夢見が悪いのか

こんにちは、ごきげんよう、あやめです。もうこの挨拶無しではやっていけなくなりました。風邪をひきました。無茶したら体にハッキリ出るので、いいような、わるいような。

◆◆◆

「何をやったんですどうしたらそうなるんです今私が目を離したこれだけの時間であなたは、どうしてこんなに問題を作れるんです!?」

駅で友人を待っていたら向こうから、神経質な男の声がした。私は、といえば、その声に集中しつつ、しかしそちらには一瞥もくれないで、スマホをいじっている。よく見渡したわけではないが、まわりも似たような反応だったように思う。ちら、とそちらを見て、あとは興味を失った風を装っている(あるいは本当に興味を失っている)。

「ああもうここはいいですから、あなたあっちやりなさい」

きっちり分けて固めた髪も敬語も崩れかかって、焦燥し切った声である。駅員さんなのだろうか?仕事をしている風である。叱られている様子の相手は死角にいてこちらからは見えない。あらかた、こんな大衆のど真ん中で大声で責め立てられてしょんぼりしていることだろう。

怒り、そとから見ると多少滑稽に映るのは何故だろうか。必死だから?感情的になっているから?それは「人間的」とか「人間味があって良い」とはどんなふうに違うだろう?私があんまり他人に怒らないからそう見えてしまうだけなのか。でも、そんなに大きな声を出さなくても聞こえているし、めくじらたててキィキィ言っている間に改善策を提示した方が速いし、ミスを犯した人も萎縮せず、とりあえずその場の問題[error]は脱せるし、その後で教育をすれば良いのではないのかな、なによりなんでその人を「信用」したのか?わざわざ人間にお仕事を頼むのだったら、はじめから失敗することを計算に入れておいたほうが、きっと疲れずに済むだろうにな。ヒューマンエラーのことを知らないのか?いや、そもそもそれは体力が限られている私の考えであって、彼は疲れることはどうでもいいのかもしれない。

凡そ、怒りに任せた判断は誤りが多い。と思う。私が怒られて、その時に得られたことは、この人は、この行動をすると「怒る」のだな、という(なかば諦めのような)学習だけだった、と記憶している。やさしさ、とか、考えに共感・共鳴して、その結果怒った人……発信者とでも名付けましょうか?の言うことを守っているわけではない、のだと、おもう。こういうと、昔、小学生の頃国語の教科書にのっていた、『カレーライス』という作品と、それを音読したことを思い出す。ぼくはわるくない。ほら、感情は歩み寄りを拒む。むむむ、ならば今まで私が「怒られて」きた「諸事件」たちは、あれは問題解決したくて発生していたわけではなかったのか……?

そこまで考えて、怒られている人の顔が見えた。その人は、意外にも私の知り合いだった!ということもなかったし、顔が私と全く同じでギョッとした瞬間目が覚めて、そこでやっと私が悪夢を見ていたことに気づく、ということもなかった。ただ、知らない人が、かわいそうに、これまた知らない人に怒られているだけだった。そして、やっと、私がいままさに「悪夢」の渦中にいることを知るのだった。即ちしらない誰かが誰かに怒られるなんてありふれた、かつこの世に大量に存在するだろう「些事」で、ここまで展開できる私の脳みそこそが、私の悪夢だろう。そんな態度だから現実を夢見心地のふわふわでしか捉えられないのだ。私が私である限り、現実的になることは、ないのだ。私が私を放棄して(…ってどういうことだろう、しんでしまったらいいのか、もっとお手軽に、例えば体(デバイス)だけ残して脳みそ(CPUか、 OSあたりか?もっと違う気がしてきた……)を全取っ替えしたら「私」じゃ「なくなる」のかしら、感情を無くせば「人間」じゃなくなって、ひいては私じゃなくなるのかな)(ともかくも、私が「私」じゃなくなれば)ただの肉塊に成ってしまえば、こんな悩みはなくなるだろうが、それは「私」ではない。考え過ぎるのが、私なのだ。

それってどんなに悪夢だろう。人間はそんなに強くできてないのに。

チャットさんに聞いてみたら、私が他人の相談に乗ってあげたときと比べものにならないくらい「情緒的に」話を聞いてくれた。「情緒」もからくりなのかな、仕組みさえ覚えて適した時に適した語を出力できれば、あるいは。

駅ではいろんな人が行き交っていて、そのどれもが物語をもって生きているんだな、と思うと壮大な気分になる、なるのはいいが、自分にもどってくるのが難しい。規則正しい誘導チャイム(流れているピーンポーンという音はこんな名前が付いていたらしい)がまた、私を思案の渦にいざなうような気がする。友人は目の前にいるのに、気が付かなかった。悪夢も休み休み見なければ。浮世に生きるのだから。

星と深淵を

私の人生の根幹に関わるレベルの推しは今月が誕生日なのですが、毎年毎年まともにお祝いすることも限定イベを走ることもできません。

A3!の秋組最年少2人。

act4とか、このペアの供給すごすぎて読んでから暫くの間、目を開けている時間は全てが上機嫌に通り過ぎるくらいだった。本音を言えば全力でクッキー集めしたいし、祭壇も組みたいし、推しケーキも作りたい。他ならぬ私自身のために。

が、しかし。終ぞ叶わない。
10月というのは忙しすぎるのだ。この月に暇があった試しがない。兎角あらゆる予定が10月に詰め込まれている。そのような(言い)ワケで、ブログの更新も一向に進まず。これ以上先に延ばすのも本格的に拙いが故に……今回は本当の本当に自分自身のためだけの、推しへの愛を叫ぶ回にでもしてしまおう。ちなみにA3!の話ではない、最初のは単なる切実な嘆きだ。

まぁそういうハナシが最も手っ取り早いのは元より知っていたのだから、いつかはこうなるというモンだろう。次回からはまたヘラヘラしながらも一応フォーマルの皮を被って馳せ参じますのでね、今回はお見逃し願いたい。(こういう伝わる人にだけ伝わればいいみたいな怠惰、普段は好まないものだから今回のは反省もしている)

ここはTwitter(現X)じゃないぞって?偶にはいいじゃないですか。



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私の最推しは、初手から絶妙に悪役っぽい言い回しばかりして、ねっとりボイスで絡んでくる。
お酒が大好きで、謎の眼帯をしてホラばかり吹く。

なんだ、なんなんだお前。キャラ濃いしウザすぎるだろ。
あと絶対裏切るだろその声は!

