大学受験の話。

みなさま、こんばんは。さやかです。

例によって例のごとく、部屋に引きこもっていたので、ブログに書くことがあまり思いつきません。しかし、世間では色々なことが起こっています。

自分が学生という立場だからか、大学入試共通テストの話題が目につきます。数学の平均点が異例の低さだとか、悲しい事件が起きただとか。

私は、実はこれまで大学入試に関することは出来るだけ触れないように投稿していました。なぜなら、そこには私のコンプレックスが隠れているからです。

私は、地方の公立高校に通っていました。中学生の頃はなぜか成績が良く、高校ではいわゆる進学校に通っていました。高校の周りの友達も当然頭が良く、皆国立大学だの医学部だのを目指していましたし、親もそれを望んでいたため、私も何も考えず国立大学を目指していました。

しかし、現役で受けた入試は全落ち。結果、浪人することになりました。高校を卒業しており、そのまま地元にいる理由がないこと、姉が既に上京していることから、仲の良い友人達と離れ、東京で浪人生活を送ることになりました。そして、ここからが地獄でした。

これまで沢山頑張って勉強してきたのに、届かなかった。またもう一年頑張らなければならない。そのことに、どうしても気持ちが追いつかなかったのです。

私はやりたいことも特に考えず志望校を決めていたので、当然モチベーションはほぼありません。落ちたショックから立ち直れないまま浪人生として毎日予備校に通い、授業を受けました。予備校の講師の中には、模試の成績が悪いことを授業中散々煽り、怒る方もいました。そして何より、教室の張り詰めた空気が大嫌いでした。生徒は皆ピリピリしながら勉強していて、その雰囲気が私には耐えられませんでした。結果、私は段々教室に行けなくなってしまいました。

それでも、入試の時期は無慈悲にやってきます。私は結局、現役時代も志望していた国立大学と、いくつかの私立大学を受けました。国立大学は社会系の学科を志望していたのですが、私立では人文学系を志望していました。当時、私は受験や大学進学に関して、何の希望も持っていませんでした。それでも、どうせ大学に進学するのなら、大好きな文学の勉強がしたい。そんな気持ちがわずかに残っていたからです。

そして合格したのが、日本女子大学でした。

正直なところ日本女子大学は第一志望ではなく、もう一年浪人するという選択肢もありましたが、私にはもう受験生活は耐えられず、そのまま入学を決めました。

入学当初、私はこのことが少しコンプレックスでした。……ごめんなさい、嘘です。今でもコンプレックスです。だって、大学の同期たちは、もっと偏差値の高い大学に入学し、大学生活を謳歌していたのですから。浪人したのに、結局志望度の低い私立大学しか受からなかったことが、私にはすごいコンプレックスでした。

しかし、日本女子大学で大きな出会いがありました。それは、中世文学との出会いです。1年生のころの選択必修で受けた、石井先生(ブログ部のアドバイザーでもある先生です)の中世文学史の授業。1回目にしてその面白さに心を奪われ、「絶対にこの先生のもとで卒論を書く」と決めました。2年では石井先生の授業を可能な限りとりまくり、その勢いはまるでストーカーでした。先生は、中世という時代の歴史、文化、人々の生き方を教えてくださいました。3年で中世文学ゼミに所属し、お気に入りの作品を見つけ、そして先日、そのお気に入りの作品で卒論を書き上げました。

もしも私がこの大学に入学しなかったら、先生には出会えず、中世文学にも出会えませんでした。正直、学歴コンプレックスはまだあります。でも、中世文学に出会えたということだけで、この大学に来てよかったと、今は思えます。

先日、東京大学で悲しい事件が起きました。私もいわゆる進学校に通っていた人間なので、彼の苦しみが少しわかる気がします。人を傷つけたことに関して擁護する気はありませんが、大学受験という仕組みが、未だに学歴主義な世間の目が、この事件の背景にあることは事実であり、彼以外にもきっと多くの学生が同じ悩みを抱えているであろうこともまた事実です。

