こんにちは、あこです。
先日、パソコンが壊れました。前触れもなく、スンって。
当日中の課題を出して、「よし休憩。充電しよ〜」と、パソコンを充電していただけなんです。
まさか、2度と立ち上がらなくなるなんて。データが全て吹っ飛ぶなんて。
手をつけていた期末課題はOneDriveに保存していたのでなんとかなったのですが、それ以外のデータはsayonaraでした…..
まあでも、卒論データが吹っ飛ぶよりはマシだし、作成中の期末課題データは残っていたのは不幸中の幸いだよね、うん。と、自分を慰めながら今に至ります。
みなさんも、PC故障にはくれぐれもお気をつけください。故障自体は予測できないですが、日頃からバックアップを取るとか、データはクラウドに預けるとか、二次災害(データ喪失)を防ぐための取り組みは、本当に本当に大事です!!!
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今年の夏休みは、予定が詰め詰めです。なぜなら、アルバイト先の塾の夏期講習が7月末から本格的に始まるからです。昨年の10月にアルバイトを始めた私にとって初めての夏期講習なのですが、夏期講習ってこんなに忙しいんですね。生徒が勉強や塾を嫌いにならないように気をつけながら、しっかり勉強させたいと思います!(笑)
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本当は、この夏は複数のインターンシップに参加するつもりでした。ですが、落ちに落ちまくり。
メンタル的にも、落ち込むどころじゃなかったです。
ただただ”焦り”しかなくて、最初は本当に興味がある業界・企業に送っていたESも、次第に興味がない・研究していない企業にまで送るようになりました。
「どうせまた落ちるんだ。」
投げやりでした。
「こんなんじゃ受かるはずない。」
分かっていました。
6月には、初めて、学校の授業の課題を出し忘れました。
ESを書いている途中に受付終了のメールが来て、呆然としました。
アルバイトでも、成果が出ませんでした。
学びも、就活も、アルバイトも、全てが中途半端で、どれも結果を出せなくて、そんな自分が嫌で嫌で仕方がなくて。
因みに、インターンシップの結果は惨敗。
「このままじゃ、ESを出すことが目的になってて意味がない。」
やっとそう思えて、今更ながら自己分析に励んでいます。
自分はどんな人になりたいのか、何を手に入れたいのか、社会に与えたい影響は何か。
本当に基礎の基礎から、自分と向き合うことにしました。志望動機とか、ガクチカとか、自分の強み・弱みとか、そういった問いに対する答えには程遠いけれど、今の段階でそれらを書いても薄っぺらいESしか生み出せません。
近道を進めないのは、遠回りするのは、いつものことです。
自分の「本音」は何なのか、きちんと向き合って、再スタートを切りたいと思います。
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思えば、私は「本音」を見つけるのが下手でした。
高校生の時、古典の先生の元へよく質問に行っていました。
すると、何度目かの時に、先生から「あこさんは古典が好きなんですか?」と聞かれました。
「え…….?」
「多分、好き?…だと思います…..ケド…..???」
正直動揺していて自分がどのように答えたのか覚えていないのですが、きっとこんな感じだったと思います。
それまで、好きな授業は?と聞かれたら、国語や社会だと答えていました。
もちろん、嘘ではありません。
本を読むのも、友達と意見交換するのも、歴史上の人物の家系図を辿るのも、楽しかったから。
でも、「本当に好きなの?」「本当に好きなものは何なの?」と聞かれたら、自信を持って答えられる答えは持ち合わせていませんでした。
「好き」という言葉には、「詳しい」とか、「得意」という意味も含まれるような気がしていたから、「私はこれが好き」と答えるのは、怖かったのです。
そして、そういう問いから逃げていたら、いつの間にか「好きなものがない」状態になっていました。
そんな時、先生から「あこさんは古典が好きなんですか?」と聞かれました。
「好きか嫌いかって言われたら絶対に嫌いなわけないけど、本当に”好き”なのかな?」
「”好き”って言えるレベルなのかな?」
「”好き”って答えて良いのかな?」
色んな想いがぶわあぁぁっと頭の中を駆け抜けて、一瞬頭が真っ白になりました。それでも、聞こえてきた自分の答えは「好き」でした。
自信を持って言えた「好き」ではないけれど、だいぶ動揺していたけれど、「多分」「だと思う」「けど」という、曖昧な答え方だったけれど、「好き」という言葉は、自分に自信を与えてくれました。
私は、古典が好きだったんだ。
自信があるから「好き」なのではなくて、「好き」だから自信を持てるのかもしれません。
その時は知識がなくても、もっとそのことを”好き”な人がいても、得意じゃなくても、良い。
「好き」の同義は「得意」とか「詳しい」ではなく、「知りたい」「詳しくなりたい」「学びたい」なのだと思います。
「古典が好きなんですか?」という先生の言葉は、私の心にまっすぐ刺さって、「好き」を思い出し、考え直す契機になりました。
そして、その時の言葉があったからこそ、私は日文に進学したのだと思います。
やっと見つけた「好きなもの」だから、「好き」を思い出させてくれたのは古典だったから、大切にしたかった。
多分、きっと、絶対、日文への進学の決め手は、「好きだから」。
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自分の進路に悩む今、当時のことをよく思い出します。
この話を母にした際に、「あなたが古典を好きなんて知ってたけど?」と言われたことも。
どうやら、私が古典を好きなことに気が付いたのは、私が最後だったようです。
大して知識がないから。もっと好きな人がいるから。もっと才能がある人がいるから。
私の本音の周りには、たくさんの言い訳と弱さで溢れています。
でも、すっごく見えにくいけれど、「本音」が、「好きなもの」が、「やりたいこと」が、ないわけではない。
根気よく自分と向き合って、自分の”本音”を見つけ出したいと思います。
それでは、また。