できること

ごきげんよう。まだまだまだまだレポートに泣いているあやめでございます。

なかなか上手に進められず、母には効率の悪さを指摘されてしまいしょんぼりしておりますが、なんとかやっております。が、私は大層いじけたので、ここでは、できないことばかりではなく、できることを書いていこう、という気持ちでおります。私のことを知るいいチャンスですね。あるいは?

地球儀

地球儀をはじめてもらったのは、おじいちゃんに社会の授業が始まったことを嬉々として報告した時だったとおもう。おじいちゃんは特に何も言わずに立派な地球儀を送ってきて、何も知らされていない私は不意のプレゼントにワクワクしながらおじいちゃんからのお届け物の包みを無駄に丁寧に丁寧に剥がしたものである。小学3年生の私には、持つのに苦労する重量感の、持て余す地球儀は、届いたばかりは私が、また弟妹が毎日クルクル回して眺めて、日本はここ、アメリカはここ、イギリスはここ…このグルジア、という国はなんだ?地図だと「ジョージア」になっているぞ?どういうことだ??間違いか??などと遊んだものの、ものの数日で飽きて、それから置き場にも困り、かさばる立体の地球儀ではなく、持ち運びにも保管にも都合のいい平面の世界地図のほうばかり頼って、徐々に部屋の隅へ隅へ追いやられていった。埃をかぶって、私のあの憧れの気持ちも埃をかぶっているようにみえた。年末の大掃除の時だけ、チラッと撫でるように埃をとってやるが、その習慣ももう、中学卒業のタイミングで使わないからと箱にしまって以降、無くなってしまった。

先日、一人暮らしをするんだ、と決意して、持ち物を整理しているときに、箱を開けてはしまい、箱を開けては出して整理して、またしまい、を繰り返すと、ある箱の中から、貰った時と同じくらいヒョイと、その地球儀が私の目の前に現れた。思いがけない再会を果たした、懐かしい地球儀は、今持っても(地球儀にしては)重たく感じた。憧れの重み。地球儀はなにも変わらずクルクル回るだけだった。

小学生の私には一つの仮定があった。この地球儀の中にも人が住んでいるのかもしれない。この地球儀、という地球には、私の住む地球と全く同じ世界が展開していて、その世界にも当たり前に地球儀が存在するのだ。そしてその「地球儀のなかの地球」にある地球儀も、我が地球と同じく無数に存在するのだ。その全てにまた、小さな地球が存在して…とどんどん小さな世界が繋がっているのではないかしら。そして、我が地球もまた、誰か大きな世界の人の一地球儀に過ぎないのではないかしらん。私は大きな人の部屋の机の上で、しゃんと立っている地球儀のなかの、ちいさな人なのかもしれない。そう思って、うっとりと、クルクルしたのだ。

私はこの地球儀を、新居へ持っていくことにした。家族は誰も欲しがらなかったどころか、新居へ地球儀を大事に持っていく私を笑った。私も照れ隠しのために笑った。

水の匂いを嗅ぎ分けることができる。雨が降りそうな匂い、川の水の匂い、水道水の匂い、雨が降った後の匂い、水たまりの(あまりきれいではない)水の匂い。以前に私は青が好きな話を、わりと何度もした気がするが、水も好きなんだな、と思っている。

描出

物語をかこう!と思ったのに、会話文がうまく「生成」できなくて、いつも頓挫してしまう。それでいつも、随筆・エッセイか、もはや詩(それもなんだか、「ポエム」的になる)のような体になってしまう。毎回「この作品は私の中では物語(フィクション)です」と注釈をつけるのも、なんだな興醒めでおせっかいな気がするので、それもできないでいる。いちいち分かっていることを、何度もうるさく言ってくるのは私のすごく嫌なことの一つであるから、私があなたにそれを強要するのが、本当に心苦しく思う。そもそも私がここでおはなしすることは、どれも私の本当の姿、本音ではなくて、脳内の小さい私の訴えを聞いて、ふむ、なるほど?と思いながら、伝聞の気持ちでしたためているものである。コップにかろうじてはまったが、底に落ちないで浮いている氷が、室温で少しずつとけて、水になって、ガラスのそのコップに溜まっていく、私はそれを写しとっているだけ、観察者に過ぎない、そんな気持ちで書いている。ただ、それが前面に押し出されて、私は観察者です!と大声で主張するのは、ガラスのコップと氷ととけた水には関係しないので、黙っていようとおもう。それなのに、ここに書かれていることが観察者フィルターを通したに過ぎない、ただの観察であることは伝わっているのか、隠している筈の私が1番心配になって、気になってしまう。小さな私は雄弁で、普段は言ってはいけないようなことも訴えかけて、憤慨、あるいは狂喜している。みいみい、小さな声で、小さいなりに怒鳴るように訴える。その訴えは本当は、大きな氷、なんて綺麗なものではない。もっと、混じり気の多い、歪な形の、毒々しい、ただのエゴ(「これは私のエゴです」という表現を私は好かない。言葉はそもそも自分本位でしか吐けない、あるいは人間はエゴにしかなれない、という私の哲学、美学がそうさせるのだと思う。もちろん強要したいわけでも「布教」したいわけでもないので、「※個人の感想です。」にすぎないけれど、注釈をつけるつもりで、このことも書いてみました。が、今回は特に「エゴ(利己主義)」的であったため、(これも私の中の小さな人が嫌がる声を聴きながらあえて)この表現を採ろうと思う、こんな考え方はやはりエゴ)だろう。それを、いかに綺麗らしく映し出せるか、それは私の力量によるのだとおもう。私はまだまだ力不足なので、うまくきれいにうつせないでいる。だから「ポエム」な苦しさと未熟さが出るのかもしれない。

現実

驚くほど、現実感がないまま、ここまで生きてきた。いつも「天然」ではなく「不思議ちゃん」と呼ばれてきたのだが、まわりから見てもそうならば、おそらく現実感のなさは、私の感覚だけではなく、思考の面にまで及んでいるらしい。不思議ちゃんといえば、まだ優しい言い方なのだろうが、要するに外れた、ということなのではないか、と思って、浮世離れしたままかなしんでいる。雲の上で霞をたべていれば、かなしむこともないのかもしれない。庵でもこさえて、質素な隠居暮らしを、仕事に就いたこともないのに、したいと思う。これは甘えだろう。大きな世界に出ていくのが怖いから、こう思うのだと思う。