かつて進学校に通っていた人間であり、世間から見れば大学受験に失敗した人間である私だから言いたい。大学は、偏差値じゃありません。大学で何と出会い、何を学び、何を思ったか。それが全てだと思います。その中身が、勉強だったか、サークルだったか、文化祭だったかは人によって違うとは思いますが。

中学生・高校生の皆さんは、どうか偏差値や世間体ではなく、自分が何をしたいのかを考えてほしい。そして、それが容認される世の中になってほしいなと、そう思います。

創作に求めるもの

こんばんは、まなです。新年一回目の投稿です。遅ればせながら、明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。

さて、先日あることで悩んでいた私に対して、母は「参考になる」と言ってとある作品を勧められました。しかし、どうにも私は興味を持てませんでした。なぜなら、自分にとって創作物は「現実を忘れさせてくれるもの」であり、「自分の経験をリンクさせるもの」ではなかったのです。人によって作品を楽しむ姿勢が違うのだなあとその時改めて実感しました。

また、私は創作物に対して「いかに現実からかけ離れているか」を重視する一方、自分が作品をつくる時は「現実から乖離しすぎることがないように」注意しているので、不思議なことに鑑賞側と創作側でまた作品に対する姿勢が異なってくるのです。読者が何を求めているのか。しばしば悩むこともあるのですが、鑑賞の上で期待することは十人十色なので、しばらくは自分の好きにやってみてもいいのかな、と気楽な思いを抱き始めています。

それでは、また。

「それ」

こんばんは。最後に投稿をしたのは年末でしたので、2022年一発目の投稿となります。あやです!今年もマイペースなブログにどうぞお付き合いください。よろしくお願いします😄

さて、博物館巡りが好きな私ですが、新年一発目に楽しんだのは東京ステーションギャラリーの「ハリー・ポッターと魔法の歴史展」です。原画や原作者J.K.ローリングの直筆の原稿・メモがいたる所に展示されており、それはそれは…☺️☺️ 展示を鑑賞する前に予習しておくのもアリかも。よりいっそう楽しめるかもしれません。そして、物語で登場する魔法薬学や錬金術、呪文学、占い学などの資料は非常に見応えのあるものばかり。どちらかというと、日本ではあまり馴染みが無いのでこれらのルーツがわかる資料の数々は新鮮でしたし、ハリー・ポッターに詳しくない方でも十分楽しめると思います。名作と関連する展示であるため、平日でしたが多くの方が鑑賞していましたよ。あまり語りませんが、館内の装飾が展示としっくりくるところもポイントです。あとは、博物館巡りの醍醐味の1つ、ミュージアムショップもワクワクするものがたくさん置いてありました。皆さんもぜひハリー・ポッターの世界観を思う存分味わってみてはいかがでしょうか😉

その帰り道、「それ」を持ってワクワクしながら向かった先は銀座。もうすぐ「それ」を手にする喜びを味わうことができなくなるのだろうな…そりゃあ私も来月には21歳。一人っ子なので「それ」を渡す予定は未だありませんが、同じ年代でももうすでに渡す側に回っている方は多いはず。

辿り着いた先は、とある商業施設。その一角にあるフレグランスショップで、以前からずっと狙っていた香水を購入しました。1年前そのショップでプレゼントを購入したときに、木の香りやバニラの香りが合わさった素敵な香水のサンプルをいただいたらすっかりハマり…ただ、冬向けの少し甘めなものでしたので、来年の冬に購入するぞと意気込んで、やっと今回手に入れました。普段ならそのまま口座へ入金してしまう「それ」を、せっかくだからと今年はありがたく「私頑張るぞ代」(?)として使うことに。ショップの方がとても親切に対応してくださり、ますますその香水が使うのが楽しみになりました。新年早々自分の中で上手くいかなかったことやこの性格変えたいなと思うことがあって、少しガッカリしていたのですが、この香りで心を落ち着かせ、切り替えて前に進んでいきたいです。社会に出て働いたときにその恩返しをしっかりしますね。

それではまた!

