こんにちは!ましろです。
最近忙しいというのが口癖になってきてしまって嫌です。ダラダラとスマホを眺めている時間はあるのに。「忙しい」という漢字は「心」に「亡くす」と書くように、私の心が死んできているのでしょうか。さて、今日は、そんな私の心が生き返ったときの話をしたいと思います。
新たな体験は心を潤してくれます。
というのも、国立能楽堂で能を観てきたのです!
能は、高校のときにホールで観たことは、あったのですが、能楽堂で観るのは初!!!!!能の授業で「能楽堂では立体的に見られるのが魅力」と聞いてから色んな角度から観られるのを楽しみにしていました。門をくぐると、黒の建物が。こぢんまりしています。能はそこまで客席数は多くありません。つまり、演者が近いということ!近くで観られるというのは、やはり嬉しいですね。
入場して今日のスケジュールを見ると、12時30分開演で能が70分、100分、狂言が20分。休憩を20分はさんで能が80分。長!どれか一つでも観ればいいと聞いたけれど、せっかく来たんだし全部観たい!なんて事を思いながら客席に向かうと…綺麗。タイムスリップしちゃったのかな?といったように感じる舞台。舞台には屋根がイメージ通りについていたのですが、ここまで建物だとは思わなかったよ。後ろのBOX席も建物の中にいるようになっていて、舞台の周りは白い砂利に囲まれています。椅子に座ったら、庭から眺めているような気分になりました。
さて、自由席だったのでどこに座るか迷ってしまいます。面をつけると視界が狭いので、演者の方のために舞台には目印の柱があります。思ったよりも太い。真正面に座ると、登場するときの橋掛かりが見えづらいし、中正面に座っても柱で隠れるかも。でも、脇正面はな…やっぱり前から見たいよななんて事を考え、脇正面寄りの中正面に着席。上演開始を待ちます。
最初の演目は、『清経』。絶望して自殺してしまった平家の清経とその奥さんのお話です。まずは、奥さん登場。赤の着物で赤の襟。若々しい装束でとても可愛らしいです。「紅(いろ)あり」と言って、若々しいファッションになっています。ちなみに、登場するときの幕の上がり方がフワッとしてとても綺麗でした。摺り足の音が聞こえてきて緊張が高まります。そして、舞台の端っこに斜めを向いて立ち膝でいます。能では、片方の足を立てて座るのが基本の姿なんだとか。次に僧がでてきて、形見の髪を渡します。虹色に見えたけど気のせいかしら。さて、清経登場。ちょっと思ってた装束とは違って地味め。授業の資料ではキラキラした生地を使って紅ありなのを見てたのでちょっと思ってたのと違いました。女性を目立たせているのか、白い服で高貴さを表しているのか、やつれている感じを表しているのか。その装束にした理由が知りたい!
装束も面も演じる人が決めるそうで、そこにどのようなキャラクターとして演じるかがでているんだとか。『清経』では、平家が持つ日の入り扇を観ることができて嬉しかったです。金色の扇に青と白で荒れている波が描かれ、赤い陽が沈んでいく様子が描かれています。一方の源氏は日の出の扇なんですよね。
清経は結構横を向いて舞っていました。クライマックスでは剣を持って舞い、最後にボトッと大きな音。えっ剣落としてるけど。と思ったら楽屋口の方へと歩いて行きます。あっけらんとしてしまいました。すると他の方も次々に退場していきます。どうやら終わったらしい。ぬるっと始まってぬるっと終わっていく感じです。後から分かったのですが、持っているものを落とすことで成仏したことを表現しているそうです。演者がそこにいたままで普通に退場していくのが能独特の表現で面白いなと思いました。
退場が終わったと思ったらすぐに狂言の演者が出てきます。声が大きく、響いてきます。壺を見つけた人とそれを自分のものだという人。さて、どちらが本当の持ち主か判定が始まります。
現代の人の面白いという感覚には狂言のほうがあっているかもしれないですね。少しでも能について知れば全く能の印象はかわるんでしょうけれど。装束や面によるキャラクターの表し方や感情表現の仕方、大鼓のあぶりに4時間ほどかかることや、面は視界がものすごく狭いこと、全員で合わせるのはリハーサルくらいで後は本番勝負といったLIVE感…などなど。能を少しでも知ると観ていてとても面白かったです。さて、狂言のあとは休む間もなく能が始まります。
せっかく自由席なので中正面の後ろの方から観ることにします。女性が出てきた瞬間、お婆さんだなと思いました。さっきの若々しい面と装束を見ていたからか出てきた瞬間に年老いてるのを感じました。僧が出てきてお婆さんは、はけていきます。しばらく経った後お婆さんが和泉式部として登場します。お花が頭にのっているのがかわいかったです。
最後は夢だったとなるのですが、夢落ちは夢幻能と言い、世阿弥の得意な筋書きだったんだとか。演者の方は一つ目の演目とは違い、楽器も人によって音が変わるし、声の出し方によって大分印象が変わるな〜なんて事を思いました。
20分の休憩を挟み、『鵺(ぬえ)』です。せっかくだし、近くで見たいと思い正面2列目へ。近いとその分迫力も増します。初めは怪しげな人間が登場。いったんはけた後、鵺として登場。赤髪になり(鬼や妖怪だから)、三角が並んだ装束を着ています。今までで一番激しくてどんどん足踏みをしたり、ジャンプして前に飛び出てきたりと迫力がすごかったです。鵺になる前と後で装束の色が同じなのも物語の繋がりを感じて素敵でした。鵺は、妖怪なので鬼が持つ(うちづえ)をもっていました。先っぽと途中に突起があり、遠くから見ると途中ででっぱりがある弓矢みたいでした。この鵺も最後には打杖を落として成仏していきます。舞台にいるのが見えているのでちょっと不思議な気分にやっぱりなります。
能は全部で三作品だったのですが、なんと全てが世阿弥作。伝書もそうだけれど、後世に残るものをつくったからこそ、こうして名前が知られているんだよなとおもいました。
ちなみに、今回のブログのタイトルの花は、世阿弥にあやかりました。演者を花に例えたり、まことの花について説いたりしていたんですよね。
本当はもっと謡や舞、囃子についても書きたいのですが、このくらいにしておきます。少しでも気になった方はぜひ能を見に行ってみてください。
以上、ましろでした。