さて、現実感であるが、いつまでも養えないままここまできてしまった。危機感を抱いている。いつまでもふわふわやさしいせかいに籠る訳にもいかない。が、なぜか残念ながら、理解もできなければ興味も一向に湧きそうにもない。ここでやはり「現実感のなさ」を再確認する。そういえば昔から痛みに鈍い気がする。やっと感じた痛みも、我慢して耐えて耐えてうずくまって、なかったことにしてきた気がする。体が発信するSOSを何度も黙殺して、平気なフリをして自分を痛めつけてきたのかもしれない、とうそ寒い気がしてくる。そのクセが功を奏して、私の意見は霧散したのかもしれない。あるいは、感じたことは「なかったことに」されるものだと、私の中でとっくの昔に変換されてしまって、やりたいことは(本当はいくつかあるのに)無いものとされてしまって、気づかなくなってしまったのかもしれない。確かに私は、「描出」のところで書いたように、小さな私の訴えを、聞いたり聞かなかったり、黙殺したりしている。

また、小さな私が使っている言語が、どうやらふつうの日本語ではなさそうなことに、最近気が付いた。もちろん、頭のなかで考え事をするときにきちんとした文法じゃない、ぐちゃぐちゃのままでやっている、ということはよくあることだと思うので、つまり私もその一種だと思っていただきたいのだが、問題は私自身がそれを「通訳」して外の世界に発信している、ということにある。だから、本音を言う(小さな)私と、それを通訳して発信する私、それから多分、それを検閲する私がいることになる。世の中的に、それをいうのはどうなのか……?という理性のパート。こうして、私にもいろいろ種類がありますから、「本当の自分」とははてどれのことなのか、忘れてしまうのです。そんな面倒な手順を踏むから、私は現実味に欠けるのだと、靄の中で思っています。あなたは見つけられるでしょうか。

眠気

ねむい。

ねむい、という感覚は、おそらく頭をもたげさせる大きな力をもっている。甘くて優しい眠気が襲って、脳天からつまさきにむかって包み込んでくる。眠い、とはやさしいかおをした、美男か美女か、であるとおもう。あなたのりそうの(おうじさま・おひめさま)。眠気に溺れる。目が開かない。現に今私は眠気と闘いながらこの文章を書いている。気が狂いそうである。ねむい。

にっき

こんばんは。

最近ひょんなことから日記というものを始めました。いえね、これまでも気の向くままに書きすさぶ日記の真似事をしていた時期はあるのですが、いつからかぱったりと書かなくなりまして、確認しましたところ今年の7月2日が最後となっていました。ちなみに7月2日の前は5月5日でした。

なぜここまで書かなくなったのかを考えましたところ、原因は使用媒体にあるということに行きつきました。私はこれまでPCを使ってWordファイルに書き込んでいたのですが、3年生になってから?あるいはその前から?PCを立ち上げる頻度がめっきり減っていたのですね。PCをそこまで頻繁に使わなくなってからは、わざわざ日記といえるかいえないかの文章を書くためにPCの前に座るということもなく、気が付けば何も書かなくなっていたのですね。

ではなぜ私が再び日記というものに手を出したのか。それは偏に家族との間で日記の話題が出たからです。家族曰く、「ののちゃんは日記とかコツコツ書いてそう」とのこと。

はて。

そもそも私という者は、毎日コツコツと何かを継続することが致命的に苦手です。特にプライベートな内容であればあるほど長続きしません。すぐに飽きます。すぐに諦めます。まあ、やりたくてやっていて、気が付いたらルーティーンになっていた、ということもあるにはあるのですが、「あ、最近毎日これできてる!」と自覚した途端に途切れてしまいます。日記だってほら、先ほど述べた通りです。

とはいえ、家族には私がそのように見えているということなのか。それはそれでまた新しい発見です。これをきっかけに日記というものもつけてみようか。三日坊主になろうがどうなろうが、ものは試しだ。ということで、今回はスマホに日記アプリを入れて、日記キャンペーン開催です。

なんと今日で6日目ですが、ちゃんと続けられています。三日坊主になる自信がたっぷりであっただけに、自分でも驚いています。やはりスマホという毎日触る媒体を使っているのがいいのでしょうか。ふとしたときにパパパッと入力できますし。書く内容も特に決めず、文字数も決めず、思いついたことを多かれ少なかれ書いています。誰かに見られることもありませんから、思いついた渾身のおやじギャグを書くもよし、映画のネタバレ付き感想を書くもよし。何でもありです。箇条書きも論文調も小説風も何でもありです。

私の場合は、数日後あるいは数か月後に読み返したらプッと笑える内容を目標にしています。目指せ令和の清少納言です。そのほうが書いているときも1mmくらいは元気になれますからね。もちろん無理は禁物ですが(実際、度々悪魔の雄叫びも漏れています。天使になるのは難しいので、せめて人間でいたいものです)。

さて、今日の出来事も書き終えたところで、寝るとしましょう。おやすみなさい。

ホットスプリング・サマー

アロマ香る玄関に足を踏み入れ床の冷たさを感じながら歩いていくと、徐々にいぐさの香りに変わっていく。

ここの休憩処でくつろぐ自分の幸福感を想像しながらのれんをくぐる。温かい空気が今度は独特な香りを運んでくる。

温泉。

心身に癒しを与える憩いの場。

今月はたまたま、この2週間で二度訪れました。温泉=一種の行事だと思ってるくらいの私にとってはこの頻度は「多い」に値します。

まいです、ごきげんよう❀

先日、相方を連れて地元の温泉宿で1日まったりしてきました。それぞれひとりの時間を楽しんだのち、足湯に集合しコーヒー牛乳を片手に脱力しました。

温泉はどちらかと言うと苦手と言っていた相方は私より早く出てくるに違いないと思っていたところ、出てきていなかったので温泉内で何かあったのではと本気で心配しました。

そんなことつゆも知らず、ほかほかと出てきた相方は、どうやら温泉が思いのほか良かったらしく、ご満悦の様子でした。

足湯でぼーっと飛んでいくセミを見たりして、「今年のセミは小さいねえ」「暑いからかねえ」なんて言ってる私たちは若者のエネルギーを全て温泉に溶けだしてしまったかのようでした。確実に減っていくコーヒー牛乳だけが、私たちの若さを保証していました。

*****

2回目の温泉は、大学の友人たちとでした。全く異なる場所ですが、レンタルスペースでお泊まり会を計画した我々は近くの温泉施設に向かいました(レジャースポットとかで遊ぶほどの体力は我々にありませんでした)。

そこは時間制限が厳重で、1時間プランの場合1分でもすぎたらフリータイムの値段にまで跳ね上がるという説明を受けたので大慌て。「急いでこ!!」「ほぼオリンピックだね!」と盛り上がっていると(主に私)着替え室でもう少し静かにするようにと注意を受け、大変恥ずかしい思いをしました。