足が長いから移動は早いし、海の上も歩けるし、コイントスも上手い。
面倒見がよくて、周囲をよく見ていて、平気でスルリと貧乏くじを引きとる。


海渡りって何!!!???海は泳ぐものだけれど!!?私の知ってる海じゃねぇ!
てかちゃんと足が長いと足早いのかよ・・・。まって体力無くなるの早っ。アッ、死。

だけど、自分が帰るべき場所と帰れる場所、その全てが判然としなくて、どこか自分を納得させられずにいる。自由の国の風に吹かれているのに、その自由を一歩退いて眺めている。
望まずに背負わされたものから、目を逸らせないことを自覚して歩き続けている。


ねぇ…!!!絶対敵だと思って裏切られる準備してたんだけど…!
むしろ逆だったじゃないか聞いてないぞ!しんどいしガチ重なやつだ~~~~ウワーーーーッ。
なんでそんな不穏なの??やめて、ちゃんと皆から愛されてるじゃん、故郷ならここでいいんだよ。
和解とかは当事者間でしかわからない問題だけどさ、、いつでも帰ってきてって言ってるメイド長とかもいるじゃぁぁぁん・・・。
なんとも言えないセンスのお土産を、あんなデカデカと飾ってくれる場所があるじゃない……。
騎士団だってアンタいなきゃ代理団長が過労死するって。ほんとに手が回らなくなりますって。




と、ご覧のあり様。ウザいな~とか抜かしていたはずなのに、アレェもしやここは……沼!?
私はこのゲームを受験が落ち着くのを待って始めたから、大分出遅れていて、スターライト搔き集めるのも程々に。だんだん待てが利かなくなって・・・。気づいたら恒常ガチャで出るまで終われま10を3回もやってしまって、、??阿保みたいな額で回し続けて完凸させちゃった。
ヱ、これが戻れないところまで来ちゃった感というヤツでは。



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もう完全に終わりです。何してても可愛いしか出てこない。
「この世は舞台、人はみな役者」まさに彼はそういう人。だが、それと同時に幕間があるからこそ良い舞台が続けられるのではないかと思うのが私のオタク心というもの。


アルベリヒ ラグウィンド 騎兵隊長 踏氷渡海真君 海賊の末裔 大盗賊 クバッド
どんな役でも幕引きのその時までずっと最推し。いつ何時も弊ワットの塵歌壺は一面の葡萄畑。
さぁ今日も。どこまでも続く幻想世界へ!


そんな私の最推しは、オープンワールドアクションRPG「原神」のガイア。

日文生と読書

皆さんこんにちは。みちこです。

なんとあまり遅刻をしない私が、ブログの更新を遅らせてしまっている、というところから話を始めようかと思います。

というのも、授業で発表するための資料作成、サークル活動のお仕事、自主ゼミのお仕事などあまりにも立て込んでしまっていたからです。(にしてもこんなに更新を滞らせたのも初めてで…ご迷惑おかけして申し訳ございません…。)

そして免許取得のため、「試験場」というところに「学科試験」を受けに行っていたこともあり(「学科試験」に受かって始めて免許が取得できるんです…)それの勉強をする時間も確保しなければならず…という訳で、中々大変な時間を過ごしておりました。

と、言い訳はここまでとしまして。

本日のお話は、この頃少し思っていることを書き残しておこうかな、と思います。

最近私、何が一番楽しいかと言いますと、「大学の授業」なんです!

夏休み終わる頃なんて大学の授業が楽しみすぎて、後期早く来ないかな~授業楽しみだなあ~なんて思いながら日々を過ごしていました。

夏休みに教習所に通っていた、という話をしたと思いますが、教官に「大学で何が一番楽しい?」と聞かれた時に、「授業」と答えて案の定びっくりされたくらいには授業が好きなんです。

というのも、まあ古典文学を学ぶのが楽しいからなんですよね…

今まで知らなかったこと、イメージしていたものと違ったことを、授業受けていくたびに感じられるこの感覚が楽しくて…

そこで今回は、私が今現在思っている古典文学に対する思いや考えを、「読書」という切り口からお話しようと思います。

そしてこのブログ、本当に様々な方に見られているらしいので、本学の先生方に見られているのかと思うと大変恐縮なのですが、一学生がこんなことを思っているんだな、と思ってくれれば幸いです…。

このブログでは少しお話しているのですが、私は2年生に上がったくらいの頃から中古文学に興味を持ち始めました。

その理由は中古文学関連の授業を1年生の時に取っていた、ということと、大河ドラマ「光る君へ」が今年の年始に始まったことの2つです。

昔高校の授業で聴いていてなんとなく好きだった『更級日記』に興味を持って取った授業でしたが、ありがたいことにそこに、2024年1月から始まった「光る君へ」への放送も絡まり、さらに興味を持った、というのがその理由です。

そこから2年生始めに「中古自主ゼミ」に入ろうと思って所属し、さらに興味関心を深めていくべく、私は2年生から大学の図書館で定期的に本を借りて読む、ということを習慣にしています。

理由としては、卒論を書くにあたって知っておいたほうが良い情報や知識を早くから知っておきたかったからという理由ですね。

ーーー3年生では就活も始まりますし、こういうことは興味関心の赴くままにやったほうが鮮度が高いといいますか…。吸収力が高いといいますか…。

と思ったので、2年生の始めの方から借りることが習慣になりました。

そうして読んでいくうちに、新たな価値観・知識などをたくさん知ることとなります。(これは毎授業ごと授業を受けていてもそう感じます。何かしら新たな知識や価値観の収穫があるんです。)

本を借り続けて読んでいくうちに、これが読書本来の楽しみ方か、とだんだん思うようになりました。

勉強する、という行為にもこれと似たような楽しみ方があると思いますが、読書にも同じような効果があることを初めて実感しました。

そしてそんなことを続けていたら、いつしか私は普通の小説を読むことに抵抗を覚えてしまうくらい学術書を読むのが好きになりました!

