こんにちは、あこです。
今日はバイトがお休みでした。
休業日です。
バイトは嫌いじゃないけれど、「バイトがないとこんなに時間があるんだ!」と、ちょっぴり感動しました。
たまには、自分のためだけに過ごす日があっても良いですね。
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先日、祖母・母・私の3人で、曽祖父母の遺品整理をしました。
遺品整理と言っても、曽祖母の部屋は狭いし、押し入れ以外は(祖父母や母が)既に整理してるし、チャチャッと終わるんじゃないかと思っていたら、あらびっくり。
もはやご先祖様すぎて誰だかわからない写真やアルバム、祖母たちが幼い頃に描いた絵やレポート、手帳、日記、手紙、昔の貨幣、腕時計、財布、メガネ、結婚指輪、アクセサリー、不動産購入の証明書、給与明細まで、まあ、出るわ出るわ。
押し入れの中だけ、時が止まっていました。
特に私が興味を持ったのは、2人が残した手帳と手紙。
勝手に見るのは悪いかな〜と思いつつも、文字を見るとついつい読んでしまうのは、私の悪い癖。
結局、全部、読みました。
ただ、(特に手帳は)走り書きだったり何度も書き直されたところがあったりして、解読はなかなか難しく。
祖母に聞きながら、「こうかな?」と推測しながら、なんとか読み切りました。
手帳の中には、曽祖母が詠んだ俳句も何句か残されていて、この家の人たちは俳句と共に生きているんだな、と改めて思いました。(祖父も俳句が好きで、よく詠んでいるのです。)
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文字というのは、不思議なものです。
同じ言葉が綴られていても、文字が違えば印象は変わります。
なんてことのない、事務的なメモでも、”その人”に書かれた文字だから、”その人らしい”言葉になります。
私は曽祖父に会ったことはないけれど、今回の遺品整理で曽祖父の文字や言葉に触れて、「やっと会えた」と思いました。彼は確かに生きていて、私の曽祖父だったのだと、思えました。
時々、母から曽祖父の話を聞くことはあったけれど、なんだか「私の曽祖父」という気はしませんでした。
当たり前かもしれません。私は曽祖父に会ったことがないのですから。曽祖父と共有した想い出は、ないのですから。そして曽祖父もまた、私のことを知らないのですから。
彼は私にとって「曽祖母の夫」であり、「祖母の父」であり、「母の祖父」でした。
ですが、遺品の整理を通じて、曽祖父の文字と、言葉と、想いに触れて、彼は私の曽祖父になりました。
曽祖父は私のことを知らないままだけれど、会ったことはないままだけれど、何十年かの時を越えて、曽祖父との”想い出”を作ることができました。
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遺品整理をしていく中で、曽祖父の手帳に挟まれた2枚のメモ用紙を見つけました。
そこには、曽祖父の文字で、「月の砂漠」の詩が書かれていました。
なぜだかとても気に入ってしまったから、誰にも言わずにひっそり持ち帰りました。
今は、来年度の手帳に挟んでいます。
あと、叔母さんが(もう持ってるから)いらないって言ってた曽祖父の写真、
こっそり拾って、持ち帰りました。
今は、(正当に譲り受けた)曽祖父の財布の中に、挟んでいます。
おばあちゃん、勝手に貰ってきてごめん。
ひいじいちゃん、盗人まがいの方法で持ち帰ってごめん。
大事にしてるから、許してね。
それでは、また。