皆さんこんにちは。みちこです。
今回はタイトルの通り、「原点回帰」というテーマで話を進めていこうと思います。
最近私はよく、「大元に立ち返って考えてみる」ということを行っています。
つまり、「原点回帰」です。
原点って意外と忘れがちだけど、振り返ってみたらちゃんと心の中(あるいは思い出の中)に残っているような気がします。
今は目先のことに気を取られてしまい、どうしても目的や本質を忘れてしまうことが多い中で、あえてふと思い出してみるということをしてみようと思います。
というわけで、目下私の頭を一番悩ませている卒論の原点について一度ここでまとめたいな、と思い立ちました。
自分の論・先行論、それらをどうまとめるか、それらとの距離感をどう保つか。
ここら辺のことをかなり迷っている中で、ふと思い出したのが、「なんで自分はこの題材にしようと思ったんだっけ」という至極単純な疑問でした。
なぜ阿仏尼という人物にこれほどまでに魅了されたのか。
これについては、一度ならず何度もこのブログ内でご紹介していることではあるのですが(そしてこんなことを振り返っている場合ではなく、手を動かせというツッコミも聞こえてきそうですが)どうかご容赦ください。
また、今回は少し備忘録的に書き連ねる関係上、文章構成がおかしなことになっているかもしれない点も併せてことわっておきます。
阿仏尼とは、かなりアグレッシブな女性です。
そりゃ、『うたたね』という作品で失恋した衝動で髪を切り、家出するような女です。
普通「さすがにそこまではせんやろ…」というラインを見事に壊していきました。あの衝撃たるや…。
しかし決して衝動的な行動をするだけの、「ヤバい女」ではありません。
阿仏尼は『源氏物語』をはじめとする古典が好きで、その注釈書もかなり読み込んでいる女性です。
おまけに和歌の才にも優れている「才女」なのです。
そんな才女な阿仏尼が『うたたね』内で何度も古典作品を引用し、主人公に悲劇のヒロイン像を(ブレることなく)作り上げていったその様は、並大抵の女性ができることではないでしょう。
そんな、行動派と才女という双方の性質を併せ持つ阿仏尼だからこそ、私は彼女に惹かれたはずなのです。
これがおそらく、私が阿仏尼を好きな理由・そして原点であるはずです。
(他の書については研究対象ということもあり、あまり詳しいことはここでは述べないつもりです。フラットな視点で述べることができないから、という理由もあります。)
あとは彼女が記した書を読んでいると、人間臭いと感じることもあります。
執筆意図が各書にある以上、ありのままに、という訳にはいきませんが、ひも解くと面白いくらいに阿仏尼の性質が出てきます。そんなところも面白くて好きですね。
そしてこのブログを綴っていて思いました。もう少し肩の力を抜いて卒論に向き合ってみてもいいのではないかと。
もちろん、ある程度は型に則る必要がありますし、そうしなければ「論文」とは呼べない別の何かが出来上がってしまいます。確かにそこには気を付ける必要がありますが、原動力自体はもう少し逸るものでもいいような気がしました。
「重くとらえすぎ」と言われたらそうなのかも知れませんが、生憎そんな考え方・生き方しかできない人間です。ですが、苦しんで卒論を書くより、楽しんで論理を組み立てる方が100倍いいに決まってます。
多分、目先のことに捕らわれすぎると、原動力という名の「楽しさ」を忘れてしまうような気がします。現に、本文精読をしていた頃の「楽しい」という気持ちが今やほとんど無くなってしまい、「完成させなければ」という緊張感でいっぱいの日々を過ごしています。
この緊張感は今の置かれた状況的には間違っていないのでしょうけれど、緊張感で埋め尽くされた日々を過ごしすぎるのも考え物です。
そんな「考えすぎてしまう」私だからこそ、一度原点に立ち返ることでもう一度「楽しさ」を思い出そう、という、そういう趣旨の記事でした。
というわけで、今回はここまでとします。
もういくつ寝ると、誕生日を迎えるそうなのですが、何を書くのでしょうね。
それは、当日の私にお任せするとしましょう。
最後までお読みいただきありがとうございます!