自分でもびっくりするほど、新たな知識を手に入れられることの快感にとらわれているのです…。

この段階まできて、ふと思ったことがあります。

昔から、「読書は人を豊かにする」とか「読書は考える力を育てる」などいわれて本を読むことが推奨されてきましたが、私はその意味がずっと分かりませんでした。

「小説のような娯楽的な要素を含む書物を読んでも、本当に心を豊かにすることができるのか」、「心を豊かにするとはどういうことなのか」と考えていたからです。

改めて考えると、「心を豊かにする」とはどういうことなのでしょうね。

「想像力を膨らませられる」という意味での「心の豊かさ」なら確かに小説でも満たせると思います。

しかし私は、世間一般にいう「心の豊かさ」とはそうではないような気がずっとしていたのです。

それはどちらかというと、「知的好奇心をくすぐる」類のもの。それすなわち、「書物を読むことで知識を手に入れる」という意味での「心の豊かさ」です。

知識を手に入れるということは、物事のあらゆる事象を深く考えることのできる情報・概念などを手に入れることのできる、ということ。

つまり、この場合の「心の豊かさ」とは、「思考力の深さ」を意味していることになるかと思います。

大人はよく、子どもに「本を読みなさい」と言いますが、(そしてある一定の割合の日文の人間は、どのようなジャンルであれ「本を読むこと」を結果として積み重ねてきたから、今こうして日本文学科に在籍しているわけですが)あれはいったいどのような意味で言っているのでしょうね。

私にはこの二種類の意味があるような気がしてなりません。

そして、後者の方がより本の面白さの神髄に気づいた人向けの、読書の「真の目的」であるような気がしています。

つまり、最初の入り口は小説でもいいんです。まずは「本を読む」ということに慣れないと、「本を読めない」んですから。

私の母がそうなのですが、母曰く「文字が連綿と続いていると読めない」というタイプの人です。

つまり、「本を読む」ことには、それなりの気力と体力が必要なんです。

それを、内容はなんでもいいからとにかく「本を読み終わる」という練習をする、という意味での「本を読む」なのだと思います。

そして「本を読む」ことに慣れてきて、苦手意識のなくなってきた人がさらにハードルの高い読書をしようと考えた場合。これが先ほど言った「知的好奇心を満たす」という意味での「本を読む」です。

この学科に入学した時、とある先生が仰っていたことがあります。「日本文学科に入学するということは、『本物の書物を読む力が身につく』」のだ、と。

だいぶかなり私の意訳ではありますが、このようなことを仰っていたと記憶しています。

ここでいう「本物の書物」とは、もしかしたら、今私が密かに感じている思いが出発点だったりするのかな、などと勝手ながら考えています。

で、私が新たな楽しみを見出した「読書」なのですが…。

「読む時間がない!!!!!」

本当に読む時間がなくなってきました。

というのも、昔このブログでも紹介したように、様々なことに挑戦した結果、忙しくも充実した毎日を送ることとなってしまい…。

読む時間がなくなってきてしまっています…。

長期休みを利用して読むしかなくなって来ているというなんとも悲しい事態が起きているのですが…。

致し方ないということですね…。はい…。

ちなみに本筋とは関係ないのですが、古典文学が好きになりすぎて、最近書く文章が古典文学の現代語訳みたいになってきました(笑)

簡潔な文章を書けなくなってきていると感じる今日このごろ、というお話をしながら、今回は終わりたいと思います。

最後に、更新滞らせてしまい本当にすみませんでした!!!

次回はちゃんと遅れないように投稿します!!!

で、そんな次回は、少し趣向を変えて、本当の日記のようなことを書こうかな、と思います。

ーーーえ?本当の日記って何かって?

それは次回のお楽しみ、ということで。

あえて普通の記事を書いてみようと思います。まあ、私が普通の記事を書いたことなどほとんどありませんので、お察しください(笑)

というわけで、今回はこれで失礼します。

最後まで読んでいただきありがとうございました!

横浜中華街 食べ歩き~!

皆さま、こんにちは。

後期の授業も始まり、秋も少しずつ深まる今日この頃。皆さまいかがお過ごしでしょうか。私はなんとすでに模擬授業の発表を終え、しばらくは暇でうきうき気分です。後半に発表地獄が想定されることには気づかないふりをしておきます…

さて、今回は8月27・28日に行われた歌い手グループ「いれいす」のライブを振り返ろうと思います。といっても私のオタク語りが始まるとパソコンが壊れるまで留まらないので、夏の思い出にもなっているライブ前の横浜中華街食べ歩きに焦点を当てていきます。

今回の会場は「ぴあアリーナMM」。横浜のど真ん中にある大きな会場です。実は私が高校生のころ始めて一人でライブに現地参戦した会場でもあり、エモエモな感情に支配されつつ駅に降り立ちました。ただ今回の私の目的はライブ、そして中華街食べ歩き!のため一旦中華街に移動しました。

横浜中華街に何度か足を運んでいますが、1人で食べ歩きをするのは初で、優柔不断が無事に発揮されのんびりと歩きながら決めることに。

散々悩んだ挙句に「ごま団子」「ハリネズミまん」「チャーシューメロンパン」「タピオカ黒糖ミルク」をチョイス。特にごま団子は以前横浜でライブがあった際、「いれいす」のメンバーがもらって食べたという話を聞いてからの念願だったため、わくわくで購入しました。

個人的なナンバー1は「チャーシューメロンパン」で、ほくほくかつ新触感でとても美味しかったです。1人なのに2コ入りしかない!と悩みましたが、ペロリと食べることができました。他にもいろいろとおいしそうなものがあり、お店に入ってゆっくり食べるのも楽しそうでした。久しぶりに飲んだタピオカも黒糖の甘さがガツンとくる濃厚さで非常に満足でした。

ひとしきり中華街を楽しんで、充実した気分でいくライブはやはり最高でした!

