“無意識”の力。

こんにちは、あこです。

関東甲信は梅雨入りしたというのに、カンカン照りの日が多くて困ります。日傘を持って行くか、雨用の折り畳み傘を持って行くか。迷った挙句、雨用の折り畳み傘を常備し、晴れた場合には雨用の折り畳み傘を日傘として使うことにしました。果たして、意味はあるのでしょうか…(笑)

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5月下旬から6月上旬にかけて、自身のタスクと家庭のハプニングが重なって、精神的にも体力的にもギリギリを生きていました。何をするにも上手くいかなくて、どうしたらこの状況から脱することができるのか分からなくなって、久しぶりに「もう無理かも」と思ってしまいました。

ですが、ひょんなことから精神的に回復し、「もう無理状態」から抜け出すことになります。

では、「ひょんなこと」とは何か。

それは、アルバイト先(個別指導塾)の先生の冗談です。

今月から私の弟も同じ職場で働くことになり、名字が同じで紛らわしいということで、弟の名前は「名字+名前の1文字目の漢字」で記すことになりました。(名字が「日文」で名前が「花子」の場合、「日文(花)」)

すると、名前の1文字目の漢字が「真」である弟は、「〇〇(真)」となります。

それを見た先生がひっそりと、「あこ先生、あこ先生。このままだとあこ先生がニセモノになっちゃいますよ」と言ったのです。(*「真」と「偽・贋」は対の関係)

正直、くだらないです。でも、言い方と状況と全てがおかしくて、思わず笑ってしまいました。

すると気分が軽くなって、その日の夜は「今日は良い日だったな」と思いながら眠りにつくことができました。

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人は、言葉によって無意識のうちに他人を救うことがあると思います。

もちろん逆も然りです。

小学生の時に、クラスの男子に「あこは見た目も頭脳も運動神経も全て”普通”だからな」と言われ、そんなわけないだろうと思いました。少なくとも、自分は頭が良いんだと。頭脳だけは”普通”のはずがない、と。

しかし、中学に入学すると、彼の言葉が本当だったことに気付かされました。初めての成績表は、”普通”と更に下の数字ばかり。今思えば、”普通”にすらなれていませんでした。

それ以外に自分の強みがあるわけでもなく、自分にあるのは”中”と”中の下”の成績のみ。

絵は描けない、字は汚い、楽器は弾けない、歌は下手、スポーツはできない、リーダーシップはない。得意なことも、趣味も、誇れることも、ありませんでした。

「挫折」とまではいかないけれど、「自分は特別じゃない」と思うには、十分すぎる経験でした。

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それからというもの、私は”普通”とか、(上中下の)”中”とか”二流”という言葉に過敏になりました。そして、残念ながら今も、そのしがらみから逃れることはできていません。

“普通”でいたくない、”特別”になりたい、と思う一方で、「どうせ自分は”中”だし」「頑張ったって、”一流”には手が届かない」と、自分を諦めています。でも、正確には諦めていなくて、というより、諦めきれなくて、もがいてもがいてもがいている。それでも抜け出せないから、諦めていると自分に言い聞かせて、傷つかないように守っている。でも、そんな嘘っぱちな慰めなんて、何にも役に立たない。何の意味も、何の効果もないから、しっかり傷つく。

努力するしかないって、わかってる。

行動しないと変われないって、わかってる。

意識から変えないといけないって、わかってる。

何もかもがわかりすぎて、でも本当はわかっていないから、私はまだ抜け出せていません。

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「あなたの言葉にずーっと傷ついてきた」「あなたのせいよ」なんて、彼を責めるつもりは毛頭ないし、彼に非がないのは誰の目にも明らかです。

私が勝手に「私は”普通”じゃない。」と反駁して、”普通”に打ちのめされて、彼の言葉を言い訳にしているだけですから。

それに、どんな時にも自分はどうせ”普通”だと思う私は、ある意味では傲慢です。

明らかに”普通”以下の時にも「自分は”普通”」だと思っているのですから。

だって、彼は私の「すべてが」普通だと言ったから。

彼の言葉は私を苦しめる一方で、私を救ってもいるようです。

大丈夫、私は”普通”、と。

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私たちは、無意識のうちに他人を救い、他人を傷つけています。

