ごきげんよう、あやめでございます。
先日、ブログ部ではティーパーティーが開催されておりました。私もそこに参加してまいりました。刺激的な時間になりました。後輩たちが私よりずっと先を歩いているように見えて(実際に「そう」なのだと思いますが)、おばけはあやうく蒸発するところでした。
そこでも話題になりましたし、ブログでもここ数日何人かが話題に挙げているトピックが、ゼミ選びのことであります。もう卒論執筆にまで漕ぎついている私が、もはやおぼろげになってしまっている記憶をたどたどしくたどって物語してもよいだろうか、とおもって、今回は私バージョンのゼミ選び・卒論執筆についてを語ろうか、と思います。何か、お役に立つことがあったら嬉しいです。まだ高校生で全然イメージがわかない方もいらっしゃるでしょうか。大学生ってこんないきものなんだな、と知ってもらえれば幸いです。すごく硬くて大変な内容なうえ、さっきまで卒論執筆していたものですから、文体までかたくて長くて文字ばっかりで面白くないものになった気がします。ゼミ選びに困窮している方に役立ちますように。いや本当に。
内容に先立ちまして何点かお断りしておきます。私のおぼろげな記憶のみを頼りに過去を振り返って書きました。受験形態や講義名が登場しますが、カリキュラムの変更等で名称、内容が大きく変わっているようですから、私の話は一体験談として受け取っていただければ幸いです。多分いろいろ「古い」と思われます。それから、日本文学科とその内容について、私の小さい脳みそで一生懸命解釈した内容もお話ししますが、個人の感想です。たとえば「うげ、めちゃくちゃ難しそう」と思われた方がいらっしゃったら、それは私に小難しく書いてやろうという魂胆がありますので、それにハマってしまったということになります。作文を長く書く技術に似ています。というわけで日本文学科は面白いところですのでご安心ください(無論、どの学科も楽しくて、難しいところだと理解していますがね)。
さてゼミ、の前に、私が日本文学科を選んだ理由もチラと触れましょう。もちろん、テストで国語の点数が一番コンスタントに取れていた、という現実的で即物的な観点もあります。読書自体は昔から大好きであったし、国語が得意だなと思っていたわけであります。でも、それだけではなくて、もう一つ日本文学科に行きたい理由がありました。我々の活動のすべてに「ことば」が関わっている以上、そして私が日本に住んでいる以上、日本語そのものに触れる機会はあまりにも多いぞ、と思っていました。うまく言い表せませんが、すべてを構成する「単位」として、日本語を位置付けていたんです。もっと簡単に言うならば、すべての説明書となる「日本語」そのもののルールや成り立ち、「何者なのか?」ということを知っておきたいと思った、ということです。高校までの「科目」の範囲で私が最も好きだったのは、理科でした(私が本学に入学できたのも、共通テスト利用の制度を用いてでした。今とは制度が違うかもしれませんが、当時は高得点2科目の利用だったような、おぼろげな記憶でありまして、その2科目は理科と日本史でした。国語じゃないんかい)。私が大好きな施設としてまっさきに思いつくのは上野の国立科学博物館ですし、かじりつくように授業を受けていた記憶があります。しかし、そういう理科の知識も、言葉(日本語)を用いて、私のもとにお届けされているんだよな、と想像して、私の好きな読書も、私の苦手な英語の勉強も(テストの点数は散々でした)、凡て「ことば」がなければできないことだな、と思考が進んで、待てよ、いまこうして思考していることも「ことば」が用いられているぞ、と想像して、かくなるうえは「ことば」が何者なのかを学んでおかなければ、と思った次第です。
こんな経緯で入学して、その後日本語学に興味を持ちました。入学前に思っていた「にほんごってなあに」ということを、文法的に解することや、歴史を学ぶことや、利用のされかたを研究するには日本語学を専攻するとよさそうだと思いました。さらに、日本語の成り立ちに深くかかわる中国文学や思想の分野に興味を持って、講義を履修しました。漢詩をつくってみよう、というような魅力的な演習の授業もありました。しかし、大学四年間で最も衝撃だったのは、近現代文学の入門として開講される、「日本文学の基礎Ⅱ」という講義の内容です(これも現在のものともしかしたら名称が異なっているかもしれません)。ロラン・バルトというフランスの哲学者が「作者の死」を示した、というショッキングな内容を学んで、今までの国語のテストで出題された「作者の意図を答えよ」という問題から解放された気持ちになって、すごく嬉しく思ったからです。文学を研究するということに興味を持った大きなきっかけです。ただし、このことはとても難しい概念でもあって、私もはじめ上手に飲み込めませんでしたし、周囲の友人もよくわかんないなという顔をしていて、「つまり近現代文学ってめちゃくちゃ難しそう」と言っているひとを見かけたこともありました。今後「作者の死」を勉強する方は、ちょっと頑張る必要があるかもしれません。しかしながら私は、読解という事は作者の思ったこと=正解を求めて解釈していく必要がある、と思っていたので、そうじゃないらしいぞ、という事がとても嬉しく思ったのです。
必修科目をひたすらに受講する1年生が終わり、比較的自由に時間割を組めるようになった2年生からは、以上のような興味関心から近現代文学、日本語学、中国文学(思想史)の分野の講義を中心に受講していました。
