ご無沙汰しております、みちるです。
やりたいことはないんです。
「行きたい場所も食べたいものも将来の夢も、今の君にはないみたいだ」
左様。
書きたいものだって、わかりませんよ?
どうであれ、”こんな”なのは今だけだと信じたい。何もかも能動的に欲せないのであれば知性の敗北である。必要と芸術、などといって或る事柄について分類することさえナンセンスになってしまう。
存在することはこの身体と精神とが働くことであり、あるいは認識することである――だからきっとこんなに存在が恥ずかしい。
”ダサさ”に敏感なのは自分がなりたくないものばかりが世界に横溢しているからで、しかし自分がどうであるかはわからない。困ったものです。
あなただけは輝いていてほしい。お願いですから。
今なら、これと似た願いを私に向けた人の思いがわかるのではないか。改善論・第三の認識において。
(間奏)
私には生活に対する真剣さが足りないらしい。
いやあ、これでもマジメに物事へ取り組んでいるはずですが?無い眼鏡を押し上げて私は言う。
学問に対して、あるいは或る種の探求に対して私が真剣であることは、自他共に認める事柄であるらしい。しかし生活に対してはといえば先述の通り ”がんばりましょう”なのだそう。おそらくそうしたことを言ってくる人々は私の遅刻癖(Lv.99)や食事・睡眠の”省略”、ごみの捨て方のテキトーさ、クッキングスキルの欠如などについてそれを矯正してくれようとしているのだろうと思う、いいやそう思わずにはよく知らない学生や教授やその他周辺からのお叱りに耐えられない。
「そんなんじゃ就職できないよ」とか「学生の内は良いかもしれないけどね」などと言われるたびに、皆と同じタイミングで就職するつもりはなし、余計なお世話だぜと思ったことは幾度もあった(皆、愛してるけど)。
しかし今やそんなことを言っている場合でもない、そもそも成績が危うい(気がする)のです。とりわけこの時期はコンディションが妥当になることが殆ど有り得ないことを経験的に知っているから、冷や汗も脂汗も出まくりかきまくりである。勿論勉強したくないのではない、むしろそれは喜んでしたい。しかし授業へは中々行けない、これは床から起き上がれないことに加え「直前の授業の面子で議論していたら次の授業が半分終っていた」みたいなことが原因だったりもする。そう、道徳的な人々からすれば私は正真正銘の駄目人間であり、なんならクズ、といったところであろう。
そう言われるほどの怠惰っぷり、病みっぷりであるとわかっていながらやめられない、しかし罵倒されることの快楽と罵倒する人を表象する際の強迫との間で混乱することだけは一人前にやってのけるから、つまりヤバいんだ。
誤解しないでいただきたいのは、何も私はこういうことを書いてあなたの共感能力に訴えかけ暗い気持ちにしたいわけではないということ。全部、笑ってほしいんだ。
「みちる、このままじゃハイルナーだよ」
「あなたはなにか勘違いをしていませんか。ハイルナーは”立派な人間”になったそうだよ、これは誰にとっての立派さだと思う?」
「そこじゃなくて、もっと前。学校辞めそう、ってこと」
うーん。しっかりしなきゃね。ホント、思ってます。
私は勉強することと文章を書くことと人を愛することを諦めたときにこの生を手放しますが、であればそれ以外のことをさっぱり諦めながら生きても良い、ということではないんです。なりたいものなど何もない、といいながらも必要に駆られて(一般に使用する表現としての「そうせざるを得ないから」)何かになろうとするのなら、それはなりたいものだと言えてしまう(これ、永井均で読んだことあるな……)——あるいは、何にもなりたくないと望むことも出来るだろうが。だからまずは、そこへ向かう方法論を組み立てなければならない。本来はもっと早く、自分を真剣に反省したときからこの課題に取り掛かるべきだったんです。……そうしないから”本物”ってことなんだったら、救いようがない。いいや救ってほしい。例えば進化論者の老博士よ、私を人間生活に適応させてくれ(この調子、この人ってどんな状況に陥ってもふざけるのは止めないんだろうな)。
――そんでごくナチュラルに私、クズだとされている?ええ、それは――
黙れ!
負け犬めいたところが可愛さです。加えて、お察し頂けたかもしれませんが私は自身をクズだと判断してはいません。優等生でもないけれど、やっぱり現状をマジに深刻な事態として把握していないからでしょう。まあ、反省の如何も今後次第ですね(健康診断で毎回これ、言われます)。ひとまず明日の授業へいくためにしっかり眠ることにしましょう。
あなたは是非、その感想と笑いをとっておいてくださいね。
またお手紙書きますね、大好きです。 みちる