盛り上がりすぎで注意されるなんて、修学旅行の小学生の部屋か!!と思わずツッコミたくもなりますが、つっこんでしまっては否定する術もなく困るのでやめておきましょう。

幸い1時間以内に出てくることはでき、その中でもお風呂は全種類網羅することができました。

この旅行については話せばキリがないのですが、このブログ部にも旅行メンバーが数人いるのでそのうちの誰か1人くらいは書いてくれるのではと思います。

私から言えるのは

・オリンピック(しかも録画放送)を見て遅刻する人がいた

・餃子を作るパーティーという名目だったのに既製品を買った

・次の日は徒歩圏内のカラオケに行き食パンをかじった

あたりでしょうか。この旅行のポイントを簡潔にまとめると以上の3点かなと思います。

あつーいあつーい夏ですので、温泉など、適度に癒しの予定を用意しておくことをおすすめします。

それでは𑁍

ろうそく一丁献じられましょう


まいますです!💟

先日、下鴨神社で行われているみたらし祭に友人と行ってきました。

神社に向かう前に、同志社大学のすぐ隣にあるチーズケーキのお店、パパジョンズでお茶をしました。

昨年度のバレンタインからチーズケーキにドハマりしている私は、京都に来てからというものの5回以上テイクアウトや店内でチーズケーキを頂いています。

京都に来た際にはぜひ行って欲しいカフェのひとつです♡

美味しいチーズケーキを楽しんだ後は、歩いて下鴨神社まで向かいます。

初めにお参りをして、御朱印を頂きました。

みたらし祭は、土用の丑の日に池の清水に足をつけ、無病息災を祈ってお祓いをうける「足つけ神事」のことです。

受付をしたらロウソクを受け取り、いざ水の中へと足を踏み入れます🕯

水の深さはふくらはぎ程まであり、それもかなりの冷たさです!

この日は日差しが強くとても暑い日だったため、あまりの気持ちよさに感動してしまう程でした。

さいごにロウソクに火を点し、一年の無病息災をお祈りします。

池から上がったあとは、御神水を頂きます。これを飲んで、内側から全身を清めるというものです。

この日は茹だるような暑さでしたが、そんな暑さも忘れてしまう程に涼やかな水をからだの外からも中からも感じることができました!

御神水でのお祓いを受けたあとは、水みくじを引いたり、屋台のご飯を買ったりしてお祭りを楽しみました。

みたらし団子とは、御手洗池の底から湧き出る水泡をかたどったものを由来とするそうです。

納涼市で販売されているみたらし団子はとても絶品でした!

私自身あまりお団子を食べてこなかった人間なのですが、これはおいしいお団子だ!と分かるくらいに柔らかく、味もしっかりとしたみたらし団子でした。

お祭りに参加された方はぜひ食べてみてほしいです。

一風変わったお祓いを受けることができる、暑い夏にピッタリなみたらし祭ですが、あまり混雑もしていなく快適な時間を過ごすことができました。

今年の開催期間は本日7月28日で終了してしまいましたが、来年以降京都に行かれる方は、是非とも参加されることをおすすめします!

お祭りと言えば、京都では7月の間、一般に日本三大祭りと呼ばれる祭りのひとつ、祇園祭が行われました。

サークルの友達と浴衣で四条へ赴き、お祭りを楽しみました!

祇園祭では、7月を通して様々な神事・行事が行われます。

特に大きな盛り上がりを見せるのは、7月15、16日の宵山です。私はこの日数年ぶりにかき氷を食べました🍧

町中が活気付いて大きな鉾や屋台に囲まれ、趣き溢れる時間でした。宵山が過ぎると、7月17日には山鉾巡行が行われます。

この日は23基の山鉾が京都市内を巡行し、その姿を多くの人々が見守ります。

私は空きコマを利用して御池通に向かい、その様子を見ることができました。

動く美術館とも比喩される祇園祭、まさにその言葉通りで、絢爛な山鉾とそこに乗り込んだ人々のお囃子や掛け声は胸にあつく響きました。

初めて見て、その空気に触れた祇園祭、本当に貴重な経験でした!

テスト期間が被ってしまい天神祭りは惜しくも行く事が叶いませんでしたが、是非ともその熱気を味わってみたいものです!

夏休みに入り、自由な時間が増えて行動の幅が大きく広がる時期になりますね!

みなさんがこのお休みで、それぞれにとってのより良い経験を積めるようにとお祈りしております〜✨

では!💟

夏眠のすゝめ

夏だ!海だ!水着だー!!
などという灼熱の太陽ばりの眩しい青春は…残念ながら、ない。

夏だ!家だ!引きこもりだー!!!
である。

そう、夏。既に連日30度は裕に超える外気に包まれて、人間ってこんな環境下でピンピンしてられるようにできてないから・・・むりだから・・・とどこに向けてよいのか分からない白旗を振りかざす毎日です。ほんのつい2,3年前まではハンディファンを握りしめてコレさえあれば…と意気込んでいたというのに、今や暑すぎてハンディファンからは熱風がゆるゆると送られてくるばかりになってしまいました。

皆様いかがお過ごしでしょうか。私はもうだめです。。冬眠ならぬ夏眠をキメることに決めました。
クーラーをつけ、冷たい飲み物を用意し、布団に倒れ、そしてゲームと共に眠るのです。
・・・最高の夏なんじゃない?最高に堕落してる。だめな人間の見出しだよこれもう、背徳感ハンパじゃないね。

と、まだまだ終わらない期末課題から目を逸らし、私のサイコーの夏休み計画がたったところで!
ぜひ夏にプレイしてほしいゲームを紹介していきたいと思います!

ところで皆様!「東京喰種」という作品をご存知でしょうか?
作品自体の知名度は勿論、あの特徴的で素晴らしいイラストのタッチをどこかしらで目にしたことのあるお方も多いのではないでしょうか。
その原作者さんが「石田スイ」先生!そしてノベライズを担当されているのが「十和田シン」先生です!