「いれいす」のライブは1年以上振りだったため、久しぶりの現場、久しぶりのメンバーに沢山心を動かされ、楽しみました。大泣きするのはいつものことなので置いておきますが、泣いて笑って心に栄養を渡す時間が尊いことを思い出す素敵な思い出になりました。

自分なりに心を満たす時間重要ですね。出会ってくれたことに改めて感謝です。

中華街食べ歩き、ライブレポートいかがだったでしょうか。今回は時間が足りなくて断念しましたが、みなとみらいで海をみながらぼーっとするのもおすすめです。横浜に行く際は是非試してみてくださいね。

今回もお付き合いいただきありがとうございました。

体調に気を付けて

 こんにちは、あかりです。ついこの間の土日に風邪をこじらせて熱が出てしまいました。まだちょっと咳がありますが、一応治りました。そのせいで今課題が溜まりまくっています。本当はブログなんて書いている場合ではないのですが、今月の8日が担当なので仕方がありません。

 気づいたのは土曜日の午前10時頃。なんか体が重いな~と思いながら熱をはかると、案の定発熱していました。37℃台と微熱ではありましたが、大人しく横になっていました。しかし、寝てばかりというのも退屈で、ツイステのイベントミッションをこなしたり、授業動画を視聴したり、本を読んでいたらもっと具合が悪くなってしまいました。病人なら大人しく寝てろよと思うかもしれませんが、寝すぎると逆に夜眠れないんですよ。夜遅くまで起きていることの方がよっぽど不健康じゃないですか。というわけで全く後悔も反省もしていません。

 そんなことよりも、土日が風邪のせいで潰れた弊害のほうがよっぽど深刻です。まずバイトを休まないといけませんでしたし、最初にも書いた通り課題も溜まりまくってます。体調崩してもいいこと一つもありません。録画したアニメも休日に消化しようと思っていたのに観れませんでした。(観ようとしたら親に「寝てろ」と止められました。)

 まあアニメに関しては後日観ればいいのですが、課題はどう足掻いても期日が変わらないので必死こいてやっつけるしかありません。オンデマンドも含めてできれば休日に一掃しておきたかったのに…。マナバの未提出課題の一覧を眺めては、そっと閉じることを繰り返しています。ええ、やらないと消えないことは百も承知ですとも。ですが、画面上にずらっと並んだ課題の提出先を見るとやる気なんてぷよぷよのごとく弾け飛ぶんです。控えめに言ってやってらんないです。プリキュアの「ゲッチュウ!らぶらぶぅ⁈」が頭の中で延々と流れています。ストレスよりロマンスでしょ。

 まあそんなことを言っても明日はやってくるので結局課題からは逃れられないのですが。というわけで今から課題やってきます。いつもより短いですが、今日はこの辺で。ではまた。

おばけ

こんばんは。

もう10月なんですね、全然気が付きませんでした。空模様も行き交う人々の服装も、まだまだ夏のようですね。教室はまだまだ冷房が効いていますし、銀杏の木はまだまだ青い。しかし、日だけは随分と短くなりましたね。

お店に入ればかぼちゃとさつまいもだらけ。どれもおいしそうです。ところどころ穴があいているようですが・・・おっとこれは食用ではないやつですね。ジャックオランタン。

今日はりんごと柿を買って帰りました。好みはふじりんごなのですが、今日はトキというりんごがたくさん置いてあったので、トキさんにしました。皮が黄緑色のものです。今晩のデザートはどちらにしましょうかね。

駅から家に向かって歩いて行き、エントランスの前にたどり着くと、隣のお家のお庭が何やら光り輝いています。暖かい山吹色の光が気になってしまったので近づいてみると、植木鉢に入ったそれほど大きくはないけど立派な木が電飾で彩られているのでした。クリスマスイルミネーションの先駆けかとも思いましが、よくよく見ればほんわりと照らされるカボチャやコウモリの形をしたかわいらしい飾りたち。お化け型の飾りは丸い頭とポンチョのようなひらひらとした胴体を持つ白い姿。それはまるで・・・まるでてるてる坊主のようでした。ティッシュペーパーを丸めて輪ゴムでくくり、マッキーでお顔を描いては若干にじんでじんわりとした表情をするのもご愛敬、窓辺の湿気などお構いなしのカーテンレールにぶら下げて明日の晴天を願う、あれです。運動会の前日に作る、あれです。形が本当に、てるてる坊主としか言いようがありません。とてもかわいいです。そしてこの、てるてるお化けの頭部には電球が入っているようで、輝くてるてるお化けが木の上でゆらりゆらりとしているのでした。山吹色の光はどうやらてるてるさんたちの頭から発せられていたようです。ダイソーの季節限定コーナーにあるようなリアルなゾンビのマスクもハロウィンらしくてよいですが、こういったかわいらしい電飾もまた、夜を彩るのにはうってつけですね。ご近所さんが植木にゾンビマスクを飾るようなお人でなくてよかった。光るゾンビは笑い飛ばせそうにない上に、夢の中で奇跡の再会を果たしてしまうかもしれませんからね。恐るべし。

最近の気付き

あれ、言葉が出てこない。
ブログを書いていて、そんなことが増えてきた。
昔はとめどなく、流れるように語彙が出てきて言葉を紡げていた。
ほぼ何も考えず、まるで友人に悩みを話している時のように滔々と感情を吐き出し、さらけ出すことが出来ていたのだ。
それは、私が負の感情に苛まれ、鬱々とした気分の中このブログを書いていたからである。