さて、ようやくゼミ選択の話に戻りましょう。当時の私は、いまだ日本語学と近現代文学で揺れていました。中国文学に関しては、私にはまだまだ知っていることが少なすぎるため研究するほどのところにたどり着けないだろうと判断して、ゼミ選びからは外していました。履修していた講義は日本語学も近現代文学も同数程度(日本語学のほうが若干多かった記憶があります)。演習の授業もやってみて、どちらも、難しくて楽しいと思っておりました。文学を研究することで最も難しく感じたのは、感想文になってはいけないということです。どれだけ私の心を大きく揺さぶっても、それをテーマにしてはいけません。日本語を研究することで最も難しく感じたのは、ことばそのものを「データ」として扱うことです。「悲しい」とくれば「しょんぼりすることで、例えばアイスが溶けてしまったときに感じるような気持ちだぞ」と自分では思うけれど、それを研究に「主観的に」持ち込んではいけないのです(アイスが溶けて、のくだりは人によっては大したことではないかもしれませんね)。いずれにせよことばを用いてことばを研究するという営みは想像以上にややこしく感じました。今仮にわかりやすくするため挙げてみたこれらの分野に対する研究の内容の解釈がいまだ「正しいかどうか」は自信がありません。こんなイメージがある、というレベルでしかありません。糸がこんがらがるような、アレ、今私なにを考えていたんだったっけ?という難しさ・ややこしさ。現在地を忘れ、ゴールを見失うような大変さがありました。
しかしながら、作者の正解を考えずに物語を解読していくことは、パズルを解くのに似た面白さがあって楽しいということにも気が付いていました。たとえば、「色」に関連する表現が、作品内でどういう用いられ方をしているのかについて考えてレポートを書いたときもありました。同じ「赤」でもニュアンスに違いはあるのか?どんなタイミングで「赤」が用いられるのか?一般的な「赤」と差があるかも?というような内容です(未熟でありましたが)。ことばをつかってことばを研究するのは、説明が大変で自分でもこんがらがるけれど、本質や内容の核の部分に近づく作業に思えました。
卒業論文は1年もの間(と2年次の私は誤解していましたが、実際卒論に費やした期間は2年間でした)、一つのテーマに向き合うため、少しでも好きなものを絡めることが肝要だと教わりました。それでは、今までも読書が好きだったわけだし、これまでの講義の中でも特に衝撃が大きかった近現代文学の分野で勉強したいぞ、と思って、近現代文学ゼミに入りたい、と決断しました。
ここからは卒業論文を書いて考えたことを述べましょう。私は文学を構造面から捉える、という内容で論文を書いています(もう少しで書き終えられるところです)。いろんな先輩方が「好きなもので書くべき」とおっしゃっていましたが、それは取り組みやすくするための工夫だったようです。私は愛読書があるとか、大好きな文豪がいるとか、そういうわけではありませんでしたから、テーマ決定の時もかなり苦労しました。先行研究が膨大過ぎても少なすぎてもやりづらいし、本文が長すぎても短すぎても難しいと(これらのことは「邪念」でしょうが)思ったりで、いいものは見つかりませんでした。そこで、これまでの講義で一回扱ったことがある作品を選んでみようと思いました。読書経験が豊富で、その中から愛読書を選ぶことができたならば「好き」なものを研究できたのでしょうが、あいにくそういう一冊が思い浮かばなかったのです。そして、1年次に履修した講義で扱った、そしてその際にあんまりよくわからないと思った引っかかりのある作品を選びました。結果、よくわからない、の部分を研究して、結論らしきものを出せたので、私としては良かったかなと思います。こういうアプローチもありますよ、という参考になれば。
おまけ。蛇足。研究内容についてディープに語りましょう(私がさっきまで卒論執筆していたので)。構造、というのは、建築物の構造…基礎、土台、梁、柱、屋根、外壁…もっと詳しく?根太、小屋束、棟木、茅葺?…をイメージしてください。物語の構造と言えば、作品発表年代、発表媒体、形態、作者、受賞歴、登場人物、作品内時間、視点人物、舞台設定、仕掛け…などが挙げられましょうか(もっと、いくらでもありますよね)。私は「どうなっているの?」ということを分解して私の中で再構築して理解する、という流れで解明することが好きなので、これを卒論でやってみた、ということです。具体的には、作品内の時間の進行が一定じゃないもの(回想が挟まったり、会話をきっかけに過去の描写が始まったりするもの)を、時間ごとに整理して、その並びであることにどのような効果があるのだろう?ということを研究したつもりです。また、私の研究対象は芥川賞受賞歴がありますが、選評において全くの不評な部分が存在しました。口をそろえて「この描写は蛇足(意訳)」みたいな評価をしているのです。その部分が「本当に蛇足なのか」ということを、構造や効果の面から再評価するというのが内容です。積み木を組み上げる感覚で論を書くことができて、たのしかったな、ということです。
以上、私版のゼミ選択についての言説でありました。よくわからなかったですか?それとも頷いてくれている?もし、この文章を読んで「おや、おもしろそうだぞ」と思って下さった素敵なあなた!がいらっしゃるなら。私のこんなうす~い内容の本文じゃ物足りないでしょう!ぜひホームページをみたり、他の方のブログを読んだり、本学科に入学してみましょう!きっとすべてがわかるはず!答え合わせをするべくぜひ実際にいらして確認してみてはいかがですか!…胡散臭い?あからさまな勧誘はお嫌?私としては、日本文学科で学んだことは、思考の核となる概念を学ぶこととか、その筋トレになっていた気がして、とても楽しくて刺激的なものだったと思っております。たのしかったな、ということです。こうやって、さらさらと4千字を書けるようになったのも、おばけらじおを書けるようになったのも、その技術を得たのも、日本文学科で学んだことを使っているのですから。