ちびっこたちと

こんにちは!やなです!あけましておめでとうございます!
今日、美容院で髪を切ってもらったのですが、髪を染めた後の待機時間に爆睡していたら、起こしに来てくれた美容師さんに笑われました。寝ながら何か変な言動をしていたのでしょうか。怖いです。

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1/1、久しぶりに親戚の会合に参加しました。(もう一月も半分を過ぎたのにまだ正月の話をするんですか?)
去年はコロナの影響で集まれず、叔父一家とZoomで新年会を行ったため、正月に会えたのは実に2年ぶり。2年も経つと小さい従兄弟たちがずいぶんと大人になっていて、子どもの成長速度に驚きました。
従兄弟は小4と3歳なのですが、2人とも赤ちゃんの頃から知っているので感慨深いですね。(まるで親戚のおばさんのような……)
特に3歳の子。一番初めに会ったときは何も喋らず、ひたすらそこら中を走り回っていたのですが、今回は一応会話が成立し、私たちに愛想を振りまいて膝の上に乗ってきてくれました。会話の流れでみんなから注目されると恥ずかしそうに手で顔を隠していたのがすごくかわいかったです。数年前は周りの大人たちに恥ずかしがることなんてなかったのに。成長したんだね。
小4の子も、すっかりお兄ちゃんになって。上手に、暴れ回る3歳児の相手をしていました。偉いね。勉強もちゃんとがんばっているようで塾講師としては一安心です。
従兄弟と話すための持ちネタとして用意しておいた、教習所で高速教習を終えた話をしたのですが、数年前は車に興味津々だった小4の子はすっかり興味を失ってしまったようで、反応が薄く、叔父の方が食いつく始末。今はあやとりに興味があるようです。かわいいね。
久しぶりに親戚に会えて、良い正月を過ごしました。来年も元気にみんな揃うといいな。

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今日はこのへんで。またお会いしましょう!やなでした!

出会い未満。

こんにちは、あこです。

今週の月曜日は成人の日でしたね。地元や出身校の成人式に行かれた方もいらっしゃるのではないでしょうか。私は家の事情で成人式には出られなかったのですが、友人がビデオ通話を繋いだ状態で会場を案内してくれたので、十分雰囲気を味わうことができました(笑) 実際に行きたかったという気持ちが全く無いと言ったら嘘になるけれど、ビデオ通話だからこそ話せた人やできたこともあると思うので悔いはないです。友人たちのおかげで、素敵な成人の日になりました。

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今回は、”出会い”について話をしたいと思います。

先述の通り、私は出身校の成人式にオンラインで参加していたのですが、友人と繋いだスマホを通じて感じたのは”出会い未満の出会い”がいかに大切で、幸せなことであるかということでした。

“出会い”と言うと、友人や先生、パートナーなどの比較的親しい間柄の「人」や、雷に打たれたような衝撃・影響を受けた「もの」との”出会い”を連想すると思います。私もその一人で、「あの時あの人に出会えてよかった」「あの時のあの言葉が人生を変えたような気がする」「この出会いを大切にしたい」と思うことはそれなりにありました。わかりやすい表現ができなくて申し訳ないですが、「認識している”出会い”」とでも言いましょうか。

あの時、あの人に出会った。

あの時、あの言葉に出会った。

そのおかげで、今の自分がいる。

そう思うような、「自覚している”出会い”」です。それらは、「運命」と言い換えることもできるかもしれません。出会えたことに感謝し、これからも大切にしたいと思うような”出会い”です。そんな”出会い”がたくさんあった私の二十年間は、本当に幸せだったと思います。