しかし、ここ最近は違う。
なぜかは知らないが、鬱屈とした日々からは少し離れた日常を送っている。
そう、元気になってしまったのだ。
嬉しい!ピース!と言いたいところだが、なかなか素直に喜べない。
私のこのマイナス思考と吐きそうになるくらいの憂鬱が私の創作意欲の源だったからである。
文章が、書けなくなってしまった。
ここ最近のブログは、正直あまり好きではない。自分の文章はだいぶ好きな方で、前は書いているさなかでも自分の文に酔いしれることさえあったのに、今は書きながら首を傾げることが増えた。
これはいけない。本当にいけない。
小学校の頃から書くことが好きだった自分の、アイデンティティの喪失である。


ここでふと気がついた。
私、最近本読んでないな……と。

最近、というのはかなり広い範囲である。
日本文学科にいながらも、本を読むのは自分が授業で取り扱っている資料だけ。
自分が好きな本を読む機会がめっきり減ってしまっていた。
この理由に心当たりがある。私には、時間が無い。
サークル、バイト、友人との食事……それらに追われていて、めっきり自分の時間というものが減ってしまった。
朝は自動車学校、昼はバイト先の友人と、夜から朝にかけてサークルのイベント、そしてそのまま授業に向かう……なんて日もあった。ノンストップである。
過去、私を憂鬱に陥れていたのもそんな忙しすぎる毎日だったのだが、今私を元気にしているのもまた、忙殺されるような日々であった。
その中で、自分の好きな本を読む、というのはなかなか難しいことだった。
本を読もう、自分のために。ある日、ふと思ったのである。

最近、ミステリを読んでみたいと思うことが増えた。なんとなく、どんでん返しという言葉に惹かれる。どんでん返し、味わいたいな……と乗換駅の本屋を眺めて思ってみては、乗り換えのために急いで駅のホームへ向かう、なんてことをしていた。移動中に読むことが出来ればいいのかもしれないが、電車の中で本を読むと酔ってしまうことが多くて、あまり長続きしなかった。
そして私は、電子書籍に手を出してみた。
色々比較してみた結果、導入したのはhontoというサービスである。大日本印刷が手がけているなら安心だし、クーポンやアプリのUIなども魅力的だ。


さっそく、いくつか気になっていた本を買ってみた。
まず、かまど・みくのしんの「本を読んだことがない32歳がはじめて本を読む」。
今電車広告などでよく見かける本だ。この本は、私がずっと好きで読んでいるウェブ記事シリーズを書籍化し、新たな文章を加えたものである。ずっと読みたかったから、かなり嬉しい。この本に関してはもっと沢山語りたいので、また後日ブログに残したい。

また、岩波明の「文豪はみんな、うつ」。これは、良い文章とうつ病は隣り合わせだという持論があったため、タイトルに惹かれて購入を決めた。まだ積読。

そして、恩田陸の「月の裏側」。恩田陸の名前はずっと知っていたが、作品を手に取ったことはまだ無かった。読了済。恩田陸の文章はとても好みだった。心理描写が巧みで、特に日常を描いた会話がリアルで真に迫っている。あまりにも文章が好みだったもので、せっかくの電子書籍だからと好きな文章にマーカーをひいてみたりもした。紙の書籍だとなんとなくはばかられて出来なかったことである。読み終わったあと、どうしてもこの感動を残したくて久しぶりに読書ノートを作ってみたりもした。昔作ったこともあったが、長続きした試しがないので今回こそは続けてみたい。

肝心のミステリも最近になってようやっと購入に踏み切った。児童文学の類を除いては初のミステリになると思う。いや、ホームズシリーズを読んだこともあったか、いや、途中で諦めたんだっけか……。とにかく、ほぼ未知の領域である。選んだのは、綾辻行人の「十角館の殺人」。ミステリの名作と名高いこの作品からミステリを読み始めてみたい。今まさに読んでいる途中であるが、やはり面白い。どんな展開が待っているかなかなか読めない、これは私がミステリ慣れしていないのもあるかもしれないが。

他にも東野圭吾や、気になっていたエッセイなどもポイントや図書カードを使って購入してみた。電車の中や、スキマ時間にささっと読めるのはやはり便利である。
電子書籍で物足りなさを感じるのは、紙の感触と読み進めている時に感じる本の厚み、重みくらいか。やはりそこはどうしても紙書籍が愛おしく感じる。
まだ家には大量に紙の積読がある。これも読んでいかなきゃ……、と、久しぶりに読書に前向きになっているここ最近である。

ここまで書いて、ふと思った。
書きやすさが違う。鬱々としていないのに、文章がスラスラと出てくる感覚は久しぶりだ。
良い文章に必要なのはマイナス思考ではなく、良い文章を読むこと、なのかもしれない。

セルフ鼻先に人参作戦

みなさんお元気ですか。

こんにちは、推しに生活を支えられているオタクことさゆりです。

季節の変わり目だからなのか、はたまたいつまでも続く夏のせいなのか、普段あまりないような体調不良に見舞われていたものの最近ようやくおとなしくなってきました。

いつも予定を終えて帰宅すると執心まで時間との闘いなんですが、朝から動き回っているとどうしても疲れてしまって床に転がる屍になりがち。そんな時行動を促してくれるのが、推しの配信です。この配信の時間までに何を終わらせておこうと考えると心なしかちゃきちゃき動ける気がします。ありがたいものです。少し先に楽しみがないと何のために頑張っているのかわからなくなってしまいますし、セルフで鼻先に人参をぶら下げるようにしたいなぁと思う日々でございます。馬と違ってぶら下げられた人参にはいつか食いつけるわけですし。

