夏、回顧

ごきげんよう、大遅刻しました、あやめでございます。大変申し訳ございません。スッカリばっちり忘れておりました。ごめんなさい。お詫びに今回は長めに書いてみました。

その期間とは別に熱中症になってしまいまして、しかも数日ひいひい言っておりました。軟弱。

夏に吹く風、とくにここ数年のは、涼しい心地いいものでは到底なく、密度が高いような感じを受けますね。それに吹かれてあちちになって、熱中症になったのでしょう。エアコンの呼気が気持ち良すぎて部屋に引きこもっていたせいで、夏の風がこんなに高濃度だと忘れておりました。

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友人に、「なぜおまえの人生は、〈お前の人生〉なのに〈お前が主人公〉で展開されないんだ」という趣旨のことを言われた。

いわく、私は私の人生のなかで「主人公」ではなく「観察者」をやっているらしい。自分自身が私の人生という小説の、〈地の文〉として存在してゐるような、あるいは普通「一人称」の人生を、(視点固定ではあるが)三人称で生きているお前が理解できない、ということだった。

友人の言うことはおおむね理解できる。たしかにネ。私は距離をもって自分を見ているのかもしれない。自分(現実世界のアバター、動く人)と自分(メタ視点を持っている・アバターを操作する人)が存在してゐるような、そういう遠さがあるようだった。それをゆびさして、理由を述べよと言っているのだと思う。理由を説明できるほど成熟していない私は、かわりにこんな風に世界がみえていますヨと言って見ることにした。友人も変わり者で、その話は大いにウケた。

アバターとしての私及びそのステータスは、操作する私にとってかなり厄介である。とくに「まっすぐ」に弱い。まっすぐ、切る・貼る・書く・立つ・歩くなどのことはできないし、投げる・蹴る・打つ・飛ぶのような「接地面から離れる行為」はより一層できない。マヌケで弱虫けむしで、操作性が悪くて、簡単に傷がついて、うまくいかないアバター。私はそれを嫌っているらしかった。理論的にはうまくいくはずのことが、このアバターを使用したら全然うまくいかない。これがもどかしいらしかった。

私の書く文章が「観察」に基づいていて、それが「個性」として認められるとしたら、それは私の「操作する人」が評価されたことになるだろう。だからあなたは、斜に構えた、ひねくれて可愛げのない、拗ね者の私を大いに褒めてくださいね。「操作する」方の私はきっと、ほめ言葉を簡単には受け入れられないだろうから、大げさでくどいくらいに言ってやってください。もちろん外側の、アバターとしてのマヌケの私はすぐに大喜びですけれど。やったあ!

マアそんなわけで、自らを咀嚼しなおすために・自分に向けた「自伝」(日本国語大辞典によれば自伝とは自叙伝、すなわち「自分の生い立ちや経歴などを、自分で書いたもの」だというから、これから書くものは自伝未満であるかもしれないが)を書いてみたいと思い立ったのはもう、数年前のことである。本当は琵琶法師みたいなひとに語らせたいようなものを書きたいと思った。自伝であるくせ、軍記物語とか、歴史物語のように、遠い未来の他人が書いているような遠さがあるものにしたかった。であるから、試みにあなたは、これを読むあなたのなかの琵琶法師みたいなひとに語らせながら読んでみてほしい。決して「あやめ」が語っていると思わないでほしい。ただ、私の文章を読んだ方は往々にしてこのヘンテコを「落語を聞いているようだ」と形容するので、いつもの如くに書けば、そのようになると信じて書いてみた。そう思うと、何か、会話劇の台本が、誤って流布しちゃったようなつまらなさを伴って、読んでいただきたいわけである。言わずもがな自分語りの羅列で、これを機に私を嫌いになる方もいらっしゃるだろうが、それを小説未満の断片の間に配置することで、さもこれも「小説になりかけの断片のひとつ」みたいにして、語りかけてみる。応答があるだろうか。うまくいくだろうか。わくわく。

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再三申し上げているとおり、私は高校時代不登校児(児?)をしておりました。誰かにいやなことをされた、とかというよりは、自分が作った「高校像」と現実の忙しい高校生活とのギャップにやられて目をバッテンにしていた、という具合でありました。それはほんの、もらってくるプリントやら宿題やらの量がおおすぎる、という具合の、些細なことで決壊して、もうすべてがダメになってしまいました。通うことも、高校生として在ることも、全部がむりなことに感ぜられて、あ、私は高校生になれないのか、と思っておりました。確かに私は文化祭とか体育祭とかの「祭」がみんなきらいでした。高校生が心血を注ぐイベントはみんなおもしろくないとおもっておりました。仲間外れがバレるからです。たとえばわたしは、以下のような思考を展開するユニーク個体でありますが、過去の私は「ユニーク」を「唯一無二」とか「めずらしくておもしろい」という意味ではなく、「特異」「奇抜」「外れ値」「規格外」と理解しておりましたから、ユニーク個体だとバレるのはなんとしてでも免れたかったのです。