そしてなんとなんと、その強すぎるお二人が0から作り上げたゲームが発売されているのです…!
本日紹介するそのゲームは東京喰種とは全く別で、また新たな世界観が構築されている素敵な作品となっています✨





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【 少女は 少年を演じた___。 】


このキャッチコピーで始まる、『JACK JEANNE』(ジャックジャンヌ)という「少年歌劇シミュレーションゲーム」。
舞台となるのは「ユニヴェール歌劇学校」と呼ばれる全寮制の男子歌劇学校。ここでは個性豊かな男子学生たちが「JACK」(ジャック)という男役と「JEANNE」(ジャンヌ)という女役に分かれて日夜稽古に励み、各寮ごとに一つの舞台を創り上げています。

主人公の「立花希佐」(タチバナ キサ)はこのユニヴェール歌劇学校でも伝説といわれた男役のトップである兄を持ち、幼少期から同じ舞台へ立つ憧れを強めていました。
しかし…女子である主人公は、一般的な方法ではユニヴェール「男子」歌劇学校に入学することができません。そこで出会ったのがユニヴェールの校長先生。紆余曲折を経て、なんと主人公は文字通りの裏口入学を果たします。

そんなこんなで主人公のキサちゃんは様々なキャラクターたちと共にユニヴェールの舞台へと立つことに…なるのですが。
実は以前のブログで似たような雰囲気のゲームを紹介しておりました。「A3!」という同じく演劇関係の作品で、この時は「乙女ゲーム」じゃないのがイイ!!と熱く語っていたかと思います。一方で、今回ご紹介するジャックジャンヌは乙女ゲームの要素があります。
つまり、舞台や演劇関係のノベルゲームがお好きで、乙女ゲーム要素が欲しい方にはジャックジャンヌが、乙女ゲーム要素がお好みでない方にはエースリーがオススメです♪



しかしながら、ジャックジャンヌもただの乙女ゲームじゃァありません。
そう、主人公のキサちゃんがイケメンすぎるのです…!!!先にもご紹介したように、ジャックとジャンヌという男役女役の2種があるのですが、なんと主人公はどっちも演じます。しかも可愛い系のジャック(男役)などではなく、本当にバチバチのジャックを魅せてくれます。。そしてこのカッコよさは声優の寺崎裕香さんの素晴らしき中性的なボイスでさらにパワーアップしてプレイヤーへ届きます。
「えっこんなにカッコいいヒロインいる!?」という位の男っぷりで、もはやキサちゃんに惚れそうになります。
これについては製作者の石田スイ先生が拘られたポイントのようで、主人公をただ恋愛ストーリーを進めるだけの無個性な子にしたくはなかったのだそうです。それ故に、公式ではジャックジャンヌは乙女ゲームではなく、「友情・努力・勝利の青春群像劇」という少年ジャ〇プのようなジャンルとして表記されています。

その為、好感度ゲージや選択肢によるルート分岐はありつつも、実はそれらをすべて無視して稽古漬けのスポ根物語としてプレイすることもできちゃうのです!(私は実際やった)

そんな、異色の「乙女ゲーム」(任天堂公式による括り)ですが・・・!!
今だけなんと40%OFFでお買い求めいただけますッ!

テレビショッピングのようになってしまいました。でもホントなんです。ジャックジャンヌは「broccoli」という「うたプリ」などで有名なゲーム会社から出ているのですが、そちらが7月18日~8月12日までサマーゲームセールを開催しています。こんなのもう、夏眠のお供にするしかありませんよね。
Switchのダウンロード版に限りますが、40%オフはかなり大きいのではないでしょうか。どうしても昨今は無料のスマホゲームが増加したことにより、このような有料のソフト系ゲームを布教しにくくなってしまったのですが…この手の買い切りゲームには次々とコンテンツの増加するソシャゲとはまた一風変わった‟完成された世界観”という魅力があります。
小説や漫画でいう、読み切りのような魅力を一夏のお供にいかがでしょうか。


さて、ここで大事なご案内を。
ジャックジャンヌには現在「Switch版」(定価は8500円位、今はセールで5000円程!)と「スマホ版」(買い切りで1200円)がございます。
ストーリーに違いは一切ないのですが、お値段がかなり異なっています。その理由が、ゲームシステムの違いです。Switch版ではリズムゲームの要素とステータス振りの要素、その他細かなサブエピソード等々圧倒的なボリュームを誇っています。本当にこれだけで一夏が終わります。
一方で、スマホ版は完全にノベルゲームの形にコンバートされており、ストーリー分岐のみを楽しむものとなっています。シナリオのバックログやスキップ、その他の機能も充実しており、周回もしやすくなっている形です。Switch版にあったような主人公のステータス育成やリズムゲームの要素は省かれているのでサクサクできちゃいます。物凄くありがたい…私はリズムゲーム弱者なので、Switch版の時に超苦戦しました。永遠に最低難度でゴリ押していましたが、、(笑)


その為、個人的なオススメは「スマホ版」です。何しろとても手軽に色々なキャラのストーリーを楽しめますから。ただ、「Switch版」の小ネタの充足感や没入感も捨てがたい…!ですから、リズムゲームややりこみ要素がお好きな方には「Switch版」がオススメかもしれません。反対に、シナリオやキャラクターとのやり取りにご興味がある方は「スマホ版」がいいでしょう。


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もはや何かの回し者なのではないかと思うようなセールストークになってしまいましたが、ここからは作品の内容をもう少し詳しくご紹介いたします。

先にもちらりと申し上げましたが、全寮制のユニヴェール歌劇学校には4つのクラスが存在しています。
主人公が所属するのは演劇未経験者なども多い「クォーツ」で、その他にダンスが得意な「オニキス」、歌が得意な「ロードナイト」、プロレベルの技術と芸術性を持つ「アンバー」といったクラスがあります。宝石の名前に由来するように、磨けば光る原石たちが切磋琢磨する場所なのです。


独立したストーリー分岐が存在しているのは、攻略対象となっている6人のキャラクターで全員「クォーツ」の生徒です。ざっと紹介すると
・3年 高科更文(タカシナ サラフミ)  CV:近藤孝行さん
・3年 睦実介(ムツミ カイ)      CV:笠間淳さん
・3年 根地黒門(ネジ コクト)     CV:岸尾だいすけさん
・2年 白田美ツ騎(シロタ ミツキ)   CV:梶原岳人さん
・1年 織巻寿々(オリマキ スズ)    CV:内田雄馬さん
・1年 世長創司郎(ヨナガ ソウシロウ) CV:佐藤元さん
の6人です。気になる声優さんとかいらっしゃいますでしょうか。個人的には内田雄馬さん推しの方にぜひ見てほしい。内田さん演じるスズ君は「音痴」という設定があったのですが、中の人が上手すぎて公演楽曲のMVに「音痴設定どこいった」「もはやただの内田雄馬」とのコメントが溢れました(笑)


こちらのPVで簡単にキャラクターたちの雰囲気がお分かりになるかと思います。
約2分でわかるので!でも音量注意です!!