ですが、「自覚している”出会い”」というのは、無数の「自覚していない”出会い”」の上に成り立っています。例えば、クラス替えをしてできた友人がいたら、その人との”出会い”は”出会い”として認識されますが、それ以外のクラスメイトたちとの”出会い”は”出会い”としてカウントされないと思います。同じ年に同じ国に生まれ、100万人以上いる2001年生まれの中から出会った数百人・数十人なのに、彼らとの”出会い”については無関心・無自覚なのです。

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友人がビデオを繋いで会場を案内してくれている時、ビデオ通話に気づいた数人の知り合いが声をかけてくれました。(「友人」の定義は人それぞれですし、私自身も明確な区別はありません。ここではわかりやすくするために「定期的に連絡を取る、または実際に遊びに行ったことがある」人を「友人」、そうではないが面識・交流がある人を「知り合い」とさせていただきます。)

「久しぶり。」「元気だった?」「振袖似合ってるね。」「変わってないね。」「またね。」「元気でね。」

一瞬の会話でしたし、思い出話に花が咲いたわけでもありません。ありきたりで、短い会話でした。でも、そんな挨拶みたいな会話でも、とても嬉しかったのです。

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中学時代の同級生、高校時代の同級生や部活動の同輩、友達の友達、一方的に知っている人、一方的に知られている人。

自覚していなかった”出会い”はこんなにもあったのかと、思いました。特別に親しい間柄でなくても、定期的に連絡を取っていなくても、彼らとは”出会って”いたのです。”出会って”いたから私は彼らのことを知っていて、彼らも私のことを知っているのです。”出会って”いるから、覚えているのです。”出会って”いるから、ありきたりな短い会話が、幸せな、大切な思い出へ変わるのです。

当たり前のことだと思います。私だって、彼らのことを出会っていなかったものとしていたわけではありません。ですが、彼らとの”出会い”は言わば「出会い未満の”出会い”」で、「自覚している”出会い”」ではなかったのです。

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学科・学部・学校が異なるほど、偶然の再会は起こりにくいです。今回スマホ越しに話した知り合いたちも、もしかしたら今後会うことはないかもしれません。ですが、決して再会しないとも言い切れない。一度”出会って”いるということは、そういうことなのだと思います。それに、再会が”出会い”となって、そこから関係が深まることもあり得るのではないでしょうか。

同窓会や成人式というのは、当時の「友人」たちに”再会”できる場です。ですが、それ以上に、”出会い未満の出会い”の存在を私たちに教えてくれ、その大切さやありがたさを感じさせてくれる場でもあるのだと思います。

大切な人や大切なものとの”出会い”はもちろん感謝すべきでしょう。しかし、私たちはそれ以上に多くの人・ものと”出会って”います。これまでの”出会い”と”出会い未満の出会い”に感謝し、彼らと”出会えた”幸せを噛み締めながら、これからもたくさんの人と”出会い”たいと思います。

それでは、また。

ズタ袋と歯車

ご無沙汰しております、みちるです。

恩師に合わせる顔がないんです。

「またなにかやったんですか」

逆ですよ、何もしてこなかった。
画面越しに振袖姿を披露しても、スーツを着て参上しても、結局この二年間ほとんど成長していない気がする、おそらく実際そうなのだろう。

今年こそは。これはそう、「今日こそは」よりもまだ望みがあるように感じます。
何かになろうなどとは言いません。せめてぴたりと噛みあう幾ばくかの歯車を集めて、毎日幽かな音を立てながら回していきたいものです。

(間奏)

突然ですがあなたはもうBLEACH・獄頤鳴鳴篇を読んだか。
いまや世は劇場版呪術廻戦で色めき立っている、色めき立ちっぱなしだというのに(勿論こちらも履修済みですが)、ここにきて超有名タイトルに再没入しております、みちるです。

久保帯人原作の『BLEACH』についてはもはや誰もが一度くらいは耳にしたことがある名だろうということで説明も省略させて頂きますが、これが昨年で20周年を迎えたというから驚きです。もう連載自体は終了し本年秋ごろに最終章のアニメ放送を予定している本作でありますが、昨年突如として週刊少年ジャンプに一本の読み切り(?)が掲載されたのでした――それが冒頭でご紹介いたしました「獄頤鳴鳴篇」というわけです。