さて思考内容はこうです。

いつもうまくできないため、アルバイト先の同僚に質問してみることにした。うまく質問できるだろうか。いつもは、突拍子もない質問だね、と笑われてしまう。今日こそは正しい質問ができると信じたい。

「みかんのかわを、うまく剥く方法を教えてください。いつも、ぼそぼそ、ちぎれてしまって掃除が大変です。」

同僚は大笑いした。おや?このような反応が得られたということは即ち、今回も実験は失敗だということだ。

「みかんのかわを、そ、そんなに真面目にむくひと、いないって」

同僚の一人が、笑い声の隙間にこんなことばを配置した。

私は、みかんの、かわを、まじめに、剥いているのか?

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以前から、気になってしょうがないことがある。椅子に座った際に林立する脚の見方である。個体によって脚の処し方が違う。組む者、投げ出す者、内股、足首の辺りで交差させる者…衣服や靴も、素足かどうかもばらばらである。どのように見るべきなのか。何の暗号だろう。どのような情報が発信されているのか。どのような理論で組み立てられたのだろう。なぜその選択をしたのか。知って理解して、私も仲間に入れてほしい。それで、友人に耳打ちでコッソリ相談したら、意味が分からないという顔をされて、話を流されて、終わってしまった。

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School(学校)、というのは、古代ギリシャ語の「ひま」を意味する「スコレー」に由来する言葉だよということを学んだ。そう考えると、学びというのは大前提、「遊び」によって形成されなくては、本質・定義に反するのではないだろうか。我が人生に一片の悔いなし!といって元気に(?)死を迎えるには、そういう「あ~たのしかった」という感じが残っていてほしいと思い、また、私にはそういう「スコレーな学習」が必要不可欠だと思う。本当は学ぶのがすきだから。誰にも言えないけれど。

このような自分を見て、不登校の原因はおそらく、みんなと一緒にあそびたかっただけの、さみしいみたいな気持ちを発散する場も機会もなくここまで来てしまった幼稚園児の私が、小学、中学を通り越してようやく顔を出した、みたいなことだったのだろう、と今では理解しております。なんで仲間外れにするんだい!あたいも仲間に入れてくれやい!みたいなことでしょう。たいして「変」でもないのに、私の定義する「ふつう」枠から自ら外れていたせいで、自らのパラドックスみたいになっていたのかもしれませんネ。そのエネルギーだけあって、肝心の訴えはもはや自分にもよくわからないほど大きく成長してしまい、あるいは「こんなことを思考している自分がゐてはならない」みたいなちょっとしたプライドが邪魔をして、核となる訴えそのものが見えるようになるのにながらく…4年も時間を要しました。

こんなことを、私特有の悲しい記憶として、「特殊」として捉えてもらえても、ごくごくよくあるありふれた、「普遍」と捉えてもらえても、私には嬉しく思えます。あなたが読んでくれているので。むしろ、どちらの見方もできるように書いてみたいとすら思っております。どちらか一方に傾いているのなら、それは私の研究・勉強・技量不足だということであります。

この特殊ということを、大人になって、イタくてとても書けなくなってしまう前に、まだ、若気の至りねと許してもらえる内に、書いてしまいたかったのです。誰かに見てもらいたい、というより、どのくらい通用するかしないかを実験・観察してみたかったのです。

私は初回のブログでこんなことを申しておりますが、ここまで見てきたとおり、やっぱり本当は見てもらいたくて仲間に入れてもらいたくて、たまらなかったはずなのです。特殊、と分別顔で申しておりますが、やっぱりわたしだってふつうなんですよ、という透けて見える訴えがあるような気がして恥ずかしいですね。その「訴え」はおよそ、この3年で書いてみてきた断片の端々に見えるものと同じで、なおさら恥ずかしくなりました。3年ぽっちじゃ、何も変わらないことがよく、わかりました。

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いままでのブログで「このことは追々語りましょう」とか言って言い逃げしている事柄がいくつかあって、それを回収しないまま卒業するのは実にまずいことだと思ったので、今回は回収第一弾と思って書いてみましたが、苦くてまずいつばがたくさん出ました。全然うまくいかなかった。しょんぼり。炎天下に化けて出て、溢れんばかりの太陽光エネルギーにやられて一瞬で蒸発する本日のオバケでした。ごきげんよう。

目標は時間を大切にすること

 こんにちは、こんばんは。

カレンダーを見るたびに8月が終わりかけているのを実感し、絶望しているりさ🎧です。

みなさん、夏休みいかがお過ごしでしょうか?

