ごきげんよう、あやめでございます。
お盆期間になって、祖父の家から大学に通っている弟が帰宅しました。庭の木を切ったりして活躍していました。得意顔でした。
一方の私は「最後の夏休み」を過ごしております。さいご、なんて自分で言っておいて悲しくなって参りました。それを題材にして書いてみました。息抜きのつもりで書いたのに、肩ひじ張ってしまったのか、へたになってしまいました。無念。
光
太陽が、この時を待ち望んでいた!とでも言いたげに燦燦と陽光を降らせている。つい数時間前までは土砂降りの大雨で、大きな傘でも凌げなかったほどなのに。台風が過ぎ去った今はもう、刺すほどの光で満ちている。
あまり強い光は、青空のあおを引き立てて日向を照らすけれど、その分影もくっきり濃くすることが、照り返しの強いアスファルトの上を歩いて初めて分かった。喧騒の大都会でしか得られない空気を吸って歩いている。
大学生で4回目の夏休みが目前に迫っていた。季節はせりあがるような夏を告げていた。水遊びが似合う夏。最後にかこつけてはじけるように遊ぶ夏。友人はみな、旅行とレジャーに忙しそうであった。けれど卒論が書き終わりそうもない私の気分はどこか、重く怠い感じがした。青信号が点滅する横断歩道で、先ばっかり見て最後の夏休みを遊びきれない私を仲間外れにするように、終業式を終えたらしい小学生の集団が駆けて行った。信号は私を通せんぼして、すぐさま車が往来した。ランドセルたちはすっかり遠くなってしまった。手持ち無沙汰なので、もっていた雨傘をくるくるしたらボタンが外れてしまった。あわてて巻きなおした。
巻ながら、季節を捉えること、もっと言えば「今が何月であるのか」を捉え続けることがむずかしく思う、そういう感性をしているなと思った。ふとした瞬間に「アレ、今日って何日?」と聞かれて、日付どころか何月だったかも、まるごとスッカリ抜け落ちることがよくある。まるでそれは、自分が今いる地点の緯度、経度を問われるような唐突さに似ている。ああそうだ、今日は7月18日、とわかってから、襲うように「暑さ」に見舞われることもある。もちろんこれは、心地よい湿度気温に保たれた屋内で起こることである。今のように凡ての毛穴をハイジャックされて暑さを埋め込まれて、それでも前進しなければならない時には当てはまらないが。パッと、信号が青に変わった。一方通行の標識がある、車通りのすくない道に入った。
自分の人生を、一方通行の四季に例えることに違和感があった。うまれたてを若葉として、老いるところを枯れ木としたら、人生は春から冬に向かって流れていくと教わった。エネルギーに満ちた学生時代は「青春」と呼ばれて、甘くて若くてみずみずしいのは「青春」の特権だという流れがあるように感じた。でも学生のはずの私の今は青でも春でもない。私にあるのは梅雨のジメジメした不快な暑さと、何もない極寒の冬だけだと思っていた。なにを成し遂げたわけでもない。なにをしたいでもない。そこにあった道を、おや、と思って何気なく、寄り道多めで歩いているだけだった。それを急行電車に乗った級友は通り越す。そんなふうに、青くて若い、まわりのエネルギーに負けて萎びた私には、居場所が無いようにおもった。
それは時に「あやめちゃんって彼氏いないん?」という発言にどぎまぎすることだったし、時に「卒論おわんなくね」という言葉にドキドキすることだったし、時に「一緒にプール行かない?」という誘いをいかに断ろうかと逡巡することだった。プールの横を通り過ぎた。黄色いような声が上がった。顔に水がかかったのかもしれない。浮き輪がどこかへいってしまったのかもしれない。近所の川でもおなじような声をよく聞くなと思った。水を浴びるということは黄色い声と切り離せないのかもしれない。私はながらく、冷たい水につかっていない。やっぱり、私はわかくないのかもしれない。
相変わらず、太陽は燦燦だった。またも大通りへ出た。ながくて重い、じゃまなしっぽを引きずるように歩きながら、ふと、このしょんぼりを「台風」と喩えることは、「あり」だったかもしれない、と思った。台風が去ったら、太陽がギラギラになることしか思い出せなかったけれど、台風が過ぎるごとに秋は深まるのだった。同じように、これからの私の目の前には、野心やら向上心やらといった、一方的で莫大なエネルギーを有する「生命力」が、ギラギラちらつくのかもしれないと、それだけを想っていたけれど、実りの秋が、私の豊かなおいしい季節がやってくるかもしれない。そこまで考えたら、あれだけなにをしても取れなかった、頑固汚れに似た「自責の念」が、何の因果か、すっかり落ち去って、軽やかな足取りで道を征くことができた。水遊びじゃなくても、わたしにはわたしのたのしみがあるんだ。わたしにはわたしの足取りがあるんだ。
今はしばしの台風一過。遠い南洋ではすでに次の台風が、勢力を増している。季節は無情にも巡るらしい。そうだ、季節は巡るもの。春は一回だけではないし、大人にも夏休みはあるはずだ。過酷な冬を超えるから、春の花は咲き誇るんだ。梅雨の長雨のおかげで、夏野菜はみずみずしい。人生が楽しんだもの勝ちなら、今ならその理論を信じられる気がする。スキップで帰った。