これからお読みになられる方もいらっしゃると思いますからストーリーへの過度な言及は避けたいところですが、読後に残ったのはとても一人では抱えきれない感情だったということを先ず伝えておきます。
幼少期にアニメを観ていた記憶がよみがえると共に、好きだったキャラクターたちが生のコンテンツとして再び動き出した高揚と同時に辛さが襲い来る、うわあ、どうして……。

ここにきて、20周年の節目を迎えて、BLEACHの”巧みさ”を再確認しております。原画展に読み切り、そしてアニメ新シリーズ(とそれに際したティザーPV群)と怒涛の情報量。サブカル筋が鍛えられていくのをじわじわ味わっている感じ。

読み切りの話からはじめましたが、初の原画展もこれまた勢いがあって素晴らしく。みちるはもう週末に二度目の来訪を予定しておりますが、まだの方は是非!ファンの方は出来ればご友人などとご一緒に行かれるのがおすすめです、泣いてしまうので。私は新旧隊長格の立ち絵で三回泣きました。

つい最近知人などと「二次元の初恋」について議論を交わす機会があり、私は迷わず「HUNTER×HUNTERのヒソカです」と答えた覚えがありますが、おそらく同時期にBLEACHとも出会っているので平子真子か浮竹十四郎と答えるのも一つの手だったかと一人で反省したのでした。これ今回終始作品を知っている層にしか伝わらなくて申し訳ない。あなたは如何でしょう、何を言っているんだという感がありましたらすみません。

これもどこかで書いたやも知れませんが、やはり生のコンテンツを眺める楽しさというものがあるのです。リアルタイムで進行する物語を追いかけるのにはかなり体力が要ります(と感じる時点で斥けられない衰えを痛感します)が、期待の分だけリターンも大きいと感じるようになっているのです。
とにかくそういうわけですから、マユリ・ザエルアポロ戦と浮竹/京楽・スターク戦を読み返しつつ平子の崩れがちな作画に思いを馳せ、週末に備えたいと思います。ちなみにこの記事、ダントツで過去一番不安です、内容が。こんなにぶっ飛ばして大丈夫なのでしょうか、お姉さんは心配です。

今は色々と書かねばならないものが溜まっておりかなり修羅を極めている時期ですが、こういう時こそ力の強いものを息抜きコンテンツとして用意しておくのがよい。ひと記事書いたら素敵なアニメを3話か素敵な映画を一本観る、など……いやはや参考になりませんが。
とにかくあなたも期末試験やレポートや受験やその他諸々、抱えているものを降ろしきるまで一緒に頑張りましょうね。気張っていくぜ!

またお手紙書きますね、大好きです。    みちる

バイトを辞めた話

こんにちは、とみーです。
11、12月まではそんなに寒くないなあと思っていたのですが、いよいよ北風も強く冷え込んできましたね。関東圏内でも全然雪が降らないところに住んでいるのですが、先日は少しだけ降りました。皆様、風邪などにはお気をつけ下さい。

さて、1月に入って私の生活環境はちょっぴり変わりました。何故ならば、バイトを辞めたからです。
大学1年のはじめから3年間続けた、スーパーのレジアルバイトでした。辞めた理由は簡単、卒論や就活を考えるにあたって、バイトのシフト提出が面倒になったからです。

今までものすごく真面目な勤務態度を貫き、頼まれたシフトも頑張って出ようとしたのですが……私、一日に複数のことをこなしたり、マルチタスクしたりというのがすごく苦手なんですね。そんな中、最悪なことに「二か月先のシフト希望を出してくれ、希望休はひと月で三日まで」みたいな制限つけられちゃって、やってられるか~~~~~と爆発しちゃいました。そもそも最初に契約した私の「週三日」という希望も気づいたらはねられて、めっちゃシフト入ってましたし。
実は、今までもバイトのシフト提出早すぎてインターンの日全部アウトやんみたいな案件がありました。自宅~バイト先は徒歩一分なのですが、自宅~駅は自転車二十分、埼玉に比較的近い池袋でも一時間半かかるので、移動時間考えるとどうしても何もできなくなってしまうんですね。