 私はアルバイトが16:00以降に出勤のシフトなため、12:00過ぎに起きてご飯を食べ、ゲームをしアルバイトの準備、16:00(その時々ですが)頃に家を出て出勤。23:00までには帰宅し、やることを終わらせ、各SNSを見て、25:00過ぎに寝る。このような夏休みの過ごし方をしています。高校時代の先輩方は大学生になって、たくさん遊んでキラキラしている様子をインスタに投稿してたんだけどな…私は体力がないのでカレンダーに「アルバイト」の5文字があるだけでその他の予定を入れるのに熟考してしまいます。私はスケジュールを立てるのに際して先にアルバイトのシフトを決め、そこから遊ぶ予定などを入れるので毎月一定の収入があるのに対し、1日に複数の用事が入ることがあまりありません。ですが先日、サークルの活動日とアルバイトが重なり、退勤する頃には何とも言えぬ疲労感に襲われ、その日はすぐにやることを終わらせたのちにそそくさと布団に入りました。授業がある日は1限から大学に行きアルバイトで23:00近い帰宅になってもなんてことないのになぜ夏休みというだけでこんなにも疲労感に襲われるのでしょうか。猛暑のせいということにしておきましょう。社会人のみなさんに尊敬の眼差し…

 さて、週明けから所属しているオーケストラの合宿が始まるのですが、まだパッキングをしていないと言う事実。受け入れたくないですね。自分が悪いんですけれども。とりあえずシャンプーとリンスをトラベル用の容器に詰め替えるのが億劫なのでトラベル用(せっかくなのでいつものとは違うブランド)のものを買いました。「アルバイトしてるし、贅沢していこ」の精神です。でもお金は母が出してくれました。ありがとう、お母さん。買い物に出たことに満足し、ギリギリになって気持ちは焦っているけれどそんな素振りを全く見せないのが私☆行けば楽しいのはわかっているけれどそこまでの準備に時間を費やしています。みんなどうやって実行しているのだろう??と思いながら重い腰を上げ、なんとか衣類やスキンケアなどの今準備できるものは一か所にまとめて置いてあります。あとはキャリーケースにそれらを入れるのと、ヘアアイロンなど家出るギリギリまで使うようなものを入れるだけにしてあります。ただ、帰ってきたときの荷解きにも時間を要するのでいつも母に怒られます。ごめんね、お母さん。いつもありがとう。

 あっという間に過ぎてしまった夏休みの前半。今のところの思い出は高校の友達と行ったディズニー、那須塩原、白川郷の日帰り旅行、大学の友達と食べに行った桃のパンケーキ。後半にはサークルの合宿と大阪旅行があります。夏休み前半はアルバイトを入れすぎたので、後半はほどほどにして一人旅や読書、資格の勉強ができたらいいな、と思っています!

なんだかまとまりもないし短いのですが、合宿前だもんね、という暖かい目でご覧いただければと思います。

 本日は夏休み前半、あっという間に過ぎ去ったよね。パッキングって難しいね。の2本立てでお送りいたしました。

またお会いしましょう―!!

短期研修

皆さま、こんにちは!こゆき✨でございます。
夏休みはいかがお過ごしでしょうか。気が付けば8月も後半戦で、スーパーや100均ではお芋のスイーツやハロウィングッズが売られており、少し強引ではありますが秋を感じなければならない時期になってきましたね…。多くの大学生は9月半ばまで夏休みなので、まだ少し余裕を感じますがおそらくあっという間に夏休みが終わってしまうと思われます!笑

実は9月に二週間ほどフランスへ短期研修に行く予定があり、今は絶賛パッキング中&フランス語のお勉強中でございます。1年生の頃にフランス語を履修し、いつかフランスに行ってみたい!と思っていたところ、今年の夏休みに大学主催のフランス語短期研修が開催されることを知り参加してみることにしました!一応、勉強はしておりますがほとんど分からないので不安しかありませんが良い経験になることを願います。まあ勉強していると一丁前なことを言っていますが、自己紹介文と挨拶程度しかしていないのです…。Bonjourとmerciを元気よく言ってれば何とかなるっしょ!という完全に詰めが甘い状態になっております。フランス語の先生からはとにかく黙ってしまうのが一番よくないことであるため、分からない場合は英語でも良いから分からないことを言葉にする努力をしよう!というアドバイスを頂いたのでとにかく間違えても良いから自発的に会話をするように努めていこうと思います。楽しいことも多いと思われますが、残念ながらパリではスリが多いことでも有名なので自分の身は自分で守る努力をしていかなくてはなりません。安全第一に研修を楽しんでいこうと思います!

