成長する期間を卒業する日が迫ってきています。「年齢を更新する」ことを恐れずに、自信を持って「歳を重ねて」いける人になりたいです。
長くなってしまいましたが、なぜ私が今回このような話をしたかったのか、もう少しだけ話させてください。「歳をとる」ことや「歳を重ねる」ことについて考えたきっかけは、既述のように「あと1ヶ月で20歳になるから」ということもありますが、約20日前の曾祖母の死が大きいように思います。
先月、2月23日。私の曾祖母は亡くなりました。その時に考えたのは、曾祖母はいつ歳をとったのだろうかということです。
私の知っている曾祖母は、髪に強めのパーマを当てて緑色に染め(しかもしっかりグリーン)、派手な色の服(=赤/青/緑)を好んで着用し、お肉(特に牛肉)をよく食べます。伊勢丹へ行くのが大好きで(昨年の夏にも1人で行ってしまいました)、写真を撮るときは誰よりも早く紅を引くという、パワフルで元気な人でした。
私が生まれた時には既に70代後半でしたが、90代に突入しても非常に元気で、「ひいばあはもう歳だからもうすぐ死んじゃうんだ。死んだら太陽のそばから見守っているからね」と言われ続けて早20年。(今思えば、「死んだら星になって見守っている」という話は聞いたことがありますが、「太陽のそば」で見守っている話は聞いたことありません。皆が寝静まった「夜」に、「静かに」見守っているのではなく、皆が起きて活動している「昼間」に、燦々と輝く「太陽」のそばで見守っているというのは、いかにも彼女らしいなぁ思います。)もはや私の方が先にお迎え来ちゃうんじゃないかと本気で思うほど、ピンピンしていました。0歳の赤ん坊だった私が来月20歳になるのですから彼女も歳をとっていたはずなのですが、母から最近のひいばあの様子を聞き、「覚悟が必要だ」と言われるまで「ひいばあが歳をとった」と感じたことはありませんでした。
彼女はいつ歳をとったのでしょう。辿り着いた答えは、「彼女は歳をとっていなかった」ということです。もちろん不老不死の人魚だったわけではありません。シワもあったし、耳も遠かったし、次第に介護も必要になっていきました。このような、いわゆる体の「老化」は彼女にも訪れていました。だけれども、それはイコール「歳をとった」ということには結びつかないような気がします。看護師として働き、退職した後はギターや英会話を習い始め、車の免許をとったりスキーをしたりしていたそうです。元気・パワフル・アクティブ。彼女のためにあったような言葉です。私以外の親戚も、この表現に納得してくれるのではないでしょうか。
彼女は98年間、歳を重ね続けていました。年齢を更新することに対して悲観的になるのではなく、その時/その歳だからこそできることや好きなこと、やってみたいことを見つけ、彼女の人生を能動的に生きてきました。きっと、それが彼女が「歳をとらなかった」ワケだと思うのです。
よく、私たち孫世代の話をしていて祖母が「私たちも歳をとったわけだ」と言いますが、私から見れば祖母も「歳をとらない」人間です。祖父も祖母も強く、しなやかに、美しく、「歳を重ねて」生きています。
幸せなことに、私の周囲には祖父母以外にも「歳を重ねて」生きているオトナがたくさんいます。彼らに負けないように、そして私より年下の親戚たちが私を見てオトナも悪くないな、と思ってくれるように、精一杯「歳を重ねて」生きていきたいです。
それでは、また。
 

コトバ、マナブ、タノシイ。

皆さん、こんにちは!ずきです。
3月14日。ホワイトデー。バレンタインデーのお返しのプレゼントを渡し、そして、相手に感謝の「コトバ」を伝える方も多いのではないでしょうか。今回のブログでは、私達が普段、人と会話をするときには欠かすことのできない「コトバ」に関するお話をします。
 
「コトバ」って本当に面白いものだと思うのです。なぜなら、そのコトバが使われた時代の様子や使われる地域の文化や風習、思想などが見えてくるように感じるからです。
私はこの一年、合わせて三つの言語に触れる機会がありました。
まずは、日本語。日本文学科ということもあり、外せない言語です。私達が現在使っている「ひらがな」や「カタカナ」とは形が異なる変体仮名、古のコトバ、現代のコトバ、地域によって異なるコトバ。『実に興味深い…!』また、ブログ部として「コトバ」で何かを伝えるという機会もいただきました。自分の想いを文章にまとめる楽しさを知りました。『ブログを書くってこんなにも面白いのか…!それに、同級生や先輩方が書く文章は、それぞれの個性が光っている!読んでいて楽しい!』
続いて、英語。必修科目として学んだ以外にも、私は「毎日学ぶ課外英会話」というプログラムに参加しました。今年度は後期・春休みの開講、全てオンラインでの実施、授業の空き時間を有効に使った40分授業、それを週5日。平日は毎日英語に触れられ、スピーキング力が付くように感じます。『コトバに触れる機会は多い方が身に付く!積み重ねは大事!これからも頑張ろう!』
最後に、中国語。日本女子大学では中国語以外にも、第二外国語として韓国語、ドイツ語、フランス語、選択英語が履修可能です。私はその中で、一番興味があった中国語を選択。中国語は、日本語と同じく漢字を使う言語。しかし、漢字の形や発音が異なり、更に漢字が表す意味も異なることも多いことが分かりました。『日本の漢字とこんな違いがあるのか!面白いなぁ!』
 