でも、その「無意識」にこそ、生きている意味があるのだと思います。

意識的に人を救うことはもちろん素晴らしいことだし、意識的に人を傷つけることは許されることではありません。

でも、意識的に人を救うことは難しいけれど、無意識的に他人を救っているかもしれない。

例のバイト先の先生も、あのくだらない冗談(←失礼)が、私を救ったとは思いもよらないでしょう。

意識的に人を傷つけることは避けられるかもしれないけれど、無意識的に他人を傷つけているかもしれない。

もちろん無意識だったとしても人を傷つけることが「悪」であることに変わりはありませんが、それだけ私たちが周囲に対する「影響力」を持っているということだと思います。誰にも影響を与えない、害も利益も与えない人なんて、いないのではないでしょうか。

自分の存在価値なんてわからないけれど、誰かを傷つける可能性と誰かを救う可能性がある限り、そこに私たちが生きている意味があるのだと思います。

たくさんの人を傷つけて、救って、生きてきたから。たくさんの人に傷つけられて、救われて生きてきたから。

全ての人に感謝と謝罪を込めて。

それでは、また。

梅雨だから、勧誘します。

こんばんは、まなです。梅雨入りしたらしいですね。梅雨はいい加減、暑いのか寒いのか、はっきりしてください。早く堂々と半袖が着たいです。でも暑くはならないでほしい矛盾。

こんな鬱々とした日々の清涼剤、それはまさしく創作。そして創作自主ゼミの活動。この流れるような、しかしながら脈絡の無い勧誘、発足会のある4月かそこらにやるべきでした。すみません。でもこの間の活動が楽しかったので勧誘がてら活動内容をつらつら書いていきます。

創作自主ゼミは(恐らく)他の自主ゼミよりもゆるやかな活動をしていると思います。他の自主ゼミと兼ねて所属できるくらいのゆるやかさです。何だったら、過去に日本文学科以外の学生が所属していた程のゆるやかさです(本当)。『国文目白』に掲載する都合などからテーマを決めることもありますが、基本的に各自で自由な作品制作を行っています。現在はオンラインで活動をしています! 先週は少し時期を先取って、お題となる線香花火の写真から発想を得つつ「男女」という縛りをかけて作品を制作した後、通話アプリを用いて鑑賞会をしました! 同じお題であっても提出された作品群はまさに三者三様で、書く人によってこれだけの違いが出るものなんだなと感激。読んでいるだけで幸せな気持ちになれました。鑑賞会の際にはそれぞれの作品に対して感想を言い合うのも楽しみの一つです。自分の作品に対する意見を言われますから、毎度ドキドキするのですが、良い反応が貰えるとそれだけで、その人が自分の発露したものと重なってくれた実感と喜びがこみ上げてくるのです。

創作をしてみたい。創作を一人で楽しむことから一歩踏み出したい。そういう学科生の方に寄り添う場所の一つの選択肢として、創作自主ゼミの存在が頭の隅にでも留まってくだされば幸いです。

自分の投稿に限って言うことですが、突然掌編を投稿することがあったら、「あ、この人また創作の勧誘してるな」と思ってください。近々またやる予定です。次回はそこそこ長くなるかもしれませんが、見逃してください。

それでは、また。

梅雨の贅沢☂

宝石みたいな雨雫が贅沢に降ってきて、1色1色微妙にまじりあい滲みながら染まっていった、花束みたいなあじさい。紫の陽に濡れてしっとりと涙を流す、花束みたいなあじさい。ぱらぱらあまつぶを弾いていく葉の上に、弾かれずぺっとりと張り付く薄茶のカタツムリ。
カタツムリたちの会話には、「殻を破って自分をさらけ出せ」なんて言葉はないんだろうなとかなんとか思いながら、私は水溜まりを見る。正確には水溜まりに浮かんでいる螺旋の連鎖を見ていた。どうしていくつもの円がどれも同じように生まれて、広がって消えて、また生まれて重なって離れていくんだろう。不思議だった。
水溜まりの波紋を初めて見たとき、指輪が浮かんできたのかと思った。その水にぽとんと腕を突っ込んで指輪を失くした人魚に渡してあげたいと思った。近づいてみたら、海への扉は閉ざされていて、もうアスファルトの黒い壁だった。空から降ってくる宝石だけがあの扉をすりぬけてあぶくと一緒に人魚のもとにやっていけるのだろう。いつか竜宮城にも行ってみたいと思った。