まだまだ暑い日が続きそうですね💦

お互い体調管理には気を付けていきましょう!

それでは良い週末を~!

不思議と言えば

夏になると怖い話を読みたくなりませんか?

小学校の時の自由研究で「怖い話は本当に体温を下げるのか」という実験をしたくらいには怖い話が好きです。しかし怖い映像とか心霊スポットに行くとかは本当に嫌いです。あくまで話。あくまで文字で読むのが大好きなだけで。

そんな私は毎年夏になると決まって意味が分かると怖い話や洒落にならない怖い話(通称:洒落怖)を読んでいたのですが、巷にある有名作品はほとんど読み切ってしまったのです。ですから今年の夏はカクヨムという小説投稿サイトでホラー作品を漁っています。今映画化している「近畿地方のある場所について」もカクヨム発です。ちなみにこの作品も2年くらい前にTwitterでバズったのをきっかけにメディア化までいったのですが、その前から読んでいましたと古参アピをしておきます。

そんなわけで今は脳内が絶賛怖い話モードなんです。

自分の何気ない日常も頭の中で怖い話風にナレーションしてしまう。

なので本日は私が先程体験してきた不思議と言うか意味の分からないお話をしようと思います。一応言っておきますと、心霊現象とかではないので全く怖くないです。

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大学四年の夏休みは想像していたよりもだいぶ忙しい毎日でした。卒論は勿論、遊ぶお金欲しさのバイトに友人との予定、それに加えて内定先に指定された資格を取るために講座にまで通う必要があり、今日も朝早くからお昼過ぎまで講座を受けるために塾のような施設に行っていました。

講座を受けると言っても大人数で前のモニターに流れる映像授業を見るだけです。たまに監視の人が教室に入ってきますが、それ以外はみんなスマホを見たり、寝ている人もいたり。お盆開けなこともあって周りも集中はしてなさそうでした。

かくいう私もあまりやる気は起きず……。教室の後ろの方で時折スマホを眺めながら講義を聞いていました。

教室の出入りも基本は自由で、お昼も過ぎて少し眠くなってきたところを眠気覚ましのため私はお手洗いに行くことにしました。

建物自体もお世辞にも新しいとは言えないのですが、一番古さを感じさせるのがトイレです。別に汚くは無いのですけれど、施設の奥にあることもあって電気を付けても若干暗く、入りずらい雰囲気です。

個室の中で教室に戻るの面倒だな、と思いながらぼーっとしているとトイレットペーパーホルダーのカバーが目に付きました。見たことない方には伝わりにくいかもしれないのですが、よくおばあちゃん家とかにあるトイレットペーパーホルダーの上に花柄やなんやらのおしゃれな布のカバーがかかっているやつです。

ふだん気にしないものですから、カバーがかかっていたということにもその時初めて気付いたというか認識しました。別に特別なものではない、一般に売っていそうなカバーです。しかし眺めているとあることに気付きました。

カバーの縫い目のある一辺の上がホッチキスで端から端まで止められているのです。

糸がほつれたから応急処置として止めているのかな?と思い、カバーの縫い目を確認しましたが糸のほつれやそれによる穴も見つからず。またその箇所をホッチキスで止めたからといって新たな機能となるようなポケットが出来るわけでもなく。

気になってほかの個室のトイレットペーパーホルダーのカバーを見てみましたが、すべてある一辺だけホッチキスによって端から端まで止められていました。

一番濃厚な説を挙げるとしたら、ミシンで縫う前に仮止めとしてホッチキスを使い、そのまま外すのが面倒で使用しているでしょうか。しかし見た目では市販品のようでホッチキスの点以外で手作り感は全くありませんでした。

別に誰かに真相を聞くような話でもないので、そのまま教室に戻りましたが、あのホッチキスは一体何のためだったのでしょうか。

〜癒され動物特集〜

どうもー!
岩手行きの夜行バスをネカフェで待ついのりです🧸

次回、岩手旅行についても書きますね。福田先生主催の旅行なんですよ!
初めての土地に、グルメに、とっても楽しみです♡

先日、東武動物公園へ行きました!
メンバーは近代自主ゼミの先輩同期後輩たち。学校だけでなく、プライベートでもちょこちょこ会って飲み会したり、遊びに行ったり。
つくづく仲良いなぁと思います。