これをきっかけに、自分から学ぼうとする姿勢が今まで以上に身に付いたように感じます。そこで、私が最近実践している、「楽しくコトバを学ぶ方法」についてお伝えします。
その方法は、「日常生活の中で『これはこの言語で何て言うんだろう?』と疑問に思った、或いは、『この言語ではこういう風に表すんだ!』と気が付いた単語やフレーズを調べてメモやノートに残しておく」というもの。これは、とある英会話番組で紹介されていた方法で、人気Youtuberのフワちゃんが実践しているのだそうです。
まずは英語でこの方法を試してみることにしました。実際に取り入れてみて、「疑問に思うこと」の大切さを改めて感じることが出来ました。知っているようで、『実は知らなかった、この単語…』なんて思うことが良く起きます。そして、この方法を知った時期と同じ時期のこと………
🔔   私の”推し”も出演している、とあるYouTubeチャンネルからの通知。

“We have English subtitles. Please enjoy! “

『なんと…!英語字幕がついた!推しを見ることが出来て、尚且つ、英語を学ぶことも出来る…?こ…これが所謂、「一石二鳥」ということか!』
早速観てみよう。…………………字幕ボタン、クリック、ON。再生――。
『…え!この単語って英語でこう言うの!?』『このフレーズ、こう訳すことも出来るのか!😲』字幕を付けていると色々な発見がありました。時には、「私だったらこう言うかな…」と別のフレーズを考えてみることもあります。私のノートには、『これは何て表すの?』『知らなかった!』と感じた単語・フレーズがどんどん集められていくのでした…。
ということで、今回はここまで。この勉強方法は私自身も始めたばかりなのですが、英語だけでなく、中国語や他の言語でもこの方法を実践してみたいと考えていますし、調べた単語やフレーズが多くなってきたら、またこの話題でブログを書いてみようと思います。語学を楽しむための一つの方法として、参考になりましたら幸いです。
それでは、また!