それから気が付いたのは、自我を開放して思いっきり楽しめる時間の大切さでしょうか。服装やメイクに制限がかかっているとどうも自分らしくないというか、首輪をつけられているような不自由さを感じます。

ひと月前ぐらいに推しのアート展示に行った際、もしかしたら推しに会えるかも!という期待を抱えて履けなかったいつものヒールを履き、脱ぎ着しにくくて避けていた好きな服を着て、お気に入りの大ぶりなアクセサリーをつけて出かけた日はそれだけで心躍る一日でした。推しには会えなかったけれど、私はこういう事で元気が出るタイプなのだなぁと気づかされただけでも収穫だったかな。

好きな服を着て好きな人達に会いに行くのも楽しいですよね。友達や知り合いに服やメイクが好きな人たちが何人かいるので、会った時にお互い褒め合えるのも嬉しいです。いい靴は持ち主を素敵な場所に連れて行ってくれる、なんていいますが、私は新しい服を買うときに「この服を着てどんな場所にいきたいかな」と想像します。素敵な場所に連れて行ってくれるのもいいけど、むしろ服を素敵な場所に連れていきたいのです。みなさんはどんな服を着てどんな場所に行きたいですか?

【今月のコスメ】

About_tone ブラーパウダーパクト 

限定パケのシルバーエディションが可愛くて購入。

アットコスメ東京ぐらいでしか見かけないですが、実はbbiaの系列です。

ベースはデパコスしか信用しない教に染まっているわたくしが想像以上に仕上がりがよくてびっくりしたアイテムの一つ。さらっと仕上がって毛穴を埋めてくれて乾燥することがなく、重ねた時の質感が綺麗なんです。うっかり二度塗りしてしまった時の、うわっ‼がないので重宝しています。

夏場は持ち運び用にコーセーとイニスフリーのパウダーを持ち運びしていましたが、うっかり粉をこぼしてしまった時のストレスがあったのでプレストタイプなのがありがたいです。

ついでに言うなら、パフの収納部分とパウダーとの間に仕切りがあるのも衛生的で好きです。大抵のパウダーって直にパフを入れるので。

一回ランチするより安いぐらいの驚きの価格なのでお試しにもおすすめですよ。

では、また。

ありがたみ

ヘルプマークをつけるようになると、案外つけている人は周りに沢山いることに気がついた。

普通に電車に乗るということがかなり困難になった夏だった。どれだけ楽しい予定でも、移動が付きまとうことで不安になりいくつも予定をあきらめ断った。カレンダーから予定を消している時、もうこの心配をしなくていいんだと心の底から安堵に包まれた。しかしそれは束の間、ひとつ無くなったところで先に続くさまざまな可能性を探し気づけば自ら不安になりにいっていた。電車に長く乗るのはいやなくせに降りたり乗れなかったりをするから、結果的に普通よりも明らかに時間をかけてしまう。がんばってもだめな日は遅刻かドタキャンになる。なんとかして帰る。身体が言うことを聞かなくなった日は、友だちとのご飯の予定で外出している相方を呼びつけた。電車に乗り、私の痙攣する手を相方が優しく握ってくれた瞬間、涙が溢れた。こんなに優しい人の楽しみを奪うことなしに帰ることが出来ない自分が哀しかった。生きることと迷惑をかけることの違いが曖昧になった。

電車をきっかけにそれは癖になり、電車に限らず異常な緊張や不安感に落ち着かない日々が続いた。本当に集中力が落ちた。考えたくないことなのに不必要に考えようとする頭が働き、会話に集中したり心から大笑いしたりできなくなった。当たり前のようにあった感情の動きは、動く余裕があったからこそなのだと知った。相方に会いたいのに外出すると異常に疲れる。外出する前から余計な緊張をし、特技とも言えるほど寝つきが良かったのに眠れなくなる。出かけたいと思えなくなった。履修登録で授業を一コマ入れるたびに電車を想像した。これが電車に乗る回数と比例すると思うととりたいという気持ちに委ねることはできなかった。

今年の夏休みは思えばそんな一面があった。でも一面だと思える今がある。それが全てではなかった。悪いことは記憶に残りやすいけれど、悪いことが目立つ分だけそのまわりには些細な幸せが溢れている証拠だと思う。

今は落ち着いてきている。天気や気分や環境に左右されるし、心配もするけれど、それでも日常の喜びをとりこぼしてしまわないように、今まで以上に自分を大切にすることにしている。

*****

まいです、ごきげんよう❀

暗い始まりに読んでいる方々の不安を煽ってしまっていたらすみません。このように自分のこの状態を言語化できるようになったのは、今、その状態から少し距離を取れているということの良い証拠です。自分の不安を吐露したいのではなく、そこから今ラクになれていることをお伝えし、同じような悩みを抱えている方の一助になれたらと思っています。

最近自分の中で唱える言葉は「未来の自分に任せよう」です。

不安はやはり癖になってしまうもので、不安ではない時に何故か自ら怖い可能性を考えてしまい結局それが原因となって悪いことが実現してしまうという負のサイクルに陥りがちです。

脳に関する本を読んだらしい姉から、悪いことを想像しそうになったら太ももを叩くといいらしいと聞きやってみました。確かにハッと我にかえるのに良さそうです。脳は単純なので外からの刺激が来るとそっちを優先してしまうとか。

このような物理的な刺激とは別に、「未来の自分に任せよう」と思うことにします。「この不安は、本当にそうなったときに、その時の(つまり未来の)自分が考えることなんだから今の自分が考える必要は無い!」と。人に仕事を任せるように、ある意味で無責任になることで不安という荷物をおろします。「考えちゃだめ」と思っても、そう思うほど考えてしまうし、変な話ですが「不安を考えていないと不安」という謎の沼に落ちていることも少なくないので、「考えない」ではなく「後で考える」とすることは、案外自分を落ち着かせるのに良いです。「これはあとで考えればいいや」「今の自分のやることじゃないな」と思っているうちに不安そのものがどこかへ行きます。後期が始まってひとりで大学の最寄り駅まで来られたときは涙が出るくらい嬉しくなりました。やった!やったよ!!!普通にこられたー!と。