今回は動物のベストショットを公開します!今日はぜひ、東武動物公園にいた動物たちに癒されて帰ってください〜

裏話

実は私、東武動物公園に行く前は、動物かぁ……う〜ん……と思っていました。

一部から怒られちゃいそうですが、動物はそんなに好きじゃない。怖いし、動物園は見るだけだし……。

しかし今回、動物を上手にカメラに収めよう!と決めて回っていたので楽しく回れました。

そして、帰り際にはまた動物園に行きたいとも思いました。テーマを決めて回るといつもよりワクワクしますね!またやろうと思います。

ではでは、写真を大公開✨

ホワイトタイガー

\ぐで〜/
ホワイトタイガーの赤ちゃんです。生まれて10ヶ月でもうこんなに大きい!

\お水をぺろっ/ 
網越しから、赤ちゃんのお母さんです。

シタツンガ

「あ!シカだ!」って言ったそこのあなた!

はい、私でした😅
この子は、“ウシの仲間”だそうです。立て看板に見透かされて、先輩と大笑いしました😂

シワコブサイチョウ

\じ〜っと/ 
こんな近くで見られるなんて!自分たちが檻のなかに入って観察できちゃいました。 艶やかな真っ黒い羽が美しいです。

キリン&エランド

\のほほ〜ん/ 
ちょっと離れたところにいたキリンとエランド。ここではおっとりとした雰囲気が流れていました〜癒しです。

ホンドタヌキ

\ぷにっ/ 
2枚目をよ〜く見てください。
ほら、可愛い肉球が!手を挙げてくれました。可愛っ♡

アカゲザル

\ぶら〜ん/ 
これ、なかなかのベストショットじゃないですか!?遊具で戯れている子ザルさんたちは可愛かったです♡

ヒグマ

\スヤスヤ/ 
小さな子が泣き喚いている声が聞こえて覗いてみると……ガラス越しでも大迫力😳
これは泣きますわ。スヤスヤ寝ていたので、写真は撮り放題でした!

可愛い動物たちに癒されてくれましたかー?
動物たちを写真に収めるのはとっても楽しかったです〜!

スマホでカメラ撮る習慣ができたら、カメラも買いたいなぁって思います。

だって、カメラ持ってたらかっこいいじゃないですか(笑)
バイト頑張らなくちゃ。

ではまた。

いのり🧸

おまけ

お盆にいとこがカレーを作ってくれました!

実はいとこも日本女子大学に通っているのです。調理実習で作った料理を振る舞ってくれました。

いとこによると、このメニューは先生が生徒だった頃より、ずっっっと前からあるのだとか!

辛いけど、甘い!とってもおいしいカレーでした✨

鶏肉にもカレーの味付けが!ニンジンがすり下ろされていて甘いっ!
また食べたいなぁ

あひる2

こんにちは。

最近ちょっとした現実逃避口として『薬屋のひとりごと』(小説版)を読んでいます。いまは10巻を読み終えたところなのですが、なんと!ののさんの大好物あひるさんが登場しました!!

私のあひる好き歴はまだ短いのですが、まさにあひるファンになった瞬間が以前アップしたこちらのブログからお読みいただけます。

2024年4月21日「あひる」

https://mcm-www.jwu.ac.jp/~nichibun/blog/index.php/2024/04/21/

『薬屋のひとりごと』は植物、薬、毒に関する知識が満載で、中華古典テイストのミステリーです。ちょっと前にアニメも放送されていて、続編の制作も決まっているようです。私が『薬屋のひとりごと』を知ったのもアニメがきっかけでした。ちなみに小説の10巻はアニメ化している部分の大分先の話です。早くかわいいあひるさんがよちよちと歩いている姿をアニメで見たい!