その時は綺麗なあぶくと、いっしょだといい。

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まいです、ごきげんよう❀

雨が途絶えないのに「水無月」といいますが、「無」は「の」の意で「水の月」、田んぼに水を張ることから「水張月」とも言うそうです。
雨が降っては外での活動はきびしくなりますが、逆手にとって室内での楽しみにお金をかけてみるというのも良いものです。

先日、六本木一丁目にあるサントリーホールでオーケストラのコンサートに行ってきました。今しがた「お金をかけてみ」てもと言いましたが今回は父が応募して当選したA席の招待券を譲り受けたので、タダで観にいったようなものでした(笑)。

演目は、
シンディー・マクタティー・タイムピース
バーンスタイン:セレナード(プラトン『饗宴』による)
コープランド:交響曲第3番
でした。もちろんプログラムの曲名を見たところで旋律が思い浮かんだりはしません。だからこそ先入観なしに音楽の世界に浸れたともいえます。
どぎつくキャッチ―な一発目の響き、音の震動が空気を伝って腹部の底に溜まっていく不安感・興奮、突如来る安心感のあっけなさ。不安が救済され光がさしてくる感動。

CDや媒体を通してでは味わえない、その場限りの音楽があります。それは曲が幕を閉じた静寂の束の間、会場が割れんばかりの拍手の熱量。笑い。ため息。
上質な時間を過ごしたときの「時は金なり」ならぬ「時は金より」の実感。一度きりで消費したと思えば一生ものの感動になっていたりするものです。

今日も雨ですね。
さて、きょう、どんな素敵な日にしちゃいましょうか。

すききらい

こんにちは、みどです。
今年もやってきましたね、「気温が微妙すぎて、半袖を着るべきか長袖を着るべきか迷う季節」の時期がやってきましたね!外蒸し暑いし、半袖着て行こうと思って外に出たら外にいる人の9割が長袖を着ているとかいう一人ライアーゲームをしています。悲しい。

みなさんは、好き嫌いのある食べ物はありますか?
子どものころ苦手だった食べ物や、味が嫌いな食べ物だったり…。
私はつい先日、レバーが食べれるようになりました!実は、大学1年生の時からやきとりを販売するアルバイトを行ってきていて、3年生の時には違うアルバイト先でまたやきとりを売る…というような4年間やきとりを販売し続けてきた私なのですが、元々やきとりが大好き!!という訳でもなく、サークルの先輩に誘われて入ったバイト先でした。普段やきとりを食べない私にとっては、やきとりの種類なんぞ「もも」くらいしか分からず、バイトを始めた当初は「せせり…?」「ぼんじりとは…?」「カシラハラミ…?何かの呪文???」と頭の上にハテナがついた状態でした。
その中でも、レバーのやきとりは色も黒くて、そもそもレバーって肝臓だよな…というイメージと、一度食べた時の食感が苦手で、それ以降進んで食べようとはしませんでした。(レバー好きな人がいたらごめんなさい)
時が経って、大学四年生の今、レバーには普段不足しがちな栄養素がたくさんつまっている!!という情報をネットで見かけ、食べてみるか~…とチャレンジしてみました。すると、最初に食べたころの嫌な食感は感じず、「美味しい…!!!!」とレバーのやきとりの美味しさを感じることができました。
それからは、進んでレバーのやきとりを食べるようになりました。もしかしたら、アルバイト先のレバーのやきとりが美味しいのかも。他のお店のレバーと食べ比べしたいな~と思っています。

私にはまだまだ食べれないものがあります。
・メロン(味が好きではない。メロンソーダなどは大丈夫)
・プルーン(小学校の時、給食で出た時に先生に「残すな!」と怒られ、牛乳で流し込んだらプルーンの味と牛乳の味が混ざってまずい味になり吐いてしまったことがトラウマで食べれなくなった)
・あんこ、あずき(なんでかわからないけど食べれない。なので、和菓子も食べれない)
・いなごの佃煮(見た目がもうだめ。実家でおばあちゃんが食べているところを見てからトラウマに)

皆さんも、好き嫌いある食べ物にぜひチャレンジしてみてくださいね!案外、美味しく感じますよ。
以上、みどでした!