なるべく丁寧な気持ち作りをし、疲れやすい心身を癒すために、最近は朝晩欠かさずヨガをやっています。ヨガ自体、呼吸を広げたり体をリラックスさせるのに良いし、ルーティンがあることで丁寧な生活を送れている心地になります。百均で買った小さいノートを自己流にデコレーションし持ち歩き、その日にあった些細ないいことをメモしたりもし始めました(これは以前もやっていたことがあるのですが)。メモのために自然といいことを探すようになるので、不安材料を集めてしまうより日々がずっと明るくハッピーになります。

自分の心を自分でケアする。休むことが必要ならそれでいい。休むことに必要以上に罪悪感を感じにいかない。自分をゆるし、的確な判断をできた自分を褒める。あまり深く考えない、泣きたかったら泣く。

人生短くはないから、その中で病気になったりものすごい転機が訪れたり色んな変化がある。今の私も、自分の生きてきた年数でみたら、こんな調子なのはほんのわずか、なんとも思ってこなかった平凡な幸せの方がずっと長いし、これからもそうしていける時間がある。こうなって良かったとまでは思えないし思う必要はないけれど、人の優しさを知れたし、辛い気持ちはどんどん口に出していいこと、素直に泣くと驚くほど気持ちが軽くなることなど、価値のある気づきを得られたのはとてもお手柄だと思います。人間、焦るほど視野が狭くなり孤独感に苛まれるけど、勇気をだして視野を広げてみると、優しい世界に気がついて、それだけで心が軽くなったりする。何かあってもそういう人たちが周りにいるんだから大丈夫と、無条件に安心できたりします。

色んなことがありますよね。これからも。そうすると「良かった時に戻りたい」なんて思ったりするけれど「戻る」ことが一番の幸せとは限らない。不安なことと対峙したら、それを忌避するのではなくて、それと上手く向き合いながら“新しい幸せな生き方”を見つけたらいいと思います。それを楽しめたら素敵ですよね。

大学最後の後期が始まりましたが、ちゃんと、楽しいです。行き帰りの疲労感はもちろんゼロにはなりませんが、そんなの程度が違うだけで今までだってそうだったはず。疲労の程度が変わったなら、回復の程度も変えてあげて自分を幸せにする選択肢を選ぶ。

最近は夜も眠れるし、学校も、友達と会うのも楽しみです。電車も目的地までまっすぐ行けることが増えたしそうでなかったとしても自分を責めなくなりました。楽しいことを心から楽しいと思うことも出来ます。先日姉と行った「大地に耳をすます」という美術館の企画展示もとても楽しめました。感動する余裕が心に生まれていました。

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誰よりも身近な存在である自分を、誰よりも自分が大切にしてあげようと思える今日この頃です。

これを読んでくださったあなたの今日が明日が、素敵な日になりますように。

ごきげんよう。

女子校生活総決算

こんにちは、ゆきほです🍵

昨日学校帰りに、最寄り駅のエスカレーターの目の前に停車するドアから降車したら、幼馴染に遭遇しました。多分同じこと考えて電車に乗ったんでしょうね、降りたら目の前に現れてびっくりしましたよ。

「今学期週何回学校行ってる?」と聞かれて「取りたい授業がばらけてて週4で行ってるの~」と答えたら、幼馴染は「待って、うちも週5で行ってる」とのこと。似た者同士なので19年も仲良くできているんだと思います。

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今回は「実際のところ女子校ってどんな感じ?」ということをテーマに書いていこうかなと思います。

このブログにいるということからも分かる通り、私は現在女子大に通う大学生です。

小中は共学、高大は女子校ですが、中学生の時にクラスメイトから志望校を聞かれて女子校の名前を答えたら、「……あ~、確かにゆきほちゃん女子校にいそう」というものすごく微妙なリアクションをされたことをよく覚えています。女子校は絶対に嫌派の人も中にはいますよね(というか私の周りは体感そっちの方が多かったです)

それって何でなのかな?と考えてみると、やっぱり「女性しかいない学校生活なんて想像がつかない!」という点が大きいと思います。想像がつかないからこそ広がっちゃうのが「女子校っていじめすごそう」みたいな偏見なんじゃないかな。

今回はそんな「女子校ってどんな感じなの?」という疑問を少しでも解消できればと思い、「なんで私は女子校に来たの?」というところから「9年共学、7年女子校に通ってみて私はこう思う!」というところまで書いていきます。

そしてこれは書くまでもない大前提となることですが、今回の記事は私はこうでしたよ、という話です。ここに書かれていることが全女子校出身者の総意というわけではありません

「あくまで私はこんな感じで学校生活を送ってきたよ」というのが伝われば嬉しいです。

【私の通ってきた学校】

小学校・中学校→地元の公立小中学校
高校→女子校
大学→日本女子大学

【なんで女子校に行こうと思ったの?】

結論:全然覚えていないけど、小学校高学年のときには既に女子校に行きたいと思っていた

ここ重要なのに曖昧でごめんなさい!!!でも中学校に入学した時点で確実に女子高への進学を夢見ていました。

周りの大人に女子高出身の人が多いため、私が耳にしていた「高校生活の思い出」が女子高のものに偏っていたということは大きかったんじゃないかなと思います。女子校なんか楽しそう!!という、いい意味での先入観はもともと持っていました。

中学校生活の中で共学であるからゆえに起こったような(女子校では起こりえない)嫌な思いはたくさんしましたが、それが直接的に進学先に影響したかというとそうでもないと思います。もともと持っていた女子高進学への強い執念をさらに強固にした、くらいのものです。

「女子校出身」と言うとよく「男性が苦手なの?」と聞かれますが、私はそれが理由で女子高を選んだわけではありません(後半で詳しく書きます)

ちなみに中学受験して中学校から女子校に行くという選択肢が出てこなかったのは、地元の公立の中学校がとっても近所にあったため、当時小学生の私には遠くの中学校に行くことのメリットが分かっていなかったからです。毎日朝ドラを見てからのんびり学校に行っても余裕で間に合っていました。

【女子校に行ってみてどうだった?】

結論:ものすっっっごく楽しい!!!女子校来てよかった!!!