しかし、『薬屋のひとりごと』は薬に毒に草に、の話ですから、まさか作中にあひるさんが登場するとは思ってもいませんでした。なんたる幸運!白くて艶のよい丸々とした体、つぶらな瞳、フリフリされる尻尾。想像するだけでなんとかわいらしいことでしょう。作中では「家鴨」と書いて「あひる」と読むのですが、「家鴨」の字を見るたびに私の脳内ではあひるフィルターによって120パーセントかわいくなったあひるさんがよちよちと再生されます。

しかも、老若男女、性格を問わず、あひるさんと一緒に描写されるだけでそのキャラクターが本来持つ真面目さ、強さ、硬さ、性格の難さが柔らかくなるのですから不思議なことです。

ちなみに私が普段肩から下げている通学カバンにはインコさんが描かれています。このカバンを買ったのはあひるファンになる前の話なので、いまはインコさんのカバンを持ったあひる好きという複雑な状況になっております。今度お買い物に行ったらあひるさんグッズを探してみようと思います。

花火大会

残暑お見舞い申し上げます。
皆さま、いかがお過ごしでしょうか?こゆき✨でございます!世はお盆真っ只中ですね。私も先日お墓参りに行かせていただきました。そして、こんな暑いにも関わらず暦の上では秋を迎えていることに驚きが隠せません…(笑)引き続き水分補給をしっかりしなきゃですね。本日は先日に行った花火大会についてご紹介いたしますので最後までお読みいただければ幸いです!

先日、母親・叔母・祖母たちと一緒に花火を見に行きました。実は幸運なことに私の祖母の家のベランダから花火を見ることが出来るので、会場にわざわざ行かなくても家の中で見れるという点が唯一の自慢でございます。叔母と会うのは約6年ぶりで昔は従妹たちも集まっていましたが、仕事や子育てが忙しく今年も集まれないかなと思っていましたが、花火が終わった後に従妹たちが祖母の家に遊びに来てくれたおかげで初めて従妹の子供に会うことができたのです!!従妹の子供は11か月で、私が抱っこをしてみたらギャン泣きされました💦やっぱりお母さんやお父さんが良いみたいですね、、、泣いている姿も愛おしく、赤ちゃんの生命力の強さを実感することができました。また、小さい時はよく一緒に遊んでいた従妹がお父さんになったと思うと何だか感慨深いですね…新しく家族が増えてくれたおかげで賑やかになりそうです!なかなか会うことができないので、おそらく次に会ったときはランドセルを背負っている年頃なのではないかと思う今日この頃です…

気が付けば8月も折り返し地点、、、洋服屋も秋物を売り始めている…いや!まだ8月も折り返し地点!!まだまだ暑い夏は続きます!これからも体調には気を付けながら夏を楽しみましょう~

引き続き、良い夏休みを~!

AM03:38


空っぽになったスナック菓子の袋と目が合う

同じく空っぽのパソコン画面が私の顔を照らしだす

心は忙しないのに、書きたい言葉はなにも浮かばない

そういう日。

夏、逡巡

ごきげんよう、あやめでございます。

お盆期間になって、祖父の家から大学に通っている弟が帰宅しました。庭の木を切ったりして活躍していました。得意顔でした。

一方の私は「最後の夏休み」を過ごしております。さいご、なんて自分で言っておいて悲しくなって参りました。それを題材にして書いてみました。息抜きのつもりで書いたのに、肩ひじ張ってしまったのか、へたになってしまいました。無念。

太陽が、この時を待ち望んでいた!とでも言いたげに燦燦と陽光を降らせている。つい数時間前までは土砂降りの大雨で、大きな傘でも凌げなかったほどなのに。台風が過ぎ去った今はもう、刺すほどの光で満ちている。

あまり強い光は、青空のあおを引き立てて日向を照らすけれど、その分影もくっきり濃くすることが、照り返しの強いアスファルトの上を歩いて初めて分かった。喧騒の大都会でしか得られない空気を吸って歩いている。

大学生で4回目の夏休みが目前に迫っていた。季節はせりあがるような夏を告げていた。水遊びが似合う夏。最後にかこつけてはじけるように遊ぶ夏。友人はみな、旅行とレジャーに忙しそうであった。けれど卒論が書き終わりそうもない私の気分はどこか、重く怠い感じがした。青信号が点滅する横断歩道で、先ばっかり見て最後の夏休みを遊びきれない私を仲間外れにするように、終業式を終えたらしい小学生の集団が駆けて行った。信号は私を通せんぼして、すぐさま車が往来した。ランドセルたちはすっかり遠くなってしまった。手持ち無沙汰なので、もっていた雨傘をくるくるしたらボタンが外れてしまった。あわてて巻きなおした。

巻ながら、季節を捉えること、もっと言えば「今が何月であるのか」を捉え続けることがむずかしく思う、そういう感性をしているなと思った。ふとした瞬間に「アレ、今日って何日?」と聞かれて、日付どころか何月だったかも、まるごとスッカリ抜け落ちることがよくある。まるでそれは、自分が今いる地点の緯度、経度を問われるような唐突さに似ている。ああそうだ、今日は7月18日、とわかってから、襲うように「暑さ」に見舞われることもある。もちろんこれは、心地よい湿度気温に保たれた屋内で起こることである。今のように凡ての毛穴をハイジャックされて暑さを埋め込まれて、それでも前進しなければならない時には当てはまらないが。パッと、信号が青に変わった。一方通行の標識がある、車通りのすくない道に入った。