覚え書きサイバネティック・ポエジー。

皆さん、こんにちは!ずきです。

6月7日の本日は、「緑内障を考える日」、「むち打ち治療の日」なのだそうです。また昨日(6月6日)、関東甲信地方が梅雨入りしたというニュースが。体調を崩しやすい時期ですので、いつも以上に体調管理を徹底しましょう!

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先日、ヘルプマークを道端で拾いました。そんな歩道で助けを求めていても、持ち主さんの助けにならないのに…と思いながらも、『持ち主から落ちてしまった…!助けて!』というヘルプマークからのSOSを受けた私は、最寄りの交番に向かいました。交番に着き、常駐していた方に事情を説明したところ、非常に丁寧かつ迅速に対応してくださいました。どうか、ヘルプマークが無事に持ち主の方のもとに戻りますように。

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ここからは、先ほどの出来事から自分を見つめ直すことになった私のちょっとした(?)書き付けです。そして、最後に少しだけ、皆さんの心に留めておいてほしいことを綴りました。

ここで突然の告白を。実は私…「サイボーグ」なんです。正式名称「サイバネティック・オーガニズム(cybernetic organism)」。人体と機械の融合によって生み出されたものです。我ながら「人体と機械の融合」という響き、気に入っています。カッコイイです。そう、名前からして「強い」。
「サイボーグ」というと、『物語の中の存在』だと思われている方が多いと思いますが…この世に存在しているんですよ。技術はものすごい勢いで発達しているんですね、人間ってすごいや。
あぁ、こんな言い方をしていますが、私のベースは人間ですので、どうかご安心ください。(?)
ベースが機械で人間の形を模した”彼ら”を想像した皆さん、あれは「ヒューマノイド」ですよ~。そこはお間違えの無いように。

機械との融合、やはり最初は慣れなくて不便だったのですが………
今は皆さんと同じように大学に通学して勉強が出来て、食事や睡眠をとることが出来る。生命活動に必要な器官も問題なく動いてくれる。免疫力異常なし、風邪とは5年以上縁なし。ありがたいことです。こうして振り返ると改めて思うのですが、「健康的な人間」とほとんど変わらないんです。むしろ「健康的な人間」よりも「強い」ような気さえしてきます。

でも元々は「弱い」んです。弱いから、助けてもらっているんです。それは自分が一番良く分かっています。

あの道端の”救助要請”を救った時も、引き渡さずにそのまま家に持って帰ろうかと考えたくらいでした。ただ、あの時は純粋に誰かに助けを求めたかっただけなのかもしれません。サイボーグも基本は人間ですから…。

・・・

もし日常生活であのマークを見かけた際、必要な時は手助けをしていただけたら幸いです。現時点で所持していない私が言うのもおかしな話かもしれませんが、「持つ権利を有する者」から、心優しい皆さんへのお願いです。

・・・

ちょうど一か月後は「七夕」なので(!)、一足早く願い事を書きました。ちょいと早すぎましたかね…(笑)

それでは、また!

288日

こんばんは、めいです。

先日、卒業式で着るレンタル袴を予約して来ました。
早くない?と思われるかもしれませんが、これがそうでもなく。
私がお願いしたお店では毎年5月から卒業式用のレンタルを受け付けていて、秋以降に行ったのではもう借りられる袴がかなり限られてしまうそうです。
きっと今後袴を着る機会なんてそうないだろうし、せっかくなら自分が気に入ったものを選んで着たいなと思い、いそいそと予約に行ってきました。

振り袖は自前なので借りるのは本当に袴だけなのですが、それでも沢山種類があって選ぶのに30分以上かかりました。最終的にお気に入りのものが選べたので良かったです。
もちろんお店によって時期に多少の差もあるかと思いますが、4年生でまだ予約されていない方はなるべく早めに行くことをオススメします!