さて、今回はその中でもただただ私が好きな推しをご紹介していきます。本当は全員描きたかったのですが、さすがに期末課題に屈している最中でしたので3人が限界でした。



とにかく、沼。あまりにもしんどい最推しはクォーツの組長「根地黒門」(ネジ コクト)というお方。
彼は組長というリーダー的な立ち位置でありながら、そのメインのお仕事は脚本、演出、ほぼ総監督といった形で舞台上にいる時間はそう長くありません。その笑い声は「ウワハハハハハハ~~~ッ!」といった感じで、後輩にも怒られるようなもうお察しのキャラです。奇抜な言動で周囲を常に引っ掻き回す、歩く嵐のような彼ですが…ストーリーのしんどさは随一。沼です、この男。
最推しなのですが、本当に重すぎて一度彼のルートをやってしまうとその他のルートがまともに楽しめなくなってしまうので、彼は1番最後にやることをお勧めします。
※個人の意見です。バイアスがかかっています。


2推しは「白田美ツ騎」(シロタ ミツキ)というお方。クォーツの「歌姫」(トレゾール)と呼ばれる彼はその歌声で組を支えてくれています。そして何より、、、可愛い!!!!!!
作中で唯一彼は最初から最後まで「ジャンヌ」(女役)でした。主人公よりも女子。その美声も素晴らしく、声優さんまじか…と圧倒されました。とてつもなく可愛い彼ですが、彼のルートも胸が痛くなるようなシーンが多々あります。彼のセリフは1つ1つがとてもグッとくるので是非白田先輩ルートをやって、しんどくなって頂きたいですね。。


私の推しはこのお二方ですが、どのキャラも本当に魅力的で作りこみがしっかりしています。イラストの真ん中にいたフミさんは私の友人の推しなので描きましたが、彼もめちゃくちゃ美人です。
しかも、今回紹介したイケメンは「クォーツ」だけ。つまり、あと3組いますので…。しかも教師陣もイケメンなので、もうてんこ盛りですね!そして全て石田スイ先生の美麗な描き下ろしスチルつき!!

あまりにも芸術的で、ゾッとするほど美しいものもありますのでググるだけでもお試しあれ。オススメは🔍「ジャックジャンヌ アンバー」とか、🔍「ジャックジャンヌ 田中右」とか。見たらわかる、刺さる人には刺さるなぁって。


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そんなトンでもねぇイケメンたちと、年に5回「新人公演」「夏公演」「秋公演」「冬公演」「最終公演」という大きな舞台を創り上げ、クラス優勝を目指します。

5つの公演ですが、各回でお話の雰囲気がかなり異なっており、きっと”刺さる”作品があるのではないかと思います。ちなみに私が一生引きずっている公演は冬公演の「オー・ラマ・ハヴェンナ」です。退廃的で美しく切ない独特の香りが充満した最高の舞台となっています。内容はぜひ皆様の目で観ていただきたいのですが、その舞台を彩る華やかな楽曲をここでは紹介させてください。






このような各公演に合わせた豪華すぎる楽曲が17曲もあります。そして全て石田スイ先生が作詞と仮歌をされました。スイ先生…まじで才能に溢れすぎてませんか…???
※スイ先生の公式noteより

5公演に対して17曲。もう尋常じゃないです。
こんな素晴らしい楽曲や作りこまれたシナリオがぎゅっと詰まって、スマホ版なら1200円。
0が1個足りてないんじゃないのォ!!!?????というクオリティです。

最初の「新人公演」まではスマホ版にて無料でプレイできますので是非少しだけでも試してみてください。

appストア「ジャックジャンヌ」
https://apps.apple.com/jp/app/%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%B3%E3%83%8C/id1658271223


最後に超刺さった白田先輩のセリフを1つだけご紹介させてください。

「 誰にでも優しい奴は、誰よりも優しくない。 」



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長くなりましたが、「ジャックジャンヌ」の魅力が少しでもお伝えできていれば幸いです。
これから夏本番がやってきますが、外で活動される方はくれぐれも体調にご注意ください。なんでしたら、皆様もクーラーとお布団と懇ろに「夏眠」ライフを楽しみましょう。

そして、ユニヴェール歌劇学校で彼らと舞台に立つ夏ってのもいかがでしょうか。

蓮花

みなさま、こんにちは。

夏!本番!暑くなって参りました。夏休みには入られましたでしょうか。私はテスト形式の講義は受けないをモットーに履修を組んでいるため、少し早めに夏休み気分ではありますが、同時に最終課題の締切にひぃひぃと泣き言をあげています。元気です。

さて、相変わらずダンスやらアルバイトやらで側からみると多忙な毎日を過ごしております。特にダンスは現役最後のサークル公演ということで3年生が主体となり運営もするので、日夜駆けずり回っていますが、たまには違うお話をテーマに持ってこようと思っているところです。

ブログで触れたことはあったのか、、記憶が定かではありませんが、実は母の実家の地域とご縁があり、その地域でお祭りやら行事やらのお手伝いを1年以上しています。7月はそちら関連の予定もあり、楽しく過ごしておりました。

地域の方々の憩いの場である公園では、7月頭に蓮の花が咲き誇ります。名前は聞いたことがあっても実際に見たことある人は少ないのではないでしょうか。種類によるのかもしれませんが、そこで見ることが出来るのは私の身長を悠に超える背丈で、顔と同じくらいの大きさを付ける蓮の花です。見た目の大きさに良い意味でそぐわず、可愛らしい色と柔らかな花びらは見ているだけで癒されました!咲いている期間が短いため、もう見頃ではないのですが、よろしければ来年にでも、ぜひ!蓮の花を探してみてください。

他にも色んな場所や行事に参加しています。あまり大体的にPRするのはグレーラインなのですがいつか言えたらいいなぁと思います!今日もゆるゆるブログをご覧いただきありがとうございました!それでは!!

「ルーツ」は知るも話すもおもしろい

皆さんこんにちは。みちこです。

今回も今回とて書きたいことが多すぎて、ギリギリまで決まりませんでした(笑)

私にはこのブログで書きたいことが多すぎるんです。色々な物事に気づく方で、それが私の思考を深めてくれるこの感覚が大好きなので。

色々迷った挙句、今回は、「ルーツ」というテーマでお話をしようと思います。

皆さん、自分のルーツって考えたことありますか?

自分がどのようにして今の自分になりえたか、一度でも考えてみたことはありますでしょうか?