自分の人生を、一方通行の四季に例えることに違和感があった。うまれたてを若葉として、老いるところを枯れ木としたら、人生は春から冬に向かって流れていくと教わった。エネルギーに満ちた学生時代は「青春」と呼ばれて、甘くて若くてみずみずしいのは「青春」の特権だという流れがあるように感じた。でも学生のはずの私の今は青でも春でもない。私にあるのは梅雨のジメジメした不快な暑さと、何もない極寒の冬だけだと思っていた。なにを成し遂げたわけでもない。なにをしたいでもない。そこにあった道を、おや、と思って何気なく、寄り道多めで歩いているだけだった。それを急行電車に乗った級友は通り越す。そんなふうに、青くて若い、まわりのエネルギーに負けて萎びた私には、居場所が無いようにおもった。

それは時に「あやめちゃんって彼氏いないん?」という発言にどぎまぎすることだったし、時に「卒論おわんなくね」という言葉にドキドキすることだったし、時に「一緒にプール行かない?」という誘いをいかに断ろうかと逡巡することだった。プールの横を通り過ぎた。黄色いような声が上がった。顔に水がかかったのかもしれない。浮き輪がどこかへいってしまったのかもしれない。近所の川でもおなじような声をよく聞くなと思った。水を浴びるということは黄色い声と切り離せないのかもしれない。私はながらく、冷たい水につかっていない。やっぱり、私はわかくないのかもしれない。

相変わらず、太陽は燦燦だった。またも大通りへ出た。ながくて重い、じゃまなしっぽを引きずるように歩きながら、ふと、このしょんぼりを「台風」と喩えることは、「あり」だったかもしれない、と思った。台風が去ったら、太陽がギラギラになることしか思い出せなかったけれど、台風が過ぎるごとに秋は深まるのだった。同じように、これからの私の目の前には、野心やら向上心やらといった、一方的で莫大なエネルギーを有する「生命力」が、ギラギラちらつくのかもしれないと、それだけを想っていたけれど、実りの秋が、私の豊かなおいしい季節がやってくるかもしれない。そこまで考えたら、あれだけなにをしても取れなかった、頑固汚れに似た「自責の念」が、何の因果か、すっかり落ち去って、軽やかな足取りで道を征くことができた。水遊びじゃなくても、わたしにはわたしのたのしみがあるんだ。わたしにはわたしの足取りがあるんだ。

今はしばしの台風一過。遠い南洋ではすでに次の台風が、勢力を増している。季節は無情にも巡るらしい。そうだ、季節は巡るもの。春は一回だけではないし、大人にも夏休みはあるはずだ。過酷な冬を超えるから、春の花は咲き誇るんだ。梅雨の長雨のおかげで、夏野菜はみずみずしい。人生が楽しんだもの勝ちなら、今ならその理論を信じられる気がする。スキップで帰った。

そこで、私は翌日の図書館ではなく端末を取った

『ゴヤのファースト・ネームは』、という詩があります。

飯島耕一氏による名詩だそうで、御存知の方が多いのではないでしょうか。

二年前、同志社女子大学の『ご自由にどうぞ』コーナーから引っこ抜いてきた、荒川洋治氏による『文学のことば』(岩波書店、二〇一三年七月)。私はこれを読んで、この詩に辿り着きました。

なんでも超大作のようで、全部は引用されておりませんでしたが、冒頭の、

何にもつよい興味をもたないことは

不幸なことだ

ただ自らの内部を

眼を閉じて のぞきこんでいる。

何にも興味をもたなかったきみが

ある日

ゴヤのファースト・ネームが知りたくて

隣の部屋まで駆けていた。

と、最後にあるという

生きるとは

ゴヤのファースト・ネームを

知りたいと思うことだ。

が引用されておりました。いずれも詩集『ゴヤのファースト・ネームは』(青土社、一九七四年初出)からのもののようです。

荒川氏はこの詩に関して、「何かに興味をもち、何かを知りたいと思う。それはたいせつなことであり、人の基本なのだと思う。」と述べています。

私はこれを読んで、この詩と荒川氏の述べる「人が生きることとは何か」という答えに共感すると同時に、この詩が持つ「間」の美しさに感銘を受けました。

またそれと並行して、今私たちが生きている時代は何故か必要以上に時間に追われていて、ゴヤのファースト・ネームを知るために隣の部屋まで駆ける時間も、ファースト「・」ネームと一度区切る時間も、こうして詩を編む時間も、惜しまれるんだろうなと考えるなどいたしました。