もうそれで色々考えるのが嫌になって、バイト辞めました。貯金はそこそこあるので、一年間節約して生きれば問題ナシです。

こういうスケジュール合わなすぎ問題って、関東近郊駅微妙に遠い民あるあるだと思います。このバイトの件やその他色々重なった時期、毎日頭も腹も痛いわでストレスマックスだったので、皆さんは爆発する前に、やめてください。いいですか、引き留められても「やめてやる~~~うぇ~~い」くらいの心持でいてくださいね!!


最後に、オミクロン株がまた流行り始めましたね。この三年間、バイト先スーパーはレジ袋の有料化、ポイントカード・アプリの実装、(客の声が聞こえなさすぎる)アクリル板の設置等、激動の時代でした。

元レジ店員からのお願いです。レジ袋、セルフでとる場所では自分でとってください……。店員に袋入れてって言われても、大体声小さくて聞こえない&サイズ指定もしてくれない……値段違うのに……。
「これが入る分」と言われても、袋代を払うのはお客様、詰める容量も人それぞれ違います。牛丼屋に行って、「俺のお腹に大盛入るかな?」って聞きます? 聞きませんよね。無料だったころは、苦情つけられない程度にテキトーに突っ込んでいたのですが、そうもいかないんです。「余ったから袋の一円返金してくれ」と言われたこともあるんです。
何事もそうですが、自分の常識が他人の常識だと思わぬよう。お客様を見ていると、マジで皆各々の常識を持っていて、私が頭おかしいみたいに扱われることもしばしばあります。伝わらないので、セルフでできる分はセルフでやり、無理な場合はコミュニケーションをしていきましょう。

それでは、また。

☀️🌾🌧📖

こんにちは、めいです。
本年もよろしくお願いいたします!

ついに2022年。どんな一年になるでしょうか。次に年越しする時には就活も卒論も一段落しているのだと思うと、早くその時を迎えたい気持ちになり、それまでの戦いを想像すると、今すぐ時を止めたい気持ちになり。なんとも複雑な心境の新年です。

今年の抱負は、ずばり「頑張りすぎないこと」です。手を抜くとか最低限だけやるという意味ではなく 、頑張る時と休む時を上手に切り替えられるようになりたい。

私は何かに対して、始めるまではなかなかスイッチが入らずだらだらしてしまい、そのくせ一度始めたら終わるまでひたすら走ってしまうタイプで。疲れてきても休息をしっかり取る気分にはもうなれなくて、でもペースは落ちる一方で、なんとかゴールした時には満身創痍……なんてことも多々あります。
そうなると、だらだらと時間を無駄にしていた自分も嫌になるし、終わるまでは蓄積された疲れが思考をことごとくマイナスなものにしてしまって、些細なことでイライラしてしまったりも。つまり何も良いことがないのです。
自分で分かっていながら今まで同じことを繰り返していたのですが、今年はどうにかして改善したい。

「晴耕雨読」という四字熟語をご存知でしょうか。意味は読んで字の如く、晴れた日は外に出て田畑を耕し、雨の日は家にこもって読書に耽ること。一般的には「悠々自適の生活を送ること」として使われるようですが、私は今回の話にもなんとなく通ずるものがあるような気がします。

やる時はやる、やらない時はやらない。(放っておくとずっとやらないになってしまいそうなので、そこは気合いを入れて……)
単純な疲れではなく、理由がないのにどうにも心が晴れない時だってあります。仕方ありません。人間だもの。そんな時は割り切って家にこもり、晴れたらまた外に出ればいい。(これもこもりっぱなしにはならないように……どうにか……)
甘ったれかもしれないけれど、みんなそのくらいが丁度いいんじゃないかなとも思ったりします。

そんなわけで、今年の抱負は「頑張りすぎないこと」、裏テーマは「晴耕雨読」です。存分に甘えながら、精一杯。頑張りすぎず、でも頑張りたい。

そして、ブログでは、引き続き日常の出来事、自分が何か考えたこと、感じたこと、ぽつぽつと書いていけたらと思います。
改めまして、本年もよろしくお願いいたします!