私には女子校がすごく合っていました。学校超楽しいし、居心地よすぎるし、高校も大学も大好きです。
高校生活があまりにも楽しすぎて、大学進学の時にも共学の大学は選択肢に現れませんでした。

みんなやたらと距離感が近いため誰かしらに腕にまとわりつかれたり膝に座られたりしていたことも、推しとのデートに来たという体で3泊4日間虚妄の中を生きた修学旅行も、磨き上げた先生のモノマネも、全部楽しい思い出です。この楽しさを味わうことができたのは出身高校だったからこそだな、と思っています。
大学生活を楽しんでいるのは、このブログを遡っていただければよく分かりますね。

ただ私は、その学校生活の楽しさの全てを「男性がいなかったから楽しかった」の一言では片づけたくはありません。

もちろん巷で言われているような「異性がいない環境で過ごすことで、恋愛以外の心の支えとか楽しみを見つけることができる」みたいなことも分かります。現に私や友人たちの多くは、超趣味に生きるおもしろい人生を歩んでいますし、今も恋愛とは縁遠い日々を送っています(ごめん)

でも愉快な友人たちの顔を1人1人思い浮かべてみたとき、同時にこんな考えも浮かんできました。
「いや、あのみんなが共学の学校に行っていたとして、果たして恋愛に明け暮れる日々を送っていたのかな?」(ほんとごめん)

結局、私が高校・大学に共通して言える最大のよかったポイントは、男性がいなかったことではなく友人に恵まれたことです。

私は女子校という環境を自分で選んで楽しみつくしていた(楽しみつくしている)、女子校が好きな友人たちのことが好きなので、彼女たちと出会うことができた場としての女子校も大好きです。
この友人たちの魅力には共学の学校で出会っていたら絶対に気が付くことができなかったはずなので、女子校来てよかったな~~~と心から思っています。

【男性は苦手?】

先ほども書いたとおり、私は男性が苦手だから女子高に進学したわけではないので、潜在的に苦手意識があるかと言われると多分ないです。でも接している人数は少ないため、得意かと聞かれると、そうではないです。

これは子どもと接することを苦手だと思っている人を想像してほしいのですが、その苦手意識の理由の大半は「あまり子どもと接した経験がないから」「子供と接することに慣れていないから」だと思います。
全く同じ理由で、私は生きてきた環境的に、女性と話す回数の方が男性と話す回数よりも圧倒的に多かったため、敢えて性別で比較するならば女性と話す方が得意ではあります。

ただ、そもそも私は人と話すこと自体が得意ではないため、性別関係なく人と話すときにはしどろもどろになるし、世間話もそんなにできないし、人と目を合わすこともあまりありません(全然堂々と言うことではありませんが)
初対面の人を相手にしたときにコンビニの店員さん相手くらいの会話なら頑張れますが、それ以上を頑張るのはちょっとキツいなということに関しては男女全く関係ないです。

逆に言えば、人と接することの苦手さが性別由来のものではないと知ることができた(男性と話すことが苦手だと思い込まずに済んだ)のは、私にとっての女子校に通ってよかったポイントだと思っています。

【結局女子校と共学どっちがいいの?】

私が比較できる最新の共学の学校は中学校になってしまいますが、中学生って多くの人にとって人生で一番尖っている時期だと思います。しかも良くない方向に。
私はその良くないところをたっぷり見てしまった中学校の同級生たちのことが今も正直好きではありませんが、もちろん私にも良くないところは山のようにありました。

そんな感じで、お互いに感性が尖っていて良くない面が山のようにあったときに接していた人たちと、ある程度成長して大人に近づいてから出会った人をそのまま比較するのってなかなか難しくないですか?

人との合う・合わないは男女問わずあるし、いい人と悪い人がいるのも男女変わりません。高校も大学も大好きですが、合わないと思った人はもちろん一定数います。

私の経験でどちらが好きかと言われたら、小中よりも高大が好きなので女子校の方が好きですが、それをどちらが良い・悪いの天秤にかけるのは違うよな~と思います。

……とか言いましたが、正直高校までの私だったら絶対に「女子校の方がいい!!!」と言っていました。だって中学校本当に嫌だったんだもん!!!

年齢的な成長もありますが、「性別ってあんまり関係なくて、人っていい人であろうと悪い人であろうと、男性であろうと女性であろうと結局みんな人なんだよな」という境地に辿り着くことができた今だから思うことです。

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本当はもうちょっといろいろ書きたかったけど、全然書き終わりませんでした。何かいいたいことが増えたら次回の更新のときに冒頭にでも書きます。

ある意味私の女子校生活を振り返るような感じで(まとめるにはだいぶ気が早いけど、もしかしたら今まさに進路に迷っている人がいるかもしれないので)書きましたが、私が言いたいのは「女子校に来たことに後悔はなし!!!」ということです。

私が過ごしてきた学校生活では、隣の席に転校生のイケメンが来ることはまずないし、幼いときに引っ越しで離れ離れになった幼馴染と進学先で再開して恋に落ちることもまあありません。
図書館で高い位置にある本を取ろうとしたときに後ろから取ってくれる運命の相手も特に現れないので、普通に己の手で踏み台を引きずってきてよじ登って取ります。私より1段高い本棚に手が届く人はそういません。

でも、こういう女子校的な空間って学生時代しか体験することができないし、人生の一経験として飛び込んでみるのもアリだと思います。後悔はさせません。

長くなりましたが、今回はこのあたりで締めようと思います。
ではまた。