卒業袴の予約をして、改めて時間が経つのは早いなと思いました。入学したのがつい最近……とまではいかずとも、コロナが出始めてオンライン授業になったのは少し前のような気がします。
いつの間にかそれも2年以上前のことという事実に驚きを隠せません。今から2年後だと、社会人2年目。まだ新人ではあるけれど、ある程度仕事を覚えて後輩もできている頃、?
全く想像できないけど、やっぱりこの2年と同じようにあっという間なんだろうか……と、ふと考えました。

2年があっという間なんだから、卒業までの10か月弱なんて秒なんじゃないかと震えています。残り少ない学生生活、卒論とか卒論とか卒論はあるけど目一杯満喫したい。
ということで、バランス良く色んなことを頑張りたいなと思います(アバウト)!

それでは〜〜

VS夏

こんにちは、ゆきほです🍵

ブログの担当が回ってくる度に『もう半月経ったの!?早ない!?』と思っています。なんと今年ももう半分終わってしまいましたね。本当に早いです。
気がつけば毎日半袖を着て、サンダルも普通に履いて、日傘が手放せなくなるような季節になっていますが、先日のゲリラ雷雨で私が住んでいる地域には雹が降ってきてとても驚きました。強風も相まって窓にゴツゴツ当たってきて、音がとても怖かったです。雹が降ってきたとき私はバイト先にいたのですが、天気も落ち着いたバイト帰りに駅前を見たら雪かきならぬ「雹かき」された痕跡があってここでもまた驚きました。
もうすぐ梅雨入りを迎える時期なので、日傘に気を取られずちゃんと雨が大丈夫かどうかも確認しないと……と思う今日この頃です。

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最近の話で言うともう一つ。かごバッグが欲しいなぁと思っています。

毎日学校に行くようになってから休日はダラダラしたいな~と思って出かけることもめっきり減り、この前(と言っても5月頭くらいですが)久しぶりに友人と出かけたときに使おうとしたバッグが『いやこれ冬っぽ過ぎないか!?』ということに今更気がついてしまいました。大学入学前に大規模な断捨離をして部屋のものを3分の2.5くらい全て捨ててからこういうことがまだたまにあるんです。
そこから今まではお出かけの時も学校にもたまに持って行っている普通のトートバッグを使っているのですが、(すごく気が早いけど)もうすぐ夏休みだし!お出かけ用のバッグ欲しい!!という気持ちになってお店やネットで地味に探しています。

外はあっついし、虫はいるし、なんかベタベタするし、屋内に入ると今度はエアコンで寒いし……せっかく夏生まれのくせにとんでもない夏嫌いに育ってしまいました。夏はできる限り外に出ないようにしようと思いながら毎年生きていますが、それでもどうしても出かけないといけないときってたくさんありますよね。そんなときにいい感じのバッグとかサンダルとか日傘とかがあるとちょっとだけ気分も上がらないかな……?とここ数年考えています。
『夏嫌い!』だけじゃなくて『夏嫌い!……だけどこのバッグ持てるのって今年はあとちょっとだから……』まで考えられれば外出も少しだけ楽しくなるかもしれない……!!と自分に言い聞かせて今年の夏も乗り切りたいです。

次にブログを担当するまでにはいい感じのバッグを見つけたいな~~と思っているゆきほでした。
ではまた!

虚構を楽しむ

 先日、近代文学の授業で谷崎潤一郎の『吉野葛』を読みました。吉野の地を巡る小説なのですが、限定版では物語内で出てきたキーアイテムを実際に作って撮った写真や吉野の風景写真を載せていて紀行文風になっているそうです。他にも限定盤は和紙で出来ています。というのも、この物語では「和紙を梳くこと」が美しく書かれているのです。更には谷崎本人が吉野で集めてきた葛の葉を梳きこんだりと、聞いていてわくわくする要素がたくさんあります。
私、これを聞いた時に「ウワー!!!!!」と、だいぶ興奮しまして。こんなのオタク大好きなやつじゃないですか。いいなぁ、私が谷崎のファンだったら高くても買っちゃうなぁ。