夢日記

お久しぶりです、まなみです。
あけましておめでとうございます🌅
気づいたら年を越していて、どんどん一年の区切りなんてどうでも良くなりますね🙃

初夢!は1日に見る夢ですか?2日に見る夢ですか?2日の夢だと思ってたんですけど間違っていたら嫌なのでどちらも書きます!

1日はすごい猫が足に擦り寄ってくるんだけど猫ってこんな擦り寄ってくる生き物じゃないよね?これ猫じゃない何かでしょ。と思いながら撫でてる夢を見ました!

2日は叔父と近所のスーパーに行って牛乳見てたら友だちに会って、一人暮らしだと大変なのねみたいな会話して家に帰って叔父が先に鍵開けてくれて、ふざけて「不審者いた?」って聞いたら本当に知らないおじさんが家の中にいて怖くてでもどっか行かれる方が怖くて追いかけて気づいたら水族館の中で捕まえてて結局その不審者は芸能人とおじさんと中学の頃の同級生で、一人一人と話していくんだけど芸能人ははツボに入れて捕まえていたんだけど(?)この人にはファンがいるのにって泣きそうになって、おじさんも正義感が強いが故に私の家にいたらしくて(?)最後に同級生に話聞いたらクラスの人のせいで自分悪くないみたいなこと言ってて、そのクラスの人の話聞いたらその人がインスタで人の家に入りませんか?みたいな持ちかけしてたらしくてこいつが諸悪じゃねえかよと思って警察みたいな窓口に相談しに行ったら諸悪の人に会ってマジで何でこんなことしてんの?って聞いたらヘラヘラされた夢を見ました!

メモをペーストしたので意味がわからない!がこういう夢を見ました!
最近昼夜逆転してるからか、眠りが浅いのでよく夢を見ます。
6日は夢で歯医者行ったら全部虫歯だよ😡って怒られる夢を見てたそうです。
今朝は仲良い人4人くらいで修学旅行行きたかったのに10人くらいになって行きたいとこも言い出せないしみんなふざけてて全然決まらない夢を見ました。

あまり夢を見ないので(さいきんすごい)夢を見ると夢占いを検索してしまうのですが、あれってどうやって結果を決めているんでしょうか?
夢の内容とその人の人生を照らし合わせたりしてるんですかね?そんなこと言ったら占い全てがどうやってカードとか手相の意味を決めてるの?って話になっちゃうか🤔
最近、簡単に占い師になれる!年収何千万!みたいな広告を見たんですけど、占い師って努力してなるものなんですね🔮

占い結構好きで、えっ合ってる〜🥺ってなるんですけど、そりゃ自己肯定感低いしネガティブだから最近嫌なことが続いてますね…?と言われたらえっ合ってる〜🥺ってなっちゃうわよな〜
でも努力型の占い師なってみたい気もします!

寒すぎるけど暖房が嫌で一日の9割を布団の中で過ごしてるので、新年早々夢みたいなブログになってしまいました‼️
日が短いのが悪いよね😮‍💨日が伸びてきたら活発になりたいです🤨
それでは〜🧊

素敵な大人になりたい

明けましておめでとうございます。れいです。

皆さんはどのような新年を過ごしましたか?私は例年の如く神社で働いており、忙しい日々を送っておりました。
元日の朝目が覚めて窓を見た時、真っ青に澄んだ色から橙色へと静謐に移り変わる空を見て、なんて美しいと息をのみました。自然の色って好きです。
神社でのことは守秘義務があるのでお話できませんが、働いている年数が長くなり、教える側に立つということの難しさを感じたお正月でした。教えるといっても、その伝え方や伝える範囲などを見極める必要があるな、と。また自分の課題を見つけた時間でした。