感情の記録

お久しぶりです。しおりです。
今日、3月13日は日本文学科教授・清水康行先生の最終講義でした。あいにくの空模様で雷の音が聞こえる度に停電を心配していましたが、無事に回線も途切れることなくリアルタイムで受講することができました。叶うのならば目白の教室で受講したいと思いましたが、zoomでも対面の時と変わらない感覚で、とても懐かしい気持ちになりました。日本文学科の学生は1年次に必ず清水先生の日本語学概論を受講しています。私が1年生の時は大教室で一斉に行われる初めての講義が日本語学概論でした。漠然とイメージしていた大学の講義(大きな教室で先生がマイクでお話をされる形)が目の前で行われ、その内容が日本語学という初めて触れる分野であること。清水先生の講義を受けることで、高校までとは違う大学での学びを実感として理解していったという人は私だけではないはずです。本日の最終講義では先生ご自身の今日までの軌道をお話くださり、大変興味深く伺いました。壇上に立たれる清水先生を前にして、日本語学概論を受講していた当時の自身の感情、新たな世界を知る感動やその内容について行こうと必死になっていた気持ちも懐かしく思い出しました。本当は直接お伝えしたいものですが、zoomではどうしようもなく、こうしてブログに書かせていただきました。清水先生、日本語学の魅力を沢山教えていただき本当にありがとうございました。
さて、3月13日から1週間が経過しますと3月20日を迎えます。1週間後には卒業式が行われているのですね。不思議な気持ちです。4年間は長かったのか、短かったのか。私にもよくわかりません。入学式のことは昨日のことのように思い出します。慣れないスーツに慣れないパンプス。合唱団のすてきなお姉さんに、母と並んで写真を撮ってもらいました。式典までの時間を西生田キャンパスの生協前で、何度も何度も時計を気にしながら過ごした記憶は鮮明に覚えています。しかし、大学生活の記憶はとても懐かしい昔のことのように思い出されます。中高時代の記憶と並列しているかのような感覚です。その記憶をたどれば4年間はとても長かったように思いますし、入学式の記憶を思い起こせばほんの一瞬だったようにも思えるわけです。この1年間、何の変哲もない時間を送り続けた結果、過去の全てが一直線に並んでしまったような奇妙な感覚を抱いています。しかし、ある一日だけの記憶に焦点を絞ってみると、それほど時間も経ってないことを実感してはっとするわけです。
ここ最近、私はブログで自分自身の気持ちを書くことを意図的に避けてきました。その理由の一つは(きっと皆さまもお気づきのように)ペットのカメたちにシフトを横取りされたから。1人対2匹では時としてカメたちの方が強いのです。意思のある瞳で見つめて来るもんだから、つい負けてしまうわけですね。そして、もう一つの理由は読んでいて楽しくない内容は書きたくなかったからです。4年生の1年間はほとんど人と会わずに過ごしました。自粛ばかりも窮屈なので外には出ましたが、移動手段は基本的に徒歩か自転車です。都会に住みながら激しい雨が降ると我が家は陸の孤島と化します。1回目の緊急事態宣言が明けても、2回目の緊急事態宣言が発表されても、生活は何も変化しませんでした。「これくらいなら大丈夫かも」と思うことは何度もありましたが、その度に罪悪感が生じ、結局は2匹のカメと毎日を送る選択に落ち着いたのです。人それぞれに価値観がある以上、どこまでを「大丈夫」とするかの線引きに絶対的な正しさはありません。私個人の線引きにも沢山の矛盾があって、その矛盾に嫌気がさすこともあります。しかし、そうして自らの判断で1年間を「自転車に跨る引きこもり」(妙な表現です)として過ごした結果、次第に何もやりたくなくなって、何も考えたくなくなりました。今までなら当然出来ていたことも出来なくなり、何にも感動しなくなりました。そして、その状態に危機感さえ覚えなくなりました。こんな状態でブログを担当しても救いようのない内容になりそうでしたので、ここぞとばかりにシフトを狙っているカメたちに頻繁に登場してもらったわけです。しかし、残すところもあと1回となり、やはりコロナ禍だからこその特別な感情も残しておきたいと思い、今日はこのように長々と書かせていただきました。
卒業式について、電話から聞こえる祖母の声は大変残念がっています。こんなに近くにいるのに見に行けないと。人込みは避けたい、けれど袴姿は見に行きたい。私自身は緊急事態宣言が出された時点で今年も卒業式はないと思い込んでいたので、あると知って大変喜んでいたのですが、あるからこそ見られないという事実が祖母には大きなショックを与えたようです。どうにか感染対策をしながら写真だけでも取れないものか、色々と模索しているところです。
長々と書いたついでに、今日は全ての感情をわがままに吐き出してみたいと思います。卒業式後に家族で写真を撮りたかった!友達とご飯にも行きたかったし、謝恩会だってしたかった!卒業旅行も行きたかったし、ディズニーの新エリアだって見てみたかった!そもそも、普通にゼミを大学で受けたかったし、卒論だって冊子にして出したかったし、聴講したい授業もあったし、教育実習もきっちり3週間行きたかった、……!!!
きりがないですし、どうしようもないことですが、そうはわかっていても色々なことを思いますよね。ただ、もちろん一部にはその時しかできないものもありますが、未来にだってできることも沢山あります。私は全て「したかった」と過去形で書きましたが、「したい」でもいいはずだと冷静になった時には思うのです(冷静でないときは「したかったのに~!!」となるわけです)。成人の日の直後のブログで「21歳のおめでとう」もいいのではと書きましたが、これは2019年度の卒業生、2020年度の卒業生にも言えることですね。卒業〇年目旅行、遅ればせながらの謝恩会(これはもはや同窓会?)、今更ながらの卒論冊子計画。本気でやろうと思えばやれることもある。しかし、それをやるためには皆が心身ともに健康でいないといけない。だとしたら、やっぱり今は我慢する時。卒業式で久しぶりに友達と会えることになって、私自身、いつもよりも意識が緩みがちになっています。このような状況下で卒業式を行える、その幸せな環境にいるからこそ今一度気を引き締めなければと感じるわけです。
何だかとりとめのない内容になりましたが、久しぶりにブログに感情をそのまま記しました。皆さまも、心身ともに、健康第一でお過ごしください。それでは、また。