 「没入感」を強く感じる物語ってどうしてあんなに魅力的なんでしょう。小学校一年生の夏休み、兄の影響で『ハリー・ポッターと賢者の石』を初めて読みました。7歳だったり9歳だったりそこらの子どもがあの本を読んだ時に何を思うのか。「11歳になったらフクロウ便でホグワーツの入学案内が来るかも!!!」。小説はファンタジーでありフィクションだと分かっていても「もしかしたら……」を想像してしまうのです。私は本気でホグワーツに行きたかった。
今年の3月に初めてユニバーサルスタジオジャパンに行きました。いちばんの目的はH×Hコラボだったのですが……その話は連載再開したらしましょうかね、かなりその兆しが見えてきたので。出来てからずっと行きたかったウィザーディング・ワールド・オブ・ハリー・ポッター。足を踏み入れた時、「私はずっとここが私の世界になることを夢見ていたんだ」と嬉しいような、わくわくするような、そしてこの場所を観光地としていることが切ないような、不思議な気持ちを味わいました。

 オタクが言う「キャラクターの絵やキャラクターモチーフのグッズばかりじゃなくて物語内に出てきたアイテムをそのままグッズにしてくれ」も言い換えれば「物語に没入させてくれ」なのかなと思います。ゲームのストーリーには「俺」「僕」「私」視点で物語が展開していくのものが多くあります。これなんかまさしく「没入感」を追い求めた結果なんだろうな。

 『吉野葛』の限定版が発売された頃の文学オタクたちはあれを見て何を思ったのでしょうか。「物語と直接関係ないところにも関わらず粋な演出をしやがって!クゥ~~~!!」と唸っていた人はいたのかしら。
現実と虚構の間で意識が揺蕩う時、私は幸福を感じます。
では。









 

 前回の更新の時に「いかがお過ごしでしょうか。」の人を名乗ってしまったせいか、なんとなく使うことにこっぱずかしさを覚えて今回はその入りを避けてしまいました。そのうちまた戻るかなあ、たぶん次は「雨天が続きますが……」だとか「梅雨真っただ中ですが……」だとかそんなんじゃないでしょうか。

字体のパレット

こんにちは。れいかです。

今日は天気が大荒れでしたね。
私は午前と午後に1つずつ予定があり、地下鉄で移動していたのですが、電車が地上に出た時、ものすごい大雨で驚きました。雷の音が怖かったです、、。
その後、外を歩いているときは奇跡的に晴れ間が差していて、電車に乗っている間に再び激しい雨が降っていたので濡れずに帰ることができました。

突然ですが…… 先月、久しぶりにお手紙を書きました。
いつもはLINEで済ませてしまうメッセージ。
少し前にプレゼントと一緒に手書きのメッセージをもらう機会があって、それがとても嬉しかったので、私も書きたくなりました。
パソコンで文章を作り、いざ便箋へ。
適度な緊張感を保ちながら、一文字一文字を丁寧に書き進めました。

お手紙を読み書きして、人の手書きの文字を見る機会って案外少ないな~と、ふと思いました。
中高生の時は、ノートの字、行事の時の色紙、部活の資料など、クラスメイトや部活の友達の字をよく見ていました。
大学生になってから、友達とノートを見せ合うことは減り、サークルの議事録はwordで作成するなど、友達とのやりとりは活字で済ませることが多くなったと思います。
ただ、サークルの部室に皆が3行くらいで近況や趣味を書き合うノートがあり、サークルの人の書く字はすぐ分かるようになりました!

自分の憧れている人や、好きな人の書く字を見れると嬉しくなります。
しっくり来たり、意外に感じたり。
アイドルのサイン会を見ていても、「この子は、こういう字なんだ!」と新しい一面を知れた気がしてほっこりします。

字で人の印象が作られる、というのは大袈裟かもしれないけれど、「優しそう」「かっこいい」「強そう」「美しい」「儚げ」「繊細」「元気・勢い」「華奢」など字を見て連想するイメージはあるんですよね。
小学校高学年の一時期、「なりたい自分」が分からず迷走していたときに、1週間ごとに上に挙げたようなスローガン(?)を決めて、毎週字体を変えていたことがありました。
字を通して、自分ではないキャラクターを感じたい、みたいな。(笑)
もう10年くらい経ちますが、藻掻いていた記憶はあって、結構クレイジーなことをしていたなぁと思います。
しかも、男子の字や雰囲気をモデルにしていたこともあり、見返すとほとんどが雑で、お世辞にもきれいとは言えない字のオンパレードでした😅