前回は卒論を出して数日でブログ担当が回ってきて、卒論!出しました!という感想だけで終わってしまったので、今回は年末のことを少しだけお話ししようと思います。
年末はまた色々とバタバタしていて、久しぶりにアルバイトに行ったり友人に会ったりと予定があったのですが、
一番の思い出は毎年恒例のクリスマスコンサートに行ったことです♡
私にとってクリスマスコンサートとは、自分の一年を振り返る、節目のような時間です。
素敵な街のイルミネーションを見て、美味しいディナーをいただきながら、大好きな女優さんの歌を聞く…。その中で今年はどんな一年だったのだろうと考えます。一昨年は、来年は卒論や進学に向けて頑張らなくては!という決意を新たにする時だったのですが、昨年(この間)のコンサートは全てが無事終わったという安心感と達成感が体に満ち満ちていました。
そして、卒論執筆中に起きたこと…卒論を書き終わった後もなお、人生のふとした選択で思わぬ方向へと変化したり、傷ついたり挫折をしてしまう…なんていうのでしょう、普段生きている世界からは見えることのなかった隙間のようなものをずっと感じていましたが、コンサートで一曲目を聞いて、女優さんのお顔を見た瞬間に、私はここに座っているんだ、生きているんだという確かな感覚がまざまざと甦ってきました。心が震えるとはこのようなことをいうのだと実感しました。
選曲も最高でした。特にアンコール前。松本隆さん作詞の中で私が最も好きな曲があるのですが、いつか絶対歌ってほしいなと思ったら、今回カバーしてくださって。基本的にオリジナルが一番派の私が、これは本家とは別の魅力がある!と思いました。彼女の不安定さみたいなものが全て歌の中に昇華されていて、とんでもない芸術を見た心地でした。

そして、年末から年始にかけて久しぶりにお買い物もしました。
そう、ここ半年から一年くらいで、随分価値観も変わりました。コロナ前まではたくさんの場所に出かけたい!好きなアーティストのコンサート!いろんな洋服が欲しい!という気持ちが強かったのですが、今はもっと厳選して、その分一つ一つの物や経験をシンプルに大切にしたいという思いが強まっています。
実は今日、今までの中で最も大きな買い物をしました。デパートで散々悩み、最後は家族と店員さんに背中を押してもらい無事購入…!それは一年前くらいから色々と見て迷っていて、最後は卒論終わったら買う、と決めていたものなのです。
末永く大切に使っていきたいと思います。
最後二択に店員さんを長く付き合わせてしまったため、購入の際、母と働き始めたらまた買いに行こうねと話しました。
そのものの良さというものは、それを持つ、着る本人の魅力があってこそ引き立つものだと思います。このブランドが似合う素敵な大人になりたい!

コロナ禍で随分と行動が制限されたこの2年でしたが、最近、世の中には素敵なものがたくさんあると改めて実感しています。日本文学科で学んでいる身として文学は勿論、歴史ある建築物や時を超えてきた絵画、複雑に変化していった言語、コスメや洋服、バックなどの「モノ」、洋食・和食、スイーツなどの料理、全て文化や芸術と深く関わりあっており、その良さや魅力は何にも代え難い。
2022年は、出来る限りその素敵なものに触れていきたいというのが目標です。

アルバイトがひと段落してのんびりしてしまっているのですが、そろそろ気持ちを切り替えなければいけない時期でもあるので毎日のリズムをしっかりと整えていきたいです。
このブログも残り数回となり寂しい限りですが、最後まで私の心の内のつぶやきや感情の欠片をお伝えできればと思っています。
2022年もよろしくお付き合いくださいね!

それでは、また。