私はいつからか、他人のルーツを聞くことも、自分のルーツを話すことも好きになりました。

人は全員が違うルーツを持つからこそ、同じ機関に所属する、同じ興味を持つ人達同士でも全然違うルートをたどってきている、ということが往々にしてあります。

それを人と話す中で知ることが出来る、ということはこの上なく面白いことだと私は感じています。

そしてこの度、私がこのような記事を書くに至った理由としては、本学で始まった「リレーエッセイ」という企画に由来しています。

少し前から始動していた企画なので、ご存知の方もいらっしゃるかも知れませんが、日文の公式noteから、本学教員が「リレーエッセイ」と題して個性豊かな「ルーツ」を書いております。

それぞれの学問領域に先生方の人生がどのように交わっていき、リンクしていくのか、その過程を垣間見ることが出来ます!

この「リレーエッセイ」は以下のリンクから読むことが出来ます↓

https://note.com/nichijo_nichibun

では、こちらの企画に倣いまして、本学日文生・ブログ部員である私の「ルーツ」も綴らせて頂こうと思います。しかし、結構他のブログ記事で小出しにしていることも多いので、内容が被ってしまうと思います。本記事は、いわゆる「まとめ記事」になるかも知れないということを申し添えておきます。

私の文学に対する「ルーツ」を話すにどうしても外せない存在「朗読」についてお話する必要があります。

私は小さい頃から読書が好きだった、というよりかは「朗読」が好きな子でした。

国内・海外問わずおとぎ話を朗読し、「プレイリスト」ならぬ「朗読リスト」を作って、その順番通りに読むのが、小学校低学年頃の私のお気に入りの時間でした。

ちなみに小学校低学年くらいまで、私は「朗読」が好きすぎるがゆえに「黙読」ができない子供でした。

なので、授業中に教科書のここからここまでを読んでください~といわれると小さな声で声に出して読んでいましたね。傍から見たらとても変な子だったのではないでしょうか。(今も中々な変人の一面があると自負しておりますが…(笑))

小学校中学年くらいになると、もう少し字数の多い本を読み始めます。

ハマってた作品などはあまり覚えていませんが、小学校の教室の文庫コーナーにあった本をひたすらに読み漁っていたような記憶があります。ここでもファンタジー系の小説が好きでした。好みは低学年の頃とはあまり変わっていませんね。

小学校高学年頃から、徐々に好きなジャンルが変わっていきます。それは「ミステリー」です。

今でも覚えているのですが、当時「夢水清志郎」シリーズにドハマりして、そのシリーズを延々と読み漁っていました。

私は中学受験をしているので、小学校の高学年ともなるとそちらの勉強が忙しくなってくる時期なのですが、そんなことそっちのけで読んでたこともありました。

ちなみに朗読はずっと好きですよ…?今でも大好きな私の趣味であり、特技です。

さて、中学校に上がると、小学校高学年の延長でミステリーをさらに読み始めます。

ここまでくると一般の小説とかにも手を出し始めていたような気がします。

東野圭吾さんとか、湊かなえさんとか…。いつの時期だったかあまり覚えていないのですが、おそらく中学生でしょう(笑)

ここで私は今年で8年来になるずっと一緒にいる友人からアニメを教えてもらい、そこから自分で声優さんにハマることとなります。

そこから美術部に所属したこともあり、絵やアニメの方に自身の熱情が傾いてしまっているので、中学生時代と小説・文学はあまり語れることがありません…。すみませんが…。

転換期は高校に上がってから。高校二年生の時に古文の授業を受け持ってくれていた先生がきっかけで、『更級日記』に興味を持ちます。

何故興味を持ったかと言うと、これがまた至極単純な話なのですが、更級作者に共感したからです。

『更級日記』には、「『源氏物語』オタク」であった作者のエピソードが綴られています。

その話を高校の授業で教えてもらった際に、私はこの時代にもオタクの子がいたんだ!という驚きを感じ、同時に少し親近感を抱きました。

そこから私は高校の図書館で日記文学のビギナーズクラシックスシリーズや、源氏物語を読み始めます。そこから私は、日記文学に少し興味を持つことになります。

ちなみに私が文学部系統に興味を持ったのは、日本語の方面からでしたので、こちらはサブの理由と言ってしまえばそうですね(笑)

しかしこのサブの理由が結局は今の私を成り立たせていることになりますから、人生分からないものです、本当に(笑)

そして、晴れてこちらの大学に入ることとなりました。

そして、当初興味のあった日本語学の授業に期待を寄せていたのですが…

その授業を受けていくうちに、頭の中にはてなマークが沢山浮かんできてしまいました…。

そこで諦めずに理解しようとする姿勢を見せればよかったのですが、同時期に受講していた中古の文学史の授業で、私は中古文学に興味を持ち始めることとなり…。

しかし日本語学も全ての分野が難しい!と思っていたわけでなく、興味のある分野もあったので、現在それに関連する授業も受講しており、現在期末レポートを鋭意作成中です…。

話を戻して中古文学の話をしますと、その授業を通じて私は、新たな視点を得た、と思ったから興味を持ちました。

高校の古典の授業で日本文学を学ぶことと、大学で日本文学を学ぶこととは全く異なると私は思っています。

大学での日本文学の授業って、それまで自分がこういうものだと教えられてきた、あるいはそう思い込んできたものを180度ひっくり返してくれるんですよ。

それを知る感覚が本当に楽しくて。視野が広がったような心持になるんですよね。

知識欲が満たされていくその快感を覚えてしまってから、私は中古文学に興味を持つこととなりました。

そして、皆さんご存知の!大河ドラマ!これも今の私が非常に影響を受けたものです。

実は、大河ドラマ「光る君へ」は脚本を本学科出身の大石静氏が、和歌考証を本学名誉教授の高野晴代先生がご担当なさっているんです!

そりゃ学科としても一大イベントであると認識せざるを得ません。

私もその時流に乗り、大河ドラマを視聴していたら、見事にはまりまして。

中古文学史を受講して身に付けた知識とドラマの内容とがリンクしていたり、はたまた違っていたりと、様々な要素から見ることが出来、中古文学を学ぶことがさらに楽しくなりました。

結果、私は二年次から「自主ゼミ」という本学特有のゼミに所属することとなり、さらに興味の幅を広げていくこととなりました。

期末レポートの作成も中々架橋に入っている中で本記事を書いているので、今回はここまでとしたいと思います。

ここまで去年度までの話をしましたが、二年前期の授業を受けても面白くて紹介したい授業などまだまだたくさんあるので、そちらも次回以降の更新で改めて紹介出来たらと思います。

ちなみに、本記事の趣旨とは全く関係ございませんが、本日は私が今年から新たにハマり、「推し」になった方の誕生日です!ゆっくりイラストなど描いてお祝いしたいのですが、いかんせんレポートが…(以下略)