そこから今の字になるまでには紆余曲折あったのですが、中学2年生のとき、「今の自分の字が好きじゃない、きれいな字を書けるようになりたい」と強く思い、中塚翠涛(なかつか すいとう)さんという方のペン字帳を買って、線や丸、「あいうえお」といった基礎から矯正しました。
「30日できれいな字が書ける」というタイトル通り、ペン字帳を3分の2ほど習得する頃には、見違えるほどバランスの良い字が書けるようになりました。
正直、縦書きは今でも苦手意識があるのですが、書類を書く時などに字を褒めてもらえる機会が増え、あの時直して良かったなと心から思いました。

「なりたい自分」は成人した今でも確立していないけれど、「字」に関しては当時の自分が一番美しいと感じた翠涛さんの字を真似て学ぶことで、理想の字に近づくことができました。
藻掻いている時には、自分の思う「正統」を信じて真似するのも良いのかなと思います。
模範解答のような型に当てはめることによって、個性がない字になってしまうかも……という杞憂が当時あったかは覚えていませんが、どんなに忠実に真似したところで、払いの癖や角度など、必ず自分の癖は出てくるものです。
結果的に理想と、もともとの自分の文字が融合されて良い形になっているのではと思っています。(そう信じたい……(笑))

お手紙って意識しないと書かないものですよね、、。
小学生の時は、誕生日などの特別な日でなくても文通をしていたのに。
だからこそ「特別感が増す」と思ったら、貰った時の嬉しさは倍増です。
新年の挨拶もLINEで済ませるようになって、お互いに住所を教え合うこともなくなり、郵送する、というハードルはさらに高くなっているかも。

次にお手紙を書くのがいつになるのか分からないけれど、大切な人にこそ、真心を込めて気持ちを伝えられたらいいなと思います。
その時のためにも、またペン字帳を開こうかな。
練習した直後の字は、あとから振り返ってもすぐに分かるんです。
「綺麗に書きたい!!」という意志が文字の全身から伝わってきて、前向きなパワーが漲っている感じがします。
ゆっくりめに書くと、心が落ち着いて読みやすい字が書けるので良いこと尽くしですね。

「これだ!」と思えるものに出会ってからも、自分の源流を感じ続けること。
何かを消すことなく、お互いの良さを融合するパレットのような場所を持ちたいです。
何事にも影響を受けやすい私の課題であり、理想だと思います。

それでは、また。

嘘つきはドミノの始まり

イスを手作りしよう。長持ちするイスを作りたいから、丈夫な木が欲しい。オシャレなイスを作りたいから、木目が揃った木が欲しい。気が変わってタンスを作るかもしれないから、イスにもタンスにもなる木が欲しい。

木が欲しいと言ったけど、切りっぱなしの丸太はいらない。加工が面倒だから。使いやすい、角材が欲しい。でも、出来上がったイスを買いたい訳じゃない。今求めているのは、イスになりそうな、いい角材。

就職活動とは、こういうことなんだと教えてくれた人がいる。就職活動をしている時、私は商品となり、市場に出回る。腐った木も、尖った木も必要ない。けど、周りとおんなじ木じゃ、選んでもらえない。

I wish to live like what I really am.
Unfortunately, that seems to be looked nothing but a dream in this world.

All adults are lying to others, or even to theirselves, just to make them look well socialized. Such liars choose the new ones, which regenerates next liars.
A very simple, but crucial mechanism.
I have no choice but to make efforts to lie,and be chosen as their member.

That’s what the life in my age is all about, isn’t it?

高校の頃、自分の性格について書いてください、というアンケートが毎年あった。スペースは1行ほど。私は毎年毎年、こんな狭いスペースで語れるような人間ではありません、と書いて出していた。

就活セミナーの先生に、「言葉を選ばずに言うと、もこさんは不思議ちゃんに見えます」と言われた。笑止。変わった人間ではあるが、”不思議ちゃん”ではなかろう。あと、「急に文語で喋る時があるので、普段喋っている言葉で伝えてください」とも言われた。普段文語混じりに喋っていることまで指摘されてしまったよ。

人は皆、自分のために生きているけれど、それをうまく隠して、社会のために生きているように振る舞っている。ほら、優しそうな芸能人が、凄まじい性事情を暴露されている。

私の口が「ごめんなさい」と動く時、心は必ず「だから何?」と言っている。

文章を書くのは好きだけれど、今、文章を書くのが辛い。