***

少し前に、「(本に携わるとしたら)エデュターになりたいのか、ライターになりたいのか」という問いかけがありました。周りの子が答える中で、私は最後の回答者になることを進んで享受し、結局私の前で時間が来たので、発言を避けることができました。

今はこのブログ部の「ライター」ですし、書く事が好きでした。しかし今振り返ると、その「好き」は一方的なもので、あまり「人に伝えること」を主軸には置いていませんでした。

四年生、就職活動。通らないエントリーシート。何枚出せども何枚出せども、祈られるばかりで、自棄になり始めた時、とある方から「今じゃchatGPTを使うのは当たり前だよ?」と言われました。

信じていただけないと思いますが、私は今年の春まで生成AIに、一度も自ら触れてこなかった人間でした。疲れ果て、魔が差し、とある企業のエントリーシートの文章を、chatGPTにつくらせ、少し自分で操作した物を提出いたしました。

結果は通過。初めての通過でした。

実力の至らなさと今までの傲慢、そして何よりAIに頼ったという自分が、非常に恥ずかしく、たまらないほど悔しくて、怒りに怒って、そして私は、文章と距離を置きました。

出来る限り、文章を打たない・書かない日が続きました。レポートや友人や先生、企業へのメッセ―ジ等でキーボードを叩くことはありましたが、その度に両手の操作が一切効かなくなる時間が一定時間発生するようになりました。

この文章を書いても伝わらないだろう、改行はどの程度したらいいのだろう、もっと良い表現があるのではないか、敬語は、挨拶はこれであっているのだろうか。今まで授業等で習ってきたことを含めて全て、文章作成における全てが疑心暗鬼となりました。

しかし、レポートも返信も、期限や人間関係、建前などというものがあり、出来るだけ早く返すべきもの、という認識が私には存在します。

その時頼ったのが、これまた生成AIでした。私はある程度文章を打ち、毎回chatGPTとCopilotに添削していただく日々がしばらく続きました。今見ると、本当に温かみがなく、堅苦しい文章だらけですが、当時はそうしないと安心して送信ボタンが押せませんでした。

その影響が普段の会話文まで浸透しかけた時に、聞かれたのが先程の、「エデュターかライターか」という問いでした。

過去現在未来、全てのエデュターとエデュター志望の方に謝罪を申し上げます。

もし、自分の番が回ってきたら、「私は自分で文章が書けないのでどちらかといえばエデュターですかね」と言おうとしていました。

しかしすぐに、エデュターこそ、最も文章の「伝わりやすさ」や「間」を追求する職業です。故に、ライター同等、それ以上の文章に対する知見が無くては務まらない職業だと考えなおしました。

そして今の私にとっては、対極にいる存在だとも。

***

私はその問いかけを頂いた日、少し渋谷をうろついて、家に帰って、久しぶりに長風呂をいたしました。スマホやパソコン、テレビにラジオから離れ、湯気や蛇口の雫にも興味を持たず、ただぼうっとしてみました。

その翌日と翌々日は休暇だったので、一日目は久しぶりにスマホに頼らず勘で料理を作り、出汁と炭薫る卵焼きを食べました。二日目は、京都では毎日のように行っていた古い洋館を巡りに行って、ずっと読みたかった『ギャグマンガ日和』を読んで寝ました。

そんな二日間を経て、だいぶ満たされた私は、ちょうどブログの更新日が今日であることに気づき、では、洋館のマントルピースが美しかったことを書こうと、パソコンを立ち上げました。

そして、いやちょっとまてと、文章を久しぶりに書くのだから、その前に本らしい本でも読んでおこうと、『ヂョンソン』『ノイマン』などの字が並ぶ「積読の棚」から『文学のことば』を取り出し、そして冒頭に戻るわけです。

私はこの詩を全部読みたいと思いました。書かれているというスペイン紀行についても、私はスペインやバスクが好きなので気になりましたし、何よりもゴヤのファースト・ネームを私も一緒に知りたかったのです。

早速、スマホで『ゴヤのファースト・ネームは』と調べました。調べてしまいました。

検索バーの下に出てくる青い線が、九割のところまで来た時、「ああ、やってしまった」と思いました。

そこに出て来たのはいったい何だったと思いますか。