いつかその新たな推しさんについても綴る記事を作成したいと思っておりますので、よろしければお付き合いをお願い致します。

それでは、今回はこちらで失礼致します。

ここまで読んで頂きありがとうございました。

人生かもしれない

横浜駅をぶらぶらと歩いていたら、「ヨシタケシンスケ展」のポスターが目に入った。
「りんごかもしれない」「りゆうがあります」などの作品がとても好きで、そもそも絵本というコンテンツが大好きなわたしは引き寄せられるようにそのチラシを手に取った。

「ヨシタケシンスケ展かもしれない」
原画とか飾ってあるのかな、ふうん、見に行ってみようかな。
そんな軽い気持ちだった。元々展覧会に行くのは好きだったから。
絵本も好きだ。小さいころから、ずっと。最近のお気に入りの場所は絵本の家。目白から大学へ行くまでの道のりにある、青い入り口が目印の絵本屋さんだ。国内外問わずさまざまな絵本が置いてあり、絵本のグッズなんかも置いてある。そこを眺めながら、「あ、ヨシタケシンスケさんの絵本だ。」と海外版の『りんごかもしれない』を、英語なんてわからないのに眺めて見たりもした。
絵本が好きだ。心が踊る、声に出して読んでみたくなる。

ヨシタケシンスケさんは、その中でも特段好きな作者だった。
くすりと笑えるユーモアに遊び心、その中に見える深いメッセージ性と人生観。
隅々まで読みたくなるような絵本ばかりだ。絵柄も可愛らしくて唯一無二。
原画などの展示が見られるなら、グッズとかも欲しいし。
とても楽しみにしていて、同じく絵本が好きな母とともに足を運んだ。

チケットを購入する前から、入口の至る所にスタンディパネルが飾られていた。
違う方を指さして「会場はこっちかもしれない」だとか、「あなたをずっと待っていたのかもしれない」だとか。ヨシタケシンスケ節の遊び心が散りばめられている。


入場して、一番初めに目に飛び込んできたのは、ダンボールで作られた展示場だった。


「ほんとうの会場はこっちかもしれない」と「いりぐち」と書かれた小さな扉に矢印が伸ばされている。
可愛らしく、ヨシタケシンスケらしい「入り口」に胸が高鳴る。

そのまま奥へと足を進めると、たくさんの「カブリモノ」と目があった。
「カブリモノシリーズ」の展示。ヨシタケシンスケの昔の制作物らしい。
カブリモノを制作し、その機能とアイデアスケッチを展示していた。
わたしは、この展示が一番好きだった。一気に心を奪われたのだ。
カブリモノの中にケチャップとマヨネーズを入れて、オーロラソースでいっぱいにすることで死にいたる自殺装置に、頭の自動販売機。ブラックユーモアと、詩的な一言がとても刺さって、釘付けになった。

特に印象に残ったのは「HOOK ME」という「カブリモノ」。
カブリモノについたフックが体全体を持ち上げている。
作品説明はたった一文。


「ぼくが今まで宙に浮くことができなかったのは、何もひっかかるものがなかったからなんだ。」

カブリモノシリーズを堪能した後広がるのは、普段からヨシタケシンスケが記録しているアイデアスケッチの数々だった。
壁一面に、ヨシタケさんの世界観が広がる。

普段の生活でどのようなことを考えているのか、手に取るようにわかるメモの数々。
ヨシタケシンスケの作品は、こういうところが出発点になっているのだと感じられるような展示だった。この展示を見るのには、時間がいくらあっても足りない。
目についたものを眺めるだけでもたくさん共感できるポイントがあって、時間が許すなら目の届く限り全てを見たいと思うほどだった。

一言とともに、小さな絵が添えてある。
感性が羨ましくなった。羨ましい、と思うと同時に、この色々考えてしまう思考をどこにも書かず、発散せずにとどめたままだと苦しいだろうなとも思う。
書き、描くという行為がこれほどの感性を育てているのだろうか。

その奥にはさまざまな展示があった。
子供向けのミニゲームや、学生時代の制作物。
そして、作品群のアイデアスケッチだ。

どのような過程を踏んでヨシタケシンスケの絵本が作り上げられていったのか、本人直筆の付箋で注釈がつけられながら追うことができる。
本当に面白かった。作家の頭の中をのぞいているようで、大人たちは食い入るように見入っていた。

この展示会は、大人が訪れるとさまざまなものを感じ取れるようなものになっていると思う。
人生のこととか、いろいろ。たくさん考えることがあったし、たくさん学ぶことがあった。
私がヨシタケシンスケの絵本が好きなのは、こういうところなんだろうなと思った。

展示会は好きだ。時には人生観さえ変わることがある。
ぜひ、「ヨシタケシンスケ展かもしれない」に足を運んでみてほしい。

 大人になってから出す高熱、同じ体温でも子どもの時よりマジで辛すぎる、と大学生になってからちょくちょく思います。この間夏風邪を引き39度まで熱が出たんですが体が痛すぎて眠れやしない。熱出すと解熱鎮痛剤の偉大さを痛感させられますね。あと昔より長引く気がする。今年の私は特に体力の欠片もないので完全復帰までが長い長い。大人の言う「まだ本調子じゃなくて~」みたいな文言、小学生くらいまであんまりぴんときていませんでしたが、徐々に理解できるようになっていくのが人間か~なんて思ったりします。