花咲く春は四度巡り来て

3月の初め、13000円のワンピースを買いました。
自分としてはかなり思い切った買い物でした。しかも形も特殊なドレス風のワンピースだったから、買った後も着こなせるか、本当に買ってよかったのか、と自問自答を重ね。
その日から、毎日筋トレをしています。
インストラクターは、YouTubeの筋トレ動画。
そう、あれめちゃくちゃに良い文化ですね……?!
カウントも取ってくれるし、姿勢も分かりやすいし、アドバイスも適宜投げかけてくれるし……動画を再生すると「やらなきゃ!」という気持ちになるので本当に良い。ラジオ体操と一緒だ。おかげで毎日続いています。
YouTuberさんにとっても、人々が筋トレするたびに再生数が伸びてウィンウィンなんだろうな。その分本当に効くのかはちゃんとエビデンスを取らなきゃいけないけど、やらないよかやる方がよっぽどいいし、事実めちゃくちゃきついので続けています。
ワンピース1枚のために筋トレ、と思うと自分でも不思議です。なぜ自分が今筋トレをしているのか、そもそもなぜろくに着こなせるかもわからないワンピースを買ってしまったのか、よくよく心の中を整理してみました。
すると、やはりそこには、「3月の初め」という時期が深く関係しているように思われました。
新年度から社会人。初めて会う人に、自信をもって接したい。あとは見た目を良く見られたい。もしかしたら、将来生涯を共に歩んでくれることになる人がいるかもしれないし。
メイクやコーデが上手くなるより、5キロ痩せた方がおしゃれになるとは誰の談でしょう。けれどそれを真に受け、痩せたいと思っている自分がいます。それはメイクやコーデを練習することから逃げている、ということでもあるけれど……
それに、何かを継続すること、特に負荷がかかることを継続することは自分への信頼につながります。私は自己評価クソ低ネガティブ人間なので、そんな自分から脱して社会人になりたい。
そのワンピースを見つけたとき、私は一目で惹かれました。
それから、自分で自分を認めたいという気持ちが、ワンピースを見つけたことで具体化されて。
もしかしたらワンピースは、私にとっての「社会人」だったのかもしれません。
 
ワンピースを着こなす自分になりたいな。
……とか言って、今日人に会うためにワンピースを卸したら、「似合ってるね」と言われてしまいました。
リップサービスと知りつつ、ちゃっかり嬉しくなってしまった自分も居て。でもリップサービス…と思う自分も居て。
ま、そんなもんですよね!!!
どんなに未熟者でも私は「社会人」になる、なってしまうのだから。人から「社会人」だと見られるのだから。
その肩書が自他ともにちゃんと着こなして思える日まで、まずは筋トレを続けようと思います。
それでは今日はこの辺で。お相手はむーでした!

”あれ”に関する噂

ご無沙汰しております、みちるです。
夢の続きが気になるんです。
良い夢は大概、一番良いところで覚醒する。
昨晩はB級サメ映画を撮る夢をみましたが、サメと対峙したドウェイン・ジョンソンはあの後どうなったのでしょうか。非常に気になります。

「どんな映画だったんです」

ええと。この「ない映画」の設定は、環境汚染による突然変異で爆誕したギガント・シャーク(※でっかい危ないサメ)と人類が激しい攻防を繰り広げる・・・といった、存在しないもののどこか既視感を覚えさせるもの。
主演の元警官役はドウェイン・ジョンソン(ロック様ですね)、ヒロインはオーディションで選ばれた新人女優。離婚調停中の二人が戦いを通して再び絆を深めていく・・・あれ、これ本当にありませんでした?
昨今のB級映画・B級パニックものなどは設定がマンネリ化しているフシがありますが、裏を返せば似たような設定を骨組みとして用意しておけばB級パニック映画が作れるということではないか。そんな甘ちゃんな態度が夢にまで表れ出てしまったようです。

私は監督となってこの映画を撮影していたわけですが、本物のサメを使って撮っているためとにかく肝が冷える。目と鼻の先に、いわば池の鯉みたくサメが泳いでいる。「餌が足りなければスタッフを云々」といった会話が聞こえてきたような気もしなくもなく。

惜しくも今回はドウェイン・ジョンソン演じるマッチョの元警官がボートに乗り込み、鉈でサメをえいやっと撃退せんとするところで覚醒。次があるならクランクアップまで見届けたいところです。

「本題に移りましょう」

そうですね。
あなたは”あれ”、ご存知でしょうか。世間を絶賛賑わせ中の”あれ”。

皆が待ちわびた”あれ”。
決着をつけねばならない”あれ”。

”あれ”とは即ち、シン・エヴァンゲリオン劇場版。
ネットニュースやTwitter、動画サイトなどには公開初日から【閲覧注意】の伏字考察や伏字感想が溢れている。ワンクリックして覗いてやる・・・のは、私自身が本作を観てからの話です。
”あれ”・・・エバーは、それなりに楽しみにしてきたのでここでネタバレを踏むわけにはいかないんです。なら初日に行っておけという話ではありますが、体力の問題でそれもかなわず。
やめてください!街で「シンジ君がね・・・」と聞こえると大声をあげて走り出しそうなんだ!!!!!

今は”あれ”に関する噂をなるだけ遮断し、来るべき日に備えて英気を養う私でした。

それでは、またお手紙書きますね。大好きです。             みちる