先日、近代文学の授業で谷崎潤一郎の『吉野葛』を読みました。吉野の地を巡る小説なのですが、限定版では物語内で出てきたキーアイテムを実際に作って撮った写真や吉野の風景写真を載せていて紀行文風になっているそうです。他にも限定盤は和紙で出来ています。というのも、この物語では「和紙を梳くこと」が美しく書かれているのです。更には谷崎本人が吉野で集めてきた葛の葉を梳きこんだりと、聞いていてわくわくする要素がたくさんあります。
私、これを聞いた時に「ウワー!!!!!」と、だいぶ興奮しまして。こんなのオタク大好きなやつじゃないですか。いいなぁ、私が谷崎のファンだったら高くても買っちゃうなぁ。
「没入感」を強く感じる物語ってどうしてあんなに魅力的なんでしょう。小学校一年生の夏休み、兄の影響で『ハリー・ポッターと賢者の石』を初めて読みました。7歳だったり9歳だったりそこらの子どもがあの本を読んだ時に何を思うのか。「11歳になったらフクロウ便でホグワーツの入学案内が来るかも!!!」。小説はファンタジーでありフィクションだと分かっていても「もしかしたら……」を想像してしまうのです。私は本気でホグワーツに行きたかった。
今年の3月に初めてユニバーサルスタジオジャパンに行きました。いちばんの目的はH×Hコラボだったのですが……その話は連載再開したらしましょうかね、かなりその兆しが見えてきたので。出来てからずっと行きたかったウィザーディング・ワールド・オブ・ハリー・ポッター。足を踏み入れた時、「私はずっとここが私の世界になることを夢見ていたんだ」と嬉しいような、わくわくするような、そしてこの場所を観光地としていることが切ないような、不思議な気持ちを味わいました。
オタクが言う「キャラクターの絵やキャラクターモチーフのグッズばかりじゃなくて物語内に出てきたアイテムをそのままグッズにしてくれ」も言い換えれば「物語に没入させてくれ」なのかなと思います。ゲームのストーリーには「俺」「僕」「私」視点で物語が展開していくのものが多くあります。これなんかまさしく「没入感」を追い求めた結果なんだろうな。
『吉野葛』の限定版が発売された頃の文学オタクたちはあれを見て何を思ったのでしょうか。「物語と直接関係ないところにも関わらず粋な演出をしやがって!クゥ~~~!!」と唸っていた人はいたのかしら。
現実と虚構の間で意識が揺蕩う時、私は幸福を感じます。
では。
前回の更新の時に「いかがお過ごしでしょうか。」の人を名乗ってしまったせいか、なんとなく使うことにこっぱずかしさを覚えて今回はその入りを避けてしまいました。そのうちまた戻るかなあ、たぶん次は「雨天が続きますが……」だとか「梅雨真っただ中ですが……」だとかそんなんじゃないでしょうか。