 先日、トーハク、東京国立博物館に行ってきました。見たい展示があったとかこのイベントが興味あってとかではなく、近くに用があったため思い立って寄ってみただけではあるんですけれども。というのも「キャンパスメンバーズ」なるシステムがありまして、日本女子大がそれに加入しているため我々は学生証を見せると常設展は無料で見せていただけるんですね。ふとそれを思い出してじゃあ見てくるか~と立ち寄ったわけです。私はあの辺割とアクセスしやすくて昔からそこそこ馴染みのある地ではあるんですが、多分トーハクは初めて行った気がします。少なくとも自分でちゃんと色々を認識できるようになってからは。動物園とか科学博物館の方とか、あとは公園自体はそれなりに行く機会あったんですけどね。で、特にお目当てもないままふらっと入ってまず思ったのが「ウワー時をかける少女だー!」でした。これ人によってどの「時をかける少女」を想像するか異なるところではありますがここでは細田守監督のアニメ映画を指しています。この作品、原作の小説から各ドラマ、映画で味が結構違うのが面白いなと思います。私は子どもの時に金曜ロードショーで見たアニメ映画が入り口だったので原作読んだ時かなり衝撃を受けましたね。「なんだこれは、同じタイトルの違う本選んじゃったのかな」と。こう、原作のラストの何とも言えない不気味さ、不思議さ、冷たさに若干恐怖すら覚えました。でも私的にその原作のひんやり感に近いのが映画ではトーハクのシーンなんですよね。あのシーンってすごく静かで、無機質で、少し暗くて、夏の暑さを全く感じないじゃないですか。小学生の時の金曜日、ちょっと夜更かしが許されているくらいの時間、妹たちは寝ていて、家も静かで、みたいな状況で見ていたのも相まってですかね。あの冷たさを思い出して足を踏み入れた瞬間非現実感に浸りました。実際は主に海外からの観光客が多くて博物館の割にはそれなりにがやがやしていたんですけれども。まあでも私、夏に行く図書館とか美術館、博物館とか、静かで日の光が入ってこなくて涼しい場所が大好きなので混み具合はそんなに関係なく楽しかったしテンション上がりましたけどね。変体仮名で書かれた書物見て錆びついた記憶を取り戻そうとしてみたり、出来るはずのない写経の解読を試みたり、能の面を見て受けた講義の内容思い出したり、水墨画って無駄がなくて好きだなあと思ったり、こんな鎧着て武士は重くないのかなと思ったり、ぼんやりしながら色々眺めて帰りました。日本の歴史みたいな博物館だと日本文学科で教わったことがあれこれ思い出されて興味深いなと思いますね。楽しかったです。また行こ。

 私はそんなに芸術とか文化とか、詳しい方ではないけれど、た~~~まに博物館、美術館、科学館みたいなところに行くと無知ながらも知的好奇心がびったびたに満たされて楽しいなと思います。文章でも絵でも音楽でも何か生み出そうとするときにはこういった刺激を受けるのが一番だなと私は思っていますしね。あと本当に夏場の博物館、美術館、図書館なんかは最高です。映画館もいい。暑すぎて毎日溶けそうですが、涼しくて暗くてしかも楽しい場所、気が向いた時にはぜひ足を運んでみてはいかがでしょう。私のような高尚の対岸に居る人間でもまず涼しいというだけで楽しめます。あと観光客が多いところはハードル高くなくていいなと思いました。静けさを求める方には向いていないかもしれないけども。マジでやることないな、の瞬間が来たら近くの博物館とか調べてみると面白いかもしれません。では。

かえるぴょこぴょこ

こんにちは、あやめでございます。

まだまだレポート期間でございますから、まだまだネタがありません。どうしよう。

ということで、本日ものらりくらりやります。どうしようかなア。

お祭りのシーズンになってきたと思います。私が住む市でも先日祭りが行われていたようです。私は行っていませんが弟妹が友達といったようです。

お祭り、昔楽しく行った記憶がありますが、ほんの何回か行ったらもういやになってしまって、運営する側にあこがれの気持ちを持っていた気がします。私は、ぼんやり(たこ焼きやら綿あめやらの)屋台の列に並びながら、それを作っている・売っているおじさんを見ていました。「まだかな、はやくたべたいな」という気持ちももちろんありますが、そうやってつくられるのね、とか、屋台の狭いスペースにぎちぎちに詰め込まれたものとか、2、3人で「回し」ている感じとかを見て、それにワクワクしました。

裏方志望、ということでしょうか、あるいはシステムをつくったり守ったりするのが面白い、ということでしょうか、わかりません。わかるのは、素直にお祭りを楽しめる人ではない、ということですね。斜に構える、というか、妙にすかしている、というか、興ざめ人間ですね。ヨーヨーぽよぽよして、キツネのお面かぶって、金魚の水袋もって、わたあめとりんご飴もって、たこ焼き食べて、花火見ればいいのにね。そっちのほうが、きっとたのしいでしょうにね。

ただ、私は、花火を帰り道にフラとみる、ことのほうが風情があると思うタイプのひとでなしです。そうだ、わすれかけていましたが、わたしは昼に出る怪異、ヤな生物蛇ですね。わきみちを腕振って堂々とあるきましょう。

レポート期間、テスト期間になると、掃除したくなる人がよくいらっしゃるようですが、私は自分の思考を掃除したくなります。しかも、じ……っくりと、中身をよくほじくって考えてしまいます。そうすると、いつも、わたしは普通じゃないな、という自意識がムクムク湧いてきます。でも、ふつうって、なに?と、わからなくもなります。各駅停車の事でしょうか?それともちょうどいいってこと?「中」のこと?わかりませんが、それなのに、そこにいない、とおもってかなしくなります。だってほら、お祭りを楽しめないのです。そして、みんなは「ふつう」のところに居るから、わたしを置いて行ってしまうように思います。まって!いかないで!!まだ私、ここにいます!!!

こうやって大声を出してワタワタかなしく主張したら、大抵「ああ、居たの。気付かなかった」と、アッサリ乗せてもらえます。ああ、そうか、ほら、わたしも「普通」ににんげんでした。日中に化けて出たマヌケ怪異ではない。ヤな蛇ではない。あの人には私が人間に見えたのです。大丈夫。安心安心。

でも、私は「常軌を逸し」ているのかもしれません。私が座ろうと思った席は、隣人には「席」と認識されていない様子でした。証拠に、あり得ないものを見る目をして、隣人に「そこにすわるの……?」と言われてしまったのです。おや?ひんやりしていて、風通しも良くて、てきどに薄暗くて、日光も差し込まない、良いところだと思ったのですが。「椅子まだあいているよ」と憐れみをもってちょっと心配そうに、親切に語りかけられたら、その優しさを突き放すことはできません。ううむ、空いている席はどれも居心地が悪そうなのに。結局終点に着くころにはがちがちに肩が凝ってしまいました。

でも、それを楽しもうかな、と思います。幸い大きな窓が付いているところに座れました。景色を見て気を紛らわそうと思います。湿度が高かろうが、暑かろうが、カピカピだろうが、極寒だろうが、狭かろうが、生きている動物がいます。要するにその環境に適するように進化できればいいのです。私も、うまくごまかしごまかし、やっていければ適応できたことになるのではないでしょうか。

無事列車を下りたら今日こそ、お祭りの日だったようで、花火があがっていました。人々はみんな、上を向いて笑っています。私はというと、下駄をカラコロやってあるき、ふと気づいて、浴衣の私が、水たまりをしゃがんでのぞき込みました。ラムネを飲んだばかりのシュワシュワした口で、目を凝らして見ました。深淵もまた、私を覗いているようでした。

にんげんは考える葦である。われわれはうちゅうじんだ。

これを、トマト缶の中で夢見ている、乙女がいましたとさ。井の中の蛙大海を知らず。